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PROGRAM/放送作品
フリードキン・アンカット
鬼才か、奇人か?巨匠ウィリアム・フリードキン監督の素顔と映画術に迫る渾身のドキュメンタリー
ジャンルにとらわれず常に新しい映画を追求してきたウィリアム・フリードキン監督。その人物像や作品づくりを、本人のみならずコッポラやタランティーノなど彼に縁のある監督・俳優へのインタビューで掘り下げる。
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COLUMN/コラム2023.01.30
もうひとつの『ナチュラル・ボーン・キラーズ』
◆不道徳な暴力映画は、道徳的な反戦映画の反動から オリヴァー・ストーン監督が1994年に発表した『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(以下『NBK』)は、連続殺人犯ミッキー(ウディ・ハレルソン)とマロリー(ジュリエット・ルイス)による、社会からの逃走とラブストーリーを描くバイオレンス映画であり、彼らをスターとして担ぎ出すメディアの過剰性を捉えた、ブラックコメディの要素を併せ持つ。 物語は前半と後半でテイストを異にする。前半でこの殺人カップルはマロリーを虐待してきた親を手にかけ、結婚に代わる契りの儀式をおこない、愛の証として50人以上を一掃する殺人ハネムーンへと繰り出す。そんな無軌道な彼らに、自身がホストのシリアルキラー番組『アメリカン・マニアックス』の高視聴率をもくろむ、ジャーナリストのウェイン・ゲイル(ロバート・ダウニー・Jr.)が接近。二人の動向を広く大衆に提供していく。 いっぽう後半はサディスティックなドワイト所長(トミー・リー・ジョーンズ)の待つ刑務所にミッキーが投獄され、彼の独占テレビインタビューを試みようとしたゲイルは、それが引き金となって起こった大暴動をカメラに収めることになる——。 ストーンはヒロインの壮絶なベトナム戦争体験を描いた『天と地』(93)に取り組んだ反動で、デンジャラスで不道徳なプロジェクトに挑戦したいという欲求に駆られていた。そんなとき、俳優ショーン・ペンとの会食の場で、同席したベテランプロデューサーのトム・マウントから『NBK』の脚本をすすめられたという。 脚本はもともとペンが目をつけたもので、他にもデヴィッド・フィンチャーやブライアン・デ・パルマが、この脚本の映画化に反応したという。読んで自分もその一人となったストーンは、リライトを前提に当時契約を結んでいたプロデューサーのアーノン・ミルチャンに映画化を打診し、『NBK』の製作が動き出したのである。 ◆タランティーノとの確執と、オリジナル脚本 だが、このプロジェクトはひとつ問題を抱えており、それは脚本を執筆したクエンティン・タランティーノが、権利を取り戻そうとしていたことにあった。 もともと『NBK』はタランティーノが『レザボア・ドッグス』(92)を手がけ、商業映画監督として注目を浴びる以前に書いたもので、彼はビデオレンタル店員時代の仲間だったランド・ヴォシュラーと組み、自分たちで映画化を前提とし共同で仕上げた。予算は50万ドルで、監督権はヴォシュラーにタダ同然で与えたのである。 しかし、この予算調達に名乗り出たプロデューサーのジェイン・ハムシャーとドン・マーフィーにヴォシュラーは監督権を譲渡してしまい、タランティーノが取り戻しに動いたのだ。 こうした経緯のこじれに加え、ストーンが共同脚本担当のデヴィッド・ヴェロズらと共にオリジナルに大幅に手を加えたため、タランティーノはクレジットから名を外すよう要請したのである。 タランティーノ脚本の特徴は、ゲイルが主人公として立ち回っている点だろう。彼が劇中、ミッキーとマロリーの周辺情報にアクセスしていく過程において、二人のキャラクター性が浮き彫りにされていく構成となっている。しかし、ストーンはミッキーとマロリーにバックストーリーを与えて彼らを前面へと押し出した。そしてゲイルを脇役に置き換えることで、「犯罪者をヒーロー化するマスコミ」というメディアリテラシーへの批判を構図化したのである。加えて本作が暴力礼賛ではないことを印象づけるため、ネイティブ・アメリカンの男が登場するパートを挿入。「暴力の行使は時代を越え、いつしか自分に巡り戻ってくる」という、教訓を仄めかすシーンが加えられている。 ストーンによってストーリーが再構成され、原作者のヴィジョンの多くが改変されたことに対し、制作当時のタランティーノは映画とストーンに対して悪感情はないと述べ、あくまで作品の成功を祈っていると主張していた。 しかし後年、彼が『NBK』のオリジナル脚本を出版しようとしたさい、映画のプロデューサーサイドは「脚本を売却した時点で出版権は失なわれている」として訴える構えをみせた。それがタランティーノの怒りに油を注ぐかたちとなり、その感情は近年もくすぶり続けている。『ラウンダーズ』(98)の脚本家ブライアン・コッペルマンは自身のポッドキャスト「ザ・モーメント」2021年7月21日付けの配信で、ストーンがいかに的外れでキャラクターを理解していなかったかについて、タランティーノと意気投合したと話している。特にミッキーとマロリーが浮気をするもどかしいシーケンスを指摘し、タランティーノは「そんなことは絶対にありえない。二人は一緒にいるためなら、自分らを虐待する家族だって殺すこともいとわない、そんな彼らの本質をすべて見落としている」【*】と語っている。 ●現在、タランティーノのオリジナル脚本は出版され、容易にアクセスすることができる。 こうした経緯から、世間的には「気鋭のクリエイター(タランティーノ)による未発表脚本が、説教じみたスタイルの監督(ストーン)によって台無しにされた」というバイアスがかかり、ストーンに批判的な評価が下されがちだった。しかしジェイン・ハムシャーによる『NBK』をめぐる回想録“Killer Instinct“には、タランティーノによる作品製作の妨害行動がいくつか記されている。たとえば権利を買い戻すことを許されなかったことに腹を立て、スティーブ・ブシェミとティム・ロスに「もしキミらがこの映画への出演を受け入れたら、二度と自分の映画には出演させない」とまで言い放ったとされている。 このように、文献の性質によってタランティーノ擁護であったりストーン擁護であったりと、同情をどちらに寄せた裏付けをしているのかは傾向が異なる。なので、映画版のサブテキストとして提供すべきこのコラムで、当該作品の立場を悪くするような事柄を列挙するのも生産的ではないだろう。 そもそも、ストーンの映画でタランティーノ脚本の要素を無きものにしようとしているわけではない。劇中のセリフの多くはタランティーノ版を踏襲しているし、なによりタランティーノ版は、ロサンゼルスの路上でゲリラ撮影することを想定し、モノクロの16mmカメラを駆使することが脚本にも書き込まれているが、ストーンはこうしたフォーマットにも目配りし、モノクロや16mm撮影の導入に加えて8mmやVTRなど頻繁にフィルムストックを変化させ、ストーンなりにタランティーノのプランを拡張させている。もっとも、これは同時期にストーンがフィルムストックの目まぐるしい変化や多動的な編集、またカラーフィルターの多様や不規則なカメラワークなどをセルフスタイルとしており、こうした条件と理想的な融合をみたともいえる。 そのため撮影期間はわずか56日だが、編集には1年近くを要する驚異的な労作となった。ちなみにタランティーノが映画化に計上していた製作費は50万ドルだったが、ストーンの映画版は3400万ドル。その予算はじつに68倍もの巨額となっていた。 また『NBK』の監督権を放棄し、受難の存在となったランド・ヴォシュラーは、ストーンの映画版に共同プロデューサーとしてクレジットされ、ささやかに立場を取り戻したといえる。■ 『ナチュラル・ボーン・キラーズ』© 1994 Warner Brothers Productions, Ltd. and Monarchy Enterprises S.a.r.l. All rights reserved. 【*】https://theplaylist.net/quentin-tarantino-on-oliver-stones-natural-born-killers-why-didnt-he-do-half-of-what-was-on-page-20210730/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
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PROGRAM/放送作品
さすらいのガンマン
コルブッチ監督のセンスが光る、『キル・ビル』に影響を与えたスタイリッシュ・マカロニ・ウエスタン
マカロニ・ウエスタンを築いた男セルジオ・コルブッチ監督の、スタイリッシュの一語に尽きる傑作。あのクエンティン・タランティーノ監督にも多大な影響を与えた。一度聞いたら頭から離れない主題歌も印象的だ。
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COLUMN/コラム2022.01.07
タランティーノの名を世界に轟かせたデビュー作『レザボア・ドッグス』
クエンティン・タランティーノは、焦っていた。1963年生まれの彼は、映画監督デビューを目論んで、20代前半から5年の間に、『トゥルー・ロマンス』『ナチュラル・ボーン・キラーズ』という、2本の脚本を執筆。しかし夢の先行きは、まったく見えてこなかった…。 これらの脚本は、高値と言える額ではないが、売れて、彼をバイト生活から脱け出させてくれた。しかしそれと同時に、嫌というほど思い知らされたのである。無名の存在である自分に大金を注いで、監督をやらそうなどという奇特な御仁は、この世には存在しないことを。 彼は思い至った。「…3万㌦で撮れる映画を書こう…」と。ストーリーは、強盗たちが主役のクライムもの。しかし犯行の様子は描かず、物語のほとんどは倉庫の中で展開する。16mmのモノクロフィルムを使用し、キャストは友人たちで固める。 これだったら、今までに脚本料として得た金を製作費にして、短期間で撮り上げられるに違いない。やっと、自分の監督作品が撮れる! しかし神はタランティーノに、そこまでチープな作品作りをすることを、許さなかった。彼が出席したあるパーティの場で、1人の男と出会わせ、大いなる伝説の幕開けを演出したのである。 その男の名は、ローレンス・ベンダー。タランティーノより6つほど年上で30代前半だったこの男は、役者崩れのプロデューサー。と言っても、まだ駆け出しだった。彼は、タランティーノが映画化権を手放した、『トゥルー・ロマンス』の脚本をたまたま読んでおり、その書き手にいたく興味を抱いていたのである。 それがきっかけとなって、タランティーノはベンダーに、自分が監督しようと思って書き進めている、『レザボア・ドッグス』というタイトルの脚本のことを話した。その内容に感銘を受けたベンダーは、映画化の企画を一緒に進めたいと伝え、製作費の調達のために、1年間の猶予が欲しいと申し出た。 しかしタランティーノは、もう待てなかった。この5年間、映画監督になろうと費やした労力は、まったくの無駄に終わっている。更に1年なんて、冗談じゃない。 話し合いの結果、ベンダーには2カ月だけ猶予が与えられた。2カ月経ってメドが立たなかったら、手持ちの製作費3万㌦で撮ると。その時に2人の間で交わされた同意書は、紙の切れ端にお互いが殴り書きのようにサインしたものだったという。 仕上がった脚本を手に、ベンダーの奔走が始まる。すぐにリアクションがあったのが、アメリカン・ニューシネマのカルト作品『断絶』(1971)などの監督として知られる、モンテ・ヘルマン。当初はこの脚本を、自分の監督作品として映画化したいという意向だったヘルマンだが、タランティーノの「自ら監督したい」という情熱を買って、プロデューサーの立場からサポートすることを、決めた。 タランティーノもベンダーも、是非とも出演して欲しいと願っていた俳優がいた。『ミーン・ストリート』(73)『タクシードライバー』(76)などのマーティン・スコセッシ作品で世に出た後、長き不遇の時を経て、90年代に入ると、『テルマ&ルイーズ』(91)『バグジー』(91)などの作品で高い評価を得るに至った、ハーヴェイ・カイテルである。 ベンダーが知己である演技コーチに、その旨を話すと、何とそのコーチの妻が、カイテルとは若き日からの知り合いだった。こうした伝手で、脚本を届けてもらうことになって数日後、ベンダーの元に電話が入った。「…読ませてもらったよ。これについて君とぜひ話をさせてもらいたいんだが」 カイテルの声だった。物事は、俄然良い方向へと転がり出す。 製作に入った「LIVEエンターテインメント」がノリ気になって、160万㌦まで出資してくれることになった。ハリウッドの基準で言えば、相当な低予算ではあるが、はじめにタランティーノが考えていた3万㌦の、実に50倍以上のバジェットである。 カイテルは、自分以外のキャストを探すのに、協力を惜しまなかった。オーディションの会場を提供したり、タランティーノとベンダーが俳優たちに会うための旅費まで負担してくれた。こうしてティム・ロスやマイケル・マドセン、スティーヴ・ブシェミといった、当時はまだ無名に近かったが、実力を持った俳優陣が、『レザボア・ドッグス』に出演することが決まっていった。 タランティーノとベンダーは、カイテルの労に報いるため、彼を“共同製作者”としてもクレジットすることを提案した。カイテルもまた、その申し出を喜んで受けたのだった。 この作品が飛躍するのには、ロバート・レッドフォードが興した、若手映画人の登龍門「サンダンス映画祭」も一役買った。本作のクランクイン前、タランティーノはヘルマンの推薦で、「サンダンス」のワークショップに参加。クランクインに先駆けて、『レザボア・ドッグス』の数シーンをテスト撮影し、有名フィルムメーカーから指導を受けることとなった。 タランティーノは、後に彼の作品の特徴となる、冗長とも取れる長回し撮影を敢行。仕上がったものを見て、軌道修正を求める講師が少なくなかったが、その逆に強く勇気づけてくれる者が現れた。モンティ・パイソンのメンバーで、『未来世紀ブラジル』(85)などを監督した、テリー・ギリアムである。「自分を信じろ」これが、ギリアムからタランティーノへのエールだった。 こうしたプロセスを経て、『レザボア・ドッグス』が撮影されたのは1991年、猛暑の夏であった。 ***** ダイナーで朝食を取りながら、マドンナの大ヒット曲「ライク・ア・ヴァージン」の歌詞の解釈について、無駄話を繰り広げる一団が居た。黒いスーツに白いシャツ、黒のネクタイに身を包んだ6人の男と、リーダーらしき年輩の男、そしてその息子だ。 彼らは、宝石店の襲撃計画を立てている強盗団。お互いの素性も知らず、リーダーに割り当てられた“色”を、お互いの呼び名にしていた…。 市街を猛スピードで走る、一台の車を運転するのは、強盗団の1人で、Mr.ホワイトと呼ばれる男(演:ハーヴェイ・カイテル)。そしてバックシートには、腹を撃たれて苦悶にのたうち回る、Mr.オレンジ(演:ティム・ロス)が居た。 強盗後の集合場所だった倉庫に着くと、Mr.ピンク(演:スティーヴ・ブシェミ)も逃げ込んで来る。彼らの犯行は、店の警報が鳴り始めた時に、Mr.ブロンド(演:マイケル・マドセン)がいきなり銃を乱射したため、無残な失敗に終わっていた。追跡する警官に撃たれて、命を落とす仲間も出たようだ。 ピンクは、警官隊の動きがあまりにも早かったことを指摘。自分たちが罠にハメられたこと、メンバーの中に裏切り者が居ることなどを、まくし立てる。 あまりの苦痛に気絶したオレンジの扱いについて、ホワイトとピンクは対立。銃を向け合っているところに、ブロンドが現れる。彼は1人の若い警官を、人質として拉致して来たのだった…。 ***** 処女作には、その監督のすべてが詰まっているというが、本編の内容と直接は関係ない無駄話という、タランティーノ作品のアイコンのようなシーンから幕開けとなる、『レザボア・ドッグス』。 先にも記したが、強盗団を主役としつつも、犯行の様子を直接描くことはなく、物語のほとんどは倉庫の中で展開していく。その中で、主要メンバーが強盗団に加わった経緯や犯行後の逃走劇など、過去の出来事が織り交ぜられていく構成である。裏切り者の正体も、その中で明かされる。 時間の流れを、タランティーノは観客に見せたい順番に並べ替える。この手法はこの後、監督第2作の『パルプ・フィクション』(94)で究極の冴えを見せることになるが、それに先立つ本作でも、見事にハマっている。 本作のお披露目上映となったのは、92年1月、ゆかりの「サンダンス映画祭」にて。その際には本作の、こうした斬新なアプローチが、大きな反響を沸き起こした。それと同時に、Mr.ブロンドがダンスをしながら、人質の警官の耳を削ぐという衝撃的な拷問シーンに、席を立って退場する者も相次いだという…。 何はともあれこの時の「サンダンス」で、『レザボア・ドッグス』は賞こそ逃したものの、№1の注目を集めた。批評家たちから熱い支持の声が上がると同時に、配給会社間の争奪戦が勃発。結果的にはハーヴェイ・ワインスタイン率いる「ミラマックス」が、本作を掌中に収めた。 その後「カンヌ」「トロント」といった国際映画祭を経て、92年10月に本作はアメリカ公開された。興行収入は、283万2,029㌦。160万㌦の製作費は回収できたが、ヒットと言える数字ではなかった。しかしタランティーノ本人は、その独特な風貌と、インタビューなどでの当意即妙な受け答えがウケて、一躍マスコミの寵児となる。 その後タランティーノは、『レザボア・ドッグス』を上映するヨーロッパ全土の映画祭、そしてアジアへと足を延ばす。その一環で93年2月には、北海道の「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」に参加。余談になるが、「ゆうばり」滞在中に『パルプ・フィクション』のシナリオを執筆していたことや、後に『キル・ビル vol.1』(93)で日本を舞台にしたシーンに登場する、栗山千明演じる女子高生殺し屋に、“GOGO夕張”という役名を付けたのは、広く知られている。 世界のどこに行っても映画ファンの心を掴み、人気者となったタランティーノ。アメリカでは「今イチ」の成績に終わった劇場公開だが、フランスでは、1年以上のロングランに。またイギリスでは、600万㌦もの興収を上げる大成功を収めた。 こうした人気は、本国に逆輸入された。本作のビデオがアメリカで発売されると、90万本という、予想の3倍に上る売り上げを記録したのである。 このようなタランティーノ旋風の中で、突如盗作疑惑が持ち上がった。本作のプロットが、チョウ・ユンファ扮する刑事が宝石強盗団への潜入捜査を行う、リンゴ・ラム監督の香港映画『友は風の彼方に』(87)のパクりであるとの指摘がされたのである。特にラスト20分の展開が酷似しているのは、両作を観た者の目には、明らかだった。 これに対してタランティーノは、「俺はこれまで作られたすべての映画から盗んでいる」と応えた。更には、黒澤明の『羅生門』(50)や、スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』(56)等々の影響も、胸を張って認めたのである。 狂的な映画マニアであるタランティーノは、この後は作品を発表する度に、元ネタとなった作品たちのことを、喜々として語るようになる。そのため「盗作」などという指摘は、まったく有効ではなくなった。 すべてのタランティーノ作品は、様々な過去の作品のコラージュであり、パッチワークであることが、今では広く知られている。オリジナリティーがないことを自ら吐露しながら、魅力的な作品を世に放ち続けるなど、凡百の作り手には到底マネできない。 そんなタランティーノも、本作で監督デビューしてから、今年でちょうど30年。かねてより、長編映画を10本撮ったら、映画監督を引退すると公言しているタランティーノだが、『vol.1』『vol.2』の2部作となった『キル・ビル』を1本とカウントして、次回作がちょうど10本目となる。 ここは是非、宮崎駿やスティーヴン・ソダーバーグなどの先人の振舞いをパクって、10本撮った時点での「引退」撤回を期待したいところであるが…。■ 『レザボア・ドッグス』© 2020 Lions Gate Entertainment. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ナチュラル・ボーン・キラーズ
[R15+相当]鬼才O・ストーンが暴力・殺人まで娯楽として消費される現代社会に突きつけた痛烈な批判
2度のアカデミー賞監督賞受賞のオリヴァー・ストーンが描くヴァイオレンス映画。アメリカでは上演禁止になった事も話題となった。原案はクエンティン・タランティーノ。
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COLUMN/コラム2019.06.30
あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ」と言わしめたエンディング。『ミッドナイトクロス』
日本を含む世界中に熱狂的なファンの存在する巨匠ブライアン・デ・パルマ。出世作『悪魔のシスター』(’72)を筆頭に、『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)や『キャリー』(’76)、『殺しのドレス』(’80)、『スカーフェイス』(’83)に『アンタッチャブル』(’86)、『ミッション:インポッシブル』(’96)などなど、代表作は枚挙にいとまない。その中でどれが一番好きかと訊かれると、困ってしまうファンも少なくないかもしれないが、筆者ならば迷うことなくこの『ミッドナイトクロス』(’81)を選ぶ。あのクエンティン・タランティーノをして、「映画史上最も胸を打つクロージング・ショットのひとつ(one of the most heart-breaking closing shots in the history of cinema)」と言わしめたエンディングの痛ましさ。事実、これほど切なくも哀しいサスペンス映画は他にないだろう。 ストーリーの設定自体は、『パララックス・ビュー』(’74)や『大統領の陰謀』(’76)など、’70年代に流行したポリティカル・サスペンスの系譜に属する。舞台はフィラデルフィア、主人公はB級ホラー専門の映画会社で働く音響効果マン、ジャック(ジョン・トラヴォルタ)。最新作で使用する効果音を拾うため、夜中に川辺の自然公園を訪れていた彼は、偶然にも自動車事故の現場を目撃してしまう。川へ転落した車から、助手席に乗っていた若い女性サリー(ナンシー・アレン)を救出するジャック。しかし運転席の男性は既に死亡していた。 その男性というのが、実は次期アメリカ大統領選の有力候補者であるペンシルバニア州知事。知事の関係者からマスコミへの口止めをされたジャックだったが、改めて録音したテープを聴き直したところ、ある意外なことに気付く。事故の直前に聞こえる僅かな銃声とタイヤのパンク音。そう、警察もマスコミも飲酒運転が原因と考えていた不幸な自動車事故は、実のところ知事の政敵によって仕組まれた暗殺事件だったのだ。乗り気でないサリーに協力を頼み、この衝撃的な真実を世間に訴えようと奔走するジャック。しかし、既に自動車のパンクしたタイヤは実行犯の殺し屋バーク(ジョン・リスゴー)によって差し替えられていた。そればかりか、バークは事件の真相を闇に葬るべく、邪魔者であるジャックとサリーをつけ狙う。 知事暗殺事件のモデルになったのは、’69年に起きたチャパキディック事件だ。ケネディ兄弟の末弟エドワード・ケネディ上院議員が、マサチューセッツ州のチャパキディック島で飲酒運転の末に自動車事故を起こし、橋から海へ転落した車の中に取り残された不倫相手の女性が死亡。ケネディ上院議員は辛うじて脱出し助かったものの、警察などに救助を求めることなく逃げたうえ、不倫だけでなく薬物使用まで明るみとなり、大統領選への出馬を断念せざるを得なくなった。また、政敵による政治家の暗殺はジョン・F・ケネディ暗殺事件の陰謀説を、殺し屋バークが連続殺人鬼の犯行を装って不都合な証人を消そうとする設定は切り裂きジャック事件のフリーメイソン陰謀説を、そのバークが仕組む証拠隠滅工作はウォーターゲート事件を連想させる。 ただし、そうした社会派的なポリティカル要素も、全体を通して見るとさほど重要ではない。むしろ、ストーリーを追うごとに政治的な陰謀よりも殺し屋バークのサイコパスぶりが際立っていき、その恐るべき魔手からサリーを救うべくジャックが奮闘するという、純然たるサスペンス・スリラーの性格が強くなっていく。 本作のベースになったと言われているのが、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』(’66)である。『欲望』の原題は「Blow Up」、『ミッドナイトクロス』の原題は「Blow Out」。デヴィッド・ヘミングが演じた『欲望』の主人公であるカメラマンは、たまたま公園で撮影した男女の逢引き写真をBlow Up…つまり大きく引き伸ばしたところ、殺人の瞬間が映り込んでいることを発見する。そして、『ミッドナイトクロス』の主人公ジャックは、たまたま公園で録音した音声テープに記録されたタイヤのパンク(Blow Out)音を分析したところ、自動車事故が実は暗殺事件だったことに気付く。デ・パルマが『欲望』のコンセプトを応用したことは、ほぼ間違いないだろう。 そして、その『欲望』でアントニオーニがスウィンギン・ロンドンの時代の倦怠と退廃を描いたように、本作はレーガン政権(第1期)下におけるアメリカの世相を浮き彫りにする。ベトナム戦争終結後の自由で開放的なリベラルの時代も束の間、深刻化するインフレと拡大する失業率はロナルド・レーガン大統領の保守政権を’81年に誕生させた。本作では、もともとゴダールに感化された左翼革命世代の映像作家であるデ・パルマの、ある種の敗北感のようなものを映し出すように、音響スタッフとして映画という虚構の世界を作り上げるジャックは、しかし現実の世界で起きた邪悪な陰謀を白日のもとに晒すことは出来ず、闇に葬り去られた真実の断片だけが映画の中で悲痛な「叫び声」を響かせる。 現実はジャックの携わるホラー映画よりも残酷であり、その残酷な社会に対して個人の理想や正義はあまりにも無力だ。もちろん、自由と平等を謳ったアメリカ独立宣言が起草された、アメリカ建国の理想精神を象徴するフィラデルフィアを舞台にしていることにも、そこがデ・パルマ監督の育ったホームタウンだという事実以上の意味があるだろう。本作を自身にとって「最もパーソナルな作品」だとするデ・パルマ監督の言葉は重い。 そんな本作のペシミスティックな悲壮感をドラマチックに盛り上げるのが、ピノ・ドナッジョによるあまりにも美しい音楽スコアだ。もともとイタリアの人気カンツォーネ歌手(シンガー・ソングライター)であり、ダスティ・スプリングフィールドやエルヴィス・プレスリーの英語カバーで大ヒットした「この胸のときめきを」のオリジナル・アーティストとして有名なドナッジョは、ヴェネツィアで撮影されたニコラス・ローグ監督のイギリス映画『赤い影』(’72)で映画音楽の分野に進出。そのサントラ盤レコードをたまたまデ・パルマの友人がロンドンで購入し、当時亡くなったばかりのバーナード・ハーマンの代わりを探していたデ・パルマに紹介したことが、その後長年に渡る2人のコラボレーションの始まりだった。 ハリウッドの映画音楽家にはない感性をドナッジョに求めたというデ・パルマ。その期待通り、初コンビ作『キャリー』においてドナッジョは、およそハリウッドのホラー映画には似つかわしくない、センチメンタルでメランコリックなスコアをオープニングに用意した。「たとえサスペンス映画でも、私はメロディを大切にする。それがイタリアン・スタイルだ」というドナッジョ。そう、エンニオ・モリコーネやニノ・ロータ、ステルヴィオ・チプリアーニの名前を挙げるまでもなく、美しいメロディこそがイタリア映画音楽の命である。長いことカンツォーネの世界で甘いラブソングを得意としたドナッジョは、そのイタリア映画音楽の伝統をそのままハリウッドに持ち込んだのだ。 『殺しのドレス』の艶めかしくも官能的なテーマ曲も素晴らしかったが、やはりトータルの完成度の高さでいえば、この『ミッドナイトクロス』がドナッジョの最高傑作と呼べるだろう。もの哀しいピアノの音色で綴られる甘く切ないメロディ、ストリングスを多用したエモーショナルなオーケストラアレンジ。まるでヨーロッパのメロドラマ映画のようなメインテーマは、残酷な運命をたどるサリーへの憐れみに満ち溢れ、見る者の感情をこれでもかと掻き立てる。ラストの胸に迫るような哀切と抒情的な余韻は、ドナッジョの見事な音楽があってこそと言えよう。 ちなみに劇場公開当時、日本だけでサントラ盤LPが発売された。筆者も銀座の山野楽器で手に入れたのだが、実はこれ、ドナッジョがニューヨークで録音したオリジナル・サウンドトラックではなく、スタジオミュージシャンによって再現されたカバー・アルバムだった。その後、オリジナル・サウンドトラックは’02年にベルギーで、’14年にアメリカでCD発売されている。 なお、日本ではブラジル出身のファッション・モデル、シルヴァーナが歌う、ベタな歌謡曲風バラード「愛はルミネ(Love is Illumination)」が主題歌として起用され、先述した疑似サントラ盤LPにも収録されていた。もちろん、デ・パルマもドナッジョも一切関係なし。例えばカナダ映画『イエスタデイ』(’81)に使用されたニュートン・ファミリーの「スマイル・アゲイン」や、ダリオ・アルジェント監督作『シャドー』(’82)に使用されたキム・ワイルドの「テイク・ミー・トゥナイト」など、当時は配給会社がプロモーション用に仕込んだ、本国オリジナル版には存在しない主題歌が少なくなかった。 閑話休題。『ミッドナイトクロス』は『愛のメモリー』に続いてこれが2度目のデ・パルマとのコンビになる、撮影監督ヴィルモス・ジグモンドによる計算し尽くされたカメラワークも見どころだ。画面左右に分かれた手前と奥の被写体に同時にピントを合わせたスプリット・フォーカス、デ・パルマ映画のトレードマークともいえるスプリット・スクリーン、そしてカメラが室内や被写体の周囲を360度回転するトラッキングショットなど、まさしく凝りに凝りまくった映像テクニックのオンパレードである。 また、物語の背景となる「自由の日」祝賀イベントをモチーフに、赤・青・白の星条旗カラーが全編に散りばめられている。例えば、映画冒頭でジャックとサリーが宿泊するモーテルの外観は、白い壁に青いドア、赤いネオンで統一されている。それは室内も同様。カーテンやベッドカバーは青、マットレスや電話機は赤、イスとテーブルは白く、壁紙の模様は白地に赤と青の幾何学模様が描かれている。ジャックがテレビレポーターに電話するシーンでは、ジャックのシャツが赤で電話機が青、背景は白いスクリーンだ。ほかにも、この3色がキーカラーとなったシーンが多いので、是非探してみて欲しい。 オープニングを飾るB級スラッシャー映画のワンシーンでステディカムを担当したのは、『シャイニング』(’80)や『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(’84)などでお馴染み、ステディカムの開発者にして第一人者のギャレット・ブラウン。その映画会社の廊下には、『死霊の鏡/ブギーマン』(’80)や『溶解人間』(’77)、『エンブリヨ』(’76)、『スクワーム』(’76)など、カルトなB級ホラー映画のポスターがずらりと並ぶ。果たして、これはデ・パルマ自身のチョイスなのだろうか。■ 『ミッドナイトクロス』BLOW OUT © 1981 VISCOUNT ASSOCIATES. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ワイルド・バレット
[R-15]パズルのように複雑に絡み合う展開に、最後まで目が離せないアクション・ムービーの傑作!
クエンティン・タランティーノ絶賛!米社会におけるイタリアン・マフィアの実態に迫るクライム・アクション。ダイナミックで迫力のアクションシーン満載で、先の読めないスリリングで綿密な仕上がりとなっている。
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COLUMN/コラム2017.01.14
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年2月】飯森盛良
シン・シティ1&2は短編集みたいな映画で、それぞれのエピソードはユルくつながってる。けど、時系列が映画も、原作コミックでさえもメチャクチャで、わかりづらい。そこで、時系列順で見るならこうだ!という懇切丁寧なガイドをここに発表! まず①1のブルース・ウィリス主役のエピソード前後編をセットで ↓②2のアバンタイトル、ミッキー・ロークがホームレス狩りしてる調子コイてる大学生どもをシバくくだり ↓③2のエヴァ・グリーンがファム・ファタル無双のノワールなお話 ↓④2のジョゼフ・ゴードン=レヴィット主役の前後編セット ↓⑤2ラストの、逆襲のジェシカ・アルバ ↓⑥1のミッキー・ロークが一発ヤラせてくれたマブい女の仇を討つお話 ↓⑦1のクライヴ・オーウェン主役エピソード と、いう順番なんです実は。これでもう安心ですね?2本丸ごと録画して、ぜひ2度目はこの順番で再生してみてください。当方で編集してこう流すと著作権侵害で訴えられそうなのでゴメン無理! ©2014 Maddartico Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
イングロリアス・バスターズ
[R15+]ヒトラー以下ナチの悪党どもをブっ殺せ!鬼才タランティーノ×ブラピ、破天荒な痛快作
クエンティン・タランティーノ監督が、ナチスを処刑する米軍特務部隊の活躍や、一人のユダヤ女性の壮絶な復讐を5章構成で描く。冷血なナチス大佐を怪演したクリストフ・ヴァルツがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2016.04.10
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年4月】キャロル
南北戦争直前のアメリカ南部。黒人奴隷のジャンゴは、賞金稼ぎシュルツの助けで奴隷から解放され、二人で組み金を稼ぐようになる。やがてジャンゴの生き別れた妻が冷酷な大農園主キャンディに売られたことを突き止め、妻を救い出すため二人は身分を偽りキャンディの屋敷に乗り込む・・・というお話。 いや~、ジャンゴの銃さばきがマージでカッコイイ。西部劇の醍醐味である勧善懲悪が実に明快に描かれており、最後の銃撃シーンの爽快感ったらありゃしません。 一方で、これまでのアメリカ映画では決して描かれなかった奴隷虐待がリアルに描かれます。卵を割ってしまっただけなのに皮膚がえぐられ骨が見えるまでムチで打ったり。逃亡未遂の奴隷を犬に食わせて殺したり。奴隷同士を死ぬまで戦わせたり。全裸で灼熱の中に一週間も放置したり。・・・アメリカでは200年もの間、毎日がこうだったのかと思うと身震いさえしてきます。 深みをもたらしているのは間違いなく本役でアカデミー賞助演男優賞を受賞したクリストフ・ヴァルツですが、極めつけはやはりレオナルド・ディカプリオ。圧倒的な存在感で、彼が醸しだす陽気さと無邪気さが、あの異様な緊張感と残酷さを一層際立たせているのです。 アイ・ラブ・西部劇!マカロニ・ウエスタンへの溢れんばかりの愛を詰め込み、痛快すぎる勧善懲悪作品でありながら、差別社会に対する超本気の怒りをミックスさせた、まるで新ジャンルといえる未体験エンタテインメントに仕上げているのはタランティーノ監督の手腕ならでは。 ジャンゴ~ジャンゴ~~♪のメロディと、爽快感と、不快感がミックスされて延々と頭の中に残る、何とも強烈なエンタメ作品です。未見の方は是非!そして2度目、3度目の方も是非、4月のザ・シネマでご堪能下さい! © 2012 Visiona Romantica, Inc. All Rights Reserved.