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PROGRAM/放送作品
タイタニック(1997)
タイタニック号沈没事故で散った若き男女の恋…アカデミー賞11部門に輝いた大ヒット・スペクタクルロマン
1912年のタイタニック号沈没事故を題材にした悲劇の恋を、ジェームズ・キャメロン監督が実物大の客船セットや最新CG技術を駆使したスペクタクル映像で織りなす。作品賞、監督賞ほかアカデミー賞11部門受賞。
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COLUMN/コラム2020.12.03
フェリーニ映画という比類なきジャンルを確立した迷える映画監督の精神的な深層世界『8 1/2』
イタリア映画黄金期の寵児となった巨匠フェリーニ 2020年に生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ。1920年1月20日に北イタリアの沿岸都市リミニに生まれた彼は、「映画がなければサーカスの座長になっていた」と本人が語るほど、幼少期はサーカスの世界に魅了されていたという。しかし、フェリーニが大人になる頃には旅回りのサーカスも衰退し、その代わりに映画が娯楽の王様となっていた。’39年にローマの新聞社で働くようになったフェリーニだが、そこで知り合った同僚がチェザーレ・ザヴァッティーニやエットーレ・スコラ、ベルナルディーノ・ザッポーニなど、後のイタリア映画界を背負って立つ偉大な才能たち。この新聞社時代のエピソードは、スコラの遺作となったドキュメンタリー映画『フェデリコという不思議な存在』(’13)にも詳しい。 やがてラジオの放送作家としても活動するようになったフェリーニは、取材で意気投合した名優アルド・ファブリーツィの紹介で映画の脚本も手掛けるように。その頃出会ったのが、後にフェリーニ映画のミューズとなる女優ジュリエッタ・マッシーナだった。当時ラジオの声優をしていたジュリエッタとフェリーニは’43年に結婚。戦争末期に生活のため風刺画屋を始めた彼は、店を訪れた映画監督ロベルト・ロッセリーニの依頼で、ネオレアリスモ映画の傑作『無防備都市』(’45)の脚本に参加する。これを機にロッセリーニやアルベルト・ラットゥアーダのもとで修業し、映画作りのノウハウを学んでいったフェリーニは、そのラットゥアーダとの共同監督で映画『寄席の脚光』(’51)の演出を手掛ける。 次回作『白い酋長』(’52)で一本立ちした彼は、3作目『青春群像』(’53)で早くもヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。続いて妻ジュリエッタを主演に据えた『道』(’54)は日本を含む世界中で大ヒットを記録し、アカデミー外国語映画賞にも輝いた。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのフェリーニにとって、大きな転機となったのがカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得した『甘い生活』(’60)だ。 そんなグイドの脳裏をよぎるのは、田舎の祖母(ジョージア・シモンズ)の家で若い乳母たちにチヤホヤされて育った幼少期、海辺の小屋に住む大女の娼婦サラギーナ(エドラ・ゲイル)とルンバを踊って神学校の教師に折檻された少年時代などの甘酸っぱい思い出。そして、理想の美人女優クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)の幻影。夢の中に現れる両親(アンニバーレ・ニンキ、ジュディッタ・リッソーネ)に救いを求めるが、当然のことながら叶うはずもない。そうかと思えば、ホテルでたびたびすれ違うミステリアスな貴婦人(カテリーナ・ボラット)に興味をそそられるグイド。とりとめもない記憶やイメージを脚本に盛り込んでいくが、助言を求めた高名な映画評論家カリーニ(ジャン・ルゲール)からはことごとくダメ出しを食らう。 心細くなってしまったのか、グイドは夫婦仲の冷めかけた妻ルイーザ(アヌーク・エーメ)とその親友ロセッラ(ロセッラ・ファルク)らを湯治場へ呼び寄せるものの、運の悪いことに愛人カルラと鉢合わせてしまう。嘘に嘘を重ねる不誠実な夫に愛想を尽かすルイーザ。とはいえ、グイドの女好きは少年時代からの筋金入り。それをしつこく責められてうんざりした彼は、これまでの人生で出会ってきた女たちを支配する自分だけのハーレムを夢想して現実逃避する。一方、そんなグイドをよそに映画の製作準備は着々と進み、宇宙船発射台のオープンセットまで完成。もはやこれ以上は待てないと、製作者パーチェはテストフィルムを上映してグイドにキャスティングの決断を迫る。しかし、私生活を自分の都合よく解釈した内容に激怒したルイーザが彼のもとを立ち去り、ようやく出演オファーを引き受けてくれた女優クラウディアからは脚本を批判され、あなたは愛を知らないと言われてグイドは茫然とする。そして、製作発表の記者会見が行われることに。いよいよ逃げ場を失ってしまったグイドの取った行動とは…? 理解する映画ではなく心で感じる映画 これといって明確なストーリーラインはなく、そればかりか夢と現実と空想の境界線すら曖昧なまま、とりとめのないイメージやエピソードを羅列することによって、創作の危機に追い詰められた映画監督の混沌とする精神的な深層世界を掘り下げていく本作。実際、『甘い生活』で世界的な巨匠へと上りつめ、次回作への期待が高まる存在となったフェリーニは、大物製作者アンジェロ・リッツォーリと新作映画の契約を交わしたものの、肝心要となる脚本の執筆は思うように進まず、しまいには自分が何を描きたいのかも分からなくなってしまったという。そこで閃いたのが、今の自分が置かれた状況をそのまま映画にすることだったというわけだ。
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PROGRAM/放送作品
クラッシュ(2005)
[PG-12]様々な人々の怒りや哀しみが衝突する。アカデミー作品賞に輝いた群像ヒューマン・ドラマ
『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家ポール・ハギスの監督デビュー作。サンドラ・ブロックら豪華スター陣を配し、人種偏見から生じる衝突の連鎖を群像劇として紡ぎ出す。アカデミー作品賞など3部門受賞。
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COLUMN/コラム2020.05.07
映画監督イーストウッドの評価を決定づけた、「最後の西部劇」。『許されざる者』
本作『許されざる者』は、1992年に本国アメリカで公開されるや、大ヒットになると同時に、高い評価を受けて、数々の映画賞を受賞。「第65回アカデミー賞」では9部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、編集賞の4部門を獲得した。 製作・監督・主演を務めたのは、クリント・イーストウッド。主演男優賞こそ、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92)のアル・パチーノに譲ったが、作品賞と監督賞の2つのオスカー像を掌中にしたのである。 今やハリウッドを代表する“巨匠”と誰もが認めるイーストウッドの作品が賞レースに絡むことは、近年では当たり前となっている。しかし本作を撮る頃までは、だいぶ事情が違っていた。アメリカ国内に於いて彼の作品への評価は、不当なまでに低かったのだ。 マカロニ・ウエスタンでの“名無しの男”や『ダーティハリー』シリーズでのハリー・キャラハン刑事に代表されるような、“アクションスター”というイメージが強かったせいもあるだろう。彼の監督作や出演作に、“マッチョイズム”“性差別”“タカ派”的な部分を見出し、それを忌み嫌う映画評論家などが少なからず存在したことも、マイナスに作用したと思われる。 むしろ評価されたのは、国外の方が早かった。映画評論家の蓮實重彦氏はその様を、『許されざる者』の劇場用プログラムで、次のように記している。 ~時代はようやくイーストウッドに追いつこうとしている。あと数年で映画百年を迎える二〇世紀も暮れ方になってから、アメリカのジャーナリズムも、この偉大な映画作家の存在を遅まきながら認知し始めたようだ…~ ~…『許されざる者』の監督がまぎれもなく日本で発見された作家であり、ヨーロッパは十年遅れで、アメリカでは二〇年遅れでその偉大さに気づいたにすぎないとだけはいっておきたい気がする…~ 日本の映画ジャーナリズムに於いて、蓮實氏や山田宏一氏のような重鎮が、イーストウッドの監督作品を早くから評価していたことは、紛れもない事実である。それは実在のジャズサックス奏者チャーリー・パーカーの音楽と生涯を、フォレスト・ウィテカー主演で描いた、イーストウッドの製作・監督作『バード』(88)が、フランスの「カンヌ国際映画祭」などで高く評価されるよりも、「早かった」という主張でもある。 何はともかく、イーストウッドの初監督作『恐怖のメロディ』(71)から二十年余。16本目の監督作にして、4本目の“西部劇”である『許されざる者』は、彼の作品としては初めて「アカデミー賞」の主要部門の対象となり、見事な“大勝利”を収めたわけである。 『許されざる者』の舞台となるのは、1880年のワイオミング。イーストウッド演じる主人公ウィリアム・マニーは、かつて列車強盗や冷酷な殺人で悪名高き男だったが、善良なる妻の愛によって改心し、足を洗った。 そんな妻を3年前に天然痘で亡くなり、マニーはまだ幼い2人の子どもを育てながら、豚の肥育や耕作を行っていた。しかしいずれも順調とは言えず、老齢期に差し掛かったマニーには、厳しい日々が続いていた。 ある日“スコフィールド・キッド”と名乗る、若いガンマンが訪ねてきた。町で娼婦の顔をナイフでメッタ切りにした牧童2人の首に、仲間の娼婦たちが1,000㌦の賞金を懸けた。その賞金を稼ぎに行こうという、誘いだった。キッドは人伝に、かつてのマニーの悪逆非道な凄腕ぶりを耳にして、協力を求めに来たのである。 一旦はその誘いを断ったマニーだったが、生活の苦しさから、11年振りに銃を手に取ることを決意する。老いて馬に乗ることさえやっとだった彼は、かつての相棒ローガン(演;モーガン・フリーマン)も誘い、キッドの後を追う。 2人の牧童を狙って町には、伝説的殺し屋であるイングリッシュ・ボブ(演;リチャード・ハリス)なども現れる。しかしそんな彼らの前に、手荒なやり方で町を牛耳る保安官(演;ジーン・ハックマン)が、立ち塞がるのだった…。 劇場公開時以来何度も観ているが、陰惨な印象がいつも強く残る。まずは、物語の発端となる事件を起こした2人の牧童。娼婦の顔を切り刻んだ“実行犯”の方はともかく、もう1人は、仲間のご乱行に巻き込まれただけ。なぜ命を奪われるのか?本人もわかっていない感が強い。 そして“殺し”の旅に出向きながらも、「過去の自分と違う」「真人間になった」ことを幾度も強調する、マニー。しかしいざとなったら、誰よりも躊躇なく、人を撃ち殺すことが出来た。 その時、昔のように人を撃つことは出来なくなっていた仲間のローガンは、改めて理解する。マニーが運命的なまでに根っからの“殺し屋”であることを。だからこそいち早く、その場から立ち去ろうとする。そして保安官の仲間に捕まり拷問を受けると、マニーが保安官たちを殺しに来ることを、予言する。 実際にマニーは、それを耳にすると、“復讐”を果しに町に戻る以外、取る道はないのである。 『許されざる者』は、「勧善懲悪」などとは程遠い世界観で綴られる。保安官は、己の町を守るという「正義」のために、“暴力”を行使していた。しかしそれは、娼婦たちの人間としての尊厳を踏みにじり、マニーの相棒の命を奪うこととなる。 保安官にとっては「正義」だが、マニーにとっては、「悪党め」と吐き捨てるしかない行為である。「正義」と「悪」の境界線など、あくまでも主観的で、曖昧なものなのだ。 そして“暴力”は、どこまでも連鎖していく…。 思えばイーストウッドは、ずっとずっとそうであった。『荒野の用心棒』に始まる、イタリアでセルジオ・レオーネ監督と組んだ“ドル箱三部作”(64~66)に於ける“名無しの男”。その“原作”となった黒澤明監督の『用心棒』(61)と一線を画すのは、黒澤作品の主人公が持ち合わせていた“正義感”のようなものが、“名無しの男”には極めて乏しいことである。 またアメリカに戻ってからの決定打となった、『ダーティハリー』シリーズ(71~88)。イーストウッドにとって、“師”であるドン・シーゲルのメガフォンによる第1作からして、主人公のキャラハン刑事は、彼が対峙する殺人者と、「紙一重」なのである。シリーズを通じても、ハリーの持つ「正義」は常に揺らぎ続ける。自らメガフォンを取った83年の第4作では、レイプ犯に復讐を果たした連続殺人犯を、己の裁量で見逃すに至る。 そんなイーストウッドが、『許されざる者』の物語に惹かれたのは、無理もない。陰惨で居心地の悪い佇まいの作品ではあるが、長年イーストウッド作品に触れてきた観客にとっても、彼が“殺し屋”であったことは、説明されるまでもなく、「知っている」わけであるし。 この作品が、製作される直前の89年に亡くなったセルジオ、91年に亡くなったドンに捧げられているのも、至極納得がいく話だ。 さて、自らには物語を作り出す資質はないことを認めるイーストウッド。では彼はいかにして、『許されざる者』の物語を手に入れ、“映画化”に至ったのか? 元となった脚本は、あの『ブレードランナー』(82)を手掛けたことで知られる、デヴィッド・ウェッブ・ピープルズが、1976年に書き上げた「切り裂かれた娼婦の殺し」。後に「ウィリアム・マニーの殺し」と改題され、80年代初頭には、フランシス・フォード・コッポラ監督が、“映画化権”を持っていた。 それはその後イーストウッドの手に渡り、80年代半ばには映画化の企画を立ち上げた。しかし先に、同じ“西部劇”である『ペイルライダー』(85)を製作することとなり、『許されざる者』は、一旦ペンディングとなったのである。 実際に『許されざる者』の撮影に着手したのは、『ペイルライダー』の公開から6年後の91年秋。公開はその翌年となったわけだが、結果的にこのチョイスは、大正解だった。1930年生まれのイーストウッドが、足を洗った老齢のガンマンを演じるに当たっては、60歳を超えるのを待ったからこそ、説得力のある風貌とイメージを得ることが出来た。 また、時勢も彼に味方した。1970年代以降は何度も「終わった」ジャンル扱いされた“西部劇”だったが、1990年に公開されたケヴィン・コスナー製作・監督・主演の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が、大ヒット!「アカデミー賞」でも作品賞、監督賞をはじめ7部門を受賞した直後で、“西部劇”を見直す動きが強まっていたのである。 イーストウッドは『許されざる者』の製作について、次のように語っている・ 「…わたしはただ、ぜひともこの物語を伝えたいと思っただけだ。ウエスタンという神話に、わたしなりの落とし前をつけるためにね。最後のウエスタンをつくるとしたら、これほどうってつけの作品はないだろう…」 彼が言うところの「最後の西部劇」を作るには、正に絶好のタイミングだったのである。彼が心の底から渇望したアメリカでの評価=アカデミー賞を得るためにも、これ以上にない時機であった。 それにしても、それから30年近く。齢90にならんとする現在まで、イーストウッドが精力的に作品を発表し続けるとは、さすがにその時は想像もつかなかったが…。■ 『許されざる者(1992)』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ワールド・オブ・ライズ
[PG-12]スパイ活動で繰り広げられる「嘘」と「真実」!L・ディカプリオ&R・クロウの豪華競演作
中東問題に詳しいジャーナリスト兼作家デイヴィッド・イグネイシアスのスパイ小説をR・スコット監督が映画化。監督と4度目のコンビを組んだR・クロウが、20kg以上も増量して傲慢な貫録を醸し出している。
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COLUMN/コラム2020.03.31
巨匠コルブッチの作家性を語るうえで重要なマカロニ西部劇の佳作。『スペシャリスト(1969)』
実は『殺しが静かにやって来る』の姉妹編!? リアルタイムでは過小評価されながらも、今やマカロニ西部劇ファンの間ではセルジオ・レオーネとも並び称される巨匠セルジオ・コルブッチ。西部劇を通して人間の欲望と暴力に彩られたアメリカという国の裏歴史を炙り出そうとしたレオーネに対し、コルブッチは西部劇を現代社会の腐敗や不条理を映し出す暴力的な寓話として描いた。そんな彼の代表作といえば、『続・荒野の用心棒』(’66)と『殺しが静かにやって来る』(’68)。これには誰も異論がないだろう。そして、不幸にも長いこと見過ごされてきたものの、実はその『殺しが静かにやって来る』の姉妹編的な存在であり、なおかつコルブッチの作家性を語るうえで重要な作品のひとつが、この『スペシャリスト』(’69)である。 舞台は山々に囲まれた緑豊かなアメリカ北西部。全米に悪名を轟かせる凄腕のガンマン、ハッド・ディクソン(ジョニー・アリディ)が、生まれ故郷の田舎町ブラックストーンへと戻って来る。無実の罪で処刑された兄チャーリーの死の真相を突き止めるために。この付近ではエル・ディアブロ(マリオ・アドルフ)率いるメキシコ人の盗賊団が治安を脅かしており、銀行頭取の未亡人ヴァージニア(フランソワーズ・ファビアン)は、幼馴染でもあるチャーリーに銀行の現金をダラスへ運ばせたのだが、その道中で大怪我をしたチャーリーが発見され、彼が持っていたはずの現金は忽然と消えてしまった。そして、銀行に全財産を預けていた町の住民たちは、チャーリーが現金を奪ってどこかに隠したものと決めつけ、怒りのあまり暴徒と化して嬲り殺してしまったのだ。要するに私刑(リンチ)である。 そんなハッドを出迎えたのは、非暴力主義者の保安官ギデオン(ガストーネ・モスキン)。この町での暴力沙汰は二度と御免だと考えるギデオンは、拳銃の所持を厳しく禁止しており、ハッドもまた例外なく拳銃を没収される。しかし、町の住民は彼が自分たちに復讐するつもりではないかと警戒し、何者かに雇われた殺し屋たちが次々とハッドの命を狙う。一方、ヴァージニアをはじめとする町の有力者たちは、ハッドを利用して行方不明となった現金の在処を探し出し、それが済んだあかつきには彼を始末しようと考えている。そればかりか、エル・ディアブロ一味やよそ者のヒッピー(!?)たちも現金の行方を虎視眈々と狙っていた。果たして、いったい誰がチャーリーを陥れたのか、そして多額の現金はどこに隠されているのか…? 西部劇なのにヒッピーが登場! マカロニ・ウエスタンと言えば、その大半がメキシコ国境付近の荒れ果てた砂漠地帯を舞台とし、主にスペインのアルメリア地方で撮影されていたことは有名だが、しかし本作は『殺しが静かにやって来る』と同じくフレンチ・アルプスでロケされており、まるでテレビ『大草原の小さな家』のような美しい大自然が背景に広がる。マカロニらしからぬルックだ。また、『殺しが静かにやって来る』ではルイジ・ピスティッリが狡猾な銀行頭取ポリカットを演じていたが、本作で登場する銀行頭取の未亡人ヴァージニアの姓もポリカット。もしかして、これは後日譚なのか…?などと勝手な想像も膨らむ。ブラックストーンの町並みもローマ郊外にあるエリオス・フィルムの西部劇セットを使用。かように『殺しが静かにやって来る』との共通点は少なくない。まあ、エリオス・フィルムの西部劇セットに関しては、『続・荒野の用心棒』をはじめコルブッチの西部劇には欠かせないロケーションなのだけれど。 また、コルブッチ作品では往々にして無法者が世の不条理を正すヒーローとなり、本来尊敬されるべき社会的地位の高い人々が強欲で卑劣な悪人、一般市民もまた偽善的な日和見主義者として描かれることが多いのだが、本作は特にその傾向が強い。なにしろ、町を支配する有力者も善良なはずの市民もみんな金の亡者。金銭欲に駆られればリンチで人を殺すことすら厭わない。反対に、どんな時も冷静で正直で良識的なのは、売春婦や黒人奴隷、墓堀人など、普段は一般社会から爪弾きにされている弱者たちだ。コルブッチは『続・荒野の用心棒』や『殺しが静かにやって来る』などでも、世間から後ろ指をさされる底辺の人々に対し、ことさらシンパシーを寄せている。そして、『殺しが静かにやって来る』の保安官がそうであったように、本作の非暴力主義を掲げるギデオン保安官もまた、清廉潔白な理想主義者であるがゆえに最も無力な存在として描かれる。 こうした善悪の逆転したコルブッチの人間描写は、その根底にアメリカ的な資本主義や物質主義、拝金主義に対する彼の強い嫌悪感があることは間違いないだろう。さらにいえば、そうした社会的構造を土台として現代社会に蔓延する、権威主義や経済格差、汚職や差別など、あらゆる不正義に対する皮肉と風刺精神が感じられる。いわば、社会が偽善的で腐りきっているからこそ、ハッドのように筋の通った男はそこからドロップアウトせざるを得ないのだ。その視点は極めて左翼的である。なにしろ、本作が作られた’60年代末は革命の季節。メキシコ三部作と呼ばれる左翼色の強いマカロニ・ウエスタンを撮っていた人だけに、コルブッチが革命世代に共鳴する形で本作を撮ったと考えても不思議はなかろう。 ただ、そうなると興味深いのはヒッピー風の若者たちの描写である。そもそも西部劇にヒッピーってどうなのよ?と言いたいところだが、しかしコルブッチは意図して本作に彼らを登場させている。’71年にフランスの映画雑誌「Image et Son」に掲載されたインタビューによると、コルブッチは映画『イージー・ライダー』(’69)が大嫌いで、ヒッピーやドラッグを嫌悪していたそうだ。つまり、そうしたカウンター・カルチャーへのアンチテーゼとして、表層的にアウトローを気取るだけの無軌道で軟弱なヒッピーたちを西部劇の世界に投入したのだ。ファシスト政政権下のイタリアで育ち、青春時代に第二次世界大戦を経験した、いわば“パルチザン世代”のコルブッチにしてみれば、当時の革命世代の若者たちが掲げる理想には共鳴しても、彼らのやり方は軽薄短小に感じたのかもしれない。 本来の主演はリー・ヴァン・クリーフだった! ちなみに、実はもともとコルブッチ監督とリー・ヴァン・クリーフの初顔合わせとして企画がスタートしたという本作。ストーリーのアイディアにも、ヴァン・クリーフの提案が採用されていたそうだ。ところが、フランス側の出資者が主演に推したのは、当時フランスのみならずヨーロッパで絶大な人気を誇ったロック・シンガー、ジョニー・アリディだった。“フランスのエルヴィス”とも呼ばれたアリディは、57年間のキャリアで1億1000万枚ものレコードを売り上げたスーパースター。しかも当時はその人気の絶頂期で、日本でも大ヒットした『アイドルを探せ』(’63)を筆頭に、数多くの映画にも出演していた。とはいえ、俳優としては正直なところ大根。決して芝居の巧い人ではない。ただ、そのニヒルでクールな反逆児的ルックスはとても画になり、しかも本作では感情表現が必要とされるドラマチックなシーンも少ないため、寡黙で謎めいた凄腕ガンマン、ハッド役にはうってつけだったと言えよう。 一方、ファム・ファタール的なヒロインのヴァージニアを演じているのは、エリック・ロメール監督の『モード家の一夜』(’69)で有名なフランス女優フランソワーズ・ファビアン。若い頃はいまひとつキャリアが伸びず、中年になってから上品な大人の色香で人気を集めた遅咲きの女優さんだが、本作では珍しくヌードシーンまで披露している。というか、基本的にコルブッチはエロスや恋愛の要素にあまり関心がなかったので、彼の西部劇映画に女性のヌードが登場すること自体が異例だったと言えよう。ただ、彼女がレイプされるシーンはもともと脚本になかったらしく、撮影時はコルブッチと激しい口論になったらしい。 ギデオン保安官役のガストーネ・モスキンは、『黄金の七人』(’65)シリーズの泥棒や『暗殺の森』(’70)の捜査官でお馴染みの名脇役。『ゴッドファーザーPARTⅡ』(’72)ではリトル・イタリーの恐喝屋ドン・ファヌッチを演じていた。また、『ダンディー少佐』(’65)や『ブリキの太鼓』(’78)で有名なイタリア系スイス人の怪優マリオ・アドルフが、フェルナンド・サンチョ的なメキシコ盗賊のリーダー、ドン・ディアブロ役で登場し、その豪快かつアクの強い芝居で主役のアリディを食っている。ちなみに、酒場のギャンブラー、キャボット役のジーノ・ペルニーチェは、『続・荒野の用心棒』の生臭坊主ならず生臭宣教師を演じて以来、コルブッチ作品の常連だった俳優だ。 というわけで、本来であればリー・ヴァン・クリーフがハッド役を演じるはずだったものの、大人の都合でジョニー・アリディが起用されたことによって、コルブッチとヴァン・クリーフの夢の初タッグは幻となってしまい、残念ながらその後実現することはなかった。また、本作自体がコルブッチのフィルモグラフィーの中で埋もれてしまい、なおかつ長いこと画質の悪いソフトしか出回っていなかったことから、近年になるまで正当な評価を受けてこなかったことは惜しまれる。■ 『スペシャリスト(1969)』©1970- ADELPHIA CINEMATOGRAFICA - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - NEUE EMELKA
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PROGRAM/放送作品
ワールド・オブ・ライズ
[PG-12]スパイ活動で繰り広げられる「嘘」と「真実」!L・ディカプリオ&R・クロウの豪華競演作
中東問題に詳しいジャーナリスト兼作家デイヴィッド・イグネイシアスのスパイ小説をR・スコット監督が映画化。監督と4度目のコンビを組んだR・クロウが、20kg以上も増量して傲慢な貫録を醸し出している。
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COLUMN/コラム2019.08.30
シーゲルとイーストウッド 伝説の師弟、最後のコンビ作は… 『アルカトラズからの脱出』
今や押しも押されぬ、アメリカ映画界の巨匠クリント・イーストウッドが、初めてオスカーを手にしたのは、『許されざる者』(1992)。主演男優賞、監督賞、そしてプロデューサーとして作品賞にノミネートされ、見事に監督賞と作品賞を勝ち取った。それまでも、彼の監督としての力量を高く評価する声はあったが、これが決定打になったと言える。 「最後の西部劇」と銘打たれた、『許されざる者』。この作品が2人の映画監督、セルジオ・レオーネ(1929~89)とドン・シーゲル(1912~91)に捧げられているのは、あまりにも有名な話である。 イーストウッドが主演としてレオーネと組んだのは、『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66)の3作。シーゲルとは、『マンハッタン無宿』(68)『真昼の死闘』(70)『白い肌の異常な夜』(71)『ダーティハリー』(71)、そして本作『アルカトラズからの脱出』(79)の5作で、コンビを組んでいる。 もちろん、単に本数の問題ではない。レオーネは、それまでTVスターだっあたイーストウッドを、イタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタンへと招いた。そして“ドル箱3部作”と呼ばれる件の作品群で演じさせた“名無しの男”役で、彼の“映画俳優”としての背骨を作ったと言える。イーストウッドにとってレオーネは、いわば「俳優としての師」といったところか。 それに対してシーゲルは、イーストウッドにとっては、「監督としての師」。 2人が出会ったのは、イーストウッドがアメリカ凱旋後、『奴らを高く吊るせ!』(68)に続いて主演した、『マンハッタン無宿』。ニューヨークで逮捕された逃亡犯を護送するために、アリゾナから出張した保安官補が主人公の、アクション映画である。この主人公像は後に、“ダーティハリー”=ハリー・キャラハン刑事の原型になったとも言われるが、当初の監督はシーゲルではなかった。予定されていた別の監督の都合が悪くなって、彼にバトンが渡されたのである。 イーストウッドは、監督がよほどの確信がない限り、あれこれ注文をつけてくるのを嫌うタイプの俳優。一方シーゲルは、監督である自分の言った通りに、俳優は演じろというスタイル。そんなわけで『マンハッタン無宿』の撮影現場でも、ちょっとした衝突があったと言われるが、イーストウッド曰く、「…最初は角を突き合わせた部分もあったが、最後には素晴らしい関係を築けたと思う」。シーゲルも、「われわれはひじょうにうまくやっていたと思う」と語っている。 兎にも角にも、お互いが“リスペクト”の念を抱ける相手だったということ。イーストウッドは、出世作となったTV西部劇シリーズ「ローハイド」(59~65)出演時から、“監督”業に興味を持っていた。そしてシーゲルこそ、その“導師”となる人物だったのである。シーゲルも喜んで、その役割を果たしたという。 イーストウッドは言う。「演出については、ほかの誰からよりもドン・シーゲルから多くを学んだと思う……彼は少ない予算で自分の思うものを撮ることができた。求めるものが撮れたときには、そうとわかった。何回も異なるアングルで撮ってみる必要などまったくなかったのだ」 シーゲルはそのキャリアで、短期間に低予算で作品を完成させるためのノウハウを確立していた。一旦照明を組んだら、そのまま撮れるショットは、全て1度に撮影してしまったり、リハーサルを十分にして、実際にカメラを回すのはほとんど1テイクで終わらせる。その演出術はイーストウッドを、これこそ確固たるコンセプトを持った監督による、真の映画撮影であると感動させた。 固い絆で結ばれたシーゲルとイーストウッドのコンビは、1968年から71年までの僅か3年ほどの間に、『マンハッタン無宿』を皮切りに、4本もの作品を次々と世に放った。その4本目こそ、イーストウッド最大の当たり役にして、シーゲルの生涯で50本に及びフィルモグラフィーに於いても、「最高」の1本と言える『ダーティハリー』である。 そしてその直前にイーストウッドは、監督デビューも果たしている。 イーストウッド自らが演じる、プレイボーイのローカル局ディスクジョッキーが、ストーカーの女性ファンに追い詰められていくサスペンス作品『恐怖のメロディ』(71)である。この作品の撮影現場のほとんどには、“導師”シーゲルの姿があった。彼は酒場のバーテンダー役で出演すると同時に、イーストウッド演出のバックアップが必要になった際に備えて、スタンバイしていたのである。 切っても切り離せない関係に思われた、イーストウッドとシーゲルだが、『ダーティハリー』以降、本作『アルカトラズからの脱出』で5度目のタッグを組むまでには、8年間のブランクが生じた。これには、幾つかの理由が考えられる。『ダーティハリー』の成功があまりにも大きすぎたため、その興奮が冷めやらぬ内に再び組むには、リスクが伴うと考えられたこと。また、イーストウッドとシーゲルの関係が濃密になり過ぎて、もうやるべきことは「やり尽くした」感が否めなかったのも、事実である。特に自らが“監督”をするようになり、自分の思うままに作品作りを進められるようになった、イーストウッドにとっては…。 『アルカトラズ…』はそのタイトル通り、サンフランシスコ湾に浮かぶ、悪名高き“アルカトラズ刑務所”が舞台。1962年に、鉄壁と言われたこの刑務所から脱獄を果した、フランク・モリスら3人の実話をベースにした物語である。 リチャード・タッグルが書いた脚本を、シーゲルが気に入って買い取り、イーストウッドの元へと持ち込んだ。イーストウッドも乗り気で、自らが主演してシーゲルが監督することを望んだ。しかしその後、8年間のブランクが、本作製作の経緯に影を落とす。 イーストウッドが、ラストシーンのカットを誰が撮るかという問題にこだわったことなどから、交渉が難航。話は一旦、白紙に戻ってしまったのである。 その頃=70年代後半のイーストウッドは、アクションスターとして円熟期。世界的な人気を誇り、日本を見ても、毎年その主演作が、“正月映画”として公開されるほどだった。更に監督作品も6本を数え、その手腕は自他ともに認めるものとなっていた。イーストウッドとシーゲルの力関係は、『ダーティハリー』の頃とは、逆転していたとも言える。 結局本作は、シーゲルがイーストウッドに頭を下げてオファーすることによって、企画が成立。しかしいざ撮影が始まってみると、2人は事あるごとに、撮影の主導権を巡って対立を繰り返すこととなった。そしてシーゲルは、ラストシーンを撮らずに、現場から去ったという。本作はイーストウッドとそのスタッフの手によって、完成に至ったのである。 シーゲルの構想では本作のラストは、刑務所の内部を映し、脱出不可能な牢獄の現実を示して終わるというもの。だがイーストウッドが選んだのは、主人公たちの勝利を描きながらも、その後の過酷な運命を示唆するという〆であった。 どちらがよりふさわしいラストだったのかは、もはや検証しようがない。しかしそうした意味で『アルカトラズからの脱出』は、シーゲル監督作と言うよりも、明らかにイーストウッドの色が濃い作品となっているのである。 本作は公開されると、批評家の絶賛を浴びながらも、アメリカでの興行は不満が残る結果となった。そんなこともあってイーストウッドは、今後もシーゲルと共同で映画製作を行っていくという契約を反故にした。 結果的に『アルカトラズからの脱出』は、伝説の師弟コンビの、最後の作品となった。シーゲルはその後、思ったように作品は撮れなくなり、80年代中盤以降は映画界から距離を置いた。一方イーストウッドは、出演作のほとんどで監督を兼ねるようになった。他者に任せる場合でも、『ダーティハリー5』(88)『ピンク・キャデラック』(89)のように、長年イーストウッド組のスタントマンだったバディ・ヴァン・ホーンを起用。間違っても、現場の主導権を奪われることがないような布陣を組んだ。 “師匠”であったシーゲルにとっては、正にキャリアの終わり近くに関わった、『アルカトラズからの脱出』。“弟子”であるイーストウッドのその後の歩みを見ると、最後のコンビ作は、正に“分かれ道”だったのである。■
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PROGRAM/放送作品
恐怖の報酬(1953)【4Kレストア版】
大量のニトログリセリンを車で運ぶ危険な道中に手に汗握る!カンヌ映画祭グランプリ受賞の傑作サスペンス
仕事にあぶれた移民たちが少しの揺れでも爆発するニトログリセリンを運ぶ危険な任務を、ただならぬ緊張感で描き出す。カンヌ国際映画祭グランプリと男優賞(シャルル・ヴァネル)、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。
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NEWS/ニュース2019.08.27
8/26(月)よりタランティーノ監督の解説付き番組を独占放送!タランティーノ&ディカプリオ初2ショット来日!「世紀のクーデターと思う!」
今夜、8/26(月)よりクエンティン・タランティーノ監督の解説付き番組をザ・シネマで独占放送!番組情報はこちら視聴するにはこちら クエンティン・タランティーノ監督とレオナルド・ディカプリオが8月26日、東京都内で開催された映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(8月30日公開)の来日記者会見に出席されました。タランティーノ&ディカプリオが揃っての来日は初となります!またプロデューサーのシャノン・マッキントッシュも登壇しました。最初の挨拶でタランティーノが妻の妊娠への祝福に受けて喜びを語り和やかに会見がスタート。ザ・シネマではQ&Aで記者会見をご紹介します!今夜の放送前にぜひ、ご覧ください。 Q:「なぜ、デカプリオ&ブラピをキャスティングしたのか?」 A:タランティーノ「二人がこのキャラクターたちにぴったりだったから。自分が選んだというより彼らがぼくを選んでくれたと思うんです。選んでくれたのはラッキーだったし、沢山送られてくる企画書の中からきっとぼくの脚本が上の方にあったのだと思うし、内容にも個人的にもこのキャスティングができたのが世紀のクーデターと思う!」 Q:「どのように準備したか?」 A:デカプリオ「たくさんの往年の俳優さんたちをリサーチして参考にした。監督はシネフィルで、ものすごい知識の宝庫だから、いろんな作品や俳優を紹介されたよ。ある意味、この映画は、ハリウッド映画界を祝福する作品でもあると思う。このリサーチは素晴らしい経験になった」と、語った。 (※そして、、デカプリオ!シャノンさんに質問ありますか?と記者へ促す紳士ぷりを発揮!!) Q:「撮影でのエピソードは?」 A:シャノン「タランティーノの作品は本当にマジカルなものがあります!まさにファミリー。非常に多くのインスピレーションを受けるのです。撮影の準備など映画の撮影がないときはタランティーノの歴史の授業がはじまっていろんなことを学べるわけです。誰よりも映画をしっていますから。彼のスタッフは他の映画を断ってでも彼の作品に参加したい。喜びとありますし彼の仕事ぶりをみて感じたのは喜びと素晴らしさです!」「テイクを取った後に、タランティーノがOKを出すけどもう一回とるときになぜとながら、全員で「だってみんな映画つくりがすきなんだ!」というのがお決まり。本心で言っている」と貴重なエピソードを披露。 Q、皆さんの身の回りに起こった奇跡はなんですか? A、タランティーノ:「仕事からではなく一人のアーティストして映画を9本の映画が作ることができて、日本にきても自分がだれだか知られていて、ビデオストアで働いていた自分をふりかえると一人のアーティストして自分のみちのりを前にすすむという形で物語と幸運だし、このことを絶対わすれないでいる」 デカプリオ:「ぼくはLAで育ちました。この業界を知っているのでどれだけ俳優でいるのが大変なことがわかります。世界中からこの夢をもってハリウッドにきます。中々夢をかなえられないのが現状だと思うのです。ラッキーにも子供のころからハリウッドにいて学校がおわってオーデションを受けにいく生活ができたんだ、今、仕事があり決定権や選択肢があるのは俳優として奇跡だと思います!日々感謝しています」 シャノン:「大好きな業界で大好きな仕事ができる、そしてこの生活に耐えてくれる夫がいて二人の息子がいることが奇跡だと思います!」 映画作成には沢山のリサーチをした語るタランティーノ。本作の8月30日の公開まえに今夜からスタートする番組を予習にぜひお楽しみください。 <映画> 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』8月30日(金)全国公開 <番組情報> ■8/26(月)放送!タランティーノ監督のコメント到着! 「新作の舞台となった60年代の名作の数々を紹介します。一緒にたのしみましょう!わたしの新作はまもなく公開です。ぜひ、劇場で」★『イージー・ライダー』(※コメント抜粋)「ほぼあらゆる点において、1960年代の映画の最も偉大な例かもしれない」★『…YOU…』 (※コメント抜粋)「大好きな作品!エリオット・グールドの大ファンなんだ!彼の最高傑作の1つだと思うよ。(監督の)リチャード・ラッシュは反体制側の描き方が見事だと思う。」★『ボブ&キャロル&テッド&アリス』(※コメント抜粋)「監督のポール・マザースキーは70年代のコメディー監督の中でも大好きな監督!1969年だからこそ撮れた作品だと思う。“What The World Needs Now Is Love” を歌っちゃうほどお気に入り!」続きは放送で!!!! ■ 「タランティーノ監督が選び語る映画たち!(前解説・後解説付き8作品)」と、ディカプリオ&ブラピ主演2作品も放送! この解説付きの8作品を観ることで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の理解度が深まります!映画の予習にもぜひ、お楽しみください。 <タランティーノ監督が選び語る!映画たち:放送日> ◎8月26日(月)『イージー・ライダー』23:00~/ 『草原の野獣』深夜01:00~ ◎8月27日(火)『サイレンサー第4弾/破壊部隊』23:00~/ 『 …YOU… 』深夜01:00~ ◎8月28日(水)『 (吹)手錠の男』23:00~/ 『ハマーヘッド』深夜00:30~ ◎8月29日(木)『ボブ&キャロル&テッド&アリス』23:00~/ 『サボテンの花』深夜01:00~ 番組情報はこちら視聴するにはこちらシネ女ちゃんはこちら