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PROGRAM/放送作品
ローズマリーの赤ちゃん
悪魔の子供を妊娠させられた…現実か、それとも妄想か?オカルト・ホラーの先駆作にして金字塔
オカルト映画ブームの先駆けとなった名作ホラー。悪魔の子供を妊娠したかもという妄想めいた恐怖を、名匠ロマン・ポランスキーが息詰まる心理描写で紡いでいく。ルース・ゴードンがアカデミー助演女優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2021.02.04
漂泊者ポランスキーの「呪われた映画」『ローズマリーの赤ちゃん』
本作『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)の原作小説は、アイラ・レヴィン(1929~2007)が、67年に発表。ベストセラーになった。 レヴィンは、物語に時事的な社会問題を織り込んでサスペンスを醸し出す、巧みなストーリーテラーとして評価が高かった作家である。72年に出版された「ステップフォードの妻たち」は、“ウーマン・リブ”の時代への男性の恐怖心をベースにしたもの。76年の「ブラジルから来た少年」では、ナチス・ドイツ残党の実在の医師メンゲレが、当時最新の“クローン”技術で、ヒトラーの復活を企てる。 そしてそれらに先立つ「ローズマリーの赤ちゃん」は、50年代末から60年代初めに起こった世界的な大事件から、着想を得ている。 ニューヨークに住む、ローズマリーとガイの若夫婦。ガイは俳優で、舞台やテレビCMなどに出演するも、今イチぱっとしない。 夫婦は歴史のあるアパート、ブラムフォードへと引っ越す。2人の中高年の友人ハッチは、過去に数々の事件が起こった場所だと懸念するが、夫婦は耳を貸さなかった。 入居して間もなくローズマリーは、隣室のカスタベット夫妻宅の居候だという、若い娘テリーと親しくなる。しかしその数日後、テリーは窓から身を投げ、自殺を遂げる。 その件がきっかけで、ローズマリーとガイは、テリーの面倒を見ていた隣室の老夫婦、ローマンとミニーと顔見知りになる。夕食に招かれるなどする内に、ガイは演劇に詳しいローマンと親しくなり、カスタベット家を頻繁に訪ねるようになる。 そして間もなく、ガイのライバルの俳優が突如失明。ガイに役が回るという、思いがけないチャンスが巡ってきた。 時を同じくしてガイは、子作りにも積極的になる。ローズマリーの排卵日、彼女はミニーから差し入れられたデザートを食べた後、目まいに襲われ、ベッドに臥せってしまう。 その夜ローズマリーは、夢を見る。ガイやカスタベットらが見守る中で、人間離れした者に犯されるという内容の悪夢であった。 翌朝起きると、彼女の身体のあちこちに、引っかき傷が出来ていた。ガイは、子作りのチャンスを逃したくなかったので、意識のないローズマリーを抱いたと説明をする。 エヴァンスが『反撥』に感心して、ポランスキーに監督をオファーしたことは、先に記した通りだ。『反撥』は、セックスへの恐怖心が昂じて、閉鎖空間で現実と妄想の区別がつかなくなって狂っていく、若い女性が主人公の作品である。 そんな作品を撮ったポランスキーこそ、「ローズマリー…」の映画化に正に打ってつけの人材と、エヴァンスは見込んだ。そしてポランスキーもまた、この題材に強く惹かれたというわけである。 ポランスキーは自分で注文をつけた通り、ほぼ「原作に忠実」な映画化を行った。そんな中ローズマリーが犯されるシーンで、LSDを服用したかのような、サイケな映像を用いて、現実とも妄想ともつかないように演出している辺り、当時の彼の才気が爆発している。 原作からの改変として、ポランスキーが挙げるのは、次の一点のみ。 「…私はラストを少し改変した。というのは、本の結末は少しばかり失望させるものだったからだ。あそこはちょっと長引きすぎると思う」。 これに関しては機会があったら、是非原作と映画版の違いを、自らの目で確かめて欲しい。 何はともかく、レヴィンの原作とポランスキー監督のマッチングは、大成功! ローズマリー役のミア・ファローのニューロティックな感じもピタリとハマった。映画は大ヒットを記録し、ポランスキーはアカデミー賞の脚色賞にもノミネートされる。 通常ならばこうした経緯を、「幸運な出会い」と表現するべきなのであろう。しかしこの作品に関しては、それ以上に他の形容をされる場合が多い。「呪われた映画」であると…。 後に原作者のレヴィンは、自分は“サタン”を信じないと発言。またポランスキーは、無神論者であることを明言している。それなのにこの作品とその成功は、作り手がつゆとも思わなかった、“悪魔”を呼び込んでしまったのである。 『ローズマリー…』の大成功により、ハリウッドの住人として認められたポランスキーは、映画公開の翌年=69年2月、ロサンゼルスに居を構える。それから半年経った8月9日朝、ポランスキー家のメイドが、5人の遺体を発見する。 殺害されていたのは、ポランスキーが『吸血鬼』で出会って結婚し、当時妊娠8カ月だった女優のシャロン・テートと、ポランスキー夫妻の関係者ら。ポランスキー本人は、次回作のシナリオ執筆のためロンドンに滞在しており、留守にしていた。 数か月後、凶行に及んだのは、チャールズ・マンソンが率いるカルト集団であることが判明。この犯行は無差別殺人の一環であり、ポランスキーの邸宅が狙われたのは、単なる偶然であった。 いずれにせよ、『ローズマリー…』が成功せず、ポランスキーがロスに居を移すことがなかったら…。若妻がカルト集団に惨殺されることも、なかったわけである。 因みに映画でローズマリーらが住むアパート、ブラムフォードの外観に使われたのは、ニューヨークのセントラルパーク前に在る、ダコタハウス。1980年12月8日、ここに住むジョン・レノンが、玄関前で撃たれて落命した、あのダコタハウスである。 これは、映画とは何ら関係のない事件である。しかしミア・ファローが、ビートルズのメンバーと共に、インドで瞑想の修行に臨んだ過去の印象などもあってか、『ローズマリー…』を「呪われた」と語る場合、不謹慎な言い方になるが、レノンの殺害が、その彩りになってしまっているのは、紛れもない事実と言える。『ローズマリーの赤ちゃん』TM, ® & © 2021 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
[PG12]クエンティン・タランティーノが古き良きハリウッドに愛を捧げる!郷愁を誘う長編グラフィティ
1969年に起きたシャロン・テート殺害事件を背景に、クエンティン・タランティーノ監督が60年代ハリウッドを独自の視点でノスタルジックに活写。アカデミー助演男優賞(ブラッド・ピット)と美術賞を受賞。
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COLUMN/コラム2018.03.05
ポランスキー的な“恐怖”と“倒錯”が濃厚に渦巻く悪夢的スリラーの傑作『テナント/恐怖を借りた男』
■『チャイナタウン』と『テス』の狭間に撮られた日本未公開スリラー 『反撥』(65)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、『戦場のピアニスト』(02)、『ゴーストライター』(10)などで名高いロマン・ポランスキーは、言わずと知れたサスペンス・ジャンルの鬼才にして巨匠だが、アルフレッド・ヒッチコックのような“華麗なる”イメージとは異質のフィルムメーカーである。その一方で“倒錯的”な作風においてはヒッチコックに勝るとも劣らないポランスキーの特異な個性は、彼自身の世にも数奇な人生と重ね合わせて語られてきた。 ユダヤ系ポーランド人という出自ゆえに第二次世界大戦中の少年期に、ナチスによるユダヤ人狩りの恐怖を体験。映画監督としてハリウッドで成功を収めて間もない1969年には、妻である女優シャロン・テートをチャールズ・マンソン率いるカルト集団に惨殺された。そして1977年、少女への淫行で有罪判決を受けてヨーロッパへ脱出し、今なおアメリカから身柄引き渡しを求められている。 このように“身から出た錆”も含めて災難続きの大波乱人生を歩んできたポランスキーだが、日本でも多くの熱烈なファンを持ち、母国ポーランドでの長編デビュー作『水の中のナイフ』(62)から近作『毛皮のヴィーナス』(13)までの長編全20本は、そのほとんどが日本で劇場公開されている。妻のエマニュエル・セニエとエヴァ・グリーンをダブル主演に据えた最新作『Based on a True Story(英題)』(17)はスランプ中の女流作家とその熱狂的なファンである謎めいた美女との奇妙な関係を描いたサイコロジカルなサスペンス劇。こちらもすでに日本の配給会社が買付済みで、年内の公開が予定されている。 今回紹介する『テナント 恐怖を借りた男』(76)は、シャロン・テート惨殺のダメージから立ち直ったハードボイルド映画『チャイナタウン』と文芸映画『テス』(79)の間に撮られた心理スリラーだ。原作はローラン・トポールの小説「幻の下宿人」。『ポランスキーの欲望の館』(72)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)と合わせ、わずか3作品しかないポランスキーの日本未公開作の1本だが、上記の2作品とは違ってなぜ劇場で封切られなかったのか理解に苦しむハイ・クオリティな出来ばえである。さらに言うなら“ポランスキー的な恐怖”を語るうえでは絶対欠かせない重要な作品なのだ。 ■極限の疎外感に根ざしたポランスキー的な“恐怖” 主人公の地味なサラリーマン、トレルコフスキーはフランスに移り住んだポーランド人。彼はパリの古めかしいアパートを借りようとするが、やけに無愛想な管理人のマダム(シェリー・ウィンタース!)に案内されたのは、前の住人である若い女性シモーヌが投身自殺を図ったいわく付きの部屋。シモーヌは現在入院中なのだが、マダムは嫌な笑みを浮かべて「まだ生きてるけど、死ぬのは時間の問題よ」などと不謹慎なことを言い放つ。やがてシモーヌは本当に死亡し、トレルコフスキーはこの部屋での新生活をスタートさせるが、次々とおぞましい出来事に見舞われていく。 トレルコフスキーがまず悩まされるのは隣人トラブルだ。会社の同僚を部屋に招いて引越祝いのパーティーを開くと、上の階の住人からの苦情を受け、下の階に住む年老いた大家からは顔を合わせるたびに「君は真面目な青年だと思ったのだが」と皮肉交じりの小言を浴びせられる。こうしてトレルフスキーは“"物音”を立てることに過敏になっていくのだが、ある日訪ねた同僚の男は深夜にステレオを大音量で鳴らし、文句を言いに来た隣人を「いつ、どんな音で聴こうが俺の勝手だ!」と逆ギレして追い返す。何たる神経の図太さ。しかし小心者のトレルコフスキーには、そんなマネなどできるはずもない。この映画は社会のルールを守り、すべてを無難にやり過ごそうとするごく平凡な常識人が言われなき非難と攻撃を受け、精神的に孤立していく過程を執拗なほど念入りに描き、カフカ的な不条理の域にまで昇華させている。 むろん“倒錯の作家”ポランスキーが紡ぐ恐怖が、ただの隣人トラブルで済むはずもない。部屋のクローゼットからは前住人シモーヌの遺品である黒地の花柄ワンピースが発見され、壁の穴にははなぜか人間の歯が埋め込まれていることに気づく。そして夜な夜な窓の外に目を移すと、向かいの建物の共同トイレに人が立っている。しかもその人物は幽霊のように生気が欠落していて、身じろぎもせずただボーッと突っ立っているのだ。ここまで記した隣人、ワンピース、歯、共同トイレの幽霊人間のエピソードはすべて、このうえなく異常な展開を見せる後半への伏線になっている。ついでに書くなら、トレルコフスキーが行きつけのカフェで煙草のゴロワーズを何度注文しても、マスターが「マルボロしかない」と返答し、頼んでもいないホット・チョコレートを差し出してくる逸話も要注意だ。生前、このカフェに通っていたシモーヌはマルボロの愛好家であり、いつもトレルコフスキーが座る席でホット・チョコレートを飲んでいたのだ! かくしてトレルコフスキーはアパート関係者やカフェのマスターらがこっそり結託し、自分をシモーヌ同様に窓からの投身自殺へと追い込もうとしているのではないかというオブセッションに取り憑かれていく。こうした人間不信を伴う極限の疎外感こそが、まさに前述した“ポランスキー的な恐怖”の根源である。本作はそれだけにとどまらない。人間不信の被害妄想的な側面を徹底的に膨らませ、トレルコフスキーとシモーヌのアイデンティティーの一体化をまさかの“女装”によって直接的に表現しているのだ。むろん、そうした奇妙キテレツなストーリー展開はローラン・トポールの原作小説に基づいているが、グロテスクなようで怖いほどハマっている女装も含め、すべてを主演俳優でもあるポランスキー自身が演じている点が実に興味深い。 ■物語の見方がひっくり返されるポランスキー的な“倒錯” ひょっとすると、ブラックユーモアも満載されたこの映画は、現実世界で理不尽な厄災に見舞われ続けてきたポランスキーが、自らの内なる恐怖と向き合うセラピーを兼ねた企画なのではないかという気がしてくる。そう考えると、映画の見方そのものが根底からひっくり返される。そもそも前住人が怪死を遂げた事故物件を積極的に借りたがるトレルコフスキーの行動は不可解だし、入院中のシモーヌをわざわざ見舞いに行く律儀さも不自然だ。もしやトレルコフスキーは周囲の悪意に翻弄されて悲惨な運命をたどったのではなく、言わば“安らかな自己破滅”を望んでこのアパートにやってきたのではないか。理屈では容易に納得しがたいこのような突飛な解釈が脳裏をかすめるほど、本作には“ポランスキー的な倒錯”が濃厚に渦巻いている。 寒々しくくすんだ色調の映像を手がけた撮影監督は、イングマール・ベルイマンとの長年のコラボレーションで知られるスヴェン・ニクヴィスト。カメラがアパートの窓と外壁をなめるように移動するオープニングのクレーンショットからして印象的だが、そこで最初にクレジットされるキャストはイザベル・アジャーニである。前年に狂気の悲恋映画『アデルの恋の物語』に主演して一躍脚光を浴びた彼女は、本作の撮影時21歳。まさに売り出し中の新進美人女優だったわけだが、ここで演じるのはトレルコフスキーと出会ったその夜に映画館へ繰り出し、『燃えよドラゴン』を観ながら客席で発情するという変態的なヒロインだ。 そんなアジャーニの起用法も何かとち狂っているとしか思えないが、観ているこちらの困惑などお構いなしにポランスキーの神経症的な恐怖演出は冴えに冴えている。とりわけ『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編を想起させる“生首”の幻想ショットには、何度観てもうっとりせずにいられない。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
[PG12]クエンティン・タランティーノが古き良きハリウッドに愛を捧げる!郷愁を誘う長編グラフィティ
1969年に起きたシャロン・テート殺害事件を背景に、クエンティン・タランティーノ監督が60年代ハリウッドを独自の視点でノスタルジックに活写。アカデミー助演男優賞(ブラッド・ピット)と美術賞を受賞。
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COLUMN/コラム2012.03.01
映画の中のニューヨーク
■映画を彩る街・ニューヨーク もしもアカデミー賞にロケーション部門があったら、ニューヨークの街はノミネートのほとんどを独占してしまうことだろう。それだけたくさんの映画の舞台となり、魅力的な姿を映し出して来たニューヨーク。この街のあの場所が描かれて来た舞台裏を知ると、映画の中のニューヨークをより楽しめるようになる。いわゆるニューヨークと呼ばれるエリアは、マンハッタン島を中心に合計5つの区域で成り立っている。中心にあるマンハッタン島と隣のブルックリンには3本の橋が渡っており、最も南に位置し、最も美しいと言われ数々の映画でも描かれてきたのがブルックリン橋(2)。 アメリカで屈指のコメディ俳優、ベン・スティラーが監督した『僕たちのアナ・バナナ』ではマンハッタンから見て橋の向こう側、ダンボ地区にあるブルックリン・ブリッジ・パーク(3)がロケ地として使われている。映画同様、このあたりからはマンハッタンの美しい摩天楼を眺めることができるため、昼夜問わず多くのカップルや観光客が訪れる。 また、『10日間で男を上手にフル方法』にはスタッテン・アイランド(4)へ行くシーンがあるが、マンハッタンからスタッテン・アイランドへは無料のフェリーでしか渡ることができず、ブルックリンとスタッテン・アイランドを渡すペラザノナローズ・ブリッジ(5)が結んでいる。 タクシーで去っていくケイト・ハドソンをマシュー・マコノヒーが走って追いかけるラストシーンはブルックリン橋の上。通常、徒歩や自転車は車道の上にある橋を渡るのだが……。 5月に放送する『セックス・アンド・ザ・シティ』でも、仲違いしたミランダとスティーブがこの橋の上で夫婦としてやり直すことを誓う感動的なシーンが繰り広げられる。 ■マンハッタン内に星の数だけあるホテル群も、映画の舞台として大事な役目を担っている。 例えば『ホーム・アローン2』のザ・プラザ(6)、イーサン・ホーク監督の、タイトルもそのままの『チェルシー・ホテル』(7)など単なるロケ地以上の存在感を示すものも。 その中で、最も多く映画の舞台に使われたホテルのひとつは、間違いなくウォルドルフ=アストリア・ホテル(8)だろう。 ミッドタウン東側のグランド・セントラル駅に近いこの高級ホテルには、そうそうたる人物が宿泊していたとしても有名。マリリン・モンローやフランクリン・D・ルーズベルト大統領、昭和天皇や吉田茂も宿泊者リストに名を連ね、『Jエドガー』(クリント・イーストウッド監督)で映画化されたハーバート・フーヴァーはウォルドルフ=アストリアに居住していたことがある。 いまでもこのホテルでは映画関連の記者会見や取材場所として使われることが多く、ジャンケットと呼ばれる映画のプレスデーが開催される週末には、黒塗りのリムジンがホテル正面玄関に横付けされ、スターたちがホテル入りする。 マンハッタン内でプレスデーが行なわれるホテルは限られており、ウォルドルフ=アストリアで張っていればスターに会える確立も高そうだ。 そういった外交や映画界とのつながりが深いためか、このホテルは映画の中にもたびたび登場する。 フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザーPART II』でも使われているが、これは実在したマフィアたちがウォルドルフ=アストリアを定宿にしていたという逸話からきているのだろう。 主演のエディ・マーフィ自身もよくこのホテルに宿泊していたことから『星の王子ニューヨークへ行く』でもアキーム王子が泊まるホテルとして登場する。『メイド・イン・マンハッタン』ではジェニファー・ロペスがメイドとして働くホテルに、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』ではアル・パチーノ演じる盲目の軍人が宿泊、そして『ウディ・アレンの重罪と軽罪』の舞台にもなった。 そのウディ・アレンは彼が住むアッパーイーストにある高級ホテル、カーライル(9)のバーにて彼が映画の撮影をしていない秋~春にかけて毎週月曜日クラリネットを吹いているので、彼を間近で見るチャンスかも。 ■ ニューヨークの真ん中に位置する巨大な公園、セントラル・パーク(10)も映画の舞台としていろいろな顔を見せて来た。 ここで撮影された映画は数知れず、セントラル・パークのすぐ南に位置するザ・プラザが舞台の『ホーム・アローン2』(6)、公園の西側にある自然史博物館(11)が舞台の『ナイト・ミュージアム』(余談だが、主演のベン・スティラーは子供の頃、この博物館のすぐ近くに住んでいたそうだ)、そして紅葉のセントラル・パークの美しい景色が見られる『オータム・イン・ニューヨーク』など。 『僕たちのアナ・バナナ』でエドワード・ノートンにジェナ・エルフマンが「ニューヨークがこんなに美しいなんて」と言うシーンで、セントラル・パーク内の池にかかるボウ・ブリッジが使われている。ラスト、3人が仲良く歩くシーンはセントラル・パーク東側にあるメトロポリタン美術館(12)の屋上にある彫刻ガーデンだ。 そして、ちょうどセントラル・パークを挟んだ西側の72丁目に位置するのが高級アパートメント、ダコタ・ハウス(13)。この高級アパートの名を世界中に広めたのは1980年12月8日に起きたジョン・レノン銃撃事件だろう。 ジョン亡き後、彼が住んでいた部屋から眺めることができる場所にストロベリー・フィールズのモニュメントが作られた。いまでもこのアパートに住むオノ・ヨーコによって建てられた慰霊の地には多くのファンが訪れ「イマジン」を口ずさんでいる。 ダコタ・ハウスは映画の舞台としても多くの作品に登場しており、ロマン・ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』ではミア・ファロー演じるローズマリーと夫(ジョン・カサヴェテス)が引っ越してくるアパートとして、『バニラ・スカイ』ではトム・クルーズが住むアパートとして登場している。 また、同じくニューヨークの高級住宅地を舞台にした『パニック・ルーム』も瀟酒なタウンハウスが舞台となっている。地価の高いニューヨーク、特にマンハッタン内では高層アパートではなく低層のタウンハウスに住むことができるのは限られた極一部の富裕層のみ。こういった家に住む人々の身に起きる奇怪な出来事……というのが「○○○は見た」的な興味を掻き立てる要因のひとつになっているのかもしれない。 ■ ブルックリン橋、高級ホテル、セントラル・パーク、高級アパートメント、そのどれもがニューヨークらしく、ここにしかない情景として映画を物語るのに重要な役割を担っている。 同じロケ地でも全く違った見え方がする映画を見比べてみるのもおもしろい。いつかニューヨークを旅したときに、映画の中で観た景色が思い浮かぶというのも、映画と現実がリンクする素敵な経験となるだろう。■
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PROGRAM/放送作品
チャイナタウン
[PG12]監督ロマン・ポランスキー×主演ジャック・ニコルソンによるハードボイルド映画の最高傑作
ロマン・ポランスキー監督が、発展途上だった30年代ロサンゼルスの雰囲気を再現。ジェリー・ゴールドスミスによるノスタルジックなテーマ曲も必聴の、ハードボイルド探偵映画の最高傑作の1本。
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COLUMN/コラム2012.02.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年2月】招きネコ
映画監督としても人気のジョン・カサヴェテスとミア・ファーロー共演。マンハッタンの古びたアパートに引っ越してきた若妻の悪魔の子供を妊娠したかもという妄想めいた恐怖をロマン・ポランスキー監督がジワジワと描くオカルト映画の原点ともいえる作品。この作品の恐怖をひきたてるもうひとつの主役は、ジョン・レノンが暗殺された事件で有名になった有名人の住むダコタ・ハウス。1893年に建てられた重厚なこの由緒ある建物で作品は撮影され、外観だけでなく住人以外は見ることのできない内部のクラシカルな内装や間取りを“見学”できます。いかにも、何か出そう・・・。 COPYRIGHT © 2012 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
テナント/恐怖を借りた男
現実と妄想の境目で男は正気を失っていく…ロマン・ポランスキー監督が主演も兼任するサイコスリラー
スキャンダルでフランスへ逃亡したロマン・ポランスキーが監督と主演を兼ね、当時の追い詰められた心境を反映し描いたサイコスリラー。じわじわと膨らんでいく被害妄想を、悪夢のような不安感を漂わせて体現する。
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COLUMN/コラム2012.02.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2012年2月】飯森盛良
ワタクシの好きな男優(男の俳優の意)は、マイケル・マドセンとかトム・サイズモアあたり。イケメンだぁ?ケっ!なのである。ジョニデも正直どうでもいい。が、このオカルト映画でのジョニデは超絶カッコいいと認める。映画的にも70年代オカルト黄金時代の傑作群に劣らない風格の佳作だが、とにかく、ジョニデの存在感である。役どころは悪魔書を探し求める稀覯本ハンター。服装がいい。無造作にかけたショルダーバッグのストラップに引っ張られ、ズルっとしたコート。ヨレっとしたジャケット。シャツの第1ボタンは外し、ネクタイはヨレている。「知性で着崩す」といった感じだ。その格好でフランスの田舎のカフェで朝食後ラッキーストライクを呑む…ワタクシの完敗だ(何が)。服まねっコしてみた。貧相で小汚いオッサンになっただけでガッカリした。完敗である。あんたの勝ちだジョニデ! ©1999 RP Productions. All Rights Reserved