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PROGRAM/放送作品
エマニエル夫人【4Kレストア版】
[R15+相当]自由奔放な若妻の性生活と美しい官能映像で、世界中に社会現象を巻き起こした大ヒット作
若妻の自由奔放な性生活を、ファッション写真家として著名なJ・ジャカンが映像化。ソフト・フォーカスを基調とした猥雑に感じない美しい映像や、シルヴィア・クリステルの初々しい美貌で女性ファンの支持も集めた。
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COLUMN/コラム2024.02.07
“1969年”という時代が生んだ、“アメリカン・ニューシネマ”の傑作『イージー・ライダー』
俳優ヘンリー・フォンダの息子としてこの世に生を授かった、ピーター・フォンダ(1940~2019)。幼少期に母が自殺したことなどから、父に対して長くわだかまりがあったと言われる。しかし姉のジェーン・フォンダと共に、名優と謳われた父と同じ“演技”の道へと進んだ。 彼が人気を得たのは、“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンが製作・監督した、『ワイルド・エンジェル』(1966)の主演による。実在するバイクの暴走グループ“ヘルズ・エンジェルス”を描いたこの作品で、若者のアイコンとなったのだ。 その翌年=67年に主演したのが、同じくコーマン作品の『白昼の幻想』。こちらは合成麻薬である、“LSD”によるトリップを描いた内容である。自身その愛好者で、「アイデンティティの危機がLSDによって救われた」と語っていたピーターは、この作品の脚本を初めて読んだ時、「こいつはアメリカでこれまでに作られたなかの最高の作品になる!」と、叫んだという。 その脚本を書いたのは、当時は「売れない」俳優だった、ジャック・二コルソン(1937~ )。いつまでも芽が出ない役者業に見切りをつけて、本格的に脚本家としての道を歩んでいくべきかと、悩んでいた頃だった。 ニコルソンが自らの豊富な“LSD”体験をベースに描いた脚本の出来に、ピーターは感激。それまでは特に親しくしていたわけではない、二コルソンの家へと車を飛ばし、感謝の気持ちを伝えたという。 しかし実際に撮影され完成した作品は、ピーターにとっても二コルソンにとっても、大きな不満が残るものとなった。いかに「安く」「早く」「儲かる」作品を作るかを優先するコーマンの製作・監督では、脚本に書かれた想像力溢れるトリップのシーンなどが、どうしてもチープな作りとなってしまう。その上配給元の「AIP」の手も入って、ピーターやニコルソンのイメージとは、まったくかけ離れたものとなってしまった。 ピーターにとって良かったのは、コーマンに頼み込んで、この作品に脇役で出演していた、親友のデニス・ホッパー(1936~2010)に、一部演出を任せられたことだ。絵画や写真にも通じていたホッパーが撮った映像は、コーマンとは明らかに異質な、美しく詩的なイメージに溢れていた。 ピーターは以前から、ホッパーと組んでの“映画作り”を目論んでおり、『白昼の幻想』が、その試金石となった。これなら彼に、“監督”を任せられる! そして67年9月。『白昼の幻想』プロモーションのために滞在した、カナダ・トロントのホテルで、運命の瞬間が訪れる。 酒を煽り、睡眠薬も飲んで、ひょっとしたらマリファナも吸っていたのかも知れない。そんな状態のピーターだったが、サインを頼まれていた、出世作『ワイルド・エンジェル』のスチール写真が目に入った。それは1台のバイクに、ピーターと共演者が跨っているものだった。 ピーターは、閃いた。1台のバイクに2人ではなく、2台のオートバイそれぞれに、1人の男が乗っていたら…。「はぐれ者ふたりが、バイクでアメリカを横断していく現代の西部劇」だ! 映画のアイディアが浮かんで、ピーターが電話を掛けた相手は、ホッパーだった。「それは凄いじゃないか!」と言ったホッパーは、続けて「それで一体どうしようっていうんだい?」と尋ねた。 ピーターは、自分がプロデューサーをやるから、ホッパーに監督をやって欲しいと伝えた。その方が、金の節約にもなる。 そこから2人は、随時集まってはとことん話し合った。そして決めたことをどんどんテープに吹き込んでいった。 アイディアを煮詰めていく最中、ピーターは1ヶ月ほど、『世にも怪奇な物語』(68)出演のため、ヨーロッパへと向かう。その間ホッパーとのやり取りは、手紙となった。 ある日ピーターの撮影現場に、脚本家のテリー・サザーン(1924~95)が、陣中見舞いに現れた。サザーンはピーターから、この企画の話を聞いて、協力を申し出た。 そしてサザーンの思い付きから、映画のタイトルが決まる。元は「売春婦とデキてて、ヒモじゃないけど女と一緒に暮らしてる奴」を意味するスラングだという。それが、『イージー・ライダー』だった。 ***** コカインの密輸で大金を得たワイアット(演:ピーター・フォンダ)とビリー(演:デニス・ホッパー)は、フル改造したハーレーダビッドソンを駆って、カリフォルニアから旅立つ。マリファナを吸いながら、向かう目的地は、“謝肉祭”の行われるルイジアナ州ニューオーリンズ…。 ***** トムとホッパーは、プロットを書いた8頁のメモしかない状態で、映画の資金を出してくれる、スポンサー探しを始める。ピーターが当初アテにした「AIP」は、これまでに撮影現場の内外で度々トラブルを起こしてきたホッパーに恐れをなして、出資を断わった。 結局スポンサーとなったのは、当時TVシリーズ「ザ・モンキーズ」(66~68)で大当たりを取っていたプロデューサーの、バート・シュナイダー。37万5,000㌦の資金を提供してくれることとなった。 そして『イージー・ライダー』は、68年2月23日にクランク・イン。この日は、ピーターの28歳の誕生日だった。 まだ脚本は完成しておらず、撮影機材も揃ってない状態だったが、まずは1週間のロケを敢行。“謝肉祭”で盛り上がるニューオーリンズの町中を、ピーターとホッパーが、娼婦2人を連れて練り歩くシーンと、その4人で墓地へと出掛けて、LSDによるバッドトリップを経験するシーンの撮影を行った。 撮影は初日から、“初監督”のプレッシャーを抱えたホッパーのドラッグ乱用によって、波乱含み。当初決まっていた撮影監督は、この1週間だけでホッパーとの仕事に嫌気が差して、現場を去った。 こうしたトラブルの一方でホッパーは、LSDトリップのシーンで、監督としての非凡な才を遺憾なく発揮。ピーター本人の内面に眠っていた、自殺した母への想いなどを、引き出してみせた。 最初の1週間を終えると、ピーターは脚本を仕上げるために、ニューヨークへ。ホッパーは、残りのシーンのロケハンへと向かった。ホッパーに言わせると、ピーターとテリー・サザーンが、結局1行たりとも脚本を書けなかったため、最終的に脚本は自分1人で仕上げたということなのだが、この辺りは証言者によって内容に食い違いがあるので、定かではない。 ***** ワイアットとビリーは、長髪に髭という風体もあって、安モーテルからも宿泊拒否され、行く先々で野宿を余儀なくされる。 旅先で心優しき人々と出会ったり、ヒッピーのコミューンで、安らぎの一時を送ることもあった。しかしちょっとしたことで、監獄にぶち込まれてしまう。 その監獄で、アル中の弁護士ジョージ・ハンセン(演:ジャック・ニコルソン)と出会う。彼の口利きで釈放された2人は、旅に同行したいというハンセンを乗せ、アメリカ南部の奥深い地域までやって来るが…。 ***** 最初の1週間で降りた撮影監督の代役には、当時B級映画の撮影を数多くこなしていた、ハンガリー出身のラズロ・コヴァックスが決まった。しかしもう1人、慌てて代役を見つけなければならない者がいた。 ジョージ・ハンセン役には、当初リップ・トーンが決まっていた。しかしギャラや脚本の手直しなどで折り合いがつかず、ホッパーと大喧嘩になって、降板。 その代役として、プロデューサーのバート・シュナイダーが推したのが、奇しくもピーター・フォンダと『白昼の幻想』で意気投合した、ジャック・ニコルソン。シュナイダーが製作総指揮を務めた、『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』(68)で、ニコルソンが脚本を書き、出演もしていた縁だった。『イージー・ライダー』の撮影中、ワイアットとビリーに遭遇する人々は、実際に各ロケ地で集めた人々を軸に、キャスティングされていた。その方が、おかしな出で立ちのよそ者に対する警戒心や嫌悪、敵意など、生の感情が引き出せるという、ホッパーの計算があった。 ジョージ・ハンセン役にしても、その流れなのか、ホッパーはトーンの代役には、テキサス訛りのできる田舎臭い人間を考えていたという。そのためニコルソンの起用には、猛反対。しかし渋々使ってみたところ、彼の演技はホッパーが、「最高」と認めざるを得ないものだった。 因みにワイアット、ビリー、ジョージの3人で焚き火を囲んで、マリファナを吸うシーンで、ニコルソン演じるジョージは、初体験のマリファナが、徐々にきいてくるという設定。ところが本物のマリファナを使っているこのシーンでは、何度もリテイクがあったため、ニコルソンは実際にはマリファナが相当きいていながら、しらふの状態を演じざるを得なくなったという。 ジョージは結局、3人で野営しているところを、彼らを敵視した近隣の住民に襲われて、いち早く命を落としてしまう。その直前に焚き火に当たりながら、彼がワイアットとビリーに話した内容は、本作の中で屈指の名セリフとなった。「連中はあんたが象徴する自由を怖がってるんだ」「自由について話すことと、自由であることは、まったく別のことだ。……みんなが個人の自由についてしゃべるけど、自由な個人を見ると、たちまち怖くなるのさ」 そして彼は、「怖くなった」者たちに、命を奪われてしまうわけである。残された2人も、ワイアットの「俺たちは負けたんだ」のセリフの後に、映画史に残る、衝撃的な最期を迎えることになるわけだが…。 2週間半の撮影が、終了。そして1年ほどの編集期間を経て、作品は完成に至った。 2台のバイクが疾走するシーンには、かの有名なステッペンウルフの「ワイルドでいこう!= Born to Be Wild」をはじめ、必ず既成のロック・ミュージックが掛かるが、これは当時としては斬新なスタイル。それぞれの曲の歌詞が、映画の中の主人公たちの行動と結びつけられており、またホッパーによって、音楽と画面が合うように編集されていた。 本作は69年5月、「カンヌ国際映画祭」に出品されると、「新人監督による作品賞」「国際エバンジェリ委員会映画賞」が贈られた。 そして7月14日。ニューヨークでの先行公開を皮切りに、大ヒットを記録。最終的に6,000万㌦以上の収益を上げた。これはそれまでのハリウッドの歴史上では、予算に対しての利益率が、他にないほど頭抜けた興行成績だった。 ヘンリー・フォンダはこの偉業に対して、「畏敬の念をおぼえる」と、プロデューサー兼主演を務めた、我が子を称賛。ピーター・フォンダは、長い間欲してやまなかったものを、遂に手にすることができたのだ。 デニス・ホッパーは、ハリウッド最注目の新人監督となって、本作以前に取り掛かろうとして頓挫していた、『ラストムービー』(71)の企画を本格的に動かすことに。これが彼のキャリアに長き低迷をもたらすことになるのだが、それはまた別の話。 一旦は俳優廃業も考えていたジャック・ニコルソンは、まさにこの作品を契機に、後にはアカデミー賞を3度受賞する、ハリウッド屈指の名優に育っていく。 作品自体は、いわゆる“アメリカン・ニューシネマ”の1本として、映画史にその名を刻み、1998年には、「アメリカ国立フィルム登録簿」に永久保存登録が決まった。 ピーターとホッパー、ニコルソンの3人が揃い踏みする“続編”的作品が、幾度か企画された。しかしその内2人が鬼籍に入り、1人が引退状態の今、もはやあり得ないお話である。 “リメイク”が進められているというニュースもあったが、1969年という時代にあの3人だったからこその“傑作”であった『イージー・ライダー』を、果してアップデートすることなど、可能なのだろうか?■ 『イージー・ライダー』© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
続エマニエル夫人【HDデジタルリマスター版】
[R15+相当]自由な性に目覚めたエマニエルが香港に。よりエキゾチックで甘美な官能シリーズ第2弾
官能の喜びに目覚めたエマニエルが、香港を舞台に自由奔放な性体験を重ねるシリーズ第2作。前作でも評判を得たソフト・フォーカス、フランシス・レイの甘美なテーマ曲に彩られ、過激な性描写が美しく展開する。
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COLUMN/コラム2024.02.05
1980年代をリードした才能!ジャン=ジャック・ベネックスの長編第1作『ディーバ』
1980年代のフランス映画界。ジャン=ジャック・ベネックスは、リュック・ベッソンやレオス・カラックスと共に、「Enfant Terrible=恐るべき子供たち」と呼ばれた。 他には3人の頭文字を取って、「BBC」と称される場合も。50年代末から60年代に掛けて、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらが起こした映画運動「ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」に引っ掛けて、「ネオ・ヌーベルヴァーグ」「ヌーベル・ヌーベルヴァーグ」などとも謳われた。 1946年生まれのベネックスは、パリっ子。スタンリー・キューブリックを敬愛する映画少年であったが、大学は医学部に進む。 しかし映画への夢が諦めきれず、「イデック=高等映画学院」を受けるも、不合格。一旦CM業界に進んだ後、映画界に辿り着いたのは、70年のことだった。 助監督として、ルネ・クレマンやクロード・ベリ、クロード・ジディといった、フランスの有名監督に付いた。他に、俳優のジャン=ルイ・トランティニヤンの監督作品や、アメリカのコメディアン、ジェリー・ルイスがフランスで撮った作品の現場にも携わったという。 助監督生活は10年に及んだが、その間の77年には、製作・脚本・監督を務めた短編作品を発表。そして81年に、長編初監督である本作『ディーバ』を、世に送り出したのである。 先に挙げた、ベネックス、ベッソン、カラックス、80年代を席捲した「BBC」3監督の作品は、それぞれに趣向を凝らした視覚スタイルを持つことから、「シネマ・デュ・ルック」と言われた。『ディーバ』は、まさにその嚆矢となった作品なのである。 ***** 18歳の郵便配達員ジュールは、黒人のオペラ歌手シンシア・ホーキンスの大ファン。その熱が昂じて、地元パリでのコンサートの際、客席でこっそり彼女の美しい歌声を録音し、更には楽屋から、ステージ用のドレスを持ち去るのだった。 彼が盗み録りしたのは、レコーディングを決して許さないシンシアの歌声を、自分のものとするため。しかし、海賊版発売を目論む海外の音楽業者がそれを知って、録音テープ奪取へと動き始める。 その一方で、闇の犯罪組織とそのリーダーの秘密を暴露しようとした元娼婦が、パリの街なかで殺害される。彼女は死の間際に、偶然居合わせたジュールのスクーターのカバンに、すべての秘密を吹き込んだカセットテープを、こっそりと忍ばせていた。 ジュールは、音楽業者と犯罪組織、そして警察という三者から追われることとなり、絶体絶命のピンチに陥る。そんな彼の味方は、レコード屋で万引きしているところを目撃したのがきっかけで親しくなった、ベトナム人の少女アルバと、彼女と暮らす謎めいた中年男ゴロディッシュの2人だけだった。 生命の危機に曝されると同時に、ドレスを盗んだことの告白から、ジュールは憧れのシンシアとの距離がぐっと近づいていく。果して彼は追っ手から逃れ、“ディーバ(歌姫)”とのロマンスを成就できるのか!? ***** ベネックスは自ら意図して、本作を長編第1作の題材に選んだわけではない。とにかくデビューを果したいと考えていたタイミングで、プロデューサーから持ち込まれた原作を映画化したのである。 あくまでも「ひとつの機会として取り組んだ」というベネックス。しかし極めて意欲的に、元はゴロディッシュとアルバの2人が、様々な事件を解決するシリーズの一編だったという原作を、自らの脚色で、かなり大胆にアレンジしている。 まず冒頭から、“ディーバ”がトスカニーニが愛したオペラ「ワリー」を歌うのは、映画オリジナル。その録音テープを巡って暗躍する音楽業者は、原作では「ニッポン・コロムビア」のミハラ氏だったのを、台湾系の海賊版レコード業者へと変更している。 ジュールを追う犯罪組織の構成員が、パンク・ファッションの殺し屋2人組なのも、ベネックスによる創造。 原作ではブロンドのフランス娘だったアルバは、後記する理由からベトナム人へと変更し、ゴロディッシュの人物背景も、映画用に大きく変えられた。 このような改変を加えながら、展開するのは、郵便配達員とディーバの“ラブストーリー”と、殺し屋が跳梁しスクーターが逃げ惑う“サスペンスアクション”のクロスオーバー。画面を彩るのは、ポップアートにパンクファッション。音楽面で見ると、オペラとシンセサイザーが共存する。 そんな本作で、主役のジュールを演じたのは、フレデリック・アンドレイ。キャスティング・イメージは、「サンタクロースの存在を信じていて、憧れのディーバと手に手をとって散歩する夢を持っている少年」ということだった。現代日本文化に精通し、後には自ら“オタク”と名乗っていたベネックスは、本作を振り返って、「いま思えばジュールこそおたくそのものだ」などと語っている。 因みにアンドレイは、俳優より監督志望。本作公開後はTV映画に次々と出演するも、やがて監督に専念。短編を数本撮った後に、84年に長編に挑むも失敗に終わり、そのまま映画界から姿を消してしまった。 ベネックスは、祖父がバリトン歌手で叔父がテノール歌手。幼少時からオペラに親しむ環境にあったという。 そんな彼が見初めて、“ディーバ”シンシア・ホーキンス役に抜擢したのは、ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス。オペラ座の総支配人にもその実力を認められた本物のオペラ歌手で、本作以降もステージで活躍を続けた。 アルバ役のチュイ・アン・リーは、パリのディスコでローラースケートで踊っている姿を目撃したベネックスが、その場でスカウトした。当時14歳だったというが、ベネックスは彼女を“発見”したために、アルバの設定を、ベトナム人少女へと変更したのである。「波を止める」ことを夢見ている、ミステリアスな中年男のゴロディッシュを演じたのは、リシャール・ボーランジェ。ベネックスが助監督に付いていた作品に端役で出ていた時に、目を付けたという。 それまでは放浪生活を送っていて、自作の楽曲でジャズ歌手に転向しようと考えていたボーランジェだが、本作で売れっ子俳優の仲間入り。リュック・ベッソン監督の『サブウェイ』(85)、ピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)等々に出演した。 後に、本作に出演した時のことを尋ねられたボーランジェは、「…さっぱり訳のわからない映画だと思った」と語っている。 本作のキャストでもう1人、スターになったと言えるのは、スキンヘッドの殺し屋を演じた、ドミニク・ピノン。『デリカテッセン』(91)『アメリ』(2001)など、ジャン=ピエール・ジュネ監督作品には、欠かせない存在となった。 さて、本作『ディーバ』がパリで公開されたのは、81年3月。諸般の事情で公開が2週早まり、宣伝が行き届かなかったことなどから、当初は客入りが悪く、そのまま消え去ってしまう作品かと思われた。しかし口コミや熱心な映画館主のプッシュなどがあって、徐々に興行に勢いが生じ、やがて熱烈に受け入れられた。 それまでのフランス映画にはなかった、鮮烈で人工的な映像設計とストーリー展開。後には“ベネックス・ブルー”とも呼ばれるようになる、青の色彩を基調とした統一された様式美は、当時目まいがするほど「新しかった」のである。 結局135週=2年半以上のロングランとなり、200万人もの動員を記録。また「フランスのアカデミー賞」こと“セザール賞”では、新人監督賞、撮影賞、音楽賞、録音賞の4部門が授与される結果となった。 そうした熱狂の一方で、本作には苛烈な批判が寄せられたのも、事実である。“ヌーヴェルヴァーグ”の流れを組む「カイエ・デュ・シネマ」の批評家を中心に、「映像に凝っただけ」「コマーシャル(広告)的な美に過ぎない」などと、酷評する声が止まなかった。 こうした批判が噴出したのは、本作が、ゴダールやトリュフォーなどの“ヌーヴェルヴァーグ”の映画作家たちの、会話やナレーションを中心に展開する映画とは、対照的だったことも大きいと思われる。ベネックス自身が、「彼らに逆らっているとは言いたくないが、彼らと違う作品を作る権利はあるでしょう…」などと、嘯いてもいる。 そんな彼に続くように、本作の2年後=83年には、ベッソンが『最後の戦い』(83)、カラックスが『ボーイ・ミーツ・ガール』で登場。フランス映画の若き世代が、「言葉よりイメージに重きを置く」「語らず見せようとする」傾向が、はっきりとしていく…。 批評という意味では、フランスの翌年=82年4月に公開されたアメリカの方が、本作を圧倒的な好意を以て迎えたと言える。 著名な映画評論家ポーリーン・ケールは本作を、「…純粋にきらめている。様式と古風なガラクタの混合。そのどのショットも観客の喜びを誘う。これは華麗な映画のオモチャだ」と評した。「ニューズウィーク」誌は、「…スピルバーグがコクトーとクロスオーバーしたようなものだ」、「ローリングストーン」誌は、「聖なる狂気の作品。コメディー、ロマンス、オペラ、さらに殺人事件まで…」と、それぞれ本作の魅力を指摘している。 そして『ディーバ』はアメリカで、フランス映画としては、異例のヒットとなった。 華々しき第1歩を踏み出した、ジャン=ジャック・ベネックス。『ディーバ』に続いては、ジャラール・ドパルデュー、ナスターシャ・キンスキーという、当時のTOPスター2人を主演に迎えて、第2作『溝の中の月』(83)を完成するも、これは手痛い失敗となった。 そこからリカバリーしたのは、第3作『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(86)。ベアトリス・ダルとジャン=ユーグ・アングラードの主演で、激烈なまでに情熱的な男女の愛を描いたこの作品は、フランスで360万人動員したのをはじめ、世界的なヒットとなる。 しかしこれが、ベネックスのキャリアに於いては、ピークだった。2022年1月13日、75歳で逝去。結局彼が長編を手掛けたのは、81年から2001年まで。実質20年の活動で、6本という寡作に終わる、 ある時ベネックスは、『ディーバ』のオペラ歌手が、レコーディング化を拒み続けた理由について、こんな説明をしている。「非人間化と闘うひとつの方法は芸術家として闘うこと」であり、シンシアの行動は、「…我々が言いたいことを言い続け、世界を動かしている利益と妥協せず、我々自身であろうとする寓話」であると… それはハリウッドから、『薔薇の名前』『エビータ』『エイリアン3』といった大作の監督をオファーされるも、心が動かすことがなかった、ベネックスの生き様そのものだったのかも知れない。■ 『ディーバ』© 1981 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
さよならエマニエル夫人【HDデジタルリマスター版】
[R15+相当]エキゾチックなインド洋でのアバンチュールで、エマニエルが真実の愛を見つける完結編
エキゾチックなインド洋セイシェル島で自由奔放な性を満喫するエマニエルが真実の愛を見つける、シルヴィア・クリステル主演3部作の完結編。
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COLUMN/コラム2024.02.05
ハリウッドが今最も注目する鬼才アリ・アスターの魅力に迫る!
その唯一無二の作家性は短編映画時代に確立されていた! 最新作『ボーはおそれている』の本邦上陸も間近に迫った映画監督アリ・アスター。現代ホラーの頂点とも呼ばれた問題作『ヘレディタリー/継承』(’18)で衝撃の長編映画デビューを飾り、続く2作目『ミッドサマー』(’19)では観客に特大級のトラウマを植え付けてセンセーションを巻き起こした。よくよく考えてみれば、現時点ではまだ長編3本を撮っただけの若手監督なのだが、しかしその独創的な作家性は既にデヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグとも比較され、マーティン・スコセッシやボン・ジュノといった東西の巨匠たちからも類稀な才能を賞賛されている。果たして、人々がアリ・アスター作品に惹きつけられる理由とは何なのか?2月のザ・シネマでは『ボーはおそれている』の日本公開を記念し、『ヘレディタリー/継承』と『ミッドサマー』の両作品を含む製作会社A24の製作作品を一挙放送する。そこで、この機会にアリ・アスター作品の魅力について紐解いてみたい。 1986年7月15日ニューヨークに生まれたアスターは、ミュージシャンだった父親の仕事で幼少期をロンドンで過ごし、10歳からはニューメキシコ州のアルバカーキで育つ。幼い頃より大の映画ファン。中でもホラー映画が大好きで、特にブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(’76)とピーター・グリーナウェイ監督の『コックと泥棒、その妻と愛人』(’89)には多大な影響を受けたという。もともと作家になるつもりだったが映画脚本家へ志望を転向。地元ニューメキシコのサンタフェ芸術デザイン大学を経て、アメリカン・フィルム・インスティテュートが運営するAFI映画学校へ入学し、ここで演出を学んで芸術修士号を取得する。卒業後はインディペンデントの短編映画を精力的に手掛けていたのだが、その中でも特に重要な作品が『The Strange Thing About the Johnsons(ジョンソン家についての奇妙なこと)』(’11)と『Munchausen(ミュンヒハウゼン)』(’13)の2本だ。 もともとAFI映画学校の卒業制作として作られた『The Strange Thing About the Johnsons』は、少年時代から実の父親の写真を見ながらオナニーをしていた若者が、やがて父親を性的に虐待して支配するようになり、その事実に気付いた母親も見て見ぬふりを決め込んだところ、最終的に家族がお互いに殺し合うこととなる。一方の『Munchausen』は、大学進学を控えた息子を持つ中産階級の平凡な主婦(ボニー・ベデリア)が主人公。目に入れても痛くないほど可愛がって育てた大切な息子が、家を出て独り暮らしをすることに耐えられない彼女は、息子と離ればなれになるくらいなら殺してしまった方がマシだと考えて食事に毒を盛る。どちらも、一見したところ仲睦まじい理想的な家族の恐ろしくも倒錯したダークサイドを描き、後の劇場用長編映画群のテーマ的なルーツとなった作品。近親相姦に親殺し・子殺しと、タブーを恐れないアスター監督の挑戦的な作家性はこの頃から健在だ。 衝撃のデビューとなった『ヘレディタリー/継承』 この2本の短編映画に注目してアスター監督に声をかけたのが、当時『エクス・マキナ』(’15)や『ルーム』(’15)、『ロブスター』(’16)に『ムーンライト』(’16)などの異色作を立て続けにヒットさせ、エッジの効いたアート系映画を得意とする製作会社として注目されていたA24。今やA24の看板ディレクターとなった感すらあるアスター監督だが、その両者の初タッグが長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』だった。 祖母エレンが亡くなって葬儀を終えたばかりのグラハム家。その娘である一家の母親アニー(トニ・コレット)は、秘密主義を貫いたエレンとは長いこと折り合いが悪く、それゆえ実母を亡くしたというのに悲しいとは思えなかった。その母親エレンは解離性同一障害を患い、すでに他界している父親や兄も精神疾患が原因で早逝。自身も夢遊病に悩まされているアニーは、いずれ我が子らも心の病を発症するのではないかとの不安に怯えていた。そんなある日、16歳の長男ピーター(アレックス・ウルフ)は友人宅のパーティへ行くため、母親アニーに学校のイベントへ行きたいと嘘をついたところ、13歳の妹チャーリー(ミリー・シャピロ)を連れて行くことを条件に許可される。お祖母ちゃん子だったチャーリーは葬儀以来ふさぎ込んでいるため、気分転換になればとアニーは考えたのだ。チャーリー本人は乗り気ではなかったし、ピーターも余計な荷物が出来て不満だったが、仕方なしに2人でパーティへ向かう。 妹を放置して意中の女の子にアプローチするピーター。すると、知らずにナッツ入りのケーキを食べたチャーリーが、アレルギーの発作を起こしてしまう。慌てて妹を車で病院へ送ろうとするピーターだったが、発作に苦しむチャーリーは窓から身を乗り出し、道路わきの電柱に頭部を激突させて死亡する。あまりのショックで現実を受け入れられず、そのまま夜中に自宅へ戻ってベッドに入るピーター。翌朝、出かけようとした母親アニーは、車の後部座席に頭部のない娘チャーリーの死体を発見して半狂乱となる。事故とはいえ妹を死に至らしめたという罪悪感に苦しむピーターと、そんな息子を憎みたくも憎み切れないアニー。2人の関係はすっかりギクシャクしてしまい、父親スティーブ(ガブリエル・バーン)が仲を取り持とうとするも上手くいかない。ある時、グループセラピーで知り合った親切な中年女性ジョーン(アン・ダウド)と親しくなったアニーは、彼女の誘いで交霊会に参加して不思議な体験をし、自らもチャーリーの霊を呼び寄せようとする。それ以来、グラハム家の周辺では不可解な現象が続き、やがてアニーは母親エレンから想像を絶する恐ろしいものを継承していたことに気付くのだった…。 『ヘレディタリー/継承』 © 2018 Hereditary Film Productions, LLC 暗い過去と深い悲しみを抱える平凡な家族が、更なる不幸と恐怖のどん底へ突き落とされていくという悪夢のような物語。全編に漂う不穏な空気、端正でありながらダークで禍々しい映像美、突然スクリーンにぶちまけられるゴア描写、やがて頭をもたげる邪教カルト、そして予想の遥か斜め上を行く衝撃のクライマックス。その後味の悪さときたら!それでいて、喪失感や罪悪感に苛まれた家族のドラマには強い説得力があり、もがき苦しみながらも絆を手繰り寄せようとする彼らの姿が共感を呼ぶ。それだけに、最悪の事態へ向けて突っ走っていく終盤の恐怖と絶望は筆舌に尽くしがたい。長編デビューでいきなりこれだけの傑作をモノにしたアスター監督の才能に唸らざるを得ないだろう。 アリ・アスター人気を決定づけた傑作『ミッドサマー』 その年のインディーズ系映画の賞レースを席巻し、当時のA24史上最高の興行成績を記録した『ヘレディタリー/継承』。その成功を受けて矢継ぎ早に公開されたのが、さらなるセンセーションを巻き起こした恐怖譚『ミッドサマー』だ。 大学で心理学を専攻する女性ダニー(フローレンス・ピュー)は、双極性障害を患った妹テリーの不安定な言動に度々悩まされているが、しかし同居する恋人クリスチャン(ジャック・レイナー)は真剣に取り合ってくれない。彼女との関係が重荷になっていたのだ。そんなある日、ダニーの心配は現実のものとなってしまう。テリーが両親を道連れに心中してしまったのだ。悲しみと絶望の淵に追いやられたダニー。天涯孤独の身となった彼女にとって、唯一の心の支えはクリスチャンだったが、しかし彼は男友達とばかりつるんでダニーと向き合うことを避けていた。本音ではダニーと別れたいが、しかし今の彼女を見捨てるわけにもいかないクリスチャン。ダニーも薄々そのことに気付いているが、面と向かって問いただす勇気はない。結局、その煮え切らない優柔不断な態度もあって、本来なら男友達だけで計画していたスウェーデン旅行にダニーも付いていくことになる。 行き先はスウェーデン人留学生ペレ(ヴィルヘルム・ブロングレン)の故郷であるヘルシングランド地方のホルガ村。そこは大自然に囲まれた小さなコミューン(共同体)で、キリスト教が伝搬する以前からの伝統的な宗教と風習を今も守っている場所だ。今年の夏は90年に1度の夏至祭が行われるということで、ペレはクリスチャンら大学の同級生らを招待したのである。太陽の沈まぬ明るい白夜、色とりどりの花々が咲く緑豊かな環境、そして古き良き北欧の素朴で美しい伝統文化。明るく朗らかで親切な住人たちの「おもてなし」に、自然と微笑みのこぼれるダニーだったが、しかし思いがけず衝撃的な宗教儀式を目の当たりにして困惑する。そのうえ、これをきっかけに旅行者の若者たちがひとりまたひとりと姿を消し、やがてダニーはこの夏至祭に招かれた恐るべき「本当の理由」を知ることになるのだった…。 『ミッドサマー』© 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved. 暗く重苦しい空気に包まれた家の中で静かに狂気が醸成されていく前作『ヘレディタリー/継承』とは打って変わって、花々で彩られた真夏の明るく開放的な北欧の田舎で狂気が咲き乱れる『ミッドサマー』。主人公が直面する恐怖と絶望は前作を遥かに超え、阿鼻叫喚に包まれる怒涛のクライマックスにも唖然とさせられるが、しかし今回の後味には不思議な安堵感がある。人里離れた田舎へ迷い込んだ部外者が、古代宗教の儀式の生贄にされる…という筋書きは往年の英国ホラー『ウィッカーマン』(’73)と似ているものの、アリ・アスターらしい「喪失」と「再生」のドラマに焦点を当てたストーリーには、ただの恐怖譚に終始しない深みが感じられるだろう。興行的には前作に及ばなかった『ミッドサマー』だが、しかし批評的には更なる高い評価を獲得し、ここ日本でもアリ・アスター人気を決定づける大ヒットとなった。 観客が妙な共感を覚えてしまうアリ・アスター作品の世界観とは? そんなアリ・アスター作品に共通するテーマは、「機能不全に陥った家族」「家族に継承されるトラウマ」そして「喪失と再生」といったところであろう。いずれにしても重要なキーワードは家族だ。表向きこそホラー映画のふりをしているアリ・アスター作品だが、しかし監督本人が「身近な物語を書くのが好きだ」と語るように、その実態は家族や恋人との関係性を考察したドメスティック・ドラマだと言えよう。ただし、そこには我々の考える通り一辺倒な救いも希望も幸福も存在しない。そういえば『ヘレディタリー/継承』が公開された際、トロント国際映画祭のQ&Aに現れたアスター監督はこんなことを言っていた。「アメリカの家庭ドラマによくありがちだが、とある家族に悲劇が起きて喪失感からゴタゴタがあり、時には音信不通になったりもするけれど、しかし最後は家族の絆を取り戻してメデタシメデタシみたいな物語が世の中には溢れている。別にそういう話が悪いとは言わないものの、しかし実際は絆を取り戻せない家族だっているし、喪失感から回復できない家族だっているだろう。そのせいで最悪の結果を招くこともある。僕はそういう映画を作りたかった」と。恐らくこれこそが、初期の短編映画を含む彼の作品に共通する世界観の本質なのだろう。 『ヘレディタリー/継承』撮影中のアリ・アスター監督(左)とトニ・コレット(右)。 『ヘレディタリー/継承』にも『ミッドサマー』にも、自身が実際に経験した喪失感や痛みが投影されていると語っているアスター監督。前者は彼の家族に起きた悲劇(具体的な詳細は明かされていない)、後者は3年間付き合った恋人との別れ。そうした実体験が上記のような、ある種の冷めた世界観の土台となっていることは想像に難くないだろう。なるほど確かに、悲しい出来事に見舞われた家族の総てがそこから立ち直れるわけではない。そもそも、どれだけ円満な家庭やパートナーにだって多かれ少なかれ不和やわだかまりはあるだろうし、当然ながら家族とは名ばかりで関係性の破綻してしまった家庭も少なくない。家族だったら支え合うべき、親子だったら兄弟だった恋人同士だったらこうあるべきなどと、当たり前のように押し付けられる家父長制的な役割に苦しめられている人も世の中には意外と多いはずだ。そう、家族とは誠に厄介なもの。時には呪いや束縛ともなり得る。アスター作品では常にその視点があるからこそ、多くの観客が居心地の悪さと共に妙な共感を覚えるのではないだろうか。 そのうえで彼は、本人の言葉を借りるなら「ひねくれた願望が叶う物語」と呼ぶべき…というか、むしろそう呼ぶしかないような結末を用意する。『ヘレディタリー/継承』のクライマックスを「ある種の人々にとっては救いだ」と語り、『ミッドサマー』の結末についてもハッピーエンドだとハッキリ言い切るアスター監督。彼にとっての救いや癒しとはいったい何なのか?にわかには理解し難くも感じるが、しかしその作品群をじっくりと見比べていると、おぼろげながらも段々と分かってくるはずだ。 そういう意味で、アスター監督の言わんとすることが如実に伝わってくるのが最新作『ボーはおそれている』。毒親育ちで気の弱い大人になってしまった中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)が、支配的な母親(パティ・ルポーン怪演!)のもとへ戻るべく実家へ帰省しようとするものの、しかしその行く手に次々と不可解な障壁が立ちはだかる。アリ・アスター作品としては過去最大級にシュールで難解なストーリーだが、しかし「機能不全に陥った家族」や「家族に継承されるトラウマ」などの要素は今回も共通しており、なおかつこれまで以上に家族の呪縛というテーマが明確に浮かび上がる。是非とも、ザ・シネマで過去作を予習の上で臨んで頂きたい。■ 『ボーはおそれている』2024年2月16日(金)全国ロードショー監督・脚本:アリ・アスター 出演:ホアキン・フェニックス ネイサン・レイン エイミー・ライアン パーカー・ポージー パティ・ルポーン2023年/アメリカ/R15+配給:ハピネットファントム・スタジオ © 2023 Mommy Knows Best LLC, UAAP LLC and IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved. 公式サイト
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PROGRAM/放送作品
バニシング・ポイント(1971)
[PG12]時速200kmでハイウェイを爆走!アメリカン・ニューシネマを代表する名作カーアクション
サンフランシスコへ車で向かう男が賭けに乗り、時速200kmの猛スピードで警察と繰り広げるカーチェイスが圧巻。当時の社会に対する怒りや反発が投影され、アメリカン・ニューシネマの傑作として名高い。
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COLUMN/コラム2024.01.29
大都会の孤独という現代社会の病理を描いた巨匠マーティン・スコセッシの傑作『タクシードライバー』
荒廃した’70年代のニューヨークを彷徨う孤独な魂ベトナム戦争の泥沼やウォーターゲート事件のスキャンダルによって国家や政治への信頼が地に堕ち、経済の低迷に伴う犯罪増加や治安悪化によって社会の秩序まで崩壊した’70年代のアメリカ。都市部の荒廃ぶりなどはどこも顕著だったが、中でもニューヨークのそれは象徴的だったと言えよう。今でこそクリーンで安全でファミリー・フレンドリーな観光地となったタイムズ・スクエア周辺も、’70年代当時はポルノ映画館やストリップ劇場やアダルト・ショップなどの怪しげな風俗店が軒を連ね、売春婦やポン引きや麻薬の売人が路上に立っているような危険地帯だった。そんな荒み切った大都会の片隅で孤独と疎外感を募らせ、やがて行き場のない怒りと不満を暴走させていくタクシー運転手の狂気に、当時のアメリカ社会を蝕む精神的病理を投影した作品が、カンヌ国際映画祭のパルムドールに輝いたマーティン・スコセッシ監督の問題作『タクシードライバー』(’76)である。 主人公は26歳の青年トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)。ベトナム帰りで元海兵隊員の彼は不眠症で夜眠ることが出来ず、それなら夜勤のタクシー運転手でもして稼いだ方がマシだと考え、ニューヨークのとあるタクシー会社に就職する。人付き合いが苦手で友達のいない彼は、先輩のウィザード(ピーター・ボイル)などドライバー仲間たちとも付かず離れずの間柄。昼間は狭いアパートの部屋で日記を付けているか、四十二番街のポルノ映画館に入り浸っている。乗客の選り好みはしないし、危険な地域へ送り届けるのも構わないが、しかし我慢ならないのは街中に溢れるクズどもだ。娼婦にゴロツキにゲイに麻薬の売人。ああいう社会のゴミを一掃してやりたい。ギラギラとネオンが煌めく夜のニューヨークをタクシーで流しながら、トラヴィスはひとりぼっちで妄想の世界を彷徨う。 そんなある日、トラヴィスは街で見かけたブロンドの若い女に一目惚れする。彼女の名前はベッツィ(シビル・シェパード)。次期大統領候補であるパランタイン上院議員の選挙事務所で働くスタッフだ。いかにも育ちが良さそうで頭の切れる自信家の才媛。一介のタクシー運転手には不釣り合いな別世界の住人だが、彼女に執着するトラヴィスは半ばストーカーと化し、やがて思い切ってベッツィをデートに誘う。なにかと茶々を入れてくる同僚スタッフのトム(アルバート・ブルックス)に退屈していたベッツィは、興味本位でデートの誘いを受けたところ、なんとなく良い雰囲気になって次回の映画デートを約束する。思わず有頂天になるトラヴィス。ところが、あろうことか彼女をポルノ映画館に連れて行ってしまい、憤慨したベッツィは席を立って帰ってしまう。それっきり彼女とは音信不通に。アンタも結局はお高くとまった鼻持ちならない女だったのか。ベッツィの職場へ怒鳴り込んだトラヴィスは、散々恨み言を吐き捨てた挙句に追い出される。それ以来、彼の不眠症はますます酷くなり、精神的にも不安定な状態となっていく。 ちょうどその頃、トラヴィスがタクシーを路駐して客待ちしていたところ、未成年と思しき少女が乗り込んでくる。しかし、すぐにチンピラ風の男スポーツ(ハーヴェイ・カイテル)に無理やり引きずり降ろされ、そのまま夜の街へと消えていった。一瞬の出来事に唖然とするトラヴィス。それから暫くして、タクシーにぶつかった通行人に目を向けたトラヴィスは、それがあの時の少女であることに気付く。少女の名前はアイリス(ジョディ・フォスター)。何かに取り憑かれたようにアイリスの後を追いかけ、彼女が売春婦であることを確信した彼は、今度は何かに目覚めたかの如く知人の紹介で闇ルートの拳銃4丁を手に入れ、なまった体を鍛え直すためにハードなトレーニングを開始する。ある計画を実行するために…。 トラヴィスは脚本家ポール・シュレイダーの分身脚本を書いたのは『レイジング・ブル』(’80)や『最後の誘惑』(’88)でもスコセッシ監督と組むことになるポール・シュレイダー。当時人生のどん底を味わっていたシュレイダーは、いわば自己療法として本作の脚本を書いたのだという。厳格なカルヴァン主義プロテスタントの家庭に生まれて娯楽を禁じられて育った彼は、17歳の時に生まれて初めて見た映画に夢中となり、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を経て映画評論家として活動。ところが、結婚生活の破綻をきっかけに不運が重なり、住む家を失ってホームレスとなってしまった。手元に残った車で当て所もなく彷徨いながら車中生活を余儀なくされる日々。気が付くと3週間以上も誰とも話しておらず、不安と孤独のあまり心身を病んで胃潰瘍になってしまった。このままではいけない。ああはなりたくないと思うような人間になってしまいそうだ。そう強く感じたシュレイダーは、元恋人の留守宅を一時的に借りて寝泊まりしながら、およそ10日間で本作の脚本を仕上げたそうだ。現実の苦悩を物語として書くことで心が癒され、「ああなりたくない人間」から遠ざかれるような気がしたというシュレイダー。その「ああなりたくない人間」こそ、本作の主人公トラヴィス・ビックルだった。 「大都会は人をおかしくする」と語るシュレイダー。確かに大勢の人々がひしめき合って暮らす大都会は、それゆえ他人に無関心で人間関係も希薄になりがちだ。東京で就職した地方出身者がよく「都会は冷たい」と言うが、周囲に家族や友人がいなければ尚更のこと世知辛く感じることだろう。なおかつ大都会には歴然とした格差が存在し、底辺に暮らすマイノリティはその存在自体が透明化され無視されてしまう。中西部出身のよそ者で社交性に欠けた名も無きタクシー運転手トラヴィスが、ニューヨークの喧騒と雑踏に囲まれながら孤独と疎外感に苛まれていくのも不思議ではなかろう。そんな彼がようやく巡り合った希望の光が、いかにもWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)なイメージのエリート美女ベッツィ。この高根の花を何としてでも手に入れんと執着するトラヴィスだが、しかしデートでポルノ映画館に連れて行くという大失態を演じて嫌われてしまう。こうした願望と行動の大きな矛盾は彼の大きな特性だ。 清教徒的なモラルを説きながらポルノ映画に溺れ、健康を意識しながら不健康な食事をして薬物を乱用し、人の温もりを求めながらその機会を自ら台無しにする。まるで自分で自分を孤独へ追いつめていくような彼の自滅的言動は、人生に敗北感を抱く落伍者ゆえの卑屈さと自己肯定感の低さに起因するものだろう。こうして捨てるもののなくなった「弱者男性」のトラヴィスは、自分よりもさらに底辺のポン引きや娼婦や麻薬密売人などを蔑んで憎悪の目を向け、やがて自分の存在意義を証明するために社会のゴミと見做した彼らを「一掃」しようとするわけだが、しかしここでも彼の矛盾が露呈する。なにしろ、最初に選んだターゲットはパランタイン上院議員だ。誰がどう見たって、自分を振った女ベッツィへの当てつけである。しかも、ボディガードに気付かれたため、慌てて引き返すという情けなさ。「あらゆる悪と不正に立ち向かう男」と自称しておきながら、その実態は単なる逆恨みのチキン野郎である。結局、このままでは終われない!と背に腹を代えられなくなったトラヴィスは、未成年の少女アイリスを売春窟から救い出すという大義名分のもと、ポン引きや用心棒らを銃撃して血の雨を降らせるというわけだ。 ある意味、「無敵の人」の誕生譚。実はこれこそが、今もなお本作が世界中のファンから熱狂的に支持されている理由であろう。確かに’70年代アメリカの世相を背景にした作品だが、しかしその核となる人間像は極めて普遍的であり、古今東西のどこにでもトラヴィス・ビックルのような男は存在するはずだ。事実、ますます格差が広がり閉塞感に包まれた昨今の日本でも、彼のように鬱屈した「無敵の人」とその予備軍は間違いなく増えている。そもそも、誰の心にも多かれ少なかれトラヴィス・ビックルは潜んでいるのではないだろうか。だからこそ、世代を超えた多くの人々が彼の不満や絶望や怒りや願望にどこか共感してしまうのだろう。それほどまでの説得力が役柄に備わったのは、ひとえにポール・シュレイダー自身の実体験から生まれた、いわば分身のようなキャラクターだからなのだと思う。 映画化への長い道のりとスコセッシの情熱このシュレイダーの脚本に強い感銘を受け、是非とも自らの手で映画化したいと考えたのがマーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロ。揃って生まれも育ちもニューヨークの彼らは、主人公トラヴィスに我が身を重ねて大いに共感したという。世渡りが下手で社会の主流から外れ、大都会の底辺で不満と幻滅を抱えて悶々としたトラヴィスは、若き日の彼らそのものだったという。偶然にも実家が隣近所で、子供の頃から顔見知りだったというスコセッシとデ・ニーロは、当時『ミーン・ストリート』(’73)で初タッグを組んだばかり。その『ミーン・ストリート』の編集中に、スコセッシは盟友ブライアン・デ・パルマから本作の脚本を紹介されたという。 それは’70年代初頭のカリフォルニア州はマリブ。ニューヨークのサラ・ローレンス大学でブライアン・デ・パルマと自主製作映画を作っていた女優ジェニファー・ソルトは、ジョン・ヒューストン監督の『ゴングなき戦い』(’72)のオーディションで知り合った女優マーゴット・キダーと意気投合し、マリブのビーチハウスで共同生活を送るようになったのだが、そこへハリウッド進出作『汝のウサギを知れ』(’72)を解雇されたデ・パルマが転がり込んだのである。ジェニファーを姉貴分として慕っていたデ・パルマは、その同居人であるマーゴットと付き合うようになり、3人で作った映画が『悪魔のシスター』(’72)だ。で、そのビーチハウスの隣近所にたまたま住んでいたのが、ほどなくして『スティング』(’73)を大ヒットさせて有名になるプロデューサー夫婦のマイケル・フィリップスとジュリア・フィリップス。やがて両者の交流が始まると、デ・パルマとジェニファーのニューヨーク時代からの仲間であるロバート・デ・ニーロを筆頭に、スコセッシやシュレイダー、スティーブン・スピルバーグにハーヴェイ・カイテルなどなど、ハリウッドで燻っている駆け出しの若い映画人たちが続々とビーチハウスへ集まり、将来の夢や映画談義などに花を咲かせるようになったのである。 まずはそのデ・パルマに本作の脚本を見せたというシュレイダー。自分向きの映画ではないと思ったデ・パルマだが、しかし彼らなら関心を示すだろうと考え、フィリップス夫妻とスコセッシにそれぞれ脚本のコピーを渡したという。フィリップス夫妻はすぐに1000ドルで脚本の映画化権を買い取り、これは自分が映画にしないとならない作品だと直感したスコセッシは彼らに自らを売り込んだが、しかし当時のスコセッシは映画監督としての実績が乏しかったため、遠回しにやんわりと断られたらしい。そこで彼は編集中の『ミーン・ストリート』のラフカット版をフィリップス夫妻やシュレイダーに見せたという。ニューヨークの貧しい下町の掃きだめで、裏社会を牛耳る叔父のもとで成り上がってやろうとする若者チャーリー(ハーヴェイ・カイテル)と、無軌道で無責任でサイコパスな親友ジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)の破滅へと向かう青春を描いた同作は、いわば『タクシードライバー』の精神的な姉妹編とも言えよう。これを見てスコセッシとデ・ニーロの起用を決めたフィリップス夫妻とシュレイダーだったが、しかし脚本の内容があまりにも暗くて危険だったためか、どこの映画会社へ企画を持ち込んでも断られたという。 ところが…である。フィリップス夫妻は『スティング』でアカデミー賞の作品賞を獲得し、スコセッシも『アリスの恋』(’74)がアカデミー賞3部門にノミネート(受賞は主演女優賞のエレン・バースティン)。さらにデ・ニーロも『ゴッドファーザーPARTⅡ』(’74)の若きヴィトー・コルレオーネ役でアカデミー賞助演男優賞に輝き、シュレイダーは『ザ・ヤクザ』(’74)の脚本で高い評価を受けた。ほんの数年間で関係者の誰もがハリウッド業界の有名人となったのである。こうなると話は違ってくるわけで、ジュリアの知人でもあったコロンビア映画の重役デヴィッド・ビゲルマンからの出資を獲得し、映画化にゴーサインが出たのである。ちなみにこのビゲルマンという人物、芸能エージェント時代にクライアントだったジュディ・ガーランドの無知につけ込んで彼女の財産をごっそり横領し、本作の翌年には会社の資金横領と小切手の偽造で逮捕されてコロムビア映画を解雇されるという筋金入りの詐欺師。それにも関わらず、長年に渡って各スタジオの重役を歴任したというのだから、ハリウッド業界というのもろくなもんじゃありませんな。まあ、最終的には自身の制作会社の倒産で多額の借金を抱えて拳銃自殺してしまうわけですが。 賛否両論を呼んだジョディ・フォスターの起用静かに狂っていくトラヴィスの心象風景をトラヴィスの視点から映し出すことで、映画全体がまるで白日夢のごとき様相を呈している本作。あえてカメラが主人公をフレームの外へ追い出し、一見したところ全く関係のないような風景を捉えることでセリフにない深層心理を浮き彫りにするなど、既存の型に囚われない自由でトリッキーな演出は、どちらもゴダールの熱烈なファンを自認するスコセッシと撮影監督のマイケル・チャップマンがヌーヴェルヴァーグにインスパイアされたものだという。ほかにもヒッチコックの『間違えられた男』(’56)のカメラワーク、ファスビンダー作品の率直さ、フランチェスコ・ロージ作品の手触り、マリオ・バーヴァ作品やヴァル・リュートン作品の怪奇幻想ムードなど、過去の様々な名作群に学んでいるところは、さすがフィルムスクール出身のスコセッシらしさだと言えよう。 撮影準備が始まったのは’75年の初旬。当時ベルナルド・ベルトルッチの『1900年』(’76)の撮影でヨーロッパにいたデ・ニーロは、週末ごとにニューヨークへ戻ってタクシー運転手の研修を受けてライセンスを取得し、同作がクランクアップするとすぐに帰国して10日間ほど、実際にニューヨークで流しのタクシー運転手として働いたという。ある時は運転席の身分証を見てデ・ニーロだと気付いた乗客から、「オスカーを獲っても役者の仕事にあぶれているのか?」とビックリされたのだとか。それにしてもまあ、役になりきることを信条とするメソッド・アクター、デ・ニーロらしいエピソードではある。ただし、いよいよ狂気を暴走させ始めたトラヴィスのモヒカン刈りは、次回作『ラスト・タイクーン』(’76)で映画プロデューサー役を演じることが決まっており、実際に頭髪を刈り上げるわけにはいかなかったため、特殊メイク担当のディック・スミスが制作したカツラを着用している。これが全くカツラに見えないのだから、さすがは巨匠ディック・スミス!と言わざるを得まい。 理想の美女ベッツィ役にシュレイダーが「シビル・シェパードのような女優を」と注文付けたところ、その話を聞いた彼女のエージェントから「シビル本人ではいかがでしょうか?」と打診があって本人の起用が決定。当時の彼女は『ラスト・ショー』(’71)に『ふたり自身』(’72)に本作にと重要な映画が続き、まさにキャリアの絶頂期にあった。そのベッツィの同僚トム役には、当初ハーヴェイ・カイテルがオファーされていたものの、しかし本人の希望でポン引きスポーツ役をゲット。当時ニューヨークの悪名高き危険地帯ヘルズ・キッチン(現在は高級住宅街)に住んでいたカイテルにとって、スポーツみたいなポン引きは近所でよく見かけたので演じやすかったようだ。その代わりにトム役を手に入れたのは、後に『ブロードキャスト・ニュース』(’87)でオスカー候補になるコメディアンのアルバート・ブルックス。このトムという役柄はもともとオリジナル脚本にはなく、リハーサルで監督と相談しながら作り上げていく必要があったため、即興コメディの経験があるブルックスに白羽の矢が立てられたのである。また、ポルノ映画館の売店でトラヴィスが言い寄る黒人の女性店員は、本作での共演がきっかけでデ・ニーロと結婚した最初の奥さんダイアン・アボットだ。 しかしながら、恐らく本作のキャストで最も話題となり賛否両論を呼んだのは、未成年の娼婦アイリスを演じた撮影当時12歳の子役ジョディ・フォスターであろう。もともとスコセッシ監督の前作『アリスの恋』に出演していたジョディ。その監督から「娼婦役を演じて欲しい」と電話で連絡を受けた彼女の母親は、「あの監督は頭がおかしい」とビックリ仰天したそうだが、それでも詳しい話を聞いたうえで納得して引き受けたという。とはいっても本人は未成年である。子役を映画やドラマに出演させる際、当時すでにハリウッドでは厳しいルールが設けられており、教育委員会の許可を得る必要があったのだが、しかし娼婦という役柄が問題視されて肝心の出演許可が下りなかった。そこで制作サイドは弁護士を立て、この役を演じるに問題のない精神状態かどうかを精神科医に判定して貰い、さらに性的なニュアンスのあるシーンは8歳年上の姉コニーが演じるという条件のもとで教育委員会の許可を得たという。 そんなジョディに対してスコセッシ監督が細心の注意を払ったのが、終盤の血生臭い銃撃シーンである。なにしろ、銃弾で指が吹き飛んだり脳みそが飛び散ったりするため、まだ子供のジョディがショックを受けてトラウマとならぬよう、特殊メイク担当のディック・スミスが全ての仕組みを懇切丁寧に説明したうえで撮影に臨んだらしい。ただ、このシーンは「残酷すぎる」としてアメリカ映画協会のレーティング審査で問題となり、色の彩度を落として細部を見えづらくすることで、なんとかR指定を取ることが出来たのだそうだ。 ちなみに、アイリス役にはモデルとなった少女がいる。ポール・シュレイダーがたまたま知り合った15歳の娼婦だ。撮影の準備に当たってスコセッシ監督やジョディにも少女を紹介したというシュレイダー。パンにジャムと砂糖をかける習慣や、妙に大人びた独特の話し方など、ジョディの芝居には少女の特徴が取り入れられているという。劇中ではアイリスがトラヴィスのタクシーで轢かれそうになるシーンが出てくるが、そこでジョディの隣にいる友達役がその少女である。 そして忘れてならないのは、本作が映画音楽の巨匠バーナード・ハーマンの遺作でもあることだろう。それまで自作の音楽には既成曲しか使っていなかったスコセッシにとって、作曲家にオリジナル音楽を依頼するのは本作が初めて。ハーマンが手掛けたヒッチコックの『めまい』(’58)や『サイコ』(’60)の音楽が大好きだったスコセッシは、最初から彼にスコアを付けてもらうつもりだったようだ。当時のハーマンはハリウッド業界に見切りをつけてロンドンへ拠点を移していたのだが、『悪魔のシスター』と『愛のメモリー』(’76)でハーマンと組んだデ・パルマから連絡先を聞いたスコセッシは、短気で気難しいと評判の彼に国際電話をかけて相談をしたのだが、即座に「タクシー運転手の映画などやらん!」と断られたのだそうだ。最終的にロンドンへ送った脚本を読んで引き受けてくれたわけだが、しかし当時のハーマンはすでに心臓が弱っており、ロサンゼルスでのレコーディングに参加するための渡航が大きな負担となってしまった。そのため、実際にスタジオでタクトを振ったのは初日だけ。翌日からは代役がオーケストラ指揮を務め、レコーディングが終了した’75年12月23日の深夜、ハーマンは宿泊先のホテルで就寝中に息を引き取ったのである。まるで主人公トラヴィスの孤独と絶望に寄り添うような、ダークでありながらもドリーミーで不思議な温かさのあるジャジーなサウンドが素晴らしい。■ 『タクシードライバー』© 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. 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PROGRAM/放送作品
未知との遭遇 【ファイナル・カット版】
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『E.T.』同様、異星人との友好的なコンタクトを描いた本作は同年公開の『スター・ウォーズ』と並び、以降のSF映画人気に火をつけた。宇宙人との接触を音と光で描いた圧巻のクライマックスは必見!
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『ワイルド・スピード【ザ・シネマ新録版】』TV初放送直前 爆走!完成披露試写会イベントレポート
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