映画の思考徘徊 第3回 監督ヴィム・ヴェンダースによる『パリ、テキサス』音声解説から知ることができる50の事柄

FEATURES 髙橋佑弥
映画の思考徘徊 第3回 監督ヴィム・ヴェンダースによる『パリ、テキサス』音声解説から知ることができる50の事柄
 映画好きにとっての最大の悩みは、兎にも角にも映画が多すぎることである。今この瞬間も世界中で絶えず増え続けている膨大な映画をすべて見ることなど、誰にもできはしない。しかし、だからこそ少しでも多くの映画を見ようと躍起になるのだろう。けれどその一方で、私はつねづね“再見”の価値が軽んじられているとも感じる。たしかに、一度見た作品を何度も見るより、まだ見ぬ作品を開拓することの方が意義深いことなのかもしれない。時間は有限なのだから。「ああ、その映画見たことある」大まかに覚えていれば、それで十分かもしれない。いや、本当にそうなのだろうか。見終えた瞬間──厳密には見ている最中から──、忘却は始まる。時間が経つにつれ、日増しに記憶は薄れる。映画の隅々まで、記憶に留めておくことなど不可能だ。だからこそ、の“再見”である…再見したところで忘却は何度だってやってくるのだが、だからこそ何度とない「もう一回見ようかな」に意味がある。

 とはいえ、そう何度も同じ映画ばかり見ていては、好きな映画でもさすがに飽きが来てしまったり、新鮮味が薄れて集中力を維持することが難しい…なんてことも起きるかもしれない。そんなとき“再見”に新たな愉しみを付加してくれるのが、映像ソフトに特典として収録されている「オーディオコメンタリー/音声解説」である。
 コメンタリーはまず何と言っても、他のあらゆる特典映像と比較しても尺が格段に長い。そして実際の本編を再見しつつ、同時に特典=情報もインプットできるという意味で、効率も良い。実際に映像が映っている方が、やはりメイキングやインタビューでのシーンへの言及よりも、より具体的で細かなポイントがわかりやすいというのもある。見慣れた映画ならば、ラジオ感覚で流すこともできる。兎にも角にも、音声解説は一度見た作品を最初から最後までもう一度見る…という”再見”行為に有益な情報で新鮮な歓びを付加してくれるところが素晴らしい。

 しかし、コメンタリーの最大の欠点は、尺が長いために何度も何度も見返すには時間の確保が必要ということ。そして、あとから久々に特定の発言を聴き直そうとしても、どこにあったか明確に覚えていない場合にアタマから映画を改めて見返さなくてはならないことだ。貴重な情報が多いにもかかわらず、それらが参照可能な形で──ネット上や書物において──文字として記録されていることは稀である。
 
 というわけで、ひとりの"コメンタリー好き"として、コメンタリーで語られる、貴重で愉快な関係者の発言が"読める"形でまとめられていたら、情報へのアクセスの利便性という側面で大いに助けになるのではないかと考えて、このような「読むコメンタリー」記事を書くことにした。ソフト関係者としてはあんまり嬉しい試みではないかもしれないが、すべてベタ起こしするわけではないし、あくまで「聞いてみてぼくが特におもしろいと思ったポイント」だということで。前にコメンタリーを見て、情報を思い返したい方だけでなく、ソフトが手元にない方も記事を読むことで「手に入れて聞きたい」と思っていただけたら嬉しい。そして何より、少しでもこの記事が“再見”のきっかけ/お供になれば幸いである。

 前置きが長くなったが、今回取り上げるのはヴィム・ヴェンダース監督作品『パリ、テキサス』(1984)。話し手は、ほかでもないヴェンダース本人である。いうまでもなく、この記事は作品を見たことのある人向けに書かれているため、未見の方は一度この映画を見た後で読んでみてほしい。配信サービスのWEBサイトで行っている連載で、映像ソフトの特典についての記事を書くのは少々場違いな感じがしないでもないけれど、4月からヴィム・ヴェンダース監督作の配信が始まると知って、絶対に書かなければならないと感じたのはこれだった。

さて、コメンタリーをはじめよう。


1. 『パリ、テキサス』で最初に聞こえるのは、タイトルの出現とともに流れ出すライ・クーダーが奏でるギターの音であるが、彼は映画を“目の前”にして音楽をレコーディングしたという。「私が映画を上映し、ライがギターを弾いた。この映画を見て、その場で演奏した。納得いくまで何度でも…」。この元の曲は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの1928年の曲“ダーク・ワズ・ザ・ナイト”。

2. 冒頭部、テキサス州の砂漠の場面は1983年の夏に撮られた。メキシコ国境に近く、43度の暑さだったという。
3. 本作は、全編ロケーション撮影が貫かれている。「後で付け加えたものは何もない。デジタル効果がまだなかった時代だ」。

4. バーの中に入ってくる主人公のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントンが演じる)の姿は、最初は露出不足でシルエット以外よく見えない…が、それは「人の目が店内の暗闇に慣れていく感じ」を狙ったのだという。

5. 国境近くの街のドイツ人医師役は、映画監督・俳優ベルンハルト・ヴィッキ(1919-2000)。戦後ドイツで育ったヴェンダースは、彼の初期作『橋』(1959)に強い影響を受けた。

6.「どこからともなく現れ、行くあてもない奇妙な男…1982年の夏にサム(・シェパード)と私が会って、一番最初に思いついたアイデアだ。2人でストーリーを練ったんだ。一緒に何か作りたいとずっと願っていた」。ヴェンダースとシェパードは昔からの友人で、共同作業自体は78年にも一度試みていた──『ハメット』(1982)の脚本はシェパードに依頼される予定だった──ものの、当時のシェパードは"劇作家"として認識されていたために叶わなかった。「映画会社にとっては、彼は映画脚本の未経験者だ。そして脚本を共同執筆するだけでなく、彼を主役に使いたいと私は考えていた…だが会社から拒否された。結局、私たちの共同作業はかなわなかった。次回は誰にも邪魔させず一緒にやろうと、その時に約束したのだ。そして4年後、実現することができた。私たちはゼロからこの作品を作った」。

7. 主人公の弟、ウォルト(ディーン・ストックウェルが演じる)の給油シーン。ネオンで緑色に照らされるスタンド内の向こうに見える、“赤い空”は「作り物ではなく本物」。

8. 順撮りについて。ヴェンダース曰く「順序通りの撮影は都合がいい。恵まれた手法だ。どんな時も自分のやるべきことが明確なので、ゆっくり役作りができ俳優には一番やりやすい。たいていの映画は物語の進行と撮影順序がバラバラなものだ。俳優は監督の意のままに動かされ、彼らは自身のアイデアを失いがちになる…どう役作りをすべきかを見失う」。

9. シェパードとヴェンダースは撮影の1年前に脚本の執筆を始めた。「このシーン(弟のウォルトとドイツ人医師が会話する場面)の撮影時も、サムは現場で俳優の演技を見て、物語を発展させていった。時間をかけて執筆を続けた。まだ最初の半分しか脚本が出来ておらず、トラヴィスがロスに来るところまでだった。その時点で、サムも私も確信していた。俳優たちを見てから物語を検討した後、脚本を書き進めることがベストな方法だとね。しかし、実際は望み通りの方法では進まなかった。資金面の問題などで進行が遅れ、撮影に入った時はサムは別の仕事が入り、私と一緒にはいられなかった…『カントリー』という秀作だ。私はテキサスで撮影。サムは別の仕事で北部にいて、脚本の半分が未完成。別の脚本家も忙しく、この作品の脚本を書く余裕がなかった。私は途方にくれた」。

10. 当初、主人公は本作の脚本家でもあるサム・シェパードに依頼された。しかし「身近すぎて演じられない」ということで、ハリー=ディーン・スタントンが主演となった。
11. 兄弟がモーテルに到着し、中を見てまわる場面」。部屋は狭いうえに、窓から入ってくる外の光は眩しく「このような場所の撮影は困難」だという。一見何もしてないように見えるが、外の明るさに負けないため10個も照明を使っている。撮影ロビー・ミューラーの最高傑作だろう…とヴェンダース。

12. 弟のウォルトが、兄不在のモーテルから出ていく場面。背後で通過する列車は日に一度だった…「チャンスは一度」。

13.
この映画の95%の台詞はオリジナル。書き直したのは4つ。

14. 運転中の車のフロントガラスから、果てしなく地平線まで伸びる一本道と地平線に広がる陽の光が見える主観視点場面は「この作品の中で一番好きな場面」だという。ヴェンダースとミューラーが、撮影終了間近の時期に2人で車を走らせ、突如撮影した。

15. 二軒目のモーテルでは、突然トラヴィスの髪と髭が短くなっている。床屋で髪を切り髭を剃る場面は、撮影されたがカットされた

16. 深夜のダイナーで兄弟が食事をする場面。外に停めた車のヘッドライトが窓際席の二人を照らしているが、それがこの場面の"照明"。店内で大掛かりな照明が不可能ということでの工夫。

17. ずっと沈黙を貫いていたトラヴィスが、車内で初めて口をきく…「パリ、テキサス」。しかし撮影当時は『パリ、テキサス』という題名になるはずではなかった。当初予定されていたタイトルは『モーテル・クロニクルズ』。
18. 夜、野外のドライブイン場面。駐車スペースに設置されている机と椅子で兄弟が軽食を食べている背景で列車が走り過ぎる…「どれほど待ったことだろう」。

19. 本作は絵コンテなしで制作された。ミューラーとヴェンダースは、それまではいつも「翌日の撮影の構想を徹夜で話し合っていた」が、今回はそうしなかったという。「ただ毎日現場に来た。(中略)何の先入観も持たずに、現場に行って撮影した。リハーサルは俳優に任せた。どんなシーンにするか着想を得たら、ロビーと私で撮影について考えた」。「俳優と時間をともにし、より演技を重視することで私は自由になれたのだ。撮影のリスト通りに俳優を適合させるだけなら、俳優にはほとんど自由が与えられなくなる。まず俳優の好きに演じさせ、その後、撮り方を決める方法は貴重な経験だった」。

20. 息子役のハンター・カーソンは、『都会のアリス』(1973)時のアリス役=イェラ・ロットレンダーと同じ年。撮影中に8歳になった。
21. 家族で8mmのホームムービーを見る場面。本作は時系列順に撮影されたので、当時はまだ8mm映像が用意されておらず、俳優たちは何もないところを見つめて“鑑賞中”演技をしている。ゆえに8mm映像と俳優が同一画面に収まらない。肝心の8mm映像は、撮影最終日にスタッフなしで、他でもないヴェンダース自身の手によって撮られた。

22.「この映画には奇妙な緑の光が多く出てくる。ロビー(・ミューラー)と私は、ネオンの光を調整しないことに決めていた。通常は調整して、より美しくしたり青くしたり日の光に見せたりする。だが、この映画では緑色を帯びたままにして少し毒々しい感じを残すようにしたのだ」。

23. 息子のハンターによる印象的な台詞、「おやすみ、パパ」×2は脚本にないアドリブ。

24. 本作の編集は、ヴェンダースと初監督作から組んでいるペーター・プルツィゴッダ。「私の(映画学校)卒業制作映画『都市の夏』も彼が編集した。当時、彼はベテランのフリをしていた。(中略)実はそれが初めてだった」。

25. 「私の初期の作品を見ればわかると思うが、私は物語を語るのが得意ではない。私の作品はダラダラと長い。理屈っぽい話だったり、登場人物や状況を伝えるためだけの物語だったり…」。

26. 夜の暗い寝室で弟夫婦が会話をする場面。上映時間145分中まだ65分の時点だが、撮影当時「このあたりまでしか脚本ができていなかった」という。その後の展開は、主人公がロサンゼルスを発ち、妻を探しに行く…とだけしか決まっていなかった。そんな中、たまたま現場に現れたの息子役ハンターの父親キット・カーソンが助言し、捜索旅に息子が同行すると決まる。この頃、ちょうど2週間撮影が中断したため、そのあいだヴェンダースはロスのホテルに篭り、一気呵成に脚本の続きを書き進めてシェパードに送った。シェパードは別の仕事で多忙な中で、10ページほどの下書きに目を通し、それを基に後半部の脚本を完成させた。

27. 「赤い照明を使うとピンボケしたように映るのだ。使わないほうがいいぞ。私からの忠告だ」。

28. サム・シェパードは、物語上特別な意味のない数多くのモノローグを書いていた。そのうちのひとつが橋の上で叫んでいる男の台詞。

29. 高所でのビルボード=巨大看板取り付け作業場面。ハリー・ディーン・スタントンは高所恐怖症なので、一度も下方の地面を見ていない。会話相手の目ないし自分の靴を必死に注視している。

30. トラヴィスと息子が旅に出た後の展開として、当初は弟夫婦が二人を追いかけるという物語の可能性があった。実際に出発場面も撮影された…が、結果的にそのパターンは採用されなかった。
31. 父子の旅路を示す看板の挿入ショットの数々は、撮影終了1ヶ月後に撮られたもの。「旅程を説明する材料が不十分」だという判断から。

32. 銀行での張り込み場面。本作は基本的に時系列順で撮影が行われたため、このシーンが妻ジェーン役のナスターシャ・キンスキー撮影初日。彼女の髪色はブルネットだったので、役に合わせて金髪に染めることになったのだが、初日は間に合わずにカツラ。

33. ジェーンの車の中に置いてある本は、ウィリアム・フォークナー『八月の光』。

34. ほとんどの場面でロケ撮影が貫かれている本作であるが、覗き部屋/ブースが並んでいる空間はセット。

35. 「異様な発想だった。基本的に男が語るためだけの場所を作ったのだ。男が望むのは話を聞いてくれる相手だ。のぞき見ができる場所でもある。しかし、同時に不思議と人を癒やす場所でもある」。

36. マジックミラーのぞき部屋の設定を考えついたのはヴェンダース。シェパードに提案したところ気に入り、この終盤の物語が書かれた。

37. 撮監のミューラーは本物のマジックミラーを使うことにした。しかし、その代わりに多くの照明が必要になり、キンスキーが演技する側の部屋はすごい暑さとなった。
38. この場面の脚本をヴェンダースが受け取ったのは、撮影の数日前。演者2人も気に入り、台詞を一字一句正確に覚えようとした。フィルムを潤沢に用意し、舞台の一幕もののように通しでの撮影が行われた。一言でも台詞を間違えたら、毎回最初からやり直したという。「私たちは心に決めていたのだ。ナスターシャもハリーも私も、この映画にとって極めて重要なこのシーンをサムの脚本通りに作りたい、と」。

39. 編集でカットを割り/繋いでいる。しかしどのカットも通しで撮ったもの。2人はセリフを三日三晩かけて練習した。

40. この時点ですでに製作予算は尽きかけていたという…がマジックミラーを作る決断をした。「見せかけるのは簡単だが、そうはしなかった」。ジェーン側から撮られたショットは、ナスターシャ・キンスキーに見えていた通り。

41. 1度目の“再会”場面の後、父子が立ち寄る町の名は「ウェストホフ」。ヴェンダースの祖父と同じ名前の街。

42. 主人公トラヴィスが、テープレコーダーに息子に別れの言葉を吹き込む場面。照明は一切ない。カメラの動きもほとんどない。シルエットだけが浮かび上がる。「このシーンのロビーのやり方が好きだ」とヴェンダース。

43. 2度目の“再会”場面は、全編を通して一番長いシーン。「この映画の要となる重要なシーンだ。二人は一言一句脚本通りに演じると言った。特にハリーは長い物語を語る時、正確にやろうとして何度も撮った。こんなに撮った映画は他にはない」。1度目の“再会”場面と同じく、カット割は多いが全てのショットを最初から最後まで通しで撮っている。カメラを2台使ったわけではない。
44. 手前/奥の二者を同時に捉えるショットは、二焦点レンズを用いて撮影された。ふたつの距離の違うものに同時にピントを合わせ、ひとつのフレームに収めることができる…序盤における車内人物/社外景色、中盤登場する奥行きのある部屋/二階へ続く階段などのショットでも使用された。

45. 場面終盤はジェーン側のショットばかりになり、トラヴィスは声だけが聞こえる。初めてこの映画を見た時、ハリー・ディーン・スタントンは「許すよ。僕をカットしたことを」と、ヴェンダースに言ったらしい。
46. ヴェンダースは本作の10年前にも『まわり道』(1974)でナスターシャ・キンスキーと仕事をしている。ディスコで学生時代のナスターシャ(当時14歳)を見つけ、出演を打診したとのこと。加えて本作の10年後に、再度『時の翼に乗って』(1993)で仕事を共にすることになる。

47. 本物のマジックミラーを使ったからこそ、明暗のスイッチで機能は反転する“見つめ合い”場面が可能となった。カメラがキンスキー側の部屋に留まり続けるのは、ヴェンダースの本能的な判断だという。「彼女の側から映し続けようと思った。彼の側は必要ない。彼女がこの場面を締めくくる。一幕劇のようだ。だから他のショットは(撮って)ない」。 

48. 「今なら(撮り方を)変えたかもしれない。近頃の観客せっかちだ。これはペースは遅いし、何も起こらない。20年前はこれでよかった。私はは今でも、俳優たちに会話を続けさせたことは正し医判断だったと思っている。そして残りのシーンは編集に頼っていない」。

49. ナスターシャ・キンスキーの「どの男の声もあなたなの」が、ヴェンダースの一番好きなセリフだという。撮影中の2人が、実際のスピーカーと電話で声をやりとりをしていることに意味がある場面。

50. 「自分には価値がないと考えて、トラヴィスは家族をあきらめる。それがふさわしい結末だと思った。妻と息子を自由にし、二人がまた一緒にいられるようにする。これ以外の結末はあり得なかった。だが、この結末に疑問を抱く人が多い。大勢の人たちからこう尋ねられる──“なぜ家族をもとに戻さなかったのか”。(中略)だが、私はこの方がいい」。
…ということで以上である。
50の後、ラストのラストで明かされる情報がまだいくつかあるのだが、それはあえて省いた。もちろんコメンタリー中には、ここに書いたこと以外にも無数に面白い発言がある。気になる方は是非ご自身でアタマから見てみてほしい。

コメンタリーは本当に素晴らしい。



「パリ、テキサス」
© 1984 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH
ARGOS FILMS S.A. and CHRIS SIEVERNICH
PRO-JECT FILMPRODUKTION IM FILMVERLAG DER AUTOREN GMBH & CO. KG

この記事をシェアする

この記事のライター

髙橋佑弥
髙橋佑弥
97年生。映画文筆。『別冊映画秘宝 絶対必見!SF映画200』『別冊映画秘宝 決定版ツイン・ピークス究極読本』などに寄稿アリ。共著『「百合映画」完全ガイド』(星海社新書)。「映画の原稿仕事、何でも何時でも何字でも!」が信条だが…五本指を使いこなすことができず左右の人差し指だけでぽちぽちキーボード操作。文字打ちがあまりに遅すぎ、すぐに締切日が来てしまう。

髙橋佑弥の他の記事

関連する記事

注目のキーワード

バックナンバー