COLUMN/コラム2021.08.04
中国伝統の水墨画をモチーフにしたチャン・イーモウ監督の傑作武侠アクション『SHADOW/影武者』
巨匠にとって名誉挽回のチャンスだった…?
中国映画界の巨匠チャン・イーモウが放った武侠アクション映画の傑作である。処女作『紅いコーリャン』(’87)でベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得して以来、数々の名作で世界中の映画祭を席巻してきたチャン・イーモウ。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と女優賞(コン・リー)に輝いた『秋菊の物語』(’92)や、チャン・ツィイーを一躍トップスターへと押し上げた『初恋のきた道』(’99)など、チャン・イーモウ監督といえば中国の田舎を舞台にした素朴でノスタルジックな作品を思い浮かべる映画ファンも多いと思うが、しかしカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した『活きる』(’94)や『妻への家路』(’14)では中国の近代史をヒューマニズムたっぷりに振り返り、『キープ・クール』(’97)や『至福のとき』(’00)では変わりゆく現代中国を独自の視点で見つめるなど、実のところ30年以上に渡る長いキャリアで多彩な作品群を手掛けてきた。
中でもチャン・イーモウ監督作品のイメージを大きく変えたのが、大胆なワイヤー・アクションと鮮烈な色彩の洪水が圧倒的だった武侠アクション映画『HERO』(’02)と『LOVERS』(’04)。ハリウッド映画にも負けないエンタメ性と中国の伝統文化に根差す芸術性を兼ね備えた両作は、従来のファンからは賛否両論ありつつも、映像作家として同監督の懐の深さを広く知らしめたと言えよう。
しかしその一方で、本格的なハリウッド進出作となった米中合作『グレート・ウォール』(’16)は、巨額の製作費を投じただけの空虚なB級モンスター映画となってしまい、「チャン・イーモウよ、一体どうしてしまった!?」と悪い意味で驚愕させられた。7500万ドルの赤字を出したとも言われる同作は、中国国内の映画レビューサイトでも低評価を受けて物議を醸すことに。その輝かしいキャリアに大きなミソを付ける形となったわけだが、そんなチャン・イーモウ監督が見事に汚名を挽回した会心の作が、久々の武侠アクション映画となったこの『SHADOW/影武者』(’18)である。
策士たちの思惑に翻弄される影武者の運命とは?
※下記あらすじにおける()内の平仮名は漢字の読み、カタカナは俳優の名前
時は戦国時代。度重なる戦や権力抗争で命の危険に晒された王侯貴族は、密かに「影」と呼ばれる身代わりを仕立てていた。影たちは命を懸けて主君に仕えたものの、しかしその存在が歴史の記録に残されることはなかった。これはそんな時代に生きた影武者の物語。中国南部に位置する弱小の沛(ぺい)国は、強大な炎国に領土の一部・境(じん)州を奪われながらも、その屈辱に甘んじて休戦同盟を結んだ。
それから20年後、境州の奪還を強く主張する沛国の重臣・都督(ダン・チャオ)は、境州を統治する炎国の楊(やん)将軍(フー・ジュン)に独断で決闘を申し込み、あくまでも現状維持を望む享楽的な若き国王(チェン・カイ)の逆鱗に触れる。とはいえ、相手は民衆からも宮廷内からも人望が厚い英雄・都督。さすがの国王でもぞんざいに扱うことは出来ない。そのため、国王は琴の名手でもある都督と妻・小艾(しゃおあい/スン・リー)に演奏を命じてお茶を濁そうとするが、しかし都督は「境州を取り戻すまで琴は弾かない」と頑なに断るのだった。
というのも、実は国王の目の前にいる都督は影武者だったのである。8歳の時に母と生き別れ、彷徨っているところを都督の叔父に拾われた彼は、たまたま都督と瓜二つだったことから影武者として育てられたのだった。1年前に受けた刀傷が原因で病を患ってしまった都督は、その事実を隠すために自らは屋敷の秘密扉から通じる地下洞窟へ身を隠し、その代わりに影武者を立てて周囲を欺いていたのである。この事実を知っているのは、都督と影武者そして妻・小艾の3人だけだった。
都督の描いた筋書き通りに動く影武者は、国王に自らを厳罰に処するように求め、官職を剝奪されると「一介の民」であることを理由に楊将軍との決闘へ赴くことを宣言する。これはあくまでも私と楊将軍との問題であり、国王も沛国も関係ないというわけだ。しかし、都督は楊将軍との決闘を口実に敵陣へ攻め入り、境州を奪還して自らが沛国の王となることを画策していた。そのために100人もの囚人たちを軍隊として鍛え、小艾のアイディアによって傘の戦術を編み出す。これは鋼で作られた鋭利な傘を武器に、女体のごとき柔らかな動きで楊将軍や炎国軍の豪快な剣術に対抗しようというのだ。
しかしその一方で、都督の動きをけん制するように国王も動き始めていた。楊将軍に使者を遣わした国王は、実の妹・青萍(ちんぴん/クアン・シャオトン)と将軍の息子・平(ぴん/レオ・ウー)を政略結婚させ、両国の休戦同盟をより強固なものにしようとする。ところが、相手方からの返答は「姫を側室に迎える」という屈辱的なものだった。それでも国益のため受け入れようと考える国王。だが、その裏にはうつけものを装った国王の狡猾な策略があった。かくして迎えた決戦の時。炎国の大軍が待ち受ける境州の関所へ向かった影武者だったが…?
手作りの職人技にこだわった圧倒的な映像美
真っ先に目を奪われるのは、まるで中国の伝統的な水墨画の世界を思わせるスタイリッシュなモノクロの世界。しかもこれ、モノクロで撮影されているわけではなく、美術セットから衣装まで全て白と黒のモノトーンで染め上げられているのだ。赤を基調とした初期の「紅三部作」を筆頭に、鮮やかな色彩を効果的に使ってきたチャン・イーモウ監督だが、本作はまさしく逆転の発想。しかも、この作品全体を統一する白と黒の対比は、そのままストーリーの光と影、登場人物たちの表と裏、そして都督と影武者の主従関係を象徴するメタファーとなっている。この野心的かつ革新的な映像美だけを取っても、チャン・イーモウ監督の本作に賭ける意気込みや覚悟のようなものが如実に伝わってくることだろう。
さらに、監督は劇中で使用する衣装や小道具など全てにおいて、中国の素材を使って中国の職人が手作業で作り上げる「職人技への回帰」を標榜。デザインに関しても「中国の伝統」に徹底してこだわり、韓国や日本を感じさせるような要素は全て排除されたという。中でも、兵士たちの鎧や甲冑、鋼の刃を仕込んだ傘などのデザインのカッコ良さにはゾクゾクとさせられる。
もちろん、その傘を使用した終盤の大規模な合戦アクションも素晴らしい。雨の降りしきる中、敵陣の町へと潜入した100名の囚人部隊が、グルグルと回る傘で身を守りながら坂道を滑り降り、周辺を取り囲む敵軍に刃を飛ばしていくシーンは、過去のどんな映画でも見たことのないような奇策に思わず興奮してしまう。よくぞ考え付いたもんですよ。楊将軍との対決で影武者が披露する、ダンスのように華麗な武術技もお見事。ワイヤーやCGなどをなるべく使わず、リアリズムにこだわったスタントは「本物」ならではの迫力と緊張感だ。実際、撮影に使用された特製の傘は切れ味が鋭く、一歩間違えば大怪我をする可能性もあったという。ある意味、俳優やスタントマンも命がけだったのである。
ちなみに、本作の元ネタとなったのは『三国志』に出てくる荊州争奪戦。製作総指揮を務めるエレン・エリアソフがチャン・イーモウ監督に持ち込んだオリジナル脚本は、『三国志』をかなり忠実に脚色した内容だったそうだが、しかしチャン監督はそのままではつまらないと考え、以前から興味を持っていた「影武者」をテーマに大胆なアレンジを施した。ロケ地には荊州と同じ中国南部の湖北省をチョイス。これまでの『三国志』の映像化作品は、荊州争奪戦を北部の乾燥した地域で撮影することが多く、雨や霧の多い荊州とは全く環境が異なっていたからだ。これまたチャン監督が目指したリアリズムのひとつ。終盤の舞台となる町の巨大セットは6ヶ月かけて建設され、沛国の囚人部隊が水中へ潜って敵陣へ乗り込むシーンでは、375トンの水を張った巨大プールが用意されたという。撮影チームは総勢1000人近く。紛うことなき超大作だ。
主人公の影武者と都督をひとりで演じ分けたのが、チャウ・シンチー監督の『人魚姫』(’16)にも主演した中国のトップ俳優ダン・チャオ。これまでアクション映画の経験があまりなかった彼は、およそ2ヶ月に渡る筋トレと食事で体重を72kgから83kgへと増やし、筋骨隆々とした肉体を作り上げたという。そのうえで1日6時間のアクション・トレーニングを4か月間続け、まずは先に影武者のシーンを撮影した。それが終わると今度は、食事制限によるダイエットを行い、5週間で体重を20kg落とすことに成功。病で肉体の衰えた都督を演じたわけだが、ダン自身も過度なダイエットのせいで体力が減退してしまい、撮影中にたびたび低血糖で倒れてしまったらしい。まさしくデ・ニーロやクリスチャン・ベールも真っ青のメソッド・アクティング。しかも都督に瓜二つの顔をした影武者と、別人のように老け込んでしまった都督を、一人二役で演じるというややこしさ。これだけの難役を、よくぞこなしたものだと感心する。
なお、本作は台湾の映画賞・金馬奨で最優秀監督賞や最優秀美術賞など4部門を獲得し、ジャンル系映画の殿堂サターン賞でも最優秀国際映画賞など4部門にノミネート。これによって、チャン・イーモウ監督は『グレート・ウォール』で傾きかけた信頼と名声を取り戻すことに成功した。■
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