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PROGRAM/放送作品
ラスト・アクション・ヒーロー
ダニー少年が魔法のチケットで、シュワルツェネッガー演じる映画のヒーロー・スレイターと繰り広げる大冒険
製作・監督は『ダイハード』シリーズを手掛けたジョン・マクティアナン。少年ダニー(オースティン・オブライエン)の憧れである、ジャック・スレイターを演じるのはアーノルド・シュワルツェネッガー!
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COLUMN/コラム2023.04.13
不朽の名作は新たな才能の饗宴の場でもあった!『アラビアのロレンス』
第1次世界大戦の最中、中東を支配していたオスマン=トルコ帝国に対する、“アラブ反乱”が起こった。それを支援したイギリス軍人で「アラビアのロレンス」として名高い存在だったのが、トーマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)。『アフリカの女王』(1951)『波止場』(54)などのプロデューサーであるサム・スピーゲルは、ロレンスが記した回想録「七つの知恵の柱」の映画化権を60年に獲得。インドに居たデヴィッド・リーンの元へと、向かった。 リーンはかの地で、マハトマ・ガンジーの生涯を映画化する企画に取り掛かっていたのだが、そちらは棚上げ。前作『戦場にかける橋』(57)で組み、赫赫たる成果を上げたパートナー、スピーゲルからのオファーを受けた。 これが映画史に残る、未曽有のスペクタクル大作にして不朽の名作、『アラビアのロレンス』(62)のスタートだった。 リーンは、ロレンスという人物が事を為した時に28歳という若さだったことを挙げ、「…大人物であったと思う」と評しながらも、彼が普通社会には受け容れられない、“異常人物”であると断じている。その上で、ロレンスが自伝の中で自らの欠点を告白している点に、いたく興味を持ち、そこに魅力を感じたという。 ***** 1935年のイギリス。ひとりの男が、運転していたバイクの事故で死ぬ。彼の名は、T・E・ロレンス。「アラビアのロレンス」として勇名を馳せながら、彼のことを真に理解する者は、ひとりとして居なかった…。 1916年、トルコに対してアラビア遊牧民のベドウィンが、反乱を起こそうとしていた。イギリスはそれを援助する方針を固め、その適任者として、カイロの英陸軍司令部に勤務し、前身は考古学者でアラビア情勢に詳しい、ロレンス(演:ピーター・オトゥール)を選んだ。 ロレンスは、反乱軍の指導者ファイサル王子(演:アレック・ギネス)の陣営に向かって旅立つ。目的地に辿り着く前には、後に盟友となる、ハリト族の族長アリ(演:オマー・シャリフ)との出会いがあった。 反乱軍と合流したロレンスは、トルコ軍が支配し、難攻不落と言われたアカバ要塞の攻略を目指す。だがそれは、灼熱の砂漠を越えなければ実施できない、無謀な作戦だった。 しかしロレンスと彼が引き連れた一行は、見事に砂漠を横断。蛮勇で名を轟かせていたハウェイタット族のアウダ・アブ・タイ(演:アンソニー・クイン)も仲間に引き入れ、遂にはアカバのトルコ軍を撃破する。 その後もゲリラ戦法で、次々と戦果を上げるロレンス。彼が夢見るアラブ民族独立も、いつか実現する日が来るように思えた。 しかしイギリスははじめから、独立など許す気はなく、己の権益の拡大のみが、目的だった。ロレンスはやがて、理想と現実のギャップに引き裂かれていく…。 ***** リーン曰く、本作の前半は、ロレンスが英雄にまつりあげられるまでの上昇のプロセス。そして後半では、英雄気取りになった彼が、「…神のような高さからついに地上へ落下する…」という、下降のプロセスを描く。 そんな中での、ロレンスの人物造形。これについては、映画評論家の淀川長治氏が、『アラビアのロレンス』について書いた一文を引用したい。 ~ロレンスの伝記。しかも複雑怪奇なロレンス像。その砂漠の第一夜からホモの影を匂わせてこのロレンスの男の世界をリーンは身震いするほどのせんさいで描いて見せた…~ こうした一筋縄ではいかない主人公の物語を構築するに当たって、大いなる戦力となったのは、脚色を担当した、ロバート・ボルト。劇作家として高い評価を受けていたボルトだが、映画の脚本を書くのは、これが初めてだった。 プロデューサーのスピーゲルは、台詞の一部を担当させるぐらいのつもりで、ボルトに声を掛けた。しかし執筆が始まると、スピーゲルもリーンも、その才能に脱帽。6週間拘束の約束が延びに延びて、結局18か月間、ボルトは『ロレンス』にかかり切りとなった。 付記すれば、ここに始まった、ボルトとリーンの縁。『ロレンス』の後、『ドクトル・ジバゴ』(65)『ライアンの娘』(70)まで続く。 ロレンスの複雑怪奇さを表現できたのは、演者にピーター・オトゥールを得たことも、大きかった。当初この役の候補には、マーロン・ブランドやアルバート・フィニーの名も挙がったという。しかしリーンは、シェークスピアものの舞台などで評価されていたオトゥールを、大抜擢。 オトゥールは4か月の準備期間に、ロレンスを知る人物を次々と訪ね、また彼に関する本と記録を片っ端から読破。原作である「七つの知恵の柱」に至っては、暗記してしまった。 因みにファイサル王子役のアレック・ギネスは、以前に舞台で、ロレンスの役を1年近く演じ続けた経験がある。オトゥールは自分の解釈が壊されるのを恐れ、ギネスとの接触を、可能な限り避けた。 ラクダ乗りの訓練とアラビア語のレッスンに関しても、オトゥールは誰よりも熱心に取り組んだという。 そうした努力の甲斐もあって、オトゥールにとってロレンスは、「生涯の当たり役」となり、後々には“名優”と言われる存在となっていった。しかし、好事魔多し。 本作でスピーゲルやリーンには、またもやオスカー像が贈られた。それに対してオトゥールは、この初めてにして最大の「当たり役」が、“アカデミー賞主演男優賞”のノミネート止まりで終わってしまったのである。 その後はどんな役をやっても、ロレンスの上を行くのが、難しかったからでもあろう。幾度候補となっても、オスカーを手にできないジレンマに陥った。 生涯で、結局8回も“主演男優賞”の候補になりながら、彼が手にしたオスカー像は、2003年のアカデミー賞名誉賞だけ。これはまあ、「残念賞」とも言える。 新しいスターという意味では、砂漠の蜃気楼の中から陽炎のように現れる、アリ役のオマー・シャリフの登場も、鮮烈だった。中東ではすでに人気俳優だったシャリフだが、この1作で世界の檜舞台へと駆け上がった。 このようにKEYとなる人材を得たとはいえ、1962年CGがない時代に、これだけのものを作ってしまったというのは、やはり驚きだ。 撮影は大部分、ヨルダンの砂漠で行われた。スタッフは砂漠にテントを張って、寝泊りしながら撮影を行ったというが、その拠点はアカバに置かれた。 70エーカーの土地を借りて、まるで新しい町が出現した。そこには、製作事務所、撮影部、衣装部、美術部、メーキャップ部、機械整備部、資材部、大道具・小道具の製作工場、大食堂、酒舗、郵便局等々の建物が立ち並び、ラクダの放牧場や大駐車場まで在った。600人に上る撮影隊のために、そこから少し離れた海岸部には、レクリエーション・センターまで設けられたという。 当時のヨルダン国王は、撮影隊に全面協力。3万人の砂漠パトロール隊員を提供した他、1万5千人のベドウィン族が、家族や家畜と共に参加し、アラブ兵やトルコ兵に扮した。 こうした大群衆を動かすため、リーンは、「撮影開始」の合図には、ロケット弾を打ち上げさせた。そして空撮のためにヘリコプターを飛ばし、空中から拡声器で指示を出すこともあった。 撮影隊は突然起きる砂嵐や蜃気楼、日陰でも50度前後に達する昼間の高温が、夜には氷点下となることもある寒暖の差、100%近い湿度等々、大自然の脅威に悩まされながらも、ヨルダンでの撮影を終えた。 続いて、モロッコ、南スペインなどでも、ロケが行われた。 ある石油採掘業者が、本作の撮影隊を指して、こんなことを言った。「白人がこの砂漠でひと夏過ごすのは不可能だ」と。しかしその予言は、見事に外れた。リーンは本作の撮影のため、合わせて3年ほども、砂漠の中で過ごしたと言われる。 もしも現在CGやVFXなしで撮影したら“300億円”以上掛かると言われる。世紀の超大作は、こうして完成に向かっていった。 スピーゲルとのコラボで、前作『戦場にかける橋』で、ビッグバジェットは経験済みとはいえ、本作は桁違いの超大作。改めて、ここに至るまでのリーンの歩みを振り返ってみたい。 若き日は撮影所でカメラマン助手や編集など技術スタッフを務めていたリーンの才能を発見したのは、ノエル・カワード。俳優・作家・脚本家・演出家・映画監督などなど、多方面にてマルチな才能を発揮し、イギリスで一時代を築いたアーティストだった。 カワードが製作・監督・脚本・主演を務めた『軍旗の下に』(42)で、リーンは共同監督として、デビューを飾った。カワードは、9歳下のリーンを大いに気に入り、その後自らのプロデュースで、自作の戯曲を映画化するに当たって、3本続けてリーンに監督を委ねた。その中にはイギリス映画史に残る、恋愛映画の名作『逢びき』(45)がある。 カワードとの蜜月後、『大いなる遺産』(46)『オリヴァ・ツイスト』(48)と、イギリスの国民的作家チャールズ・ディケンズの小説を2作続けて映画化。評判を取った。 この頃までのリーン作品は、すべてイギリス国内が舞台だった。 初めての海外ロケ作品は、『旅情』(55)。キャサリン・ヘップバーン演じるアメリカ人の独身中年女性が、イタリアのベネチアで、旅先の恋に身を震わすこの物語から、リーンは新たなステップに入っていく。「アフリカやアメリカの西部や、アジア各地など、映画は世界中をスクリーンの上に再現して見せてくれ、私の心を躍らせた。私が『幸福なる種族』(44)や『逢びき』のようなイギリスの狭い現実に閉じこもった作品から脱皮して、『旅情』以後、世界各地にロケして歩くようになったのは、映画青年時代からの私の映画を通しての夢の反映であるわけだ。私は冒険者になった気持で、一作ごとに知らない国を旅行して歩いているのである」 そしてリーンは、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』という、異国の地を舞台にしたスペクタクル巨編へと進むわけだが、こうしたチャレンジを行うようになった下地としては、彼の恩人であるノエル・カワードから贈られた言葉もあったようだ。曰く、「いつも違う道を歩きなさい」。 これらの超大作は共通して、舞台は「脱イギリス」だが、イギリス人の冒険を求める心が描かれているのが、特徴だ。両作を手掛けた、デヴィッド・リーン本人の心持ちとも、重なっていたように思える。 さて話を『ロレンス』に戻せば、撮影が終わって仕上げに入る段階で、また1人得難い“才能”が参加する。フランス出身の作曲家、モーリス・ジャールである。 ジャールは映画音楽を書くためのインスピレーションは、脚本ではなく、スクリーンで映像を観た時に得るものが、最も大きいと語る。「脳とハートを働かせ、監督と一緒に仕事をして色々なアイディアを交換することで、インスピレーションが湧いてくる…」のだそうである。『ロレンス』は、曲を作る段階で、撮影はすべて終わっていた。そしてジャールは作品に参加後、最初の1週間は、40時間の未編集の映像を、ひたすら観ることとなった。 リーンから「これをカットして、4時間の映画にする」と言われたが、その内2時間分の音楽を、6週間で書き上げなければならないという過酷なスケジュール。昼も夜も書き続けて、レコーディングが終わる頃には、「ほとんど死んでいました(笑)」と、後にジャールは述懐している。 因みにサム・スピーゲルからは、「オペラのような感じを出したい」と、注文を出された。当時は本作のような大作の場合、映画の始まる前や休憩の時に、音楽を流すのが流行していた。まず序曲があって、それが終わるとカーテンが開いて、オペラが始まる。そんなイメージだったという。 ジャールは曲の出だしで、パーカッションを用いて、観客を「…一瞬でアラビアにいるような気持ちにさせる…」ように工夫した。そしてそれは、大成功を収める。 因みに先にも触れた、オマー・シャリフ演じるアリの登場シーン。ジャールはリーンに、観客に何かを語る音楽を作るかと提案したら、「そこに音楽は要らない」と返された。静寂の中、少しずつラクダの足音が近づいてくる方が、ずっとドラマティックというわけだ。風の音や自然の一部も、すべて音楽だというリーンの考えであった。 ジャールはリーンとは、最後の監督作品『インドへの道』(84)まで付き合うこととなる。 さて今回「ザ・シネマ」で放送されるバージョンは、全長227分もの[完全版]。実は1962年の本作初公開時は、諸般の事情でカットが重なり、リーン監督にとっては不本意な形になってしまった。 その後カットされたフィルムが見つかったのを機に、88年に本来の状態に構成し直してデジタル・リマスタリングされたものが、この[完全版]である。 再編集はリーン自らが行い、音声素材が残っていなかった未公開シーンではオトゥールをはじめオリジナルキャストが再結集。改めてアフレコを行った。 多額の資金が必要だったこのプロジェクトで、大きな役割を果たしたのが、マーティン・スコセッシとスティーブン・スピルバーグ。2人とも『アラビアのロレンス』及びデヴィッド・リーンから、ただならぬ影響を受けて育った映画監督である。 スピルバーグが最も尊敬する“巨匠”が、リーンであることは、つとに有名だ。そしてリーンの監督作品の中でも『アラビアのロレンス』(57)は、自作を撮影する前に必ず見直す作品の1本だと語っている。 [完全版]は、今や正規バージョンとなっている。劇中のロレンスの悲劇的な最期と対照的に、映画作品として「めでたしめでたし」の帰結である。 その一方で、忘れてはならないことがある。ロレンスが関わった“アラブ反乱”の、リアルなその後だ。 当時のイギリスが、アラブの独立など認める気がなかったのは、記した通り。内容が矛盾する様々な密約を、アラブ側やユダヤ勢力と結ぶ、いわゆる悪名高き「三枚舌外交」を展開していた。これが「パレスチナ問題」のような、今日でも解決の糸口が見えないような、大きな問題に繋がっている。 T・E・ロレンスは、映画を観た我々にとっては、「アラブ諸国の独立に尽力した人物」「アラブ人の英雄」のように映るが、実際はどうだったのか?実はイギリスの「三枚舌外交」の尖兵だったのでは?そんな指摘も為されている。 どうであれ、本作が紛れもない傑作であるのは、揺るぎはしまい。しかし鑑賞の際、アラブの現在やパレスチナの悲劇に思いを馳せるのは、忘れないようにしたい。 私にはそれが、砂漠とアラブの人々を愛した、本作に登場するキャラクターとしての、ロレンスの遺志に添うことのように思えるのである…。■ 『アラビアのロレンス』© 1962, renewed 1990, © 1988 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
アラビアのロレンス 【4Kレストア版】
砂漠の英雄の生涯を名匠デヴィッド・リーンが映像叙事詩に仕上げた、アカデミー賞7部門受賞作
20世紀初頭のアラブ民族独立に協力した英国軍人T・E・ロレンスの生涯を壮大に描く一大叙事詩。英雄ロレンスのカリスマ性と人間的弱さを当時無名のピーター・オトゥールが熱演。アカデミー作品賞等7部門を受賞。
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COLUMN/コラム2022.05.02
‘70年代ブラックスプロイテーション映画ブームが生んだ異色の犯罪アクション映画『110番街交差点』
「ブラック・パワー」ムーブメントから生まれたブラックスプロイテーション映画 いわゆるブラックスプロイテーション映画を代表する名作のひとつである。’70年代前半のハリウッドで巻き起こったブラックスプロイテーション映画のブーム。折しも公民権運動や左翼革命の嵐が吹き荒れた当時のアメリカにあって、ファンキーなソウル・ミュージックに乗せて反権力的な黒人ヒーローが活躍するブラックスプロイテーション映画は、黒人だけでなく白人の若者たちからも熱狂的に支持された。まずは、そのブラックスプロイテーション映画の歴史から簡単に紐解いてみよう。 ご存知の通り、もともとハリウッド業界では、カメラの前でも後でも黒人の地位が低かった。なにしろ、サイレント期には白人俳優が黒塗りで黒人を演じる「ブラックフェイス」が当たり前にまかり通っていたくらいだ。『風と共に去りぬ』(’39)ではスカーレット・オハラの乳母を演じた女優ハッティ・マクダニエルが、黒人として史上初のオスカーを獲得するものの、それで黒人俳優に大きな役が回ってくるようなこともなかった。彼らに割り当てられるのは、良くて白人の引き立て役かコミック・リリーフ。その一方で、黒人観客層に向けて黒人キャストを揃えた「人種映画」も作られたが、その殆どが弱小スタジオによるマイナー映画で、上映される映画館も非常に限られていた。 やがて、’50年代に入ると公民権運動の気運が徐々に高まり、ハリウッドでも遂に本格的な黒人の映画スターが登場する。シドニー・ポワチエだ。紳士的でクリーンなイメージのポワチエは、キング牧師が推し進めた当時の公民権運動における、「黒人も白人と同じ普通の人間だ」という主張を体現するような存在だったと言えよう。しかし、こうした穏健派の活動には限界があり、’65年に公民権法は制定されたものの、しかし人種差別が収まる気配は全くなかった。そのうえ、指導者であるマルコムXとキング牧師が相次いで暗殺され、やがて目的のためなら暴力も辞さない急進派の活動家が台頭していく。その象徴がマルコムXの影響を受けたブラック・パンサー党だ。彼らはむしろ「黒人は白人と違う」「黒人は美しい」と主張し、長いこと虐げられてきた黒人の民族的な誇りを取り戻そうとした。いわゆる「ブラック・パワー」の時代の到来だ。 そうした中、1本の映画が公開される。ブラックスプロイテーション映画第1号と呼ばれる、黒人監督メルヴィン・ヴァン・ピープルズの名作『スウィート・スウィートバック』(’71)だ。白人警官殺しの容疑で追われる貧しい黒人青年の逃避行を描いたこの映画は、反体制的な「ブラック・パワー」のムーブメントに後押しされるようにして大ヒットを記録。ヴァン・ピープルズ監督が私財を投じたインディーズ映画ながら、1500万ドルという大作映画も顔負けの興行収入を稼ぎ出した。その数か月後には、黒人アクション映画『黒いジャガー』(’71)も興収ランキング1位を獲得。かくしてメジャーからインディーズまで、ハリウッドの各スタジオが競うようにして黒人映画、すなわちブラックスプロイテーション映画を作るようになったのである。 ブラックスプロイテーション映画の定義とは? それでは、何をもってブラックスプロイテーション映画と定義するのか。舞台の多くはニューヨークやロサンゼルスなどの大都会。主人公は刑事から私立探偵、麻薬の売人からヒットマンまで様々だが、いずれも既存の価値観やルールに縛られないアンチヒーローで、ハーレムやスラム街に蔓延る悪を相手に戦うこととなる。敵は必ずしも白人ばかりではなく、むしろ同胞を搾取する黒人の犯罪者も多かった。基本的には大衆向けの娯楽映画だが、しかし物語の背景には多かれ少なかれ黒人を取り巻く貧困や差別などの社会問題が投影され、白人の作り上げた資本主義社会や格差社会に対する痛烈な批判が含まれていることも多い。ブームが広がるにしたがってジャンルも多様化し、犯罪アクションのみならずセックス・コメディやホラー映画なども作られるようになった。 もちろん、キャストは黒人俳優がメイン。その中から、フレッド・ウィリアムソンやリチャード・ラウンドツリー、ロン・オニール、ジム・ブラウンなどのタフガイ的な黒人スターが次々と登場。パム・グリアやグロリア・ヘンドリーなど女優の活躍も目立つようになる。その一方で、作り手は黒人でないことの方が多かった。メルヴィン・ヴァン・ピープルズやゴードン・パークス、オシー・デイヴィスなど重要な役割を果たした黒人監督もいるにはいたが、しかし当時のハリウッドではまだ経験豊富な黒人フィルムメーカーが不足していたため、ジャック・スターレットやラリー・コーエン、ジャック・ヒルなど、既に実績のある白人監督が起用されがちだったのである。 そして、ブラックスプロイテーション映画を語るうえで絶対に外せないのが音楽である。『スウィート・スウィートバック』ではアース・ウィンド&ファイア、『黒いジャガー』ではアイザック・ヘイズ、『スーパーフライ』(’72)ではカーティス・メイフィールド、『コフィー』(’73)ではロイ・エイヤーズといった具合に、今を時めく大物黒人アーティストがテーマ曲や音楽スコアを担当。それらのファンキーなサウンドも、ブラックスプロイテーション映画が人気を博した大きな理由のひとつだった。 ハーレムの悲惨な日常をリアルに映し出す社会派映画 いよいよここからが本題。大手ユナイテッド・アーティスツがフレッド・ウィリアムソン主演の『ハンマー』(’72)に続いて配給したブラックスプロイテーション映画『110番街交差点』である。舞台はニューヨークのハーレム。アパートの一室が警官に変装した黒人3人組の強盗に襲撃され、イタリアン・マフィアの裏金30万ドルが奪われてしまう。ニューヨーク市警のベテラン刑事マテリ警部(アンソニー・クイン)が現場に駆け付けるも、地元住民は警察を嫌っているため有力な情報は出てこない。そればかりか、事件が人種問題に発展することを恐れた上層部の指示で、大学出のエリート黒人刑事ポープ警部(ヤフェット・コット―)が捜査の陣頭指揮を任されることに。暴行や恐喝など朝飯前の昔気質な叩き上げ刑事マテリと、ルールや人権を尊重するリベラル派のインテリ刑事ポープは、その捜査方針の違いからたびたび衝突することになる。 一方、110番街交差点を挟んでセントラルパークの反対側に拠点を構えるイタリアン・マフィアは、現金を奪い返して組織の威厳を回復するため、ボスの娘婿ニック(アンソニー・フランシオサ)をハーレムへ送り込む。出来の悪いニックは組織の厄介者で、これが彼に与えられた最後のチャンスだった。そんな彼を迎え入れるのは、ハーレムを仕切る黒人ギャングのボス、ドック・ジョンソン(リチャード・ウォード)。彼らもまた現金強奪事件で痛手を負っていた。とはいえ、あくまでもイタリアン・マフィアの下働き。それゆえニックは偉そうな態度を取るのだが、もちろんドックはそれが気に食わない。ここは俺たちのシマだ。お前らに好き勝手などさせない。所詮は金だけで繋がった組織同士、決して一枚岩ではなかったのだ。 その頃、現金強奪事件の犯人たちは、何事もなかったように普段通りの生活を送っていた。恋人に食わせてもらっている前科者ジム(ポール・ベンジャミン)にクリーニング店員ジョー(エド・バーナード)、そして無職の妻子持ちジョンソン(アントニオ・ファーガス)。彼らはみんなハーレムに生まれ育った幼馴染みだった。夢も希望もないこの街から出ていきたい。しかし、学歴も資格もない無教養な彼らには、外の世界で人生を立て直すだけの資金もなかった。そんな3人にとって、現金強奪はまさに最後の賭けだったのである。ほとぼりが冷めるまで静かにしているはずだったが、しかし調子に乗って浮かれたジョンソンが派手に女遊びを始めたことから、ニックとドックの一味に存在を気付かれてしまう。マフィアよりも先に犯人グループを逮捕せんとする警察だったが…? どん底の経済不況と犯罪の増加に悩まされた’70年代初頭のニューヨーク。中でも黒人居住区ハーレムの治安悪化は深刻で、余裕のある中流層はクイーンズやブルックリン、ブロンクスなどへ移り住んでしまった。つまり、当時のハーレム住民の大半は、本作の現金強奪犯グループと同様、ハーレムから出たくても出られない、ここ以外に住む場所のない最底辺の貧困層ばかりだったのだ。そんな暗い世相を背景にした本作では、白人マフィアが黒人ギャングを搾取し、その黒人ギャングが同胞である黒人住民を搾取するという、まるでアメリカ社会の縮図のような構造が浮き彫りになっていく。しかも移民の歴史が浅いイタリア系は、支配階級の白人層から見れば差別の対象であった。要するにこれは、弱者がさらなる弱者を抑圧するという負のサイクルを描いた作品でもあるのだ。 この人種間および階級間の軋轢と衝突は、警察組織にもおおよそ当てはめることが出来る。その象徴が、主人公であるハーレム分署のマテリ警部とポープ警部だ。容疑者には殴る蹴るの暴行を加えて自白を強要し、ギャングには軽犯罪を見逃す代わりとして賄賂を要求するマテリ警部。汚職まみれの典型的な不良刑事だが、しかし根っからの悪人ではない。警部という役職など名ばかり。安月給で朝から晩までこき使われ、守っているはずの住民からは嫌われる。心が荒んでしまうのも不思議ではない。しかも、50代にさしかかって昇進も見込めないマテリ警部は、ここ以外に行く当てがない。つまり、彼もまたハーレムから出たくても出られないのである。 そこへ、外部からやって来たエリート刑事に捜査の指揮権を奪われたのだから、心穏やかではいられないだろう。しかも、相手は普段から彼が見下している黒人だ。そのポープ警部は大学出のインテリ・リベラル。政治家や警察上層部からの覚えもめでたく、出世コースは約束されたも同然だ。そもそも立派な身なりからして違う。粗野でみすぼらしいマテリ警部とはまるで正反対だ。しかしそんなポープ警部も、自らの崇高な理想がまるで通用しないハーレムの現実に阻まれ、警察官としての強い信念が少しずつ揺らいでいく。この2人の対立と和解が、モラルの崩壊した世界における正義の在り方を見る者に問いかけるのだ。 ブラックスプロイテーション映画の枠に収まらない特異な作品 こうして見ると、本作は当時作られた数多のブラックスプロイテーション映画群にあって、かなりユニークな立ち位置にある作品だと言えよう。確かにキャストの大半は黒人だし、ハーレムに暮らす貧しい黒人を取り巻く様々な問題に焦点を当てている。血生臭いハードなバイオレンス描写や、ボビー・ウーマックによるソウルフルなテーマ曲と音楽スコアもブラックスプロイテーション映画のトレードマークみたいなものだ。しかしその一方で、社会の底辺に生きる庶民の日常を、徹底したリアリズムで描いていくバリー・シアー監督の演出は、ジュールズ・ダッシン監督の『裸の町』(’48)に代表される社会派フィルムノワールの影響を強く感じさせる。優等生の黒人警官と堕落した白人警官の組み合わせはシドニー・ポワチエ主演の『夜の大捜査線』(’67)を、ニューヨーク市警の腐敗や暴力に斬り込む視点はフランク・シナトラ主演の『刑事』(’68)を彷彿とさせるだろう。 これは恐らく、本作がもともとはブラックスプロイテーション映画として企画されたわけではないからなのだろう。ユナイテッド・アーティスツがウォリー・フェリスの原作小説の権利を入手したのは’70年の夏。同年9月には俳優アンソニー・クインが製作総指揮に関わることが決まったが、しかしマテリ警部役のキャスティングは難航した。第1候補のジョン・ウェインに却下され、さらにはバート・ランカスターやカーク・ダグラスにも断られ、仕方なくクイン自らが演じることになった。また、ポープ警部役も当初はシドニー・ポワチエの予定だったが、黒人コミュニティからの「イメージに相応しくない」との声を受けて変更されている。白人であるバリー・シアー監督の登板にも疑問の声があったようだ。さらに、ハーレムでのロケ撮影や黒人住民の描写について、ニューヨークの様々な黒人団体と事前に協議を重ね、意見を取り入れる必要があった。こうした事情から準備に時間がかかり、そうこうしているうちブラックスプロイテーション映画のブームが到来。やはりジャンル的に意識せざるを得ない…というのが実際のところだったようだ。 劇場公開時は賛否両論。残酷すぎる暴力描写に批判が集まったものの、しかし当時のブラックスプロイテーション映画群の多くがB級エンターテインメントに徹していたのに対し、シリアスな社会派ドラマを志向した本作は、特に黒人の批評家や知識人から高い評価を受けている。ボビー・ウーマックのテーマ曲もビルボードのR&Bチャートで19位をマーク。クエンティン・タランティーノ監督がブラックスプロイテーション映画にオマージュを捧げた『ジャッキー・ブラウン』(‘97)のサントラでも使用されている。■ 『110番街交差点』© 1972 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)アラビアのロレンス 【4Kレストア版】
砂漠の英雄の生涯を名匠デヴィッド・リーンが映像叙事詩に仕上げた、アカデミー賞7部門受賞作
20世紀初頭のアラブ民族独立に協力した英国軍人T・E・ロレンスの生涯を壮大に描く一大叙事詩。英雄ロレンスのカリスマ性と人間的弱さを当時無名のピーター・オトゥールが熱演。アカデミー作品賞等7部門を受賞。
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COLUMN/コラム2012.06.22
映画音楽の魅力を再発見!
昨年12月にニーノ・ロータ生誕100年に合わせて、ザ・シネマで「特集:映画音楽の巨匠たち」を放送した際に、「映画の大きな魅力のひとつである映画音楽の魅力を再発見した」、「懐かしいメロディを聞き、もう一度見たくなった」など、多くの暖かいご意見、ご感想をいただきました。私も子供時代に映画音楽大全集というLPレコードBOXを誕生日に親にねだって買ってもらったことを思い出し、○○年ぶりにLPに針を落とし映画音楽の魅力にドップリひたりました。ザ・シネマでは毎月、映画音楽の魅力にあふれた名作を放送中です。モーリス・ジャールの壮大なテーマ曲が印象的な名作「アラビアのロレンス」は7月に放送です。また、12月の特集ではお届けできなかったニーノ・ロータの代表作「ゴッドファーザー」は8月にシリーズ一挙放送です。映画音楽ファンの皆様、お楽しみに。 ※『アラビアのロレンス/完全版』 ※『ゴッドファーザー[デジタル・リストア版]』さて、映画音楽といえば、ザ・シネマのグループ・チャンネル、クラシック音楽専門チャンネル クラシカ・ジャパンで7月にスペシャルな映画音楽特集を放送します。こちらも、チェックしてみてください。以下、ご紹介です。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■みなさん「シネコン」って知っていますか? 「映画館」のことではありません。シネマ・コンサート、略して「シネコン」。この映画音楽を本格オーケストラで楽しむシネコン、実は最近即日完売の人気ぶり。そりゃー魅力的、でも映画館と違ってわざわざホールに行くのは敷居が高いし、ちょっと… という方。なんとテレビで気軽に楽しめてしまう素敵な番組があるのです!その名も「特集:クラシックと映画のステキな関係」。クラシック音楽専門チャンネル、クラシカ・ジャパンで7月放送予定とのこと。ラインナップをのぞいてみると…何やら楽しそうな予感。まずクラシック音楽の本場ウィーンとロンドンで話題となった豪華シネコン。映画音楽の金字塔「ニュー・シネマ・パラダイス」から始まり「E.T.」「スター・ウォーズ」「ハリー・ポッター」など新旧の名作がずらり。また巨匠アラン・シルヴェストリ氏による「バック・トゥ・ザ・フューチャー」自作自演(?)や、「007/慰めの報酬」でビル・タナーを演じたロリー・キニアも登場。クラシックとはいいながら、内容は完全に映画ファン向け。いや、これは映画好きなら見逃せません!サントラで音楽を聴くのとは違って、大オーケストラを前にすると、まるで録音現場に立ち会ったような気分を味わえます。その他にも三大テノール、プラシド・ドミンゴ主演のオペラ映画や、あのマイケル・ビーンが出演した音楽映画など興味深い特集が満載。映画とクラシックって意外に共通点が多いんですね。 この機会に新発見があるかもしれません!詳しい放送情報はこちら! ■クラシック音楽専門チャンネル クラシカ・ジャパン 7月特集:クラシックと映画のステキな関係▼ハリウッド in ウィーン20117月13日(金)21:00- (再放送あり) © ORF/Milenko Badzic ▼BBCプロムス2011 映画音楽の夕べ7月20日(金)21:00- (再放送あり) ©Chris Christodoulou 2011
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PROGRAM/放送作品
110番街交差点
[PG12相当]NYでは警察もマフィアも人種対立!1970年代を代表するソウルフルなブラックムービー
ブラックスプロイテーション全盛期の1970年代に、人種によって分断されたニューヨークの現実をフィルムノワールとしてリアルに描き出した意欲作。ボビー・ウーマックが歌い上げるファンキーな主題歌も印象的。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ラスト・アクション・ヒーロー【日曜洋画劇場版】
魔法のチケットを手に入れたダニー少年が映画のヒーロー、スレイターと繰りひろげる大冒険
製作、監督は『ダイハード』シリーズを手掛けたジョン・マクティアナン。少年ダニー(オースティン・オブライエン)の憧れである、ジャック・スレイターを演じるのはアーノルド・シュワルツェネッガー!
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PROGRAM/放送作品
ユリシーズ(1954)
まさにギリシャ神話の英雄!若きカーク・ダグラスのワイルドな勇姿に見惚れる歴史スペクタクル大作
古代ギリシャの英雄叙事詩「オデュッセイア」を壮大なスケールで映像化。有名なトロイの木馬のエピソードから始まるユリシーズの苦難に満ちた旅を、筋骨隆々なカーク・ダグラスが野性味タップリに熱演する。
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PROGRAM/放送作品
ガンヒルの決斗
巨匠ジョン・スタージェス監督がカーク・ダグラスとアンソニー・クインを主役に贈る正統派西部劇
『OK牧場の決斗』の巨匠ジョン・スタージェス監督がカーク・ダグラスとアンソニー・クインのスター2人とともに、友2人がやむにやまれぬ事情で対決する姿を描く。最後まで緊迫した展開で魅せる正統派西部劇。