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PROGRAM/放送作品
ザ・ファーム/法律事務所
若きエリートは弁護士事務所の“裏の顔”を暴けるか?トム・クルーズ主演の法廷サスペンス
ベストセラー作家ジョン・グリシャムの法廷サスペンス小説を、トム・クルーズ主演で映画化。ジーン・ハックマンやエド・ハリスらベテラン演技派俳優が若きトムの脇を固め、巨悪の絡んだ陰謀劇を重厚に築き上げる。
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COLUMN/コラム2020.09.28
トム・クルーズ30代の代表作!『ザ・エージェント』で発掘したものとは!?
1997年5月12日のこと。日本公開が迫った、『ザ・エージェント』の劇場試写会が、有楽町マリオンの、今はなき「日劇東宝」で開かれた。 当時の私は、映画業界との接点はほとんどなかったので、多分何かのプレゼントで当たったのだろう。妻と共に客席で上映を待っていると、「開映に先立ちまして、今日は素晴らしいゲストにご来場いただいています」とのアナウンスがあった。 事前には何も告知されてなかったので、今流で言えば「サプライズ・ゲスト」といったところか。場内が大きくどよめいた。多分観客のほとんどが、「まさかトム・クルーズが!」と思ったのだろう。しかし続くゲストの紹介アナウンスは、「『ザ・エージェント』で主役のジェリー・マクガイアを支えるドロシー・ボイドを演じた、レニー・ゼルウィガーさんです!」 紹介されて登場した女性は、遠い異国で数百人もの観客に迎えられて、上気しているようだった。しかし場内には、明らかに落胆の色が浮かんだ。 それはそうだ。当代ハリウッドの人気№1スターが現れるかと期待したのに、出てきたのは、当時の日本ではまったく無名の存在だった女優。後に日本語表記が、“レニー”から“レネー”に変わる彼女が、その後オスカーを2度も受賞する大スターに成長するなど、その時の会場に居た誰ひとりとして、想像もつかなかったであろう…。 日本ではその試写の5日後、97年5月17日の公開だった『ザ・エージェント』は、アメリカではその5カ月前、96年12月に封切り。大ヒットを記録すると共に、作品的にも高く評価され、その年度の賞レースに絡む作品となった。 アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞など5部門で候補に。そして、「Show me the money!=金を見せろ!」という、アメリカ映画史に残る名セリフを吐いた、キューバ・グッディング・Jrが、助演男優賞を手にした。 因みにこの年のアカデミー賞は、12部門でノミネートされた、アンソニー・ミンゲラ監督の『イングリッシュ・ペイシェント』が、作品賞、監督賞など9部門を制している。しかしながら四半世紀近く経った今となっては、いまだに人々の思い出に残り、口の端に上る作品としては、『ザ・エージェント』に軍配が上がるだろう。 スポーツ業界最大手のエージェント会社「SMI」に勤め、数多くの有名アスリートを顧客に持つ、ジェリー・マクガイア(演:トム・クルーズ)。選手の所属チームとの交渉で、いかに大金や長期の契約を引き出すか、いかにビッグなCM出演をまとめるか、携帯電話を片手に全米を飛び回る、ハードな日々を送っていた。 しかしある日、担当するアイスホッケー選手が大怪我をして、再起不能となってしまう。その選手の幼い息子から罵声を浴びせられたジェリーは、利益を最優先する会社のやり方に疑問を抱き、初心を取り戻す。そして一夜にして、理想に溢れる提言書を書き上げる。 ~人々に夢を与える選手たちの支えとなるべき、この仕事の本当の在り方とは、より少数のクライアントに、金ではなく、心を配ることである~ 提言書は、職場の仲間たちから、賞賛を以て迎えられたかに見えた。しかしその1週間後、ジェリーは会社から突然解雇される。それは企業の方針に盾突いた、報いだった。 ジェリーを頼っていた筈の顧客のアスリートたちとの契約も、彼にクビを言い渡した同僚に、ごっそりと攫われてしまう。たった1人残ったのは、落ち目のアメフト選手ロッド(演:キューバ・グッディング・Jr)。そして「SMI」の社員でジェリーについていったのは、提言書に感銘を受けた、シングルマザーのドロシー(演:レネー・ゼルウィガー)だけだった。 職を失ったジェリーは婚約者にも去られ、失意のどん底に落ちる。しかしドロシーに支えられて新たな会社を興し、周囲の予想を裏切る活躍を見せるロッドと友情を育てていく中で、本当に大切なことは何かを、知っていくことになる…。 簡単にまとめれば、理想を掲げた者が一敗地に塗れながらも、愛や友情を支えに再び立ち上がり、勝利に向かう物語である。ハリウッド映画としてかなりクラシカルな展開だが、“スポーツ・エージェント”という、それまで大々的には取り上げられていなかった世界を舞台にしたことが新味となって、本作を成功に導いた。 折しも日本では、95年に近鉄バファローズの野茂英雄投手が、アメリカのメジャーリーグ挑戦に当たって、“エージェント”が介在したことが大きな注目を集めた。そしてその存在が、一般化し始めた頃の公開であった。 『ザ・エージェント』の監督・脚本を担当したのは、キャメロン・クロウ。「リサーチの鬼」と言われる彼は、数多くのスポーツ・エージェントやアスリートたちに取材を敢行。多くのフットボールの試合を観戦し、チームと一緒に旅もした。 金儲けだけを追求しているかのように見える、スポーツ・エージェントの世界で、「誠実であるとはどういうことなのか?」「選手が炭酸飲料みたいに売り買いされる世界で、本当のヒーローとは何なのだろう?」などと考えながら、3年もの歳月を掛けて、脚本を完成させた。本作の中でジェリーがエージェントの初心に戻って記す、27頁にも渡る提言書は、その内容が映画のプログラムなどにも採録されているが、キャメロン・クロウが実際に、一晩掛けて書き上げたものだという。 この脚本を読んだトム・クルーズは、すぐに主役のジェリーに同化。自ら進んで本読みを志願するなど、「…これこそ本当にやりたい役…」と、出演を熱望したという。そしてクロウが吃驚するほどの情熱を持って、本作に臨んだ。 その成果として本作は、1962年生まれのトムにとっては、30代のピークと言うべき作品となった。アカデミー賞主演男優賞のオスカー像こそ、オーストラリア映画『シャイン』のジェフリー・ラッシュに譲り、ノミネート止まりだったが、現在に至るキャリアの中でも『ザ・エージェント』は、代表作の1本に挙げられるだろう。 以前本コラムで『レインマン』(88)を取り上げた時にも触れたことだが、トムは、『タップス』(81)『アウトサイダー』(83)など、青春映画の脇役で注目された後に、初めて主演した『卒業白書』(83)が大ヒット。更には世界的なメガヒットとなった『トップガン』(86)で、当時の20代若手スターのトップに躍り出た。 その後『ハスラー2』(86)でポール・ニューマン、『レインマン』でダスティン・ホフマンという、“ハリウッド・レジェンド”たちと共演。尊敬する彼らと固い絆を結び、演技者としての薫陶を受けた。この両作は、ニューマンとホフマンにオスカーをもたらしたが、共演したトムの演技が、そのアシストになったことも見逃せない。 続いて出演した、オリバー・ストーン監督の反戦映画『7月4日に生まれて』(89)では、ベトナム戦争の戦傷で車椅子生活を余儀なくされる、実在の帰還兵ロン・コーヴィックを熱演。この役で初めて、アカデミー賞主演男優賞の候補となる。 そして迎えた30代前半は、まさにトムの黄金期。『ア・フュー・グッドメン』(92)『ザ・ファーム 法律事務所』(93)『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94)、初めてプロデューサーも兼ねた『ミッション:インポッシブル』(96)、そして『ザ・エージェント』と、史上初めて、主演作が5作続けて全米興行収入1億ドルを突破するという、快挙を成し遂げたのである。 本作はそんな、輝きがマックスの頃のトム・クルーズを観るだけでも、価値がある作品になっている。しかし、現時点で振り返る際に忘れてはいけないのは、レネー・ゼルウィガーを世に出した作品であるということだ。■ レネーは1969年4月25日生まれということだから、「日劇東宝」で挨拶に立った時は、まだ28歳だったか。彼女が女優を志したのは、テキサス大学在学中に、選択科目で「演劇」を受講したのがきっかけだったという。 まずは地元で活動し、CMやインディペンデント映画に出演。ロスアンゼルスに移り、メジャー作品で初めて大役を得たのが、本作だった。彼女は尊敬するトムとスクリーン・テストを受けた際は、「これって現実?私、本当にここにいるの?」と自問せずにいられなかったという。 一方でトムはその時のことを、「彼女が出ていった後、キャメロンとブルックス(プロデューサーを務めた、ジェームズ・L・ブルックスのこと)と僕は思わずお互い目を合わせて、ドロシーが見つかったな、と確信したんだ」と語っている。彼女の「善良さと飾り気のなさ」が、ドロシー役にぴったりと、見初めたのである。 グウィネス・パルトロウやミラ・ソルヴィーノなど、その当時活躍中の若手女優たちも、ドロシー役の候補に挙がっていたという。そんな中で、当時ほとんど無名だったレネーが、大抜擢となった。 その後レネーは、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ(2001~2016)などで人気が爆発。『コールド マウンテン』(03)でアカデミー賞助演女優賞を、『ジュディ 虹の彼方に』(19)で主演女優賞を受賞したのは、ご存知の通り。 レネーは『ジュディ…』で「SAG=映画俳優組合」の主演女優賞を受賞した際、スピーチでトムに謝辞を述べている。 「トム・クルーズ、あなたが撮影現場でのプロ意識と最高を目指す姿勢のお手本になってくれたこと、親切と無条件の優しさに感謝します」 トムのプロデューサーとしての慧眼、ここに極まれりである。 その一方で俳優としてのトムが、アカデミー賞主演男優賞の候補になったのは、実は本作『ザ・エージェント』が最後。助演男優賞の候補になった『マグノリア』(99)からも、もう20年以上の時が経ってしまっている。 近年は『ミッション:インポッシブル』シリーズを軸に、すっかり“アクション俳優”のイメージが強くなってしまっているトム・クルーズ。それももちろん悪くはないのだが、いま60代に手が届かんとする彼が、自分が発掘したレネーと四半世紀ぶりに再共演を果たして、オスカー戦線を騒がすような主演作も、また観たい気がする。■ 『ザ・エージェント』© 1996 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
デイズ・オブ・サンダー
スピードに青春を懸けたレース版『トップガン』。トム・クルーズ&ニコール・キッドマンの初競演作
『トップガン』のトニー・スコット監督&トム・クルーズのコンビが、ストックカー・レースの世界を迫力のレース・シーン満載に魅せる。トム自ら原案を担当。後に結婚するニコール・キッドマンとの初競演作でもある。
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COLUMN/コラム2020.03.10
2008年の“フラット・パック”と“ブラット・パック”『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』
2000年代、“Frat Pack=フラット・パック”という集団が、ハリウッドを席捲した。…と言っても多分、日本ではアメリカン・コメディの熱心なファン以外には、あまり馴染みがないかも知れない。またアラフィフぐらいの映画ファンの中には、「“ブラット・パック”なら知ってるけど、“フラット・パック”って何?」という方もいるかと…。 この“フラット・パック”の中核メンバーと言われたのが、本作『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』に出演している、ベン・スティラーとジャック・ブラック、それに加えてウィル・フェレル、スティーヴ・カレル、ヴィンス・ヴォーンに、オーウェン・ウィルソンとルーク・ウィルソンの兄弟といった面々。1962年生まれのカレルから71年生まれのルークまでの、この7人に続いて、弟分格と言われたのが、セス・ローゲンや、やはり本作に出演している、ジェイ・バルチェル、ビル・ヘイダー、ダニー・マクブライドといった辺りだった。 元々“フラット・パック”という名称は、“Rat Pack=ラット・パック”、更には先に少し触れたが、それをもじった“Brat Pack=ブラット・パック”に由来するもの。 “ラット・パック”は1950年代に、“ボギー”ことハンフリー・ボガートとローレン・バコール夫妻の家に集まるようになった面々で構成され、ボギーの死後は、フランク・シナトラやディーン・マーティン、サミー・デーヴィスJrらが中心メンバーに。彼らはラスベガスでショーを行ったり、『オーシャンと11人の仲間』(60)などの映画を作って、ヒットさせたりした。“ラット・パック=ネズミの集団”という名称の起こりには諸説あって、その一つは、ハンフリー・ボガートとその仲間がラスベガスから戻ってきた際に、ローレン・バコールが、「ひどいネズミの集団みたい」と言ったことなどとされている。日本では“ラット・パック”というよりは、“シナトラ一家”の方が通りが良いだろう。 “ブラット・パック”は、「小僧っ子集団」とでも訳すべきか。日本では、“ヤング・アダルト”やそれを略して“YAスター”などとも言われ、80年代中盤に人気を集めた、若手の俳優陣を指す。『ブレックファースト・クラブ』『セント・エルモス・ファイアー』という1985年に公開された2本の青春映画のいずれか及び両作に出演した、エミリオ・エステベス、アンソニー・マイケル・ホール、ロブ・ロウ、アンドリュー・マッカーシー、デミ・ムーア、ジャッド・ネルソン、モリー・リングウォルド、アリー・シーディといった面々が、軸とされる。主に80年代中盤、ジョン・ヒューズが製作や監督した青春映画などで、人気を博した。 そして“フラット・パック”。元は2004年に、「USAトゥデイ」紙の記事上で生み出された造語である。アメリカン・コメディの諸作を主な舞台に、決まったメンバーが何度も共演したりカメオ出演している様を捉えて、そう名付けられた。先に書いたような元ネタはあるものの、“フラット=Frat”は、アメリカの青春映画などによく登場する、男子大学生の友愛会を指す単語。なるほど“フラット・パック”の面々は、男中心で仲良くつるんでいる印象が強く、“ホモソーシャル”的な意味合いも籠った、秀逸なネーミングだったと言えよう。 “フラット・パック”のはじまりは、ジム・キャリーの主演作で、ベン・スティラーが監督した『ケーブルガイ』(96)。1965年生まれ、まだ30代に突入したばかりの新鋭だったベンは、この作品に脇役で出演していた、ちょっと年下のジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソンと出会い、意気投合。友達付き合いが始まった。 その後3人はそれぞれヒット作に関わって、ブレイク。そこに先に挙げていたような面々が次々と関わるようになり、一大勢力となったわけである。…と言っても彼らは、自らが“フラット・パック”と名乗ったわけではなく、正式な集団でもない。あくまでも、マスコミによる造語なのだが。 そして本作『トロピック・サンダー』が公開された2008年頃は、“フラット・パック”の面々のほぼ絶頂期。本作では製作・原案・脚本・監督・主演と5役を務めたベン・スティラーは、その2年前には、主演する『ナイト・ミュージアム』という大ヒットシリーズ(06~14)がスタート。また本作主演の1人であるジャック・ブラックも、ピーター・ジャクソン監督の超大作『キング・コング』(05)主演を経て、『トロピック・サンダー』と同年には、主役の声をアテている『カンフー・パンダ』シリーズ(~16)の第1作が公開されている。 さてキャリアのピークを迎えていた、ベンとジャックと同格で、本作でメインの役どころを務めているのが、ロバート・ダウニー.Jrである。本作公開に数カ月先駆けて、主演作の『アイアンマン』(08)で大ヒットを飛ばしたばかりだった。 ベン・スティラーと同じ、1965年生まれ。芸能一家に育ち、子役出身だったダウニー.Jrは、20代を迎える頃には主演作が評判となり、スターの仲間入り。80年代中盤には、同年代の青春もの俳優たちと共に、“ブラット・パック”の一員に数えられてもいた。 その中で頭一つ抜けた存在になったのは、20代後半。喜劇王チャールズ・チャップリンを演じた『チャーリー』(92)では、「アカデミー賞」の主演男優賞候補にもなった。 しかしそうした裏で彼は、深刻なドラッグ中毒を抱えていたのである。映画監督だった父に、8歳からマリファナを与えられるなどして育った彼は、2000年代初頭までは、繰り返し薬物中毒で逮捕されていた。そのため出演した映画やTVドラマの関係者にも、多大な迷惑を掛け続けていたのである。 30代後半となった2003年に、ようやくドラッグ依存から抜け出すことに成功。そこからは主に個性的な脇役として、活躍するようになる。 そんな彼が、アメコミのヒーローである『アイアンマン』の候補に上がった時、作品を製作する「マーヴェル」側は、過去のドラッグ中毒を問題視。「どんなことがあっても、彼を雇うことはない」としていた。しかし「彼の波瀾万丈のキャリアがキャラクターに深みを与える」と主張する、ジョン・ファヴロー監督の強力な推薦を得て、オーディションで他の候補を圧倒。見事に“スーパーヒーロー”の役を得たのである。 “ブラット・パック”のメンバーとしては、先に挙げた、ダウニー.Jr以上の人気を博していた面々は、この頃にはほぼ鳴りを潜めた状態となっていた。そんなことも考え合わせると余計に、見事なカムバック劇だった。 さてそんな“ブラット・パック”あがりで、キャリアの再構築の端緒についたダウニー.Jrと、絶頂期を迎えた“フラット・パック”の中心メンバーであるベン・スティラー、ジャック・ブラックの3人が打ち揃ったのが、『トロピック・サンダー』というわけである。ここでその設定と、ストーリーを紹介しよう。 本作でベンが演じるのは、アクション大作シリーズで大人気となりながらも、シリーズが進むにつれて内容が劣化。それではと、演技派に転身してアカデミー賞を狙うも、その主演作が見事に大コケして窮地に立たされている、アクション・スター。 ジャック・ブラックは、特殊メイクを駆使して、1人で何役も演じるコメディ映画シリーズで、人気を博しているコメディアン役。「おならをかまして笑いを取る」というイメージからの脱却を図っている。 ダウニー.Jrは、アカデミー賞を5回受賞している、演技派俳優の役。完璧に役になり切る、いわゆる“メソッド俳優”である。 そんな3人の俳優が、伝説的なベトナム戦争回顧録「トロピック・サンダー」の映画化で共演することになった。しかし3人のわがままや、爆破シーンの失敗などで、クランクイン5日目にして、予算オーバー。人でなしプロデューサーの脅しもあって、追い詰められたイギリス人監督は、狂気に走る。主演俳優たちを突然東南アジアのジャングル奥地へと連れ出し、隠しカメラでリアルな撮影を続けると、宣言したのである。 しかしある事情から、監督の姿は突然雲散霧消。取り残された俳優陣は、「撮影続行?」と疑問を抱きながらも、ジャングルを進んでいく。実はそこは、凶悪な麻薬組織が支配する、“黄金の三角地帯”であった…。 『地獄の黙示録』(79)『プラトーン』(86)など、様々な戦争映画のパロディが盛り込まれたこの作品、ベン・スティラーがその元となるアイディアを思い付いたのは、日中戦争時の中国を舞台にした、スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(87)に、端役で出演した際だった。その後20年に渡ってアイディアを温めていく中で、戦争ものに出演する俳優たちが、撮影前に短期間のブートキャンプで兵士の訓練を受けることで、まるで“戦争”を実体験したかのような錯覚を起こすことを、からかっておちょくるのを軸としたストーリーに発展していった。 そんなことからもわかる通り本作は、ハリウッド流のシステムやしきたりへの、批判的な視線が横溢している。まさかの“ミッション:インポッシブル”俳優が、禿ヅラを付けて軽快に演じるのが、人を人と思わない大物プロデューサー役。これは、今や“セクハラ裁判”の被告となったハーヴェイ・ワインスタイン、『リーサル・ウェポン』シリーズ(87~98)などのジョエル・シルバー、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ(03~)などのジェリー・ブラッカイマーといった、とかく評判の悪い、ハリウッドの大物プロデューサーたちをモデルにしたと言われる。 主演3人の役どころも、面白い。ベンが演じるアクションスターのイメージは、彼が筋トレで作ったヴィジュアルやその役どころから、アーノルド・シュワルツェネッガーのパロディであることが、一目瞭然。主演するアクション大作シリーズが、どんどんその内容が劣化していく辺りは、ブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』シリーズ(88~ )を想起させる。 「おなら」でウケを取り、1人で何役も演じるコメディアンという、ジャック・ブラックの役どころは、もろにエディ・マーフィーの『ナッティ・プロフェッサー』シリーズ(96・00)だ。そしてこのコメディアンが、深刻な薬物中毒である辺りは、共演のロバート・ダウニー・Jrの過去も含めて、ハリウッドでは枚挙に暇がないネタと言える。 ダウニー・Jrが演じる、アカデミー賞5回受賞の、オーストラリア出身の“メソッド俳優”モデルは、まずはラッセル・クロウ。『インサイダー』(99)『グラディエーター』(00)『ビューティフル・マインド』(01)で3年連続アカデミー賞主演男優賞の候補となり、『ビューティフル…』では遂に受賞を果した実力派ながら、短気と粗暴な振舞いで頻繁に問題を起こす辺りも、なぞられている。 もう1人のモデルは、実際の「アカデミー賞」主演男優賞の最多ウィナー(3回受賞)である、ダニエル・デイ=ルイスであろう。『トロピック…』でのダウニー.Jrの演じる“メソッド俳優”は、黒人軍曹の役を演じるに当たって、手術で自らの皮膚を黒くしてしまうという徹底ぶりであるが、これは『マイ・レフト・フット』(89)『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(97)などで、1度役に入ると、その役のまま日常を送ることでも知られる、ダニエルのパロディと言える。 実際のダウニー.Jrも、若き日は“メソッド俳優”であったが、過度のストレスに襲われることから、この頃には卒業。いわゆる“個性派”に路線を転じていた。そんな彼が、こんな役を演じていること自体が、面白い。因みにこの“メソッド俳優”役で、彼は本物の「アカデミー賞」の“助演男優賞”にノミネートされるというオチまでついた。 本作はアメリカ公開されると、3週連続でTOPの興行成績を記録。5週で興収1億㌦を突破するヒットとなったが、実は製作費も、1億㌦以上掛かっていた。最終的な興収が、アメリカでは1億1,000万㌦、全世界で1億9,000万㌦ほどであったが、これだと諸々の経費を考えると、ペイ出来ない計算。即ち“赤字”となった筈である。ハリウッドの因習やデタラメぶりをからかいながら、本作の興行自体が、失敗“超大作”の轍を踏んでしまった辺り、関係者は笑うに笑えないであろう。 さて主演の3人の、“その後”を追ってみよう。2015年、イギリスの新聞「ガーディアン」のWEBサイトに「フラット・パックはいかに崩壊したか」という記事が掲載された。これは“フラット・パック”のメンバーが、50代を迎える頃合いになって、以前のようにヒット作を生み出せなくなり、失敗作続きとなっている現状を指摘するもの。そして今や、彼らの弟分であった、セス・ローゲンやジョナ・ヒルなどが、その座を奪いつつあるという内容だった。 なるほど、“フラット・パック”の中心メンバーで言えば、コメディ映画から、『フォックスキャッチャー』(14)『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(15)『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(17)などの“実話もの”に舵を切ったスティーヴ・カレルが、“演技者”として一人気を吐いているものの、他の面々は失速して、以前の輝きは失いつつあったのは、否めない。 “フラット・パック”棟梁格のベン・スティラーも、2013年暮れに「アカデミー賞」狙いで公開した製作・監督・主演の『LIFE!』が、興行&批評的に「今イチ」の結果に終わってしまった辺りから、どうも「パッとしない」感が強まっている。またジャック・ブラックの主演作も、2010年代前半には、興行的に失敗続きとなっていた。その後ブラックは、『ジュマンジ』という大ヒットシリーズ(17・19)に出演し、一息ついた感はあるが。 一方では皆様ご存知の通り、ロバート・ダウニー・Jrはこの10年余を、全世界を席捲する「MCU=マーベル・シネマティック・ユニバース」の要、“アイアンマン”ことトニー・スターク役で駆け抜けてきた。そして押しも押されぬ大スターの座を、ゲットした。 本作『トロピック・サンダー』の頃とは、地位が逆転しまった感もある3人だが、いずれもまだ“50代”。今後芸達者な3人が再び集う、“おバカコメディ”なども観てみたい気がする。■ 『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』COPYRIGHT © 2011 DREAMWORKS LLC. 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PROGRAM/放送作品
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
IMF解散!?謎の組織とのバトルを、迫力のアクション満載に描く大人気スパイアクション・シリーズ第5作
トム・クルーズが『アウトロー』の監督でもある盟友クリストファー・マッカリーと再タッグ。離陸した輸送機にしがみついたまま飛んでいくオープニングや長時間の潜水任務など、シリーズ恒例の危険なスタントが満載。
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COLUMN/コラム2019.09.27
名優ダスティン・ホフマンを引き立てた、“美青年”。 トム・クルーズ20代の軌跡 『レインマン』
26歳のチャーリー・バビットは、ロサンゼルスに住む、中古車のディーラー。車を安く買い付けては、詐欺師顔負けの巧みなトークで、顧客に高く売り付けている。 そんな彼の元にある日、不仲で没交渉だった父の訃報が届いた。チャーリーは恋人のスザンナを連れ、シンシナティの実家を訪れるが、遺言により、父の財産300万㌦が「匿名の」人物に贈られたことを知り、ショックを受ける。 納得がいかないチャーリーは、亡父の友人で財産の管財人となった医師の病院を訪問。そこで、今までその存在を知らなかった、実の兄レイモンドと出会う。 他者との意思疎通が難しい“自閉症”のため、この病院に長らく預けられていたレイモンド。そしてチャーリーは、この兄こそが、父の遺産が贈られた当人だと知る。 チャーリーは遺産を手に入れようと、レイモンドを強引に連れ出す。“自閉症”だが、天才的な記憶力を持つ兄との旅は、トラブル続き。しかし当初は金目当てだったチャーリーに、忘れていた“大切なこと”を思い出させていく。 そして長く離れ離れだった兄弟の絆も、徐々に深まっていくかのように思われたが…。 1988年12月のアメリカ公開(日本公開は翌89年2月)と同時に、観客からも批評家からも圧倒的な支持をもって迎えられた、本作『レインマン』。「第61回アカデミー賞」では、作品、監督、脚本、そして主演男優の主要4部門を制した。 その結果からもわかる通り、“タイトルロール”である“レインマン”=兄のレイモンド役のダスティン・ホフマンの演技が、とにかく素晴らしい。アカデミー賞の演技部門は、伝統的に“障害者”を演じた俳優が有利というセオリーはあるものの、そのリアルな“自閉症”演技は、製作から30年余経った今日見ても、色褪せない「名演」である。 一方で今回初見の方などは、弟のチャーリーを演じた、20代中盤のトム・クルーズの「美青年」ぶりに、驚きを覚えるかも知れない。その演技も、賞賛に値する。父との確執が起因して、傲慢且つ偽悪的に振舞いながら、兄との旅の中で、持ち前の繊細さや優しさが滲み出てくる様など、確実に、ホフマンの演技を引き立てる役割を果たしている。 1962年生まれ、50代後半となった現在は、すっかりスタント要らずの“アクションスター”のイメージが強いトム。しかしこの頃の彼には、そんなイメージは、微塵もなかった…。 元々トムが注目されるようになったのは、『タップス』(81)『アウトサイダー』(83)など、青春映画での脇役。この頃は、80年代前半のハリウッドを席捲した、若手俳優の一団“ブラット・パック”末端の構成員のような見られ方もしていた。 しかし、初主演作『卒業白書』(83)がヒット。続いて『トップガン』(86)が、世界的なメガヒットとなったことで、若手の中では頭ひとつ抜けた存在になっていく。 更に高みを目指すトムが挑んだのは、今どきの言い方で言えば、“ハリウッド・レジェンド”たちとの共演だった。年上の大先輩の演技を間近で見ることによって、彼らの仕事っぷりを吸収しようというわけだ。 その最初の機会となったのは、1925年生まれ、トムより37歳年長であるスーパースター、ポール・ニューマンが主演する『ハスラー2』(86)。ニューマンが若き日に『ハスラー』(61)で演じたビリヤードの名手エディを、再び演じるという企画だった。 ニューマンと、監督を務めるマーティン・スコセッシの熱望を受けて、トムが演じることになったのは、才能はあるが傲慢なハスラーで、エディの弟子となる若者の役。若き日のエディ≒ニューマンを彷彿させるような役どころだが、当初は偉大なニューマンの邪魔になることを恐れ、トムは出演を躊躇したという。 しかしいざ撮影を控えてのミーティングに入ると、ニューマンとトムとの相性は、最高だった。役に必要なビリヤードの腕を磨きながら、リハーサルそして撮影を通じて、交流を深めていった2人。私生活で12歳の時に実父に去られているトムは、ニューマンを父親のように慕った。数年前に28歳だった長男を、麻薬の過剰摂取で亡くしているニューマンにとっても、トムは息子のように思える存在になっていった。 因みにスピード狂で、プロのレーサーとしても実績を残しているニューマンの影響を受けて、その後トムも、カーレースに夢中になる。これはカーチェイスシーンでもノー・スタントを通す、今日のトムの在り方に、繋がっているとも言える。 『ハスラー2』は、大ヒットを記録すると同時に、それまでに6度もアカデミー賞主演男優賞の候補になりながら賞を逃し続けてきたニューマンが、7度目の候補にして、初のオスカー像を手にする結果をもたらした。ニューマンはアカデミー賞の候補になった時点で、トムに電報を送ったという。 「もし、私が受賞したら、オスカー像は私のものでなく、我々のものだ。きみは、それだけの働きをした」 自らは助演男優賞の候補にもならなかったトムだが、その電報には感動の涙を流し、大切に額に入れ、ニューヨークのアパートの壁に飾ったという。 そしてニューマンに続き、トムが共演することになった“ハリウッド・レジェンド”が、1937年生まれでトムより25歳年長の、ダスティン・ホフマンだった。 『レインマン』でホフマンには、当初弟のチャーリー役が想定されていたという。しかし脚本を読んだホフマンが、兄のレイモンドを演じることを熱望したと言われる。 その上でホフマンがチャーリー役の候補として挙げたのは、当初はジャック・ニコルソンやビル・マーレー。こちらのキャストが実現していたら、かなり毛色の違った作品になったであろうが、最終的にはトムにオファーすることとなった。 実は映画界に入りたての頃、トムは友人のショーン・ペンと共に、ビバリーヒルズのホフマン邸の前に車を乗りつけて、呼び鈴を押してみろと、お互いをけしかけ合ったことがあった。結局2人とも怖気づいて、呼び鈴を鳴らすことはなかった。それから数年が経ち、トムは憧れていた大スターのお眼鏡にかない、その弟を演じることが決まったわけである。 しかし『レインマン』の製作は、様々な局面で難航した。まず“自閉症”の男が主役という題材に、製作費を出そうという映画会社がなかなか見つからなかった。 更には、監督交代劇が相次いだ。『ビバリーヒルズ・コップ』(84)や『ミッドナイト・ラン』(88)などのマーティン・ブレストや、あのスティーヴン・スピルバーグ、ホフマンとは『トッツィー』(82)で組んでいるシドニー・ポラックなどが、製作準備に入っては、様々な事情で去っていった。 このような局面にありながらも、ホフマンとトムは、精力的に本作のための取材を進めた。サンディエゴと東海岸の医療専門家に話を聞き、数十人の“自閉症”患者やその家族と面会。患者たちと一緒に、食事やボウリングをしたりなどの交流を行った。 因みにホフマンが、“自閉症”ながら天才的能力を持つ、レイモンド役のモデルとして参考にしたと言われるのが、キム・ピーク氏(1951~2009)。本作の中でレイモンドが、宿泊したホテルの電話帳を読み、そこに載った電話番号を全部記憶してしまったり、床にばら撒かれた楊枝の数を咄嗟に言い当てるエピソードなどが登場するが、そのモチーフとなったのは、キム氏が実際に持つ能力だった。 何はともかく、監督が決まらない中でも、この企画が頓挫しなかったのは、熱心なリサーチを続けた、主演2人の情熱があったからこそだと言われる。トムにとっては、「演技の虫」とも言えるホフマンの役作りを間近に見たことは、大いに刺激となった。 そうこうしている内にようやく、それまでに『ナチュラル』(84)や『グッドモーニング,ベトナム』(87)といったヒット作を手掛けてきたバリー・レヴィンソンが、『レインマン』のメガフォンを取ることが決まった。レヴィンソンは本作に関して、チャーリーとレイモンド以外のキャラクターの葛藤を排した、兄と弟の“ロードムービー”という要素を、より強めるという方針を打ち出した。 いざ撮影が始まると、「朝早く起きてエクササイズをして、撮影が終わってからはセリフの練習。寝る前にもう一度エクササイズ。そしてその合間にはとにかくリハーサルをやりたがる」というトムの姿勢に、ホフマンからの称賛がやまなかった。トムは撮影が終わった夜も、ひっきりなしにホフマンの部屋を訪れては、相談を持ち掛けたという。 本作ではホフマンは、基本的には“自閉症”患者として、喜怒哀楽を表すことがほとんどない。一方でそれを受けるトムは、様々な演技のバリエーションを見せないと、そのシーンがもたなくなる。先にも記したが、結果的にホフマンの「名演」も、トムの頑張りがあってこそ、引き立ったわけである。 ホフマンは『レインマン』で、『クレイマー、クレイマー』(79)以来、8年振り2度目のオスカーを手にすることになった。一方で今回もトムは、アカデミー賞の候補になることはなかった。 しかしニューマンに続く、ホフマンとの共演によって、トムのこの時点での“映画スター”としての方向性は、固まった。当然偉大な先輩たちのように、いずれ“アカデミー賞俳優”になることを、視野に入れていたと思われる。 『レインマン』に続いての出演作は、オリバー・ストーン監督の反戦映画『7月4日に生まれて』(89)。ベトナム戦争の戦傷で、車椅子生活を余儀なくされる、実在の帰還兵ロン・コーヴィックを演じたトムは、初めてアカデミー賞主演男優賞の候補となった。 “障害者”を演じると、アカデミー賞が近づくセオリー…。しかしこの年のオスカーは、『マイ・レフト・フット』で、脳性麻痺の青年を演じた、ダニエル・デイ=ルイスへと贈られた。 その後トムは、『ア・フュー・グッドメン』(92)で、ジャック・ニコルソンと共演。アカデミー賞の作品賞、助演男優賞、編集賞、音響賞にノミネートされたこの作品では、自らのノミネートは逃したが、キャメロン・クロウ監督の『ザ・エージェント』(96)では主演男優賞、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』(99)では助演男優賞の、それぞれ候補となった。受賞はならずとも、いずれはオスカーを手にする俳優という評価は、この頃までは揺るがなかったように思う。 そんな中で、自ら製作・主演する『ミッション;インポッシブル』シリーズが、96年にスタート。その時はまだ、「へえ、トム・クルーズって、“アクション映画”にも出るんだ」という印象が強かった。 しかしそれから20数年経って、今や『ミッション…』は、トムの代名詞のようなシリーズに。と同時に彼は、すっかりオスカー像からは遠ざかった、“アクション馬鹿一代”的な存在のスターになっていた。 ここで比較したいのが、初のノミネート時のライバルで、トムを破ったダニエル・デイ=ルイス。彼はその後、靴職人になるための修行で2000年前後に俳優を休業するも、『ハスラー2』のスコセッシ監督に乞われて、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)で復帰と同時に、いきなりオスカー候補に。 その後『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン監督の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』 (07)、スピルバーグ監督の『リンカーン』(12)で、2度目・3度目の主演男優賞を獲得。アカデミー賞史上で唯一人、主演男優賞を3度受賞するという偉業を成し遂げた。 アカデミー賞を度々獲るような俳優の方が、高級なキャリアというわけでは、決してない。しかしポール・ニューマンやダスティン・ホフマンといった名優に実地で学びながら、明らかにそちらの方向を目指していたであろうトムの歩みは、どこから大きく違っていったのであろうか? 世界各国でカルト宗教と目される「サイエントロジー」を、トムが熱心に信仰するようになったことと、無関係とは言えまい。一流の“映画スター”でありながらも、いつしかスキャンダラスな印象が拭えなくなっていったのが、こうした歩みを選ばせたのか? しかしそれはまた、別の話。稿を改めないと、とても語り尽くせないことである。■ 『レインマン』© 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)デイズ・オブ・サンダー【TBS版】
スピードに青春を懸けたレース版『トップガン』。トム・クルーズ&ニコール・キッドマンの初競演作
『トップガン』のトニー・スコット監督&トム・クルーズのコンビが、ストックカー・レースの世界を迫力のレース・シーン満載に魅せる。トム自ら原案を担当。後に結婚するニコール・キッドマンとの初競演作でもある。
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COLUMN/コラム2014.10.18
【3ヶ月連続キューブリック特集 最終回】キューブリック映画の偽造空間〜『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』
今や映画は、劇中の舞台が世界各国のどこであろうと、再現に不可能はない。俳優をグリーン(ないしはブルー)スクリーンの前で演技をさせ、CGによって作られた仮想背景と合成する[デジタル・バックロット]によって、映画は地理的な制約を取り去ったのだ。 ただ、あくまで作り手が現場の持つ風景や空気にこだわるか、あるいは演じる俳優の感情を高める場合、実地におもむいて撮影をする。それが容易でなければ、舞台となる土地とよく似た場所を探しだし、パリならパリ、香港なら香港のように見せかけて撮る。デジタルの時代にあっても、映画作りの基本はやはりそこにあるといえるだろう。 スタンリー・キューブリック監督の映画の場合、舞台を実地に求めることはなく、ほとんどが後者だ。1962年の『ロリータ』以降、アメリカからイギリスに移り住んだキューブリックは、自作を全て同国にて撮影している。アメリカが舞台の『博士の異常な愛情』(64)も『シャイニング』(80)も、主要なドラマシーンはイギリスにて撮影が行われているのだ。 既存からではない、世界の創造。これぞ完璧主義の監督らしい果敢なチャレンジといえるだろう。だが完璧を標榜するのならば、コロラドが舞台ならコロラドで撮影するのが理にかなっている。たとえば東京をロンドンで再現したところで、東京で撮影する現場のリアリティや説得力にはかなわないのだ。 そのせいか、キューブリックの映画に登場する風景やランドスケープは、その場所を徹底的に造り上げながらも決してその場所ではない、どこか不思議な人工感を覚える。自然光を基調とするリアルなライティングや、徹底した美術設定がより違和感を際立たせているのだ。そしてこの「ナチュラルに構築された人為性」もまた、氏の超然とした作風の一助となっているのである。 『フルメタル・ジャケット』(87)も先の例に漏れず、劇中に登場するベトナムは、そのほとんどがイギリスでの撮影によるものだ。特に後半、海兵隊員たちが正体不明のスナイパーから狙撃を受け、兵士が一人、また一人と息の根を止められていくシークエンスは、ロンドン郊外のコークス精錬工場の跡地がベトナムの都市・フエ(ユエ)として演出されている。ベトナム映画によく登場する密林地帯ではなく、市街地が舞台ということもあって、そこにひときわ異質さを覚えた人は多いだろう。 『ディア・ハンター』(78)や『地獄の黙示録』(79)など、これまでベトナム戦争を描いてきた作品は、タイやフィリピンなど東南アジアでロケが敢行されてきた。ことに『フルメタル〜』の公開された頃は、米アカデミー作品賞を受賞した『プラトーン』(86)を皮切りに『ハンバーガー・ヒル』や『ハノイ・ヒルトン』(87)『カジュアリティーズ』(89)など、多くのベトナム戦争映画が量産されている。これら作品はよりベトナム戦争のアクチュアルな描写に食い込んでいこうと、苛烈を極めたジャングルでの戦いに焦点を定め、リアルな画作りを標榜している。そのことが『フルメタル〜』の、市街での戦闘シーンをより独自的なものに感じさせたのだ。 こうしたキューブリックの偽造空間は、批評のやり玉にあげられることもある。「あの映画を二回くらい観れば、パリス島のシーンに灯火管制下の英国の道路標識みたいなものがあるのに気づくようになる」とは、軍史家リー・ブリミコウム=ウッドの弁だ(デイヴィッド・ヒューズ著「キューブリック全書」フィルムアート社刊より)。しかしウッドはそう指摘しながらも、本作が兵器考証や歴史考証の精巧さでもって、この映画が多くの観客をあざむいていることを認めているのである。 ともあれ、こうした『フルメタル〜』の持つ異質な外観が、ベトナム戦争映画という固有のジャンルに留まらず、ひいては争いという行為の真核へと迫る「戦争映画」としての性質を高めているのもうなづける。手の込んだキューブリックの偽造空間術は、イビツながらも相応の効果を生んでいるといえるだろう。 ■ロンドンにニューヨーク市街を築いた『アイズ ワイド シャット』 『フルメタル・ジャケット』の次に製作された『アイズ ワイド シャット』(99)は、こうしたキューブリックの偽造空間主義に、いよいよ終止符が打たれるのでは? と思われた作品だ。 原作は1920年代のウィーンを舞台とする官能サスペンスだが、それを現代のニューヨークに変更した時点で、本作は現地ロケの可能性を臭わせていた。もともとニューヨーカーだったキューブリックだけに、場所に対する土地勘もある。なにより多忙な世界的スターであるトム・クルーズを、ロンドンに長期拘束するはずがないというのが、映画ジャーナリスト共通の見解だったのである。 しかし秘密主義だったキューブリック作品の常で『アイズ ワイド シャット』の全貌は公開まで伏せられた。そして公開された本作を観客は目の当たりにし、舞台のニューヨークは明らかに「ニューヨークでありながらもニューヨークではない」キューブリックの偽造空間演出の継続によって作られたことを知るのである。そしてアジアをロンドンに再現した『フルメタル〜』を凌ぐ「ニューヨークをロンドンで再現する」という、ねじれ曲がった撮影アプローチに誰もが驚愕したのだ。 さらに公開後『アイズ ワイド シャット』のそれは、もはや常規を逸した規模のものだったことが明らかになる。 アメリカ映画撮影協会の機関誌「アメリカン・シネマトグラファー」1999年10月号で、ロンドン郊外にあるパインウッドスタジオの敷地内に建設された、ニューヨーク市街の巨大セットのスチールが掲載された。さらには2008年11月には、500ページ・重量5キロに及ぶ豪華本「スタンリー・キューブリック アーカイブズ」の中で、トム・クルーズがスクリーンの前に立ち、そのスクリーンにニューヨークの実景を映写して撮影する[スクリーン・プロセス]のメイキングスチールが掲載されている。どれもニューヨークでロケ撮影をすれば容易なショットを、まるで『2001年宇宙の旅』(68)もかくやのような特撮ステージと視覚効果によって得ていたことが明らかになったのだ。 その大掛かりな撮影のために、同作にかかった製作費は6500万ドル。トム・クルーズの高額の出演料を考慮しても、あるいはギネスブックに認定されるほどの長期撮影期間を差し引いても、キューブリック映画史上最高額となるこの数字が、偽造空間に執着することの異常さを物語っている。 ■キューブリック、偽造空間主義の真意 それにしてもキューブリックは、なぜそこまでしてイギリスでの撮影に固執するのだろう? 大の飛行機嫌いで遠距離の移動を嫌うとも、あるいはアクティブな性格でないために、日帰りできる範囲を撮影現場にするといった、数限りない伝説が氏を勝手に語り、イギリスを出ないキューブリック映画を一方的に裏付けている。 『アイズ ワイド シャット』は公開を待たずにキューブリックが亡くなったため、その偽造空間の真意を知ることはままならない。しかし『フルメタル・ジャケット』に関しては、本人のホットな証言が身近に残されている。月刊誌「イメージフォーラム」(ダゲレオ出版刊)1988年6月号の特集「戦争映画の最前線」における、キューブリックのインタビューだ。 同記事は『フルメタル』日本公開のパブリシティに連動したものだが、聞き手は日本人(河原畑寧氏)によるもので、それだけでも相当なレアケースといえる。 この文章中、キューブリックは「現地ロケをするつもりはなかったのか?」という問いに対し、 「東南アジアへ行くことも考えたが、英国で格好の場所が見つかった。石炭からガスを抽出する工場の廃墟だ。建物は三十年代のドイツの建築家の設計で、とても広くて、記録写真で見るユエやダナンの風景ともよく似ていた。(中略)しかも、爆発しようが火をつけようがかまわないという。そんなことが出来る場所が、世界中探しても他にあるかね? (中略)たとえベトナムの現地に出かけたところで、建物を破壊したり燃やしたりは出来ない」 と、自身のイギリス拘束をむげに正当化するものではなく、極めて合理的な回答をしている。さらには劇中に登場するベトナム人は、英国にあるベトナム人居住区に人材を求めたことなど、無理してイギリスを出る理由がなかったことも付け加えている。詳細を追求してみれば、真実は意外にあっさりしたものだ。 同時にキューブリックはこのインタビュー中「日本に来ませんか?」という問いかけに対し、 「行きたいと思っている。ここから(ロンドン)だとロサンゼルスと同じくらいの時間で行けるはずだね」 と、ささいな会話のやりとりながら、飛行機アレルギーや出不精といった伝説を自らやんわりと否定している。 ハリウッドに干渉されないための映画作りを求め、イギリスに移り住んだキューブリック。そこで気心の知れたスタッフや、ウェルメイドな製作体制を得たことが、氏にとって創作の最大の武器になったのだ。 キューブリックの偽装空間は、こうした作家主義の表象に他ならない。そして、その作家主義を商業映画のフィールドで行使できるところに、この人物の偉大さがうかがえるのである。 生前、キューブリックが日本にくることはかなわなかった。しかし氏の遺した作品が、時間や場所を越境し、今もこうして議論が費やされ、さまざまな角度から検証されている。 三回にわたる集中連載、まだまだ語り足りないところがあるが、次に機会を残して幕を閉じたい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション
IMF解散!?謎の組織とのバトルを、迫力のアクション満載に描く大人気スパイアクション・シリーズ第5作
トム・クルーズが『アウトロー』の監督でもある盟友クリストファー・マッカリーと再タッグ。離陸した輸送機にしがみついたまま飛んでいくオープニングや長時間の潜水任務など、シリーズ恒例の危険なスタントが満載。
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COLUMN/コラム2011.12.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2011年12月】THEシネマン
ト ムが演じるのは、タクシーで移動し一晩で5人を殺害していくプロの殺し屋。そんな客を乗せるハメになった運転手を演じるのが、本作で注目されブレイクした ジェイミー・フォックス。なので、世の中的には彼の作品となっています。。しかし、そこはトム。クライマックスでやっぱり走ります(追いかけっこ)。しか も役の設定年齢を一切感じさせない(笑)激走。走る俳優トム・クルーズの真骨頂が見られるので僕的にはトムの作品です! TM & © 2011 DREAMWORKS LLC AND PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.