青野賢一 連載:パサージュ #24 シンプルな物語、確固たる主題、饒舌な音楽––––『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』

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青野賢一 連載:パサージュ #24 シンプルな物語、確固たる主題、饒舌な音楽––––『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』

目次[非表示]

  1. ユリと彼女の婚約者、そして仲間たちの日常
  2. 空き家を占拠しようとする若者たち
  3. 作品理解の一助となるハンガリーの歴史
  4. ファシズム、社会主義体制、孤児、女性の主権
  5. ユリの絶妙な表情が彼女の気持ちを語る
  6. 言葉以上に雄弁な音楽のあり方
 2023年に特集上映が組まれるまで、日本での作品公開の機会に恵まれなかったハンガリーの映画監督メーサーロシュ・マールタ。1931年にブダペシュトで生まれた彼女はふたつの大戦の戦間期に両親とキルギスへ移住したが、父はスターリンの粛清にあい死亡、母は出産の際に命を落とした。孤児となったメーサーロシュはソ連の児童養護施設に引き取られ、第二次大戦が終結してから祖国ハンガリーへ帰郷。1950年代中盤よりドキュメンタリーなどの作品を撮り、1968年『ザ・ガール』で長篇映画デビューを果たした。
 1975年の『アダプション/ある母と娘の記録』が第25回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。同映画祭において女性監督およびハンガリーの監督として初の受賞となった。今回、配信がスタートするメーサーロシュ作品は『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』(1970)、『アダプション/ある母と娘の記録』、『ナイン・マンス』(1976)、『マリとユリ』(1977)、『ふたりの女、ひとつの宿命』(1980)の5作品。そのなかから長篇3作目である『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』をご紹介しよう。この作品のストーリーは実にシンプル。婚約中の若い男女の女性の方が別の男性と恋に落ちるも最終的には元の鞘に収まるというものである。しかし、このシンプルな物語に、のちのちまでメーサーロシュが主題としている家父長制的な社会における女性の扱われ方、そしてそこからの脱却や自立がしっかりと表れていることには驚かざるをえない。

ユリと彼女の婚約者、そして仲間たちの日常

『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』
©National Film Institute Hungary - Film Archive

 軽快なビート・ポップスとともに画面にまず映し出されるのは、自転車を漕ぐ若者男性たち。やがて場面は移り変わって講堂だか集会場だか遊技場のようなスペースに。ここではこれからコンサートのリハーサルが行われるという。先の自転車を漕いでいた男たちは若い女性のグループとここで落ち合う。肩を組むなどして親密な様子だ。彼、彼女たちの多くは工場で働く仕事仲間。本作の主人公ユリ(ヤロスラヴァ・シャレロヴァー)もこのなかのひとりで、彼女の婚約者もそう。さて、先に述べたコンサートのリハーサルに入る場面で、ユリはチェロを弾いていた男性に視線を送る。するとその人物もユリを見つめ、互いに何かを感じとっているかのようであった。
 このあとしばらくはユリと婚約者、そしてその仲間たちの日常描写が続く。彼、彼女たちの楽しみは皆でつるんで飲んだり、ロックやフォークなどの音楽を聴きに行ったりといったところで、この時代のどの国の若者とも大差ないといえそうである。ユリの婚約者は仕事場の女の子にちょっかいを出したりしており、ユリのことを真面目に考えているかよくわからないが、それでも結婚に向けてユリの両親と打ち合わせをし、指輪を入手する。ユリの母の言葉を借りれば「うちが結婚式代を出す あなたは指輪を」となっているようだ。あるとき、ユリたちはホールで行われるライブ・コンサートに足を運ぶ。フォーク・デュオが「さあ 行こう 音楽を聞きながら すべて忘れて」と歌っているのを聴きながら、ユリはステージの袖あたりをキョロキョロと見ている。おそらく、以前に見かけたチェロを弾いていた青年の姿を探していたのだろう。あいにくここで彼を見つけることはなかったが、ホールのカフェテリアで一瞬だがふたりは再会を果たした。

空き家を占拠しようとする若者たち

『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』
©National Film Institute Hungary - Film Archive

 ユリと婚約者を含むグループは、そのうちの誰かが見つけてきた空き家を見に行くため、カフェテリアをあとに。空き家は中庭のある集合住宅といった雰囲気でそこそこ大きいものだ。彼、彼女たちは各部屋の残留物を中庭にバンバン投げ捨てる。ここで皆で暮らそうという算段である。いかにもヒッピー・ムーブメントを経た若者たちという感じだが、メーサーロシュは2019年のベルリン国際映画祭(このとき『アダプション/ある母と娘の記録』のレストア版がおよそ40年を経て上映された)でのインタビューでかつてのハンガリーの状況を振り返ってこう述べている。「離婚する人が多く孤独な女性が無数にいました 児童養護施設は至る所にあり 多くの親が自分の子を施設に預けたのです その話題はタブーでしたし むしろそれが当たり前だと考えられていたのです」。実の家族と縁が切れてしまった子どもたちが施設を出たあとは、自らの居場所を自分たちで作らなければならない──そんなことも垣間見えるシークエンスである。
 この空き家のひと部屋を占有したユリの婚約者は、ここでユリと行為に及ぼうとする。ユリは言葉にはしないけれど明らかに拒絶しており、その目は虚無といった印象だ。そうこうしていると通報を受けたのか警官がやってきて、若者たちは空き家を追い出されることに。仕方なく退散した彼、彼女たちがカフェテラスでビールを飲んでいると突然の豪雨。ずぶ濡れになりながらそれぞれの住まい──女子は工場の寄宿舎暮らしだ──へと帰ることとなったが、ユリはふたたび外出し婚約者とユリの兄がいる部屋を訪れる。「何 考えてる?」と婚約者に問われたユリはチェロを演奏していた男のことだと答えた。それに続けて「あなたのことも考えた」というと、彼は「当然だろ」と返すのだった。

作品理解の一助となるハンガリーの歴史

 物語が後半になると、ユリとくだんのチェロの男との距離がグッと縮まってゆくのだが、その話の前にハンガリーの歴史について手短に触れておきたい。9世紀の終わり頃にハンガリー民族が定住し、1000年にハンガリー王国建国。13世紀に蒙古襲来を退けたハンガリー王国は15世紀に最盛期を迎えるが、16世紀にはオスマン帝国の侵入を受けその支配下に置かれることとなった。余談だが、ハンガリーの名産品であるパプリカはこのときのオスマン帝国侵入によってもたらされたものだ。1683年、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲を行うが、これをオーストリアのハプスブルグ帝国軍が跳ね返し、1699年のカルロヴィッツ条約によってオスマン帝国からハンガリーを奪還。以後、ハンガリーはハプスブルグ家が統治し、1867年にはハンガリー王国を形式的に独立させるが国王はオーストリア皇帝(ハプスブルグ家)が兼ねるというオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立した。このハプスブルグ家の統治は、第一次世界大戦でのオーストリア=ハンガリー二重帝国の敗戦を受けてハンガリー共和国として独立する1918年まで続くこととなる。
 第二次世界大戦時にはナチス・ドイツに歩み寄って日独伊三国同盟に加わり枢軸国として参戦。敗戦の色濃くなる1944年、ハンガリーは連合軍との講和交渉に乗り出すがドイツがこれを阻止、ハンガリーを占領下に置いた。このドイツの支配からハンガリーを解放したのがソ連軍である。1946年にハンガリー共和国が成立してからもソ連の介入は続き、1949年には国名をハンガリー人民共和国とする社会主義国となった。メーサーロシュがソ連からハンガリーに戻ったのは戦後まもなくということで、まさにこの頃にあたるだろう。その後、ハンガリーは1989年をもって社会主義体制を捨て、民主制のハンガリー共和国となった(2012年から国名はハンガリー)。

ファシズム、社会主義体制、孤児、女性の主権

 手短に、などと書いたが何しろ複雑な道のりを辿ってきたこの国のこと。やや長くなってしまったことをお許しいただきたい。しかしメーサーロシュの作品を鑑賞するうえで、ハンガリーの歴史的歩みを頭に入れて置くことは無駄にはならないと思う。20世紀に入ってからの重要なポイントは、国単位でいえば枢軸国加入とそれに起因するファシズム、戦後のソ連の影響と社会主義体制、民衆においては先に引いたメーサーロシュの言葉にある孤児の問題や男性中心社会と女性の主権の問題などだろうか。ちなみにメーサーロシュと同じブダペシュト生まれ、『心と体と』(2017)で知られるイルディコー・エニェディの長篇デビュー作『私の20世紀』(1989)は、こうした20世紀ハンガリーをメーサーロシュとはまた違った視点、手法で表現しており、併せて観ると大変興味深い。

ユリの絶妙な表情が彼女の気持ちを語る

『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』
©National Film Institute Hungary - Film Archive

 さて、映画に話を戻すと、ユリとチェロを弾いていた男性とはコンサート──彼はこうしたコンサートの主催者でもあるようだ──を通じて関係を深めてゆく。地方で開かれるコンサートにユリを誘い、それにユリも同意してミュージシャンたちとバスで現地へ向かうことに。当然面白くないユリの婚約者はユリの兄を含む仲間たちと後を追い、と物語は進んでゆくわけだが、冒頭に記したように最終的にユリは婚約者と結ばれることとなる。何が彼女にこの決断をさせたかは明確には描かれていないが、おそらく婚約者が放ったある言葉が彼女の心を動かしたように思われる。このシーンをメーサーロシュは「感動」や「ドラマティック」といった要素を排除し、極めて淡々と表現しているのは特筆すべきだろう。作中、ユリは非常に口数が少なく、身振りも控えめであるものの、ちょっとした目の動きやかすかに変化する表情に感情が滲み出ている。大袈裟な演出のない本作では、そんなユリの視線、表情を見逃さないようにしたい。結婚式のあと、大雨に降られるユリと婚約者(この時点ではもう夫となっている)が急いで家に帰ってからのユリの安心と「これでよかったのだろうか」「この先どうなるのだろうか」とでもいうような不安な気持ちが入り混じった表情は実に印象的である。

言葉以上に雄弁な音楽のあり方

 本作に特徴的な事柄をもうひとつ挙げるならばやはり音楽だろう。先ほどユリの口数が少ないことを述べたが、そのほかの人々も決して饒舌ではない。そうした登場人物たちの心情や置かれている状況を、コンサートで披露される曲、挿入歌的に流れてくる曲が適宜補完あるいは代弁しているのだ。サウンドの方はフォークあり、サイケデリック・ロックあり、ジャズ・ロックありということで、この時代のムードがリアルに伝わってくる。歌詞の対訳がきちんと字幕化されており、これによって音楽を楽しみながら言葉の意味を理解することができるのも嬉しいところだ。
  『ドント・クライ プリティ・ガールズ!』に、のちのちまでメーサーロシュが取り上げる主題が提示されていることは本稿序盤で述べたが、それだけでなく抑制の効いた演出やさまざまな撮影技法(たとえばガラス越しに人物を捉えるショットや、ドキュメンタリーかと見まごうようなさりげない雑観の表現など)が、今回配信となる作品のすべてに通底しているので、全作品を鑑賞することを強くおすすめしたい。声高な政治的主張や社会批判を周到に回避しながら、物語を通じて観る者に考えることを促してくれるメーサーロシュ作品。こうして繰り返し鑑賞できるのは実にありがたいことである。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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