検索結果
-
PROGRAM/放送作品
アナザー・カントリー
秩序と伝統のイギリス名門校、大人顔負けの権力争いの中、青年が落ちる禁断の恋
実在の英国人スパイを題材とした作品。まだ10代の青年たちが、他人を出し抜こうと様々な駆け引きを繰り広げる英国名門校が舞台。そこに生きる学生の姿を、美しい俳優たちを迎え、豊かな緑を背景に叙情豊かに描く。
-
COLUMN/コラム2022.11.04
華やかなスウィンギン・ロンドンの光と影を映し出すフリー・シネマの名作『ダーリング』
刹那的な時代の世相を切り取った名匠ジョン・シュレシンジャー 当サイトで以前にご紹介したイギリス映画『ナック』(’65)が、スウィンギン・ロンドン時代の自由な空気を明るくポジティブに活写していたのに対し、こちらはその光と影をシニカルなタッチで見つめた作品である。第二次世界大戦後の荒廃と再建を経て、高度経済成長期に突入した’60年代半ばのイギリス。その中心地であるロンドンではベビーブーマー世代の若者文化が花開き、長らくイギリスを支配した保守的な風土へ反発するようにリベラルな価値観が広まり、経済の活性化によって本格的な消費社会が到来する。いわゆるスウィンギン(イケている)・ロンドン時代の幕開けだ。 そんな世相の申し子的な若くて美しい自由奔放な女性が、好奇心と欲望の赴くままにリッチな男性たちを渡り歩き、華やかな上流階級の世界で刹那的な快楽に身を委ねるも、その刺激的で享楽的な日々の中で虚無感と孤独に苛まれていく。さながらイギリス版『甘い生活』(’60)。それがアカデミー作品賞を含む5部門にノミネートされ、主演女優賞など3部門に輝いた名作『ダーリング』(’65)である。 監督はトニー・リチャードソンやリンゼイ・アンダーソンと並ぶ英国フリー・シネマの旗手ジョン・シュレシンジャー。BBCテレビのドキュメンタリーで頭角を現したシュレシンジャーは、劇映画処女作『ある種の愛情』(’62)でベルリン国際映画祭グランプリ(金熊賞)に輝いて注目されたばかりだった。2作目『Billy Liar』(’63)を撮り終えた彼は、同作にカメオ出演した人気ラジオDJ、ゴッドフリー・ウィンから興味深い話を聞く。それはウィンの知人だった若い女性モデルのこと。社交界の名士たちと浮名を流していた彼女は、複数の愛人男性から籠の中の鳥のように扱われ、与えられた高級アパートのバルコニーから投身自殺してしまったというのだ。 これは映画の題材に適していると考えたシュレシンジャーと同席した製作者ジョセフ・ジャンニは、新進気鋭の脚本家フレデリク・ラファエルに脚色を依頼するものの、出来上がった脚本は全くリアリティのない代物だったという。そこで製作者のジャンニが提案をする。最後に自殺を選んでしまう女性の話ではなく、なんの決断をすることも出来ない優柔不断な女性、もっといいことがあるんじゃないかと期待して男から男へ渡り歩いてしまう女性の話にすべきだと。劇中でも「最近は楽をして何かを得ようとする人間ばかりだ」というセリフが出てくるが、そのような浮ついた時代の空気を象徴するようなヒロイン像を描こうというのだ。 ジャンニには心当たりがあった。それが、贅沢な暮らしを求めて裕福な銀行家と結婚した知人女性。その女性を紹介してもらったシュレシンジャーとラファエルは、彼女の案内で上流階級御用達の高級レストランやパーティなどを訪れ、ジェットセッターたちの豪奢なライフスタイルの赤裸々な裏側を垣間見ていく。それが最終的に映画『ダーリング』のベースとなったわけだ。ただし、脚本の執筆途中でその女性が旦那から離縁を突きつけられ、協議で不利になる恐れがあるという理由から、彼女の私生活をモデルにした部分の書き直しを迫られたという。とはいえ、本作がスウィンギン・ロンドン時代のリアルな舞台裏を切り取った映画であることに間違いはないだろう。 刺激を求めて快楽に溺れ、孤独を深めていくヒロイン 舞台は現代の大都会ロンドン。アフリカの飢餓問題を訴える意見広告が、美しい女性モデルの微笑むラジオ番組「Ideal Woman(理想の女性)」のポスターに貼り変えられる。その女性モデルの名前はダイアナ・スコット(ジュリー・クリスティ)。物語はラジオのインタビューに答える彼女のフラッシュバックとして描かれていく。幼い頃から愛くるしい容姿と社交的な性格で周囲に「Darling(かわいい子)」と呼ばれて愛され、どこにいても目立つ美しい女性へと成長したダイアナ。保守的なアッパーミドル・クラス出身の彼女は、年の離れた姉と同じように若くして結婚したものの、しかし子供じみた旦那との生活は退屈そのものだった。 そんなある日、テレビの街頭インタビューを受けた彼女は、番組の司会を務める有名ジャーナリスト、ロバート(ダーク・ボガード)と親しくなり、彼の取材先へ同行するようになる。教養があって落ち着いた大人の男性ロバートに惹かれ、彼の友人であるマスコミ関係者や芸術家などのインテリ・コミュニティに刺激を受けるダイアナ。やがてお互いに愛し合うようになった既婚者の2人は、ロンドンの高級住宅街のアパートで同居するようになった。自身もモデルとして活動を始めたダイアナは、大手化粧品会社のキャンペーンガールに起用され、同社宣伝部の責任者マイルズ(ローレンス・ハーヴェイ)の紹介で映画デビューまで果たす。 こうして華やかな社交界に足を踏み入れたわけだが、しかしそれゆえ真面目なロバートとの安定した生活に飽きてしまったダイアナは、彼に隠れてプレイボーイのマイルズと浮気をするように。さらに、映画のオーディションを偽ってマイルズとパリへ出かけ、パーティ三昧の享楽的な生活にうつつを抜かす。だが、この浮気旅行はすぐにバレてしまい、憤慨したロバートはアパートを出て行ってしまった。すっかり気落ちしたダイアナは親友となったゲイの写真家マルコム(ローランド・カラム)に慰められ、テレビCM撮影のついでにイタリアでバカンスを過ごすことに。そこで彼女は、中世の時代にローマ法王を輩出したこともある名門貴族のプリンス、チェザーレ(ホセ・ルイス・デ・ヴィラロンガ)に見初められる。 妻に先立たれた男やもめのチェザーレは7人の子持ち。まだ結婚して家庭に入るつもりなどなかったダイアナは、彼からのプロポーズを断ってロンドンへ戻るものの、パーティとセックスに明け暮れるだけの生活に嫌気がさしてしまう。今さえ楽しければそれでいいと考えていた彼女だが、しかしそれだけでは心が満たされなかったのだ。結局、チェザーレのプロポーズを受け入れ、めでたく結婚することとなったダイアナ。「イギリス出身のイタリアン・プリンセス」としてマスコミに騒がれ、現地でも大歓迎された彼女だったが、しかし外からは華やかに見えるイタリア貴族の生活も、実際は伝統としきたりに縛られて非常に窮屈なものだった。夫のチェザーレは仕事で出張することが多く、広い大豪邸の中で孤独を深めていくダイアナ。やはり私のことを本当に愛してくれるのはロバートだけ。ようやく気付いた彼女は、ロバートと会うため着の身着のままでロンドンへ向かうのだが…。 アメリカでは大好評、モスクワでは大ブーイング? 恵まれない人々のための慈善活動をお題目に掲げながら、宮廷召使いの格好をした黒人の子供たちに給仕をさせ、豪華に着飾った金持ちの紳士淑女が贅沢なグルメや下世話なゴシップを楽しむチャリティー・イベント。絵画の芸術的な価値など分からない富裕層が、有り余る金にものを言わせて愛好家を気取るアート・ギャラリー。パリの怪しげな娼館でセックスを実演する生板ショーを鑑賞し、ジャズのビートに乗せて半裸の男女が踊り狂うジェットセッターたちの乱痴気パーティ。そんな虚飾と虚栄と偽善に満ちた狂乱の上流社会を、快楽と刺激と贅沢を求める自由気ままな現代娘ダイアナが、若さと美貌だけを武器に男たちを利用して闊歩する。 といっても、恵まれた中産階級の家庭に育った彼女には、男を踏み台にしてのし上がろうなどという野心は微塵もない。気の向くまま足の向くまま、もっと面白いことがないかとフラフラしているだけ。飽きっぽくて移り気な彼女は、人生の目的など何もない空っぽな根無し草だ。まさに、華やかで享楽的なスウィンギン・ロンドンが生み出した新人類と言えるだろう。ただただ楽しい時間を過ごしたいがため、男から男へ、パーティからパーティへ渡り歩いていくわけだが、しかし刹那的な快楽に溺れれば溺れるほど、虚しさと孤独が募っていく。周囲の人々が彼女に求めるのは若さと美貌とセックスだけ。綺麗なお人形さんの中身など誰も気にかけない。恐らくシュレシンジャーとラファエルは、その混沌と狂騒と軽薄の中に時代の実相を見出そうとしたのだろう。 そんなスウィンギン・ロンドン時代のミューズ、ダイアナを演じるジュリー・クリスティが素晴らしい。本作が映画初主演だった彼女は、このダイアナ役で見事にアカデミー主演女優賞を獲得し、たちまち世界的なトップスターへと躍り出る。シュレシンジャーの前作『Billy Liar』にも小さな役で出ていたクリスティ。製作会社はこのダイアナ役にシャーリー・マクレーンを推したそうだが、しかしシュレシンジャーは最初からクリスティを念頭に置いていた。当時の彼女はシェイクスピア劇の公演ツアーで渡米しており、シュレシンジャーはフィラデルフィアまで行って出演を交渉したという。その際に彼はニューヨークまで足を延ばし、モンゴメリー・クリフトやポール・ニューマン、クリフ・ロバートソンにロバート役をオファーしたが、いずれも断られてしまったらしい。また、アメリカの映画会社に出資を相談したものの、脚本の内容が不道徳だとして一蹴されたそうだ。 結局、ロバート役に起用されたのは、二枚目のマチネー・アイドルからジョセフ・ロージー監督の『召使』(’63)で性格俳優として開花したイギリスのトップスター、ダーク・ボガード。ハンサムでナルシストなプレイボーイのマイルズには、『年上の女』(’58)でアカデミー主演男優賞候補となったローレンス・ハーヴェイが決まり、英国人キャストばかりの本作にとってアメリカ市場でのセールス・ポイントとなった。 また、ストーリー後半のイタリア・ロケでは、『ティファニーで朝食を』(’61)の南米大富豪役や『魂のジュリエッタ』(’65)のハンサムな友人役で知られるスペイン俳優ホセ・ルイス・デ・ヴィラロンガがイタリア貴族チェザーレ役で登場。実は彼自身もスペインの由緒正しい貴族の御曹司だった。その長男役には『ガラスの部屋』(’69)で日本でもブレイクするレイモンド・ラヴロック、長女役には後にラヴロックと『バニシング』(’76)で共演するイタリアのセックス・シンボル、シルヴィア・ディオニジオ、秘書役には『歓びの毒牙』(’69)などのイタリアン・ホラーで知られるウンベルト・ラホーも顔を出している。そういえば、パリでの乱痴気パーティ・シーンには『遠い夜明け』(’87)の黒人俳優ゼイクス・モカエ、アート・ギャラリー・シーンには『007/私を愛したスパイ』(’77)のヴァーノン・ドブチェフと、無名時代の名脇役俳優たちの姿を確認することもできる。 先述したように、ハリウッドの映画会社からは「不道徳だ」として出資を断られた本作だが、蓋を開けてみればイギリスよりもアメリカで大ヒットを記録。モスクワ国際映画祭にも出品されたが、ソヴィエトのマスコミや批評家からは大不評だったそうだ。ただし、アメリカでもロシアでも本編の同じ個所が不適切だとしてカットされたらしく、シュレシンジャー本人は潔癖な点において両国は似ているとも話している。ダイアナ役でオスカーに輝いたジュリー・クリスティは、本作を見たデヴィッド・リーン監督から『ドクトル・ジバゴ』(’65)のララ役に起用され、押しも押されもせぬ大女優へと成長。惜しくも監督賞の受賞を逃したシュレシンジャーも、本作および再度クリスティと組んだ『遥か群衆を離れて』(’67)で名匠の地位を確立し、アメリカで撮った『真夜中のカーボーイ』(’69)で念願のオスカーを手にする。■ 『ダーリング』© 1965 STUDIOCANAL
-
PROGRAM/放送作品
パヴァロッティ 太陽のテノール
歌を愛し、歌に愛された伝説のオペラ歌手──奇跡の歌声が響くステージと彼の人生に迫るドキュメンタリー
名匠ロン・ハワード監督が、2007年に亡くなった天才テノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティの全貌に迫る。アーカイブ映像による楽曲を聴かせつつ、家族や友人たちのインタビューを通じて彼の人生も紐解く。
-
COLUMN/コラム2022.07.22
フィリップ・ド・ブロカの明暗。“映画作家”として生涯の1本!『まぼろしの市街戦』
第一次世界大戦末期、ドイツ軍がフランスの小さな村から撤退する際、強力な時限爆弾を仕掛けた。イギリス軍にその情報を連絡しようとしたレジスタンスは、電話の途中でドイツ兵に射殺されてしまう。 そのためイギリス軍に届いたのは、「真夜中に騎士が打つ」という謎のフレーズのみ。フランス語ができるという通信兵のプランピックは、その謎を探って時限爆弾を解除するよう命じられ、村へと派遣される。 すべての住民は破壊を恐れて、緊急避難。村に残されたのは、精神科病院の患者たちと、解き放たれたサーカスの動物たちだけ。患者たちは持ち主が不在となった家屋に入り込み、それぞれの妄想のままに、貴族や司教、将軍、理髪師、娼婦等々になりきった。 そんな患者たちから“ハートの王様”に祭り上げられたプランピックは、彼らに翻弄され、一向に謎は解けない。とりあえず放った2羽の伝書鳩の内、1羽はイギリス軍に無事着くも、もう1羽はドイツ軍に撃ち落とされる。両軍は事態把握のため、偵察隊を村へと送り込む。 狂人であっても善良で平和的な患者たちを救おうと、奔走するプランピックだったが、大爆発の時は刻一刻と迫る。彼はやむなく、相思相愛となった娘コクリコと、最後の時を過ごそうとするが、彼女の述べた言葉から、謎のフレーズの意味が判明。僅かな残り時間に、爆弾の解除へと挑む。 その一方イギリス・ドイツ両軍が、村へと迫る。果たしてプランピックと、愛すべき狂人たちの運命は…。 ***** 正常な者で構成されている筈の軍人たちが、互いに銃を向けて殺し合う。その一方で、狂気の世界の住人たちは、他人を傷つけることなく、楽しげに人生を謳歌する…。 フランス製の戯画的な反戦ファンタジーである本作『まぼろしの市街戦』(1966)を熱烈に支持する者は、我が国にも少なくない。2018年に「4Kデジタル修復版」としてリバイバル公開された際には、邦画のヒットメーカーである瀬々敬久監督が、こんなコメントを寄せている。「中学生の頃、テレビの洋画劇場で見て大衝撃を受けて以来、生涯ベスト。あの淀川長治さんも、その日は本気で大興奮していた」 映画評論家の山田宏一氏やイラストレーターの和田誠氏なども、本作のファン。大森一樹監督に至っては、現代日本を舞台にした『世界のどこにでもある、場所』(2011)という作品で、本作の再現を試みている。 フィリップ・ド・ブロカ。 カルト的な人気作である本作は、1933年生まれのこのフランス人監督の歩みと、密接に関わって誕生した。 ド・ブロカはパリに在る、国立のルイ・リュミエール高等学校で、映画撮影技術について学んだ。1953年に卒業すると、カメラマンとして、トラックに乗ってアフリカを旅行。後にジャン=ポール・ベルモンドを主演に擁して、『リオの男』(1964)『カトマンズの男』(65)など、異国情緒に溢れた冒険活劇を次々と放つようになったのは、この時の経験がベースになったと言われる。 アフリカから帰った後、ド・ブロカは兵役に就く。軍の映画製作部に配属されて、ドイツのバーデン=バーデンで1年を過ごした後の任地は、アルジェリア。それは折しも、宗主国フランスに対して、民族解放戦線が起こした独立戦争、“アルジェリア戦争”が激化した頃であった。 凄惨なテロの応酬に、大規模なゲリラ掃討作戦。ド・ブロカは2年間に渡って、戦場の恐ろしい光景をフィルムに収めることとなった。そしてこの経験のため、すっかり悲観的で厭世的となり、それが後の彼の監督作品に影響を及ぼすこととなる。 除隊後に商業映画の世界に進んだド・ブロカは、クロード・シャブロルやフランソワ・トリュフォーといった、映画史に革命を起こした“ヌーヴェルヴァーグ”の寵児たちの助監督に付く。そうしたキャリアや世代的なこともあって、時折ド・ブロカも、“ヌーヴェルヴァーグ”の一端を担った監督と分類されることがある。しかし映画作りへの取組みは、シャブロルやトリュフォーとは、明らかに一線を画すものだった。 兎にも角にも、「楽しい映画を」という姿勢。それはアルジェリアの経験から、「自分にできるのは喜劇映画を作って人々に微笑みをもたらすことぐらいだ…」という境地に至ったことから、生じたものと言われる。 稀代のアクションスター、ジャン=ポール・ベルモンドと初めて組んだのは、『大盗賊』(61)。この作品は、合わせて10本の作品を共にすることになる、プロデューサーのアレクサンドル・ムヌーシュキンとの、初顔合わせでもあった。 そして先に挙げた、ベルモンド主演の冒険活劇、いわゆる「~の男シリーズ」の端緒を切って、評判となった後に辿り着いたのが、1966年の『まぼろしの市街戦』であった。 本作の基となったものとして、まず挙げられるのが、原案にクレジットされているモーリス・ベッシーが、ド・ブロカに話して聞かせたという新聞の三面記事。それは精神科病院から抜け出した者たちが、ある村にやって来て、思い思いに田園で過ごしたという内容だった。 これに加えて、第2次世界大戦時に、ナチス・ドイツが占領するフランス北部の村で起こった出来事も、本作の着想源になったと言われる。それは、住民が逃げ出す際に、精神科病院の患者たちや小屋に閉じ込められていた動物たちの束縛を解いたため、彼らが自由の身になったという逸話だった。 ド・ブロカ、そして彼とコンビを組んでいた共同脚本のダニエル・ブーランジェは、これらから想像力を掻き立てられ、本作のストーリーを編んでいった。そのベースには、ド・ブロカの戦場体験があったことは、言うまでもない。 元ネタのひとつが、第2次大戦下の実話だったにも拘わらず、舞台を第1次大戦に置き換えたのは、製作時点から時制を離すことで、生々しさを避ける狙いもあったようだ。ナチに占領された第2次大戦の記憶は、フランス人のトラウマとして、まだまだ根強い頃だったのである。 しかし、スターを擁した冒険活劇の監督が、このような「地味」に映る企画に取り組むことに、賛意を示す者は少なかった。出資者がまったく見付からず、おまけにド・ブロカの伴走者であるアレクサンドル・ムヌーシュキンも、製作から降りてしまったのである。 ド・ブロカは妻ミシェルと共に、自らプロデューサーを務めることになった。そしてハリウッドの映画会社ユナイテッド・アーティスツがフランスに持つローカル・プロと、イタリアの製作会社という2社の出資を得て、自ら興したプロダクションで、本作の製作に挑んだのである。 主なロケ地は、パリから40㌔ほど北に在る、サンリスという街。 主演のプランピック役に招かれたのは、イギリス人俳優のアラン・ベイツ(1934~2003)。60年代は、ジョン・シュレシンジャーやケン・ラッセル、ジョン・フランケンハイマーといった気鋭の監督たちの作品に、主演級で起用されていた俳優である。 ベイツは、本作のクランクイン直後に足首を折ってしまったため、撮影はベイツに負担を掛けないように進められることとなった。そのため本作の彼はよく見ると、常に一本足で走っているという。 ヒロインのコクリコには、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド(1942~ )が抜擢された。フランス系カナダ人の彼女は、モントリオールの劇団のパリ公演で、アラン・レネに見出され、『戦争は終った』(65)に出演。そのため一時的にフランスに滞在したことから、本作の出演につながった。 精神科病院の患者を演じて脇を固めるのは、ピエール・ブラッスール、ジャン=クロード・ブリアリ、ミシェリーヌ・プレール、ミシェル・セローといった、フランスの名優たち。イギリス軍の大佐を演じたアドルフォ・チェリは、イタリア人。『007/サンダーボール作戦』(65)の悪役で、ジェームズ・ボンドと死闘を繰り広げたことが、有名である。 さて本作は1966年の12月、フランスで公開されると、観客には見事にそっぽを向かれた。そのためド・ブロカと妻ミシェルは、とにかく1人でも多くに観てもらおうと、チケットを配りまくるハメとなった。 評論家からは、“愚者の物語”と評する声が上がった。つまり興行・批評とも、本国では散々な事態となってしまったのだ。 本作を映画史の闇に埋もれさせなかったのは、実はアメリカとイギリスでの成功だった。特にアメリカは、ハーヴァード大学の在るマサチューセッツ州の街で公開したところ、1週間の上映予定が、結果的には何と5年ものロングランになったという。 この地での盛況を見た、配給のユナイテッド・アーティスツは、国中の大学所在地での興行展開を決定。各所で当たりを取り、本作はいわゆる、“カルト映画”となった。 時はアメリカで、ベトナム反戦運動の燃え盛る頃。本作は多くの若者たち、その中でも特に、ヒッピーたちの支持を集めたのである。 本作で撮影監督を務めたピエール・ロムは、ド・ブロカが高校で映画撮影技術を学んでいた時の、同級生で親友。そんなロムが、アメリカで初めて仕事をする際、現場の者たちは、フランス人が撮影を担当することに、懐疑的な姿勢を見せていた。ところがロムが、本作の撮影監督とわかると、態度が一変。その後は、天才扱いされたという。 しかしアメリカでの成功は、ド・ブロカの懐を潤すことはなかった。ロム曰く、金に困ったド・ブロカが、格安で配給権をユナイテッド・アーティスツに売ってしまったので、本作のために彼が陥った借金地獄の緩和には、繋がらなかったのである。 ド・ブロカはフランスでの大失敗に絶望し、一時は監督業から足を洗おうとさえしたが、結局は脳天気な活劇方面へと、再シフトすることとなる。その一方で、アメリカでの評判から、ハリウッドで監督する話も持ち上がった。 しかし、“映画作家”ではなく“現場監督”扱いされるようなハリウッドの製作体制では、思うようなものは作れない。ド・ブロカはそうした結論に至り、生涯アメリカ映画を手掛けることは、なかった。 本作が辿った道のりと、それに左右されたド・ブロカの監督人生は、1人の“映画作家”としては、不幸な側面が強いのかも知れない。しかしそれ故に、本作の存在はより輝かしいものになったとも言えるのが、何とも皮肉である。■ 『まぼろしの市街戦』© 1966 Fildebroc SARL. (Indivision de Broca)
-
PROGRAM/放送作品
ホームワーク(1989)
アッバス・キアロスタミ監督が子供たちにカメラを向け徹底リサーチ!イランの教育問題を浮き彫りとする力作
アッバス・キアロスタミ監督がテヘランの小学校に通う子供たちを集め、宿題をテーマに一人ずつインタビュー。子供たちの家庭での様子を聞き出しながら、イランの教育事情のみならず社会問題まで浮き彫りにしていく。
-
COLUMN/コラム2022.04.28
「スウィンギン・ロンドン」前夜の自由な空気を今に伝えるお洒落でシュールなコメディ『ナック』
ユース・カルチャーが台頭した’60年代半ばのロンドン 時代の空気と息吹を鮮やかに封じ込めた、さながらタイムカプセルのような映画である。時は1960年代半ば、場所はイギリスのロンドン。ヨーロッパ諸国に比べて第二次世界大戦後の経済復興が遅れたイギリスだが、しかし’60年代に入ると国民生活も次第に豊かとなり、さらにベビーブーム世代に当たる中流層の若者が経済力を持つことで、本格的な消費社会が到来する。’64年にはそれまでの保守党に代わって、中道左派の労働党政権が誕生。そうした中でファッションやポピュラー音楽などの若者文化が大きく花開き、首都ロンドンは世界に冠たるトレンド発信地へと成長する。 ビートルズにミニスカート、モッズ・カルチャーにカーナビー・ストリート。いわゆる「スウィンギン・ロンドン」の時代だ。’50年代を通して重苦しい空気に包まれたロンドンは、見違えるほど華やかでカラフルな街へと生まれ変わる。欧米のマスコミがロンドンをスウィンギン・シティ(イケてる都市)と呼ぶようになるのは’65~’66年にかけてのこと。’64年に撮影されて’65年に公開された映画『ナック』は、新たな時代へ向けて急速に変わりゆくロンドンの、若さ溢れる楽天的なエネルギーを思う存分に吸い込んだ作品だったのである。 主人公はちょっとばかり神経質な若き学校教師コリン(マイケル・クロフォード)。自宅の部屋を他人に貸している彼は、女性の出入りが激しいモテ男の下宿人トーレン(レイ・ブルックス)にイラっとしており、そのせいで無関係な女性たちにも厳しく当たってしまうのだが、しかし本音を言うと自分もモテたくて仕方がない。女性をゲットするにはどうすればいいのか。このままじゃ将来は欲求不満のスケベおじさんになってしまう! 思いつめた彼は恥を忍んで、トーレンに女性からモテる「コツ(英語でナック)」を伝授してもらおうとする。ところが、面倒くさがりで無責任なトーレンは、「んー、やっぱ食い物じゃね? チーズとかミルクとか肉とか。要するにプロテインよ」「っていうか、直感は大事だよね。でも、こればっかりは生まれつきの才能だからなあ」とテキトーなことばかり。最終的に「女は強気で支配するに限るね」などと言い出す。 その頃、故郷の田舎から長距離バスでロンドンへやって来た若い女性ナンシー(リタ・トゥシンハム)。右も左も分からない大都会に少々面喰いつつも、とりあえずYWCA(キリスト教女子青年会)を探して歩き回るナンシーだったが、しかしなかなか辿り着くことが出来ない。すれ違う人々に道を尋ねても、知らないと首を横に振られたり、間違った道順を教えられたり。そればかりか、見るからに田舎者といった感じの彼女を言いくるめて騙そうとしたり、バカにして軽んじたりする威圧的な男性ばかりに出会う。とはいえ、純朴そうに見えて実は意外としたたかなナンシーは、天性の勘と機転で「女性の危機」を上手いことやり過ごしていく。 一方、女性にモテたいならまずはベッドを大きくしなくちゃね!というナゾ理論に落ち着いたコリンは、部屋を真っ白に塗り替えないと気が済まない新たな下宿人トム(ドナル・ドネリー)に付き添われてベッドを新調することに。スクラップ置場で理想の中古ベッドを発見した彼は、そこへ迷い込んできたナンシーと仲良くなり、3人で意気揚々とロンドンの街を駆け抜けながら自宅へベッドを運ぶ。そこへ現れたトーレンはナンシーに興味津々。コリンも彼女に気があるものの、そんなこと全くお構いなしのトーレンは、チョロそうな田舎娘ナンシーを強気で口説こうとするのだが…!? 新進気鋭の鬼才リチャード・レスターとフリー・シネマの総本山ウッドフォール 本作の基になったのはアン・ジェリコーの同名舞台劇。’62年にロンドンのロイヤル・コートで初演されて評判になった同作は、古い貞操観念や男女の役割に凝り固まった旧世代の保守的なモラルを笑い飛ばす風刺喜劇だった。この舞台版をプロデュースしたのがオスカー・レウェンスタイン。ロンドンの有名な舞台製作者だったレウェンスタインは、その一方で友人トニー・リチャードソンやジョン・オズボーンの設立した映画会社ウッドフォール・フィルムにも深く関わっていた。 ウッドフォール・フィルムといえば、『怒りをこめて振り返れ』(’56)や『土曜の夜と日曜の朝』(’60)、『長距離ランナーの孤独』(’62)などの名作を次々と生み出し、同時期に起きたフランスのヌーヴェルヴァーグと並ぶ重要な映画運動「フリー・シネマ」の中心的な役割を果たしたスタジオである。この舞台版を見て映画化を思いついたリチャードソンは、舞台演出家時代から気心の知れたレウェンスタインに映画版のプロデュースも任せることに。そんな彼らが本作の演出に白羽の矢を立てたのが、当時ビートルズ映画で大当たりを取っていた新進気鋭の映画監督リチャード・レスターだった。 フィラデルフィアで生まれた生粋のアメリカ人だが、少年時代からハリウッド映画よりもヨーロッパ映画を好んで育ったというレスター。19歳で大学を卒業して大手テレビ局CBSに就職したものの、なんとなくアメリカの水が肌に合わないと感じていた彼は、’55年に開局したイギリスのテレビ局ITVの立ち上げに携わり、そのまま同局の番組ディレクターとしてロンドンに居ついてしまう。やがてテレビCMの世界にも進出し、仕事を通じてピーター・セラーズと意気投合したレスターは、セラーズ主演の短編コメディ『とんだりはねたりとまったり』(’59)で映画監督デビュー。そして、この映画の大ファンだったビートルズの指名によって、『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(’64)と『ヘルプ!4人はアイドル』(’65)の監督に起用され、テレビCMで培ったポップで斬新な映像感覚が注目される。本作はその合間に手掛けた作品だった。 当時まだ32歳のフレッシュな才能リチャード・レスターと、フリー・シネマの総本山ウッドフォール・フィルム。「スウィンギン・ロンドン」時代の幕開けを告げる映画として、これほど理想的な顔合わせはないだろう。根っからのビジュアリストであるレスター監督は、原作の舞台劇をそのまま映画化するのではなく大胆に改変。重要な要素である「性の解放」と「世代間ギャップ」というテーマはしっかり残しつつ、現実と妄想が巧みに交錯するシュールでお洒落なブラック・コメディへと昇華させている。 早回しや逆再生、ジャンプカットなどの映像技法を凝らした自由奔放な演出は、まさしくビートルズ映画で世に知らしめた当時の彼のトレードマーク。早口で飛び交うリズミカルなセリフのやり取りは、まるでメロディのないミュージカル映画のようだ。バスター・キートンやジャック・タチを彷彿とさせる、とぼけたビジュアル・ギャグの数々も皮肉が効いている。自分たちを縛ろうとする固定概念にノーを突きつけ、今まさに生まれ変わろうとするロンドンの街を、自由気ままに駆け抜けていく4人の若い男女に思わずウキウキワクワク。そんな彼らを見て眉をひそめ、陰口をたたくオジサンやオバサンたちの様子がまた面白い。実はこれ、ロケ現場でたまたま居合わせた通行人を隠し撮りした映像を使っている。そこへ後からセリフを被せているのだ。当時のイギリスの中高年層が、ベビーブーム世代の若者たちをどのような目で見ていたのか分かるだろう。 ヒロインのナンシーを演じるのは、舞台版に引き続いてのリタ・トゥシンハム。当時の彼女はトニー・リチャードソンの『蜜の味』(’61)やデズモンド・デイヴィスの『みどりの瞳』(’64)に主演し、文字通り「フリー・シネマのミューズ」とも呼ぶべき存在だった。そういえば彼女、’60年代のロンドンを描いた『ラストナイト・イン・ソーホー』(’21)にも出ていたが、あの映画のヒロイン、エリーとサンディは本作のナンシーの暗黒バージョンみたいなものと言えよう。後にロンドンとブロードウェイの初演版『オペラ座の怪人』などに主演し、ミュージカル界の大スターとなるマイケル・クロフォードもウルトラ・チャーミング。そのピュアな少年っぽさは、どことなくエディ・レッドメインを彷彿とさせる。 さらに本作は、無名時代のジェーン・バーキンにジャクリーン・ビセット、シャーロット・ランプリングが出演していることでも知られている。夢とも現実ともつかぬオープニング・シーンで、モテ男トーレンに会うため階段にズラリと並んで列を作っている美女たち。ドアを開けたコリンの目の前に立っている女性がジャクリーン・ビセットだ。さらに、コリンの部屋に椅子を借りに来て、その後トーレンのバイクに乗って颯爽と去っていく美女がジェーン・バーキン。また、トーレンやコリンと水上スキーを楽しむダイビングスーツ美女2人の片割れがシャーロット・ランプリングである。 同年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと青少年向映画国際批評家賞の2部門に輝き、リチャード・レスター監督の名声を決定的なものにした『ナック』。当時は斬新だった映像技法やユーモアも、時代と共に色褪せてしまった感は否めないものの、しかし「スウィンギン・ロンドン」前夜の活気溢れるロンドンの空気を今に伝える作品として、映画ファンならずとも見逃せない作品だ。■ 『ナック』© 1965 Woodfall Film Productions Limited. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
メイド・イン・アメリカ(2013)
音楽史を塗り替えるジェイ・Z主催の大型フェスが幕を開く!豪華アーティストの競演で贈るドキュメンタリー
ジェイ・Zが故郷フィラデルフィアで開催した音楽フェス「メイド・イン・アメリカ」をロン・ハワードがドキュメンタリー映画化。ジャンルを超えて集結したアーティストたちのパフォーマンスやインタビューが満載。
-
COLUMN/コラム2021.12.28
16年振りのシリーズ最終作。『ゴッドファーザーPARTⅢ』で、コッポラが本当に描きたかったものとは!?
アメリカ映画史に燦然と輝く、『ゴッドファーザー』シリーズ。 イタリア系移民のマフィアファミリーの物語を、凄惨で血みどろの抗争を交えて、歴史劇のように描き、今日では「クラシック」のように評されている。少なくともシリーズ第1作、第2作に関しては。 本作『ゴッドファーザーPARTⅢ』に関しては、その存在を好んで語る者は、数多くない。「黙殺」する向きさえある…。 ファミリーの首領=ドン・ヴィトー・コルレオーネをマーロン・ブランドが重厚に演じた、1972年の第1作『ゴッドファーザー』。当時の興行新記録を打ち立て、アカデミー賞では、作品賞・主演男優賞・脚色賞の3部門を獲得した。 ジェームズ・カーン、アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ダイアン・キートン、タリア・シャイアといった、70年代をリードしていくことになる若手俳優たちの旅立ちの場であったことも、映画史的には重要と言える。 74年の第2作『ゴッドファーザーPARTⅡ』。ファミリーを継いだ若きドン、マイケル・コルレオーネの戦いの日々と、先代であるヴィト―の若き日をクロスさせる大胆な構成が、前作以上に高く評価された。 興行成績こそ前作に及ばなかったものの、アカデミー賞では、作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞・作曲賞・美術賞の6部門を受賞。作品賞を獲った映画の続編が、再び作品賞を得たのは、アカデミー賞の長きに渡る歴史の中でも、この作品だけである。 前作に続いてマイケルを演じたアル・パチーノは、堂々たる主演スターの座に就いた。そしてヴィト―の若き日にキャスティングされたロバート・デ・ニーロは、アカデミー賞の助演男優賞を得て、一気にスターダムを駆け上った。 余談になるが、続編のタイトルに「PARTⅡ」といった数字を付けるムーブメントは、この作品が作ったものである。 そんな偉大な2作から16年の歳月を経て登場したのが、1990年のシリーズ第3作、『ゴッドファーザーPARTⅢ』。主役は前作に続き、アル・パチーノが演じる、マイケル・コルレオーネである。 ********* 1979年、老境に差し掛かったマイケルは、資産を“浄化”するため、ヴァチカンとの取引に乗り出す。コルレオーネファミリーを犯罪組織から脱却させ、別れた妻ケイ(演:ダイアン・キートン)との間に儲けた子どもたちに引き継ぐのが、大きな目的だった。 しかし後を継ぐべき息子のアンソニーは、ファミリーの仕事を嫌って、オペラ歌手の道へと進む。一方、娘のメアリー(演:ソフィア・コッポラ)は、ファミリーが作った財団の顔として、慈善事業の寄付金集めに勤しんでいた。 そんな時マイケルの前に、妹のコニー(演:タリア・シャイア)が、長兄ソニーの隠し子であるヴィンセント(演:アンディ・ガルシア)を連れてくる。マイケルはヴィンセントの、今は亡き兄譲りの血気盛んで短気な気性を不安に思いながらも、自らの配下とする。 ニューヨークの縄張りを引き継がせた、ジョーイ・ザザが叛旗を翻した。ザザは、マイケルが仲間のドンたちを集結させたホテルを、ヘリコプターからマシンガンで襲撃。多くの死傷者が出る中、九死に一生を得たマイケルは、ザザを操る黒幕の存在を直感する。 血と暴力の世界から、抜け出そうとしても抜けられない。そんな己の人生を振り返って、マイケルは、かつて次兄のフレドまで手に掛けたことへの悔恨の念を深くする。ヴィンセントと愛娘のメアリーが恋に落ちたことも、彼を苦悩させた。 ヴァチカンとの取引も暗礁に乗り上げる中、マイケルはヴィンセントに命じて、諸々のトラブルの裏とその黒幕を探らせる。そして彼を、ファミリーの後継者に任ずると同時に、娘との恋を諦めるように諭す。 イタリア・パレルモのオペラ劇場での、息子アンソニーのデビューの夜。ファミリーが集結するそのウラで、またもや血と報復の惨劇が繰り広げられていく。 そしてマイケルには、己が死ぬことよりも辛い“悲劇”が待ち受けていた。 ********* 1990年のクリスマスにアメリカで公開された本作は、アカデミー賞では7部門でノミネートされながらも、結局受賞には至らなかった。興行的にも批評的にも、前2作には、遠く及ばない結果となった『PARYTⅢ』は、同じコッポラを監督としながらも、『ゴッドファーザー』3部作の中では、まるで「鬼っ子」のような扱いを受けるに至ったのである。 そもそも前2作の絶大なる成功がありながら、なぜ『PARTⅢ』の登場までには、16年の歳月が掛かったのか? それは一言で言えばコッポラが、「やりたくなかった」からである。 それとは逆に、製作した「パラマウント・ピクチャーズ」は、この16年の間、折に触れてはこのドル箱シリーズの第3弾を、コッポラに作らせようと働きかけた。80年代前半には、シルベスター・スタローンの監督・主演、ジョン・トラボルタの共演で、『PARTⅢ』の製作をぶち上げたこともある。 これはスタローンの『ロッキー』シリーズで主人公の妻役を演じ続けたタリア・シャイアが、実の兄であるコッポラとスタローンの橋渡し役を務めて、実現しかかった話と言われている。結局コッポラが、スタローンに『ゴッドファーザー』を任せることには翻意して、企画が流れたと伝えられる。 では「やりたくなかった」『PARTⅢ』を、なぜコッポラ本人が手掛けるに至ったのか?大きな理由は、彼の過去作である『ワン・フロム・ザ・ハート』(82)にある。 ラスベガスをセットで再現するために、スタジオまで買い取って製作した『ワン・フロム…』は、当初1,200万ドル=約35億円を予定していた製作費が、2,700万ドル=約78億円にまで跳ね上がった。しかも劇場に観客を呼ぶことは出来ず、コッポラは破産に至ってしまったのだ。 その後コッポラは、『アウトサイダー』(83)『ランブルフィッシュ』(83)『コットンクラブ』(84)等々の小品や雇われ仕事を多くこなし、借金の返済に務めることになる。しかしディズニーランドのアトラクション用である、マイケル・ジャクソン主演の『キャプテンEO』(86)まで手掛けながらも、経済的苦境から抜け出すことは、なかなか出来なかった。 そこでようやく、自分の意図を最大限尊重するという確約を取った上で、「パラマウント」の提案に乗った。コッポラにとって、最後の切り札とも言える、『ゴッドファーザーPARTⅢ』の製作に乗り出すことを決めたのだ。 コッポラは89年4月から、『ゴッドファーザー』の原作者で、シリーズの脚本を共に手掛けてきたマリオ・プーヅォと、『PARTⅢ』の脚本執筆に取り掛かった。そしてその年の11月下旬にクランクイン。 ほぼ1年後にアメリカ公開となったわけだが、先に書いた通り批評家からも観客からも、大きな支持を得ることは出来なかった。 主演のアル・パチーノも指摘していることだが、その理由は大きく2つ挙げられる。まずは、ロバート・デュバルの不在である。 前2作を通じて、ファミリーの参謀役でマイケルの義兄弟に当たるトム・ヘーゲンを演じてきたデュバルは、『PARTⅢ』への出演を断った。コッポラの妻エレノアの著書によると、デュバルが気に入るよう何度もシナリオを書き直したのに、彼が首を縦に振ることは、遂になかった。 実際はギャラの面で折り合いが付かなかったと言われているが、結果的にヘーゲンは、既に亡くなっている設定にせざるを得なくなった。もしもデュバルが出演していたら、マイケルがヴァチカンと関わることになる触媒的な役割を果たしたという。 そして『PARTⅢ』バッシングの際に、必ず俎上に上げられたのが、マイケルの娘メアリー役のキャスティング。当初この役は、当時人気上昇中だったウィノナ・ライダーが演じることになっていた。しかし突然、「気分が良くないから、参加できない」と降板。 彼女のスケジュールに合わせて3週間も、別のシーンの撮影などで時間稼ぎをしていたのが、パーとなった。そこでコッポラは急遽、実の娘であるソフィアを、メアリー役に充てたのである。「パラマウント」などの反対を押し切ってのこの起用は、マスコミの格好の餌食となった。まるでスキャンダルのように、書き立てられたのである。 デュバルとライダーが出演しなかったことに加えて、アル・パチーノは、本作の大きな間違いとして、「マイケル・コルレオーネを裁き、償わせた」ことを挙げる。「マイケルが報いを受けて、罪の意識に苦しめられるのを誰も見たくなかった」というのだ。『PARTⅢ』のクライマックス、当初の脚本では、マイケルは敵の放った暗殺者に撃たれて、人生の幕を閉じることになっていた。しかしコッポラはそのプランを変更し、マイケルが最も大切なものを失い、その魂が死を迎えるという結末に書き変えた。 まるでシェイクスピアの「リア王」や、それを原作とした、黒澤明監督の『乱』(85)の主人公が迎える結末と重なる。黒澤が、コッポラの最も敬愛する監督であることは、多くが知る通りである。 コッポラは、自らの経験をマイケルに重ねていたとも思われる。『PARTⅢ』の準備に入る3年ほど前=1986年に、コッポラは当時22歳だった長男のジャン=カルロを、ボート事故で失っているのである。 アル・パチーノが指摘する本作の大きな間違いは、実はコッポラにとって、最も譲れない部分だったのではないだろうか? さて『ゴッドファーザー』シリーズを愛する気持ちでは、人後に落ちない自負がある私だが、91年春、日本での劇場公開時に『PARTⅢ』を鑑賞した時の感想を、率直に書かせていただく。それは第1作・第2作に比べれば見劣りするが、「悪くない」というものだった。『ワン・フロム…』後の紆余曲折を目の当たりにしてきただけに、コッポラは『ゴッドファーザー』を撮らせると、やっぱり違う。この風格は彼にしか出せないと、素直に思えた。 そして前2作が、パチーノやデ・ニーロといったニュースターを生み出したのと同じ意味で、マイケルの跡目を引き継ぐことになる、ヴィンセント役のアンディ・ガルシアの登場を歓迎した。ガルシアは、『アンタッチャブル』(87)『ブラックレイン』(89)で注目を集めた、まさに伸び盛りの30代前半に本作に出演。アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされるような、素晴らしい演技を見せている。 本作の後、彼の主演で、レオナルド・ディカプリオを共演に迎えて、『ゴッドファーザーPARTⅣ』が企画されたのにも、納得がいく。残念ながらガルシアは、パチーノやデ・ニーロのようには、ビッグにはならなかったが…。 実はコッポラは本作に、『PARTⅢ』というタイトルを付けたくなかったという。彼が当初構想したタイトルは、『Mario Puzo's The Godfather Coda: The Death of Michael Corleone』。翻訳すれば『ゴッドファーザー:マイケル・コルレオーネの最期』である。 そしてコッポラは、『PARTⅢ』公開30周年となる昨年=2020年、フィルムと音声を修復。新たなオープニングとエンディング及び音楽を付け加えて再構成を行い、当初の構想に基づくタイトルに変えて、リリースを行った。 このニューバージョンに対し、アル・パチーノは「良くなったと確信した」と賞賛。それまで『PARTⅢ』を「好きじゃなかった」というダイアン・キートンも、この再編集版を「人生最高の出来事のひとつ」と、手放しで絶賛している。 私ももちろん、この『』を鑑賞しているが、何がどのように「良くなった」かは、今回は敢えて触れない。それはまた、別の話である。■ 『ゴッドファーザーPARTⅢ』TM & COPYRIGHT © 2022 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED
-
PROGRAM/放送作品
レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち
無名のミュージシャン集団が数々の名曲を支えた!歴史に残るメロディを奏でた者たちに迫るドキュメンタリー
1960〜70年代にかけて活躍したセッション・ミュージシャン集団にスポットライトを当てたドキュメンタリー。本編に使用される130曲もの権利をクリアするため、撮影から公開まで18年の歳月を費やした。
-
COLUMN/コラム2021.12.03
ハマー・ホラーからの影響も濃厚なSFホラー超大作!『スペースバンパイア』
古典的な侵略型SF映画の進化版 ‘80年代を代表するSFホラー映画の傑作のひとつであり、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった映画会社キャノン・フィルムズが総力を挙げて製作したブロックバスター映画『スペースバンパイア』(’85)。監督は『悪魔のいけにえ』(’74)の鬼才トビー・フーパーである。『未知との遭遇』(’78)や『E.T.』(’82)の大成功によって、ハリウッド映画で地球を訪れるエイリアンが軒並み友好的だった時代、宇宙からやって来た全裸の美女エイリアンがロンドンを火の海にしてしまうというストーリーは、古典的な侵略型SF映画の進化版として温故知新的な魅力に溢れていた。スピルバーグ映画的なSFXやゾンビ映画的な特殊メイクも盛りだくさん。巨匠ヘンリー・マンシーニが手掛けた壮大なオーケストラ・スコアがまた素晴らしく、当時高校生だった筆者も映画館の暗がりでワクワクと胸を躍らせながらスクリーンを見上げたものだ。 76年ぶりに地球へ最接近するハレー彗星の話題で持ちきりの現代(実際にハレー彗星は翌’86年に地球へ接近)。米国人船長カールセン大佐(スティーヴ・レイルズバック)が率いる英国のスペースシャトル「チャーチル号」は、ハレー彗星のコマ(星雲状のガスやダスト)に紛れた謎の巨大宇宙船を発見する。捜索のために船内へと向かった飛行士たちが発見したのは、まるでコウモリのような姿をした不気味なクリーチャーの無数の死骸、そして透明カプセルに収められた人間そっくりの女性1名男性2名だった。その透明カプセルを回収して地球への帰路に就くチャーチル号。ところが、シャトル内で異常な事態が発生し、チャーチル号は地球との連絡を絶ってしまう。 それから1か月後。救助に向かった米国のスペースシャトル「コロンビア号」の乗組員は、火災によってシャトル内が焼き尽くされたチャーチル号を発見し、3名の男女が眠る無傷のカプセルを地球へと持ち帰る。この男女はいったい「何」なのか。ロンドンにある宇宙調査センターのケイン大佐(コリン・ファース)とファラーダ博士(フランク・フィンレイ)、ブコフスキー博士(マイケル・ゴザード)は、正体不明の男女を解剖することに決めるのだが、しかし突然起き上がった女性エイリアン(マチルダ・メイ)が警備員を襲って逃亡する。 駆けつけたファラーダ博士らが発見したのは、女性エイリアンに生命エネルギーを吸い尽くされてミイラ化した警備員の遺体。しかも、これがまた解剖しようとした執刀医の生命エネルギーを吸い取って人間の姿に戻る。どうやらエイリアンたちは人間の精気を吸収するヴァンパイアで、犠牲者もまたヴァンパイアとなって他人の生命エネルギーを奪い、さらなる犠牲者を増やしていくことになるらしい。ただし、2時間ごとにやって来る「飢え」を満たさないと、ヴァンパイア化した人間は炭化して死んでしまう。その頃、眠っていた2名の男性エイリアンも覚醒してセンターから脱走。この不測の事態にケイン大佐やファラーダ博士は頭を抱える。 一方、遠く離れたアメリカのテキサス州でチャーチル号の脱出ポッドが回収され、死んだと思われていたカールセン大佐が生還する。すぐにロンドンへと赴いたカールセン大佐は、スペースシャトル内で復活したエイリアンたちが乗組員を次々に殺し、このまま地球へ帰還すれば人類に危険が及ぶと考えてシャトルを破壊したと説明。彼が女性エイリアンとテレパシーで繋がっていると知ったケイン大佐は、カールセン大佐を伴って彼女の足取りを追うことに。その傍ら、エイリアンを倒す方法を探っていたファラーダ博士は、彼らこそがヴァンパイア伝説の起源であり、これまでにもハレー彗星と共に地球へ飛来していたことを突き止める。そうこうしているうちに、市中へ解き放たれたエイリアンたちが次々と犠牲者を増やし、ロンドンは未曽有の大パニックに陥ってしまう…。 超一流スタッフによるスペクタクルな特撮 原作はイギリスの作家コリン・ウィルソンが1976年に発表したSF小説「宇宙ヴァンパイアー」。しかし映画版ではそのストーリーを大幅に改変しており、むしろ英国ホラーの殿堂ハマー・プロによるSF映画「クォーターマス」シリーズ、中でも3作目『火星人地球大襲撃』(’67)に酷似している点が少なくない。例えば、本作ではハレー彗星と共にやって来たエイリアンがヴァンパイア伝説の原型とされているが、『火星人地球大襲撃』でも太古の昔に地球へ飛来した火星人が「悪魔」の原型だった。クライマックスでロンドンが大パニックに陥るという展開もそっくりである。 さらに言うと、人間の生命エネルギーを吸い取るエイリアンたちの設定も、映画版ではより古典的なヴァンパイア像に近づけられており、ゴシック的なムードを漂わせた美術デザインとも相まって、ハマー・プロが得意とした一連のヴァンパイア映画との類似性も見て取れるだろう。エイリアンが人間の性的な欲望を利用して精気を奪うというエロティックな要素は、「カルシュタイン三部作」を筆頭とする’70年代ハマーのセクシー・ヴァンパイア路線を想起させる。「自分のルーツであるハマー映画の大作版」とトビー・フーパー監督自身も述べているように、往年のハマー・ホラーから多大な影響を受けた作品であることは間違いないだろう。 そのトビー・フーパーがキャノン・フィルムズから本作の企画をオファーされたのは、スピルバーグ製作のホラー映画『ポルターガイスト』(’82)が完成した直後のこと。当時、キャノン・フィルムズで3本の映画を撮る契約を結んだフーパー監督は、その第1弾としてコリン・ウィルソンの原作本を社長メナハム・ゴーランから手渡されたという。ちょうど『バタリアン』の企画から降板したばかりだったフーパー監督は、同作の監督を引き継いだ友人ダン・オバノンに脚本を依頼。あの『エイリアン』の脚本を書いたオバノンはまさしく適任だったと言えよう。 製作準備だけで2年を要した本作は、’84年2月から約半年間に渡ってロンドンで撮影を敢行。チャック・ノリスやチャールズ・ブロンソンが主演する低予算のB級映画で知られていたキャノン・フィルムズは、当時の同社にとって史上最高額となる2500万ドル(現在の金額に換算すると約6500万ドル)もの莫大な予算を用意していた。フーパー監督によると、撮影にあたってゴーラン社長が要求したのは、女性エイリアンを全裸で登場させることだけ。それ以外は一切口出しすることがなかったそうだ。 やはり真っ先に目を引くのは、ミニチュアや実物大セットを駆使したスペクタクルな特撮シーン。オープニングに登場するエイリアンの宇宙船内部は、ロンドン近郊にあるエルストリー・スタジオの巨大なステージ6、通称「スター・ウォーズ・ステージ」に作られた本物のセットである。『戦争と冒険』(’72)や『ラグタイム』(’81)でオスカー候補になったジョン・グレイスマークの美術デザインは、どことなく古典的なゴシック・ホラーの雰囲気を漂わせていて秀逸。また、ロンドン市街が文字通り火の海と化すクライマックスのパニック・シーンも、『スター・ウォーズ』(’77)や『スタートレック』(’79)でお馴染みジョン・ダイクストラの特撮チームが良い仕事をしている。その圧倒的なスケール感は見応え十分だ。 さらに、『スター・ウォーズ』のヨーダを制作したことで知られ、当時は『銀河伝説クルール』(’83)や『ザ・キープ』(’83)などの特撮映画で引っ張りだこだった特殊メイクマン、ニック・メイリーによるミイラ化したヴァンパイアの造形も素晴らしい。今だったらCGで済ませてしまうところだろうが、やはり機械仕掛けのダミーボディを現場でスタッフが操作するアニマトロニクスのリアル感は格別。細やかな表情の変化など見事な仕上がりだ。 最大の見どころはフランス女優マチルダ・メイ しかし、そんな本作の最大の見どころは、実のところ巨額の予算を投じた特撮でも特殊メイクでもなく、一糸まとわぬ姿で女性エイリアンを演じた美女マチルダ・メイだ。フーパー監督自身も「マチルダ・メイがいなければ、この映画は成立しなかった」と断言しているように、その非の打ちどころのない美貌と完璧な肉体で表現される女性エイリアンの、まるでこの世のものとは思えない神秘性こそが、本作の原動力になっていると言えよう。撮影当時まだ19歳だったマチルダは、これが映画出演2作目となるフランス出身のバレリーナ。演劇を学んだこともなければ女優になるつもりもなかったというが、バレエで鍛えたしなやかな動きが女性エイリアンの超然とした存在感を醸し出している。 さらに、テレビ『ヘルター・スケルター』(’76)のチャールズ・マンソン役で有名なスティーヴ・レイルズバック、『エクウス』(’77)や『テス』(’79)で高く評価されたピーター・ファース、ローレンス・オリヴィエの『オセロ』(’65)でオスカー候補になったシェイクスピア俳優フランク・フィンレイなど、キャストに実力のある名優ばかりを揃えたことも、荒唐無稽なストーリーに説得力を与えるという意味で功を奏している。『悪魔のいけにえ』のマリリン・バーンズが『ヘルター・スケルター』にも出演していたことから、フーパー監督は同作の撮影現場を見学に訪れたことがあり、その当時からレイルズバックとは友人だったらしい。 さらに、ファラーダ博士に退治される男性エイリアン役は、あのミック・ジャガーの弟クリス・ジャガー。『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』(’74)のドラキュラ役で知られるジョン・フォーブス・ロバートソンなど、ハマー・ホラーに縁の深い英国俳優たちも出演している。もちろん、ピカード艦長役やプロフェッサーX役でお馴染みのパトリック・スチュワートの登場も見逃せない。 ちなみに、当初はケイン大佐役にクラウス・キンスキー、ファラーダ博士役にジョン・ギールグッドがアナウンスされていたが、どちらも諸事情によって降板している。また、フーパー監督がビリー・アイドルのヒット曲「ダンシン・ウィズ・マイセルフ」のMV演出を手掛けたことから、2人目の男性エイリアン役にビリー・アイドルを起用するという話もあったが、スケジュールの都合が合わずに実現しなかった。ビリー・アイドルのエイリアン役は是非とも見てみたかった。 なお、アメリカではエイリアンの宇宙船を舞台にしたオープニングを大幅にカットした短縮版が劇場公開され、そのせいなのかどうかは定かでないものの、当時は興行的な惨敗を喫してしまった本作。エロティックな要素もブロックバスター映画向きではなかったと言われているが、しかしイギリスやフランスなどのヨーロッパでは反対に大ヒットを記録し、今ではカルト映画として日本を含む世界中で熱愛されている。マチルダ・メイはレナード・シュレイダー監督の『ネイキッド・タンゴ』(’91)やビガス・ルナ監督の『おっぱいとお月さま』(’94)で高く評価され、一時はフランスを代表する女優のひとりとなった。先述したようにキャノン・フィルムズと3本の契約を結んでいたフーパー監督は、本作に続いて『スペースインベーダー』(’86)と『悪魔のいけにえ2』(’86)を手掛けることとなる。■ 『スペースバンパイア』© 1985 Easedram Limited. All Rights Reserved.