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PROGRAM/放送作品
ホワイトナイツ/白夜
アメリカとソ連から亡命した2人のダンサーを描いたサスペンス。プロダンサー2人の踊りが絶品!
『愛と青春の旅だち』や『Ray/レイ』のテイラー・ハックフォードが制作・監督。バレエ界のカリスマ 、ミハイル・バリシニコフとタップダンス界のトップダンサー、グレゴリー・ハインズの2人の踊りが圧巻!
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COLUMN/コラム2023.01.10
1990年!“カルトの帝王”は“トレンド・リーダー”だった‼『ワイルド・アット・ハート』
そのフィルモグラフィーから、「カルトの帝王」と異名を取る、デヴィッド・リンチ監督。 1946年生まれの彼の初長編は、『イレイザーヘッド』(1977)。リンチが20代後半から1人で、製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果を務め、5年掛かりで完成させた。 見るもおぞましい、奇形の嬰児が登場するこの作品は、シュールで理解不能な内容のために、悪評が先行した。しかし、独立系映画館で深夜上映されると、一部で熱狂的な支持を集めるようになり、やがて“カルト映画”の代名詞的な作品となった。 続いてリンチが手掛けたのが、『エレファント・マン』(80)。生まれつきの奇形のために“象男”と呼ばれた、実在の青年の数奇な人生を描いた作品である。『エレファント・マン』はアカデミー賞で、作品賞をはじめ8部門にノミネート。リンチ自身も監督賞候補となり、大きな注目を集めた。因みに81年に公開された日本では、その年の№1ヒット作となっている。『エレファント・マン』は、感動作の衣を纏っていたため、多くの誤読を招いたことも手伝っての高評価だったのは、今となっては否めまい。この作品のプロデューサーだったメル・ブルックスは、リンチの特性をもちろん見抜いており、彼のことをこんな風に評している。「火星から来たジェームズ・スチュアート」と。 健康的なアメリカ人そのものの出で立ちで、いつも白いソックスを履き、シャツのボタンは、必ず一番上まで留めて着る。そんな折り目正しい外見のリンチが、実は他に類を見ないような“変態”であることを表した、ブルックスの至言と言えよう。 ・『ワイルド・アット・ハート』撮影中のデヴィッド・リンチ監督 その後リンチは、ディノ・デ・ラウレンティスによって、当時としては破格の4,000万㌦という製作費を投じたSF超大作『デューン/砂の惑星』(84)の監督に抜擢される。しかしこの作品は、興行的にも批評的にも散々な結果となり、リンチのキャリアにとっては、大きな蹉跌となる。『デューン』に関しても、リンチ一流の悪趣味な演出を、カルト的に愛するファンは存在する。しかし、いかんせんバジェットが大きすぎた。因みに、この作品の出演者の1人、ミュージシャンのスティングはリンチについて、「物静かな狂人」とコメントしている。 深刻なダメージを受けたリンチだったが、その後の製作姿勢を決定づける、大いなる学びもあった。それは今後の作品製作に於いては、“ファイナル・カット権”即ち最終的な編集権を己が持てないものは、作らないということ。粗編集の段階で4時間以上あった『デューン』を、無理矢理半分ほどの尺に詰められて公開されたことに、リンチは強い憤りを覚えていたのである。 そんなことがあって次の作品では、大幅な製作費削減と引き換えに、“ファイナル・カット権”を得て、思う存分腕を振るった。それが、『ブルー・ベルベット』(86)である。この作品でリンチは、ジャンルを問わず様々な題材を多く盛り込むという、独特の作風を確立。『ブルーベルベット』は、興行的にも批評的にも成功。後に「カルトの帝王」と呼ばれるようになる、足掛かりとなった。 そんなリンチであるが、まさかの“トレンド・リーダー”的存在として、崇められた時期がある。ピンポイントで言えば、それは1990年のこと。 この年、彼が製作総指揮・監督・脚本を務めたTVシリーズ「ツイン・ピークス」が大ヒット!それと同時に、マンガ、ライヴの演出やジュリー・クルーズのアルバムのプロデュース、CMの制作等々、八面六臂の大活躍を見せ、時代の寵児となったのである。 リンチの劇場用長編新作だった本作『ワイルド・アット・ハート』も、この年のリリース。そして、「カンヌ国際映画祭」で見事、最高賞=パルム・ドールを勝ち取ったのだ。 この作品の企画がスタートしたのは、89年の4月。プロデューサーのモンティ・モンゴメリーが、自分が監督するつもりで、バリー・ギフォードが書いた小説の映画化権を獲得したことにはじまる。 モンゴメリーはリンチに、製作総指揮などやってもらえないかと依頼した。ところが、リンチがその小説を読むと、自分が監督をやりたくなってしまったのである。その希望を、モンゴメリーは快諾。リンチは早速脚本化に取り掛かり、僅か8日間で第1稿を書き上げる。 撮影開始は、その4ヶ月後の8月。ロス市内や郊外の砂漠を含む周辺の町で8週間。 加えてニューオリンズ、フレンチクォーターでロケを行った。 ***** セイラー(演:ニコラス・ケイジ)は、恋人のルーラ(演:ローラ・ダーン)の目の前で、黒人の男にナイフで襲われる。それは明らかに、ルーラに偏執狂的な愛情を注ぐ、その母親マリエッタ(演:ダイアン・ラッド)の差し金。セイラーは返り討ちで、男を殺してしまう。 22ヶ月と18日後、刑務所を仮釈放となったセイラーは、ルーラを連れて、車でカリフォルニアへの旅に出る。情熱的な歓喜に満ちた2人の道行きだったが、マリエッタにより、追っ手が掛かる。 まずはマリエッタの現在の恋人で、私立探偵のジョニーが、2人を追跡する。しかしなかなか足取りを追えないことに苛立ったマリエッタは、かつての恋人で暗黒街の住人サントスにも相談。2人を見つけ出し、セイラーを殺害することを依頼するが、サントスはその条件として、追っ手のジョニーも殺すことになると、告げる。 セイラー殺し、ジョニー殺しのため、危険な殺し屋たちが、集められる。そして、彼らの手でジョニーは、無残に殺されてしまう。 旅の最中、セイラーはルーラに、今まで秘密にしていたことを明かす。火事で亡くなったルーラの父を、セイラーは生前から知っていた。そして、自分はかつてサントスの運転手を務めており、ルーラの父が焼け死ぬ現場の見張りを命じられていたのだ。ルーラの父は、マリエッタとサントスが共謀して、殺害したのであった。 次第に手持ちの金がなくなっていく中、ルーラの妊娠が発覚する。セイラーとルーラ、激しく愛し合う2人の行く手には、何が待ち受けているのか!? ***** リンチは脚色の際、原作にかなり手を入れた。そして、彼の言葉を借りれば、「…ロードムーヴィーだし、ラヴストーリーでもあり、また心理ドラマで、かつ暴力的なコメディ…」に仕立て上げた。 最も顕著な改変は、『オズの魔法使い』(39)の要素を入れたこと。竜巻に襲われて魔法の国オズに運ばれてしまった少女ドロシーの冒険を描くこの作品の、恐怖と夢が混在するところに、リンチは初めて観た時から心を打たれていたという。 具体的には、ルーラに執着する母親のマリエッタを、『オズの…』に登場する“悪い魔女”に擬して描いたり、ドロシーが赤い靴のヒールをカチッと合わせる有名なシーンを、ルーラに再現させたり。 挙げ句はラスト近く、ルーラの元を去ろうとするセイラーの前に“良い魔女”が現れて、物語を大団円へと導く。 実は脚本の第1稿では、セイラーがルーラを棄ててしまうという、原作通りの暗い結末を迎えることになっていた。ところがリンチの前作『ブルーベルベット』でヒロインを演じ、その後リンチと交際していたイザベラ・ロッセリーニが脚本を読んで、こんな悲惨な映画には絶対出演しないと言い出した。 そこでリンチは再考した結果、『オズの…』に行き着く。そして本作を、現代のおとぎ話としてのラヴ・ストーリーという形で展開することに決めたのである。その甲斐あってか、ロッセリーニも無事、キャストの1人に加えることができた。 こうした改変を、原作者のギフォードは称賛。映画版の『ワイルド・アット・ハート』を、「…ブラックユーモアのよく利いた、ミュージカル仕立てのコメディ…」と、高く評価した。 そんな本作の、キャスティング。リンチは原作を読んだ瞬間から、ルーラはローラ・ダーン、セイラーにはニコラス・ケイジといったイメージが浮かんだという。『ブルーベルベット』ではウブな少女役だったダーンを、それとは対照的にホットなルーラに当てることを、意外に受け止める向きも少なくなかった。しかしリンチに言わせれば、原作のルーラの台詞から、ダーンの声が聞こえてきたのだという 本作のクライマックス近く、場を浚うのが、“殺し屋”ボビー・ペルー役のウィレム・デフォーだ。黒ずくめで細いヒゲを生やし、歯は歯茎まですり減っているという、異様な外見。レイプ紛いの言葉責めで、ルーラを追い詰める等々、とにかく強烈な印象を残す。 リンチは彼をキャスティングした理由を尋ねられた際、「だってクラーク・ゲーブルは死んでしまったからね」と、彼一流の物言いで返答。それはさて置き、デフォーにとって本作の撮影は、本当に楽しいものだったようだ。 曰く、「…監督にいろんな提案をすると、必ず『じゃあ、やってみよう』と言ってくれたからね」 そんなことからもわかる通り、リンチの演出は、即興的なインスピレーションに支えられている。スラムのような場所でロケした際は、実際のホームレスを急遽エキストラとして集めたりもした。 因みにマリエッタ役には、ルーラ役のローラ・ダーンの実の母親、ダイアン・ラッドがキャスティングされた。リンチはラッドと、夕食を一緒に取った際のインスピレーションで、彼女に決めたという。 奇しくも『ブルーベルベット』の時、ローラ・ダーンをキャスティングしたのも、レストランでの出会いがきっかけだった。 リンチはスタッフに、ラッドとダーンが実の母娘だと知らせてなかった。そのため、撮影が始まってしばらく経った時に、「君たち二人は顔までそっくりになってきたね。怖いぐらいだ」と、ラッドに言いに来たスタッフが居たという。 さて本作のラスト、セイラーは愛するルーラと我が子に向かって、『ラヴ・ミー・テンダー』を歌い上げる。このシーンは、演じるニコラス・ケイジの趣味嗜好を押さえておくと、より楽しめる。 ケイジはエルビス・プレスリーの熱烈なファンで、その関連グッズのコレクター。本作から12年後=2002年に、プレスリーの遺児であるリサ・マリーと結婚した際などは、ケイジのプレスリーコレクションとして、「最大の得物をゲットした」と揶揄されたほどである。まあこの結婚は、すぐに破綻したのだが…。 そんなケイジが演じるセイラーが、「俺の女房になる女にしか歌わない」と劇中で宣言していた、プレスリーの代表的なラヴソングをド直球に歌い上げて、本作はエンドとなる。ケイジはさぞかし、気持ち良かったであろう。 当時リンチのミューズであった、イザベラ・ロッセリーニは、撮影現場でのリンチのことを、こんな風に語っている。「…俳優たちと付き合うのが大好きで、撮影で一緒に遊んでる感じ…」「…まるでオーケストラの指揮者がバイオリン奏者を指揮するように演出する…」 そんな監督だからこそ、『ワイルド・アット・ハート』の、感動的且つ爆笑もののラストが生まれたのかも知れない。■ 『ワイルド・アット・ハート』© 1990 Polygram Filmproduktion GmbH. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ワイルド・アット・ハート
[R-15相当]親に交際を禁じられた男が恋人と逃避行に!D・リンチ節が全開のワイルドな純愛ストーリー
刑務所から出所した男とその恋人が繰り広げる愛の逃避行を、デヴィッド・リンチ監督がバイオレンスとエロスを全開に描き出す。若きニコラス・ケイジの危険な香りも魅力的。カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
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COLUMN/コラム2022.07.01
美しい表層の裏に隠された魑魅魍魎を炙り出すデヴィッド・リンチの悪夢的世界『ブルーベルベット』
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。 『砂の惑星』での苦い経験から学んだリンチ監督 1980年代の半ば、映画監督デヴィッド・リンチはキャリアのどん底を経験していた。前衛アーティストして絵画や短編映画を作っていたリンチは、4年の歳月をかけて自主製作した長編処女作『イレイザーヘッド』(’76)がカルト映画として評判となり、アカデミー賞で8部門にノミネートされた名作『エレファント・マン』(’80)にてメジャーデビュー。この成功を受けて、イタリア出身の世界的大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが製作する超大作SF映画『砂の惑星』(’84)の監督に起用されるものの、しかし脚本の準備段階から様々な困難に見舞われる。そのうえ、最終的な編集権がスタジオ側にあったことから勝手な編集が施され、出来上がった映画はリンチ本人にとって不本意なものとなってしまい、結果として批評的にも興行的にも大惨敗を喫してしまったのである。 しかし、この失敗に全く懲りる様子のない人物がいた。金銭的に大損をしたはずのディノ・デ・ラウレンティスである。てっきり見限られたと思っていたリンチだが、そんな彼にデ・ラウレンティスは次回作の話を持ち掛けてきた。以前に見せてもらった脚本、あれは面白いから映画化しようと言われ、えっ?興味ないとか言ってなかったっけ?と驚いたというリンチ。その脚本というのが『ブルーベルベット』(’86)だった。 実は『イレイザーヘッド』を発表する以前から、リンチが温めていた企画だったという『ブルーベルベット』。といっても、最初は劇中でも流れるボビー・ヴィントンのヒット曲に由来するタイトルだけで、草むらに落ちている切断された人間の耳、クローゼットの隙間から覗き見る女性の部屋など、そのつど断片的に浮かび上がるイメージを、長い時間をかけながらひとつの脚本にまとめあげていったのだそうだ。 デ・ラウレンティスがプロデュースの実務を任せたのは、かつて彼の製作アシスタントだったフレッド・カルーソ。最初に算出された予算額は1000万ドルだったが、しかし当時のデ・ラウレンティスはアメリカに新会社を設立したばかりで、なおかつ自社スタジオの建設に着手していたため、それだけの資金を用立てている余裕がなかった。そこでリンチは自身のギャラをはじめとする製作コストを大幅に削減する代わり、編集権を含む全ての現場決定権を自分に与えるよう提案。これにデ・ラウレンティスが合意したことから、リンチは思い描いた通りの映画を自由に作るという権利を手に入れたのである。恐らく『砂の惑星』での苦い経験から学んだのであろう。ただし、同時期にデ・ラウレンティスが手掛けている他作品の監督たちに配慮して、あくまでも契約書には記載されない口約束だったらしい。それでもデ・ラウレンティスは最後まで現場に口出しをせず、リンチとの約束をしっかり守ったという。 リンチ監督の潜在意識を具現化したダークファンタジー 舞台はノースカロライナ州の風光明媚な田舎町ランバートン。大学進学のために町を出ていた若者ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で倒れてしまったことから、家業である金物店の経営を手伝うため実家へ戻ってくる。病院へ父親を見舞った帰り道、家の近くの草むらで切断された人間の耳を発見するジェフリー。父親の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のもとへ耳を届けた彼は、「これ以上この事件には深入りしないように」と忠告を受けるのだが、しかしウィリアムズ刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から「クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズが事件に関係しているらしい」と聞いて好奇心を掻き立てられる。 ナイトクラブ「スロー・クラブ」で名曲「ブルーベルベット」を歌って評判の美人歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ジェフリーの実家のすぐ近所に住んでいるという。サンディの協力で合鍵を手に入れたジェフリーは、事件に繋がる手がかりを探すためドロシーの留守宅にこっそりと忍び込むのだが、そこへクラブでの仕事を終えた本人が帰ってきてしまう。慌ててクローゼットに身を隠すジェフリー。そこで彼が目にしたものは、狂暴なサイコパスのギャング、フランク・ブース(デニス・ホッパー)とドロシーの変態的な性行為だった。どうやらドロシーは夫と息子をフランクの一味に拉致され、強制的に愛人にされているらしい。警察に通報すべきなのかもしれないが、しかし現時点では盗み聞きした情報しかない。さらなる具体的な証拠を求め、ドロシーやフランクの周辺を探り始めたジェフリーは、次第にめくるめく暴力と倒錯の世界へ足を踏み入れていく…。 まるで1950年代辺りで時が止まってしまったようなアメリカの田舎町ランバートン。そこに住む人たちの服装や髪型は明らかに’80年代のものだが、しかし住宅街に並ぶ家々は’50年代のホームドラマ『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』からそのまま抜け出てきたみたいだし、街角のダイナーや道路を走る車もレトロスタイルで、ヒロインのサンディの部屋には’50年代の映画スター、モンゴメリー・クリフトのポスターが貼ってある。さらに言えば、ナイトクラブのステージでドロシーが使うマイクは’20年代のヴィンテージだし、ドロシーの住むアパートメントは’30年代のアールデコ建築。さながら古き良きアメリカの集大成的な異次元空間、デヴィッド・リンチの創り出した完璧な理想郷である。これは、その美しい表層の裏に隠された醜い闇をじわじわと炙り出していく作品。何事にも表と裏があり、光と影がある。本作のオープニングで、綺麗に手入れされた庭の芝生にカメラが近づいていくと、草むらの暗い陰に無数の虫たちが蠢いている。これこそが本作のテーマと言えるだろう。 鮮やかな色彩やドラマチックな音楽の使い方などを含め、’50年代にダグラス・サーク監督が撮った一連のメロドラマ映画をも彷彿とさせる本作。もちろん、同時代のフィルム・ノワール映画からの影響も大きいだろう。しかし、筆者が真っ先に連想するのはラナ・ターナー主演の『青春物語』(’57)である。同じく風光明媚な古き良きアメリカの田舎町を舞台にした同作では、さすがに本作のように倒錯的なセックスや暴力こそ出てこないものの、まるで絵葉書のように美しい田舎町の裏側に隠された貧困や差別、不倫やレイプなどの醜い実態を次々と暴き、神に祝福された理想郷アメリカの歪んだ病理を描いて全米にセンセーションを巻き起こした。その『青春物語』で母親の再婚相手にレイプされて妊娠する貧困層の少女セレーナを演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた名女優ホープ・ラングが、本作でサンディの母親役を演じているのは恐らく偶然ではないだろう。 実は自身も本作に出てくるような’50年代のサバービアで育ったリンチ監督。ある時彼は、桜の木から滲み出る樹液に無数の蟻が群がっている様子を発見し、美しい風景もよく目を凝らすとその下に必ず何かが隠れていることを悟ったという。恐らく彼は、物事の美しく取り繕われた表層に居心地の悪さを感じ、その裏側に隠された魑魅魍魎の世界に魅せられるのだろう。そういえば、純粋さと危うさが同居する主人公ジェフリーといい、厚化粧でクールを装ったドロシーといい、本作の登場人物は誰もが表の顔と裏の顔を併せ持つ。これは、そんなリンチ監督自身の潜在意識を具現化したシュールなダークファンタジーであり、ある意味で『ツイン・ピークス』の原型ともなった作品と言えよう。 見過ごせないディノ・デ・ラウレンティスの功績 また、本作はデヴィッド・リンチ作品に欠かせない作曲家アンジェロ・バダラメンティが初めて関わった作品でもある。当初は、クラブ歌手ドロシーを演じるイザベラ・ロッセリーニのサポートとして呼ばれたというバダラメンティ。というのも、プロの歌手ではないロッセリーニのレコーディングが難航し、困った製作者のフレッド・カルーソがボーカル指導に定評のある友人バダラメンティに助け舟を求めたのだ。これが上手くいったことから、カルーソはエンディング・テーマの作曲も彼に任せることに。リンチ監督自身はUKのドリームポップ・バンド、ディス・モータル・コイルのヒット曲「警告の歌(Song to the Siren)」を使いたがったのだが、著作権使用料が高すぎるという理由でディノ・デ・ラウレンティスが首を縦に振らず、ならば似たようなオリジナル曲を作ってしまおうということになったらしい。 それ自体は大して難題ではなかったものの、バダラメンティを悩ませたのはリンチ監督から渡された歌詞。韻文やリフレインなどの定型ルールを無視しているため、歌詞として全く成立していなかったのである。なんとか楽曲を完成させたバダラメンティに、リンチ監督は「天使のように囁く歌声」のボーカリストを希望。そこで彼は当時関わっていたステージの歌手ジュリー・クルーズに、誰か条件に合致する候補者はいないかと相談したという。そこで3~4人の歌手を紹介してもらったものの、どれもいまひとつだったらしい。すると、ジュリーが「私にトライさせて貰えない?」と言い出した。しかし、当時の彼女はエセル・マーマンのようにパワフルに歌いあげる熱唱型歌手。さすがにイメージと違い過ぎると考えたバダラメンティだったが、「天使のように囁く歌声」を徹底的に研究したジュリーは、見事に希望通りの歌唱を披露してくれたのである。 このテーマ曲「愛のミステリー(Mysteries of Love)」でリンチ監督の信頼を得たことから、バダラメンティは本編の音楽スコア全般も任されることとなり、これをきっかけにバダラメンティの音楽はリンチ作品に欠かせない要素となる。ジュリー・クルーズも引き続き『ツイン・ピークス』のテーマ曲に起用された。 そういえば、本作はリンチ監督と女優イザベラ・ロッセリーニが付き合うきっかけになった映画でもある。当初リンチはドロシー役にヘレン・ミレンを希望していたらしい。ある時、デ・ラウレンティスの経営するイタリアン・レストランへ行ったリンチは、そこでたまたま知人に遭遇したのだが、その知人の連れがロッセリーニだったという。ちょうど当時、彼女は映画『ホワイトナイツ/白夜』(’85)でヘレン・ミレンと共演したばかり。これは奇遇とばかりにヘレンを紹介してもらうことになったのだが、ロッセリーニ曰くその2日後にリンチ監督からドロシー役をオファーされたのだそうだ。当時『エレファント・マン』は見たことがあったものの、それ以外はあまりリンチ監督のことを知らなかった彼女は、前夫マーティン・スコセッシに相談したところ『イレイザーヘッド』を見るように勧められたという。それで彼の才能を確信して出演を決めたのだとか。で、これを機に私生活でも親密な関係になったというわけだ。 ちなみに、劇中でジェフリーが発見する切断された耳はシリコン製で、最初は特殊メイク担当ジェフ・グッドウィンが自分の耳で型取りしたものの、リンチ監督から「小さすぎる」と指摘されたことから、プロデューサーのフレッド・カルーソの耳をモデルにして製作したという。さらに、リンチ監督がトレーラーで散髪した際にその髪を集め、シリコン製の耳に貼り付けたとのこと。撮影では耳に蜂蜜を塗ったうえで草むらに置き、そこへ冷凍で仮死状態にした蟻をバラまき、気温で蟻が蘇生して動き出すまで待ってカメラを回したそうだ。また驚くべきは、クライマックスで銃殺されたフランクの頭から脳みそが飛び出すシーンで、本当に人間の脳みそを使用していること。リンチ監督の希望で西ドイツから取り寄せたらしい。 当初のオリジナルカットは3時間57分もあったらしいが、リンチ監督自身が再編集を施して2時間ちょうどに収まった本作。初号試写で「これを配給する会社はないだろう」と判断したディノ・デ・ラウレンティスは、本作のために新たな配給部門を立ち上げたという。さらに、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレーで一般試写を行ったのだが、これが関係者も頭を抱えるほどの大不評で、アンケート用紙には監督への非難や罵詈雑言のコメントが並んだらしい。しかし、これに全くたじろがなかったのが、またもやディノ・デ・ラウレンティス。「彼らは何も分かっていない、これは素晴らしい映画だ、1フレームたりともカットするつもりはない」と作品を全面擁護し、「予定通りに公開する、批評家は絶対に気に入るだろうし、そうなれば観客だってついてくるさ」と予見したという。実際にその言葉通り、本作は最初こそ世間からブーイングを浴びたものの、やがて口コミで評判が広がって大ヒットを記録。リンチ監督はアカデミー賞監督賞にノミネートされ、現代ハリウッドを代表する鬼才とも評されることとなる。こうした『ブルーベルベット』の成功を振り返るにあたって、やはりディノ・デ・ラウレンティスの功績を忘れてはならないだろう。■ 『ブルーベルベット』© 1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ブルーベルベット
[R15相当]『ツイン・ピークス』のD・リンチ監督独特の世界が満喫できる、官能的なダークスリラー
カルトの帝王・リンチ監督一流の悪夢的なヴィジュアル表現と、悪夢そのもののような不条理なストーリー展開が堪能できる、初期の代表作。主演は、リンチ作品常連のカイル・マクラクラン。
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COLUMN/コラム2018.06.14
『ホワイトナイツ/白夜』を楽しむ上で知っておきたい当時の知られざるソ連事情を、ソ連時代のモスクワで育った筆者が解説
80年代のハリウッドを代表する東西冷戦映画と呼んでもいいだろう。世界的なロシア人バレエ・ダンサー、ミハイル・バリシニコフが、まるで自らをモデルにしたような亡命ロシア人バレエ・ダンサー役で主演を務めたことは、彼の熱狂的なファンが大勢いる日本でも大いに話題となった。そのバリシニコフと共演の大物タップ・ダンサー、グレゴリー・ハインズによる気迫に満ちたダンス・シーンは何度見ても圧巻だ。ライオネル・リッチーが歌う主題歌『セイ・ユー、セイ・ミー』、フィル・コリンズとマリリン・マーティンがデュエットした挿入歌『セパレート・ライブス』も共に、ビルボードの全米シングル・チャートで1位を獲得する大ヒットとなり、前者がアカデミー賞の歌曲賞を獲得。テレビの音楽番組で放送されたプロモーション・ビデオが、映画の興行成績に多大な貢献をしたであろうことは想像に難くない。そういう意味でも、非常に’80年代的な映画だったと言えるだろう。 物語は8年前にソ連からアメリカへ亡命したトップ・バレエ・ダンサー、ニコライ・ロドチェンコ(ミハイル・バリシニコフ)が、次の公演先である東京へと向かうところから始まる。ところが、その途中で旅客機がエンジン・トラブルに見舞われ、あろうことかソ連領のシベリアへと不時着。パスポートを破棄して素性を隠そうとしたニコライだったが、KGB幹部のチャイコ大佐(イエジー・スコモリフスキ)に見抜かれて身柄を拘束されてしまう。ソ連において彼は国家を裏切った重大な犯罪者だからだ。 そんなニコライをチャイコ大佐はソ連のバレエ界に復帰させ、国内外へ向けたプロパガンダに利用しようと考える。だが、当然ながらニコライは首を縦に振らない。そこで、チャイコ大佐はアメリカからソ連に亡命した黒人タップ・ダンサー、レイモンド(グレゴリー・ハインズ)にニコライの監視役を命じ、彼を再びステージに立つよう仕向けさせる。一方、当初はソ連当局の反米プロパガンダに利用されながら、用が済んだらシベリア行きのお払い箱となっていたレイモンにとって、これはロシア人妻ダーリャ(イザベラ・ロッセリーニ)と一緒に首都モスクワへ戻る大きなチャンスだった。 かくして、古都レニングラード(現サンクトペテルブルグ)へと向かい、ロシアン・バレエの殿堂キーロフ劇場(現マリインスキー劇場)の舞台に立つべく準備を始めるニコライとレイモンド。はじめのうちはお互いに対立していた2人だが、次第に心を通わせ友情を育むようになり、やがてニコライの元恋人でキーロフ劇場の幹部ガリーナ(ヘレン・ミレン)やアメリカ領事館の協力のもと、一緒に共産圏から自由世界へと脱出すべく逃亡計画を実行することとなるわけだ。 ソビエト連邦が解体されてから今年で27年。今の北朝鮮みたいに言論の自由がない閉鎖的な独裁国家だった…という大まかな知識はあっても、具体的にどういう国だったのかはいまひとつ分かりません…という若い世代の視聴者も少なくないだろう。そこで今回は、映画『ホワイトナイツ/白夜』を楽しむ上で知っておきたい事柄、つまり当時の知られざるソ連事情を、実際にソ連時代のモスクワで育った(’70年代後半~’80年代初頭)筆者が解説しようと思う。 まず初めに理解しておくべきは、旧ソ連におけるバレエ・ダンサーの置かれた状況だ。そもそも、当時のソ連にとって世界に名の通った自国の芸術家やスポーツ選手は、社会主義大国ソ連の豊かで先進的な文化を国内外に喧伝し、国家の優れたイメージを知らしめるために最も有効な存在だった。表向きは国家の英雄、実際はプロパガンダの道具である。中でも、連邦国家の中心であるロシアは世界に冠たるクラシック・バレエのメッカ。有名ダンサーを多く抱えたキーロフやボリショイなど伝統的バレエ団の世界公演は、ソ連当局にとって重要な外貨獲得手段の一つだったのである。 それだけに、成功したダンサーたちには一般庶民も羨む豊かな暮らしが約束されたが、しかしその一方で私生活までもが当局の厳重な監視下に置かれて自由は与えられなかった。それはクラシック音楽の作曲家や演奏家、オペラ歌手なども同様。ゆえに、ほんの僅かなチャンスを狙って国外の公演先で亡命する芸術家は後を絶たず、特に’70年代から’80年代にかけては亡命事件が多発した。本作の主演者ミハイル・バリシニコフもその一人。当然、ソ連当局も亡命を警戒しており、20世紀最大のプリマドンナと呼ばれたロシアン・バレエの至宝マイヤ・プリセツカヤなどは、それゆえ殆ど国外公演には同行させてもらえなかった。そもそも、プリセツカヤは実の両親がスターリン時代に政治犯として粛清された過去があり、バレリーナとしての成功と名声がなければ彼女自身もシベリア送りになっていた。外から見れば華やかな栄光も、その実はいばらの道。そういう時代だったのである。 一方、グレゴリー・ハインズが演じているアメリカからソ連へ亡命したタップ・ダンサー、レイモンドだが、確かに当時は資本主義に幻滅して社会主義国への亡命を選択した西側の人々が存在した。その代表格が、アメリカ人のロックンロール歌手ディーン・リードである。劇中のレイモンドがアメリカの人種差別や貧困、ベトナム戦争に嫌気がさしたように、祖国アメリカの帝国主義や資本主義社会の経済格差に強い疑問を抱いて社会主義へ傾倒したリード。彼が’73年に選んだ亡命先は東ドイツだったが、ソ連へも頻繁に招かれてコンサートやテレビ出演を行い、メディアを通してアメリカへの批判を繰り広げていた。筆者もモスクワ在住時代にテレビで彼の姿をたびたび見たことがある。その扱いは文字通りスーパースター並み。ソ連当局にとっては、格好の反米プロパガンダの道具だったのだろう。 ちなみに、劇中でレイモンドがガーシュウィンの音楽劇『ポーギーとベス』をソ連の観客相手に演じている。このシーンを見て驚いた視聴者もいるかもしれないが、しかし筆者に言わせれば「さもありなん」といったところだ。なぜなら、この音楽劇はアメリカ南部の凄まじい貧困をテーマにしている、要するにアメリカ社会の恥部を暴いている作品だからだ。確かに、当時のソ連では資本主義および民主主義の思想や価値観を投影した映画や音楽、演劇などは厳しく取り締まられていたし、西側諸国の豊かさを喧伝するような作品はご法度だったが、しかし逆に資本主義や民主主義の矛盾、西側諸国の恥部や暗部を描いたような作品は積極的に国民の目に触れさせていたのだ。 その代表例がアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』。資本主義や競争社会の弊害に苦しむアメリカ庶民の悲劇を通して、アメリカン・ドリームの残酷な現実を描いたこの作品は、ソ連国内でもロシア語の翻訳版が幾度となく上演されている。また、オスカー候補になった’51年の映画版も後にソ連で劇場公開され、テレビでも繰り返し放送された。ほかにも、『怒りの葡萄』や『ウエストサイド物語』などのハリウッド映画が、ソ連当局の反米プロパガンダとして利用されている。アメリカという国の社会構造がいかに不公平で、一部の権力者を除いた大半の庶民がどれだけ苦しい生活を強いられているのか、それに比べて社会主義国家である我々のソビエト連邦には貧富の差などなく平等で、その国民はどれだけ恵まれているのか。こうした作品を通してソ連当局は国民を啓蒙(というより洗脳)していたわけだが、しかし映画版『セールスマンの死』を見た当時のロシア人が、劇中に出てくる貧しいはずのアメリカ庶民の暮らしぶりが自分たちよりも豊かであることにショックを受けた…なんて話も聞いたことあるので、どれだけプロパガンダとして成功していたのかは定かでない。 そうそう、そういえば思い出したが、当時はテレビのニュース番組もソ連当局にとって重要なプロパガンダ手段の一つだった。西側諸国の社会問題や犯罪事件などを現地からレポートすることで、資本主義社会における格差や貧困などの理不尽をことさら強調するのである。ある時など、日本の一般庶民の平均的な生活を紹介すると称して、’80~’81年の当時ですら既に珍しかった東京都内の長屋を取材していたのには驚いた。はるか向こうに見えるのは日本の繁栄を象徴する近代的な高層ビル。しかし、豊かなのは一部の権力者だけで、普通の日本人はこんなに狭い家で貧乏暮らしを強いられているんですよ…という巧みな印象操作だ。 とはいえ、劇中でバリシニコフ演じる主人公ニコライが、権力者が贅沢な暮らしをしているのは世界中どこへ行ったって同じ、と皮肉ってみせるように、建前上は万人が平等であるはずのソ連社会に歴然とした経済格差が存在することは、当の本人たちだって重々承知の上だった。例えば、ソ連時代の深刻な物資不足や国産品の劣悪な品質はつとに知られているが、その一方で高品質の西側商品や国産高級品を確実に手に入れることが出来る場所も存在した。それが、モスクワやレニングラードに複数個所あった国営の外貨金券ショップ「ベリョースカ(白樺)」である。外国からの旅行客や現地在住の西側駐在員に外貨を使わせることが目的の店(かつては東京の新橋にも支店があった)で、日本の家電製品やヨーロッパ各国のブランド品などを多数取り揃えており、筆者の家族も一般の商店には並ばないキャビアや高級ウォッカなどの贅沢品を買うため時おり利用したものだが、意外にも現地人の買い物客を見かけることも少なくなかった。彼らが何者なのかというと、外貨を手に入れることの出来る共産党幹部とその家族、もしくは西側へ出て外貨を稼ぐチャンスのある芸術家などの人々。つまり特権階級である。本作の劇中でガリーナがグッチのバッグを持っていたり、キーロフ劇場のリハーサル室に日立製のミニコンポがあるのもの、要するにそういうことなのだ。 あと、筆者が暮らしていた当時のモスクワでは、外国人の宿泊する高級ホテルの近辺に、いわゆる夜の商売のお姉さんたちがたむろしていた。実は、その中の一人の自宅にお邪魔したことがある。というのも、お姉さんに取材を申し込んだうちの父親が、いろいろな万が一を想定して家族を同伴したのである。平凡なアパートの一室に母親と2人暮らしをしていたグルジア系のお姉さん。家の中には日本製のステレオやテレビが並んでいたのだが、恐らく客から稼いだ外貨で購入したのだろう。また、日本製のカレンダーや日本の女性ファッション誌などもあったので、多分日本人をお得意さんにしていたのかもしれない。ある意味、夜の民間交流。いくら政府が国民に対して情報統制をしたところで、意外や意外、こういうところからも外部の情報は入ってくるもんなのだ。 なお、参考までに補足的な情報を付け加えておくと、先述したようなプロパガンダ目的の社会派映画以外にも、当時のソ連ではアメリカ映画を見るチャンスがそれなりにあった。もちろん数は決して多いとは言えないし、大半は西側での封切りから何年もたってからの劇場公開。例えば、筆者が’78年にモスクワへ到着した際、市内の大きな映画館で上映されていたのはマリリン・モンロー主演の『七年目の浮気』だった。モンローは当時のソ連で人気が高く、『お熱いのがお好き』は爆発的な大ヒットとなったらしい。ただし、ソ連時代に最もヒットしたハリウッド映画は『荒野の七人』。これは、最後に農民が横暴な権力に勝利するというストーリーが、労働者・農民・兵士による革命で建国されたソビエト連邦の基本精神と合致したからなのだろう。キューブリックの『スパルタカス』も大受けしたらしいが、これも恐らく同じ理由であったはずだ。そうした作品以外にも、イデオロギー的に当局が無難と判断したアクション映画やコメディ映画などの娯楽作品が、少ないながらもソ連国内で正式に上映されている。それこそ北朝鮮のような、全くの情報鎖国状態ではなかったのだ。 それは音楽も同様で…と深く掘り下げたいところだが、かなり話が長くなってしまったので、それはまた別の機会にということでご容赦願いたい。ただし、昔のソ連では日本の歌謡曲も少なからず紹介されていた、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』は今でもソ連時代を代表するヒット曲の一つに数えられているほど有名、伊東ゆかりやいしだあゆみ、ピンキーとキラーズ、先ごろ急逝した西城秀樹の楽曲もリリースされている、ということだけは申し添えておきたい。■ © 1985 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
ワイアット・アープ(1994)
西部劇の定番、OK牧場の決斗を、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のケヴィン・コスナーが入魂の映画化
『OK牧場の決斗』をはじめ、多くの映画で描かれてきた伝説の決闘を、製作・主演のケヴィン・コスナーが入魂の再映画化。ワイアット・アープ役にケヴィン・コスナー、ドク・ホリデイ役はデニス・クエイドが務める。
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COLUMN/コラム2014.01.01
2014年1月のシネマ・ソムリエ
■1月11日『ザ・ローリング・ストーンズ・ア・ライト』 ロック通の巨匠M・スコセッシと、ザ・ローリング・ストーンズのコラボレーションが実現。2006年、ニューヨークのビーコン・シアターで行われたライブの記録映画だ。 『JFK』のロバート・リチャードソンなど、ハリウッドの一流撮影監督が多数参加。カメラ18台を駆使した見事なカット割りの映像で、ストーンズの熱い演奏を見せる。 バディ・ガイ、ジャック・ホワイトらのゲストを迎えたステージは臨場感満点。セットリストが直前まで届かずに苛立つスコセッシの姿を捉えたオープニングにも注目を。 ■1月18日『ブルーベルベット』 ハンサムな大学生ジェフリーが野原で人間の片耳を拾う。好奇心に駆られ、事件の関係者であるクラブ歌手ドロシーの自宅に侵入した彼は、そこで異常な光景を目撃する。鬼才D・リンチの世界的な名声を揺るぎないものにしたフィルムノワール。のどかな田舎町に潜む倒錯的な暴力とセックスを描き、賛否両論の大反響を呼び起こした。「この世は不思議なところだ」という劇中セリフに象徴される映像世界は、猟奇的かつ淫靡でありながら優雅でもある。変態のサディストを怪演したD・ホッパーも強烈! ■1月25日『アクロス・ザ・ユニバース』 ビートルズ・ナンバー33曲をフィーチャーした青春ミュージカル。ベトナム反戦運動に揺れる1960年代の米国を舞台に、若者たちの恋と挫折をドラマチックに描き出す。監督は独創的な舞台演出家でもあるJ・テイモア。サイケな視覚効果が圧巻の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」など、名曲の数々を巧みに物語に融合した。美形女優E・R・ウッドらのキャストが見事な歌声を披露。登場人物にルーシー、ジュードといったビートルズの歌詞にちなんだ名前が付けられているのも要チェック。 『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』©2007 by SHINE A LIGHT, LLC and GRAND ENTERTAINMENT (ROW) LLC. All rights reserved./『ブルーベルベット』BLUE VELVET © 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved/『アクロス・ザ・ユニバース』© 2007 Revolution Studios Distribution Company, LLC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
複製された男
[R15+]顔も声も瓜二つの男…一体何者?『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が悪夢の迷宮へ誘う
『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの同名小説を映像化。瓜二つの男2人の対面をジェイク・ギレンホールが一人二役で熱演し、ミステリアスな不条理劇に没入させる。
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PROGRAM/放送作品
ワイアット・アープ
西部劇の定番、OK牧場の決斗を、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のケヴィン・コスナーが入魂の映画化
『OK牧場の決斗』をはじめ、多くの映画で描かれてきた伝説の決闘を、製作・主演のケヴィン・コスナーが入魂の再映画化。ワイアット・アープ役にケヴィン・コスナー、ドク・ホリデイ役はデニス・クエイドが務める。