青野賢一 連載:パサージュ #21 祝祭の日の正体を100年の恨みが暴く──『ザ・フォッグ』

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青野賢一 連載:パサージュ #21 祝祭の日の正体を100年の恨みが暴く──『ザ・フォッグ』

目次[非表示]

  1. 100年前の難破事故と街の誕生
  2. いたるところで発生する怪異現象
  3. 船に迫りくる霧と人影
  4. アントニオ湾は呪われている!
  5. 日本の怪談と通じるような物語と映像美
  6. 恐怖だけではないホラー映画
 大学卒業後の1974年より映画を撮るようになり、『ハロウィン』(1978)の大ヒットで広くその名が知られるようになる映画監督のジョン・カーペンター。以後、『ブギーマン』(1981、製作・脚本・音楽)、『ニューヨーク1997』(1981)、『遊星からの物体X』(1982、ハワード・ホークス『遊星よりの物体X』のリメイク)、『ゼイリブ』(1988)、『エスケープ・フロム・L. A.』(1996)など、ホラー、SFホラー映画を中心に活動を続けている。かねてよりクエンティン・タランティーノや黒沢清がフェイバリットだと公言しているジョン・カーペンターだが、今回、「ザ・シネマメンバーズ」で配信がスタートするのは『ザ・フォッグ』(1980)、『ニューヨーク1997』、『ゼイリブ』の3作品。本稿ではこのなかから『ザ・フォッグ』をご紹介する。ルパート・ウェインライト監督が手がけた『ザ・フォッグ』(2005)は、ほかならぬ本作のリメイクである。

100年前の難破事故と街の誕生

「ザ・フォッグ」
© 1979 STUDIOCANAL

 物語の舞台はカリフォルニアのアントニオ・ベイという小さな港町。時は1980年。タイトル・バックの前に、キャンプファイヤーを囲んで老人が子どもたちに話を聞かせている様子が映し出される。時刻は23時55分。あと5分で日付が変わり4月21日になる。老人が語るのは、100年前にこの地で起こった快速船の難破事故についてだ。快速船エリザベス・デーン号が入港しようとした際、突然霧が発生し、たまたま陸地に見えた炎の明かりを頼りに船を進めたところ、岩にぶつかって船は真っ二つに裂けてしまった。船は乗組員もろとも海底へ。すると先ほどまでの霧はすっかり晴れ、二度と湾に戻ってくることはなかったという。そして言い伝えだとしたうえで、ふたたび霧が湾にやってきた時、その事故で亡くなった乗組員が海底から姿を現し、彼らを死に追いやった炎を探しにやってくるのだと告げた。老人が語り終えると時刻は深夜0時。100年前のこの事故が起こったのはまさに4月21日だったのだ。ちなみに1980年4月21日はアントニオ・ベイが誕生してちょうど100年となる記念すべき日。老人が百物語のように子どもたちに語り聞かせた先の話と街の誕生との奇妙な符号は一体どういうことなのだろうか。

いたるところで発生する怪異現象

 同じ頃、街の教会では石積みの壁の一部が何の前触れもなく崩落。そこにいたマーロン神父(ハル・ホルブルック)は石が落ちて空洞になった箇所で一冊の書物を見つけ、取り出した。開いてみると「パトリック・マーロン神父の日記」とあり、1880年と記されている。ちょうど100年前の日記で、現在のマーロン神父と同じ姓だから彼の祖父だか曾祖父がつけていたものだろう。これと時を同じくして街中では不思議な出来事が頻発する。複数の公衆電話のベルがけたたましく鳴り、閉店後のスーパーマーケットを清掃する男は地震のような揺れを店内で体験。クローズしているガソリン・スタンドの照明が突然点り、誰も乗っていない駐車中の車のライトが一斉に点灯しクラクションがやかましく響く。この音に目を覚ました女性が部屋の窓から様子を窺おうとしたところ、消してあったテレビのスイッチが入り、椅子が勝手に動いた──。こうした一連の出来事が誇張なくさらりと描かれているのがとても怖い(実はここまででまだタイトル・バックの途中なのだ)。

船に迫りくる霧と人影

 街中で怪異現象が発生している一方、湾を見下ろす灯台にあるFM局からはいつものようにDJのおしゃべりと音楽がオンエアされている。DJはスティーヴィー・ウェインという女性(エイドリアン・バーボー)。穏やかで落ち着きのある口調は深夜放送にぴったりだ。この放送のなかで、4月21日の夜にアントニオ・ベイの100周年記念祝賀会が開催されることと40キロ沖合に霧の塊が発生し、湾に帰港するべく24キロ沖を航行中のシーグラス号に近づいていることが告げられる。シーグラス号の乗組員3名はこの放送を聴き、様子を確認すると、確かに霧が迫っており、そのなかに大きな帆船の姿が浮かび上がってきたがいつの間にか消えてしまっていた。やがて周囲に気配を感じた乗組員たちは「そこに居るのは誰だ?」と問いかけると、霧のなかにぼんやりと人影らしきものがいるのに気づく。「誰なんだ?」と呟いた瞬間、人影は彼らを刺し殺してしまうのだった。
 音信不通になってしまったシーグラス号の乗組員のひとり、アルと朝に会う約束をしていたニック(トム・アトキンス)は、前の夜にヒッチハイクで知り合ったエリザベス(ジェイミー・リー・カーティス)とともにシーグラス号捜索に乗り出す。やがて首尾よくシーグラス号を見つけることができたが、船内で乗組員の死体を目の当たりにすることとなってしまった。ちなみにこのくだりでエリザベスがニックに「私は不吉だわ!」というのは、エリザベス役のジェイミー・リー・カーティスが『ハロウィン』のローリー役でさんざん怖い目にあわされていたことを受けてのセリフだそう。『ハロウィン』でも本作でも「絶叫クイーン」の呼び名にふさわしい、いい悲鳴を聞かせてくれている。

「ザ・フォッグ」
© 1979 STUDIOCANAL

アントニオ湾は呪われている!

 アルの妻、キャシー・ウィリアムズ(ジャネット・リー。ジェイミー・リー・カーティスの実母で『サイコ』での悲鳴の強烈さから娘に先んじて絶叫クイーンと呼ばれた)はアントニオ・ベイ誕生祝賀委員会議長を務めており、おそらく市政に携わっている人物なのだが、100周年記念祝賀会の前にマーロン神父の教会を訪れ、神父の祖父が壁のなかに隠していた日記の内容を聞くこととなる。神父はいう。「今夜の祝福はこじつけだ! 人殺しを称えている!」「アントニオ湾は呪われている!」
 やがて夜になり、予定通り記念式典は執り行われるが、スティーヴィーはスタジオから海の彼方より街に近づいてくる光る霧を発見。危険を察知した彼女は放送を通じて緊急事態をアナウンスする。いよいよ上陸した霧は停電を引き起こし、またシーグラス号の3人を殺したあの人影が家々に迫ってくる––––。マーロン神父の言葉通り、この街は呪われており、その原因は冒頭に老人が語ったエリザベス・デーン号の事故とそれが起きた理由にある。この呪いにスティーヴィーたちはどう立ち向かったのか、そして霧とともにやってきた人影=亡霊はどのように100年の恨みを晴らそうとするのか。ラスト30分の攻防はぜひ本篇にてご覧いただければと思う。

「ザ・フォッグ」
© 1979 STUDIOCANAL

日本の怪談と通じるような物語と映像美

 海をわたる光る霧の描写は思わず息を呑む美しさなのだが、霧を発光させることでそのなかに佇む亡霊たちの姿は逆光となり黒く浮かび上がる。街の人々にとって得体の知れない何かである亡霊たちを鑑賞者にもはっきりとは見せないこの表現方法は実に的確だ。たとえば怪物やエイリアンなら姿かたちを明示することが恐怖につながるが、亡霊の類ははっきりしていない方が本質的であり、怖い。そう考えると、目に見えない何かが怪異を起こし、あるいは憑依する、いわば「現象の恐怖」が海外の心霊ものの面白さであるように思う(もちろん例外もあるのは承知だ)。その点、東海道四谷怪談から近年のJホラーに至るまで、日本の怪談映画、ホラー映画は特殊といえるのだが、これは日本の民話や伝承のなかの妖怪や鬼に外見が与えられていることとも関係しているのではないだろうか。
 映画にとどまらず、日本の怪談、ホラーにおける恐怖表現の特徴としては独特の湿り気や情念といった要素が挙げられると思うが、本作にはこれらと通じるようなじっとりとした感覚がある。海から亡霊たちがやってくるのはあたかも「耳なし芳一」の平家の亡霊のようであり(余談だが小林正樹の1965年作品『怪談』の「耳無し芳一の話」における赤色を際立たせる映像表現はたいそう美しい)、また恨みや呪いの根元に裏切りによる辛い体験と悲しい記憶があることもそうだろう。それなので、本作から感じられる恐怖はインパクト勝負ではなくじわじわと––––まさしく霧のように––––我々に迫りくるのだ。

「ザ・フォッグ」
© 1979 STUDIOCANAL

恐怖だけではないホラー映画

 ところで、本作の一番初めには”IS ALL THAT WE SEE OR SEEM BUT A DREAM WITHIN A DREAM?”というエドガー・アラン・ポーの詩が引用されている。《A Dream within A Dream》というタイトルで1827年に発表された詩の一部である。「夢の中の夢」の題名で日本語訳もされており、わたしが所有する1956年の版の当該箇所の訳は「我々の見たり、見えたりするものはみな 夢の夢にすぎませぬか」となっている(阿部保訳、新潮文庫刊『ポオ詩集』所収「夢の夢」)。海、死、時間といったイメージを有するこの詩がなぜ本作に引用されているのだろうと考えていたが、物語の最後、DJとしてマイク越しに住民に呼びかけるスティーヴィーの言葉が見事にそれを回収した。思えばポーの幻想的な詩世界とどこか共鳴するような映像美がいくつも見出せるのが本作の特徴のひとつといえるかもしれない。
 今回配信されるジョン・カーペンター作品にはいずれも批判精神が感じられるが、本作では策略による富、資産の略奪という点においてアメリカ西部開拓史を思い出させるところがあるだろう。アントニオ・ベイの街が発展し100年続いたという輝かしい大きな物語の裏に隠された悲劇があったのと同様、歴史という大きな視点からすればとるに足らないような顧みられることのない出来事だとしても、実はそうした出来事のひとつひとつが歴史を形成している。それらの小さな出来事のなかには人々の犠牲、あるいは悲しみや怒りといった感情が含まれているかもしれない。『ザ・フォッグ』は、そんな当たり前のことを恐怖とともに改めて思い出させてくれる作品である。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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