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PROGRAM/放送作品
リチャードを探して
アル・パチーノ&豪華俳優陣がシェイクスピア劇の上演に挑戦!その情熱に圧倒されるドキュメンタリー
シェイクスピア劇『リチャード三世』の上演を目指すアル・パチーノが初監督を務め、その探究心あふれる制作過程を記録。熱のこもったディスカッションと実際の上演シーンを巧みに交え、シェイクスピアの世界へ誘う。
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COLUMN/コラム2020.09.02
カロルコ!ヴァーホーヴェン!そしてシャロン・ストーン!! 90年代ハリウッドに咲いた仇花的作品『氷の微笑』
今年8月、女優のシャロン・ストーンが、「ザ・ビューティー・オブ・リビング・トゥワイス」なるタイトルの、自らの回想録を執筆し、来年3月に出版することを発表した。 そのニュースを伝える、日本での記事の見出しは、~「氷の微笑」シャロン・ストーン回想録執筆し出版へ~。本文中での彼女の紹介も、~米映画「氷の微笑」(92年)などで知られる元祖セクシー女優シャロン・ストーン(62)~というものであった。 本文では、マーティン・スコセッシ監督の『カジノ』(95)で、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことなども記されてはいた。しかしシャロン・ストーンと言えば、やっぱり『氷の微笑』。彼女の女優としてのキャリアが、本作1本で語られがちなのは、否めない事実であろう。 逆に言えば彼女は、この1本で30年近く経った今でも、語られる存在になっているわけである。それほど、公開当時のインパクトは凄かった。 本作幕開けの舞台は、サンフランシスコに在る豪邸の一室。豪奢な真鍮のベッドの上で、激しくもつれ合う男女の姿があった。女の髪はブロンドだが、その顔の詳細は映し出されない。 女は男の上にまたがり、ベッドサイドから白いシルクのスカーフを取り出す。そして男の両腕を、ベッドの支柱へと結び付ける。 SMチックな趣向に益々高まった2人が、そのままオーガニズムに達するかと思った瞬間、女はシーツの下から、今度はアイスピックを取り出して、いきなり男の喉元へと振り下ろす。快楽の絶頂から、苦痛と恐怖のどん底に突き落とされた男に、女はあたり一面を血の海にしながら、何度も何度も、鋭利な刃を突き立てるのであった…。 この猟奇殺人の捜査に乗り出したのは、サンフランシスコ市警殺人課の刑事ニック・カラン(演:マイケル・ダグラス)。捜査線には、被害者のセフレで、ミステリー作家のキャサリン・トラメル(演:シャロン・ストーン)が、浮かび上がる。何と彼女は、事件の数カ月前、今回の殺人の手口がそっくりそのまま描かれた、ミステリー小説を発表していたのである。 事件の謎を追う中で、新たな殺人が起こる。更にはキャサリンの過去にも、様々な疑惑が生じていく。キャサリンを犯人と睨んだニックは、真相に迫っていく中で、やがて彼女の危険な魅力に吸い込まれ、溺れていくのであった…。 オープニングの、ショッキングなSEX殺人。そしてキャサリン・トラメル=シャロン・ストーンが、警察の取り調べを受ける際に、椅子に座って足を組みかえるシーンが、世間の耳目を攫った。そのシーンのシャロンが、タイトスカートでノーパンという装い故に、「ヘアが映る」「股間が見える」というのが、センセーショナルな話題となったのである。 本邦の場合、本作公開の前年=1991年から、宮沢りえの「サンタフェ」をはじめ、いわゆる“ヘアヌード写真集”のブームが巻き起こっていた。そのブームに、うまくリンクした部分もあったと思う。 至極、下世話な話ではある。だが本作の公開は当時紛れもなく、ちょっとした“事件”だったのだ。 そして『氷の微笑』は、全米での興行成績が1億2,000万ドルに迫り、全世界では3億5,000万ドルを稼ぎ出した。日本でも配給収入で19億円、興行収入に直せば40億円前後を売り上げた。 斯様に世界的な大ヒットとなった本作は、プリプロダクション=製作準備の段階から、何かと話題となっていた。まずは、脚本である。 手掛けたのは、『フラッシュダンス』(83)『白と黒のナイフ』(85)などのヒット作がある、ジョー・エスターハス。彼が書き上げた本作の脚本の獲得に、8人ものプロデューサーが名乗りを上げて、争奪戦が起こった。 値段はどんどん吊り上がり、買い手は一人また一人と脱落していく。そんな中で、最終的に300万ドルという、当時としては「史上最高」となる脚本料が付いて、落札となった。 本作脚本を詳細に検討した場合、ディティールの粗さなど、果して「史上最高」の価値があったのかどうかは、大いに議論となるところである。しかしその脚本料故に、ハリウッドでの本作への注目度が、端から並大抵のものでなかったことは、事実である。 「史上最高」の300万ドルを支払ったのは、独立系の映画製作会社「カロルコ・ピクチャーズ」であった。「カロルコ」は、マリオ・カサールとアンドリュー・G・ヴァイナによって76年に設立され、82年に、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』第1作から製作活動を本格化。90年には『トータル・リコール』、91年には『ターミネーター2』と、絶頂期のアーノルド・シュワルツェネッガーを主演させた、メガヒット作を立て続けに放っていた。 本作の製作が本格化して、まずは殺人課の刑事ニック役に、マイケル・ダグラスが決まった。大スターであるカーク・ダグラスの長男であるマイケルは、アカデミー賞で作品賞を含む5部門に輝いた、『カッコーの巣の上で』(75)のプロデューサーとして注目された後、俳優としても、『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(84)『危険な情事』(87)『ブラック・レイン』(89)などのヒット作に主演。オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(87)では、父は生涯手にすることが叶わなかった、“アカデミー賞主演男優賞”を獲得している。 このように80年代、名実ともハリウッドのTOPスターの1人となったマイケル。年齢的には40代後半という円熟期を迎えて、90年代最初の主演作に選んだのが、本作であった。 続いては監督が、ポール・ヴァーホーヴェンに決まる。オランダで数々の問題作を発表後、80年代後半にアメリカ映画界へと渡ったヴァーホーヴェンは、『ロボコップ』(87)『トータル・リコール』(90)と、監督作が連続ヒットを記録。本作を手掛けた辺りが、ハリウッドに於ける絶頂期だった。 「カロルコ」!マイケル・ダグラス!ヴァーホーヴェン!90年代はじめのハリウッドに於いては、まさにブイブイ言わせている面々が集まって、いよいよ物語の“肝”となる、キャサリン・トラメル役を決める段となった。 ヴァーホーヴェンの意中の女性ははじめから、監督前作の『トータル・リコール』に出演していた、シャロン・ストーンだったという。『トータル…』でのシャロンは、シュワルツェネッガー演じる主人公の妻にして、実は敵の回し者という役どころ。アクションシーンでは、2カ月間の空手の特訓の成果を見せ、強い印象を残していた。 ところが「カロルコ」側からは、「もっと大スターを使いたい」との注文がついた。当時のシャロンは、デビュー以来10年以上もブレイクしないまま、三十路を迎えた、“B級ブロンド女優”に過ぎなかったのである。 また、シャロンが89年に主演したスペイン映画『血と砂』を観たマイケル・ダグラスも、「カロルコ」の主張に与した。「あんなひどい映画に出ている女優と共演すると自分の人気に傷がつく」というのが、その理由だった。 そのためヴァーホーヴェンは、100人もの女優と面接するハメになった。イザベル・アジャーニ、ジュリア・ロバーツ、キム・ベイシンガー、ミシェル・ファイファー、ニコール・キッドマン、ジーナ・デイヴィス等々、錚々たる顔触れが並んだが、裸のシーンが多く、悪女のイメージが強いキャサリン・トラメルを演じるのに、前向きになる者は少なかった。 そこでヴァーホーヴェンは、4カ月掛けてプロデューサーたちを説得。遂にはシャロンの起用に成功した。 この役がダメだったら、女優をやめようと考えていたというシャロンにとって本作は、まさに「最後の挑戦だった」。ヒッチコックの『裏窓』(54)のグレース・ケリーをイメージして役作りを行った彼女は、ヴァーホーヴェンやダグラスと撮影中に頻繁にディスカッション。時には衝突しながらも、撮影に1週間を要した、激しいセックスシーンなどで、迫真の演技を見せたのである。 さて先にも記したが、本作で特に話題になったのが、ノーパン&タイトスカートでの足の組み換えシーン。このシーンも、シャロンのアイディアによるものと、劇場用プログラムには記されている。ところが公開キャンペーンで来日した際の、ヴァーホーヴェンのインタビューでは、自分が大学生だった23歳の時の実体験に基づいて、生み出されたシーンだとしている。 友人の奥さんが、いつも座っている時に下着をつけていないので、「見えるというのが分かっているんですか?」と質問した。すると彼女は、「もちろん。目的があって、履いてないんだもん」と答えたのだという。ヴァーホーヴェンはそれをずっと覚えていたので、本作に使ったという説明である。 しかしこれも、リップサービスの可能性がある。シャロン説とヴァーホーヴェン説の、どちらが正しいのか?その謎は、公開から22年経った、2014年に解き明かされた。当時報じられた、シャロンの言をそのまま引用する。 「撮影した時、それはノーパンであることを暗示するシーンになるはずだったの。でも監督が『君の下着の白い色が見えてしまう。脱いでもらわなきゃいけない』と言うから、『見えるのはイヤです』と答えたの。すると監督は『いや、見えることはないから』と言うの。だから私は下着を脱いで彼に渡したわ。『じゃあ、モニターを見よう』と彼が言うから見たの。当時は、いまのようになんでもハイビジョンではなかったから、モニターを見た時には本当になにも見えなかったのよ。だから映画館で大勢の人に囲まれてあのシーンを見た時にはショックを受けたわ。上映が終わると監督の頬にビンタをお見舞いして、『私が1人の時にまず見せるべきだったんじゃないの』と言ってやったわ」 この監督の騙し討ちこそが、映画の世界的ヒットの原動力になったというわけだ。 さて冒頭に記した通りシャロン・ストーンは、本作1本で、長く語り継がれる存在になった。逆に、他に何の作品に出ていたのかは、ほとんど記憶に残らない女優人生でもある。 渡米後の監督作が、本作で3本続けてメガヒットとなった、ポール・ヴァーホーヴェンは、その後に手掛けた『ショーガール』(95)が大コケ。続く『スターシップ・トゥルーパーズ』(97)『インビジブル』(00)も期待した成績を上げられず、21世紀には母国オランダに帰って、活動を続けている。 そして「カロルコ・ピクチャーズ」。90年代初頭には毎年のようにメガヒット作を出しながらも、本作脚本に300万ドルの値付けを行ったことに代表されるような、放漫経営が祟って、95年には倒産の憂き目に遭っている。 さすれば本作は、1992年のハリウッドに咲いた仇花、一瞬の夢のような作品だったとも言える。 そして14年後、「カロルコ」崩壊後もプロデューサーを続けたマリオ・カサールらが、再びシャロン・ストーン=キャサリン・トラメルを引っ張り出して製作したのが、『氷の微笑2』(2006)である。しかし、そこにはマイケル・ダグラスの姿はなく、ヴァーホーヴェンも、メガフォンを取ることはなかった。 『2』製作に当たっては、前作時には30万ドルと言われたシャロンのギャラは、1,400万ドルまで膨張。1作目にマイケルが手にしたギャラとほぼ同額になっていた。 しかしその出来栄えも世間の注目度も、「兵どもが夢の跡」という他はなく、ただただ「世の無常」を感じさせられる作品であった。■『氷の微笑』(C) 1992 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
『クリード チャンプを継ぐ男』「ロッキー」放送記念:竹原慎二の選択
元ボクシング世界王者・竹原慎二氏。リアル・ロッキーが「ロッキー」シリーズと自身の半生を語り尽くす!
『クリード チャンプを継ぐ男』と『ロッキー』シリーズ全作の一挙放送に合わせて、元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二の半生に迫るインタビュー番組。
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COLUMN/コラム2020.02.26
「ボイスシネマ声優口演2020 in調布」3/22(日)開催!声優たちが無声映画に声を吹き込むライブイベント「声優口演」。企画・総合プロデューサー羽佐間道夫さんに聞く
――もう何度もお話をされていると思いますが、改めて「声優口演」の成り立ちからうかがえますでしょうか? 羽佐間 古い話になりますが、僕が俳協という事務所にいたころ、そこに福地悟朗さんという方がいたんです。戦前から活弁士として活躍されていた方で、その語り口が僕はとっても好きでね。現在でも澤登翠さんたちが活動を続けていらっしゃるけれども、いつからか僕は活弁上映というものを観るたびに、フラストレーションが残るようになっていったんです。それはなぜかと考えたら、登場人物が喋ったらもっと面白くなるんじゃないか?と思ったんです。 チャップリンの作品もそうだけど、昔の無声映画を観ると、登場人物の口が開いて明らかに何ごとか喋っているわけです。もちろん無声映画だからセリフは聞こえず、たまに挿入される字幕で内容は伝わるように作られている。活弁では、そういう「聞こえないセリフ」をすっ飛ばしてしまうことがままある。だけど、これを現在の洋画と同じように、ちゃんと全部吹き替えてあげれば面白いんじゃないかと。 ただ、無声映画には台本がないわけです。我々が普段やっている吹き替えの仕事は、画面とのシンクロまで考えて作られた翻訳台本があって成立するものですから。それならば、自分たちで好きなようにセリフを考えて、有声の喜劇にしてみたらどうだろうと。そんなとき、たまたまチャップリンのフィルムが手に入ったので、それを練習台にしながら自主的に研究を始めたんです。 そのうちに、これは声優たちで集まって「劇団公演」としてやったら面白いのでは?と思い始めた。その最初の試みが、かれこれ十数年前になりますが、野沢雅子と一緒に長野県でやったライブイベントなんです。地元の映画館主に声をかけられて、このときは昔の日本映画を上映しました。ものすごく小さな会場で、みかん箱かなんかの上に乗ってやりましたね。観客は8人ぐらいでしたけど(苦笑)。「こりゃダメだな」と思ったんだけど、その後も僕と雅子がコアとなり、そのうち山寺(宏一)も引き込んで、2006年に「声優口演」として本格的にスタートしたんです。いまはこの3人が軸となり、僕らの周りにいろんな声優さんたちを集めるかたちで続いています。 ――「したまちコメディ映画祭 in 台東」では、2009年開催の第2回からレギュラーイベントになりましたね。 羽佐間 おかげさまで回を重ねるごとに好評をいただきまして、あるとき、いとうせいこうさんがプロデュースする「したまちコメディ映画祭」に呼んでくれたんです。そこからさらに人気が出ましたね。「したコメ」のレギュラー企画として、浅草公会堂で年1回の公演をやりつつ、地方公演にも呼ばれるようになって。いつしか必ずと言っていいほど客が入るイベントとして定着して、しかも必ず老若男女が来るんですよ。若い声優ファンばかりではなく、昔観て面白かった映画をもういちど楽しみたいお年寄りのお客さんが、お孫さんの手をひいて観に来てくださる。そういう幅広い年齢層がクロスオーバーするイベントになっていった。そして、帰り道では「おじいちゃんが昔観たときはこうだったんだよ」と、世代を超えた会話もできる。これはいいな、映画のファミレスだな、と思ってね(笑)。 ●チャップリンは無声映画時代が最高に面白い! ――上映作品はどのように決めるんですか? 羽佐間 チャップリンは全部で81本の映画を作っていて、最初の1年間だけで35本の映画を作っているんです。つまり、1カ月に約3本というペース。当時、彼は25歳ぐらいだから、これはもう天才の所業ですよ。その後、だんだんスローペースになっていくんだけど、今度のイベントで上映する『チャップリンの質屋』(1917)というのは、彼の56本目の作品なんです。僕はこの時期のチャップリン作品がいちばん面白いと思う。1916年から18年ぐらいの間、ミューチュアル社という映画会社で作っていたころですね。 もともとイギリスの劇団にいたチャップリンは、アメリカ巡業中にキーストン社という映画会社にスカウトされて、一躍人気者になるんです。そこからは自分の思いどおりに映画を作れる環境を求めて、さまざまな会社を転々とし、最終的には自らユナイテッド・アーティスツという会社を設立する。それ以前の作品は、チャップリン自身がすべての権利を所持していない時期の作品だから、いわゆるパブリックドメイン(著作権フリー)作品として扱いやすいだろうという理由もあります。 その後、日本チャップリン協会の大野裕之さんとも知り合いまして、ぜひ一緒にイベントをやりましょうと。大野さんはチャップリン家の書斎にも自由に出入りできるぐらい、絶大な信頼を置かれている方なのでね。彼を介してチャップリン家とも交渉できるようになり、近年では後期の作品も上映できるようになりました。大野さんのおかげで、向こうも我々を信頼してくれるし、我々も安心して演じられるというわけです。 ――サウンド版として作られた『街の灯』(1931)や『独裁者』(1940)も、吹替え版で上映されていますね。 羽佐間 なかなか上映許可の取りづらかった時代の作品まで上映できるようになって、嬉しかったですね。だけど、チャップリンは音がついちゃうと面白くないんだよ! ――ぶっちゃけましたね!(笑) 羽佐間 やっぱり無声映画時代が最高だよね。みんな『ライムライト』(1952)は名作だって言うけど、あの映画で素晴らしいのは、チャップリンとバスター・キートンが一緒にパントマイムをやるシーンのみと言っても過言ではない。あのくだりに僕らの声の芝居を乗せてみたらどうだろうと思って、去年の公演でやってみたら、やっぱり面白かったもの。 ほかにも面白い作品はたくさんありますよ。『チャップリンの移民』(1917)なんて素晴らしいと思うなぁ。まずストーリーがいいし、食堂の場面などの仕掛けもすごく面白い。エドナ・パーヴァイアンスという、この時期ずっとチャップリンの相手役を演じ続けた女優さんがいるじゃないですか。彼女の存在もすごく大きかったと思いますね。 ――羽佐間さんのおっしゃる「全盛期」に作られた『チャップリンの質屋』は、これまでに何度も上映されていますよね。 羽佐間 あれは時計のシーンが面白いんです。チャップリンが働いている質屋に、1人の客が動かない時計を質草として持ってくる。それをチャップリンが散々いじくった挙句、メチャクチャに壊して追い返しちゃう。それから、金魚鉢に入った金魚を質草として持ってくるおばさんが出てきたりしてね。 つまり、いまで言う「オレオレ詐欺」ですよ。来るやつ来るやつ、みんなインチキで、チャップリンを引っ掛けようとしてくるわけだから。非常に今日的なギャグだな~と思ってね。だから今回の声優口演版では、そういう話として決め込んで演じてしまおうと。いまの時代にぴったりなストーリーとしてね。もとが無声映画なんだから、セリフでどんなふうに料理してもいいわけです。 『チャップリンの質屋』(1916) Advertisement in Moving Picture World for the American comedy film The Pawnshop (1916). ――もう1本の上映作品、『チャップリンの冒険』(1917)は? 羽佐間 これは山寺宏一が1人でやるんです。全部で20人くらいのキャラクターを演じ分けるんだけど、面白いよ~! 僕もやれと言われればできるかもしれないけど、途中で息絶えちゃうかもしれない(笑)。 『チャップリンの冒険』(1917) ©1917 Mutual Film Corporation 山寺が演じる『犬の生活』(1918)なんて、もっとすごいですよ。これも彼が自分から「1人でやってみたいんです」と言ってきた作品なんです。人間だけでも数十人出てくるのに、さらに犬も8匹ぐらい出てきて、その犬の芝居も全部変えてくるんだから(笑)。さすがは長年『それいけ!アンパンマン』で犬のチーズを演じてきただけはあるよね。しかも、それをライブで、一発勝負でやるわけだから。「吹き替えってこんなに面白いものなんだ!」って、僕が思い知らされるぐらいだもの。そういう人たちの素晴らしい至芸を、生で楽しめるイベントでもあるわけです。今後も山寺版『犬の生活』は再演したいと考えているので、その際にはぜひお見逃しなく! ●台本作りはとにかく大変! ――台本はどのように作られるんですか? 羽佐間 これがいちばん、くたびれる作業だね(笑)。何もないところから、画面の動きだけをもとにセリフを作っていくわけだから。まずはとにかく映像を繰り返し観る。100回以上は観ますね、大袈裟じゃなしに。観ながら自分で声を出して、画のタイミングに合わせてセリフを作っていくわけ。しかも、チャップリンの作品はスピードがものすごく速くて、すべてのタイミングがきっちり出来上がっているから、少しでもズレちゃいけない。1ページ書くのに、大変な時間がかかるんですよ。25分の短編1本の台本を作るのに、最初は1週間ぐらいかかったんじゃないかな。 だけど、やっているときはものすごく面白い。つくづく、チャップリンという人は天才だと思うね。しかも、こっちは勝手なセリフを書いていいわけだから(笑)。もちろん、ストーリーはあるし、字幕も入るから、何もかも勝手気ままに作るわけではないですけどね。 それで、台本が出来上がったところで、またアタマから声を出して合わせていく。すると全然ズレていたりするわけ。その呼吸を合わせていく作業も大変だし、本番で演じる俳優たちはもっと大変だと思うよ。しかも、ライブだからね。少しでもトチったら画面に置いていかれちゃう。そのぶん、スピードに乗ったときは本当に面白い。終わったあとは全員ヘトヘトですけどね(笑)。 ――今回、宮澤はるなさんが台本と出演に名を連ねられていますね。 羽佐間 これまでは僕ばかりが台本を書いていたから、今回は宮澤にも書かせてみたんです。「ちょっといじってみろ」と試しに渡してみたら、何箇所か面白いところがあったので、全部任せてみました。それに対して僕が「こうしたほうがいいんじゃないか?」とか「もっと自由に書いていいんじゃないの、何言ったっていいんだからさ」とか言って、直しを入れたりしています。いわば、合作ですね。 実は、三谷幸喜さんとか、クドカン(宮藤官九郎)さんにも台本をお願いしてみたいんですよ。それこそ彼らの作風を存分に発揮してもらって、無声映画を自由に脚色してもらったら、ものすごく面白いものができるんじゃないかと。お金がないから、3万円ぐらいしか払えませんけど(笑)。 ●ライブでやるからこそ面白い! ――全キャスト揃っての読み合わせは、毎回やるんですよね。 羽佐間 もちろん! どんな人気声優さんであろうと、必ず半日か1日は使って全員でリハーサルをやります。で、僕が「もう1日やらないとダメだな」とか言うと、マネージャーが慌てちゃうんだよね。そんな余裕ありません!とか言ってね。でも、本人はやる気満々なことが多いですよ。「わかりました! 明日も来ます!」って、スケジュールをやりくりして来てくれる。 どういうわけか、役者はみんなやりたがるんですよ。もちろん、そうじゃなければこんなイベントは組めませんけどね。高木渉なんて、会うたびに「またやりましょうよ~!」と言ってきて(笑)。なかなかスケジュールが合わなかったんだけど、今回ようやく久々に出てくれることになりました。若い人たちも、みんな面白がってくれますね。お客さんの反応もいいですし、やっていて楽しいんでしょうね。最近は映画でもドラマでも、なかなかないジャンルだからなのかな。僕らが若いころは『奥さまは魔女』(1964~72・TV)とか、海外作品といえばコメディが主流だった時代がありましたからね。 ――今回のキャストは若手の方が多いですね。 羽佐間 キャスティング担当が「もう古いのは十分だ!」と思ったんじゃないかな(笑)。僕も若い人たちと一緒にやるのは楽しいんです。彼らのファンの人たちも観に来てくれるし、彼ら自身も面白がってくれるし。ただ、どれぐらいの人気者なのか全然知らないので、つい練習で厳しくしちゃったりしてね。あとで「大変な人なんですよ」と言われて、俺だってけっこう大変な人なんだぞ!と思ったりしますけど(笑)。 いま、ひとつの番組のキャストに僕がいて、野沢雅子がいて、さらに小野大輔くん、梶裕貴くんたちがいるような、いろんな世代の役者がスタジオで一堂に会するような番組がないんですよ。「声優口演」はそれが実現できている、特別な場だという意識もあります。 しかも、これはライブでやるから面白いんですよ。テレビでやると、なぜかつまらない。昔からテレビ用に作られたチャップリン作品の吹き替えとか、ナレーションを付けたものって、たくさんあるんです。だけど、ライブでやるのがいちばん面白い。自分で演じていても、お客さんの反応を見ていても、そのギャップはものすごく感じますね。 たとえば山ちゃんが『犬の生活』で8匹の犬をその場で演じ分ける、その芸をその場で観られるというライブの醍醐味はあるだろうね。これは実際に会場へ観に来られた方だけが味わうことができる面白さだと思います。 ――普通の洋画の吹き替えとは違いますか? 羽佐間 全然違うと思いますね。徹底的にアクションに合わせた芝居になるわけだから、どうしてもエロキューション(発声術)がきちんと表現できていないと演じきれない。ただただセリフを硬く読むような、単調な芝居では成り立たないわけです。 いまのアニメなんか観ていると、画一的な芝居ばっかりで、キャラクターの区別がつかないんだよね。小林清志の言葉を借りれば「いまは全員が王子様か、お姫様みたいな芝居しかしない」ってこと。僕らの時代は声優の一人ひとりが個性的で、声を聞くだけで面白い!という人がたくさんいた。そういう場を再現したいという思いもあるんです。 ●自分の基礎はコメディにある ――羽佐間さんはシリアスなものからコミカルなものまで幅広い役柄を演じていらっしゃいますが、ご自身ではコメディがお好きなんですか? 羽佐間 僕自身はどちらかというと、ライトコメディみたいなジャンルが好きで、そこから出てきたという意識があるんですよ。もちろん『ひまわり』(1970)のマルチェロ・マストロヤンニみたいな、センチメンタルな役も演じていますけどね。いちばん最初に自分が吹き替えをやってよかったと感動したのは、ダニー・ケイですから。『5つの銅貨』(1959)という、彼が実在のコルネット奏者を演じた作品の吹き替えをやって、それがきっかけで『ピンク・パンサー』シリーズのクルーゾー警部(ピーター・セラーズ)をやったり、『裸の銃を持つ男』シリーズのドレビン警部(レスリー・ニールセン)につながったりしたんです。 ――『5つの銅貨』の吹き替え版は1970年に初放送され、近年「ザ・シネマ」でもオンエアされました。ダニー・ケイの多彩な芸達者ぶりを、羽佐間さんがしっかりとカヴァーしていて素晴らしいですね。 羽佐間 あれはダニー・ケイの元の芝居が素晴らしいから、声の芝居をリードしてくれるんですよ。テンポから何から「こういうふうにやりなよ」って、画面から演技指導をされるというかね。放送後、山田康雄が電報を打ってきたのを覚えてます。「泣かせるなよ、おまえ」ってね。 ――イイ話ですねー!! 羽佐間 奥さん役は野口ふみえさんという映画女優の方で、この方も素晴らしかったね。そして、サッチモことルイ・アームストロングの声をやったのは、相模太郎。彼は僕の中学校時代の演劇部の先輩だったんですよ。 ――そうなんですか! 羽佐間 彼はお父さんが浪曲師の初代・相模太郎で、その跡を継いで二代目として浪曲をやりつつ、声優もやっていた。あいつに教わったことはたくさんあってね。あるとき、声を出すときにどういう工夫をしているのかと訊いたら「おまえ、浪花節を聴いたことあるか?」と言うわけ。もちろんあると答えたら、「それなら明日、浅草の劇場に出ている梅中軒鶯童の浪花節を聴いてこい」と言うんです。それで、言われるがままに観に行って、翌日報告したわけ。面白かったよ、と。そしたら「おまえ、どこの席で観てた?」と訊かれてね。確か上手(カミテ)の、前から3番目くらいの席かな?なんて答えたら「じゃあ、明日は下手(シモテ)の席で観てこい」と言うんだ。 で、また同じ劇場へ観に行くわけですよ。それでまた「どうだった?」と訊かれるので、どうもこうも同じだったよ、と答える。すると「同じわけがないじゃないか! もう1回観てこい!」と。 ――おお~。 羽佐間 つまり彼が言うには、浪曲でも落語でもそうなんだけど、偉い人はみんな上手から下手に声をかけるんだと。たとえば大家さんが「おい、八つぁん。元気かい?」なんてね。それに対して、下々の者は下手から上手に向かって返事をする。「へい、おかげさんで!」とかなんとか。そのとき、客席に見せている顔が左と右で違うじゃないか、と言うわけね。 顔が違えば、言葉のテンポも違ってくる。上から目線の人はゆったり上から喋り、反対に下から目線の人は上目遣いに素早く喋る。これが引っくり返ってしまっては、その役を理解してないということになる。大家さんが早口で、八つぁんがゆったり喋っちゃおかしいわけ。で、それは顔にも出ているはずだと。それぐらいのコントラストを表現するつもりで役を演じるんだ、ということを言われたんです。ちょっといい芸談でしょ(笑)。 ――現在でも十分に通用する演技メソッドですね。 羽佐間 しかも相模太郎は、『5つの銅貨』でサッチモなんていう特徴のカタマリみたいな人物を演じていながら、「テンポは違っても、声は作らなくていい」と言うんだよ。確かに、広沢虎造がやる浪曲『清水の次郎長』がそうなんです。ものすごく多彩な登場人物のセリフを喋っているにもかかわらず、声のトーンは同じなの。女性も含めてね。ことさら甲高い声を作ったりせず、テンポと抑揚だけで表現していく。徳川夢声が朗読した『宮本武蔵』もそう。武蔵も、沢庵和尚も、お通も同じ声でやっているのに、それぞれ異なるキャラクターが喋っているように思わせてしまう。 つまり、うまい人は声のトーンを変えるまでもなく、テンポと語り口でキャラクターを表現してしまう。声優ならば、そこまで技を突き詰めたいし、突き詰めてほしいと思うよね。日本の伝統芸能をしっかり勉強すれば、学べることはたくさんあると思うよ。 とはいえ、声を作ったほうが面白い場合もあるけどね(笑)。そのほうが聴いてる人のイメージがはっきりするなら、声色を使い分けるのも全然アリだと思う。だって山寺が1人30役ぐらいやるときなんて、全員の声が違うからね。だけど、彼もやっぱり声色だけに頼っているわけではないから。 ●『特攻野郎Aチーム』は楽しい職場だった! ――羽佐間さんのコミカルな演技と言えば『ヤング・フランケンシュタイン』(1974)レーザーディスク版の吹き替えも忘れられません! 羽佐間 ジーン・ワイルダーが演じたフランケンシュタイン博士の役ね。あの映画はおかしかったなぁ~。ジーン・ワイルダーの吹き替えも何本かやったけど、好きな役者でしたよ。テレビ版は広川(太一郎)だよね。 ――そうです。レーザーディスク版もテレビ版に引けを取らない傑作吹き替えで、羽佐間さんと助手のアイゴール(マーティ・フェルドマン)役の青野武さんとの掛け合いが最高でした! お2人は『がんばれ!タブチくん!!』(1979)でも共演されてますね。 羽佐間 ヒロオカ監督ね! 当時はテレビによく本人が出てたから「あんな感じかぁ」と思いながらやってました。主人公のタブチ役が西田敏行さんで、その収録が本当に面白かったんですよ。もう本番一発目から、スタジオにいる全員が息を呑むぐらい面白かった。僕は山岡久乃さんの吹き替えのお芝居を聴いたときも心底「すごいな~」と思ったけど、それぐらいの衝撃がありました。やっぱり、芝居がちゃんとしている人は吹き替えもうまいですよ。 ――『ミッドナイト・ラン』(1988)テレビ朝日版のチャールズ・グローディンも最高でした。 羽佐間 これはね、最初はキャスティングが逆だったの。僕がロバート・デ・ニーロの役をやるはずだったんだけど、プロデューサーに「羽佐間さんはこっちのほうがいいですよ」と言われて、それで引っくり返っちゃった。これは前に別のCS局で羽佐間道夫特集を組んでくれたとき、『名探偵登場』(1976)や『ランボー』(1982)と一緒にやってくれて嬉しかったな。『名探偵登場』なんて、ピーター・セラーズの芝居に合わせてニセモノ中国人っぽく演じたら、中国大使館からクレームが来てね(笑)。それ以降、再放送が一切できなくなっちゃった。 ――すごい話ですね(笑)。 羽佐間 僕ね、ロイ・シャイダーとか、ポール・ニューマンとか、わりと渋い二枚目の声を演じているイメージがあるみたいだけど、自分では全然違うと思うんだ。だから(シルヴェスター・)スタローンの『ロッキー』(1976)なんて、いちばん向いてないんだよ(笑)。なんで俺のところに持ってきたんだろう?って思ったもん。あのシリーズは第1作(1983年にTBS「月曜ロードショー」でテレビ初放送)から、ずーっと伊達やん(伊達康将。東北新社のベテラン音響演出家)と作り続けて、気づけば36年ですよ。『ロッキー』が6本あり、さらに『クリード』が2本あり、全部で8本。 ――2019年公開の『クリード 炎の宿敵』(2018)まで演じ続けているわけですから、名実ともに当たり役ですよね。羽佐間さんの重量感のある芝居では『ベター・コール・ソウル』(2015~)の主人公ジミーの兄チャック(マイケル・マッキーン)も印象的です。 羽佐間 これも伊達やんとの仕事だよ! 彼とは本当に付き合いが長いんだ。『ベター・コール・ソウル』はなかなか面白い作品でしたね。残念ながら僕は途中退場しちゃったけど(笑)。兄弟役をやった安原義人とは『特攻野郎Aチーム』(1983~87・TV)でも一緒だったけど、相変わらず飄々としていて面白い男だね。彼は驚いたときでも、驚きの表現では言わないんだ。ただフラットに「びっくりした。」とか言うだけで(笑)。 ――まさか羽佐間さんによる安原さんのモノマネが聴けるとは!! しかもムチャクチャ感じ出てますね(笑)。 羽佐間 『Aチーム』は楽しい職場だったなぁ~。誰一人としてマトモにセリフ喋ってるヤツなんていないんだから。みんなでマイクの前で押し合い圧し合いしながら、まるで格闘技のようにセリフを言い合ってたよ。富山(敬)でしょ、安原でしょ。コング役の飯塚昭三なんて、誰かに服を引っ張られてドテッと床に転がったりしてね(笑)。 ●目標はファミリーレストラン! ――それでは最後に、イベントに来られるお客さんに向けてメッセージをお願いします! 羽佐間 さっきも言いましたが、目指すは「ファミレス 声優口演」なんです。僕らのイベントが、家庭内での会話を作るきっかけになったら、こんなに嬉しいことはない。おじいちゃん、おばあちゃんが、お孫さんと一緒にイベントに来てくれて、お家に帰ってご飯を食べながら、今日観た映画について楽しく話してもらえたら最高ですね。いくらヒットしていても、特定の世代しか集まらないようなものではなく、各世代が集い、語り合える作品として、チャップリンは最適だと思います。ぜひ、ご家族で楽しんでください!■ 羽佐間道夫(はざま・みちお)日本声優界の大御所のひとりで、2008年には第2回声優アワード功労賞を受賞した。コメディからシリアスまで幅広い役柄をこなす一方、名ナレーターとして多数のニュース、バラエティ番組で活躍。そのナレーションでお茶の間に広く親しまれる。ナレーターとしての功績を、2001年ATP賞テレビグランプリ個人賞で讃えられた。『声優口演』は2006年から企画・総合プロデューサーとしても携わる、ライフワークとなっている。<代表作>「ロッキー シリーズ」(ロッキー・バルボア)「スター・ウォーズシリーズ」(ドゥークー伯爵)「ポケットモンスター サン&ムーン」(各名人) ボイスシネマ声優口演2020 in調布 ■公演日時 2020年3月22日(日) 昼の部:13:00開場/13:30開演 夜の部:18:00開場/18:30開演 ■会場 調布市グリーンホール(〒182-0026 東京都調布市小島町2丁目47−1) ■出演【昼の部】 羽佐間道夫/野沢雅子/山寺宏一/高木渉/小野友樹/木村昴/宮澤はるな/今村一誌洋【夜の部】 羽佐間道夫/野沢雅子/山寺宏一/小野大輔/梶裕貴/木村昴/宮澤はるな/今村一誌洋 演奏:Tellers Caravan スペシャルゲスト:大野裕之 ■公式HPはこちらから ******************************************* ザ・シネマでは世代を超えた豪華声優陣競演の本公演【昼の部】に10名様をご招待! ■当選者数…【昼の部】5組10名様 ※当選された方には、ザ・シネマよりメールで当選のご連絡をさせて頂きます■応募締切:3月13日(金)■応募ページはこちらから ©Roy Export SAS
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PROGRAM/放送作品
RONALDO/ロナウド
世界屈指のサッカー選手クリスティアーノ・ロナウド。その才能と素顔に肉迫した公式ドキュメンタリー
激動の2014-15年シーズンを軸に、クリスティアーノ・ロナウドの栄光の軌跡を記録。英国アカデミー賞受賞経験を3度持つアンソニー・ウォンケ監督が、ロナウドの勝利への執念、そして素顔を浮き彫りにする。
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COLUMN/コラム2019.12.26
“モダンホラーの帝王”が描いた、 おぞましくも恐ろしい物語 『ペット・セメタリー』
“モダンホラーの帝王”として知られ、日本でも、その著作の多くが翻訳・出版されている、アメリカの小説家スティーヴン・キング。彼が1974年に発表して出世作となったのが、いじめられっ子の少女の超能力が覚醒し、プロムの夜に大殺戮を起こす物語「キャリー」である。 翌75年には、日本でも出版。ブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセク主演による映画化作品は、76年の全米ヒット作の1本となった。映画版の日本公開は、77年春。1964年生まれの筆者の世代は、“青春ホラー”の傑作である、映画版『キャリー』によって、原作者であるキングの名を知った者が多い。 キング作品で続いて映画化されたのは、巨匠スタンリー・キューブリックが監督した、『シャイニング』(80)。キューブリックによる原作からの改変が目立つこの作品は、大ヒットに反比例するかのように批評は芳しくなく、キングからも「エンジンが付いてないキャデラック」と忌み嫌われた。しかし現在では、ホラー映画の“古典”という評価が定着している。 『キャリー』『シャイニング』両作の興行的成功によって、キングの小説は発表と同時に、次々と映画化やTVドラマ化されるようになった。最近では「キャリー」や「IT」のように、過去に映像化された作品のリメイクも多くなっている。 そんな中の1本であるのが、『ペット・セメタリー』。日本語に訳せば“ペット霊園”というタイトルのこの作品は、1983年に出版され、89年に最初の映画化。30年後の2019年にリメイク作品が製作された。 因みに原作及び新旧映画作品のオリジナルタイトルは、「ペット・セメタリー=PET CEMETARY」ではなく、「ペット・セマタリー=PET SEMATARY」。子どもの綴り間違いという劇中の設定によるもので、日本での出版タイトルもオリジナルに準拠して、「ペット・セマタリー」となっている。 さて今回「ザ・シネマ」で紹介するのは、『ペット・セメタリー』の最初の映画版である。1980年代に『クジョー』(83)『デッドゾーン』(83)『クリスティーン』(83)『炎の少女チャーリー』(84)『スタンド・バイ・ミー』(86)『バトルランナー』(87)等々、キングの原作が次々と映画化された中では、『シャイニング』以来の大ヒットとなった。3年後の92年には、原作のストーリーからは離れた続編、『ペット・セメタリー2』が製作されたほどである。 そんな大ヒット作の原作に関して、キングは出版されるより前に、こんな述懐をしている。「あまりにも恐ろしくて忌まわしいのでこれまで出版を見送ってきた作品がある…」。そんな話を裏付けるかのように、本作の原作は、キングが79年に一旦完成させながら、出版されたのは、4年後の83年だった。 実はその後キングは別のインタビューで、「恐ろしくて忌まわしい」から「出版を見送ってきた」わけではなく、「原稿に手を入れる気にもならないほど恐ろしい作品を書いた」というのが真意であったと、明かしている。わかり易く言えば、文章の推敲を日延べしている内に、出版が遅くなったというわけだ。 しかし原作者本人が、「恐ろしくて忌まわしい」或いは「おぞましくて恐ろしい」ことを作品にしたと、語っていたのは事実である。時が経つ内に、『ペット・セメタリー』原作に関しては、「あまりの恐ろしさに発表を見あわせていた」という風評が、いつしか伝説化してしまった。 確かにこの原作に関しては、キングが「出版を見送ってきた」ことが(実際には“伝説”に過ぎないにしても)、なるほどと頷けてしまう。こんなに「おぞましい」ストーリーは、ない。特に、子どもを持つ親にとっては…。 メイン州の小さな町ラドローに越してきた、ルイス・クリードと妻のレイチェル、娘のエリーと息子のゲイジ。そんな一家を、向かいに住む老人ジャドは、温かく迎えた。 クリード家の新居の前を走る道路は、日夜大型トラックが猛スピードで行きかい、そのため犬や猫など、数多くのペットが轢かれて死んでいた。そしてその多くが、クリード邸の裏の小道から続く、森の中の“ペット霊園”に葬られていた。 医師として大学の医療センターに勤務を始めたルイスは、大事故で頭の一部が削られるほどの大怪我をした若者ヴィクター・パスコーが、息を引き取る瞬間に立ち会う。ところが、死んだ筈のパスコーが突然目を開け、知る筈のないルイスの名を呼んだ。 夢か現か、亡者のパスコーがその夜、ルイスの寝室へと現れる。パスコーはルイスを“ペット霊園”へと誘い、この更に奥に在る忌まわしき地には、絶対足を踏み入れてはならないと警告する。 それから少し経って、一家の飼い猫であるチャーチが、車にはねられて死んでいるのが見付かる。幼いエリーがチャーチを可愛がっていたことを知る隣人のジャドは、ルイスを“ペット霊園”の先の地に案内し、そこに自らの手で埋めるよう指示する。 翌朝、家族に内緒で埋葬した筈のチャーチが戻ってきた。まるで違う猫になったかのように、凶暴性を帯びて。 ジャドは、エリーを悲しませないために、先住民の間で語り伝えられてきた秘密の森の力を利用したことを、ルイスに教える。「死んだ人間を埋めたことはあるのか?」と尋ねるルイスに、「そんな恐ろしいことを、誰がするか!」と、色をなして否定するジャド…。 やがてクリード家を、どん底へと叩き落す悲劇が起こる。一家の団らん中、ちょっと目を離した隙に、ヨチヨチ歩きのゲイジが道路へと飛び出し、トラックにはねられて死んでしまったのだ。 失った幼子のことを諦められないルイスは、ジャドの警告を振り切って、一旦埋葬した息子の遺体を掘り起こす。そして禁断の森へと、足を踏み入れていく…。 翻訳版で、上下巻合わせて700頁以上という長大な原作を映画化するに当たっては、改変された部分や割愛されたキャラクターなども居る。しかし、原作者のキング自らが執筆した脚本による最初の映画版は、概ね原作に忠実な展開となっている。 それにしてもキングはなぜ、こんな「おぞましい」話を書いたのだろうか?実は『ペット・セメタリー』原作は、キングの家庭に振りかかったアクシデントを基にして、描かれた物語だったのである。 キングとその家族は一時期、メイン州のオリントンという町の、車通りの多い道沿いの家に暮らしていた。そしてその近所には、交通事故で死んだペットのために、地元の子ども達が作った墓地があった。 ある時キングの幼い娘が飼っていた猫が、その道路で轢かれて死んだ。更にはその後、2歳の息子が、同じ道路でトラックに轢かれかかるという“事件”があった。その時、我が子が道路に飛び出す直前に、その体を掴んだというキングは、「5秒遅かったら、子どもを1人失っていた」と、後に語っている。 この経験をベースに、『ペット・セメタリー』原作は書かれたわけだが、キングはそれ以前に発表された作中で既に、子どもを殺した“前科”があった。81年に出版された、狂犬病に罹ったセントバーナードが人を襲う『クジョー』の原作でも、主人公である母親の眼前で、幼い息子が命を落としてしまう(83年の映画化作品では結末が改変され、息子は助かる)。なぜキングは自作で、子どもを殺してしまうのだろうか? それについて彼は、こんな風に語っている。 「ある晩、親ならだれでもするように、子どもたちがちゃんと寝てるかいるかどうか見にいったときに、とんでもないことを考えます。子どもたちのひとりが死んでいるのを発見するんじゃないかってね。 …優れた想像力は、持ち主によいことばかりもたらしてくれるわけではない。想像力は、自分の子どもが死んでいるのを見つけることを、たんなる小説のアイデアだけにとどめておいてはくれないのです。そうした状況を総天然色で鮮明に描いて見せる。 …そして、自分の子どもの死という、考えに取りつかれてしまうわけです。こうしたことが、考えつくことで最悪のことであれば、作家はそのアイデアを作品に書き込むことによって、一種の悪魔祓いをするのです」 キングは幼い頃に、実の父親が失踪。そのために女手一つでキングとその兄を育て上げた母が、いつも口にしていた教えがある。 「最悪のことを考えていれば、それが現実となることはないよ」 キングはそれに倣って、作中で子どもの命を奪う。彼の言葉を借りれば、「もし、ブギーマンが誰かの子どもを餌食にする小説を書けば、自分の子どもにはそんなことは起こらないだろう…」というわけだ。キングにとって“モダンホラー”を書くという行為は、即ち、彼と家族を守るための、魔法陣を描くようなことであったのだ。 だからこそ『ペット・セメタリー』は、ここまで「おぞましい」ストーリーになったわけである。 因みに本作の大ヒットを受け、先述したように原作を離れて製作された『ペット・セメタリー2』は、第1作のクリード家の悲劇から、何年か経った後のラドローが舞台。先住民からの語り伝えに則り、死せるものを蘇らせる筋立ては同じだが、原作や第1作で打ち出されていた~蘇らせる側の“想い”が重要~という“ルール”が無視されている。 劇中で最初に蘇らせるのは、メインの登場人物の1人が可愛がっていたペットというのは同じだが、その後は憎悪の対象としていた人物が眼前で死んだのを、「ヤバい」「困った」という理由で蘇らせる。 更には蘇った死者が、仲間を増やすつもりなのか、わざわざ殺した相手を埋める、「死者が死者を蘇らせる」仰天の展開となる。第1作と同じメアリー・ランバート監督のメガフォンだが、B級・C級感がより強い…。 ここで間もなく公開される、ケビン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤーという2人の監督が共同で手掛けた、“リメイク版”の『ペット・セメタリー』にも触れておこう。オリジナル版の配役が、ほぼノースターだったのに対し、こちらのメインキャストは、ジェイソン・クラーク、エイミー・サイメッツ、ジョン・リスゴーといった有名俳優である。 原作やオリジナル版からの、最も大きな改変点は、不慮の事故で亡くなるのが、息子のゲイジではなく、娘のエリーであること。ヨチヨチ歩きの息子よりも、人や動物の“死”に怖れを抱き出す年頃の、小学生の娘が犠牲になる方が、より痛ましさが増す。また、蘇った後の“凶行”に関しても、演出がし易いという、作り手側の計算が働いたものと思える。 監督の1人が、「リメイク版というよりは、…キングの小説を再解釈した作品」と語っているが、最も驚いたのは、一部『ペット・セメタリー2』の方の、“ルール破り”ぶりを援用しているかのような描写があること。ネタバレを避けるために、これ以上の詳述は控えるが…。 いずれにしろ“子どもの死”という、原作者キングが最も怖れたことがテーマになっているのは、同じである。原作が最初に書かれてから40年、オリジナルの映画版が公開されてから30年経っても、それが人にとって、普遍的に「おぞましい」ことであるのは、絶対的に変わりようがない…。■ 『ペット・セメタリー』TM & COPYRIGHT © 2020 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
マーロン・ブランドの肉声
キャリア、演技、人生…希代の名優マーロン・ブランドが知られざる本音を語る貴重なドキュメンタリー
マーロン・ブランドが生前に録音していた300時間もの音声データを、彼の出演作やホームビデオの映像と組み合わせてドキュメンタリー化。さらに、頭部の3Dスキャンデータを元にしたデジタル版ブランドも登場。
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COLUMN/コラム2019.10.08
革命の季節に生まれるべくして生まれたポリティカルなマカロニ・ウエスタン
※下記のレビューには一部ネタバレが含まれます。 ネオレアリスモの流れを汲む社会派の映画監督として’60年代初頭に頭角を現し、恋愛ドラマから犯罪アクション、マカロニ・ウエスタンからオカルト・ホラーまで、実に多彩なジャンルの映画を手掛けつつ、どの作品でも常に反権力と社会批判の姿勢を貫いてきた反骨の映画監督ダミアーノ・ダミアーニ。世代的にはピエル・パオロ・パゾリーニやカルロ・リッツァーニ、マルコ・フェレーリ、セルジオ・レーネらと同期に当たるが、しかし精神的にはひと世代後のベルナルド・ベルトルッチやマルコ・ベロッキオ、エリオ・ペトリといった、当時“新イタリア派”と呼ばれた革命世代の左翼系作家たちと親和性の高い映画監督だったと言えよう。 ‘22年7月23日、北イタリアの小さなコムーネ(共同自治体)、パジアーノ・ディ・ポルデノーネに生まれたダミアーニは、ミラノのブレーラ美術学校を卒業し、美術スタッフとして映画界入り。脚本家や助監督を経て、’46年から短編ドキュメンタリーの監督を手掛けつつ、コミック・アーティストとして活躍するようになる。日本だとあまり知られていない事実だろう。長編劇映画の監督デビュー作は、ネオレアリスモの立役者チェザーレ・ザヴァッティーニが脚本に参加した『くち紅』(’62)。これはピエトロ・ジェルミ監督の名作『刑事』(’59)にインスパイアされた作品で、ローマの下町で起きた殺人事件とそれに絡む男女の複雑な恋愛を軸にしつつ、高度経済成長に取り残された貧しい庶民の姿を映し出した作品で、ピエトロ・ジェルミが刑事役を演じていた。 さらに、テーマ曲が日本でも評判になった『禁じられた恋の島』(’62)では思春期の少年の父親に対する憧れと失望を通じてイタリア南部に根強い男尊女卑の偽善を炙り出し、アルベルト・モラヴィア原作の『禁じられた抱擁』(’63)では豊かな現代イタリア社会における愛の不毛とブルジョワの倦怠を浮き彫りにしたダミアーニ。やがて世界的に左翼革命の時代が訪れると、より政治的・社会的なメッセージ性の強い作品に傾倒していくわけだが、その先駆けともなったのが自身初のマカロニ・ウエスタン『群盗荒野を裂く』(’66)だった。 マカロニ史上初のポリティカル・ウェスタンとも呼ばれる本作。舞台は革命真っただ中のメキシコ、主人公は粗野で下品で無教養だが人情に厚いゲリラ隊のリーダー、エル・チュンチョ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)だ。政府軍の武器を奪っては革命軍のエリアス将軍(ハイメ・フェルナンデス)に売りさばいている彼は、それなりに革命の精神は理解をしているし、基本的に虐げられた貧しい庶民の味方ではあるものの、しかし根っからの反権力の闘士である弟サント(クラウス・キンスキー)とは違い、どこか革命を金儲けの手段と考えている節がある。武器の対価を将軍から得ていることを弟に隠しているのは、恐らく後ろめたさの表れだ。 そんなチュンチョがいつものように、大勢の手下を引き連れて政府軍の武器弾薬を積んだ列車を襲撃したところ、ビル・テイト(ルー・カステル)というアメリカ人と遭遇する。政府軍兵士を殺して暴走する列車を止めたビルの勇敢な行動に感銘を受けたチュンチョは、自分も革命軍ゲリラに加わって金を稼ぎたいというビルを仲間に引き入れるのだが、しかし単細胞でお人好しな彼は、ビルが襲撃の混乱に紛れて身分を偽っていたことに全く気付いていない。それどころか、身なりの良い外国人のビルが下賤な自分たちの味方となったことに気を良くし、彼のことを“ニーニョ”と愛称で呼んで一方的に親近感を抱いていく。 かくして、ビルを仲間に加えて革命軍の基地や武器庫を次々と襲撃していくゲリラ隊。そんなある日、故郷の町サンミゲルが革命軍によって解放されたと知ったチュンチョは、紅一点のアデリータ(マルティーヌ・ベスウィック)やビルなど、一部の仲間を引き連れて馳せ参じる。長年にわたって貧しい庶民を虐げて苦しめ、少女時代のアデリータを凌辱した町の権力者ドン・フェリペ(アンドレア・チェッキ)を処刑したチュンチョ。ようやく待ち望んだ正義が下されたのだ。 その直後、政府軍が町へ迫っているとの情報が入り、チュンチョとサントは住民を守るため町に残ろうと考えるが、しかしビルは一刻も早くエリアス将軍のもとに武器を届けるべきだと強く主張する。実は彼、エリアス将軍を暗殺するため、メキシコ政府に雇われたプロの殺し屋だったのだ。そんなこととはつゆ知らず、追手との戦いで次々と仲間を失いながらも、ビルに助けられて革命軍の本拠地シエラへとたどり着いたチュンチョは、そこで無二の親友と信じ始めていたビルの正体に気付くこととなる。 集ったのはイタリアの左翼系映画人たち 無学ゆえに革命家というよりは中途半端なチンピラに過ぎなかった主人公が、金のためなら何でもする日和見主義者の殺し屋と対峙することで、真の革命精神に目覚めていくという物語。靴磨きの貧しい若者に札束を渡したチュンチョが、「その金でパンなんか買うんじゃないぞ!ダイナマイトを買うんだ!」と高らかに叫びながら、線路の彼方へと走り去っていくクライマックスが象徴的だ。 脚本にはその後、警察幹部とマフィアの癒着を告発した問題作『警視の告白』(’71)で再びダミアーニ監督と組むサルヴァトーレ・ラウリーニが参加しているが、やはり’20世紀初頭のメキシコ革命に’60年代末の左翼革命の時代を投影した本作の方向性を決定づけるうえで、脚色と台詞でクレジットされているフランコ・ソリナスが大きな役割を果たしたであろうことは想像に難くない。なにしろ、ソリナスと言えばジッロ・ポンテコルヴォ監督の『ゼロ地帯』(’60)や『アルジェの戦い』(’66)、『ケマダの戦い』(’69)などを手掛けた、イタリアの左翼系映画人の代表格みたいな人物だ。コスタ=ガヴラスの『戒厳令』(’70)も彼の仕事。本作に続いて、やはりメキシコ革命をテーマにしたセルジオ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン『豹/ジャガー』(’68)も手掛けている。 左翼系映画人といえば、エル・チュンチョ役で主演を務めている名優ジャン・マリア・ヴォロンテも、俳優の傍ら左翼活動家としても有名だった筋金入りの共産主義者。父親がブルジョワ階級のファシストで、終戦後に戦犯として捕らえられて獄死したという暗い生い立ちを抱えた彼は、戦前・戦中から一転した極貧と放浪生活の中で共産主義に目覚め、キャリアの当初こそセルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(’64)や『夕陽のガンマン』(’65)といった娯楽映画にも出演したが、次第にダミアーニやエリオ・ペトリ、フランチェスコ・ロージといった左翼系監督による政治性の高い作品ばかりを選ぶようになる。 一方、グレーの上質なスーツに身を包んだクールでキザなアメリカ人ビルを演じるルー・カステルも、マルコ・ベロッキオ監督の傑作『ポケットの中の握り拳』(’65)で抑圧された旧家の若者の屈折した怒りを演じ、反権力世代の象徴的な存在となった俳優。スウェーデン人外交官の父親とイタリア人共産主義者の母親のもとに生まれ育ったカステルは、彼自身もまた母親の強い影響で毛沢東思想に傾倒した極左活動家だった。そのため、やがてイタリア国内にいづらくなり、’73年以降はヨーロッパを転々としながらヴィム・ヴェンダースやダニエル・シュミット、クロード・シャブロルなどの作品に出演するようになる。本作の撮影現場では、先輩ジャン・マリア・ヴォロンテと意気投合したそうだが、恐らく同じ共産主義者として共鳴するところも多かったのだろう。ちなみに、先述したクライマックスのセリフはヴォロンテのアドリブだったらしい。 これが初めての西部劇となったダミアーニ監督は、あえてイタリア流のマカロニ・ウエスタンではなく、ジョン・フォードのような正統派西部劇の世界観を目指したという。それはアルゼンチン出身の作曲家ルイス・バカロフによる、およそマカロニらしからぬメキシコ民謡調の音楽スコアにも端的に表れていると言えよう。中でもフォード監督の『捜索者』(’56)を意識していたようだが、そういえばセルジオ・レオーネも『ウエスタン』(’68)ではモニュメント・ヴァレーで撮影をしたり、ヘンリー・フォンダを起用したりするなど、ジョン・フォード作品へのオマージュをひときわ強く感じさせた。そう考えると、後にレオーネが製作(と一部演出)を手掛けた西部劇『ミスター・ノーボディ2』(’75)の監督に、ダミアーニが起用されたことも納得が行くだろう。 なお、本作を機にメキシコ人の山賊やゲリラと白人のガンマンがコンビを組むマカロニ・ウエスタンのサブジャンルが生まれ、『復讐のガンマン』(’67)や『豹/ジャガー』、『復讐無頼・狼たちの荒野』(’68)、『ガンマン大連合』(’70)などの名作が世に送り出されることとなる。■ 『群盗荒野を裂く』QUIEN SABE?: 1966 – M.C.M. di Bianco Manini – Surf Film S.r.l. – All rights reserved –
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PROGRAM/放送作品
ヒッチコック/トリュフォー
ヒッチコックにトリュフォーがインタビューした伝説の映画本「定本 映画術」が題材のドキュメンタリー。
取材時の貴重な音源や秘蔵写真を中心に構成され、その後の2人の交流も描かれる。この本に影響を受けたマーティン・スコセッシや黒沢清など、10名の世界の巨匠たちも独自の視点でヒッチコック作品を解説してゆく。
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COLUMN/コラム2019.10.08
巨匠ブニュエルの老いへの恐れを描いた哀しき恋愛残酷譚
25歳の時にマドリードからパリへ出てシュールレアリズム運動に感化され、学生時代からの親友サルヴァトール・ダリと撮った大傑作『アンダルシアの犬』(’29)で監督デビューしたスペイン出身の巨匠ルイス・ブニュエル。スペイン内戦の勃発と共にヨーロッパを離れた彼は、アメリカを経由して同じスペイン語圏のメキシコへ。『忘れられた人々』(’50)がカンヌ国際映画祭の監督賞に輝いたことで再び国際的な注目を集め、20数年ぶりにスペインへ戻って撮った『ビリディアナ』(’61)でついにカンヌのパルム・ドールを受賞する。 その後フランスへ拠点を移したブニュエルは、当時のフランス映画界を代表するトップスター、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎えた『昼顔』(’67)でヴェネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、興行的にも自身のフィルモグラフィーで最大のヒットを記録。そんなブニュエルが再びドヌーヴとタッグを組み、『ビリディアナ』以来およそ9年ぶりに母国スペインで作った映画が『哀しみのトリスターナ』(’70)である。 舞台はブニュエルが学生時代に愛したスペインの古都トレド。世界遺産にも登録されているこの小さな町は、ルネッサンス期の高名な画家エル・グレコが拠点としていた場所としても知られている。若きブニュエルは親友のダリやガルシア・ロルカと連れ立って毎週のようにトレドを訪れ、地元の豊かな食文化やエル・グレコの絵画などを堪能していたという。そんな青春時代の思い出の地で彼が撮った作品は、親子ほど年齢の離れた女性の若さと美貌に執着し、老いの醜態を晒していく哀れな男の物語である。 そう、便宜上はドヌーヴ演じる美女トリスターナを中心にドラマの展開する本作だが、しかし実質的な主人公はフェルナンド・レイふんする初老の貴族ドン・レペである。広い邸宅でメイドのサトゥルナ(ロラ・ガオス)と暮らすドン・レペ。社会的な弱者を守るのが上流階級の使命だと考えている彼は、常日頃から貧しい労働者の味方として庶民から尊敬されているが、しかし実際のところ家計は火の車で、先祖代々受け継がれてきた美術品や食器などを切り売りして生計を立てている。というのも、ドン・レペは無神論者であるため、財産を管理している敬虔なカトリック教徒の姉と折り合いが悪く、金を無心しても断られてしまうのだ。 ならば商売でもすればいいのだけれど、しかし古き良き貴族の慣習やプライドを捨てきれない彼は、金儲けを卑しい者のすることと考えている。ましてや労働者を搾取する資本家などもってのほか!奴らの奴隷になんぞなるものか!と意地を張っているが、しかし自分はメイドに身の回りのことを全て任せ、昼間からカフェに入り浸る毎日。いやはや、無神論者・社会主義者・貴族という3足の草鞋をバランスよく成立させるのは、なかなかこれ矛盾だらけで難しいことらしい(笑)。 かように高潔で誇り高い紳士のドン・レペではあるのだが、しかしそんな彼にも恐らく唯一にして最大の欠点がある。なにを隠そう、部類の女好きなのだ。道を歩いていて好みの若い美女を見つければ、ついついナンパせずにはいられない性分。独身を貫いているのは自由恋愛主義者だからだ。しかし、どう見たって50歳は過ぎている白髪交じりの立派なオジサン。さすがにもはや若い女性からは相手にされないものの、本人はいつまでも若いつもりなので一向にめげない。いわゆるポジティブ・シンキングってやつですな(笑)。そんな永遠の恋する若者(?)ドン・レペを虜にしてしまうのが、父親代わりの後見人として長年成長を見守ってきた処女トリスターナだったのである。 幼い頃に資産家の父親を失い、その父親の残した莫大な借金で苦労した母親を今また亡くした16歳のトリスターナ。身寄りのない彼女を引き取ったドン・レペだが、いつの間にやら大きくなったトリスターナの胸元に目を奪われ、彼女が自分へ向ける娘としての親愛の情を恋愛感情だと勝手に勘違いし、男女の駆け引きもろくに分からない未成年の彼女を強引に押し倒して自分の妻にしてしまう。しかし、無垢な処女だったトリスターナにもだんだんと自我が芽生え、愛してもいないオジサンとの夫婦生活に不満を募らせるようになり、しまいには外出先で知り合った若い画家オラーシオ(フランコ・ネロ)と恋に落ちてしまう。 はじめこそ嫉妬に怒り狂ったドン・レペだが、しかしライバルが若くてハンサムな男とくれば到底勝ち目はない。ならばいっそのこと外で自由に恋愛してくればいい、でもどうか私の元からは離れないでくれと哀願するドン・レペ。今度は泣き落としにかかったわけですな。とはいえ、若い男女の恋の炎は燃え上がるばかり。こんな情けないオジサンとはもう一緒にいられない!とトリスターナが考えたとしても不思議ない。結局、彼女はオラーシオと一緒に出ていってしまい、またもやドン・レペはメイドのサトゥルナと2人きりで広い邸宅に残されることとなる。 それから数年後、姉が亡くなったことで莫大な遺産を手に入れたドン・レペだが、しかしトリスターナのいない生活は今なお侘しく、すっかり弱々しげな老人になってしまった。そんな折、彼はトリスターナが町に戻ってきたことを知る。聞けば、脚にできた腫瘍のせいで寝たきりになってしまい、父親代わりであるドン・レペの加護を求めているらしい。すぐさまトリスターナをわが家へ招き入れ、至れり尽くせりの看護をするドン・レペ。しかし、手術で右脚を失ったトリスターナは、すっかり人生や世の中を恨んだ苦々しい女性となってしまい、年老いたドン・レペに対しても憎しみをぶつけるように冷たい仕打ちを繰り返すのだった…。 ドヌーヴと喧嘩したブニュエルの信じられない発言とは!? 無神論者でアナーキストの老人ドン・レペに、撮影当時69歳だったブニュエルが自らを投影していたであることは想像に難くないだろう。実際、17歳年下のフェルナンド・レイをことのほか気に入っていた彼は、本作と似たような内容の『ビリディアナ』や『欲望のあいまいな対象』でも自らの分身をレイに演じさせている。我が子同然の若い娘に対する、ドン・レペの報われぬ情愛を通じて描かれる老いの残酷。終盤で、過激な無神論者だったはずの彼がすっかり丸くなり、教会の神父たちを自宅へ招いて、ホットチョコレートやケーキを楽しむ微笑ましい団欒シーンがあるが、実はあれこそが永遠の反逆児ブニュエルの思い描く、是が非でも避けたい悪夢のような老後風景だったのだそうだ。すなわちこれは、既に老いが目の前の現実となったブニュエルの、これから待ち受ける自らの老後に対する恐怖心を具現化した作品だったとも言えよう。 と同時に本作は、必ずしも夢や願いが叶うわけではない、残酷な現実から逃れようとも逃れられない、そんな満たされぬ人生とどうにか折り合いを付けなければならない人々の物語でもある。まだ初恋も知らぬまま愛してもいない年上の男ドン・レペに青春時代を奪われたトリスターナは、ようやく出会った最愛の男性と人生をやり直そうとするも、不幸な病によって再びドン・レペの元へ戻る羽目となる。そのドン・レペもまた、どれだけトリスターナのことを愛し、彼女のために全身全霊を捧げて尽くしまくっても、その気持ちが彼女に通じることは決してない。「こんな寒い吹雪の晩に、暖かい我が家があるだけでも幸せなのかもしれない」と呟く彼の言葉が沁みる。それだけに、このクライマックスはあまりにも残酷だ。 ちなみに、スペインとフランス、イタリアからの共同出資で製作された本作。トリスターナ役のドヌーヴはフランス側出資者の強い要望で、またブニュエル自身も『昼顔』で彼女と仕事をしてその実力を認めていたことから、すんなりと決まったキャスティングだったという。ただ、ドヌーヴもブニュエルもお互いに人一倍頑固であることから、『昼顔』の時と同様に撮影現場ではピリピリすることも多かったらしく、ある時などはドヌーヴに対して激怒したブニュエルが、その場にいたフランコ・ネロに「事故のふりして彼女をバルコニーから突き落とせ!」と言ったのだとか(笑)。 一方のフランコ・ネロは、当時一連のマカロニ・ウエスタンで大ブレイクしていたことから、イタリア側出資者がブニュエルに強く推薦して決まったとのこと。スペインの独裁者フランコ将軍が大嫌いだったブニュエルは、彼のことを“フランコ”ではなく“ネロ”と呼んでいたそうだ。その後、ブニュエルとジャン=クロード・カリエールが脚本を書いたもののお蔵入りになっていた『サタンの誘惑』(’72)が、アド・キルー監督のもとフランス資本で制作されることになった際、ブニュエルは映画化を許可する条件として“ネロ”を主演に起用するようプロデューサーに注文を付けたという。それほど彼のことを気に入っていたらしい。 なお、フェルナンド・レイはスペイン人、カトリーヌ・ドヌーヴはフランス人、フランコ・ネロはイタリア人ということで、撮影現場ではそれぞれが母国語でセリフを喋っている。そのため、フランス語版ではドヌーヴだけが本人の声、スペイン語版ではレイだけが本人の声、イタリア語版ではネロだけが本人の声を当て、それ以外は別人がアフレコを担当しているのだ。 これは当時ヨーロッパの多国籍プロダクションではよく見られたパターン。例えば巨匠ヴィスコンティの『山猫』(’63)はアメリカ人のバート・ランカスター、フランス人のアラン・ドロン、イタリア人のクラウディア・カルディナーレが主演を務めているが、オリジナルのイタリア語版ではいずれも本人の声は使用されていない。えっ!カルディナーレまで!?と驚く方も多いかもしれないが、彼女のイタリア語の発音は訛りが強いため、シチリア貴族の声には相応しくないと別人が吹き替えたのだそうだ。その代わり、フランス語版ではドロンとカルディナーレがそれぞれ本人の声を担当し、英語版ではランカスターが自分の声を当てた。今となってはなかなかあり得ない話だが、当時はそれが普通だったのである。■ 『哀しみのトリスターナ』© 1970 STUDIOCANAL – TALIA FILMS. All Rights reserved.