検索結果
-
COLUMN/コラム2024.05.02
いつの時代も変わらぬ自由と幸福への渇望を鮮やかに描いた‘80年代青春コメディ映画の傑作『フェリスはある朝突然に』
青春映画の巨匠ジョン・ヒューズの代表作 ‘80年代を代表するティーン向け青春映画のひとつである。当時のアメリカでは史上初めて、10代の若年層が映画観客の主流を占めるようになり、おのずと彼らをターゲットにした青春映画が量産されるようになった。’80年代が青春映画の黄金時代と呼ばれる所以だ。恐らくブームの火付け役はエイミー・ヘッカリング監督の『初体験/リッジモント・ハイ』(’82)か、フランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』(’83)辺りだろうと思われるが、しかしブームを牽引したのは間違いなくジョン・ヒューズ監督であろう。 デビュー作の学園ドラマ『すてきな片想い』(’84)が若者たちの間で大評判となり、続く『ブレックファスト・クラブ』(’85)や製作・脚本を担当した『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(’86)のブロックバスター・ヒットで一躍時の人となったヒューズ監督。どこにでもいる今どきのティーンエージャーたちを主人公に、いつの時代も変わらぬ若者たちの夢と希望と悩みをユーモラスに描いた彼の作品群は、それゆえ大勢の同世代の若者から熱狂的に支持されたのである。そんなジョン・ヒューズ監督による一連の青春映画で最大のヒットとなったのが、500万ドルの予算に対して全米興行収入7000万ドルを記録した『フェリスはある朝突然に』(’86)だった。 主人公はシカゴ近郊の住宅街に住む高校3年生フェリス・ビューラー(マシュー・ブロデリック)。ハンサムで人懐こくてチャーミングで、なおかつ頭の回転が速くて口の達者なフェリスは、学校中の生徒はもとより町中の人々からも愛される人気者だ。それはとある晴れた日の朝のこと。こんな天気の良い日に学校へ行くなんてもったいない!と考えた彼は、仮病を使って学校をさぼることにする。息子を溺愛する共働きの両親(ライマン・ワード&シンディ・ピケット)が出勤し、世渡り上手な兄に嫉妬する妹ジーニー(ジェニファー・グレイ)が登校したところでズル休み作戦スタート!万が一、親が様子を見るため仕事の途中で戻ってきたり、学校の先生が訪ねてきたりした時のため、家中に様々な偽装工作を仕掛けておくフェリス。ついでに後輩たちへ大袈裟な嘘を吹き込んで、「どうやらフェリスが重病らしい」との噂を学校中どころか町中に広め、さらには学校のコンピューターをハッキングして欠席日数のデータもちゃっかりと誤魔化す。全ては今日を思いきり楽しむため。さすが、さぼりの常習犯だけあって計画に抜かりはない。 そのうえで、本当に体調が悪くて休んでいる悪友キャメロン(アラン・ラック)を呼び出し、さらには恋人スローン(ミア・サラ)のお祖母ちゃんが亡くなったと嘘の連絡を学校へ入れる。休日を存分に楽しむには、やはり気心の知れた仲間も必要だ。キャメロンの父親の愛車フェラーリに乗り込んだ2人は、学校前で帰宅許可の出たスローンをピックアップ。そのままシカゴの街へと繰り出したフェリスとキャメロン、スローンの3人は、野球スタジアムでシカゴ・カブスの試合を観戦したり、予約でいっぱいの高級レストランに予約客のふりして乗り込んで美食を堪能したり、シカゴ美術館で芸術鑑賞に浸ってみたり、さらには大通りのパレードに参加して歌とダンスを披露したりと、文字通りやりたい放題!最高に充実した休日を過ごしていく。 ところが、フェリスのズル休み作戦をまんまと見抜いた人物がいた。学校のルーニー校長(ジェフリー・ジョーンズ)である。生徒たちが教師を尊敬しなくなったのはヤツのせいだ!と一方的にフェリスを目の敵にするルーニー校長は、なんとかしてズル休みの証拠を掴んでやろうと、あの手この手を使ってフェリスの行方を追跡していく。さらに、お兄ちゃんばかりいつも得をしてズルい!と怒り心頭の妹ジーニーもまた、両親へ告げ口をするためにフェリスのズル休みを立証しようと奔走していた…! 誰の心にもフェリスは存在する というわけで、調子が良くて抜け目のない高校生フェリスが、果たして親にバレることなく、はたまた校長先生に捕まることもなく、無事にズル休みの1日を満喫できるのか?という実に他愛のないストーリーの青春コメディ。しかも、いやいや、それって出来過ぎだよね!?ってくらい万事が順調に運んでいく。そればかりか、フェリスを懲らしめてやろうと息巻くルーニー校長は、用意周到なフェリスの悪知恵に次々と出し抜かれ、そのうえ泥だらけになったり犬に追いかけられたりと散々な目に遭うし、誰からも愛される兄フェリスの化けの皮を剥がしてやろうとした妹ジーニーも、自身の愚かな嫉妬心に気付いて反省することになる。これをご都合主義と捉える向きもあるかもしれない。そもそも、「人生なんて短いんだから楽しまなくちゃ!」というフェリスの姿勢に異を唱える人だっているだろう。そりゃそうだ、人生というのは上手くいかないことの方が多いし、当然ながら楽しんでばかりもいられないのだから。 しかし、恐らくそんなこと作り手であるジョン・ヒューズはもちろん、主人公フェリスだって百も承知だろう。だからこそ、フェリスはスクリーンの向こうから観客に話しかけ、画面上には要点を説明するテロップが表示され、常にこれはあくまでも映画ですよ!ということを主張し続ける。こんな素敵な一日が過ごせたら、こんなに万事が順調にいったらどんなにいいだろう。しかし、現実にそんなことはあり得ない。それを十分過ぎるくらいに分かっているからこそ、スクリーンの中のフェリスたちの大冒険が眩しいくらいにキラキラと輝くのだ。そして、ルールやしきたりや常識で他人を縛ろうとする大人に平然とノーを突きつけるフェリスは、同時にルールやしきたりや常識に縛られた人間を「もっと肩の力を抜いていいんだよ!」と言って解放してくれる。自分もフェリスのように自由に振る舞えたら、フェリスのように大胆に行動できたら。若者はもちろん大人も同様、誰の心にも多かれ少なかれフェリスは存在するはずだ。しかし、大半の人は実行になど移せない。妹ジーニーが彼に対して腹を立てる本当の理由もそこにあるだろう。 自分は嫌でも我慢して学校へ行っているのに、平気で楽をしようとするお兄ちゃんが許せない。しかも、そんなお兄ちゃんばかりみんなから愛されるなんて不公平だ。不満と怒りを募らせたジーニーに、警察署でたまたま会った不良少年(チャーリー・シーン)がさりげなく指摘をする。それはフェリスじゃなくて君自身の問題ではないかと。自分が被害をこうむるわけでもないのに、なぜ兄のやることに腹が立つのか。ズルいと思うのなら自分もズル休みすればいい。嫌なことを我慢する必要などないだろう。でも、捕まることが怖いジーニーには出来ない相談である。そう、彼女がフェリスに対して抱く不満は、常識に縛られた自分自身に対する不満だ。それは単なる嫉妬と羨望の裏返しに過ぎない。彼女が我慢して学校へ行くのは彼女の選択であり、フェリスのズル休みとは何ら関係がないのだ。 フェリスの大親友でありながら、その一方で彼に引け目を感じているキャメロンにも似たようなことが言えるだろう。真面目で臆病で気の弱いキャメロンは、いつも厳しくて口うるさい父親の言いなり。言い返す勇気も自己主張する覚悟もなく、そのストレスからしょっちゅう体調不良で学校を休んでいる。そんなキャメロンにしてみれば、なんでも口八丁手八丁で思い通りにしてしまうフェリスは、そうなりたくても絶対になれない理想の存在でもある。実のところ、このフェリスとキャメロンの関係性こそが本作の核心ではないかと思う。要するに、フェリスは自分の殻に閉じこもったままのキャメロンを解放するため、自由奔放で大胆不敵なズル休みの1日に彼を誘ったのだ。 実はスピンオフ映画の企画が進行中…!? さながら、いつの時代も人々が抱く自由と幸福への渇望を、お茶目で愉快な青春コメディとして仕立てた現代の御伽噺。現実にはあり得ないからこそ愛おしい。この見事な脚本を、ジョン・ヒューズ監督はたったの6日間で書き上げたというのだから驚きである。後の『ホームアローン』(’90)を彷彿とさせるポップで軽妙洒脱な演出がまた実に楽しい。最初からフェリス役の第1候補だったというマシュー・ブロデリック、彼とはブロードウェイの舞台「ビロクシー・ブルース」で共演して私生活でも親友だったアラン・ラック、そしてトム・クルーズと共演した『レジェンド』(’85)の美少女ぶりも話題になったミア・サラと、主演キャストたちも大変魅力的だ。っていうか、この頃のマシュー・ブロデリックは本当にキラッキラの美少年でしたな!しかも、飄々とした個性と軽やかな芝居がフェリス役にピッタリ。最高のキャスティングである。 もちろん、『ハワード・ザ・ダック』(’87)や『ビートルジュース』など悪役俳優として引っ張りだこだったジェフリー・ジョーンズ、翌年の『ダーティダンシング』(’87)で大ブレイクするジェニファー・グレイ、そのジェニファーの紹介で不良少年役に起用されたチャーリー・シーンなど脇役陣も充実。フェリスの両親を演じたのは、ロジェ・ヴァディム監督の『ナイトゲーム』(’80)で売り出されたシンディ・ピケットとジョン・ヒューズ監督作品の常連ライマン・ウォードで、2人は本作での共演がきっかけで結婚した。また、校長秘書グレース役のイーディ・マクルーグは、『キャリー』(’76)のいじめっ子グループのひとりを演じた女優さんだが、本作ではそのとぼけた味わいが実に絶妙!フェリスのクラスメート役で、当時まだ15歳だった無名時代のクリスティ・スワンソンが出ているのも見のがせない。 なお、本作の大ヒット受けて続編企画も浮上したが実現せず。その代わりにテレビシリーズ版『Ferris Bueller』が’90年に放送されたが、たったの13話でキャンセルされてしまった。このテレビ版では、無名時代のジェニファー・アニストンがジーニー役を演じている。ちなみに、’22年にアメリカの動画配信サービスParamount+が本作のスピンオフ映画の製作を発表。劇中でキャメロンの父親のフェラーリを勝手に乗り回す駐車係2人組が出てくるが、目下進行中だというスピンオフ映画は彼らを主人公にしたアクション・コメディとなるようだ。■ 『フェリスはある朝突然に』Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
-
COLUMN/コラム2022.12.02
ジョン・ヒューズ監督が高校生たちの忘れられない1日を描いた青春群像劇『ブレックファスト・クラブ』
土曜日の補習授業で何かが起こる…? 処女作『すてきな片想い』(’84)で16歳の誕生日を迎えた女子高生の1日を通して、思春期の少女とその友達の揺れ動く多感な心情や自我の目覚めを鮮やかに浮き彫りにしたジョン・ヒューズが、今度は土曜日の補習授業に呼び出された高校生たちの1日を描いた監督2作目である。青春映画の黄金期と呼ばれる’80年代において、まさに時代の象徴的な存在だった巨匠ジョン・ヒューズ。特に本作と『フェリスはある朝突然に』(’86)の2本は、’80年代青春映画を語るうえでも絶対に外すことの出来ない傑作と言えよう。 それは1984年3月24日の土曜日のこと。イリノイ州のシャーマー高校では、ひとけのない閑散とした校舎に5名の生徒たちが集まってくる。レスリング部の花形選手である体育会系のアンドリュー(エミリオ・エステベス)、お高くとまった金持ちのお嬢さまクレア(モリー・リングウォルド)、成績はトップだが見た目の冴えないガリ勉くんブライアン(アンソニー・マイケル・ホール)、奇行を繰り返して周囲をドン引きさせる不思議ちゃんアリソン(アリー・シーディ)、そして口が悪くて反抗的な不良少年ベンダー(ジャッド・ネルソン)。普段の学校生活では決して交わることのない彼らは、それぞれ問題行動を起こした罰として、休日の朝7時から補習授業を受けることになったのだ。 学校の図書館に集まった生徒たちを待ち受けていたのは、口うるさくて厳しい副校長のヴァーノン先生(ポール・グリーソン)。勝手に喋るな、席を移動するな、居眠りをするなと注意された彼らは、午後4時までに作文を書き上げるよう指示される。テーマは「自分とは何か」。ウンザリとした表情を浮かべる生徒たち。仕方なしに作文を書こうとするものの、みんな一向にペンが進まない。図書館に漂う沈黙と退屈。口火を切ったのは、ルール無視など日常茶飯事のベンダーだ。ほかの4人がなぜ補修の罰を受けたのか、しつこく聞き出そうとするベンダー。その無神経な態度にはじめは苛ついていたアンドリューたちだったが、しかしこれをきっかけに段々と打ち解けるようになる。 ヴァーノン先生がトイレに行った隙を見計らって、こっそり図書館を抜け出す生徒たち。ベンダーはロッカーに隠していたマリファナを回収する。ところが、図書館への帰り道を間違えて危機一髪。ヴァーノン先生に見つかったら大目玉を食らってしまう。そこで言い出しっぺのベンダーが先生の注意を惹きつけ、仲間を救って自分だけが罰を受けることに。反省するまで物置に閉じ込められたベンダーだが、性懲りもなく通気口から逃げ出して図書館へ無事に帰還。物音に気付いたヴァーノン先生が駆け込んでくるものの、4人はベンダーを匿って守り通す。ささやかな友情の絆が芽生え始めた生徒たち。マリファナを吸って解放感に浸った彼らは、やがてそれぞれが学校や家庭で抱える悩みや不安、怒りや不満などの本音を打ち明けるのだった…。 ハリウッドで初めてスクールカーストを真正面から描いた作品 前作『すてきな片想い』に続いて、ヒューズ監督の故郷であるイリノイ州を舞台にした本作。主人公たちにとって「忘れられない1日」の出来事を描くというプロットは、『すてきな片想い』だけでなく『フェリスはある朝突然に』とも共通した点だが、しかし高校の図書館という限定された空間をメインにして展開する会話劇スタイルは、それこそヨーロッパ映画やインディーズ映画を彷彿とさせるものがあり、当時のハリウッド産青春映画においては画期的な手法だったと言えよう。中でも、当時の若者特有のスラングを盛り込んだ活きの良いセリフがユニーク。大人が作った青春映画にありがちな不自然さがないのだ。 実は『すてきな片想い』よりも前に脚本が出来上がっていたという本作だが、しかしアート映画的な実験性の強い内容ゆえなのか資金がなかなか集まらず、そのため後回しにされたという経緯があったらしい。ヒューズ監督が真っ先にやったのは、メインの若手キャストを集めたリハーサル。ハリウッドだと事前の準備は会議室での読み合わせ程度、リハーサルは現場で撮影と並行しながらというケースも少なくないが、本作の場合は1週間以上に渡ってみっちりとリハーサルを重ね、物語の進行とお互いのキャラクターの特徴を頭に叩き込んだという。そのうえで、撮影に入るとヒューズ監督は若い役者たちの好きなように演じさせたのだそうだ。ノリに応じてセリフやリアクションを変えるなどのアドリブもオッケー。本作の会話劇に噓がないのは、このように若い俳優たちの主体性を尊重した演出の賜物だったのかもしれない。 だが、この映画が劇場公開時において最も画期的だったのは、アメリカの学園生活を構成するクリーク、すなわち日本で言いうところの「スクールカースト」の存在をテーマに据えたことであろう。ジョックス(体育会系)のアンドリュー、ミーン・ガールズ(女王様集団)のクレア、ナード(オタク)のブライアン、ゴス系(もしくはエモ・キッズ)のアリソン、グリーザーズ(ヤンキー系)のベンダーと、本作に登場する5人の高校生たちは、そのいずれもがスクールカーストの代表的な集団を象徴している。 同じ学校に通いながらもそれぞれ別の集団に所属し、お互いに相手のことをバカにしたり敬遠したり無視したり。普段なら決して相交わることのない彼らが、いざ腹を割って話をしてみると、親からのプレッシャーや将来への不安など、みんな同じような悩みを抱えていることを知り、お互いに友情や親近感を覚えるようになる。いつもは「キャラ」という名の鎧を身にまとっている彼らも、一皮むけばどこにでもいる普通の高校生なのだ。それまでも学園内のスクールカーストを背景にした青春映画は存在したものの、それをメインテーマとして扱った作品は恐らくこれが初めて。なおかつ、社会の縮図とも言えるその集団構造を通して、今も昔も変わらぬ等身大のティーンエージャー像を描く。それこそが、本作の持つ揺るぎない普遍性であり、その後のハリウッド産青春映画および青春ドラマに多大な影響を及ぼした理由であろう。 かつて子供だった大人と、いずれ大人になる子供 加えて、本作ではそこに大人たちの視点もさらりと盛り込まれる。最近の子供たちは不真面目で弛んでいる、昔の学生とはすっかり変わってしまった!と嘆く副校長ヴァーノン先生に、いや、変わってしまったのはお前だよ、自分が16歳の頃を思い出してみろと釘をさす用務員のカール(ジョン・カペロス)。今の子供は理解できないと大人から言われた子供が、大人になると全く同じことを子供に言う。いつの時代も変わらぬ光景だ。それは逆もまた然り。大人を自分とは別の生き物みたいに思って、なにかと反抗したりバカにしたりする子供たちも、いずれ自分もその大人になってしまうことを分かっていない。冒頭で校内に掲げられた歴代の優等卒業生写真の中央に、溌溂とした笑顔で映っている人気者の若者が、実は高校生時代のカールであることに、果たしてどれだけの学生が気付いているだろうか。 また、’90年代のグランジ・ルックを先取りしたようなベンダーのファッション、青白い顔に黒のアイラインを強調したゴス系のルーツみたいなアリソンの個性的なメイクなども興味深いところ。本作の時代を先駆けた先見性はもちろんのこと、トレンドというものがある日突然出現するのではなく、時間をかけて徐々に浸透・拡大していくものだということが分かるだろう。 トレンドといえば、ジョン・ヒューズ監督作品に欠かせないのがポップ・ミュージック。前作『すてきな片想い』ではトレンドのヒットソングをこれでもかと詰め込んでいたが、本作では曲数を最小限に絞り込んでいる。中でも印象的なのは、全米チャートでナンバーワンに輝いたシンプル・マインズのテーマ曲「ドント・ユー?」。挿入曲の大半を手掛けたソングライターのキース・フォーシーは、ジョルジオ・モロダーの重要ブレーンとしてドナ・サマーやアイリーン・キャラ、スリー・ディグリーズなどのヒット曲を書いた人で、本作では音楽スコアも担当している。『フラッシュダンス』(’83)や『ネバーエンディング・ストーリー』(’84)、『ビバリーヒルズ・コップ』(’84)などのテーマ曲も彼の仕事だ。 主人公の高校生役を演じているのは、ブラット・パック(悪ガキ集団)と呼ばれた当時の青春映画スターたち。『すてきな片想い』に引き続いて起用されたモリー・リングウォルドとアンソニー・マイケル・ホールは、実際に撮影時16歳の高校生だったが、それ以外の3人はいずれも20代(最年長は25歳のジャッド・ネルソン)である。最初にオファーされたのは、ヒューズ監督が自分の分身として贔屓にしていたアンソニー。モリーは当初アリソン役に予定されていたそうだが、本人の希望でクレア役を演じることになった。エミリオももともとはベンダー役だったが、キャスティングに難航したアンドリュー役を与えられることに。その代わりとして、オーディションで役になりきって臨んだジャッドがベンダー役を任された。ジャッドとアリソン役のアリー・シーディは、その後も『セント・エルモス・ファイアー』(’85)や『ブルー・シティ/非情の街』(’86)でも共演している。それぞれの役柄に自身の一部を投影したというヒューズ監督だが、見ている観客も5人のうち誰かに自分を重ねることが出来るというのも本作の魅力だろう。 ヴァーノン先生役のポール・グリーソンは、『ダイ・ハード』(’88)の居丈高なロス市警副本部長役でもお馴染み。用務員カールを演じているジョン・カペロスは、ロケ地でもあるシカゴの有名な即興喜劇集団セカンド・シティ(出身者はジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、ジョン・キャンディ、マイク・マイヤーズ、キャサリン・オハラなど)のメンバーで、当時は同郷の仲間であるヒューズ監督作品の常連俳優だった。ちなみに、クレアの父親が運転しているBMWはヒューズ監督の私物。ラストシーンではブライアンの父親役として、ヒューズ監督がチラリと顔を見せている。■ 『ブレックファスト・クラブ』© 1985 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2022.10.06
‘80年代青春映画の巨匠ジョン・ヒューズのこだわりが詰まった原点!『すてきな片想い』
平凡なティーンの平凡な日常を鮮やかに描いたジョン・ヒューズ ティーン向けの青春映画が黄金時代を迎えた’80年代のハリウッド。レーガン政権下における経済回復の影響はもちろんのこと、折からのMTVブームを意識して映画と最新ポップスを抱き合わせで売るマーケティング戦略、ショッピングモールに併設された大型シネコンの普及などが功を奏し、当時のアメリカでは若年層の映画観客人口が急速に増加。おのずと若者にターゲットを定めた青春映画が人気を集めるようになった。そうした中から、エイミー・ヘッカリング監督の『初体験リッジモント・ハイ』(’82)やフランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』(’83)に『ランブル・フィッシュ』(’83)、ジョエル・シューマカー監督の『セント・エルモス・ファイアー』(’85)など数々の名作が生まれたわけだが、当時の青春映画を語るうえで絶対に欠かせない映像作家と言えば、間違いなくジョン・ヒューズ監督であろう。 日本ではどうしても『ホーム・アローン』(’90)シリーズの生みの親という印象が強いジョン・ヒューズだが、しかしアメリカでは社会現象にもなった『ブレックファスト・クラブ』(’85)や『フェリスはある朝突然に』(’86)で若者のハートをガッチリと捉え、プロデュースを手掛けた『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』(’86)や『恋しくて』(’87)なども大ヒットさせた’80年代青春映画の巨匠として伝説的な存在。アメリカのどこにでもいる平凡なティーンエージャーたちの平凡な日常を鮮やかに切り取り、思春期ならではの恋愛やセックス、スクールカーストなどの切実な問題を等身大に描いた彼の作品群は、ケヴィン・スミスやジャド・アパトー、アダム・リフキンなど数多くの映像作家たちに多大な影響を与えた。その原点とも言える監督デビュー作が、この『すてきな片想い』(’84)である。 主人公はシカゴ郊外の閑静な住宅街に暮らす高校2年生の女の子サマンサ(モリー・リングウォルド)。16歳の誕生日を迎えたばかりの彼女は、朝から鏡に向かって深いため息をつく。なにしろ、世間で16歳といえば大人への階段をのぼり始める節目の年齢。ところが、鏡には昨日までと何一つ変わらない平凡な自分が映っている。美人じゃないけどブスでもない、学園の人気者でもなければ負け組でもない、成績だって優等生ではないけど落第生でもない、なにもかもが平均値のフツーな私に嫌気がさしていたサマンサは、16歳になれば何かが変わるんじゃないかと期待していたのだが、残念ながら現実はそう甘く(?)なかった。 しかし、それ以上にサマンサがショックだったのは、家族の誰一人として今日が彼女の誕生日であることに気付いていないこと。というのも、明日は姉ジニー(ブランチ・ベイカー)の結婚式。父親ジム(ポール・ドゥーリ―)も母親ブレンダ(カーリン・グリン)も婚礼準備で大忙しだし、イタズラ盛りの弟マイク(ジャスティン・ヘンリー)ははしゃいでいるし、結婚するジニーはやたらとナーバスになっている。もはや誕生日どころの騒ぎではなかったのである。 あー!人生で最悪の誕生日だわ!と朝からご機嫌ななめで登校するサマンサ。そんな彼女にも、実は秘かに意中の男子がいる。1学年先輩の上級生ジェイク・ライアン(マイケル・シューフリング)だ。しかしハンサムで運動神経抜群のジェイクは、文字通り全校女子が恋焦がれる最強のモテ男。そのうえ、美人で大人っぽい学園の女王様キャロライン(ハヴィランド・モリス)という恋人までいる。話しかけるどころか近寄ることさえできない。っていうか、そもそも私の存在すら気付かれていないはず。募る恋心と無力感に悶々とするサマンサだが、そんな彼女に追いうち(?)をかけるのが新入生のオタク男子テッド(アンソニー・マイケル・ホール)だ。 どこから湧き出るのか理解不能な根拠なき自信に満ち溢れ、キザなプレイボーイを気取ってサマンサを口説こうとし、断っても断ってもしつこく言い寄ってくるウルトラKYな童貞少年テッド。同級生の男子ですらガキみたいで嫌なのに、ましてや年下のオタクなんて眼中になし!なんとかテッドの猛アタックをかわし、無事に家へ帰り着いたサマンサだったが、結婚式に参列する父方と母方の祖父母が泊まりに来て家の中は大騒ぎ。そのうえ、祖父母の連れてきた中国人留学生ロン(ゲディ・ワタナベ)にベッドを取られて居場所がない。そこで彼女は参加を迷っていた学校のダンスパーティへ行くことに。親友ランディ(リアン・カーティス)と落ち合ったサマンサだったが、しかし相変わらずテッドはしつこいし、目の前でジェイクとキャロラインのチークダンスを見せつけられるしと良いことなし。ところが、そのジェイクが実は自分のことを気にしているらしいとテッドから聞いたサマンサは、なんとか勇気を奮い起こして彼に話しかけようとするのだが…? ‘80年代ティーン・アイドルの女王モリー・リングウォルド ということで、16歳の誕生日を迎えた多感な少女の目まぐるしい1日を描いた小品。ノリとしては、当時人気だった『初体験リッジモント・ハイ』や『ポーキーズ』(’80)などの青春セックス・コメディの延長線上にあるものの、しかしそれらの多くが男性ホルモンを持て余したエッチな童貞男子のドタバタ騒動を描いていたのに対し、本作では未熟だが繊細で思慮深い普通のティーン女子を主人公に据えることで、恋愛やセックスに揺れ動く思春期の少女の精神的な成長にフォーカスした瑞々しい青春ロマンティック・コメディへと昇華している。 キラキラとは程遠い平凡で退屈な学園生活。もう子供ではないけれど、かといってまだ大人でもない。それゆえ、学校でも家庭でもどことなく居心地が悪い。中途半端で宙ぶらりんな自分自身や周りの環境に不満を抱き、年上のイケメン男子との恋愛に憧れを抱きつつ、しかし一歩を踏み出すような勇気もない。そんなシャイで自己肯定感低めな主人公サマンサの心情に寄り添いながら、なにも急いで焦って大人になる必要などない、ありのままのあなたで十分に魅力的なのだから、それを理解してくれる相手がいずれきっと現れると、むしろ彼女のコンプレックスである平凡さや未熟さを肯定する。当時の青春映画に出てくるヒロインと言えば、ニューヨークやロサンゼルスなどの大都会に住む「自由奔放で進んだ女の子」が定番で、なおかつティーン女子を主人公にした青春映画そのものがまだ希少だったことを考えれば、これは極めて画期的かつ革命的なヒロイン像だったと思うし、ある意味で『JUNO/ジュノ』(’07)や『レディバード』(’17)、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(’18)などの等身大ヒロインの先駆者だったとも言えよう。 そんな主人公サマンサを演じているのが、撮影当時まだ15歳の女子高生だったモリー・リングウォルド。彼女に惚れ込んだジョン・ヒューズ監督が、モリーの主演を大前提に脚本を書いたというだけあって、これ以上ないくらいの当たり役だ。とびぬけた美人ではないし愛嬌があるとも言えないけれど、ちょっと可愛くて芯が強そうで聡明な女の子。このフツーっぽさが実にいい。これを機に彼女はジョン・ヒューズ映画のミューズとして、『ブレックファスト・クラブ』や『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』にも主演。フィービー・ケイツやダイアン・レインなどの美形スターが人気だった日本ではイマイチだったと記憶しているが、アメリカではリングレッツと呼ばれる同世代の熱狂的ファンが急増し、’80年代のユース・カルチャーを象徴するティーン・アイコンとなった。 そもそも本作は、現実のリアルなティーン像に限りなく近い登場人物と、彼らを活き活きと演じるフレッシュなキャストの魅力に支えられている部分が大きい。世の東西を問わずティーン映画のキャラクターと言えば、実際には10代ではない大人の役者が演じるというのが定石だが、本作はジェイク役のマイケル・シューフリングとキャロライン役のハヴィランド・モリス、ロン役のゲディ・ワタナベなど一部を除いて、大半の高校生役を本物の高校生たちが演じている。シカゴ近辺の高校から大量にエキストラが募集され、その中には後に青春映画『デトロイト・ロック・シティ』(’99)を撮るアダム・リフキン監督も含まれている。 劇中で細長のニューウェーブ・サングラスをかけている男子が幾度となく出てくるが、あれが高校生時代のアダム・リフキン。当時すでに映画監督志望だった彼は、ヒューズ監督に頼み込んで非公式の製作助手を務め、映画撮影のノウハウを実際に見て学んだのだそうだ。そのリフキン曰く、当時30代だったヒューズ監督も中身は男子高校生そのままで、撮影の合間にはエキストラの高校生たちと一緒になってはしゃぐくらい溶け込んでいたという。だからこそ、彼の描くティーン像に作り物ではない説得力があったのかもしれない。 そのヒューズ監督が自分自身を投影したとされているのが、恋愛やセックスの知識だけは豊富な頭でっかちの童貞オタク少年テッドである。意中の年上女子サマンサに正面から猛アタックし、何度撃沈してもへこたれない強靭な精神力(?)の持ち主。その空気の読めなさと根拠のないビッグマウスには呆れるばかりだが、しかし物語がどんどんと進むにつれて、それが本質的な自信のなさの裏返しであることが分かってくる。彼もまた、早く大人になりたくて焦っているのだ。しかも、異性やセックスに興味津々な年頃。普段から男性ホルモン過多なオタク仲間たちに御高説を垂れているがゆえ、サマンサをモノにしないとメンツが立たない。ホモソーシャルな空間における男らしさのマウント合戦というのは、一般的な青春映画だと学園の花形であるジョック(体育会系男子)・グループの特性として描かれがちだが、本作では負け犬のオタク男子グループも何ら変わらないことが示唆される。 そういう意味で興味深いのは、そのジョック・グループの頂点に君臨する学園のイケメン・キング、ジェイクが、実際は真面目で理知的で繊細な若者として描かれていることだろう。学校で一番のモテ男という立場もあって、女子で人気ナンバーワンのパーティガール、キャロラインとなんとなく付き合ってはいるものの、本音では地に足の付いた真面目なフツーの女の子とフツーの恋愛がしたい。それゆえ、実はサマンサのことが前から気になっているのだが、複雑な女心をいまひとつ理解していないため、視線を合わせるとドギマギして目を逸らしてしまうサマンサのリアクションに戸惑ってしまう。この相思相愛な2人の些細なすれ違いが、なんとも微笑ましいというかヤキモキするというか(笑)。 もちろん、テッド役のアンソニー・マイケル・ホール、ジェイク役のマイケル・シューフリングというキャスティングも抜群に良い。特にモリーと同じく撮影当時15歳だったアンソニーの絶妙な挙動不審ぶりときたら!今ではすっかりコワモテのマッチョガイになったアンソニーだが、当時はまだあどけない顔立ちでガリガリ&ヒョロヒョロのモヤシっ子少年。もともと彼はジョン・ヒューズが脚本を手掛けた『ホリデーロード4000キロ』(’83)からの付き合いなのだが、本作を機にヒューズ監督作品の常連スターとなった。一方のマイケル・シュールフィングはこれが映画初出演だった元ファッションモデル。キャスティング・ディレクターのジャッキー・バーチによると、本人もジェイクと同様にシャイで控えめな好青年だったそうで、『ビジョン・クエスト/青春の賭け』(’85)や『恋する人魚たち』(‘90)などで順調にキャリアを重ねたが、しかし映画界の水が合わなかったらしく突然引退。木製家具の職人になったそうだ。 全編を彩るポップ・ソングの数々にも要注目! 脇役キャラで特に印象的だったのは、おかしな英語を喋る変わり者の中国人留学生ロン。演じるゲディ・ワタナベは日系人俳優だが、生まれも育ちもユタ州という生粋のアメリカ人。もちろん英語はペラペラで、むしろ中国語はおろか日本語すら喋れないらしく、ロン役のキャラ作りにはバイト先の友だちだった韓国人を参考にしたという。一部ではアジア人のステレオタイプをバカにしていると批判されがちな役柄だが、これが実に愉快でチャーミング。ダンスパーティで知り合った巨体マッチョ女子マーリーン(デボラ・ポラック)との、文字通り破壊力抜群なラブラブぶりも楽しい。ちなみに、劇中では身長差のある凸凹カップルのロンとマーリーンだが、実は演じるゲディとデボラは同じくらいの身長。なので、撮影の際にはデボラが木箱の上に乗ったり、つま先立ちをしながら演じたのだそうだ。 一方、サマンサの家族を演じるのは名のあるベテラン俳優たち。父親役にはロバート・アルトマン作品に欠かせない名脇役ポール・ドゥーリ―。母親役のカーリン・グリンはトニー賞の主演女優賞に輝くブロードウェイの名女優で、ジョン・ヒューズ製作の『恋しくて』でブレイクしたメアリー・スチュアート・マスターソンの実母だ。祖父母役にはアメリカ人なら誰もが知る往年のバイプレイヤーが勢揃い。中でもお色気ムンムンでちょっとズレ気味な母方の祖母ヘレンを演じるキャロル・クックは、あのアメリカン・コメディの女王ルシール・ボールの愛弟子にして秘蔵っ子だったコメディエンヌだ。 そのほか、テッドの子分ブライスには撮影当時17歳のジョン・キューザック、その姉ジョーン・キューザックも首にハーネスを付けたオタク女子役で登場。2人ともロケ地シカゴの出身で、ジョンはアダム・リフキン監督のクラスメートだった。キャロラインの取り巻き女子ロビンを演じているジャミー・ガーツは、その後『クロスロード』(’86)や『レス・ザン・ゼロ』(’87)などで青春映画スターとなったが、彼女もまたシカゴ出身でキューザック姉弟やリフキンと顔馴染みだったという。サマンサの生意気な弟マイクには、『クレイマー・クレイマー』(’79)で有名になった子役スター、ジャスティン・ヘンリー。また、『ポルターガイスト』(’82)シリーズの霊媒師役でお馴染みのゼルダ・ルービンシュタインが、結婚式場のコーディネーター役で顔を出している。 そして、『すてきな片想い』を語るうえで欠かせないのが音楽。ジョン・ヒューズ監督自身が大のポップ・ミュージック・マニアで、彼の作品では必ず音楽が大きな役割を果たしているのだが、本作ではなんと合計で32曲ものポップ・ソングが全編に渡って散りばめられている。全米にサントラ・ブームが吹き荒れた’80年代。若者向けの映画に人気アーティストの楽曲を盛り込むのは定番だったが、しかしこれだけ多くの楽曲を使用した映画は他になかなかないだろう。オープニングで流れるカジャグーグーを筆頭に、ビリー・アイドルにワム!、トンプソン・ツインズ、パティ・スミス、ナイト・レンジャー、デヴィッド・ボウイ、ニック・ヘイワード、オインゴ・ボインゴ、ポール・ヤングなどなど、UKニューウェーヴからアメリカン・ロックまで幅広いアーティストのナンバーが選曲されている。そもそも、主人公のサマンサ自身が、自室にカルチャー・クラブやストレイ・キャッツのポスターを貼っているくらいの音楽好きである。ダンスパーティのチークタイムに流れるスパンダー・バレエの名曲「トゥルー」は特に印象的だ。 ジョン・ヒューズ監督と共にこれらのBGMを選曲したのが、後にインタースコープ・レコードの創業社長となるミュージック・スーパーバイザーのジミー・アイオヴィーン。ブルース・スプリングスティーンやパティ・スミス、スティーヴィー・ニックス、U2などのプロデューサーとしても有名なアイオヴィーンは、本作のためのオリジナル・ソング2曲もプロデュースしている。それがアニー・ゴールデンの「Hang Up The Phone」とストレイ・キャッツの「16 Candles」。「Hang Up The Phone」は60年代のガールズ・グループを意識した作品だったため、ザ・ロネッツやザ・シャングリラスのヒット曲を書いた女性作曲家エレン・グリーンウィッチに相談したところ、当時エレンの伝記ミュージカル「The Leader of the Pack」の舞台に主演していたアニー・ゴールデンを紹介されたという。一方の「16 Candles」は往年のドゥーワップ・グループ、ザ・クレスツが’58年にヒットさせた名曲のカバーで、当時ドゥーワップ風のシングル「I Won’t Stand in Your Way」が話題となっていたストレイ・キャッツに白羽の矢が立てられたのだそうだ。 また、テッドが最初に登場するシーンでは『ドラグネット』、自宅に戻ったサマンサが祖父母と遭遇するシーンでは『ミステリー・ゾーン』、オタク男子たちが群れを成すシーンでは『ピーター・ガン』といった具合に、懐かしのテレビ・ドラマのテーマ曲がキューサウンドとして使用されるなど、音楽にも細部までこだわりが詰まっている。かつてのビデオ発売時には著作権問題でBGMが一部差し換えられ、ファンから大ブーイングを喰らったこともあるが、現在ではライセンスもすべてクリアして元通りになっている。ジョン・ヒューズ映画では、音楽もまた重要なメイン要素のひとつなのだ。■ 『すてきな片想い』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2015.05.15
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年6月】にしこ
『フェリスはある朝突然に』で観る人全てをフェリス・ビューラー気取りにさせたあのジョン・ヒューズ監督が贈る、「ここまでやりますか!」的大災難トホホのちじんわりあたたかムービーの傑作であります。『大災難P.T.A.』の「P.T.A」はあれです。「Parent Teacher Association」ではありません。原題は「PLANES, TRAINS & AUTOMOBILES」。主人公2人(主にスティーヴ・マーティン)が家までたどり着くまでに使う交通手段です。飛行機でも電車でも車でもたどり着けないほどの大災難!!その全てをあなたは目撃する!感謝祭の2日前、エリート広告代理店マンのニールはクライアントへのプレゼン終わり、シカゴの家へと飛行機で帰ろうと必死。やっとの思いでタクシーを捕まえたと思ったら、巨漢の男にタクシーを横取りされてしまう。はらわたが煮えくり返る思いでなんとか飛行機に乗ったものの、ファースト・クラスの予約は感謝祭の混雑の為キャンセルされ、「席があるだけありがたく思え」とばかりにエコノミーに送られる。さらに追い打ちをかける様に、隣のシートにはタクシーを奪った憎き巨漢の男が!この巨漢の男を演じるのが70年代から90年代までのアメリカン・コメディの象徴でもあったジョン・キャンディ。あのいかにも「気が良くて」「がさつで」「厚かましい」感じのルックス通りのキャラクター、デルをこの映画でも演じています。スティーヴ・マーチン演じるちょっと神経質なニールの神経を逆なでしまくりイラつかせまくりの90分強。そう、デルこそニールに起こった「大災難」なのです。「アメリカのコメディって日本人にはちょっと大げさすぎるっていうか…」という方も食わず嫌いをせずにぜひご覧ください。今や当代一のコメディアン、スティーヴ・マーティンはいかにも日本人好みする「やりすぎない面白さ」の達人ですし、熊の様な体躯に愛くるしい目で申し訳なさそうにスティーヴ・マーティンをみるジョン・キャンディの姿はなんともほほえましい。果たして2人は無事家にたどり着く事が出来るのか!?ちょっとした秘密と押し付けがましくない感動があなたを待っています!!ジョン・キャンディは1994年に心臓発作で急逝してしまいましたが、ご存命だったらぜひまたこの2人の珍道中が観てみたかったなぁと強く思う次第です。 TM & Copyright © 2015 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. All rights reserved.