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PROGRAM/放送作品
フランシスコの2人の息子
歌声は翼にのって夢の彼方へ!アーティストを支えた家族愛を描く、感動の実話!
ブラジルでは知らぬ者はいないといわれるトップ・アーティスト、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノが、スターになるまでの苦難を実話にもとづいて映画化!美しい歌声にいやされる感動の物語!
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COLUMN/コラム2017.12.09
12月8日(金)公開『オリエント急行殺人事件』!なんでもできる人・ケネス・ブラナーがこのクラシックにどう挑むか!?
原作者の曽孫も賞賛する、ブラナー版『オリエント急行殺人事件』の独自性 ひとつの難事件を解き終え、イスタンブールからイギリスに向かうべく、オリエント急行に乗り込んだ名探偵エルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)。そこで出会ったアメリカ人の富豪、ラチェット(ジョニー・デップ)に身辺警護を頼まれるが、ポアロはあっさりと断ってしまう。だがその夜、雪崩のために脱線し、立ち往生を食らったオリエント急行の客室で、刺殺体となったラチェットが発見される……。「マルチキャスト」「オールスター」「アンサンブル共演」etcー。呼び名は多様だが、主役から端役に至るまで、登場人物すべてをスター級の俳優で固める映画というのは、ハリウッド・クラシックの優雅なスタイルだ。時代の趨勢によってその数は縮小されていったが、それでも夏休みや正月興行の花形としてときおり顔を出すのは、それが今もなお高い集客要素を包含しているからに相違ない。 そんなマルチキャスト方式の代表作ともいえる『オリエント急行殺人事件』は、ミステリー小説の女王として名高いアガサ・クリスティの原作のなかで、最も有名なものだろう。これまでに何度も映像化がなされ、とりわけシドニー・ルメット監督(『十二人の怒れる男』(57)『狼たちの午後』(75))による1974年のバージョンが、この偉大な古典の映画翻案として多くの人に「衝撃の結末」に触れる機会を与えてきた。 今回、ケネス・ブラナーが監督主演を務めた新生『オリエント急行殺人事件』は、そんなルメット版を踏まえ、徹底した豪華スターの共演がなされている。しかしどちらの作品も、マルチキャストは単に集客性を高めるだけのものではない。劇中におけるサプライズを成立させるための重大な要素であり、必要不可欠なものなのだ。ありがたいことにミステリー愛好家たちの努力と紳士協定によって、作品の命といえるオチに関しては「ルークの父親はダース・ヴェイダー」よりかろうじて秘密が保たれている。なので幸運にして本作の結末を知らない人は、この機会にぜひ「なぜ豪華キャストでないとオチが成立しないのか?」という驚きに触れてみるといい。 とはいえ、モノが徹頭徹尾同じであれば、長年愛されてきたアガサの原作にあたるか、最良の映画化であるルメット版を観れば事足りるだろう。しかし今回の『オリエント急行殺人事件』は、過去のものとは一線を画する価値を有している。 そのひとつとして、ブラナー監督が同時に稀代の名探偵である主人公ポアロを演じている点が挙げられるだろう。『愛と死の間で』(91)や『フランケンシュタイン』(94)など、氏が主役と監督を兼ねるケースは少なくない。しかしアガサ・クリスティ社(ACL)の会長兼CEOであるジェームズ・プリチャードによると、このアプローチに関し、今回は極めて強い正当性があるという。いわく、「ポアロという人物はこの物語の中で、登場人物全員を指揮している立場であり、ある意味で監督のような仕事をしている存在です」とーー。 かつてさまざまな名優たちが、ポアロというエキセントリックな名探偵を演じてきた。しかしこの『オリエント急行殺人事件』におけるブラナーのポアロは、プリチャードが指摘する「物語を指揮する立場」としての役割が色濃い。列車内での殺人事件という、限定された空間に置かれたポアロは、乗客たちのアリバイを事件と重ね合わせて検証し、理論づけて全体像を構成し、犯人像を浮かび上がらせていく。確かにこのプロセスは、あらゆる要素を統括し、想像を具象化する映画監督のそれと共通している。だからこそ、役者であると同時に監督としてのスキルを持つ、ブラナーの必要性がそこにはあるのだ。 さらにはブラナーの鋭意な取り組みによって、この『オリエント急行〜』は原作やルメット版を越境していく。完全犯罪のアリバイを解くだけにとどまらず「なぜ容疑者は殺人を犯さなければならなかったのか?」という加害者側の意識へと踏み込むことで、この映画を犯罪ミステリーという立ち位置から、人が人を断罪することへの是非を問うヒューマニティなドラマへと一歩先を行かせているのだ。シェイクスピア俳優としてイギリス演劇界にその名を馳せ、また監督として、人間存在の悲劇に迫るシェイクスピアの代表作『ヘンリー五世』(89)や『ハムレット』(96)を映画化した、ブラナーならではの作家性を反映したのが今回の『オリエント急行殺人事件』最大の特徴だ。ブラナーが関与することで得られた成果に対し、プリチャードは賞賛を惜しまない。 「ケネスは兼任監督として、ものすごいリサーチと時間と労力をこの作品に注いでくれました。映画からは、そんな膨大なエネルギー量が画面を通して伝わってきます。『オリエント急行殺人事件』はアガサの小説の中でも、もっとも映像化が困難な作品です。しかしケネスの才能あってこそ、今回はそれをやり遂げることができたといえるでしょう」 ブラナー版の美点は、先に挙げた要素だけにとどまらない。密室劇に重きを置いたルメット版とは異なり、冬場の風景や優雅な客車の移動ショットなど、視覚的な攻めにも独自性がみられるし、『ハムレット』で実践した65mmフィルムによる撮影を敢行し、マルチキャスト同様にクラシカルな大作映画の優雅さを追求してもいる。 『忠臣蔵』や『ロミオとジュリエット』のような古典演目が演出家次第で表情を変えるように、ケネス・ブラナーの存在を大きく誇示する今回の『オリエント急行殺人事件』。そうしたリメイクのあり方に対する、原作ファンや観客の受け止め方はさまざまだ。だが殺人サスペンスという形式を用い、人の愚かさや素晴らしさを趣向を凝らし描いてきた、そんなアガサ・クリスティのマインドは誰しもが感じるだろう。 古典を今の規格に適合させることだけが、リメイクの意義ではない。古典が持つ普遍的なテーマやメッセージを現代に伝えることも、リメイクの切要な役割なのである。■ © 2015 BY EMI FILM DISTRIBUTORS LTD. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
張り込み
シアトルを舞台に、張り込み捜査に当たる刑事の活躍と恋を描いたアクション・ラブストーリー
世に刑事アクション映画は数あれど、とことん“張り込み”に特化した作品というのも珍しい。刑事と監視対象が恋に落ちることから、ラブコメ的要素もたっぷり。舞台となるシアトルの街の描写も素敵だ。
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COLUMN/コラム2017.10.05
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年10月】うず潮
不慮な事故で死んでしまった彼女がゾンビになっても彼を愛し続ける!元カノ(ゾンビ)と今カノの間で揺れる青年の顛末を描くゾンビ・コメディ!監督は『グレムリン』シリーズなどのヒット作を手がけたジョー・ダンテ。御年70歳を迎えても精力的に作品を造り続ける彼は、『冒険野郎マクガイバー』の新TVシリーズ『MACGYVER/マクガイバー』でも監督しています(スゴイ!)。そんな彼が66歳の時に撮ったのがこの『ゾンビ・ガール』。熟練の技によるおバカ加減が絶妙で、『シッチェス映画祭ファンタスティック・セレクション2015』にて全国劇場公開された話題をさらいました! 三角関係で揺れるホラー映画マニア青年マックス役を、『ターミネーター4』『スター・トレック』新シリーズに出演した新鋭アントン・イェルチンが軽妙に演じ、その彼女でゾンビになっても彼を愛し続けるイタイ役を、『トワイライト・サーガ』シリーズに出演したアシュリー・グリーンがウザさMAXで好演。さらに2012年の「世界で最も美しい顔100人」の第3位に輝いたアレクサンドラ・ダダリオがキュートに今カノを演じています。彼女は『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』シリーズ(ザ・シネマで10月放送)にも出演していて、そのお顔はお美しいのひと言。元カノ(ゾンビ)と今カノの美女ふたりに言い寄られる彼の行動にツッコミを入れながら見るとより楽しい1本です!■ ©2014 BTX NEVADA, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
張り込みプラス
前作から6年、まったく成長が見られない低次元オトナ子供の刑事2人が再び張り込み任務に就く!
軽快な刑事アクションコメディ第2弾。漁港で魚の樽に落ちながら犯人と格闘するという、映画史上もっとも生臭そうなシーンでお馴染みの前作だが、それを上回る第2弾の強烈スメリー格闘場面は、ある意味最大の見所!
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COLUMN/コラム2017.04.09
Mr.ズーキーパーの婚活動物園
「動物園の飼育員となんて結婚できないわ!」恋人ステファニーにプロポーズをするも、そんな捨てゼリフでフラれたグリフィン。それから5年。仕事に打ち込んだ彼は飼育係のリーダーになっていたものの、心は打ち砕かれたままだった。そんなある日、グリフィンは兄の結婚披露宴会場として動物園を貸し出したのだが、そこに彼女がゲストとして招かれているではないか!「一緒にカー・ディーラーをやろうぜ。そうすれば彼女を取り戻せるぞ」いまだにステファニーを諦めきれないグリフィンは、そんな兄の誘いに乗って、本気で退職を考えるようになってしまう。 困ったのは動物たちだ。「あんな最高の飼育員を辞めさせるわけにはいかない。彼の仕事を辞めさせずに婚活を成功させようぜ!」 動物界のルールを破って人間語で話しかけて来た動物たちから、ワイルドな恋のアドバイスを伝授されたグリフィンはステファニーへの再アタックに挑戦するのだが……。 動物が人間の言葉を話す映画は星の数ほどあるけれど、大抵アニメっぽいキャラ。それを打ち砕いたのが、エディ・マーフィ主演の『ドクター・ドリトル』シリーズ(98〜01年)だった。同作は、当時最先端のCGを駆使して、リアルな動物が人間の言葉を喋るのを違和感なく見せて大ヒットを記録したのである。 2011年に公開された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』は、この手法をさらに進化させて約1億7000万ドルもの興行収益を叩き出したメガヒット・コメディだ。ディズニー製作の大ヒット作『ジャングル・ブック』(16年)は間違いなく本作の延長線上にある。 ここで『ジャングル・ブック』を連想するのは、同作の監督で俳優でもあるジョン・ファヴローが、本作でクマの声優を務めているからだ。ファヴローがあの傑作を演出できたのも、本作で色々とノウハウを得たからではないだろうか。 そのひとつが声優選び。『ジャングル・ブック』ではビル・マーレイやイドリス・エルバ、スカーレット・ヨハンソン、クリストファー・ウォーケンといった人気俳優が、声色にぴったり合う動物の声優を務めていたけど、『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はそれを先駆けたかのようなキャスティングが行なわれているのだ。そのメンツをざっと挙げてみよう。 まず『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』(91年)でゴールデングローブ賞を受賞したシリアスな俳優でありながら『48時間』(82年)では前述のエディ・マーフィと共演し、ファヴローともアニメ『森のリトル・ギャング』(06年)で動物声優として共演していたニック・ノルティがストーリーの鍵を握るゴリラ役。 アクション・ムービー界の伝説シルヴェスター・スタローンと、シンガーであり『月の輝く夜に』(87年)でアカデミー主演女優賞を獲得しているシェールという濃厚なコンビはライオンの夫婦を演じている。 『サタデー・ナイト・ライブ』出身のコメディエンヌでポール・トーマス・アンダーソンのパートナーでもあるマーヤ・ルドルフがキリン、『40歳の童貞男』(05年)や『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15年)を監督する傍ら、セス・ローゲンやジェイソン・シーゲルといった若手コメディ・スターの育ての親として知られるジャド・アパトーがゾウ、そしコメディ・レジェンド、アダム・サンドラーがサル(演じているクリスタルは、前述の『ドクター・ドリトル』をはじめ、『ナイト・ミュージアムシリーズ(06〜14年)や『ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える』(11年)『幸せへのキセキ』(11年)にも出演している名優サル!』の声を担当している。 通常、主演映画にしか出演しないサンドラーがこんな地味なポジションを務めているのは珍しい。実はこれにはワケがある。本作のプロデューサーはサンドラーで、製作会社は彼が主宰するハッピー・マジソンなのだ。そしてこれほどゴージャスな声優陣を招いてまでサンドラーがバックアップしようとした才能こそが、本作の主演俳優ケヴィン・ジェームズなのである。 ケヴィンはサンドラーと同じニューヨーク出身で、彼よりひとつ上の65年生まれ。スタンダップ・コメディアンとして活動し始め、兄貴分のレイ・ロマーノが主演したシットコム、『HEY!レイモンド』(96〜05年)への出演をきっかけに、やはりシットコム『The King of Queens』(98〜07年)の主演に抜擢。下町クイーンズで宅配業者として働く中年男役でブレイクした男だ。 本格的な映画出演は、ウィル・スミスが非モテ男に恋愛術を指南する<デートドクター>に扮したロマンティック・コメディ『最後の恋のはじめ方』(05年)から。この作品でケヴィンは、スミスの顧客となる究極の非モテ男アルバートに扮して、笑いを根こそぎかっさらうパフォーマンスを披露。スミス目当てに映画館を訪れた観客にも「あの面白いデブ、誰?」と評判を呼び、大ヒットに貢献したのだった。 その勢いで出演したのが、旧知のアダム・サンドラーとのダブル主演作『チャックとラリー おかしな偽装結婚!?』(07年)だった。ここでケヴィンは、子どもに残す年金問題に悩むあまり、サンドラー扮する結婚願望ゼロのプレイボーイと偽装同性婚をする男ヤモメの消防士を好演。すでにスーパースターだったサンドラーに負けない存在感を示した。そしてサンドラーのプロデュースのもと、遂に『モール★コップ』(09年)で単独主演を実現したのだった。 警官採用試験に挑戦しては失敗を続けているドジなショッピングモールの警備員が、モールを占拠した強盗団相手に丸腰で立ち向かうこのアクション・コメディは、ケヴィンのメタボなボディを駆使したギャグに笑わされながら、『ダイ・ハード』の流れを汲むマッチョ系アクション映画としても見れるという二刀流でメガヒットを記録した。 そしてサンドラー、クリス・ロック、デヴィッド・スペード、ロブ・シュナイダーら人気コメディ俳優が集結した同窓会コメディ『アダルトボーイズ青春白書』(10年)を経て公開されたのが本作『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』だったというわけだ。 その後もケヴィンは、総合格闘技に挑戦する教師に扮したアクション・コメディ『闘魂先生 Mr.ネバーギブアップ』(12年)やそれぞれシリーズの続編となる『アダルトボーイズ遊遊白書』(13年)と『モール・コップ ラスベガスも俺が守る!』(15年)、そしてサンドラー主演のSFXコメディ『ピクセル』(15年、何と米国大統領役!)といったヒット作に立て続けに出演。一方で16年からテレビに逆上陸し、製作も兼ねたシットコム『Kevin Can Wait』に主演して人気を博している。つまりケヴィンはかれこれ20年以上もコメディ界の第一線に立ち続けていることになる。 同世代でこれだけコンスタントに長期間活躍しているコメディ・スターは前述のサンドラーやベン・スティラーくらいだろう。ふたりに比べると日本では知名度がだいぶ下がるけど、これはもはやコメディ・レジェンドとして扱っていいレベル。見かけはどこにでもいそうなデブだけど、実は頭が切れるスマート・ガイ、それがケヴィン・ジェームズなのだ。 そんな彼のパーソナリティに動物たちのチャームも加味された『Mr.ズーキーパーの婚活動物園』はケヴィン初心者にとって入門編にふさわしい作品だと思う。ヒロインのロザリオ・ドーソンとのコンビネーションの良さも心に残る仕上がりだ。 ZOOKEEPER, THE © 2010 ZOOKEEPER PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
NARC ナーク
同僚刑事の死の謎を追え!ジェイソン・パトリック×レイ・リオレッタの硬派バディ・ムービー
NARCとは「麻薬捜査官」を指す米俗語。麻薬捜査という苛烈な日常を生きる刑事たちが正義とは何かを問いかける本作のテーマは深く、ストーリーに惚れ込んだというトム・クルーズが製作に加わったことも話題に。
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COLUMN/コラム2016.05.18
ドリー・尾崎の映画技術概論 〜第2回:編集〜
■編集の成り立ち 「編集」は、映画を映画たらしめる最大の要素だ。ショットとショットを繋ぐことで、そこに意味を持つドラマやストーリーが生まれる。さらには時間や空間の跳躍を可能にし、無限の表現や可能性をもたらしてくれるのだ。 まず成り立ちだが、アメリカ映画を主体として考えた場合、起源は110年前にさかのぼる。『大列車強盗』(1903)で知られるエドウィン・S・ポーターが、イギリスで発展の途中にあった「ショットとショットを編んでストーリーを語る」という概念を自作に用い、編集のベースを築いたといっていい。さらにそれを『國民の創生』(1915)『イントレランス』(1916)のD・W・グリフィスが精巧に磨き上げた、というのが定説だ。前者は物事を順々に追っていく絵物語的な構成や、別地点を捉えたショットどうしを交差させるパラレル(並行)アクションなどを確立させ、後者は過去回想や、ショットからショットへのよりシームレスな連結、パラレルアクションのさらなる多層化など、ジャンルの草創期において編集技法の基礎を形作っている(グリフィスが「アメリカ映画の父」と称されるゆえんはそこにある)。 併せて1920年代のロシアでは、ショットのつなぎ方によって違う印象を観る者に抱かせる「クレショフの実験効果」や、ショットとショットの衝突が新たな要素や概念を生む「弁証法モンタージュ」など、レフ・クレショフやセルゲイ・エイゼンシュテイン(『戦艦ポチョムキン』(1925))といった映画作家たちの手で、編集が高度に理論化されていく(ロシアで編集理論が発達したのは、識字率の低い民衆に社会主義を啓蒙するためとも、またフィルムが高額だったためとも諸説ある)。 大略ではあるが、こうした世界各地での研究によって映画の編集は様々な方法を確立させ、より完成されたものになっていったのである。 ■アナログ編集からデジタル編集へ 編集の作業だが、映画がフィルムを媒体としていた頃は、フィルムを切り貼りして繋げるアナログなプロセスが踏まえられてきた。撮影したネガから編集用の素材プリントを焼き、それをもとにエディター(編集者)と以下スタッフらによって「粗編集」が施される。さらにはその粗編集を監督やプロデューサー、あるいは撮影監督らの意向にしたがい完成版へと整えていき、最終的には完成した形に沿ってネガを編集していく(ファイナル・カット)。こうしたスタイルの作業を「リニア(線形)編集」といい、「ムビオラ」や「ステインベック」「KEM」といった、スコープで映像を覗きながら編集点をチェックしていく専用機が、それを下支えしてきたのである。 デジタルを媒体とする現在、映画は撮影された映像をHDDに取り込んで管理し、コンピュータ上で専用ソフトを用いて編集作業をする「ノンリニア(非線形)編集」が主流となっている。初めの頃は撮像済みのフィルムをスキャンしてデジタルデータへと変換する必要があったが、カメラ自体がデジタル機器化し、フィルムレスになった現在、フルデジタルによるワークフローが確立されている。 ■デジタル・ノンリニア編集への布石~コッポラの「エレクトロニック・シネマ」構想とルーカスの「EditDroid」~ 映画におけるノンリニア編集の可能性は、デジタルの興隆以前から模索されてきた。初期のものでは1970年代に「CMX」という、ビデオベースのリニア、ならびにノンリニア編集システムが開発されている。しかし映画の世界へと持ち込むにはコストが高く、パフォーマンスも不充分であるなど問題が多かった。 こうしたビデオベースの編集システムが映画に用いられたのは、1982年、フランシス・フォード・コッポラ監督によるミュージカル恋愛劇『ワン・フロム・ザ・ハート』の製作現場においてだ。かねてより「エレクトロニック・シネマ」という構想を抱いてきたコッポラは、撮影から編集まで映画を一貫した体勢のもとに創造できないかという計画を練っていた。同作で実現したそれは、大型トレーラーに音響と映像コントロール機器を搭載し、それをスタジオと連動させることで、撮影から編集までを一括管理のもとに行なえるというものである。編集に関していえば、103CエディターとソニーのベータマックスSLO-383ビデオレコーダーを用い、オフライン編集(ネガ編集のためのデータ作成)を可能とするシステムが組まれている。同作の北米版2枚組DVDに収録された映像特典“Electronic Cinema”の中で、Avid社のデジタル編集システムの共同開発者であるトム・オハニアンは「このコンセプトこそが後のデジタル・ノンリニア編集の先駆け」だと称揚している。 また、そんなコッポラの弟子筋にあたる『スター・ウォーズ』(77〜)シリーズのジョージ・ルーカス監督が開発に関わった「EditDroid」という編集システムも無視できない。これは映像素材をレーザーディスクに保存し、それをコンピュータで操作し編集を実行するというものだった。高額やスローアクセスなどのデメリットもあり、残念ながら普及はしなかったものの、これもデジタル・ノンリニア編集のコンセプトを持ち、後のAvid編集システムのベースとなった重要なシステムといえる。 そう、そして時代はコンピュータとデジタル技術の発展を促し、それをベースとする編集システムを世に送り出していく。1989年、Avid社は自社製ワークステーションとソフトウェアによるノンリニア編集システム「Avid」を開発。映画に新たなデジタル編集の革命をもたらした。膨大な撮影素材に素早くアクセスできることで、作業に格段のスピードを与え、結果、フィルムプリントを繋いでいた頃と比べてショットの組み合わせが多様になり、より巧妙で複雑な編集を可能にしたのだ。 ■デジタル編集の功罪? カオス・シネマ こうしたデジタル編集システムを最大限に活かした監督に、オリバー・ストーンがいる。氏は伝説的ロックグループを描いた映画『ドアーズ』(91)でEditDroidを試験的に用い、最大8台のカメラで撮影した50万フィートに及ぶ素材を140分、約3900ショットにまとめている。さらにはAvidとしのぎを削ったデジタル編集システム「LIGHTWOEKS」を導入し、オプチカル合成ショットだけでなんと2000ものショット数を超える『JFK』(91)を手がけたのだ(ジョー・ハッシングとピエトロ・スカリアは本作で第64回米アカデミー編集賞を受賞)。さらにNFLの試合を圧倒的な迫力で演出した『エニィ・ギブン・サンデー』(99)では、6人もの編集担当が9台のワークステーションを駆使し、全編7000ショットに迫らんとする細切れのショット編集を極めている。70年代には1000~2000ショットを平均としたハリウッド映画に比べると、驚異的ともいうべき数字の膨れ上がり方だ。 こうしたストーンの編集アプローチは、近年「カオス・シネマ」と呼ばれ、一部では揶揄される傾向にあるようだ。『トランスフォーマー』(07〜)シリーズのマイケル・ベイや『ボーン・スプレマシー』(04)『キャプテン・フィリップス』(13)のポール・グリーングラスなど、ショットを細切れにさばいて編集する監督の存在は、今や決して珍しくはない。彼らがトライする、めまぐるしくショットの変わる編集はアクション・シークエンスをエキサイティングに表現し、観客の興奮を大いに高める。だがいっぽうで、一連の動きの流れを分かりづらくしているという批判も存在する。 ただ、デジタル・ノンリニア編集が「カオス・シネマ」の悪しき創造主なのかと問われれば、そこは微妙だ。かつてマイケル・ベイはアクション大作『ザ・ロック』(96)をAvidで編集し、上層部を招いてスクリーン試写をしたところ、ガチャガチャして画面上の状況がわかりづらいという指摘を受け、再編集を余儀なくされるという失敗を経験している。以来、当人はデジタル編集には警戒心を持って臨んでいると語っており、またポール・グリーングラスは「シネマヴェリテ」と呼ばれるドキュドラマの手法のもと『ブラディ・サンデー』(02)を手がけ、もとよりショットを積みかさねて臨場感を出すやり方は自己流のものだ。 映画編集の第一人者であり、Avid編集システムを用いた『イングリッシュ・ペイシェント』(96)で第69回米アカデミー編集賞を受賞したウォルター・マーチは、編集をテーマにした自著「映画の瞬き 映画編集という仕事」の中で以下のように語っている。 「ショット構成の素早い編集は、アメリカ映画において大きな流れとしてあり、CM(コマーシャル)やMV(ミュージックビデオ)など異なる映像分野からの人材起用が一因としてある」 また『カッティング・エッジ 映画編集のすべて』という、ハリウッド映画の編集史にフォーカスを定めた秀逸なドキュメンタリー(2004年制作)において、『未知との遭遇』(77)『シンドラーのリスト』(93)の巨匠スティーブン・スピルバーグは、 「映像が氾濫している時代の若者は、優れた映像処理能力を持っている。それに応じて映画のショット構成も早くなっているのでは?」 と論じ、こうした傾向に理解を示しつつも懐疑的だ。 確かにマーチの指摘どおり、先述したマイケル・ベイや『ゴーン・ガール』(15)のデヴィッド・フィンチャー、あるいは『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)のザック・スナイダーなど、現在活躍中の監督の多くはCM、MV分野を出自とし、80年代以降のブロックバスター・ムービーに大量投入された流派のクリエイターたちだ。またスピルバーグの論も、その懸念を含めて然りである。映画は構成された画の一つ一つに、読み解くことで成立する独自の記号や文法があり、CMやMVとは異なる編集時間を持つべきだ、とマーチは自著にて綴っている。 ただカメラがデジタル化され、記録容量の増大にともなって映像素材も膨大なものとなった現在、編集ショット数の増加傾向は「大きな流れ」としてあるものといえる。つまり「カオス・シネマ」も、それ自体が時代の趨勢によって確立されたものであり、デジタル・ノンリニア編集が生んだひとつの「成果」といえはしないだろうか? ■映画は観客の要求に応えるもの〜ロブ・コーエンが語る編集の極意〜 先の編集テンポ問題を提示した『カッティング・エッジ』において、ひとり面白い反応を見せていた人物がいる。『ワイルド・スピード』(01)の監督ロブ・コーエンだ。 ヴィン・ディーゼルをスターダムに押し上げた『トリプルX』(02)の中で、コーエン監督はあらゆる角度から捉えたエクストリームアクションのショットを構成し、独自の編集スタイルを打ち立てている。そして敵のレーダーに感知されない最新型ステルス戦闘機のエリート操縦士たちと、人工知能を搭載した無人ステルス戦闘機との壮絶なエアバトルを描いた『ステルス』(05)では、その超音速戦闘シーンを細切れのショット編集で見せ、「カオス・シネマ」を実践した一人といえる。当人はそのことを、以下のように語っている。 「僕の年齢は編集センスは70歳から始まり、どんどん逆行し、今や27歳くらいに思えてならない」 『ステルス』の日本公開時、筆者は来日インタビューで監督本人に会ったさい、先の抽象的な証言の真意を訊ねた。若返っていると感じる編集センスは、デジタル編集システムの恩恵なのか? とー。そこで氏はこう答えてくれたのである。 「デジタルの成果というよりも、若い観客に応えて作品を形成していったら、僕自身の編集センスが自然と若くなっていったのさ。お客さんが喜ぶものに従えば、自分のスタイルや方向性なんて自然と定まってくるものだよ」 編集スタイルの変化を時代の趨勢とせず、観客の声なき希求への返答と捉えたコーエン監督。ちょっとキザったらしく優等生っぽいが、編集という観点から商業映画の本質を捉えた、含蓄ある証言ではないだろうか。 ちなみにこのときのインタビュー、人工知能の反乱をスリリングに描いた点について、名作『2001年宇宙の旅』(68)の続編である『2010年』(84)からの影響ではないかと監督に指摘したところ、 「私を名匠キューブリックではなく、ピーター(ハイアムズ)と比較するのかキミは、ガッハッハ‼︎」 と豪快に笑いつつ、暴走ぎみな毒舌発言を連発していた。まぁ、そこは本テーマどおり「編集」をほどこし、あくまでも綺麗な美談として本項を閉じたい。■ Copyright © 2005 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
『ハリウッド 3大スターSP』(仮)
3大スター レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジョージ・クルーニーの軌跡や魅力に迫る特別番組。
レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジョージ・クルーニー。ハリウッドが誇る3大スターの、これまでの軌跡や役へのアプローチ、第一線で活躍し続ける、その魅力の背景に迫る特別番組。
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COLUMN/コラム2015.12.12
死体消失事件をめぐる驚愕の真実を描き、スパニッシュ・スリラー&ミステリーの充実を証明する逸品~『ロスト・ボディ』~
このジャンルにおけるハリウッドやイギリスのクリエイターたちが映画界からTVドラマ界へと活動の場をシフトする傾向が強まるなか、スペイン映画こそが約100分間ひたすらハラハラ&ドキドキする映画を楽しみたい!という私たちの欲求を補完してくれる役目を果たしているのだ。“スパニッシュ”といえば、先頃ザ・シネマでも大々的に特集が組まれた“ホラー”のレベルの高さは広く知られているが、ミステリー&スリラーの充実ぶりも目覚ましいものがある。 近年のスペイン製スリラー&ミステリーの隆盛の元をたどってみると、アレハンドロ・アメナーバル監督の『テシス/次に私が殺される』(1996)、『オープン・ユア・アイズ』(1997)、『アザーズ』(2001)の成功が思い起こされる。とりわけアメリカ資本とタッグを組み、スター女優のニコール・キッドマンを主演に据えた『アザーズ』は、国際的なマーケットにおけるスペイン映画のブランドバリューを高めたエポック・メイキングな作品となった。 その後しばらくブランクは生じるものの、スペイン産の英語作品というパターンのプロジェクトは『[リミット]』(2010)、『レッド・ライト』(2012)、『記憶探偵と鍵のかかった少女』(2013)、『グランドピアノ 狙われた黒鍵』(2013)、『MAMA』(2013)へと受け継がれて現在に至っている。 スペインのジャンル・ムービー事情を語るうえでは『TIME CRIMES タイム・クライムス』(2007)も見落とせない。新人のナチョ・ビガロンド監督が放ったこの奇想天外なタイムパラドックスSFは、低予算作品でありながらスペイン国内で大ヒットを記録し、ファンタスティック系の映画祭で数多くの賞に輝いた。このような興行的な成功例が生まれると、スタジオやスポンサーに「スリラー&ミステリーは客を呼び込める」「海外に打って出ることができる」という自信が芽生え、新たな投資への好循環が沸き起こる。このジャンルで実績を積み重ねたプロデューサーやペドロ・アルモドバル、ギレルモ・デル・トロといった大物監督のバックアップのもと、若い才能たちが次々と育ち、今まさにスペインのジャンル・ムービーは豊かな“収穫期”を迎えている感がある。 ところが日本においては、スペイン製のスリラー&ミステリーが全国的なシネコン・チェーンのスクリーンにかかることは滅多にない。ここ数年、このジャンルの愛好家である筆者が唸らされた『ヒドゥン・フェイス』(2011)、『悪人に平穏なし』(2011)、『ネスト』(2014)、『ブラックハッカー』(2014)、『マーシュランド』(2014)といった快作は、いずれも小劇場や特集上映でひっそりと紹介されるにとどまっている。これらの“宝の山”のほとんどが、今もレンタルショップの片隅で日の目を見ずに眠っているのだ。 前置きが長くなって恐縮だが、今回ピックアップする『ロスト・ボディ』(2012)も“宝の山”の中の1本である。『ロスト・アイズ』(2010)、『ロスト・フロア』(2013)という似たタイトルのスペイン映画があっていささか紛らわしいが、これはどれも『永遠のこどもたち』(2007)のベレン・ルエダが主演を務めたミステリー・スリラーであるということ以外、内容的にはまったく繋がりがない。出来ばえに関しては『ロスト・ボディ』がダントツの面白さである。 日本では特集上映〈シッチェス映画祭セレクション〉で紹介された『ロスト・ボディ』は、ある真夜中、郊外の法医学研究所の死体安置所から製薬会社オーナーである高慢な中年女性マイカの遺体が忽然と消失したところから始まる。心臓発作で急死したマイカにはアレックスという年下の夫がおり、捜査に乗り出したベテランのハイメ警部はアレックスを呼び出し、彼がマイカを殺害して死体を隠蔽したのではないかと疑って事情聴取を始めるのだが……。 映画の比較的早い段階で、ひげ面の容疑者アレックスがマイカ殺しの犯人だという事実がフラッシュバックで観る者に提示される。ミステリーの核となるのは、なぜマイカの遺体が消えたのかという点だ。アレックスは外部にいる若く美しい愛人カルラと携帯で連絡を取りながら、ハイメ警部の厳しい事情聴取をのらりくらりとかわそうとするが、アレックスを取り巻く状況は悪化の一途をたどる。次第に追いつめられたアレックスは、特殊な毒薬を使って殺害したはずのマイカは実は生きていて、自分への復讐を実行しているのではないかという強迫観念に囚われていく。アレックスがマイカの幻影に脅えるシーンは、ほとんどホラー映画のようだ。 そもそも死体安置所を備えた2階建ての法医学研究所という空間を、警察の取調室代わりに仕立てたシチュエーションの妙がすばらしい。おそらく室内シーンの大半はセットで撮られたはずで、ミステリー・スリラーでありながらホラー的なムードを濃厚に漂わせた陰影豊かな美術、照明、撮影が、この映画のクオリティの高さを裏付けている。猛烈な雨が降りしきり、雷鳴の閃光がまたたく濃密な映像世界は、いつ幽霊が出没しても不思議ではない不気味な気配を醸し出している。 こうしたオリオル・パウロ監督率いるスタッフの的確な仕事ぶり、死美人役のベレン・ルエダとホセ・コロナド、ウーゴ・シルヴァらの演技巧者たちの迫真のアンサンブルに加え、何よりこの映画はオリジナル脚本が抜群に優れている。やがて死体消失の怪事件は夜明けの訪れとともに急展開を見せ、矢継ぎ早に意外な真相が明かされていく。いわゆるどんでん返しが待ち受けているわけだが、それは単にサプライズ効果を狙ったトリッキーな仕掛けではなく、登場人物の“情念”と結びついた本格ミステリーの醍醐味を堪能させてくれる。謎だらけの死体消失事件には、ある目的を達成するために恐ろしいほどの執念を燃やす首謀者とその共犯者が存在しているのだ! 巧妙な伏線をちりばめたうえで炸裂する“驚愕の真実”と、ラスト・カットまで持続する並々ならぬ緊迫感に筆者は舌を巻いた。こんな隠れた逸品を目の当たりにするたびに、スペイン製ジャンル・ムービーの発掘はしばらく止められそうもないと感じる今日この頃である。■ ©2012 Rodar y Rodar Cine y Television/A3 Films. All Rights Reserved