PROGRAM

放送作品情報

昼顔

BELLE DE JOUR 1967年 フランス / 100分 ドラマ エロティック

[PG12]もう一人の自分に目覚めた人妻のスキャンダラスな二面性──カトリーヌ・ドヌーヴ主演の官能作
放送日時
2019年06月09日(日) 深夜 04:00 - 06:00
2019年06月17日(月) 深夜 03:15 - 05:15
2019年06月20日(木) 11:15 - 13:00
解説

スキャンダラスな原作小説に潜んだ女性の深層心理を見事に映像化し、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞など3部門受賞。カトリーヌ・ドヌーヴが清楚な人妻と妖艶な娼婦という二面性を持つ役柄を体当たりで熱演。

ストーリー

貞淑な人妻セブリーヌは外科医の夫ピエールを愛していたが、夫婦の営みにおいては満たされず、みだらな妄想を抱くようになっていく。そんなある日、上流階級の婦人たちが客を取る売春宿の存在を夫の友人から聞かされる。興味を抱いたセブリーヌは、“昼顔”という名前の娼婦として昼間だけ売春宿で働くことに。見知らぬ男たちを相手に欲望に溺れていくセブリーヌに対して、客の一人である犯罪者マルセルが本気になっていく。

監督・脚本

ルイス・ブニュエル

出演

カトリーヌ・ドヌーヴ
ジャン・ソレル
ジュヌヴィエーヴ・パージュ
ミシェル・ピッコリ
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
PG12
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2011/8/6

    虚実の皮膜

    それは妄想か、現実か。ひとりの女の表層と深層を対比させながら、虚実の皮膜を縫うアブノーマルな願望をシュールに抉り出すL・ブニュエル。その独自のセンスに拠ったケレン味タップリの語り口は異能異才の名に恥じぬものがある。 シークエンス展開の絶妙の間合いから漂う可笑し味と、まるでマネキンのようなC・ドヌーブの人工的な美しさがあいまって、倒錯世界のアンモラルな物語の生々しさをほどよく緩和し、エロティックなブラックユーモアへと昇華した異色の人間ドラマ。 また、ヌーベルバーグの影響がありありと窺えるエンディングの銃撃戦は、当時一世を風靡していた若き俊英たちへのシンパシーなのか、あるいは揶揄混じりの批判なのか、一体全体どっちなんだろう?そんな観る者を惑わすシネフィル的終幕が心に残る。

  • 鑑賞日 2019/4/12

    やっぱりカトリーヌ・ドヌーブ

    1967年作なら「ロシュフォールの恋人たち」と同じ年で、カトリーヌ・ドヌーブの全盛期だと思う。 それでこんな作品が作れたとは! でも、こんな奥さんだったらちょっと嫌だ。

  • 鑑賞日 2019/3/8

    カトリーヌ・ドヌーヴの金髪が美しい!

    ルイス・ブニュエル監督の有名な作品で、貞淑な妻=カトリーヌ・ドヌーヴが昼間だけの娼婦となって男達に身を任せる物語だが、妖艶な女性を演じたカトリーヌ・ドヌーヴの魅力を堪能できる。ただ、ブニュエル監督作品なので、やはり一筋縄ではいかない終わり方に戸惑いを覚える。 「馬車」の蹄の音、鈴の音が印象的。 貞淑な妻=セヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は夫=ピエール(ジャン・ソレル)と場さに乗っているが、途中で突然ピエールが暴力的になり、家来に鞭で妻を打たせて強姦させる……というセヴリーヌの妄想。 そのうち、知り合いとの会話からセヴリーヌは、現代のパリにも娼館が残っていることを知り、身体がそちらに向いてしまって、娼館のドアを叩いてしまうのだった。 そして、夕方5時までの娼婦として男たちに身体を預けるのだが……。 この映画、何と言っても美しいのは「カトリーヌ・ドヌーヴの金髪」だと思う。 カラー映像に良く映える美しいブロンドの髪に、ついつい目がいってしまう。 古典的な名作といえよう。

  • 鑑賞日 2019/3/8

    わからない、の巻

    男と女はこれ程すれ違うもの、 こんなものだよ、なのか? 女はこれが普通だよ、なのか? 男はいつも女の周りをグルグルさせられるピエロ、なのか? わからない。 ってことは、監督の思う壺? そうではなくて、 単に、妻の性的被虐趣味による妄想と 夫の紳士的性愛?の捩れを描いた物語、か。 さても、シトロエン2CVやDSが普通に走る 景色が嬉しくもある。

  • 鑑賞日 2019/2/26

    上品シックなファッションとのギャップ

    このような内容の映画だとは知らなかった。 しかし、このタイトルは素晴らしい。 そしてドヌーブの上品で清楚なファッション。 サンローランの服にロジェ・ヴィヴィエの靴。 このミドルヒールの「ベルヴィヴィエ」とブロンドヘアに被る帽子がほんとうに上流階級のマダムという雰囲気。 それと娼婦というギャップがたまらない。 映画の内容というよりドヌーブのファッションにクギづけです。 素敵だ~。 え?と思ってしまうラストの描写とねばっこいミシェルピコリも印象的。

  • 鑑賞日 2019/2/24

    ブニュエル版欧州文芸(ロマン)ポルノ(乳首なし)

    優しくて金持ちの夫とのアッパーミドル生活では満たされない、燃え上がるドM願望に突き動かされ売春婦になるカトリーヌ・ドヌーヴ。やがてガチ恋の厄介ヤクザにストーキングされて‥というロマンポルノのロマンを太字にしたような展開。田中登監督だったら、あのガチ恋ヤクザは古尾谷雅人かな、なんて妄想を。。 ラストはブニュエルのシュールレアリストである片鱗が見られ、これから始まるフランス時代後期の不思議な世界を予感させる。 しかし、劇中ドヌーヴは弾けきらない。エロくもない。退屈なんだろうけど、そこまで現実にある抑圧を感じられてもいない(だから酷い夢をみる)。ドM教授の妙に段取りに細かいSMプレイのシーンがあるが、あれは乳首も変態性も露わにしないドヌーヴの内面の顕在化なのか。あのふわふわ感は、ある意味シュールなのかも。

  • 鑑賞日 2011/5/29

    ブニュエルの性観念

    午前十時の映画祭 大学時代の一時期、ブニュエルの映画にはまったことがある。その中で『昼顔』は劇場未見のままだったが、深夜テレビで何度か観ている。有閑マダムの妄想を描きつつ個人的にカトリーヌ・ドヌーブをセクシーだと思ったことはないが、間違いなくブニュエルはドヌーブでエロい映画に仕上げきったのではないか。

  • 鑑賞日

    満ち足りているはずの人妻。

    変態性欲に駆られ、パートタイムの娼婦になる。ヤクザに惚れられ、危機が訪れる。 通俗メロドラマでしかないストーリーですが、これをカトリーヌ・ドヌーブ主演、ルイス・ブニュエル演出で映画にすると、あーら不思議、小洒落た文芸作になります。人間心理の深淵を覗き見た心地にすらなった。 しかし、再見時はバカバカしいとまではいわないが、深みのある人間ドラマは感じなかった。若い頃は、名監督だ名女優だと、つまりはブランド名に騙されやすかったのかも知れない。

  • 鑑賞日 2018/9/28

    ドヌーブが凛と美しい

    ロキシーのフランス映画特集で観ました。 カトリーヌ・ドヌーブの凛とした美しさは古き良き映画スターの存在感を放ち、惹きつけられます。 幼い頃の経験から今も倒錯した性の夢を見つつ、不感症でもあるセブリーヌは、ある日売春宿の扉を叩き「昼顔」と名乗り娼婦の世界へ…。様々な男に抱かれつつ、やがて自身にふりかかる運命とは。 ドヌーブが娼婦なのに毅然とした佇まいで、清楚さと妖艶さを兼ね備えた見事な「昼顔」を演じ切ります。ファッションも素晴らしい! 古さを感じさせないフランス映画でした。

  • 鑑賞日 2018/8/2

    「ドヌーヴとピコリが出てる小洒落たフランス映画」という趣

    カトリーヌ・ドヌーヴは美しくて端正で大人っぽいので、若いけど、初々しさや戸惑いがあんまり見て取れないんですよね。感情の起伏があまりないように見える。もっと若い彼女を「シェルブールの雨傘」と「反撥」で見たときには、弱々しいって感想を書いた記憶があるけど、この映画には弱々しさは全くなかった。この変化はなんなのか。お姉さんのフランソワーズ・ドルレアックが事故にあったのは1967年の6月。この映画の公開は同年9月で、昔は今より短いスパンで撮っていたとしたらちょうど時期が重なってた可能性もなくはないか。 セブリーヌは幼い頃の経験がトラウマになっているらしく、刺激的な行為でないと欲望を満たせないことから、優しい夫がいながら昼間だけの主婦売春を始める。現代でもありそうなテーマだけど、上品で冷たい感じさえするカトリーヌ・ドヌーヴが演じると、ちっともいやらしくなくて綺麗です。だいいち着てるものがトップファッションすぎる。娼館のマダムがまた綺麗ですね!スリムでショートカット、切れ長の瞳。 昼顔って名前のセンスも秀逸で美しい。 そして、こんな商売をしてたら本気になる男がいるのも当然。そのマルセルを演じたピエール・クレマンティ。本当にワルというかヤバい奴にしか見えない・・・。 そして若い頃のミシェル・ピコリは安定のいやらしさ(笑)。 フランス映画って病んだ人いっぱい出てくるし、美少女もこんなに病んでるんだけど、監督ってメキシコ人だよね?彼の映画はカトリックと歪んだ情欲がいつもテーマのように思えるので、この映画もその点で一貫してると思うけど、教会の影はうすくて、「ドヌーヴとピコリが出てる小洒落たフランス映画」という趣が強く、いつもの黒の濃いブニュエル色は感じません。撮影が違うからかな。この映画を撮影したサッシャ・ヴィエルニー という人は、他には「去年マリエンバートで」「二十四時間の情事」といったアラン・レネのロマンチックな映像を撮ったりしたらしいです。ブニュエル監督のこれ以外の作品は、撮影は割といろんな人がやってたようで、スペイン語の名前の人が多いけど「エル」と「ビリディアナ」も別の人だ。・・・要は、この映画だけ映像がフレンチなのが違和感あるな、と言いたかったのです・・・。 結末については、彼女の楽しい妄想で終わったってことなんでしょうかね・・・。夫は目が見えず体も動かないけど、話はわかるのだとしたら残酷です。ブニュエル監督はこんな善人が相手でも、男の欲望には厳しいな・・・。

  • 鑑賞日 2018/7/22

    カトリーヌ・ドヌーヴの美しさと淫らさ

     真面目過ぎる夫ピエールとどうしても交わることのできないセヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が、娼館に導かれてセックスに目覚めたが、思わぬ展開になる。昔からある永遠のテーマで、ありそうと言えばありそうな話。しかし、謎めいたカトリーヌ・ドヌーヴの淫らさと美しさが十二分に発揮されている。    最初にセヴリーヌがむち打ちされる所は、後から妄想だったんだとやっと気づいたが、非現実的なラストは象徴的。どこまでが妄想でどこからが現実かが分かりにくく、それが、かえって味わいでもある。  「シェルブールの雨傘」を観直したばかりだったので、テイストは違うが、どちらもカトリーヌ・ドヌーヴは本当に美しい。また、このどこまでが現実かがあいまいだというのがルイス・ブニュエル風なのだろう。彼のは、「アンダルシアの犬」がシュールだった記憶だが、この「昼顔」は公開当時は相当衝撃的だったのだろう。 

  • 鑑賞日 2018/7/16

    劇場で観るのは二回目 1967年キネ旬ベストテン外国映画十二位

    以前「朝十時の名画座」で恐らくフィルム上映で観た。その時はラストシーンの「好きに解釈して」感に吃驚した。が、このところフランス映画を観る機会が増えたので、フランス映画のフォーマットに慣れた。それで観ると、実にフランス映画らしい。 ドヌーブの美しさに始めて魅了された映画なので、今回も観る気満々で客席に座った。 冒頭の鞭打ちシーン。あれで本当なら瀕死の重症だな(笑)。夢の中だから問題なし。たけど、あちらの映画では鞭って定番のアイテムなのだと。 本作の底辺に流れる物に、「O嬢」や「イマージュ」を生んだものと同じ物を感じる。

  • 鑑賞日 2018/7/15

    ストーリーというより好奇心

    正直、主人公の気持ちはよく分かりませんでした。途中で挿入される彼女の幼少期や妄想の映像は突飛すぎて、あらすじを読んでいなかったら意味が分からなかったと思います。最後が多分、彼女の願望だと思うのですが、都合良すぎるかなぁ…と感じました。

  • 鑑賞日 2018/7/14

    変態様大集合

    やんわりと描いているものの、主人公たちも含めてみんな変態。もちろんドヌーヴ嬢もだ。あらゆる変態が出て来る。そこにブニュエルの上流階級への悪意を感じる。さすがだ。ドヌーヴ嬢は意外にお尻がぺったんこだね。

  • 鑑賞日 2018/5/29

    性愛心理劇

     ヒロイン、セヴリーヌの揺れ動く内面を巧みに映像化してみせたブニュエル監督の傑作心理劇。  一見、仲睦まじい夫婦であるセヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)とピエール(ジャン・ソレル)だが夜の営みだけが噛み合わない。夫の妻に対する「不感症」という言葉に敏感に反応するセヴリーヌ。彼女が時折見る悪夢のような幻想シーンに彼女の抑圧された性への欲求が現れる。幼児のトラウマからなのか、性に対する嫌悪感とそれとは真逆のマゾヒスティックな欲望とに挟まれたセヴリーヌの表情は常に強ばっている。自分でもどうしてよいかわからないところへ、高級娼婦の仕事を知り興味をもつ。  満足に夫を喜ばすことができない自分に嫌気がさし、何とか性の悦びを知ろうと足掻くセヴリーヌが踏み入れた先が娼館であったことで、物語の先行きに暗い影が兆す。  この娼館では金に物を言わせるハレンチなお金持ちや、変態趣味の教授や伯爵といった変態の見本市であるのが面白い。そんな連中の言いなりになって身体を張ろうとするセヴリーヌが健気。  しかし彼女に夢中となる若いギャング、マルセルの暴走が、悲劇をもたらすことになる。  マルセルに撃たれ全身麻痺になってしまった夫には、かつての明るい表情は消え失せている。一方、甲斐甲斐しく介護をするセヴリーヌの生き生きした表情はどうだろう。映画の冒頭と立場が逆転してしまっている。そこに女の歪んだ性愛を垣間見てしまう。  セヴリーヌに執拗にまとわりつく夫の友人、ユッソン(ミシェル・ピコリ)が彼女の秘密を知ってしまう。夫に秘密をバラしてしまうユッソンという男のいやらしさがセヴリーヌの罪深さを強調することになる。  後年オリベイラ監督がこの作品の後日談を撮ることになるが、その主役はこのユッソンである。同様にピコリが演じている。40年の時を経て割腹のよい紳士となってはいるが女にまとわりつくいやらしさは健在だったのが可笑しかった。

  • 鑑賞日

    シュルブールの雨傘の時の美しだが感じられない

    音楽がほとんどない映画で、それだけで観ていて重苦しい気持ちになる。 あと、美しいはずのカトリーヌドヌーブが、なぜだろうか、主人公の役柄のせいか、「シェルブールの雨傘」の時の美しだが感じられない(私だけ?)。 結局、すべて彼女の妄想だったの?騙された感じで後味の悪い映画だった。

  • 鑑賞日 1997/7/5

    カトリーヌ・ドヌーヴの美しさ

    カトリーヌ・ドヌーヴ絶頂期の美貌。昼は娼婦という役なので脱いでいる

  • 鑑賞日 2016/10/26

    この映画の謎・ひとつ解明

    2016年10月26日に鑑賞。DVDにて。 [この映画の謎] それが、この映画を難解にし、且つ何回もの鑑賞に耐える映画となっている。 ・「鈴の音」は、彼女の幻想シーンに被さる。「不感症」の象徴なのか。否、アジア系の男が左手に持つ鈴が鳴り、セヴリーヌは微笑む。 「鈴の音」は、彼女が願望する「性行為=マゾ」の象徴である。セヴリーヌが見る「夢=幻想シーン」は、彼女がマゾであることを示している。 開巻の幻想シーンで、夫は御者に「好きにしろ」と言う。セヴリーヌに泥を投げつけるのはユッソンである。つまり、幻想シーンでセヴリーヌに「行為」をするのは「夫」ではない。「夫以外」の男である。セヴリーヌの幻想の中で夫は行為をしないのである。 夫が「優しくて寛大なのに(セヴリーヌの台詞)」から「不感症」なのだ。開巻の幻想シーンでのセヴリーヌの台詞「私のせいじゃないわ。説明させて。あなたにも責任があるわ」 つまり、セヴリーヌのマゾ的性癖に応えてくれない「優しい夫」は物足りない「夫」であり、夫との性行為ではセヴリーヌは「不感症」なのだ。 ・ラストの「幻想シーン」はどういう意味があるのか。ユッソンが夫に真実を話すと言ったが、実際に夫に話したかどうかは不明である。続編「夜顔」でも、セヴリーヌがユッソンを問い詰めるが、ユッソンは答えない。 部屋に入ったセヴリーヌは「夫の頬を伝う一筋の涙」を見る。この涙の意味は?常識的には、ユッソンが真実を話したので夫ピエールが「悲しみの涙」を流したというのが普通の解釈であろうが。 そして、セヴリーヌ「事故以来、あの夢を見なくなったの」という台詞。セヴリーヌの見る「夢」は、セヴリーヌの「願望するマゾ的性行為」である。セヴリーヌは自分の性癖である「マゾ的性行為」を願望しなくなったということは、どういうことだろう。 「全身マヒ」となった夫を献身的に世話するセヴリーヌは幸せそうに見える。もちろん、夫は「性的不能」になったのだが。夫と寝なくて良くなったからか。夫が完全に自分の保護下に入ったからか。夫に対してかいがいしく尽くす「良妻」であるという「自分」を手に入れて、「自分はすばらしい妻である」ということに酔っているのか。 幻想シーンの中で、夫は元気に立ち上がる。セヴリーヌの顔がぱっと輝く。「鈴の音」が聞こえる。林の中を馬車が来る。誰も乗っていない。このラストも大いに「謎」である。 ・少女時代の「男にイタズラされた」経験がセヴリーヌの性癖を決めたのだろう。回想シーンの、聖体のパンを拒否する少女時代のセヴリーヌは「男にフェラチオを強要された」という隠喩か。 マダム・アナイスの館の女中パラスの中学生?の娘カティー[カトリーヌ]が、少女時代のセヴリーヌの象徴として現れる。アジア系の男が、カティーの髪・頬を撫でる。ヤクザのイポリットが女中に「娘にキスさせろ」と言う。 ・セヴリーヌの「子供っぽさ」を表すもの。スキー場のカフェに入るセヴリーヌが受付で「ぬいぐるみの様なバッグ」を預ける。23歳の大人の女性が持ち歩くものではないだろう。夫に「娼館へ行ったことがあるか」と聞いた場面、セヴリーヌ「眠るまで一緒にいて」夫の台詞「まるで子供だな」。ラストのユッソンの台詞(セヴリーヌの白い襟と白い袖口の黒い服を見た)「女学生みたいだ」 ・東洋人が持っていた箱の中には何が入っていたのだろう。箱の中からは「虫の羽音のような音」が聞こえる。蓮實重彦によれば「何かの性具」であるという。続編「夜顔」でユッソンが古道具屋?で購入しセヴリーヌに見せるが、箱の中身が何かは明らかにされない。残念。 これは江戸時代の女性用性具「リンの玉」であろう。別のシーンでアジア系の男が左手に持つ「鈴」が鳴り、セヴリーヌは微笑む。 2017年12月に読んだ本より『中をくり抜いた鈴の玉に螺旋状の鉄線を入れ水銀を満たしたもの。2個の玉を入れ男性が挿入すると、子宮近くでペニスが届かない部分に転がり、風流な音を奏でる。女性はこのリンの玉の刺激とかすかな音色に逆上して体を打ち震わせる』(梶山季之先生「人間の探検」による)なるほど。やっと解った。 ・公爵のシークエンスは。セヴリーヌの「幻想」なのか?セヴリーヌ「夢では毎日(ここへ)来ています」公爵の到着時には「鈴の音」がする。馬車の御者は開巻と同じ2人である。 公爵が棺の中のセヴリーヌを残して、棺の下に隠れる。棺が揺れる。セヴリーヌが体を起こして下を見る。公爵「私は死を愛している」と言う。公爵はネクロフィリアであるが、セヴリーヌとは交わらず、棺の下でオナニーをしたということか。それを覗いたのでセヴリーヌは公爵の不興を買い追い出される。 ・公爵は、棺の中のセヴリーヌの胸の上に「ユリの花」を乗せる。その後の、スキー場のカフェの「幻想シーン」で、ユッソンとセヴリーヌがテーブルの下にもぐる。夫「何してる?」ルネ(セヴリーヌの友人)「封筒にユリの種を入れてるわ(SEXをしている?)」と言う。2回登場する「ユリの花(種)」とは、何の隠喩だろう。 [この映画の間違い] ・マダム・アナイスの館で初日に相手をする社長が、2回目にセヴリーヌの服の前のファスナーを下すと、白いブラジャーである。1回目に社長が脱がせた時は、セヴリーヌは白いスリップと白いブラジャー姿である。 ・教授(有名な産婦人科医)の相手をするセヴリーヌ。白いガウンを脱いで、白いブラジャーを外しベッドの上に置く。シャルロットと交替し隣の部屋から覗く。ベッドの上にブラジャーがある。東洋人と一緒のセヴリーヌが白いガウンを脱ぐと白いブラジャーをしている。さっき脱いだが。 ・公爵の城。到着する馬車のセヴリーヌは、「茶の皮のコート」を着ているが、帰りに雨の中のセヴリーヌへ執事が投げたのは「黒いラメのコート」である。

  • 鑑賞日 2016/10/24

    「謎」多き傑作・ひとつ解明

    2016年10月24日に鑑賞。DVDにて。当日1000円。ビスタサイズ・イーストマンカラー。 カトリーヌ・ドヌーヴ(当時23歳・23歳の役)がすばらしい。ドヌーブの映画では最高傑作。サッシャ・ヴィエルニの撮影がいい。 [ネタバレ] 旧版では、掃除のおばさん「あんな男嫌だろ」昼顔「おばさんには分からないわ。とろけそうよ」と言う。このDVDでは、おばさん「恐ろしそうな客ね。仕事も楽じゃないわね」昼顔(乱れたシーツで髪も乱れている)「最高に感じたわ」と訳されている。アジア系の親父の要望でブラジャーをしたままSEXした後、ベッドにうつ伏せて余韻に浸る昼顔の言葉。 アジア系の男は小箱から出した何かの「性具」を使用したらしい(「映画芸術」[1967年11月号]での蓮實重彦の弁)。この部分は箱の中が映らないので何か分からない。アジア系の男は何語か分からない言葉を話し、先にマチルドに箱の中を見せる。M「私は御免よ」と言う。昼顔に見せる。箱の中から虫の羽のような音が聞こえる。男「怖くない」。 これは江戸時代の女性用性具「リンの玉」であろう。別のシーンでアジア系の男が左手に持つ「鈴」が鳴り、セヴリーヌは微笑む。 2017年12月に読んだ本より『中をくり抜いた鈴の玉に螺旋状の鉄線を入れ水銀を満たしたもの。2個の玉を入れ男性が挿入すると、子宮近くでペニスが届かない部分に転がり、風流な音を奏でる。女性はこのリンの玉の刺激とかすかな音色に逆上して体を打ち震わせる』(梶山季之先生「人間の探検」による)なるほど。やっと解った。 アジア系の男は「芸者クラブ・カード」をマダムに見せる。M「このカードは駄目。現金で」と訳されるが、男が見せるカードは名刺のようなものである。この時代にクレジットカードはないだろう。割引カードのようなものだろう。だから訳は、M「このカードで割引はできないわ」ではないか。 再度、鑑賞したらマダム・アナイスが「クレジットカード(フランス語で)」と言っている。「芸者クラブ・カード」って、何ちゅう名前のクレカや(笑)そんなもん、普通の店で出せんぞ。 [この映画の間違い] ・マダム・アナイスの館で初日に相手をする社長が、2回目にセヴリーヌの服の前のファスナーを下すと、白いブラジャーである。1回目に社長が脱がせた時(30分前)は、セヴリーヌは白いスリップと白いブラジャー姿である。 ・教授(有名な産婦人科医)の相手をするセヴリーヌ。白いガウンを脱いで、白いブラジャーを外しベッドの上に置く。シャルロットと交替し隣の部屋から覗く。ベッドの上にブラジャーがある。東洋人と一緒のセヴリーヌが白いガウンを脱ぐと白いブラジャーをしている。さっき脱いだが。 ・公爵の城。到着する馬車のセヴリーヌは、「茶の皮のコート」を着ているが、帰りに雨の中のセヴリーヌへ執事が投げたのは「黒いラメのコート」である。

  • 鑑賞日 2016/7/27

    ドヌーブのエロティシズム

    あらすじは以下の通り。 セブリーヌとピエールの二人は、仲の良い幸せそのものの若夫婦だ。二人はお互に心から愛しあっていた。セブリーヌもよく夫に仕え、満足な毎日を送っているのだが、彼女が八つの時、野卑な鉛管工に抱きすくめられた異常な感覚が、潜在意識となって妖しい妄想にかられてゆくことがあった。情欲の鬼と化したピエールがセブリーヌを縛りあげ、ムチで責めさいなんだ挙句、犯したり、卑しい男に強姦されるという妄想であった。セブリーヌの奥底に奇妙な亀裂が生まれていることを、ピエールの友人アンリだけは、見抜いていた。アンリはなぜか、いつもねばっこい目でセブリーヌをみつめているのだった。セブリーヌはそんなアンリが嫌いだった。ある時、セブリーヌは友人のルネから、良家の夫人たちが、夫には内証で売春をしているという話を聞き、大きな衝撃を受けたが、心に強くひかれるものがあった。テニス・クラブでアンリを見かけたセブリーヌは、さり気なくその女たちのことを話した。アンリもまたさりげなくそういう女たちを歓迎する家を教えた。一時は内心のうずきを抑えたもののセブリーヌは、自分でもわからないまま、そういう女を歓迎する番地の家をたずねるのだった。そして、セブリーヌの二重生活がはじまった。女郎屋の女主人アナイスは、セブリーヌに真昼のひととき、つかの間の命を燃やすという意味で「昼顔」という名をつけてくれた。毎日、午後の何時間かを、セブリーヌは行きずりの男に抱かれて過し、夜は今までの通り、やさしく貞淑な妻だった。セブリーヌにはもはや夫を裏切っているという、意識はなかった。体と心に奇妙な均衡が生れ、一日、一日が満ち足りていた。しかし、その均衡が破れる日が来た。セブリーヌに、マルセルという、金歯だらけの口をした、粗野で無鉄砲で野獣のような男が、すっかり惚れこんでしまったからだ。マルセルは、夫と別れて自分のものになれと、いまは自分の行為を恐しくなったセブリーヌをしつこくおどしつづけ、セブリーヌが言うことを聞かないと知るや、無暴にも、ピエールをそ撃した。ピエールは命を取りとめたが、体の自由がきかず、廃人同様となってしまった。セブリーヌは生ける屍となったピエールを守って生きてゆこうと決心するのだった。二人は前よりも幸せな生活を送ることになった。そして、セブリーヌの身内にはあの変な、いまわしい妄想が、永遠に遠去かって行くのがわかった。 バストトップを見せているわけでもないし直接はエロスは描写していないのだが、カトリーヌ・ドヌーヴのおかけですごく上品で観音的なエロスが醸し出されている。 午後2時から5時までの売春ということで昼顔という絶妙なネーミングがたまらない。 昼間にいけないことをしていることは燃えるんだろうか。昼間に別の男に抱かれるなら旦那に抱かせてあげろよというのが本音だが、沈んでたのがよく笑って生き生きとするようになるなら多少のことは目を瞑ってあげたい気持ちもわからんでもないがやっぱり嫌だろうな。 時折みせる妄想を映像化した抽象的なシーンが印象深い。最後にピエールが立って喋れるようになったのはセブリーヌの妄想と捉えていいのだろうか。

  • 鑑賞日

    昼の顔

    初めて観た時、子供の頃テレビで見たんですが、ちょっとびっくりしましたね、いろんな意味で、ドヌーブはきれいだった。

  • 鑑賞日 2016/5/21

    カトリーヌ・ドヌーヴのエロティシズムな作品

    カトリーヌ・ドヌーヴ24歳の作品 医師の夫を持つ裕福な妻セヴリーヌを演じたカトリーヌ・ドヌーヴは、夫との肉体関係が果たせず、日々困惑している。これは、セヴリーヌ自身は不感症と思い込んでいるおかげで、セックスに対してのブレーキとなっている。そんなセヴリーヌは、自分自身の殻を破りたい意識が強くなり、その切掛けに強姦願望まで抱くようになった。そして、パリの街中に残っている上品な売春宿で昼の時間帯だけ売春をし始めるのであった。ところが、ある日来た荒くれた若い客と行為を重ねている内に、次第にセヴリーヌの心が奪われて行くのを感じていた。そんな時に夫と旅行して何日間か売春宿を開けていたが、再び売春宿に行くと、あの荒くれ男が現われ、セヴリーヌに執拗に迫って来て、セヴリーヌの夫を見つけるや否や射殺するのであった。しかし、夫は一命を取り留めたが、しゃべれない、見えない、歩けないと言う障害が残ってしまった。そんな、夫にセヴリーヌは献身的で有りたいと思うのであった。 とにかく、カトリーヌ・ドヌーヴがそこまでエロティシズムな姿を露わにするとは思ってもいませんでした。更に驚く事、その肢体はスタイル超抜群。この性に苛まれた妻の心の移ろいの微妙な表情まで、見事な演技を披露している。貞淑な女と情欲に充たされたい女の二面性を粛々と表現するカトリーヌ・ドヌーヴの大物さ感じた次第。 ところで、エンディングの馬車には誰も乗ってないシーンは、この夫婦が心の安住の地に着けた事を意味しているのかな?

  • 鑑賞日 2008/6/23

    ドヌーヴはやはり美しい

    淑女である現実と卑猥な妄想が交錯する。 セヴリーヌはついに妄想だけでは耐えられなくなり、 売春宿を訪ねる。 人妻である夜の顔と娼婦の昼の顔を使い分ける日々。 本来の自分をみつめ確認することで、 生き生きとしますます美しくなる。 皮肉なことに夫婦の関係も華やいで明るくなる。 そうこうして、どちらの顔が本当なのかわからなくなる。 どちらも現実になっていく。 現実が妄想になり、妄想が正気になっていく。 身も心も充実した生活を送っていたのだが、 でもそれはあまりに脆く危うく、、、 その満ち足りた日々は長くは続かなかった。 カトリーヌ・ドヌーヴはやはり美しかった。 当時は文句なしの正統派美人だったんだろうな。 ’60年代のファッションがまたかわいくて、 すごくドヌーヴに似合っていて、 それを見てるだけでも楽しい。 ミシェル・ピコリが ちょっと怪しさを醸し出す役どころなのだが、 妙な艶っぽさがあった。 彼の眼差しが何もかもお見通しという余裕を 感じさせるからなのかもしれないが。 (2008.7.01)

  • 鑑賞日 2016/4/5

    ドヌーヴの官能美

    ドヌーヴの全てが美しい! 途中に挟まれる幻想は想像力を駆り立てるが、ラストシーンが幻想とも、現実とも言えず、理解できない。

  • 鑑賞日 2016/3/19

    カトリーヌ・ドヌーヴ体張ってるな。偉い。作品としても面白みもあるし、整ってもいた。観てよかった。 もう約50年前の作品か。当時としては相当センセーショナルだったのかな。

  • 鑑賞日

    いつ見たのかさえ覚えていないが

    結婚して子供ができてからだと思う。 妻でありながら売春をする⇄夫でありながら買春をする 金歯の客が凄まじい印象を残す。

  • 鑑賞日 2014/2/24

    なんとも象徴的な題名か、すべてを表して不足なし。

    どこかの名画座で鑑賞した。当時読んでいたスクリーン誌のベストテンの作品で、 こういう映画を観なければ、いけないのだろう、と背伸びをした。 ほとんど内容は忘れたが、学生の頃だったので、マゾヒストの教授のシーンは心底ビックリした。 人間を描くことにおいて、性の問題は模範解答のない巨大な世界でもある。 カトリーヌ・ドヌーヴは、財力に恵まれた優しい夫の庇護の元に暮らしているが、 不感症の悩みを抱えている。 ストーリーは説明的ではなく、自ら娼館に出向き、昼顔という源氏名で春を売ることになる。 ドヌーブと娼館の女将とのやり取りはスリリングで、 さらなる展開は、男女の性の摩訶不思議な暗い森の中へ消える。 得体のしれない客たち、ヤクザな若い男の気ままな愛情、ドヌーブも新しい自分に脱皮していく。 象徴的な回想シーンを多く挿入し、内面をトリップする手法が大胆だ。 今回もラストの不可解さは残ったまま。 全編音楽なしで、印象的に鈴の音が響く、これも暗喩か。

  • 鑑賞日 2008/10/27

    ドヌーヴ飛躍作

    セヴリーヌは白日夢・艶夢を度々みて、自身の中にある娼婦性が覚醒したのか、知人に娼館の存在を聞き及んで、そこで午後の時間働くようになります。 館の常連客に夫の友人もいることを知ったセヴリーヌはすぐに娼婦をやめますが、夫が襲撃され車椅子生活になります。 ルイス・ブニュエル晩年の作品になり、カラー画面の中に現実か幻想か区別がつかない混然とした世界が交錯します。 カトリーヌ・ドヌーヴにとっても、それまでの清純派のイメージを払拭するような役どころで、ドヌーヴの代表作ともなり絶頂期を迎える事になったと思います。

  • 鑑賞日 2015/10/16

    なかなかしっぽをつかませない作品

    ​スペインのシュールレアリズム監督ルイス・ブニュエルがキャリア後期にフランスに招かれて監督した作品。 トップシーンがマゾヒスティックな夢という驚き。ドヌーヴの主人公は不感症を治すために主婦売春の世界に足を踏み込んだのか、はっきりと描かれない。 日本人らしい怪しげな東洋人から何か小動物を使ったプレイをされてうっとりしたり、貴族の館に招かれて柩プレイをしたり、ここら辺は後に「アイズ・ワイド・シャット」で描かれた遍歴の原型かもしれない。 売春の世界では常軌を逸した人間も沢山いる。独占欲の強い若者に気を許した挙句、夫は全身麻痺に。そして若者は警察に射殺される。 無力になった夫に優しく微笑むドヌーヴ。窓の外に、冒頭の馬車が無人で現れる謎のラスト。とうとう彼女は性から解放されたのか?なかなかしっぽをつかませない多義性を持った作品だ。

  • 鑑賞日 2015/5/6

    昼と夜

    昼と夜。朝はどこ?

  • 鑑賞日 2012/8/28

    断片的な非現実のシーンは好き

    リアリズムから逸脱したシーンが途中でいきなり挟まってくる感じは好き。ストーリーは割とベタで別に感心しなかった。

  • 鑑賞日 2015/3/9

    よく解らない。 制作時期が前だからか、人間ってこんなに単純じゃないと思うし…。 当時は画期的な作品でも、時代と共に損なわれる物があるのは、いたしかたない。

  • 鑑賞日 2015/2/24

    カトリーヌのファッションが素敵だった

  • 鑑賞日

    カトリーヌ・ドヌーブの美☆

    妖艶そんな言葉がピッタリの映画です。 優秀でハンサムな外科医の夫をジャン・ソレル、その妻をカトリーヌ・ドヌーブと、セレブな夫婦にできたミゾをエロチックに描写した作品です。本作のカトリーヌ・ドヌーヴの美しさは息を呑みます。凄くはなかくて、危うくて…。ジャン・ソレル演じた夫も申し分ないパートナーのはずが、性的な問題で、エスコートクラブで働いたりして…。お金に困ってない女性がカラダを売る行為は先進国ならではでしょうか?現実の世界を映し出してそうで、幻想的に感じるところが特徴的だなと思いました。

  • 鑑賞日 2014/8/22

    解放

    カトリーヌ・ドヌーブ。その後、大女優になる彼女だけど、本作では不感症の人妻。最初の方は、エッチな犯されるような夢ばかり見る。しかし、娼婦となって働くことにより、夢は減っていき、徐々に快楽が開放されていく。それが行きつく残酷な結末。にもかかわらず、良くわからない解放感が映画を覆う。最後に願望として見えてくる夢が最初のころのような、夫との平凡な日常だった。

  • 鑑賞日 2014/7/30

    これぞフランス映画

     カトリーヌ・ドヌーヴ演じる貞淑な人妻は、夫との性生活に満足を得ることができていないし、夫を満足させられないことへの罪悪感に苛まれている。この美しい人妻が娼館で客をとることで、性的な満足を得ることができるようになる。  フィルムには、夫を愛していながらも、性的には満たされない現実生活と、彼女の性的な妄想である白日夢のシークエンスが交互に現れる。白日夢では、毛嫌いしているはずの夫の友人が登場し、夫と共にサディスティックな仕打ちを彼女に行う。このことから、彼女が、夫を愛するが故の貞淑な妻としてのセルフイメージに縛られているが、心の底では、自分が男たちのむき出しの欲望の対象になることに憧れていることが分かる。  演出の上手さは、自宅で夫といる間や、妄想の中の彼女よりも、娼館で客を待つ彼女の姿のほうが美しく、エロティックであるということ。男の欲望を受け止めるためのすべてを兼ね備えたかのようなドヌーヴの肢体は、豊満な上半身と華奢な下半身を併せ持つ。  この娼婦「昼顔」にのめり込む犯罪者によって、彼女の夫との生活は破壊されてしまうのだが、このことによって夫は妻の昼間の顔を知ることになるのだ。そして、それが妻にとっては悲劇ではないところが、人の生と性との多様性である。  映画では、人々の多用な性が描かれている。中には観客の笑いを誘うようなロールプレイに耽る娼館の客もいるし、娼婦との間に「真実」愛を追い求める犯罪者もいる。皆が理知的であろうとするが、性というもの(愛ではない)へのこだわりからは自由にはなれない。こうした人間の姿を真正面からとらえようとするフィルムは、やはりフランス映画の真骨頂であろう。

  • 鑑賞日 2014/7/26

    土塊とドヌーブ

    @rightwide: #733 Bunkamuraル・シネマ「昼顔」。ジョセフ・ケッセルの原作をルイス・ブニュエルとジャン・クロード・カリエールが脚色しブニュエルが監督した1967年作品。カトリーヌ・ドヌーブが娼婦になった裕福な家庭の人妻を演じる。ドヌーブが土塊を投げつけられるシュールなシーンが印象的。

  • 鑑賞日 1968/4/28

    ドヌーヴとブニュエル

    ドヌーヴとブニュエルは相性が良いのか、この後「哀しみのトリスターナ」でも組んでいる。 本作はケッセルの原作に比較的忠実な映画化であり、それでいてブニュエルらしいシュールレアリズムなイメージが溢れた作品である、ドヌーヴのスター映画でもある。そして日本で初めて東宝系の大劇場でロードショー公開されたブニュエル作品である。 高校三年の時に観た。既に「ビリディアナ」「小間使いの日記」を観ているので覚悟していたが、思っていたほど難解な作品ではなかった。やはり変態で、日常的な生活に戻ることができないという、ブニュエル的迷路に誘ってくれる。

  • 鑑賞日 2010/1/24

    雑然とした作りがむしろ魅力的。客観的に、そして滑稽に描かれた登場人物の深層心理は痛快で、観客をグイグイ惹き込む。

  • 鑑賞日 1973/3/23

    ブニュエルの華麗な世界、華麗なドヌーブ。

     ブニュエルの自在な技法と、耽美的な世界と・・・。  ぞくぞくするいやらしさ。(露出度はないですけど。)  ブニュエルのなかで、最も一般受けする作品。素敵。  でもラストで、面食らうとツライかも。      1973年、リバイバル。

  • 鑑賞日 1978/2/8

    傑作

    1978年2月8日に「水曜ロードショー」にて。傑作である。

  • 鑑賞日 2015/6/20

    不感症だったんだ!

    映画ではカトリーヌ・ドヌーヴは23歳。そうだったかもしれない。少し時代が行くとヌードだらけかもしれないが、この頃は嗜みが有った。映画は美しさをいつまでも残してくれるから素晴らしい。

  • 鑑賞日 1974/3/6

    リバイバル上映

    1974年3月6日に鑑賞。高知名画座にて。リバイバル上映・東映洋画配給。2本立て。同時上映は「愛すれど哀しく」。 カトリーヌ・ドヌーヴの映画では最高傑作。掃除のおばさん「あんな男嫌だろ」昼顔「おばさんには分からないわ。とろけそうよ」という、アジア系の親父の要望でブラジャーをしたままSEXした後、ベッドにうつ伏せて余韻に浸る昼顔の言葉。アジア系の男は小箱から出した何かの「性具」を使用したらしい。この部分は詳しくは描かれない。

  • 鑑賞日 1995/12/11

    リバイバル上映

    1995年12月11日に鑑賞。大阪・天六ホクテン座2にて。リバイバル上映。デラ・コーポレーション配給。2本立て。同時上映は「エヴァの匂い」。 ルイス・ブニュエル、カトリーヌ・ドヌーヴの最高傑作である。 掃除のおばさん「あんな男嫌だろ」昼顔「おばさんには分からないわ。とろけそうよ」という、アジア系の親父の要望でブラジャーをしたままSEXした後、ベッドにうつ伏せて余韻に浸る昼顔の言葉。アジア系の男は小箱から出した何かの「性具」を使用したらしい(「映画芸術」」[1967年11月号]での蓮實重彦の弁)。この部分は詳しくは描かれない。

  • 鑑賞日

    ブニュエルとドヌーブではあまりにも濃すぎます。でも趣味がいいよね。

  • 鑑賞日 2013/6/1

    現実もまた夢のごとく

    ルイス・ブニュエルの作品はやっぱり難解だね にわか映画ファンには真の意味が分からない。。 ブニュエルらしいと感じるのは、出てくる多数の変態的描写と、 脈絡もない幻想のような夢 ラストはハッピーエンドなの? それとも主婦の気まぐれが招いた悲劇と見るか? 植物状態に陥った夫を前にして、初めて人間性を得られたという展開はまさしく 三島由紀夫の「音楽」を連想させた

  • 鑑賞日

    昼は娼婦のように、夜は淑女のように

    男女を問わず人には内に秘めた他人には言えない欲望みたいなものはあるし、所謂表裏の二面性のようなものを持ち合わせているものだが、C・ドヌーブ演ずる若妻の場合はそこまで深刻なものとも思えない。子供時代の淫靡な思い出に触発された好奇心から始めた浮気?ごっこが引き起こす悲劇。ストーリーはありふれたものかもしれないが、ドヌーブの輝くような美しさを見ればのめり込まない男の方が少ないだろう。

  • 鑑賞日 2013/3/30

    カトリーヌ・ドヌーブが美しい。 フランス映画が大人の香りを漂わせていた頃の作品だ。 ブニュエルの作品としてはわかりやすい。

  • 鑑賞日 2013/3/29

    ドヌーヴの美しさを堪能

    欲求不満の若いセレブな人妻が今でいうイメクラでアルバイトをする話。大昔の日活ロマンポルノに似たような作品が沢山あったかもしれない。 客は金持ちらしく、シナリオも小道具も持参してくるのが面白い。やがてこの秘密はバレてしまうのだが、ベタな話を清楚なドヌーヴが演じるせいか上品な話に感じてしまう。 ドヌーヴの妄想シーンはさすが監督のブニュエルらしく美しい。

  • 鑑賞日 2013/2/22

    24歳のカトリーヌ・ドヌーヴの美しさ。

    アブノーマルな妄想に身を委ね、昼は娼婦、夫といるときは貞淑な妻。客のちんぴらに付きまとわれ犠牲になったのは夫。。。 どこかのTV局がベタな昼メロにしそうなストーリーなのに、格調高い文芸作品のよう。 フランス映画の雰囲気がそうさせるのか、やっぱりカトリーヌ・ドヌーヴの気品ある美しさか。。。 妄想と現実と過去の回想が説明なしに入り交じるのでわからなくなる。 それに主人公のセブリーヌの表情が乏しいっていうか、敢えて感情を抑えているのか、 どんな時でも淡々としすぎてリアリティに欠ける。。すべてがセブリーヌの妄想に思えてくる。

  • 鑑賞日 2013/2/15

    ファンの多い映画なのだろうか?

    午前十時の映画祭で上映されていたので鑑賞。 カトリーヌドヌーブとブニュエル監督ということ以外の前知識は無かった。 うーん、あえて選ばれる作品だろうか? 名画として選択されているだけに、ファンの多い映画なのだろうか? 好きでも、嫌いでもないという作品。

  • 鑑賞日 2013/2/15

    フランス人は愛が大事

    フランス人は愛が大事。 フランス映画を見るたびにそう思う。この作品もそう。 夫と郊外で馬車に乗る貞淑な医師夫人。これが夫人の淫らな(といっても今からみればちょっとエッチな…程度)妄想と分かるのは少しあと。平穏な毎日に無感動だった彼女は、夫の友人から娼館の存在を知り、秘かにそこで昼顔の源氏名で昼間だけ客を取るようになる。次第に明るくなる妻に喜ぶ夫。やがて若い客の一人が彼女にぞっこんになって重荷になってきた頃、夫の友人に知られてしまい、彼女は娼館を辞める。男は彼女の家を突き止め、帰宅する夫を銃で撃つが、警官に追いつめられ自身も撃たれて死んでしまう。夫は一命を取り留めるが、半身不随。献身的に尽くす妻の顔は晴れやかだ。そこに先の友人が現れ、夫に全てを話す。友人が帰ったあと、彼女は夫が立ち上がるのを見、馬車の音が聞こえると言って窓を開ける。彼女の前には御者のみの誰も乗っていない馬車が郊外の道を駆け抜けて行くのが見えている。 ここにあるのは、比喩に富んでいて斜に構えているが、不毛な二人が垣根を乗り越えて理解し心から愛しあえるようになったという物語。そう思う。

  • 鑑賞日 2013/2/10

    HENTAIの国、日本からの使者

     初ドヌーヴ。なかなか内容は難しく、混乱させられる映画でした。初っ端、主人公であるセブリーヌは、夫に妄想していたと言わず夢を見ていたと告げていたので、幼少期のトラウマから悪夢に悩まされているのかと終始勘違いしていました(それで娼館で働きだすから、辻褄が合わずに混乱した)。セブリーヌがずっと妄想していたと分かって見直したところで、あまり彼女を理解できなさそうですが。実際、「女性ってこういう考え方もするんだなぁ」くらいにしか感じませんでした。  しかし、セブリーヌを演じるドヌーヴは艶やかな金色の髪が印象的で、スクリーンの中だけの遠い異国の女性の美しさにしみじみさせられました。そんな事を感じている時に、突然我々がよく見る日本人の(役者は日本人ではないようですが)中年男が現れると物凄い違和感がありました。このころの日本人は世界ではどう思われていたのでしょう。この男がまたしても、言語も持ち物も行動も謎だらけの人物ですが、セブリーヌを淫らな世界に引き入れるには、説明せずとも日本人を登場させておけば良いと思ったのでしょうか。行為後のセブリーヌの吹っ切れた表情を見れば、この日本人はSMプレイをするだけのフランス人の医者より、変態紳士としては一枚上手だったことは明らかですが。

  • 鑑賞日 2012/9/12

    傑作

    2012年9月12日に鑑賞。当日1000円。「第3回 午前十時の映画祭」にて。コムストック配給。フィルム上映。 カトリーヌ・ドヌーヴ(当時23歳・23歳の役)がすばらしい。ドヌーブの映画では最高傑作。サッシャ・ヴィエルニの撮影がいい。 [ネタバレ]掃除のおばさん「あんな男嫌だろ」昼顔「おばさんには分からないわ。とろけそうよ」と言う。アジア系の親父の要望でブラジャーをしたままSEXした後、ベッドにうつ伏せて余韻に浸る昼顔の言葉。アジア系の男は小箱から出した何かの「性具」を使用したらしい(「映画芸術」」[1967年11月号]での蓮實重彦の弁)。この部分は詳しくは描かれない。 これは江戸時代の女性用性具「リンの玉」であろう。別のシーンでアジア系の男が左手に持つ「鈴」が鳴り、セヴリーヌは微笑む。 2017年12月に読んだ本より『中をくり抜いた鈴の玉に螺旋状の鉄線を入れ水銀を満たしたもの。2個の玉を入れ男性が挿入すると、子宮近くでペニスが届かない部分に転がり、風流な音を奏でる。女性はこのリンの玉の刺激とかすかな音色に逆上して体を打ち震わせる』(梶山季之先生「人間の探検」による)なるほど。やっと解った。

  • 鑑賞日 2008/4/6

    この時代だったから

    カトリーヌ・ドヌーヴの気品ある美しさがステキだった。 60年代だから激しいお色気描写はないのだけど その方が逆にドヌーヴの妖艶な感じが出ててよかった。 時おり出てくるセヴリーヌの妄想が・・・・淫らだ。 とはいえ、今の映像に比べたら大人しいけれど。 (ドヌーヴもせいぜい下着姿。) 自分から娼館に行ったくせにいざ客を前にすると「嫌!」とか言うのは恥じらい? それともプレイの一環!?と思いつつ観た。 今リメイクしたら昼メロっぽくドロドロになっちゃうかもなぁ。 妄想と現実が入り乱れてどちらなのかわからないまま終わってしまった。 ドヌーヴ様の衣装はイヴ・サンローランらしい。 知的な美人って雰囲気がよく出てたような。

  • 鑑賞日 2012/6/2

    ラスト、馬車の音がするということは。

  • 鑑賞日 2011/9/26

    何一つ不自由していない女が満たされない心の隙間を、見ず知らずの男に体を預けるという話だが、想像しがたい不幸が待ち受けているにも関わらず、興味の赴くままに欲望のみ追いかける、ブニュエル特有のブルジョワ批判が根底にある作品だが、そのいつもの形態はなりを潜め、人間の飽くなき性的欲望、快楽に重きをおいていることが全編を通して感じる。娼館を訪れる人々は多種多様であり、ネクロフィリア、シチュエーションプレイ、マゾヒズムなど、現代にも色濃く残る性癖である。これらの描写を直接的ではなく、やんわりとした情景描写に納めている辺りも当時の世相が見える。しかし、人間の性的エゴを具に描き出している。これらの性癖や性格は幼少時に多大なる影響がある。主人公のセブリーヌも野蛮な男に抱きすくめられた幼少期の体験が背景にある。また登場する犯罪者や教授など今ある地位と影の部分とをうまく描き出しているところも秀逸。エンドロール前の二人の描写には、真実を知った重い空気が流れている。しかし、オープニングとエンディングともに馬車と蹄の音で終わる。そう考えれば、この音がループとなり、反省もなく、再び飽くなき性欲に溺れるブルジョワ(人間)たち。と最後の最後まで毒づくブニュエルのエンディングとも見てとれるのは考えすぎかもしれない。本作は自然音だけを音源としているため、それが自然な生活感を醸し出し、逆に緊張感を演出している。 ミシェル・ピッコリがあのときの後日譚を語る『夜顔』があるので近々みたい。★★★★見た目の直感で甲乙つけるのは批評というものの避けられない宿命であるが、昨今の作品と横並びにすることは、当時の背景を図れない評価である。批評とは前衛的な映画を真っ先に作るときの製作サイドの苦慮を含めたものでなければいけない。

  • 鑑賞日 1968/1/28

    商業性とアートの両立

    ケッセルの原作をブニュエルが忠実に映画化。音楽を使わず、鈴の音だけ。ファッションはサン・ローラン。それでいてシュールレアリズム。商業性とアートの見事な融合。

  • 鑑賞日 2011/11/26

    ドヌーブだからこそ出来る

    貞淑な人妻が昼間だけ娼婦となって欲望に身を任せる という物語。その人妻をカトリーヌ・ドヌーブである。 ドヌーブといえば、「シェルブールの雨傘」であるが、 あの主人公ジュヌヴィエーヴとは正反対のキャラクタ ーと言いたいところであるが、ジュヌヴィエーヴとい う女性が清純で愛情深いとは思えない。駅での別れに おいても実に淡白。別れ難いという心情は見せず、列 車が去っていくとさっさと向きを変えてしまう。そこ を彼女独特のしれっとした表情で演じきる。 このような女優なら「昼顔」で貞淑な人妻と娼婦を何 の違和感もなく演じることが出来る。 3年ほど前に「マルチェロ・マストロヤンニ-甘い追 憶」というマストロヤンニを偲ぶドキュメンタリー映 画を見た。ここに夫を演じる現在のジャン・ソレルが 登場するが、彼の変貌ぶりの方がはるかにショックで はなかろうか。