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PROGRAM/放送作品
狩人の夜
アカデミー賞受賞俳優チャールズ・ロートン監督作。ロバート・ミッチャムの怪演が光る傑作サスペンス
アカデミー賞受賞俳優、チャールズ・ロートンが監督として手がけた唯一のサスペンス映画。田舎を舞台にした牧歌的なモノクロの映像と、凶悪犯を演じたロバート・ミッチャムの冷酷な表情が対照的で恐怖心を煽る。
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COLUMN/コラム2020.08.06
巨匠ビリー・ワイルダーの巧妙な物語術に惑わされる傑作法廷サスペンス『情婦』
裁判の行方を根底から揺るがす容疑者の妻の証言とは…? ハリウッドの巨匠ビリー・ワイルダーによる、それは見事な法廷サスペンスである。『お熱いのがお好き』(’59)や『アパートの鍵貸します』(’60)を筆頭に、『麗しのサブリナ』(’54)に『七年目の浮気』(’55)、『あなただけ今晩は』(’63)などなど、師匠エルンスト・ルビッチ譲りの洗練されたコメディが日本でも親しまれているワイルダーだが、しかしその一方で出世作『深夜の告白』(’44)や『失われた週末』(’45)、『サンセット大通り』(’50)など、意外にダークでシリアスな作品も実は多い。まさしく硬軟合わせ持つ芸術家。彼が「ハリウッド黄金期における最も多才な映画監督のひとり」と呼ばれる所以だ。本作などは、そんなワイルダーの「多才」ぶりが遺憾なく発揮された映画だと言えよう。 舞台はロンドン。法曹界に名の知られた老弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)は、心臓に大病を患い入院していたものの、看護婦ミス・プリムソル(エルザ・ランチェスター)の付き添いを条件に退院が許可される。久しぶりに事務所へ戻ったウィルフリッド卿だが、大好物の葉巻もウィスキーも禁じられているうえ、なにかと口うるさいミス・プリムソルにも辟易。すると、そんなところへ旧知の事務弁護士メイヒュー(ヘンリー・ダニエル)がやって来る。未亡人殺人事件の最重要容疑者と目されている男性レナード・ヴォール(タイロン・パワー)の弁護を、ウィルフリッド卿に引き受けて貰えないかというのだ。 それは、裕福な初老の未亡人エミリー・フレンチ(ノーマ・ヴァーデン)が自宅で何者かに撲殺されたという事件。自称発明家であるレナードは、ひょんなことからエミリーと親しくなり、彼女からの出資を期待して自宅へ出入りしていたらしい。自分は無実だと主張するレナードだったが、しかし未亡人の女中ジャネット(ユーナ・オコナー)が最後にエミリーと面会した人物は彼だと証言しており、なおかつ死後に発見された遺言書には8万ポンドの遺産相続人としてレナードが指名されている。はたから見れば遺産目的の殺人。明らかに状況は彼にとって不利だ。最初は病気を理由に弁護を断るつもりでいたウィルフリッド卿だったが、弁護士としての長年の勘からレナードが無実であると信じて引き受けることにする。 そうこうしていうちに警察が到着し、レナードは逮捕・起訴されることに。すると、入れ替わりでレナードの妻クリスチーネ(マレーネ・ディートリヒ)が弁護士事務所へ現れる。夫が殺人事件の容疑者として逮捕されたにも関わらず、顔色一つ変えることなく落ち着き払ったクリスチーネに違和感を覚えるウィルフリッド卿。ドイツ人の元女優である彼女は、終戦直後の貧しいベルリンで場末のキャバレー歌手として働いていたところ、当時駐留軍の兵士だった年下のレナードに見初められたという。夫のアリバイを証明するつもりのクリスチーネだったが、しかし被告人の婚姻相手の証言は裁判で疑われやすい。それに、彼女には重大な秘密があった。豊かなイギリスへ移住するため重婚を隠してレナードと結婚していたのだ。ウィルフリッド卿は不安要素の多いクリスチーネを証言台に立たせないことにする。 かくして、ロンドンの中央刑事裁判所オールド・ベイリーで始まった未亡人殺人事件の裁判。検察側は証人を巧みに誘導して裁判を有利に進めようと画策するが、老練なウィルフレッド卿は鋭い洞察力で次々と切り返していく。まさしく互角の戦い。むしろ、弁護側が優勢のように見えたのだが、しかし検察側はとっておきの隠し玉を準備していた。なんと、クリスチーネを証人として呼んでいたのだ。これはさすがのウィルフレッド卿も計算外。しかも、証人席に立ったクリスチーネから驚くべき発言が飛び出す。未亡人を殺したのはレナードだ、自分は夫から偽証を強要されたというのだ。どよめきに包まれる法廷。これにてレナードの有罪は動かしがたいものとなったと思われたのだが…? 原作は「ミステリーの女王」が手掛けた舞台劇 ネタバレ厳禁の作品ゆえ、これ以上のことをレビューに書けないのは惜しまれるが、とにかく終盤のどんでん返しに次ぐどんでん返しは圧巻で、数多のミステリーやサスペンスを見慣れた映画ファンでも驚きを禁じ得ないだろう。原作はアガサ・クリスティの戯曲「検察側の証人」。もともと短編小説として発表したものを、クリスティ自身が’53年に舞台劇として脚色した。細部まで徹底的に計算し尽くしたストーリー構成は、やはり「ミステリーの女王」たるクリスティの腕前であろう。とはいえ、作品全体としては明らかに「ビリー・ワイルダーの映画」に仕上がっている。 病院を退院して事務所へ戻ったウィルフリッド卿と看護婦ミス・プリムソルによる、夫婦漫才的な丁々発止のやり取りを軸としながら、最終的にウィルフレッド卿がレナードの弁護を引き受けるに至るまでの冒頭30分間の、スリリングかつ軽妙洒脱でリズミカルな展開の素晴らしいこと!これが単なる法廷サスペンスでもなければ犯罪ミステリーでもない、あらゆる要素を詰め込んだエンターテインメント映画であることを如実に印象づける。しかも、随所にフラッシュバック・シーンを織り交ぜてはいるものの、しかし全編を通して主な舞台は弁護士事務所と裁判所の2か所。それにもかかわらず、最後まで一瞬たりとも退屈したり間延びしたりすることがない。ウィルフリッド卿の眼鏡や魔法瓶、薬のタブレットなどの小道具をきちんとストーリーに活かした、細部まで遊び心を忘れない演出にも舌を巻く。映画的なストーリーテリングとはまさにこのことだ。 実は、クリスティの原作舞台劇にはウィルフリッド卿が病み上がりという設定も、看護婦ミス・プリムソルというキャラクターも登場しない。これらは映画版の脚本を手掛けたワイルダーとハリー・カーニッツ(『暗闇でドッキリ』『おしゃれ泥棒』)のアイディアだという。しかし、このウィルフリッド卿とミス・プリムソルこそが、欺瞞と虚構に彩られた本作における「真実」と「良心」の象徴であり、ストーリーそのものを牽引していく中核的な存在だ。恐らく、クリスティの原作をそのまま映像化していたら、ここまで面白い作品にはなっていなかっただろう。サプライズはあっても感動がなければ映画は成立しないのである。 もちろん、役者陣の卓越した芝居に負う部分も大きい。中でも、頑固でへそ曲がりだが人間味に溢れるウィルフレッド卿役のチャールズ・ロートンと、世話女房のように口うるさいがチャーミングで憎めないミス・プリムソル役のエルザ・ランチェスターは見事なもの。演技の息は完璧なくらいにピッタリ。さすが実生活で夫婦だっただけのことはある。撮影当時43歳と決して若くないものの、しかし母性本能をくすぐるダメ男レナード役にタイロン・パワーというのも適役。彼はこの翌年にスペインで心臓麻痺のため急逝し、結果的に本作が遺作となってしまった。 そして、クリスチーネ役のマレーネ・ディートリヒである。そもそも、彼女はビリー・ワイルダーが演出することを条件に本作のオファーを引き受けたと伝えられているが、フラッシュバックではミュージカル・シーンに加えて自慢の美脚まで披露するというサービスぶり。法廷シーンでの気迫に満ちた大熱演も見ものだし、ネタバレゆえ本稿では詳しく触れられないシーンの怪演にも驚かされる。本来ならばアカデミー賞ノミネートも妥当だったはずだ。 ―――ここから先は本編鑑賞後にお読みください――― ちなみに、そのディートリヒの怪演が光る鉄道ヴィクトリア駅のシーンだが、実はこれ、丸々全てスタジオのサウンドステージに作られたセットである。パッと見では分からないが、奥に映っている列車ホームは大きく引き伸ばされた写真だ。美術デザインを担当したのはフランス映画『霧の波止場』(’38)や『天井桟敷の人々』(’44)で知られるアレクサンドル・トローネル。『昼下りの情事』(’56)以降のワイルダー作品に欠かせないスタッフとなったが、一見したところロケ撮影としか思えない見事な仕事ぶりを披露している。もちろん、中央刑事裁判所もスタジオで再現されたセットだ。 なお、本作は当時からヒッチコック監督作品と誤解されることが多かったという。確かに、作品の雰囲気やストーリーはヒッチコックの『パラダイン夫人の恋』(’47)と似ている。あちらも主な舞台はロンドンの中央刑事裁判所で、セットの作りはほぼ同じだった。しかもチャールズ・ロートンまで出ている。ディートリヒは同じヒッチコックの『舞台恐怖症』(’50)でも、悪女的な役どころを演じていたっけ。なるほど、間違えられても無理はないかもしれない。■ 『情婦』(C) 1957 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
情婦
真犯人は一体!?二重三重に絡み合った殺人事件の犯人を巡る、巨匠ビリー・ワイルダーの一級サスペンス
アガサ・クリスティの短編小説『検察側の証言』を、巨匠ビリー・ワイルダーが映画化。殺人事件の犯人を巡り、二転三転する裁判の行方を追う一級サスペンス。
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COLUMN/コラム2014.07.19
“呪われた映画”から“映画史上必見の傑作”へと再評価された、あっと驚く奇想と深遠さに満ちたダーク・メルヘン『狩人の夜』
初公開当時にさんざんな不評を買い、全米各地で公開禁止にもなったというこの“呪われた映画”は、のちにフランソワ・トリュフォーらの一部の批評家、スティーヴン・キングらによって熱烈に再評価されたことで映画史の暗黒の彼方から引き戻され、1992年にはアメリカ議会図書館へのフィルムの永久保存を義務づけるアメリカ国立フィルム登録簿に選定された。すでに日本でもDVDがリリースされ、製作から半世紀以上が経った今も新たなファンを獲得し続けている。それでも、もし本作を未見の人に出くわしたら「観ないと人生の多大な損失ですよ!」などと幾分大げさに鑑賞を勧めずにいられない。 映画の前半は、ロバート・ミッチャム扮する稀代の悪役ハリー・パウエルの独壇場だ。このいかにもうさん臭いニセ宣教師はオープンカーに乗り、独り言を呟くように神と対話しながら獲物を物色している。行く先々で未亡人を手なずけ、金品をむしり取っては命を奪うシリアルキラー。良心の呵責など一切感じることなく平然と嘘をつき、猿芝居を連発する。しかも話術が巧みなうえに歌が得意で、他人に取り入るのが実にうまい。裏返せばこの映画は、そんな聖職者の仮面を被ったエゴイスティックな極悪犯罪者にあっさり騙される市井の人々の愚かさを、痛烈に風刺しているともとれる。やがてハリーが狙いを定めたのは、刑務所で同房になった死刑囚の男がどこかに隠した1万ドルの札束。ウェスト・ヴァージニア州の田舎町に暮らす男の未亡人を籠絡してマインドコントロールした揚げ句に殺害し、札束の隠し場所を知る幼い息子と娘の口を割ろうとする。 ハリーの悪役としてのユニークさは、その非情さや強欲さのみならず、さらなるふたつの特徴によって強烈に印象づけられる。まずこの怪人は、しょっちゅう牧歌的なメロディの賛美歌を口ずさんでいる。そしてもう一点は、右手の指に刻まれた“LOVE”と左手の“HATE”という刺青だ。ハリーが歌う「主の御手に頼る日は」という賛美歌は、コーエン兄弟の西部劇『トゥルー・グリット』にフィーチャーされていたし、両手の刺青はマーティン・スコセッシ監督の『ケープ・フィアー』などで繰り返し引用されてきた。ちなみに『狩人の夜』は賛美歌のほか民謡や子守歌が次々と挿入され、音楽映画かと錯覚するくらい“歌”が満ちあふれた作品でもある。 かくして前半、ブラックユーモアに満ちたエキセントリックな犯罪サスペンスのように展開していた映画は、中盤でがらっとトーンを一変させる。ついに命まで脅かされるようになった未亡人の子たち、幼い兄妹ジョンとパールが真夜中に逃亡し、ボートであてどない川下りを始めるや、神秘的なダーク・メルヘンに変貌していくのだ。オーソン・ウェルズの『偉大なるアンバーソン家の人々』やフリッツ・ラングの『扉の陰の秘密』などの撮影監督スタンリー・コルテスによるモノクロ映像は、川下りのシークエンスを影絵のように設計し、得も言われぬ悪夢的な幻想性を漂わせる。満天の星空。川辺で兄妹をそっと見つめるカエル、フクロウ、カメなどの動物たち。ディズニー映画のようにあからさまに作り物めいたこれらのギミックが、映画そのものをリアリズムとは遠くかけ離れたファンタジーへと変容させ、ドイツ表現主義からの影響を色濃く感じさせながら暗い魅惑を醸し出していく。しかもこの映画は、子供の目線に立った無垢な眼差しで撮られている。だからこそ観る者は、ベッドでなかなか寝つけなかったときに怖い絵本をめくった幼い頃の記憶を呼び覚まされ、否応なく魔術的な映像世界に引き込まれてしまう。実に大胆かつ奇抜で、不可思議な奥行きのある映画である。 そして終盤、いよいよ伝説の大女優リリアン・ギッシュの登場だ。大恐慌時代の不幸な孤児たちを引き取って世話しているギッシュ扮するクーパー婦人は、兄妹を追って現れたハリーに猟銃を突きつけ、敢然と対決姿勢を表明する。ハリーは死神や悪魔の化身というべき存在であり、それに立ち向かうクーパー婦人は子供たちの守護天使のようだ。しかしこの映画は、ありがちな勧善懲悪劇などでは決してない。庭先で隙をうかがうハリーがまたもや十八番の賛美歌を口ずさむと、猟銃を握り締めて警戒を怠らない婦人もなぜか一緒にそれを歌い出す。明らかに敵対関係にあるふたりのキャラクターが、何の説明もなく合唱を始めるこのシーンには、誰もが度肝を抜かれ、困惑せずにいられない。究極の善と究極の悪が場違いなハーモニーを奏でながら溶け合い、「この世は黒と白に色分けできるほど単純ではない」と言わんばかりに、世界の真理のようなものを唐突に突きつけてくるのだ。こんな映画がヒットするわけがない。その独創性があまりにも“早すぎた”ゆえに呪われてしまったフィルムなのだ。 昼と夜、光と影、善と悪、清純と邪悪、愛と憎しみ。こうしたさまざまなコントラストの表裏一体の対立と混濁を描き上げた本作には、そのほかにも必見の名場面がいくつもある。ハリーに殺される寸前、ベッドに横たわる未亡人(シェリー・ウィンタース!)の姿を聖母画のように捉えたショット。車とともに川底に沈められた未亡人の死体が、水流に揺らめく美しくもグロテスクなイメージ。馬に乗って子供たちを追跡するハリーが、悠然と丘の上を横切っていくシーンの奇跡的な構図の妙。一度脳裏に焼きつくと、何年かおきに観直したくなり、そのたびに新たな発見や驚きをもたらしてくれるこの映画は、まさに異形の怪作にして深遠なる傑作と呼ぶのがふさわしい。 前述したように、この半世紀前のモノクロ映画は今なお多くの映画人を魅了し、多大な影響を与え続けている。過去に筆者がインタビューした監督の中では、アメリカン・インディーズの鬼才トッド・ソロンズもそのひとりであった。「そう、君の指摘通り、『狩人の夜』を引用させてもらった。しかも、かなりあからさまにね」。ソロンズがそう語った2004年作品『おわらない物語 アビバの場合』には、『狩人の夜』を知る者ならば思わずニヤリとさせられるシークエンスが盛り込まれている。興味のある方は、ぜひご覧あれ。■ NIGHT OF THE HUNTER, THE © 1955 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
スパルタカス[復元完全版]
ローマ帝国時代の英雄スパルタカスの生涯をキューブリックが描いた傑作スペクタクル巨編
たった一人でローマ帝国へ挑んだ男の生涯を壮大なスケールで描くスペクタクル巨編。主演とプロデュースをカーク・ダグラスが、監督をスタンリー・キューブリックが務め、アカデミー賞4部門を受賞した不朽の名作。