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PROGRAM/放送作品
馬上の二人
[PG-12]名匠ジョン・フォード監督が、ジェームズ・スチュワートと初タッグを組んだ異色西部劇
保安官にジェームズ・スチュワート、騎兵隊長にリチャード・ウィドマーク。名優2人が反発しながらも先住民に誘拐された白人拉致被害者の救出におもむく西部劇。拉致という犯罪行為がもたらす悲劇を描く。
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COLUMN/コラム2022.01.06
「シネラマ」方式の醍醐味を存分に味わえるスペクタクルなウエスタン巨編!『西部開拓史』
映画界に革命を起こした「シネラマ」とは? 激動する開拓時代のアメリカ西部を舞台に、フロンティア精神を胸に新天地を切り拓いた家族三代の50年間に渡る足跡を、当時「世界最高の劇場体験」とも謳われた上映システム「シネラマ」方式の超ワイドスクリーンで描いた壮大なウエスタン叙事詩である。全5章で構成されたストーリーを演出するのは、西部劇映画の神様ジョン・フォードに『悪の花園』(’54)や『アラスカ魂』(60)のヘンリー・ハサウェイ、喜劇『底抜け』シリーズのジョージ・マーシャルという顔ぶれ。役者陣はジェームズ・スチュワートにグレゴリー・ペック、デビー・レイノルズ、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、ジョージ・ペパード、そしてジョン・ウェインなどの豪華オールスター・キャストが勢揃いする。1963年(欧州では’62年に先行公開)の全米年間興行収入ランキングでは『クレオパトラ』(’63)に次いで堂々の第2位をマーク。アカデミー賞でも作品賞を筆頭に合計8部門でノミネートされ、脚本賞や編集賞など3部門を獲得した名作だ。 本稿ではまず「シネラマとは何ぞや?」というところから話をはじめたい。というのも、映画界の革命とまで呼ばれて一世を風靡した「シネラマ」方式だが、しかしその本来の規格に準じて作られた劇映画は本作および同時期に撮影された『不思議な世界の物語』(’62)の2本しか存在しないのだ。今ではほぼ忘れ去られた「シネラマ」方式とはどのようなものだったのか。なるべく分かりやすく振り返ってみたいと思う。 「シネラマ」とは3本に分割された70mmフィルムを同時に再生してひとつの映像として繋げ、アスペクト比2.88:1という超横長サイズのワイドスクリーンで上映する特殊規格のこと。撮影には3つのレンズとフィルム・カートリッジを備えた巨大な専用カメラを使用し、劇場で上映する際にも3カ所の映写室から別々のフィルムを同時に専用スクリーンへ投影する。その専用スクリーンも縦9m、横30mという巨大サイズ。しかも、観客席を包み込むようにして146度にカーブしていた。さらに、サウンドトラックは7チャンネルのステレオサラウンドを採用。各映画館には専門の音響エンジニアが配置され、劇場の広さや観客数などを考慮しながらサウンド調整をしていた。このような特殊技術によって、まるで観客自身が映画の中に迷い込んでしまったような臨場感を体験できる。いわば、現在のIMAXのご先祖様みたいなシステムだったのだ。 考案者はパラマウント映画の特殊効果マンだったフレッド・ウォーラー。人間の視覚を映像で忠実に再現しようと考えた彼は、実に14年以上もの歳月をかけて「シネラマ」方式のシステムを開発したのだ。その第一号が1952年9月30日にニューヨークで封切られた『これがシネラマだ!』(’52)。まだ長距離の旅行が一般的ではなかった当時、アメリカ各地の雄大な自然や観光名所を鮮やかに捉えたこの映画は、その画期的な上映システムと共に観光旅行を疑似体験できる内容も大きな反響を呼んだ。以降、シネラマ社は10年間で8本の紀行ドキュメンタリー映画を製作する。 この「シネラマ」方式の大成功に刺激を受けたのがハリウッドのスタジオ各社。当時のハリウッド映画はテレビの急速な普及に押され、全盛期に比べると観客動員数は半分近くにまで激減していた。映画館へ客足を戻すべく頭を悩ませていた各スタジオ関係者にとって、『これがシネラマだ!』の大ヒットは重要なヒントとなる。そうだ!テレビの小さな箱では体験できない巨大な横長画面で勝負すればいいんだ!というわけで、20世紀フォックスの「シネマスコープ」を皮切りに、パラマウントの「ヴィスタヴィジョン」にRKOの「スーパースコープ」、「シネラマ」の出資者でもあった映画製作者マイケル・トッドの「トッド=AO」など、ハリウッド各社が独自のワイドスクリーン方式を次々と開発。これを機にハリウッド映画はワイドスクリーンが主流となっていく。とはいえ、いずれもアナモルフィックレンズで左右を圧縮したり、通常の35mmフィルムの上下をマスキングしたりなど、カメラもフィルムも映写機もひとつだけという似て非なる代物で、映像と音声の臨場感においても迫力においても「シネラマ」方式には及ばなかった。 とはいえ、アトラクション的な傾向の強いシネラマ映画は鮮度が命で、なおかつ似たような紀行ドキュメンタリーばかり続いたことから、ほどなくして観客から飽きられてしまう。そこで、危機感を持ったシネラマ社はハリウッドのメジャースタジオMGMと組んで、史上初の「シネラマ」方式による劇映画を製作することに。その第1弾が『不思議な世界の物語』と『西部開拓史』だったのである。 西部開拓時代の苦難の歴史を描く壮大な叙事詩 ここからは、エピソードごとに順を追って『西部開拓史』の見どころを解説していこう。 第1章「河」 監督:ヘンリー・ハサウェイ 天下の名優スペンサー・トレイシーによるナレーションで幕を開ける第1章は、西部開拓時代の黎明期である1838年が舞台。オープニングのロッキー山脈の空撮映像は『これがシネラマだ!』からの流用だ。アメリカ東部から西部開拓地を目指して移動する農民のプレスコット一家。父親ゼブロン(カール・マルデン)に妻レベッカ(アグネス・ムーアヘッド)、娘のイヴ(キャロル・ベイカー)とリリス(デビー・レイノルズ)は、旅の途中で毛皮猟師ライナス・ローリングス(ジェームズ・スチュワート)と親しくなる。大自然と共に生きる逞しいライナスに惹かれるイヴだったが、しかし自由を愛するライナスは家庭を持って落ち着くつもりなどない。ところが、近隣の洞窟を根城にする盗賊ホーキンズ(ウォルター・ブレナン)の一味がプレスコット一家を襲撃。助けに駆け付けたライナスはイヴへの深い愛情を確信する。 アメリカン・ドリームを夢見て大西部を目指す農民一家を待ち受けるのは、美しくも厳しい雄大な自然と素朴な開拓民を餌食にする無法者たち。当時の西部開拓民がどれほどの危険に晒されていたのかがよく分かるだろう。オハイオ州立公園やガニソン川でロケをした圧倒的スケールの映像美に息を呑む。中でも見どころなのはイカダでの激流下り。臨場感満点の主観ショットはシネラマ映画の醍醐味であり、見ているだけで船酔いしそうなほどの迫力だ。ちなみに、盗賊一味が旅人を罠にかける洞窟酒場のロケ地となったオハイオ州のケイヴ・イン・ロックスでは、実際に19世紀初頭にジェームズ・ウィルソンという盗賊が酒場の看板を掲げ、仲間と共に誘拐や強盗、偽金作りを行っていたらしい。なお、盗賊ホーキンズの手下として、あのリー・ヴァン・クリーフが顔を出しているのでお見逃しなきよう。 第2章「平地」 監督:ヘンリー・ハサウェイ それから十数年後。農民の暮らしを嫌って東部へ舞い戻ったリリス(デビー・レイノルズ)は、セントルイスの酒場でショーガールとして働いていたところ、亡くなった祖父からカリフォルニアの金山を相続したと知らされる。これを立ち聞きしていたのが、借金で首が回らなくなった詐欺師クリーヴ(グレゴリー・ペック)。西へ向かう幌馬車隊があることを知り、気のいい中年女性アガタ(セルマ・リッター)の幌馬車に乗せてもらうリリス。そんな彼女に遺産目当てで近づいたクリーヴは、自分と似たような野心家のリリスに思いがけず惹かれていくのだが、しかし幌馬車隊のリーダー、ロジャー(ロバート・プレストン)もまたリリスに想いを寄せていた。 ロマンスありユーモアありミュージカルあり、そしてもちろんアクションもありの賑やかなエピソード。ここは『雨に唄えば』(’52)のミュージカル女優デビー・レイノルズの独壇場で、彼女のダイナミックな歌とダンス、チャーミングなツンデレぶりがストーリーを牽引する。イカサマ紳士を軽妙に演じるグレゴリー・ペックとの相性も抜群。そんな第2章のハイライトは、なんといっても『駅馬車』(’39)も真っ青な先住民の襲撃シーン。「シネラマ」方式の奥行きがあるワイド画面を生かした、大規模な集団騎馬アクションを堪能させてくれる。 第3章「南北戦争」 監督:ジョン・フォード 夫ライナスが南北戦争で北軍に加わり、女手ひとつで小さな農場を守るイヴ(キャロル・ベイカー)。血気盛んな若者へと成長した長男ゼブ(ジョージ・ペパード)は、自分も同じように戦場へ行って戦いたいと願っている。そんな折、旧知の北軍兵士ピーターソン(アンディ・ディヴァイン)が、ゼブをリクルートしにやって来る。はじめは頑なに拒否するイヴだったが、しかし本人の強い希望で息子を戦場へ送り出すことに。意気揚々と最前線へ向かうゼブだったが、しかし実際に目の当たりにする戦場は彼が想像していたものとは全く違っていた。 冒頭ではカナダの名優レイモンド・マッセイがリンカーン大統領として登場し、ジョン・ウェインがシャーマン将軍を、ハリー・モーガンがグラント将軍を演じる第2章。アメリカ史に名高い激戦「シャイローの戦い」を背景に、同じ国民同士が互いに血を流した南北戦争の悲劇を通じて、勝者にも敗者にも深い傷跡を残す戦争の虚しさを描く。全編を通して最も西部劇要素の薄いエピソードを、西部劇の神様たるジョン・フォードが担当。平和な農村地帯の牧歌的で美しい風景と、血まみれの死体が山積みになった戦場の悲惨な光景の対比が印象的だ。なお、砲弾飛び交う戦闘シーンの映像は『愛情の花咲く樹』からの流用だ。 第4章「鉄道」 監督:ジョージ・マーシャル 大陸横断鉄道の建設が急ピッチで進む1868年。西からはセントラル・パシフィック社が、東からはユニオン・パシフィック社が線路を敷設していたのだが、両者は少しでも長く線路を敷くためにしのぎを削っていた。なぜなら、担当した線路周辺の土地を政府が与えてくれるから。つまり、より早く敷設工事を進めた方が、より多くの土地を獲得できるのである。騎兵隊の隊長としてユニオン・パシフィック社の警備を担当するゼブ(ジョージ・ペパード)だったが、しかし先住民との土地契約を破ったり、作業員の生命を軽んじたりする現場責任者キング(リチャード・ウィドマーク)の強引なやり方に眉をひそめていた。亡き父ライナスの盟友ジェスロ(ヘンリー・フォンダ)の仲介で、先住民との良好な関係を維持しようとするゼブ。しかし、またもやキングが先住民を裏切ったことから最悪の事態が起きてしまう。 まだまだアメリカ先住民を野蛮な敵とみなす西部劇が多かった当時にあって、本作では彼らを白人から土地を奪われた被害者として描いているのだが、その傾向がハッキリと見て取れるのがこの第4章。ここでは、大西部にも近代化の波が徐々に押し寄せつつある時代を映し出しながら、その陰で犠牲になった者たちに焦点を当てる。最大の見せ場は、大量の野牛が一斉に押し寄せ、開通したばかりの鉄道を破壊し尽くす阿鼻叫喚のパニックシーン。牛のスタンピード(集団暴走)はハリウッド西部劇の伝統的な見せ場のひとつだが、本作は「シネラマ」方式のワイドスクリーン効果で格段にスペクタクルな仕上がりだ。 第5章「無法者」 監督:ヘンリー・ハサウェイ 西部開拓時代もそろそろ終焉を迎えつつあった1880年代末。亡き夫クリーヴと暮らした大都会サンフランシスコを離れることに決めたリリー(デビー・レイノルズ)は、屋敷や財産を全て売り払って現金に変え、懐かしき故郷アリゾナの牧場へ向かう。近隣の鉄道駅で彼女を出迎えたのは、保安官を引退したばかりの甥っ子ゼブ(ジョージ・ペパード)と妻ジュリー(キャロリン・ジョーンズ)、そして彼らの幼い息子たち。そこでゼブは、かつての宿敵チャーリー・ガント(イーライ・ウォラック)の一味と遭遇する。兄をゼブに殺された恨みを持つチャーリー。家族に危険が及ぶことを恐れたゼブは、チャーリーたちが列車強盗を企んでいることに気付くが、しかし後任の保安官ラムジー(リー・J・コッブ)は協力を拒む。たったひとりでチャーリー一味の強盗計画を阻止する覚悟を決めるゼブだったが…? 時速50キロで走行中の蒸気機関車で激しい銃撃戦を繰り広げる、圧巻の列車強盗シーンが素晴らしい最終章。手に汗握るとはまさにこのこと。サイレント時代のアクション映画スターで、ハリウッドにおけるスタントマンの草分け的存在でもあったリチャード・タルマッジのアクション演出は見事というほかない。ジョン・フォード映画でもお馴染みのモニュメント・ヴァレーでのロケも印象的。チャーリーの手下のひとりはハリー・ディーン・スタントンだ。ちなみに、ジョージ・ペパードのスタント代役を務めたボブ・モーガンが、列車から転落して大怪我を負うという悲劇に見舞われている。ほぼ全身を骨折した上に、顔の右半分が潰れて眼球まで飛び出していたそうだ。辛うじて一命は取りとめたものの、片脚を失ってしまったとのこと。第3章に出演しているジョン・ウェインはモーガンの友人で、この不幸な事故に胸を痛めたことから、翌年の主演作『マクリントック!』(’63)にモーガン夫人の女優イヴォンヌ・デ・カーロを起用している。 シネラマ映画はなぜ短命に終わったのか? まさしくハリウッド西部劇の集大成とも呼ぶべき2時間44分のスペクタクル映画。70mmフィルムを3本も同時に使って撮影されたスケールの大きな映像は、北米大陸の雄大な自然を余すところなく捉えて見応え十分だ。しかも、「シネラマ」方式はカメラの手前から数キロ先の背景まで焦点がブレず、解像度が高いので通常の35mm映画であれば潰れてしまうようなディテールまできめ細かく再現する。そのため、最初に用意した衣装はミシン目が肉眼で確認できてしまったことから、全て手縫いで作り直したのだそうだ。なにしろ、西部開拓時代にミシンなんて存在するはずないのだから。誤魔化しが利かないというのはスタッフにとって相当なプレッシャーだったはずだ。 また、アルフレッド・ニューマンとケン・ダービーの手掛けた音楽スコアも素晴らしい。テーマ曲は本作のために書き下ろされたオリジナルだが、その一方でアメリカの様々な古い民謡を映画の内容に合わせてアレンジし、パッチワークのように散りばめている。中でも特に印象的なのが、劇中でデビー・レイノルズ演じるリリスが繰り返し歌う「牧場の我が家(Home in the Meadow)」。これは16世紀のイングランド民謡「グリーンスリーヴス」の歌詞を本作用に書き直したもの。原曲はザ・ヴェンチャーズからジョン・コルトレーン、オリヴィア・ニュートン・ジョンから平原綾香まで様々なアーティストがカバーしている名曲なので、日本でも聞き覚えがあるという人も多いだろう。ちなみに、本作はもともとビング・クロスビーがMGMに持ち込んだ企画を、シネラマ社とのコラボ作品のひとつとしてピックアップしたもの。クロスビーは’59年にアメリカ民謡を集めた2枚組アルバム「西部開拓史」をリリースしている。 1962年11月1日にロンドンでプレミアが行われ、その後もパリ、東京、メルボルンなど世界各地で封切られた本作。アメリカでは1963年2月20日にロサンゼルスのワーナー劇場(現ハリウッド・パシフィック劇場)でプレミア上映され、シネラマ劇場の存在しない地方都市では35mmのシネスコサイズで公開された。同時期に製作されたシネラマ映画『不思議な世界の物語』と並んで、世界的な大ヒットを飛ばした本作。しかし、本来の「シネラマ」方式で撮影・上映された劇映画はこの2本だけで、以降の『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)や『偉大な生涯の物語』(’65)、『2001年宇宙の旅』(’68)といったシネラマ映画は、どれも70mmプリントを映写機1台で専用スクリーンに投影するだけの疑似シネラマ映画となってしまった。その理由は、「シネラマ」方式が抱えた諸問題だ。 もともと3分割されたフィルムを3台の映写機で同時に投影するという構造上、どうしても繋ぎ目が目立ってしまうという問題があった「シネラマ」方式。本作ではシーンによって繋ぎ目部分に垂直の物体を配置するという対策が取られ、なおかつ現在のデジタル・リマスター版では目立たぬよう修復・補正作業が施されているのだが、それでも所々で繋ぎ目の跡が見受けられる。加えて、専用カメラに備わった3つのレンズがそれぞれ別の方角を向いてクロス(右レンズは左側、中央レンズは中央、左レンズは右側)しているため、例えば中央と右側に立つ2人の役者が向き合って芝居をする場合、撮影現場では相手役の立ち位置から微妙にズレた方角を向かねばならない。つまり、画面上は向き合っていても実際は向き合っていないのである。これではなかなか芝居に集中できない。男女の親密な会話など重要なシーンで、メインの役者が中央にしか映っていないケースが多いのはそのためだ。 また、シネラマ専用カメラはズームレンズに対応していないため、クロースアップを撮影するには被写体にカメラが接近するしか方法がなく、どれだけアップにしてもバストショットが限界だった。さらに、人間の視界範囲の再現を特色としていることから、被写界が広すぎることも悩みの種だった。要するに、映ってはいけないものまで映ってしまうのだ。そのため、撮影開始の合図とともにスタッフは物陰に隠れなくてはならず、音を拾うガンマイクも使えないのでセットの見えないところに複数の小型マイクを仕込まねばならないし、危険なスタントシーンで安全装置を使うことも出来ない。先述した列車強盗シーンでの転落事故もそれが原因だった。 こうした撮影上の様々な困難に加えて、配給の面でも制約があった。恐らくこれが最大の問題であろう。「シネラマ」方式に対応した劇場は全米でも大都市圏にしかなく、しかもその数は60館程度にしか過ぎなかった。新たに建設しようにも莫大なコストがかかる。そのうえ、運営費用だって普通の映画館より高い。初期の紀行ドキュメンタリー映画ならば採算も合っただろうが、スターのギャラやセットの建設費など予算のかかる劇映画では難しい。そのため、シネラマ社はこれ以降、3分割での撮影や上映を廃止してしまい、「シネラマ」方式は有名無実の宣伝文句と化すことになったのだ。■
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PROGRAM/放送作品
ララミーから来た男
アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュワートの黄金コンビで描く傑作ウエスタン
『裸の拍車』『雷鳴の湾』など、アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュワートの黄金コンビで描く傑作ウエスタン。アパッチに弟を殺された男が、仇を探し求めてララミーからやってくる。
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COLUMN/コラム2018.07.10
民主主義と愛国精神の原点とあり方を問う、2018年の今だからこそ見直すべき傑作『スミス都へ行く』
1929年10月24日に起きた株価の大暴落、いわゆる「暗黒の木曜日」が引き金となり、アメリカのみならず世界中を未曽有の経済不況が襲った1930年代。この歴史的な「世界大恐慌」によってアメリカ経済はどん底に突き落とされ、全米中に失業者や浮浪者が溢れかえった。そんな先行きの見えない暗闇の時代、アメリカの庶民にとって数少ない安価な娯楽の一つが映画だった。大勢の人々が限られた僅かな時間だけでも辛い日常を忘れようと映画館に押し寄せ、皮肉にもそのおかげでハリウッド映画界は空前絶後の黄金期を迎える。そうした中、どこまでも貧しい庶民の心に寄り添うような映画を作り続け、西部劇の巨匠ジョン・フォードと並んでアメリカの一般大衆に最も愛された映画監督がフランク・キャプラだ。 貧しいイタリア系移民の息子として育ち、アメリカ社会の底辺で様々な職を転々とした後、1920年代当時まだ新興産業だった映画界にチャンスを見出したキャプラ。マック・セネットが製作する一連のスラップスティック・コメディで映画監督となり、1928年コロムビア映画(現ソニー・ピクチャーズ)へと入社する。とはいえ、当時のコロムビア映画はMGMやパラマウントなど大手5社の「ビッグ5」に対し、ユニバーサルおよびユナイテッド・アーティスツと共に「リトル3」と呼ばれた弱小の零細スタジオ。キャプラも当初は低予算のコメディばかりを撮っていた。そんな彼の名前を一躍高めたのが、貧しいリンゴ売りの老女が街のギャングの助けで貴婦人に化け、自分を社交界の淑女だと信じる修道院育ちの我が娘と再会するという人情喜劇『一日だけの淑女』(’33)。これでアカデミー賞の作品賞以下4部門の候補に挙がったキャプラは、さらにMGMからクラーク・ゲイブル、パラマウントからクローデット・コルベールと、他社のトップスターをレンタルして撮ったロマンティック・コメディの金字塔『或る夜の出来事』(’34)でアカデミー賞主要5部門制覇という史上初の快挙を達成。いよいよコロムビア映画は大手スタジオの仲間入りを果たし、キャプラは同社の看板監督として、その名前だけで観客を呼べる「スター」となったのである。 しかし、キャプラが真の意味で巨匠と呼ばれるようになったのは、アメリカの腐敗した権力を痛烈に批判し、人間の善意と良識に真の価値を見出す『オペラハット』(’36)と『我が家の楽園』(’38)、そして『スミス都へ行く』(’39)の3本の成功によってであろう。大富豪の遺産相続人となった田舎者の純朴な青年(ゲイリー・クーパー)が、あり余った大金を困窮した失業者たちのために分配しようとしたところ、強欲な資本家たちの激しい妨害に遭ってしまう『オペラハット』。弱肉強食の経済界を勝ち抜いてきた冷酷非情な実業家(エドワード・アーノルド)が、息子と貧しい庶民の娘の恋愛を全力で阻止しようとするも、やがて金と権力に憑りつかれた我が人生の虚しさに気付いていく『我が家の楽園』。そして、ある日突然、上院議員に抜擢された理想家の純粋な愛国青年が、政治家と資本家が結託した巨大な汚職を暴くために孤独な戦いを強いられる『スミス都へ行く』。いずれも行き過ぎた資本主義の弊害と過ちを糾弾し、それによって生じたアメリカ社会の歪みを指摘しつつ、だからこそ今一度アメリカの失われた大義、すなわち自由と平等と博愛の精神に立ち返るべきだと強く説く。キャプラが「アメリカの理想と良心を体現する映画監督」と呼ばれる所以だが、中でもその真骨頂が『スミス都へ行く』だ。 主人公は少年警備隊の隊長ジェフ・スミス(ジェームズ・スチュワート)。山火事を消したことで全米の青少年たちの英雄となった彼は、初代大統領ジョージ・ワシントンの辞任挨拶を暗唱できるほどの熱烈な愛国者だ。亡くなった上院議員の後任として、尊敬する大物政治家ペイン議員(クロード・レインズ)から指名されたスミスは、愛する祖国のために貢献するという大志を抱いて首都ワシントンへ到着するも、そこで彼が目の当たりにしたのは、アメリカ建国の崇高な精神とは程遠い腐り切った政治の実態だった。 政界の黒幕である大物実業家テイラー(エドワード・アーノルド)が裏で実権を握り、表向きの大義名分とは裏腹に一部の権力者が利益を貪る政治の世界。スミスが上院議員に担ぎ上げられたのも、テイラーが推し進めるダム建設計画の法案を上院で通すための数合わせが理由だった。というのも、テイラーはペイン議員や州知事ら「お友達」の政治家と結託し、ダム建設を口実にした大規模な土地転がしを企んでいたのだ。彼らは政治経験がない上に純粋でナイーブなスミスなら簡単に騙して利用できると考えたのだが、やがてそれが大きな誤算であったことに気付かされる。アメリカ建国以来の民主主義の基本理念を心から信じるスミスは、私利私欲にまみれたテイラーたちには到底理解し難いほど筋金入りの愛国者だったのだ…! 「小さな親切がなければ憲法など意味がない」「我々には思いやりの心が必要だ」と力説するスミス。彼にとって愛国とは、一人でも多くの国民が幸福に暮らせる平和で平等な社会を実現すること。そして、そのためには国民の権利を脅かす国家権力の不正に真っ向から立ち向かうことも厭わない。その博愛精神に根差した愛国心は、トランプ政権下のアメリカや世界各地で不気味に増殖する盲目的で偏狭な人々とは、ある意味で対極にあると言えるだろう。その根底には、自らがイタリア系移民の子として言われなき差別を受け、長いこと貧困のどん底であえぎ苦しみながらも、その一方で機会均等の社会システムと庶民の間に根強いキリスト教的な隣人愛に支えられ、無一文からハリウッドの巨匠へと立身出世したキャプラの、いわばアメリカの光と影の両方を目の当たりにしてきた苦労人だからこその強い信念が貫かれている。「あらゆる人種と階層の子供たちを集め、お互いが同じ人間であることを学ばせたい」というスミスの言葉にも、キャプラの思い描く理想的な社会への想いが込められていると言えよう。監督自身もまた、紛うことなき愛国者だったのだ。 その一方で、本作を含むキャプラの作品群は「理想主義的なファンタジー」と揶揄されることも多い。現実はそんなに甘くない、というわけだ。確かに現実の社会は善悪の境界線など曖昧で、道徳の教科書に出てくるような正論が通用するほど単純ではない。どこかで折り合いをつけて賢く立ち回る方が得策だし、長い目で見れば理想の1つや2つくらいは実現できるかもしれない。だが、そうしたニヒリズムや安易な妥協こそが権力を腐敗させる原因になるのではないかと、キャプラは本作で警鐘を鳴らす。 もともとは清廉潔白な理想主義者だったものの、それでは政策を実現できないからとテイラーに魂を売ったペイン議員は、我が州の失業率が最低なのも、国からの補助金が最高額なのも、私が妥協したおかげだと自らを正当化する。そんな彼の秘書サンダース(ジーン・アーサー)も、生活のためだと自分に言い聞かせて上司の不正を見て見ぬ振りし、政治を皮肉ることで自らの罪悪感をごまかしている。マスコミだって国会が茶番であることを重々知りながら、資本力にものを言わせたテイラーの圧力を恐れて黙り込み、右も左も分からない新人議員スミスのように叩いても安全なターゲットを茶化して留飲を下げている。なんだか、近頃どっかで見たような光景だが、それでは権力の不正を野放しにするばかりであろう。おかげで、大物政治家がお友達のために法案を通そうとする、それに協力すればおこぼれに与れるけど反対すれば潰される。もはや既視感しか覚えない腐敗政治の一丁出来上がりだ。どこまでも愚直でバカ正直なスミスに共感したサンダースが、劇中でこう言う。「信念を持つバカが世の中を良くしてきた。あなたの常識的な正義感こそ、この国には必要、いえ歪んだ世界の全てに必要なのよ」と。 そんなサンダースの言葉に突き動かされ、たった一人で強大な権力に立ち向かうことを決意するスミスだが、しかし敵はどこまでも姑息で邪悪だ。それ以前に公文書を捏造してスミスの汚職事件をでっち上げた彼らは、さらにマスコミへの圧力や支持者による草の根活動を総動員して世論をミスリードし、議会でテイラーたちの不正を暴こうと孤軍奮闘するスミスを「大衆の敵」に仕立てることで、彼の信念を粉々に打ち砕こうとする。それはちょうど、『オペラハット』の主人公ディーズ氏が精神病のレッテルを貼られ財産を奪われそうになったように、そして『我が家の楽園』の庶民一家が土地買収計画に呑み込まれざるを得なくなったように。善良な人々はその善良さゆえ、理不尽な困難に直面せざるを得ない。そう、キャプラの映画は確かにハリウッド的な夢物語かもしれないが、しかし決して楽天主義にばかり終始するわけではない。あくまでも、不正がまかり通る世界で正義を貫くことの難しさを大前提としている。そこを見誤ってはいけないだろう。 ストーリーの基本的な構造そのものは『オペラハット』の焼き直しだが、しかし民主主義や愛国精神の原点とそのあり方を問うメッセージは、劇場公開から80年を経た現代でも全く古さを感じさせない。むしろ、2018年の今だからこそ見直すべき映画と言えるだろう。その後、彼自身が愛国者ゆえに第二次世界大戦の国家プロパガンダに利用されてしまったキャプラは、その反省を踏まえて戦後の傑作『素晴らしき哉、人生!』(’46)でさらに強く深く、人間が本来持つべき善意と愛情の尊さを描き、ベトナム戦争の際にはアメリカ政府の姿勢を強く非難した。果たして、もし彼が今生きていたら21世紀のアメリカを、そして日本を含む世界をどのように見ていただろうか。 © 1939, renewed 1967 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存
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PROGRAM/放送作品
ジョン・フォード アメリカを創った男
西部劇の巨匠ジョン・フォードが描いた“真のアメリカ”とは?神話に隠された思いに迫るドキュメンタリー
多くの傑作西部劇を残したジョン・フォード監督は、作品を通じて何を描こうとしたか。『駅馬車』などモニュメントバレーを舞台にした代表作の映像や作品の変遷を通じて、その真意を掘り下げるドキュメンタリー。
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PROGRAM/放送作品
シャイアン
部族の誇りを胸に故郷を目指す先住民たちの苦難の旅…西部劇の巨匠ジョン・フォードが晩年に残した集大成
西部劇の巨匠ジョン・フォードの最晩年の作品で、フォード一家と呼ばれる俳優たちが総出演した集大成作。先住民政策に翻弄されたシャイアン族の過酷な旅を、モニュメントバレーを背景として味わい深く映し出す。
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PROGRAM/放送作品
西部開拓史
50年間にわたる開拓者一家の人生を、西部劇の名匠3人が壮大に織りなす!豪華スター競演の一大叙事詩
1830年代から1880年代にかけて開拓者一家が三代にわたり織りなす人生模様を、ジョン・フォードら西部劇の名匠3人が豪華俳優陣の個性を活かしオムニバス形式で綴る。アカデミー脚本賞、音響賞、編集賞を受賞。
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PROGRAM/放送作品
シェナンドー河
南北の境界線で翻弄された大家族…ジェームズ・スチュワート主演の異色ヒューマン西部劇
活劇ウエスタンの職人ことアンドリュー・V・マクラグレン監督が、南北戦争を舞台に描く異色ヒューマン・ドラマ。中立を保とうとすることで悲惨な運命をたどる家族の長を、ジェームズ・スチュワートが熱演。
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PROGRAM/放送作品
或る殺人
名優2人が弁護士と検察官に分かれ、殺人事件の法廷で激突!熾烈な駆け引きに息を呑む傑作サスペンス
本作でヴェネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞した弁護士役ジェームズ・スチュアートと、切れ者検察官に扮するジョージ・C・スコットによる法廷バトルが圧巻。出演も果たしたデューク・エリントンの音楽も必聴。
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PROGRAM/放送作品
スミス都へ行く
理想に燃える青年が腐敗した議会に物申す!フランク・キャプラが皮肉満点に描く傑作政治ドラマ
巨匠フランク・キャプラ監督が腐敗した政界を徹底的に風刺。理想に燃えて議会に乗り込む青年役ジェームズ・スチュワートが、演説を繰り広げるクライマックスの名シーンは必見。アカデミー原案賞を受賞。