検索結果
-
PROGRAM/放送作品
ザ・スターファイル特番 3人の三つ星アクター
レオ、マット、ジョージ、人気・実力・人間性の3つを満たすハリウッドの三つ星アクターの魅力を徹底解剖!
レオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジョージ・クルーニー。人気・実力・人間性の3つを満たすハリウッドの三つ星アクターの、これまでの軌跡やインタビューなどを通して、その魅力の背景に迫る特別番組。
-
COLUMN/コラム2015.10.14
【DVD/BD未発売】ゴールドの輝きを放つ埋もれた至宝 オシャレな痛快娯楽活劇〜『黄金の眼』〜
時は、今を遡ること約半世紀前、当時まだ東西冷戦時代さなかの1960年代半ば。 『007/ドクター・ノオ』(62)を皮切りに、御存知、映画『007』シリーズが始まり、世界的に大ヒットしたのを受けて、『電撃フリント』2部作(66/67)や『サイレンサー』シリーズ(66-68)など、ダンディなスパイとセクシーな美女たちが敵味方相乱れて対峙し、華麗にして荒唐無稽な冒険とアヴァンチュールを繰り広げる同種の軽妙な娯楽スパイ映画が続々と登場。TVドラマの世界でも、「0011ナポレオン・ソロ」シリーズ(64-68)、「スパイ大作戦」シリーズ(66-73)など、数多くの模倣・類似作が作られて、60年代のポップで華やかなエンターテインメント文化は、世界中で大いに活況を呈することになる。 「スパイ大作戦」は、いまや周知の通り、トム・クルーズ製作・主演の大ヒット映画『ミッション:インポッシブル』シリーズ(96-)として現代に蘇ったわけだが、そのオリジナルTV版の誕生に、『007』シリーズと並んで大きな影響を与えたのが、こちらはスパイではなく、泥棒一味による大胆不敵な強奪計画の行く末を愉快に綴った映画『トプカピ』(64)。そして、これに続いて、イタリア製の『黄金の七人』(65)や、オードリー・ヘップバーン主演の『おしゃれ泥棒』(66)など、上質の娯楽犯罪喜劇映画も次々と生み出された。 さらには、お馴染みの人気アメコミ・ヒーロー「バットマン」も、実写版TVドラマ・シリーズ(66-68)として全米のお茶の間に復活。フランスからは、往年の人気大衆小説をもとに、覆面の怪盗主人公が『ファントマ』映画3部作 (64-67)で蘇り、さらには、イギリスの新聞連載漫画を原作に、異才ジョゼフ・ロージーが、キャンプ趣味満載の奇妙奇天烈な女スパイ映画『唇からナイフ』(66)を発表するのも、まさにこの頃。 そして、奇しくも日本ではあのモンキー・パンチ原作のお馴染みの人気漫画「ルパン三世」の雑誌連載が始まった1967年、イタリアから、同国の人気コミックを映画化した新たな魅惑作が登場する。それが、今回ここに紹介する痛快娯楽活劇『黄金の眼』(67)だ。 ■イタリア映画界が生んだマエストロ、マリオ・バーヴァの世界へようこそ 『黄金の眼』の監督を手がけたのは、本来“イタリアン・ホラーの父”として名高いマリオ・バーヴァ(1914-80)。遅咲きの長編劇映画監督デビュー作『血ぬられた墓標』(60)で世界的ヒットを飛ばして、イタリア映画界に一躍ホラー映画ブームを巻き起こした彼は、以後も耽美的なゴシック・ホラーの傑作を次々と放つ一方、時代に先駆けて“ジャッロ”と呼ばれる猟奇サスペンスものやスラッシャー映画も手がけて、ホラー映画の新たな地平を切り拓いたマエストロ。独特の様式美に満ちた彼の映像世界に魅せられる映画人たちは数多く、『呪いの館』(66)が、オムニバス映画『世にも怪奇な物語』(68)の中でフェデリコ・フェリーニ監督が演出を手がけた一挿話に、また、SFホラーの『バンパイアの惑星』(65)がリドリー・スコット監督の『エイリアン』(79)に多大な影響を与えたほか、マーティン・スコセッシやティム・バートン、ジョン・カーペンター、そして日本の黒沢清といった錚々たる映画作家たちが、バーヴァ映画の熱烈なファンであることを公言している。 その時々の映画界の流行り廃りに応じて、時には史劇やマカロニ・ウェスタンなど、他ジャンルの作品も手がけることもあったバーヴァ監督にとって、本作は結局、娯楽犯罪活劇に挑む最初で最後の機会となったが、冒頭で列挙したような、同時代のさまざまなエンターテインメント作品のエッセンスを巧みにすくい取って混ぜ合わせつつ、そこに彼ならではの創意工夫に富んだ演出と、卓越したヴィジュアル・センス、そして、一見しただけではなかなか気付かない、さりげないトリック撮影を随所に効果的に盛り込み、誰もが理屈抜きに面白く楽しめて、至福のひと時を味わえること請け合いの、極上の会心作に仕立てている。 『黄金の眼』の物語の内容はいたって単純明快で、神出鬼没の覆面の怪盗ディアボリックが、何とか彼をふん捕まえようと躍起になる警部や大臣ら、お偉方たちの涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、高価な宝飾品や金塊を獲物と付け狙っては、大胆不敵にして奇想天外な犯罪計画を次々と立案実行していくというもの。首尾よくことが運んだ際に、ジョン・フィリップ・ロー演じるディアボリックが、してやったりとばかり、ムハハハハ~と上げる高笑いが何とも小気味よく、それを耳にする我々の方まで、ついニヤリと頬が緩んでしまう。単純で強烈なエレキサウンドの印象的なギターリフをはじめ、瞑想的なシタールの音色や、甘い吐息にも似た独特の女声コーラスなど、イタリアが生んだもうひとりの偉大なマエストロたるエンニオ・モリコーネが多彩に奏でる本作の映画音楽も、いつもながら素晴らしい。 そしてまた、主人公のディアボリックが、恋人にして仕事の相棒でもあるセクシーなブロンド美女のエヴァと、時あるごとに甘美で心ときめく愛の戯れを交わす様子を、何とも悩ましい衣裳や小道具、斬新で奇抜なセット、そして絶妙な構図とカメラワークの巧みな連携プレーで、どこまでも遊び心いっぱいに妖艶に描いてみせるバーヴァ監督の演出も、心憎いほどオシャレでエレガントだ(エヴァをセクシーでキュートな魅力満点に演じるオーストリア出身の女優、マリサ・メルの美しい容姿も忘れ難く、とりわけ物語の終盤、彼女の立ち姿を下から仰ぎ見るようにして捉えるショットは、最高にグルーヴィー! ちなみに、エヴァとディアボリックの2人がガラス張りの浴室でシャワーを浴びる場面、そして、無数の高額紙幣で埋め尽くされた回転ベッド上で裸になって抱き合う2人、という本作のオツな名場面は、オタク趣味全開のロマン・コッポラの長編劇映画監督デビュー作『CQ』(2001)の中でも再現されているほか、ジョン・フィリップ・ローその人も、同作に特別出演している)。 ■黄金の眼を持つ男、バーヴァの映像マジックの舞台裏 さらには、あのバットマンの秘密基地よろしく、ディアボリックが地中の洞窟に作り上げた秘密の隠れ家のレトロフューチャーなセット・デザインも実に見事で、本作の大きな見どころの一つといえるが、実はこれは、現実のものでもミニチュアのセットでもなく、実写で人物を映した背景にマットペイントで合成を施して作り上げたもの、と聞いて、さらに驚く人もきっと大勢いるに違いない。 実はバーヴァの父親は、初期のイタリア映画産業において撮影監督、そして特殊効果のパイオニアとして活躍した人物。当初は画家志望だったバーヴァ自身も、やがて映画界に進み、父親直伝の指導の下、特殊効果を活かした撮影トリックや、多彩な色を使った照明法などにも幅広く通じた有能な撮影監督として長年映画作りの現場に関わり、独自のヴィジュアル・センスにより一層磨きをかけるという過去の蓄積があった。 そんなバーヴァ監督だけに、ちょっとしたトリックを使った特殊撮影は、すっかりお手の物。先に例に挙げたディアボリックの秘密の隠れ家の全景だけでなく、ゴツゴツと地肌の露出したその背景や、海辺に聳え立つ古城など、ほかにもバーヴァは本作の随所に、巧みなマット合成や多重露出、疑似夜景など、さまざまな撮影トリックを駆使して、映画魔術師ぶりを遺憾なく発揮している(前時代的でいかにも作り物めいて見えるスクリーン・プロセスは、今日の映画ファンの目からするとちょっと御愛嬌だが、そこがかえって、原作の平面的なコミックの世界に近づけているようにも見える)。映画の中盤、獲物と狙う高価なネックレスを盗み出すべく、古城の内部に忍び入ったディアボリックが、監視カメラのモニター画面をポラロイド写真に巧みにすり替えて、警察の目をまんまと欺くという一場面が登場するが、このときのディボリックは、世界屈指のバーヴァ映画マニア、ティム・ルーカスがいち早く指摘した通り、まさにバーヴァ監督その人の似姿にほかならないと言えるだろう。 ちなみに本作は、イタリアの大物映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスの製作のもとに作られたもので、バーヴァ監督に与えられた当初の製作予算は300万ドルと、それまで長年、それよりはるかに低予算での映画作りに慣れていた彼にとっては、桁違いの大金。ところがバーヴァは、結局、わずか40万ドルの製作費で映画を見事完成させてしまったという。それにすっかり感激したプロデューサーが、では残りの予算で次はぜひ続編を、と意気込んだのに対し、バーヴァ監督の方は、大作を引き受けると同時に重い責任を背負い込まされるのはもう御免、と断ってしまったのが、今となっては何とも惜しまれるところだ。 ■やっぱ『バーバレラ』より、バーヴァでしょ なお、デ・ラウレンティスは本作に続いて、フランスのエロティックなSFファンタジー・コミックを映画化した『バーバレラ』(68)を製作・発表。同作の監督ロジェ・ヴァディムの当時の愛妻ジェーン・フォンダが、いきなり冒頭で、何とも奇妙な無重力ストリップを披露するのが評判を呼び、キッチュな珍品としてカルト的人気を集めることになる。今回、いちおう参考のために、筆者も数十年ぶりに『バーバレラ』を見直したが、煩悩に苦しむガキの時分ならばいざ知らず、全篇ひたすらおバカな可愛い子チャンぶったカマトト演技を披露するジェーン・フォンダと、ヴァディム監督の平板で凡庸な演出に早々に飽き飽きして、すっかり退屈・閉口したことを、ここに謹んで報告しておきたい。 それにひきかえ、この『黄金の眼』は、何度見返してもやはり面白い。もうかれこれ約半世紀前に作られた映画だが、今日、『007』や『ミッション:インポッシブル』といったお馴染みの人気映画シリーズの近年の諸作品と並べて見ても、一向に遜色がないどころか、かえってこちらの方が小粒でもキラリと光って素晴らしいと思う、筆者のような変わり種の映画ファンも、案外多そうな気がする。冒頭の方では、本作の誕生にそれなりに寄与したであろう先行作品の名前をざっと列挙したが、それとは逆に、その後、本作の影響を何がしか受けて作られたエンターテインメント作品も、きっと数多くあるに違いない。 例えば、『007/サンダーボール作戦』(65)で鮮烈な悪役演技を披露したアドルフォ・チェリが、本作でも似たような犯罪組織のボス役で登場し、ディアボリックと因縁の対決を繰り広げることになるが、上空の飛行機から2人が飛び降りて相争う本作の場面が、『007』シリーズに再びフィードバックされて、あの『007/ムーンレイカー』(79)の冒頭のよりダイナミックなスカイダイビングの場面に繋がったのかもしれない。 あるいは、『ミッション:インポッシブル』シリーズの第4作『ゴースト・プロトコル』(2011)の中で、トム・クルーズがドバイの超高層ビルの壁面をよじのぼる例の場面。最初はてっきり、これは「スパイダーマン」が発想源だろうと思ったのだが、もしかすると、本作でディアボリックが古城の壁面をよじ登る場面が影響を与えている可能性もなくはない。ちなみに、アメリカの人気ヒップホップ・グループ、ビースティ・ボーイズが1998年に発表した「Body Movin’」という曲のミュージック・ビデオは、この場面を中心にした『黄金の眼』のパロディとなっている。 はたしてお互いに直接的な影響関係があったかどうか、本家本元は一体どちらか、といったマニアックな話は、いったん始めるとなかなかキリがないし、これ以上下手に立ち入ると、とんだ藪蛇にもなりかねないので、とりあえずここらで筆者も話を切り上げ、話の続きは皆さんにお任せすることにしよう。それでは、かつて日本でも劇場公開はされたものの、その後我が国ではなぜか長い間、DVDやブルーレイ化されることはおろか、ビデオソフト化されることもなく今日まできてしまった、この埋もれた逸品をどうか存分にお楽しみあれ!■ COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
-
PROGRAM/放送作品
THE SALTON SEA ソルトン・シー
哀切のトランペッター・ジャンキーが死の間際に告白する復讐劇!ヴァル・キルマー主演のハードボイルド
『セイント』のヴァル・キルマー演じる哀切の主人公像と、乾いたLAの映像美で魅せる、上質なクライム・サスペンス。ハードボイルド(影のある男の独白によって導かれる犯罪劇)としても出色の出来栄えである。
-
COLUMN/コラム2015.09.05
フェデリコという大いなる存在 ~スコーラの見たフェリーニ~
今年6月にエットレ・スコーラ監督の最新作『フェデリコという不思議な存在』(2013)がようやく劇場公開された。1931年北イタリアのトレヴィコ生まれのスコーラは、イタリア式喜劇の正統的な継承者として知られる名匠であり、本作完成時には既に82歳の高齢になる。フェデリコ・フェリーニ(1920年リミニ生まれ)に対する敬愛の情溢れるこの伝記映画でも触れられていたように、スコーラが11歳年長の先輩監督との知遇を得たのは、ユーモア誌『マルカウレリオ』の寄稿家時代だった。 1931年ローマで創刊された『マルカウレリオ』は、戦中の1943年に一時休刊に追い込まれたものの、戦後直ちに復刊され、1958年に廃刊されるまで<ユーモアの殿堂>として屹立した。1947年、まだ16歳の高校生だったスコーラが同誌の編集部に通い始めた時の先輩ライターの中には、フェリーニの他に、ステーファノ・ヴァンツィーナやフリオ・スカルペッリ、ヴィットリオ・メッツら、監督や脚本家として、50年代以降のイタリア式喜劇の中心的なメンバーとして活躍することになる錚々たる面子が揃っていた。ほとんど一回りという年齢差にも関わらず、『マルカウレリオ』誌におけるフェリーニとスコーラの共通点は、ギャグマンとしてのみならず、イラストレーターとして諷刺画(カリカチュア)も手がけ、類希なる造形力の片鱗を覗かせていたことだろう。 実はスコーラが自作の中でフェリーニを登場させたのは、今回が初めてではない。スコーラの代表作『あんなに愛しあったのに』(1974)は、第2次世界大戦中にレジスタンス(対独抵抗運動)の同志だった3人の男性を通して眺められた戦後イタリア史であり、ネオレアリズモの伝統を継承することを改めて宣言した映画である。 そもそもロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)に端を発するネオレアリズモは、第2次世界大戦末期のレジスタンスから始まり、敗戦直後のイタリア社会の抱える諸問題(失業や戦災孤児)に向き合った作品群を指した。『マルカウレリオ』誌での活動と並行しながら、ラジオや映画へと仕事を広げたフェリーニは、『無防備都市』を始めとするロッセリーニ作品の脚本家を経て、ネオレアリズモの分化が顕著となった1950年代に監督デビューを果たしたのだった。 『あんなに愛しあったのに』の3人の登場人物、実業家として成功するジャンニ(ヴィットリオ・ガスマン)、救命士となるアントニオ(ニーノ・マンフレディ)、売れない映画評論家となるニコラ(ステーファノ・サッタ・フロレス)は、ブルジョアジーとプロレタリアート(労働者)、そしてインテリゲンツァ(知識人)の各階級を代表しながら、ネオレアリズモ以降の戦後史を背負って行く。こうした些か類型的な人物造形が、屡々<自伝的>と称されるフェリーニの諸作にも通じることは明らかだが、<ブーム>と呼ばれたイタリアの高度経済成長期を代表する映画として劇中で取り上げられたのが、フェリー二の『甘い生活』(1959)に他ならない。 故郷のリミニで過ごした自堕落な下積み時代に取材した『青春群像』(1953)、ジャーナリストとして目撃した現代ローマのデカダンスを活写した『甘い生活』、そして映画監督として掴んだ栄光とその失墜に対する恐れと慄きの告白である『81/2』(1963)の3作は、フェリーニの実人生の3つの局面に対応する<自伝的な>側面を備えたフィクションである。なかでも、<パパラッツィ>という言葉を世間に広めた『甘い生活』は、当初『青春群像』の主人公モラルド(フランコ・インテレンギ)の後日談として構想されながら、<ラテンの恋人>マルチェッロ・マストロヤンニが起用されることで、ストーリーの一貫性よりも場面ごとのスペクタクル性が前面に押し出される一方で、ネオレオリズモの方法をイタリア社会から個人の内奥へと転じた傑作となった。 <ブーム>に沸き立つローマを現代のバビロンに見立てた『甘い生活』は、ヘリコプターに吊り下げられたキリスト像という意味深長な開幕の後、魅惑的なスペクタクル・シーンの連続が観客を陶酔の渦に巻き込まずにはおかないだろう。とりわけ、主人公マルチェッロの同行取材の最中に、ハリウッド女優(アニタ・エクバーグ)が深夜の<トレヴィの泉>で水浴びをする件は、嘆息なしに見られない名場面として長く記憶されることとなった。 フェリーニ作品に登場する女性像としては、(私生活における細君でもある)小柄で愛くるしい聖女タイプのジュリエッタ・マシーナと、グラマラスで扇情的な娼婦タイプのエクバーグが双璧をなしているが、スウェーデン出身のセクシー女優に過ぎなかったエクバーグが、永遠のイコンとして映画史に刻まれた瞬間だった。フェリーニ晩年の『インテルビスタ』(1988)では、すっかり歳を召したエクバーグが再登場し、マストロヤン二と一緒に往年の美貌を懐かしがってみせたが、惜しむらくも本年1月に逝去している。 『甘い生活』の15年後に完成された『あんなに愛しあったのに』の中で、スコーラはこの<トレヴィの泉>の撮影現場を再現し、(幾分頭髪の寂しくなりつつあった)フェリーニ本人を登場させるという荒業をやってのけた。若き日のフェリーニは痩身の美男子で、ロッセリーニのエピソード映画『アモーレ』(1948)では、俳優として顔見せしたこともあったほどが、TV用映画『監督ノート』(1969)以降、すっかり恰幅の良くなった体躯をカメラに晒すようになる。<自伝的なフィクション>から、映画の中で映画についての考察を促す<自己反省的なメタ映画>へと、フェリーニの作風が変わりつつあった。 監督本人がスクリーンに登場し、映画製作について(虚実を織り交ぜつつ)あけすけに語り始める。こうしたメタ映画をひとつのジャンルとして定着させたのは、フェリーニの功績と言ってよいだろうし、監督がスター化すると同時に、脚光を浴びたのがチネチッタ撮影所だった。1937年、ムッソリーニ政権下に開設されたチネチッタ撮影所は、50年代から60年代にかけてはハリウッドの大作史劇の製作を支えたものの、映画産業の斜陽化が顕在化した70年代に入ると、経営的な苦境を迎えることとなる。そうした逆風の時代にあって、類まれなる造形力を発揮する工房として、チネチッタを愛用したのがフェリーニであり、フェリーニを敬愛するスコーラであった。 『フェデリコという不思議な存在』では、チネチッタ最大級の第5ステージに焦点が当てられ、背景であるべきスタジオが前景化されている。TV番組のスタジオと化したチネチッタを題材にした『インテルビスタ』は元より、『オーケストラ・リハーサル』、『カサノバ』、『そして船は行く』など、後期のフェリーニ作品は、殆ど撮影所の外に出ることを自ら禁じるかのように演出されている。港町のリミニに生まれたフェリーニの作品では、<海>が重要なモチーフとして繰り返し登場するが、ネオレアリズモの後継者としてロケーションを重用した初期から、巨匠としてチネチッタに君臨した後期まで、フェリーニの描く<海>がどのような変遷を辿るのかに着目してみるのも一興かも知れない。■ (西村安弘) © Rizzoli 1960
-
PROGRAM/放送作品
セント・エルモス・ファイアー
[PG12相当]大学を卒業し社会へ踏み出した男女7人の青春模様を若手スター競演で描く傑作群像ドラマ
1980年代を席巻した若手俳優集団“ブラット・パック”のスターたちが豪華競演。大学を卒業して間もない親友7人組が直面する様々な挫折や愛を、デヴィッド・フォスターによるテーマ曲をBGMにほろ苦く綴る。
-
COLUMN/コラム2015.07.06
フランスの気鋭監督が創出した“立てこもり活劇”の醍醐味~『スズメバチ』
本作が2002年の秋に日本公開された際に、ポスターやチラシに添えられたキャッチコピーは今でもよく覚えている。「12000発喰らえ」。しかし謳い文句通りの“ド派手なドンパチ”を期待して劇場に足を運んだ観客は、実際に本編を目の当たりにして面食らったのではないか。何せ序盤の約30分、これといった見せ場がほとんどない。観客を退屈させないための“方程式”に則った昨今のハリウッド・アクションや、本家のハリウッド以上にハリウッド的な娯楽性に富んだヨーロッパ・コープ製のフレンチ・アクションに慣れ親しんだ映画ファンは、本作のいささか冗長で無愛想にも映る導入部に焦れったさを感じるかもしれない。 正直なところ決して洗練されたタッチの導入部ではないが、作り手の狙いははっきりしている。「荒野の七人」のテーマ曲を口笛とアカペラで奏でながら、練りに練った犯罪計画を実行に移そうとしている若い窃盗犯グループ。人身売買、武器密輸などの凶悪犯罪を繰り返してきたアルバニア・マフィアのボスを、物々しい装甲車で護送しているフランス警察の特殊部隊。そして職場に向かおうとしている元消防士のしがない中年警備員。7月14日のパリ祭を背景に、そんな見ず知らずの登場人物たちが偶然にも“ある場所”に集結していく過程が描かれる。そう、この映画は冒頭30分を長々と費やして、アクション映画を形成する重要な要素のひとつであるシチュエーション=状況設定を組み立てているのだ。その30分を乗りきった観客には、ご褒美として中盤以降に怒濤のシークエンスが待っている。 その“ある場所”とは、ストラスブールの工業地帯にたたずむ黒い外壁の巨大な倉庫だ。ここに忍び込んだ窃盗犯グループは、前述の中年男ともうひとりの若い警備員を拘束し、大量のノートパソコンを強奪してトンズラしようともくろんでいる。ところが時同じくしてストラスブール近郊の別地点で、ボスを奪還しようとするマフィアの武装軍団が特殊部隊の護送車を襲撃。からくも生き延びた女性中尉リボリと数名の部下は、まだ窃盗犯グループがとどまっている倉庫に一時避難する。倉庫はあれよあれよという間に武装マフィアに包囲され、外界への連絡手段を断たれたリボリに残された道はただひとつ。その倉庫に身を潜めたまま窃盗犯や警備員たちと力を合わせ、軍隊並みの重装備を誇るマフィアを迎え撃つことだ。 言わば、これは倉庫を“砦”に見立てた伝統的な“立てこもり型”のアクション映画である。逃げるという選択肢を奪われた登場人物が、閉塞した限定空間に籠城して必死の抵抗を試みる。孤立無援にして、圧倒的な多勢に無勢。まともに闘ったら絶対に勝ち目はない。ゆえに登場人物がすべきことは敵の侵入を“防ぐ”ことであり、そこにヒリヒリするような極限状況のスリルが生まれる。スカッとした爽快さ&豪快さを売りにしたアクション大作とは真逆の、首を真綿で締められるがごときマゾヒスティックな緊張感。生き抜くためには命知らずの度胸や腕っぷしの強さよりも、ひたすら忍耐力と臨機応変の対応力が求められる。そこに立てこもり活劇の醍醐味がある。 このジャンルの代表作というと、ジョン・カーペンター監督の『要塞警察』(76)とその原点であるハワード・ホークス監督の西部劇『リオ・ブラボー』(59)がすぐさま思い浮かぶ。とりわけこの映画と『要塞警察』の類似性は誰の目にも明らかだ。しかしながら本作には「このシチュエーションの活劇が撮りたかった!」という作り手の並々ならぬ意欲が全編にみなぎっており、パクリや二番煎じと誹る向きはどこにもいないだろう。浮ついたギャグや、二丁拳銃などのアクロバティックな描写は一切ない。その代わりに戦闘中の登場人物が残りの弾薬数を確認したり、状況がじわじわと切羽詰まっていくプロセスをリアルに見せる工夫が随所に盛り込まれ、本格的な立てこもり活劇に仕上がっている。 『スズメバチ』というタイトルも言い得て妙だ(原題は『Nid de guêpes(スズメバチの巣)』)。目の部分が不気味に赤く光る暗視ゴーグルを装着した武装マフィアが、暗闇の中からうようよと無数にわき出ては、容赦なく倉庫に群がってくるイメージは、まさしくスズメバチを想起させる。生憎、筆者はその筋には詳しくないが、銃器の演出にもそうとうこだわりがあるのだろう。立てこもる側の登場人物にはそれぞれのキャラクターの個性に合わせてショットガン、カービン銃、自動小銃といった新旧織り交ぜた武器を持たせ、武装マフィアはサイレンサー付きの銃でひたひたと攻め入ってくる。撃ち抜かれた壁の銃痕の穴から光が差し込むというガン・アクション映画には定番のショットにも、“スズメバチの巣”のヴィジュアル化を意識した美学が宿っている。ちなみに監督は本作の成功がきっかけでハリウッドに招かれ、ブルース・ウィリス主演の『ホステージ』(05)を発表し、最近では「マイウェイ」の共作者として名高いポップスター、クロード・フランソワの伝記映画『最後のマイ・ウェイ』(12)を手がけたフローラン・エミリオ・シリ。『スズメバチ』は彼の長編第2作であり、本邦初登場作品である。 「ここを突破されたらヤバい!」というギリギリの切迫感が少々物足りず、クライマックスへのなだれ込み方が大味になってしまったことなど難点はいくつか見受けられるが、『TAXi』(97~07)シリーズで名を馳せた某俳優が演じるキャラクターが早々に戦闘不能に陥ったり、誰が最後まで生き残るのかは予測不可能。「12000発喰らえ」のキャッチコピーに引かれた観客の期待にも応えるであろう“フレンチ立てこもりアクション”のカタルシスを、ぜひ堪能してほしい。■ © 2002 - CINEMANE FILMS - CARRERE GROUP - PATHE IMAGE PRODUCTION - FRANCE 2 CINEMA
-
PROGRAM/放送作品
テキサス群盗団
果たすべきは兄の仇討ちのみ。クールで硬派な男の美学が漂う、古き良きガンファイト西部劇
兄の仇討ちに燃える主人公のガンマンを演じるのは、多数の西部劇映画に主演した名優、オーディ・マーフィ。クラシックな西部劇の隠れた名作だ。男臭い物語に魅力的なヒロインたちが華を添える娯楽活劇。
-
COLUMN/コラム2015.03.04
【未DVD化・ネタバレ】滅多に観られない1970年代のよく出来たシチュエーションコメディ〜『ニューヨーク一獲千金』
1970年代に一斉を風靡した、『ゴッドファーザー』(1972年)『ゴッドファーザー PART II』(1974年)のジェームズ・カーンと、『ロング・グッドバイ』(1973年)のエリオット・グールドの主演作だ。監督は、本作ののちにベット・ミドラー主演の『ローズ』(1979年)、ヘンリー・フォンダ&キャサリン・ヘプバーン主演の『黄昏』(1981年)、ベット・ミドラー&ジェームズ・カーン主演の『フォー・ザ・ボーイズ』(1991年)を撮る名匠マーク・ライデルだ。 サウンドトラックがすばらしい出来で、『ロッキー』のタイア・シャイアの旦那さん、デヴィッド・シャイアが担当。撮影監督はアメリカン・ニューシネマを代表するカメラマン、『イージー・ライダー』(1969年)や『ペーパー・ムーン』(1973年)や『未知との遭遇』(1977年)のラズロ・コヴァクスだ。脚本がよく練られていて、『マホガニー物語』(1975年)のジョン・バイラムと、『フリービーとビーン/大乱戦』(1974年)のロバート・カウフマンだ。 主人公は2人の売れないヴォードヴィリアン、ハリー(ジェームズ・カーン)とウォルター(エリオット・グールド)で、1892年、マサチューセッツ州のコンコード刑務所に2人が護送されてきた。そこで、金庫破りの名人アダム・ワース(マイクル・ケイン)の奴隷同然の召使いにさせられる。ワースは豪華な特別室におさまり、刑務所長、看守を顎で使っている。彼は腹心のチャトワースが持って来たマサチューセッツ州ローウェルの銀行になる金庫の青写真をカーテンの裏に貼って研究を始める。 その頃ニューヨークの左系新聞の記者リサ・チェストナット(ダイアン・キートン)が刑務所の取材に訪れた。ハリーはこっそり青写真をリサの助手のカメラで撮ったのだが、マグネシウムの火がカーテンに引火して銀行の見取り図の青写真は燃えてしまった。怒ったワースは看守に命じて2人を石材場の重労働に追いやる。ハリーがその石切場からニトログリセリンを持ち出し、2人は刑務所の門を破って逃走する。 ニューヨークに着き、その新聞社で青写真を撮ったネガを入手。だが、出所してきた強盗のプロ、ワースに見つかって見取り図は取り上げられる。 現像した写真を前に、リサはワースに対抗して金庫破りをすることになる。ただし金は社会正義のために使うことを提案する。その計画にスタッフも賛成し、一同はローウェルに向かって、銀行の上の部屋からトンネルを掘り始める。ところが隣の部屋へ銀行の頭取ルーファス・クリスプ(チャールズ・ダーニング)が女を連れこんでいた。頭取がいてはトンネルが掘れないので、リサは頭取に巧みに近寄り翌日の夜、2人でオペレッタを見に行く。そのオペレッタの主演がワースの恋人グロリア・フォンテーン(レスリー・アン・ウォーレン)なのに気が付いたリサが楽屋を探ると、やはりワース一味がいた。 彼らは劇場の地下室から銀行までトンネルを掘り、次の日のショーが終ったら金庫破りを決行する計画だと判明する。 リサたちは何とか先手を打って、劇場に忍びこみ、ショーの途中に金庫を開けようとする。だが、なかなか金庫は開かず、ショーは終りそうになる。ヴォードヴィリアンのハリーとウォルターが衣裳をつけて舞台に加わる。オペレッタは、めちゃくちゃになるがそれまで退屈であくびを噛み殺していた観客に大いに受ける。 見事に大金を盗み出したリサ、ハリー、ウォルターらはニューヨークに戻った。そこで彼らと再会したワースは、いさぎよく敗北を認めるのだった。 コーエン兄弟の監督作品『オー!ブラザー』にも通じる、すこぶる軽快な強奪ものである。銀行強盗をゲーム感覚で描いた犯罪アクションで、キャストの顔ぶれだけでもおもしろさは約束されている。何よりも楽しいのは、『探偵<スルース>』(1972年)のマイクル・ケイン、『狼たちの午後』(1975年)のチャールズ・ダーニング、『アニー・ホール』(1977年)のダイアン・キートン、『チューズ・ミー』(1982年)のレスリー・アン・ウォーレン、『イナゴの日』(1975年)のデニス・デューガン、『ロッキー』(1976年)のバート・ヤングら、1970年代を彩った「名脇役たち」が多数出演していること。ソニー・コルレオーネでトップ俳優となった能天気なジェームズ・カーンが、若かりし頃のダイアン・キートンに手助けされるというお楽しみもある。 ある意味で、サクセスストーリーだと解釈できる。そのギャグが緻密に計算されてシチュエーションコメディなので、何回観ても飽きないのだ。 本作は1988年ぐらいにビデオソフトになったが、シネマスコープサイズの作品をTVサイズにトリミングしたため、大団円の最高におもしろいシーンが左端で起こっていてカットされるという憂き目にあっている。その意味で、今回の放送はもしかしたら、これがマトモなかたちで観られる最後かもしれず、1970年代のコメディ映画ファンにとって、これほど喜ばしいものはない。■ © 1976, renewed 2004 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
-
PROGRAM/放送作品
フリック・ストーリー
アラン・ドロン製作&主演!暗黒街の凶悪犯を追う刑事の血で血を洗う執念のドラマ!
『太陽がいっぱい』で大スターとなった名優アラン・ドロンが、泥臭い刑事役で主演した意欲作。敵役の冷酷な凶悪犯を演じるジャン=ルイ・トランティニャンも魅力的な刑事サスペンス。
-
COLUMN/コラム2014.10.18
【3ヶ月連続キューブリック特集 最終回】キューブリック映画の偽造空間〜『フルメタル・ジャケット』『アイズ ワイド シャット』
今や映画は、劇中の舞台が世界各国のどこであろうと、再現に不可能はない。俳優をグリーン(ないしはブルー)スクリーンの前で演技をさせ、CGによって作られた仮想背景と合成する[デジタル・バックロット]によって、映画は地理的な制約を取り去ったのだ。 ただ、あくまで作り手が現場の持つ風景や空気にこだわるか、あるいは演じる俳優の感情を高める場合、実地におもむいて撮影をする。それが容易でなければ、舞台となる土地とよく似た場所を探しだし、パリならパリ、香港なら香港のように見せかけて撮る。デジタルの時代にあっても、映画作りの基本はやはりそこにあるといえるだろう。 スタンリー・キューブリック監督の映画の場合、舞台を実地に求めることはなく、ほとんどが後者だ。1962年の『ロリータ』以降、アメリカからイギリスに移り住んだキューブリックは、自作を全て同国にて撮影している。アメリカが舞台の『博士の異常な愛情』(64)も『シャイニング』(80)も、主要なドラマシーンはイギリスにて撮影が行われているのだ。 既存からではない、世界の創造。これぞ完璧主義の監督らしい果敢なチャレンジといえるだろう。だが完璧を標榜するのならば、コロラドが舞台ならコロラドで撮影するのが理にかなっている。たとえば東京をロンドンで再現したところで、東京で撮影する現場のリアリティや説得力にはかなわないのだ。 そのせいか、キューブリックの映画に登場する風景やランドスケープは、その場所を徹底的に造り上げながらも決してその場所ではない、どこか不思議な人工感を覚える。自然光を基調とするリアルなライティングや、徹底した美術設定がより違和感を際立たせているのだ。そしてこの「ナチュラルに構築された人為性」もまた、氏の超然とした作風の一助となっているのである。 『フルメタル・ジャケット』(87)も先の例に漏れず、劇中に登場するベトナムは、そのほとんどがイギリスでの撮影によるものだ。特に後半、海兵隊員たちが正体不明のスナイパーから狙撃を受け、兵士が一人、また一人と息の根を止められていくシークエンスは、ロンドン郊外のコークス精錬工場の跡地がベトナムの都市・フエ(ユエ)として演出されている。ベトナム映画によく登場する密林地帯ではなく、市街地が舞台ということもあって、そこにひときわ異質さを覚えた人は多いだろう。 『ディア・ハンター』(78)や『地獄の黙示録』(79)など、これまでベトナム戦争を描いてきた作品は、タイやフィリピンなど東南アジアでロケが敢行されてきた。ことに『フルメタル〜』の公開された頃は、米アカデミー作品賞を受賞した『プラトーン』(86)を皮切りに『ハンバーガー・ヒル』や『ハノイ・ヒルトン』(87)『カジュアリティーズ』(89)など、多くのベトナム戦争映画が量産されている。これら作品はよりベトナム戦争のアクチュアルな描写に食い込んでいこうと、苛烈を極めたジャングルでの戦いに焦点を定め、リアルな画作りを標榜している。そのことが『フルメタル〜』の、市街での戦闘シーンをより独自的なものに感じさせたのだ。 こうしたキューブリックの偽造空間は、批評のやり玉にあげられることもある。「あの映画を二回くらい観れば、パリス島のシーンに灯火管制下の英国の道路標識みたいなものがあるのに気づくようになる」とは、軍史家リー・ブリミコウム=ウッドの弁だ(デイヴィッド・ヒューズ著「キューブリック全書」フィルムアート社刊より)。しかしウッドはそう指摘しながらも、本作が兵器考証や歴史考証の精巧さでもって、この映画が多くの観客をあざむいていることを認めているのである。 ともあれ、こうした『フルメタル〜』の持つ異質な外観が、ベトナム戦争映画という固有のジャンルに留まらず、ひいては争いという行為の真核へと迫る「戦争映画」としての性質を高めているのもうなづける。手の込んだキューブリックの偽造空間術は、イビツながらも相応の効果を生んでいるといえるだろう。 ■ロンドンにニューヨーク市街を築いた『アイズ ワイド シャット』 『フルメタル・ジャケット』の次に製作された『アイズ ワイド シャット』(99)は、こうしたキューブリックの偽造空間主義に、いよいよ終止符が打たれるのでは? と思われた作品だ。 原作は1920年代のウィーンを舞台とする官能サスペンスだが、それを現代のニューヨークに変更した時点で、本作は現地ロケの可能性を臭わせていた。もともとニューヨーカーだったキューブリックだけに、場所に対する土地勘もある。なにより多忙な世界的スターであるトム・クルーズを、ロンドンに長期拘束するはずがないというのが、映画ジャーナリスト共通の見解だったのである。 しかし秘密主義だったキューブリック作品の常で『アイズ ワイド シャット』の全貌は公開まで伏せられた。そして公開された本作を観客は目の当たりにし、舞台のニューヨークは明らかに「ニューヨークでありながらもニューヨークではない」キューブリックの偽造空間演出の継続によって作られたことを知るのである。そしてアジアをロンドンに再現した『フルメタル〜』を凌ぐ「ニューヨークをロンドンで再現する」という、ねじれ曲がった撮影アプローチに誰もが驚愕したのだ。 さらに公開後『アイズ ワイド シャット』のそれは、もはや常規を逸した規模のものだったことが明らかになる。 アメリカ映画撮影協会の機関誌「アメリカン・シネマトグラファー」1999年10月号で、ロンドン郊外にあるパインウッドスタジオの敷地内に建設された、ニューヨーク市街の巨大セットのスチールが掲載された。さらには2008年11月には、500ページ・重量5キロに及ぶ豪華本「スタンリー・キューブリック アーカイブズ」の中で、トム・クルーズがスクリーンの前に立ち、そのスクリーンにニューヨークの実景を映写して撮影する[スクリーン・プロセス]のメイキングスチールが掲載されている。どれもニューヨークでロケ撮影をすれば容易なショットを、まるで『2001年宇宙の旅』(68)もかくやのような特撮ステージと視覚効果によって得ていたことが明らかになったのだ。 その大掛かりな撮影のために、同作にかかった製作費は6500万ドル。トム・クルーズの高額の出演料を考慮しても、あるいはギネスブックに認定されるほどの長期撮影期間を差し引いても、キューブリック映画史上最高額となるこの数字が、偽造空間に執着することの異常さを物語っている。 ■キューブリック、偽造空間主義の真意 それにしてもキューブリックは、なぜそこまでしてイギリスでの撮影に固執するのだろう? 大の飛行機嫌いで遠距離の移動を嫌うとも、あるいはアクティブな性格でないために、日帰りできる範囲を撮影現場にするといった、数限りない伝説が氏を勝手に語り、イギリスを出ないキューブリック映画を一方的に裏付けている。 『アイズ ワイド シャット』は公開を待たずにキューブリックが亡くなったため、その偽造空間の真意を知ることはままならない。しかし『フルメタル・ジャケット』に関しては、本人のホットな証言が身近に残されている。月刊誌「イメージフォーラム」(ダゲレオ出版刊)1988年6月号の特集「戦争映画の最前線」における、キューブリックのインタビューだ。 同記事は『フルメタル』日本公開のパブリシティに連動したものだが、聞き手は日本人(河原畑寧氏)によるもので、それだけでも相当なレアケースといえる。 この文章中、キューブリックは「現地ロケをするつもりはなかったのか?」という問いに対し、 「東南アジアへ行くことも考えたが、英国で格好の場所が見つかった。石炭からガスを抽出する工場の廃墟だ。建物は三十年代のドイツの建築家の設計で、とても広くて、記録写真で見るユエやダナンの風景ともよく似ていた。(中略)しかも、爆発しようが火をつけようがかまわないという。そんなことが出来る場所が、世界中探しても他にあるかね? (中略)たとえベトナムの現地に出かけたところで、建物を破壊したり燃やしたりは出来ない」 と、自身のイギリス拘束をむげに正当化するものではなく、極めて合理的な回答をしている。さらには劇中に登場するベトナム人は、英国にあるベトナム人居住区に人材を求めたことなど、無理してイギリスを出る理由がなかったことも付け加えている。詳細を追求してみれば、真実は意外にあっさりしたものだ。 同時にキューブリックはこのインタビュー中「日本に来ませんか?」という問いかけに対し、 「行きたいと思っている。ここから(ロンドン)だとロサンゼルスと同じくらいの時間で行けるはずだね」 と、ささいな会話のやりとりながら、飛行機アレルギーや出不精といった伝説を自らやんわりと否定している。 ハリウッドに干渉されないための映画作りを求め、イギリスに移り住んだキューブリック。そこで気心の知れたスタッフや、ウェルメイドな製作体制を得たことが、氏にとって創作の最大の武器になったのだ。 キューブリックの偽装空間は、こうした作家主義の表象に他ならない。そして、その作家主義を商業映画のフィールドで行使できるところに、この人物の偉大さがうかがえるのである。 生前、キューブリックが日本にくることはかなわなかった。しかし氏の遺した作品が、時間や場所を越境し、今もこうして議論が費やされ、さまざまな角度から検証されている。 三回にわたる集中連載、まだまだ語り足りないところがあるが、次に機会を残して幕を閉じたい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.