検索結果
-
COLUMN/コラム2014.08.06
『ダウンタウン物語』『バーディ』〜普通とは「違った世界」を見せてくれる監督、アラン・パーカーによる、二つの映画
『小さな恋のメロディ』(71年)の原作・脚本者であるアラン・パーカーは、そんな大好きな監督だ。彼の作品にはいつも普通とは「違った世界」を見せられる思いがした。『ミッドナイト・エクスプレス』(78年)、『フェーム』(80年)、『バーディ』(84年)、『ミシシッピ・バーニング』(88年)、『ザ・コミットメンツ』(91年)とぼくの中で永遠不滅の大傑作が5本もある。思えば、彼の作品を一生かけて追いかけてきた。 このたびザシネマで、『ダウンタウン物語』と『バーディ』が放映されるという。それぞれの見どころを指摘しておこう。 『ダウンタウン物語』(76年)は、禁酒法時代のニューヨークのダウンタウンを舞台に2つのギャング団の抗争を描いたミュージカル映画だ。日本映画の大傑作『用心棒』(61年)のような話なのだ。ところが、出演しているのは全員13歳以下の子どもで、20世紀初頭のファッションに身を包んだ彼らがパイ投げマシンガンを乱射しギャングを演じている。公開当時14歳(撮影時13歳だった)のジョディ・フォスターが妖艶な歌姫を演じていて、話題になった。『アリスの恋』(74年)や『タクシードライバー』(76年)で子役として有名になったフォスターは、当時映画雑誌の花形だった。どこかの雑誌のインタビュ―記事で、愛読書を訊かれた彼女の答えは「ジャン=ポール・サルトルの『自由への道』」だった。1歳年上の筆者はあわてて、『水いらず』など、サルトルの実存主義小説の著作を読み出したのはいうまでもない。 ミュージカル映画的な側面もあるが、ミュージカル仕立てのナンバーはちと弱いと思う。『アニー』の「トゥモロー」のように、胸に迫らないのは事実である。とはいえ、銃撃戦もカーチェイスも、観客を飽きさせない凝った演出がなされており、学芸会的な芝居になりそうな内容を、ひたすらエンターテイメント性を持たせているのは好材料だ。 最後はみんなでパイ投げをする。これが両陣営入り乱れてのパイ投げ合戦で、ひたすら楽しい。大人を演じていた子どもたちは見る見るパイだらけになり、いつしか本来の子どもの笑顔に戻り、「仲良くなろう!」とストーリー的に大団円を迎える。これは、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(63年)のラスト、完成版からカットされたアメリカ合衆国国防総省の作戦室で行うパイ投げ(キューブリック監督の写真集にこの模様は取り上げられている)と非常に似ているのだ。キューブリック監督は、スニークプレビュー(覆面試写会)の観客の反応と、「これは喜劇(コメディ)ではなく、笑劇(ファース)だ」という理由でカットしたというが、背後にはジョン・F・ケネディ暗殺事件(63年11月22日)の影響もあるのだはないか。キューブリック監督はロンドン郊外のパインウッド撮影所を本拠地にしているが、『博士の異常な愛情』のラストのパイ投げの噂が、ロンドンで活躍するパーカー監督の耳に届いたとも十分に考えられるのだ。 『バーディ』(84年)は、カンヌ国際映画祭の審査員特別賞受賞作である、心に響く友情物語だ。公開当時大学を出たての筆者は、とある雑誌で御巣鷹山の日航機墜落事件を追っていて、完全に精神的な鬱病になり、主人公バーディ(マシュー・モディーン)とアル(ニコラス・ケイジ)のどちらにも共感して観ることができた。もちろん、傷をなめてくれるような、こういう友達がほしかったのである。 簡単に書くと、ウィリアム・ワートンの原作をもとに、ベトナム戦争のショックで精神科病院に入れられて、頑なに自らの幻想に心を閉ざしている青年バーディと、彼を立ち直らせようとする、同じくベトナム負傷兵の青年アルの心の交流を、鳥になることを夢見るバーディの幻想を交えて描いたヒューマンドラマである。 ピーター・ゲイブリエルによる音楽も素晴らしい。過去のアルバムに収録された既成曲が中心だが、的確に選び出された楽曲は全てのシーンで見事にフィットし、映像と一体になって観る者の心に迫ってくる。終盤、現実を逃避して鳥になったバーディが、自由に空を羽ばたく視点のショットはまさに圧巻。これは、最近では『海を飛ぶ夢』(04年)でも使われた演出手法だが、より必然性がある『バーディ』の方が遥かに印象的で胸に迫ってくる。 映画の基本イメージは、精神科病院の一室で、バーディに向かって話しかけるアルである。しかし、バーディの心にはアルの言葉は届かない。裸で部屋の隅に隠れ、ただ窓から空を見上げるだけ。苛立つアル。そうした出口の見えない現代のシーンの合間に、物語は一気に2人の過去へのフィードバックする。2人の出会いからベトナムへ向かうまでが丹念に描かれ、同時にベトナムで精神的に傷つくシーンまで丁寧に描かれる。このあいだのリッチー・バレンスの「ラ・バンバ」が彩るフィラデルフィアでの青春を謳歌する2人がすこぶる楽しい。巨乳の女の子に興味を持ち、そのおっぱいを触ることが目的なのだ、 鳥が大好きで、鳥とともに暮らし、自らも空を飛ぼうとし、鳥になることを夢想していたバーディは、本当に何を思っているのか。バーディの心を開かせることができないアルも、次第に追いつめられていく。 バーディとアルの叫びをとことん感じてほしい。ベトナムで傷ついた2人のやりきれない思いと閉塞感で観ている我々は心を痛めることになるが、自由に生きたいと願うバーディに共感し、バーディを正気に戻したいと願うアルにも共感できるはずだ。そして、人から必要とされる喜びも感じることができるだろう。ここまで誰かが誰かを想うことの尊さを素直に自分の中にとりいれて感動できる作品もめずらしいのだ。 だが、途中でバーディーがしでかす奇天烈な行動もクスッと笑えるので、暗いばかりの映画ではない。戦争という悲惨な現実と精神を病むという重いテーマを取り入れた作品なのに、観た後に爽やかな気持ちになれる、救いのある映画である。 2時間のドラマはもちろんスゴいが、それに輪をかけて深い余韻を残すラストシーンがすばらしい。バーディとアルの性格づけが違うのもいい。アルは「彼は俺の一部なんだ」というセリフにジーンとくれば、「何だ?」といい返すバーディ。それから畳みかけるような、全体的に重苦しい雰囲気を一掃するラストには唸った。もはや「やられた!」としかいいようのないラストなのだ。 まったく最後までお騒がせな鳥男(バ—ディ)である。■ © 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2014.03.30
2014年4月のシネマ・ソムリエ
■4月5日『ダウンタウン物語』 登場するすべてのキャラクターを、平均12歳の子役たちが演じたミュージカル風のギャング・コメディ。名匠A・パーカーの軽妙な語り口が光る劇場デビュー作である。 禁酒法時代のニューヨークの雰囲気を本格的なセットで再現。才人、ポール・ウィリアムズ作曲による歌とダンス、パイ弾を放つマシンガンなどの小道具も楽しい! キャストで圧倒的な存在感を放ったのは撮影時13歳のJ・フォスター。にぎやかな抗争劇のさなか、主人公バグジー・マローンが出入りする酒場の歌姫を妖艶に演じた。 ■4月12日『バンテッドQ』 鬼才テリー・ギリアムのイマジネーションが炸裂するファンタジー。孤独な11歳の英国人少年が自宅の寝室に突如現れた6人の小人に導かれ、時空を超えた冒険に旅立つ。 ナポレオン、海坊主、悪魔らのキャラクターが次々と登場し、奇想天外な逸話が脈絡なく展開。その理屈を超越した馬力とスラップスティックなギャグに引き込まれる。 英国流のブラックな味わいの作風は、ハリウッド製ファンタジーとは異質の面白さ!アガメムノン王ともうひと役を演じるS・コネリーの出演シーンもお見逃しなく。 ■4月19日『サン★ロレンツォの夜』 ドイツ軍占領下のトスカーナ地方を舞台にした戦争ドラマ。イタリアのタヴィアーニ兄弟が幼少期の体験を基に撮った、カンヌ国際映画祭・審査員特別賞受賞作である。 物語の背景となるのは、1944年にサン・ミニアートの大聖堂で起こった虐殺事件の史実。ドイツ軍が街を爆破して撤退を図るなか、危険を感じた市民の脱出劇が展開する。 幼い純真な少女の視点をとり入れた映像世界には、素朴なユーモアや魅惑的な詩情が漂う。戦時下の痛切な悲劇を寓話へと結実させ、胸に染み入る感動を呼ぶ一作だ。 ■4月26日『バーティ』 鳥をこよなく愛し、空を飛ぶことに憧れる風変わりな青年バーディとその親友アル。共にベトナム戦争で心身に傷を負って帰還した若者たちの友情を描く感動作である。 1970?80年代に量産された“ベトナム後遺症”ものの1本だが、青春映画としてのみずみずしさは絶品。デビュー間もない主演俳優2人のナイーブな演技も好感度高し! 多彩なジャンルの傑作を放ったA・パーカー監督が鮮烈なイメージを創出。裸のバーディを“籠の中の鳥”に重ねた場面や、鳥の眼差しを表現した空撮シーンが印象深い。 『ダウンタウン物語』© National Film Trustee Co Ltd 1976 『バンデットQ』© Handmade Film Partnership 1981 『サン★ロレンツォの夜』©1983 RAIUNO/Ager Cinematografica Srl. Licensed by SACIS-Rome-Itary.All Right Reserves 『バーディ』© 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2008.07.28
【珍説明 歴シネマB】『メンフィス・ベル』という戦争美談について思う
映画『メンフィス・ベル』は、第二次大戦中の美談を描いている。実話が、下敷きになっていると聞く。このメンフィス・ベルとは、戦時中、アメリカ陸軍航空軍に所属していた1機のB-17爆撃機につけられたニックネームである。イギリスにあった基地から飛び立ち、敵国ドイツを空襲する任務についていた。その機に乗り込んだ、個性的な、しかしごくごく普通のアメリカ青年たちのドラマを描いた青春群像劇である本作を、当チャンネルでは8月15日の終戦の日にお届けする。■1943年、すでにメンフィス・ベル号は幾度もの作戦に参加しており、あと1回でクルーは退役、帰国が許される。しかし、この最後の作戦は熾烈をきわめ、友軍機は敵の対空砲火の弾幕や迎撃戦闘機の襲来で、次々に撃墜されていく。 早く作戦を終わらせてイギリスの基地に帰投したい。そうすれば故郷アメリカに帰れるのだ。だが、死線を越えて到達した爆撃目標のドイツ軍需工場上空は、運悪く、雲に閉ざされていた。標的を目視確認できない。目標ちかくには民家や学校があるが、そんなことに構ってぐずぐずしていたら命取りになるかもしれないのだ。とっとと爆弾を投下して引きあげたい。早く終わりにしたい。死にたくない…。その誘惑は強烈だったが、物語の主人公であるアメリカの青年たちは、踏みとどまる。目標上空を旋回し、危険を承知で雲が切れるのを待つ。無辜のドイツ市民を戦火に巻き込む訳にはいかない、という良心に基づいて。米軍の戦略爆撃は、当初、この映画で描かれるような白昼の精密爆撃であった。あくまで敵国の産業基盤や交通の要衝をピンポイントで狙ったのである。敵国の市街の住宅地を爆撃し、老若男女の一般市民を無差別に殺戮するような非道な真似を、米軍はしなかった。米軍は、日本陸海軍の重慶爆撃やナチスのコンドル軍団によるゲルニカ空襲、さらには同盟国であるイギリス王立空軍によるドイツ都市への無差別爆撃に対してさえ、つねに批判的であった(無論、大編隊が爆弾を湯水のように使う“数撃ちゃ当たる”戦法より、少数部隊が数発の爆弾で目標を過不足なく破壊する方が経済的だ、という打算もあったが)。映画『メンフィス・ベル』で描かれるのは、このアメリカの良心、このアメリカの正義である。たしかに、彼らの良心、彼らの正義は、見る者の胸に熱いものをこみ上げさせずにはおかない。実話だというこの美談にふれて、さわやかな感動にひたる。目がしらを熱くする。それこそが、この映画本来の鑑賞法であるには違いない。だが、映画で描かれた時代のわずか1年半後である1945年、すなわち大戦末期、アメリカは、その良心と正義を、捨てる。米軍もついに、無差別絨毯爆撃に手を染めるのである。その歴史的事実も知った上で、我々日本人は、映画『メンフィス・ベル』を鑑賞すべきだろう。■アメリカにはアメリカの言い分もあった。精密爆撃では大した戦果があがらなかったし、また、映画でも描かれている通り、昼間の作戦では自軍の損害も甚大だった。 だから夜間、敵国の市街の住宅地を爆撃し、老若男女の一般市民を無差別に殺戮することで、敵の戦意をくじき、国土を焦土にして戦争継続を不可能ならしめるしかない、との結論にいたったのだ。映画『メンフィス・ベル』の主人公たちが敵国市民の生命に危険を及ぼすまいとした命がけの努力は、実は徒労だったのである。死ぬ思いで良心を守り抜いた彼らこそ、いい面の皮だろう。1945年2月、ドイツの歴史ある都市ドレスデンは瓦礫の山と化し、何万とも十何万とも知れない人々が殺された。これは無差別爆撃の先達である英国王立空軍と、“ルーキー”アメリカ陸軍航空軍との合同作戦だったが、翌3月の東京大空襲は、米軍単独の作戦であった。米軍は、木造家屋が密集する日本の都市に対し絶大な威力を発揮するだろう「E46集束焼夷弾」をわざわざ開発した。これは爆弾ではなく、“束にした数十本の火炎瓶”のようなものである。投下すると空中で束がほどけ、数十本がバラバラに火の雨のように広範囲に降り注ぎ、それぞれが地上に着弾すると破裂し、中身のネトネトの油脂が燃えさかりながら四方八方に飛び散るのである。ネトネトと粘度がある油だけに、水をかけた程度では容易に鎮火しない。これを、「火が簡単に燃え広がりそうだから」という観点から選んだ四地点にこれでもかと大量投下した。四隅に火をかけられては、その内側にいる人々は逃げ場を失って、ただ焼け死ぬのを待つばかりとなる。結果、8万とも10万人ともされる東京都民が焼き殺され、東京の1/3が焼失した。東京の街はドレスデンと違い、瓦礫の山にすらなれなかった。全て焼き尽くされてしまったからである。この時期のアメリカ陸軍航空軍は、まっとうな軍隊と言うよりは“放火魔団”と呼ぶのが妥当な組織であった。古来、戦争に放火はつきものである。「兵燹(へいせん)」という古い漢語がある。「燹」の語は野焼きや山火事の際、わざと逆側からも火を放ち延焼を防ぐことを意味し、したがって「兵燹(へいせん)」の語には、戦時、たとえば敵城を丸裸にするといった目的を持って城下町に火を放つ、その結果として起こった火災、といったニュアンスが、僅かながら含まれるように思う。かくして古今、住人が大八車に家財を積んで着の身着のまま逃げまどうといった光景が繰り広げられることになる訳だが、まさにその住人を焼き殺すことをこそ目的として1945年の米軍は東京の四方に放火したのであり、どう控えめに言っても戦争犯罪であることは論を俟たない。大空襲の2ヵ月後、東京は米軍の空襲標的リストから外された。これ以上もう燃える物が何一つ無くなり、放火のしようがなくなったからである。そして同1945年、すなわち今から63年前の8月に、ヒロシマ・ナガサキへと、我が歴史上未曾有の惨劇の舞台は移される。『メンフィス・ベル』は、人間の良心と誠実さを描き、見る者に爽やかで心地よい感動を与えてくれる戦争映画だ。つまりは、美談である。その感動に水を差すようだが、小生は、あえて水を差さずにはおられない。『メンフィス・ベル』の物語の延長上に、それもそれからごくごく近い時点に、ドレスデンがあり、東京大空襲があり、また、ヒロシマ・ナガサキがある。そこでは、この映画の中では一切写されない民間人の幾十万の死体の山が、累々と積み上げられた。良心と正義を胸に戦った爆撃機の搭乗クルーは、わずか1年半後には、史上にも稀な“大放火魔団”と化した。戦争が美談で終わることなど、もちろん、あろうはずがないのである。■(聴濤斎帆遊) TM & ©Warner Bros.Entertainment Inc.