青野賢一 連載:パサージュ #23 あり得たかもしれない過去なのか──『デリカテッセン』

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青野賢一 連載:パサージュ #23 あり得たかもしれない過去なのか──『デリカテッセン』

目次[非表示]

  1. 食糧難と精肉店の秘密
  2. 求人広告の罠
  3. ルイゾンに惹かれてゆくジュリー
  4. 映画公開の頃と重なる服の色合い
  5. 地底人のルイゾン救出作戦
  6. 時代設定再考
 のちの『アメリ』(2001)で多くの人の知るところとなるジャン=ピエール・ジュネが「映像の魔術師」とも称されるマルク・キャロと共同で脚本と監督を手がけた『デリカテッセン』(1991)。彼らの長篇映画デビュー作である。オリジナルの35mmネガは2023年にジャン=ピエール・ジュネ監修のもと4Kデジタル・レストアされ、『アメリ』にも引き継がれている独特な色調やさまざまなオブジェ、ディテールはより鮮明に表現されることとなった。本作が公開された1991年は、渋谷を中心にミニシアター・ブームが本格化していた頃。そのおかげでメジャーな監督や俳優の映画だけでなく、これからが期待される監督、俳優の作品をスクリーンで体験することができた。『デリカテッセン』についてもそうした時代の後押しがあって日本でも劇場公開されたのではないだろうか。ちなみにわたしは当時本作を「シネスイッチ銀座」で鑑賞した。

食糧難と精肉店の秘密

『デリカテッセン』
© 1991 STUDIOCANAL

 映画のタイトルにもなっている”Delicatessen”とは調理された食料品、惣菜を扱う店、いわゆるデリのことなのだが、本作でデリカテッセンの看板を掲げている店はどうやら精肉店のようである。舞台となるのはパリのどこか。時代は明言されてはいない(核戦争から15年後といった説明も散見される)。人気がなくどんよりと暗い印象で、荒廃という言葉がしっくりくる。くだんの精肉店もおそらく戦争前は語義どおりのデリカテッセンだったのだろうが、食糧難からか今は「肉」に特化している。しかし、食糧難なのに肉?
 この物語の冒頭では、精肉店の店主(ジャン=クロード・ドレフュス)が鋭利な肉切包丁をさらに研ぎすます様子が映し出される。その一方で、何かに怯えながらゴミに化けて精肉店のゴミ箱に身を潜める男。収集車がやってきてゴミを回収するのを煙草を吸いながら眺める店主は、その煙草をゴミ箱のひとつにポイッと投げ込んだ。なかに隠れていた男はたまったものではない。男が潜んでいるのがバレたのだろう、そのゴミ箱は店内へと入れられ、蓋を開けたところに先の肉切包丁が振り下ろされた(ゴア表現はないのでスプラッター耐性のない方もご安心を)。
 食糧難なのにやっていける精肉店の秘密はここにあった。店の上階はアパルトマンになっていて、店主は住み込みの従業員を募集し、職を求めてやってきた人を肉にするのだ。ただ、その肉を大っぴらに売ることはできないので客はアパルトマンの部屋の住人たち。人肉とわかったうえで購入している客と店主はいわば共犯関係にあるわけである。支払いは乾燥させたとうもろこしや豆類。核戦争後の枯れた土壌では穀物や野菜は育てるのが難しい一方、「肉の元」は入手が比較的容易であることからこのような取引条件なのだろう。

求人広告の罠

『デリカテッセン』
© 1991 STUDIOCANAL

 店主がゴミ箱のなかの男に包丁を振り下ろすと作品タイトルが提示され、続いてスタッフ・クレジットが流れるのだが、このシークエンスの凝りようが実に素晴らしい。さまざまなオブジェ(ゴミ、ガラクタともいえる)を用いてのワン・ショット撮影は思わず唸ってしまう見事なクオリティなのだ。このシークエンスのあと、場面は精肉店の店内でアパルトマンの住人たちが肉を買い求める様子に。店主のインナーや住人のひとりのワンピースなどに血のようなボルドー・カラーが採用されており、そのことはこの店で行われている出来事を想像させる。そんなところにひとりの男がタクシーでやってきた。「何でも屋募集 雑用多数 食事付き 部屋代無料」という求人広告に釣られて精肉店を訪れたこの男はルイゾン(ドミニク・ピノン)。以前はピエロとして芸の世界に身をおいていたが、相棒のチンパンジー「リビングストン」が亡くなって、ただ今絶賛失職中である。店主はルイゾンの体つきを確認し追い返そうとするが、最終的には求人広告どおり雑用全般をやらせるために雇い入れることに。果たしてルイゾンの運命やいかに。

ルイゾンに惹かれてゆくジュリー

『デリカテッセン』
© 1991 STUDIOCANAL

 精肉店の上階のアパルトマンには、店主の娘ジュリー(マリー・ドール・ドゥニャ)をはじめ、数名が暮らしている。単身者もいれば家族住まいの者もいるが、いずれもクセが強い面々である。ここでのルイゾンの働きぶりの描写はどこか古のサイレント映画を思わせるコミカルさ、ドタバタがあって楽しい。そうしたなかでジュリーはルイゾンの人柄に惹かれてゆく。この淡い恋愛模様が物語の推進力となるのである。
 あるときジュリーはルイゾンを自室に招待する。自分宛に届いた荷物(中身は食糧)がほかの住人に奪われてしまいそうなところを取り返してくれたことへのささやかなお礼である。約束の時間を前に、念入りにリハーサルを行うジュリー。好意を抱いているルイゾンに失礼があってはいけないと動作確認をするその姿は実に微笑ましいものだ。

映画公開の頃と重なる服の色合い

『デリカテッセン』
© 1991 STUDIOCANAL

 彼女の部屋は狭いがいろいろと行き届いており、インテリアも上品で可愛らしい。絵画を描き、チェロを弾くジュリーらしい部屋であるのだが、それと同様に品がある彼女のファッションも印象的。本作が公開された1991年に日本初上陸を果たしたスペインのブランド〈Sybilla〉でよく用いられていたバーガンディやミントグリーンといった色がよく似合っている。ファッションについてもう少し続けると、ルイゾンの着こなしも映画公開時のムードと不思議とシンクロしているように感じられるから面白い。この頃にはイタリアの〈ROMEO GIGLI〉やスペインの〈ANTONIO MILO〉がメンズ・ファッションにおいて人気を獲得しはじめたが、ルイゾンのファッションはそういったブランドのイメージとも遠くない色調、スタイリングなのである。このようにインテリア、ファッション的な視点でこの映画を眺めてみるのも一興ではないだろうか。
 さて、ジュリーの部屋に話を戻すと、招かれたルイゾンは、彼女がチェロを弾くことを知って、自室からミュージカル・ソーを持ってきて一緒に演奏する。平和な時間が流れる素敵なシーンである。このほかにも、ルイゾンが居住者のひとりで店主と関係を持つ女性の部屋のベッドの軋みを修理しに訪れた際、テレビから流れてくるハワイアンとふたりの動きがシンクロするなど、音楽が見事なスパイスとなっているのも本作の特徴といえるだろう。

地底人のルイゾン救出作戦

『デリカテッセン』
© 1991 STUDIOCANAL

 ルイゾンが住み込みで働くようになってからしばらく経過しても、彼は一向に肉にならない。やがてアパルトマンの住人たちにも不満が募ってくる。そんななか、地底人についての記事が新聞に掲載される。地底人とは、地上での「肉食」を嫌って地下水路で暮らす人たちのこと。メトロ、下水道、運河、カタコンブ(地下墓地)など、現実でもパリの地下世界の充実は有名で、第二次世界大戦中はレジスタンスが文字どおり「潜って」いた。地底人の存在を知ったジュリーはマンホールから地下へと降りてゆき、彼らと接触。父である精肉店店主がため込んでいるとうもろこしをちらつかせてルイゾンが肉にされてしまう前にアパルトマンから救出することを依頼する。「肉食」しない地底人にとって、豆類は大切な食糧。ジュリーからの依頼はあっさり契約成立と相なった。ちなみに地底人のひとりは監督のマルク・キャロが演じている。
 救出作戦決行の日はルイゾンがピエロだった頃のショーがテレビ放映されるのと重なっていた。アパルトマンの住人たちはその番組を各々の部屋で観ていたのだが、外はあいにくの嵐。強風で屋上のアンテナが動いてしまったせいでテレビの映りが悪くなってしまった。一方、地底人たちはルイゾンをアパルトマンから運び出す作戦を遂行中。彼の部屋で救出──というより捕獲が適切な表現かもしれない──する算段だったが、ルイゾンがアンテナの角度を直しに行ってしまったことから事態は思いがけない方向へと進んでしまう。
 ここからはジュリーの父とルイゾン、ジュリーの直接対決となるのだが、それまでユーモラスかつ何気なく描かれていたアパルトマンの住人たちの行動が実はこのシークエンスに至る伏線になっていたことが明らかになる。こうした点も見どころのひとつといえるだろう。

時代設定再考

 ところで、本稿のはじめのあたりに記したとおり、この作品の時代設定ははっきりとは示されていない。しかしながら、ブラウン管テレビから流れる映像がモノクロであることや、インテリアや家電、自動車などからも1950年代のムードが漂ってくる。また、ファッションについても、色合いやスタイリングのバランスに公開時のムードは感じられるものの、イメージとしては1950年代というのは外れてはいないように思う。登場人物のヘア・スタイルもそうだ。これを踏まえて本作を捉え直すと、『デリカテッセン』は「あり得たかもしれない過去の一部」を描いているようだ。第二次世界大戦、核爆弾が投下されたのは日本だけだったが、もしフランスに落とされていたらどうか? また核爆弾でなくても実際の状況以上に焼き尽くされてあたり一面焦土と化していたとしたらどうか? そして、そうなっていた場合にこの精肉店のようなものが存在していた可能性はないと、誰が断言できようか。作中、ルイゾンは「根から悪い奴なんていない 環境が悪いんだ または間違いに気づかない」とジュリーに話す。実際の出来事以上、つまり本作で描かれているほどに環境が悪くなっていたなら、「間違いに気づかない」で人の道から外れてしまうことだってあり得たかもしれないのである。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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