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ガルシアの首
憎き黒幕を探し出せ!ガルシアの首をめぐる死闘を描く、傑作バイオレンス映画!
『荒野のガンマン』『ワイルドバンチ』などの西部劇をはじめ『ゲッタウェイ』など、バイオレンス映画で高い評価を受けた巨匠サム・ペキンパー監督が、原案と脚本も手がけたスタイリッシュな快作!
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NEWS/ニュース2017.01.20
1月27日(金)公開最新作『スノーデン』。オリバー・ストーン監督来日記者会見レポート!
3年半ぶりの来日となるオリバー・ストーン監督のジャーナリスト精神に溢れ、この世界をより良いものにしたいという強い思いを感じる記者会見の模様を、(ほぼ)全文レポートさせて頂きます!監督の「スノーデン」という人物に対する深いリスペクトも感じる熱い会見となりました。 日時:2017年1月18日(水)会場:ザ・リッツ・カールトン東京司会:有村昆さん(以下:司会)通訳:大倉美子さん 司会:さてこれより1月27日の公開に先駆けまして、本作のプロモーションの為に来日中のオリバー・ストーン監督をお招きし、記者会見を行わせて頂きます。それでは皆様大きな拍手でお迎えください。オリバー・ストーン監督です。通訳は大倉美子さんです。よろしくお願い致します。 まずは、オリバー・ストーン監督からみなさんにご挨拶を頂戴したいと思います。 監督:今日は皆様、お集まり頂きありがとうございます。興味を持っていらして下さったと思うので、感謝しています。映画をご覧になった方は楽しんで頂けたら良かったのですが、そうでない場合はちょっとどう答えていいかわかりません。(笑) 今回、映画を携えての来日になりますので、なるべく映画の話し、あまり政治の話しにならない様になればいいなと思っていますが、基本的にはなんでもお答えしたいと思っております。どうぞよろしくお願い致します。 司会:ありがとうございます。それではまず私の方から代表して質問をさせて頂ければと思います。2013年に広島に1度訪れてらっしゃると思いますが、3年半ぶりの今回の来日、日本はいかがでしょうか? 監督:3年ぶりに訪れたという事ですが、変わっているかどうかはわかりません!だってこのホテルに詰め込まれてずっと取材だらけですから、過労死(カロウシと日本語で)状態です。日本にくるたびそうです! 司会:まさか、初めに出てきた日本語が「過労死」というのは驚きですね!それほど過密スケジュールとうい事ですが… 監督の過去作、『プラトーン』、『7月4日に生まれて』など、監督ご自身もベトナム戦争を体験されてそれを映画化されたり、アメリカ大統領を題材にされた『JFK』、『ニクソン』、『ブッシュ』などアメリカの国家そのものを描かれていると思うのですが、今回最新作では何故スノーデンをテーマにしようと思ったのかお聞かせください。 監督:まず僕自身、他のテーマにも興味がありますが、自分の時代(自分の生きた時代)に非常に興味を持って映画作りをしてきました。『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』というシリーズを手掛けまして、そのプロモーションのために、最後に来日したわけですけれども、そのシリーズの中で、1890年から2013年の自国の歴史を扱ってきました。2013年というのはもちろん、オバマ大統領がリーダーとして監視社会を引っ張っている、その色合いを強めていた時代でした。その1月にこのシリーズをリリースし、その後、6月にエドワード・スノーデンが突然、あの様な形で告発を行ったわけです。 我々は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』の10章目で「監視社会」というテーマを扱っており、まさにテーマ通り「そうなのだ」と感じさせられたニュースが世界中の耳に届く事になりました。 驚いたことに、たまたま縁があって彼の物語を映画化することになりましたが、僕自身、スノーデンの告発に対しては素晴らしいと、拍手喝采しておりました。が、映画にしようという興味は全くなかったんです。 もともと作家として、ニュースを追いかけようというスタンスはありません。なぜならニュースというのはどんどん内容が変わっていくものですし、映画製作というのは時間がかかるものだからです。ただ、偶々、2014年の1月に、スノーデン氏の人権派弁護士の方から連絡を頂き、モスクワの彼に会いに来てくれないかと誘われ、2年間で9回に渡って彼に会う機会がありました。その中で、スノーデンの視点から語られる、彼の物語を映画にしよう、という気持ちにだんだんなっていった、というわけです。 司会:ここからマスコミの方からの質疑応答にうつらせていただこうと思います。 IWJ岩上安身編集長:3年半前に来日された時に、監督にお話しを伺った事があります。このスノーデンという作品には、日本に関わる重要なくだりがあります。スノーデンが横田基地に居た時の事を回想するシーンなんですが、アメリカの機関が日本に対する監視を実行し、日本の通信システムの次には、インフラも乗っ取り、ひそかにマルウェアを送電網やダムや病院にもしかけている。もし日本が同盟国でなくなった日には、日本は終わりだ、と証言するくだりがあります。 大変ショッキングで、スノーデンの告発は事実に基づいていると思います。このスノーデンの告白の後、監督は日本列島から電気が全部消えていくシーンを挿入されていますが、もしこのマルウェアがあらゆるインフラに仕掛けられ、そして作動すると日本のインフラの電源が失わることになります。もしこれが原発にしかけられていた場合、全電源喪失が行われる、ということも意味します。 このスノーデンの告発というのは、どの程度事実なのでしょうか?また、映画にするために非常に短くされたと思いますが、彼からどの様な事を聞いていますでしょうか? これこそは同盟国でなくなった途端、サイバー攻撃を仕掛けるという米国からの脅しと、我々日本国民としては思うわけですが、事実か事実でないか、もちろん事実でないということはないと思いますが、どの程度事実なのか教えて頂ければと思います。 監督:今この部屋の中で、目覚めていらっしゃっている方がいる事を嬉しく思います。今まで、アメリカ、ヨーロッパでこの話しをいろいろしてきたのですが、こういう聞き方をしてくださった方は初めてです。しっかりと目をひらいてらっしゃる方がいて、とても嬉しく思います。 さきほど申し上げた様に、自分がこう思う、ということは(映画の中には)一切いれておりません。すべてスノーデンが自分に語ってくれた内容を映画化させてもらったということを申し上げさせてください。実際製作中に、NSAと全く話すことはできませんでした。唯一話せたのは(NSAの)PR局で、パンフレットを渡され、それでおしまいでした。 そんな中、映画を作ったわけですが、もし彼が言っている事が間違いであるならば、ぼく自身の経験値、そして今までの自分の心で感じた部分から言うと、彼は最も世界で素晴らしい役者だと言える、つまり、僕は彼が言っていることは全て真実だと考えています。そして、もちろん彼が僕らに話せなかった事というものもあります。それは起訴につながってしまう様な事、そういった部分は映画にしていません。ドキュメンタリーではなく、ドラマ化している作品ですので、話せない内容に呼応する様なパラレルな出来事、という描き方をしています。 そして横田基地にいた2010年くらいの話しに戻りますが、彼自身から僕が聞いたのは、アメリカが日本中を監視したいと日本の諜報機関に申し出ましたが、日本側が「それは違法であるし、倫理的にもいかがなものか」ということで拒否した。しかし構わず監視をした。そしてご指摘があった様に、同盟国でなくなった途端にインフラをすべて落とすことができる様に、民間のインフラにマルウェアを仕込んである、という風なことです。 言及されていました核施設に関しては、彼自身の言葉で僕は聞いていないのですが、僕自身の勝手な考えでは、きっと核施設に関してはまた違った形(の監視体制)をとったのではないかなぁ、と思います。 スノーデンが言っていたのですが、日本のみならず、メキシコ、ブラジル、オーストリア、これは定かではありませんが、イギリスもと、言ってた気がします。その国々も、同じ様なことがされている。これはいわばサイバー戦争ですよね。 しかもそれがすでに仕掛けられていて、そもそもの発端は2007年から2008年頃から、イランにマルウェアを仕込んだ事から始まります。2010年くらいにこれが成功し、イランのいくつかの核施設にウィルスを送り込む事に成功しました。ですがその数か月後にはあのウィルスがそこから中東に、そして世界へと広がっていきました。 当時の諜報機関のトップの方にいた、マイケル・ヘーデン氏がこの事を公言してしまったんですね。「イランという敵をこういう形でやり込める事が出来て良かった」という様な趣旨の事をちょっとにやにやしながら。この時のウィルスは、スタックスネット(stuxnet)というウィルスなのですが、イスラエルとアメリカがイランに仕掛けたものです。非常に醜い物語です。 そしてこのウィルスが発端となって、世界中が「ウィルス攻撃できるんだ」と、サイバー戦争というものが始まっていった。そもそも戦線布告なしに、イランに(ウィルスを)仕掛けたことがサイバー戦争に突入した行為と同義だと、これはすごい事だと思っています。 今、フェイクニュース(偽のニュース)が沢山、特にサイバー関係では流れてきます。特にアメリカから発信されるニュースというのは、皆さんも少し疑いの気持ちをもって見て頂きたいんですね。サイバー戦争に関して言えば、アメリカがリーダーなわけですから。大きなプログラムを持っているのもアメリカです。当然そこから出てくる、ロシア関係がどうだの、攻撃されただの、もちろん証拠があるものもありますが(中国の民間企業への監視など)ほとんどのものには証拠がなく、勝手に出て来ているニュースです。 そういったすべての事に、スノーデンは我々が注目するきっかけを作ってくれました。しかし、サイバー戦争の実態というのは表面しか判っていません。これは新しい戦争ですし、僕にとっては1945年に原子爆弾が日本に落とされた事も、また新しい戦争の始まりだったといます。「サイバー戦争」は新しい戦争の形であり、それはすでに始まっています。それが、この映画に描かれている、世界に対する監視システムの体制というものと共に、確かに存在することを知って頂きたいのです。 そしてもう1つだけ。法的な定義を鑑みても、今行われているサイバー攻撃的なものは、戦争行為だと思います。先ほど同盟国のことに関して質問して頂きましたが、アメリカにとって日本は同盟国ではありません。人質になっている、いう風に僕は考えています。もし日本が、中国でもいいですし、他の経済圏と協力関係を持とうとし、そしてこの同盟関係から離れようとした場合、脅迫されたり、この(仕込まれた)マルウェアなどが人質になる、そういう非常にシリアスな問題だと受け止めて頂きたいのです。 僕が見たいのは、一人でも多くの日本のジャーナリストが防衛相に行って「これは本当なのか?」と聞いて頂くこと。(笑みを浮かべながら)どう答えられるかはわかりません。もしかしたら「知らない」と否定するかもしれません。 もちろんアメリカの場合、NSAは否定します。スノーデン自体を「大したランクの人間ではなかったと」と言って、問題を小さくしようとしている事からもわかります。しかし彼は、これだけの膨大な情報を我々に提供しているわけですから、そんなことはないわけです。 これは日本だけではなく、マルウェアが仕込まれてると言われている全ての国、例えばメキシコ、ブラジル政府に対して、(ジャーナリストたちが)意見を求めるという事を、僕は見たいと望んでいます。ですが、アメリカでは一切ジャーナリストからこういった質問が出なかったことに、むしろ驚いています。こういった問題に対するアカウンタビリティー(説明責任)が一切ないということが、世界の大きな問題の1つだと思います。 司会:とういことで、サイバー戦争はすでに水面下で行われているとうい事実を語っていただきました。 スターチャンネル・加藤氏:主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットはとてもハマリ役だと思いました。なぜ彼を選んだのでしょうか?ちなみに彼が出演を決めた理由は、監督があなた(ストーン監督)だからだそうです。 監督:2014年にスノーデン氏に会って、実はすぐにジョセフには連絡をしました。まだ脚本もない段階で「興味があるか?」と聞いたら、「すごく興味がある」と答えてくれました。モスクワにも連れて行って、実際にスノーデン氏に会ってももらいました。二人は同世代なんです。そしてジョセフはスノーデンに対して非常に敬服しているところがありました。スノーデンの動き、物腰、全て模倣する様な、そういった演技になっていたと思います。 この『スノーデン』という映画では、典型的な「オリバー・ストーン・ヒーロー」を描いていないよね、ということで批判も受けたんです。いわゆる、行動を起こす、アクティブな主人公が今まで多かったせいなのかもしれません。対してスノーデンは非常に受け身なところがありますし、物静かで非外交的、どちらかというと一歩引いた、口数が少ない方なんです。 そしてシャイリーン・ウッドリー演じるリンゼイさんですが、むしろ彼女の方が積極的に行動を起こすタイプです。なのでスノーデンはこの関係性においても非常に抑圧されているのかなというのが僕の印象でした。ですが、お互いに違うところを持っているからこそ惹かれ合い、特にずっと人を監視しなければならないという機関で仕事をしている方というのは、どんどん人間性が失われていくと僕は思うんですね。そんな中でもスノーデンが人間性を保つことができたのは、彼女の存在が大きいと思いました。 司会:ジョゼフ・ゴードン=レヴィットさんに対して、監督は演技指導はされたんでしょうか? 監督:ジョセフは非常に自分自身を律することができるタイプの役者さんです。ですから、自分で決めて演技をすることが出来ますし、非常に頑固なところもあります(笑)。 僕自身は役者との関係はいつも「ギブアンドテイク」そして「トライアルアンドエラー」といった感じで、戦いつつ、そこから何かが生まれてくる、という感じなんです。 今回の彼の演技は大絶賛をされましたし、非常に説得力があるものだったと思います。けれども派手さがそんなにないのは、ご本人のエドワードが自分のことを「インドア・キャット(室内猫)」とおっしゃっていることからもわかる様に、なんと一日の75%を、夜間、コンピューターの前で過ごしてらっしゃる。日本で言うとちょっと引きこもりに近いコンピューターオタク、でもあるからなんですね。 しかし、そんなスノーデンは、この監視社会に対する警鐘を止めてはいけないと、ロボットだったり、テレカンファレンス(遠隔会議)だったり、衛星電話を通じて、非常に饒舌に語り続けていますよね。 ENECT編集長・平井氏:重要な映画をありがとうございました。日本では、昨年4月に電力の自由化が実現しましたが、原発事故を起こした東電から電力を(購入を民間に)変えたのは、人口の5%以下という状況です。劇中、スノーデンの「僕は選択肢を市民に提示したかった」というセリフがあります。監視されるか、されないか、選択肢を委ねられた市民の反応はどんなものでしたか? 監督:そもそも「セキュリティー対プライバシー、あるいは自由」という等式が間違っている、と僕は考えているんですね。映画の中でも描いている大きな部分なのですが、それぞれの意識だったり、魂といったものをきちんと持つ事が重要で、それを大きな、例えば主役的な国家などに明け渡してはいけない、ということです。例えばNSAの様な存在に。ですから「選択肢を委ねられた~」という形で質問して下さいましたが、それは間違ったものであって、だってアメリカ自体はアメリカ国民に安全を与える事なんでできないんです。 今までもたくさんの失敗をしてきました。例えば、一番顕著なのが9.11です。 NSAはテロリストを把握していました。イエメンにあるセーフハウスも把握していました。また、通信も傍受していました。CIAもFBIもそれぞれ同様に情報を持っていました。そしてサンディエゴにテロリスト達が到着した時には、FBIがそのことを把握していながら、他の機関に連絡しなかったり、あるいはパイロットの訓練というのがアメリカ中で行われていましたけれども、CIAはそれを把握していて上にあげ、ワシントンにも伝えられていたのですが、官僚主義の穴に落ちてしまい、それがちゃんと他の機関に伝わる事がなかった。失敗という意味ではイラク戦争もそうです。大量の殺戮兵器があるという「情報」で動いたというのは周知の事実です。 もっと歴史を紐解けば、ケネディ大統領のピッグス湾の事件もそうです。また、ベトナム戦争も最初から最後までCIAが作り上げた情報によるものでした。諜報機関から間違った情報しか与え続けられていないにも関わらず、アメリカ国民は、未だにその諜報機関というものをすごく大切なものだと思っていて、最近で言うと、ロシアにハッキングされたという様な事を諜報機関が言っていますけれども、証拠が一切ないわけなんですね。これはアメリカに限らずですが、世界の諜報機関がちょっと政治的になりかけてしまっている。そんな風に思います。 ですから9.11の後、アメリカは何十億ドルも費やして、安全のための機関というのを増やしました。けれども安全性はより低くなってると思いますし、よりカオスが強まってきていると思います。ですからさっき申し上げた様に、セキュリティとフリーダム、安全と自由という等式というのがそもそも間違っている。だってそもそも与えられない様なものなのだから。しかし、セキュリティは正しい形で用いれば、(監視システムというものも)効果的だとも考えています。これはスノーデンの映画の中にも何度も登場しますし、彼も言っていることです。ターゲットを選択した方法での監視システムというのは有効だと思います。きちんとした疑いを持つ相手だけを監視し、ネットワークに目を光らせるという形。先ほどのターゲットを決めた監視体制(ターゲティッド・サベーランス)に対して、アメリカは、マスに向けた監視体制(マス・サーベランス)を行っているわけなんです。これは全員に対する監視システムだと考えて頂いて構いません。非常に巨大なものになりますが、今のテクノロジーでは可能です。しかしそのことによって、モンスターの様な国になっていきますし、悪夢の様な世界が生まれています。 これはすなわち、個人、企業、機関、銀行、世界中全ての情報がアメリカによって掌握されている、という事に他ならないわけです。何故かというと、こういったサイバー戦争において、アメリカが一番大きなシステムを持っていて、一番大きなお金を費やしているからです。当然一番多くの情報を手にしているわけです。これは非常に危険な事だと思います。個人のみならず、企業、国までも変えることができる。そういう力を持っているからです。そういった意味でも、国家を不安定にさせ、政権を変えさせるという様なことは、クリントン、オバマ政権下でも行われていました。 最近で言えば、ブラジルでのクーデター。あれも僕からすれば全くの作り事だと思います。様々な介入によって左派候補をつぶしてしまった。またブラジルに関して言えばアメリカは、長年に渡ってテトログラスという会社をずっと監視し続けています。また、ルセフ大統領の事ももちろん監視し続けてのあの結果であります。「ここまで」というリミットがない状況なんですね。ウクライナ、イラク、そしてリビアでは成功、シリアでは不成功でしたけれども、他の国においても、政権の交代をいろんな形で図ろうというアメリカがいます。そのことにより中東はよりカオスの状態に追い込まれ、アメリカがすべてをコントロールしようとするこの動きは、止められていない状況です。 また、ロシアにおける政権交代というのをアメリカは長年望んで、図ってはいますけれども、まだ叶ってはいません。こういう状況は非常に危険だと思います。 それに対してアメリカの言うことなんて聞かないよ、と言っているのが、例えば中国であったりロシアであったり、イランだったりするわけなんですが、アメリカはしかし「帝国」状態なわけです。しかしその独裁的な帝国というのは、カオスを産むだけ。世界をより危険なものにするだけです。このままではいけない、と僕は考えています。 昔、20世紀のヨーロッパの警察の活動を見るだけでも、きちんとテロ対策はできているわけですよ。ですから、非常に男性的な「アメリカン・マッチョ」みたいなやり方、例えば、他の国に軍隊を送り込めばいいんだ!という様な考えは間違っている、他のやり方があるのではないか、と考えています。 そして、最後になるかもしれませんが、この『スノーデン』という映画はアメリカ資本が一切入っていません。フランス、ドイツなど、スノーデンを非常にリスペクトして下さっている国からの出資で作られています。もちろん、アメリカのメジャースタジオさんにもお話しはしましたが、全て断られています。理由はわかりません。おそらく僕が思うに、自分達で自己検閲したか、または恐怖心を感じた、そいういうことだったのかもしれません。 アメリカでの配給も小さな配給会社Open Road Filmsさんが配給して下さることになりました。製作する事も、いろいろな国でお見せすることも大変困難な作品になってはいるんですが、日本ではショーゲートさんが配給して下さるということで非常に感謝しておりますし、日本の方にもぜひ観て頂き、この問題の巨大さ、複雑さをぜひ考えてみて頂きたいと考えています。 司会:多くの方にご覧頂きたい1本です! ※フォトセッション終了後、監督退場 司会:Thank you very much! ありがとうございました!オリバー・ストーン監督でした!今一度、大きな拍手をお送りくださいませ!『スノーデン』は、1月27日(金)からTOHOシネマズ、みゆき座他にて全国ロードショーとなります。<終了> ■ ■ ■ ■ ■ 監督:オリバー・ストーン 脚本:オリバー・ストーン、キーラン・フィッツジェラルド 原作:「スノーデンファイル 地球上で最も追われている男の真実」著 ルーク・ハーディング (日経BP社)出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット、シャイリーン・ウッドリー、メリッサ・レオ、ザカリー・クイント、トム・ウィルキンソン、リス・エヴァンス、ニコラス・ケイジ 2016年/アメリカ・ドイツ・フランス/原題:SNOWDEN 配給:ショウゲート 公式HP:www.snowden-movie.jp ©2016 SACHA, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
キャリー
原作スティーブン・キング、監督ブライアン・デ・パルマ、映画史上最高のホラーの1本!
スティーヴン・キングの処女作を、後に名匠の名をほしいままにするデ・パルマ監督が映画化。念動力を持つ高校生のキャリーに対する行き過ぎたイジメが、プロムでの悲劇を引き起こす傑作スリラー。
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NEWS/ニュース2018.05.02
【イベントレポート】ハル・ハートリー監督『トラスト・ミー』試写イベントレポート Part.2
(Part.1はこちら) 村山:インディペンデントっていう意味では、ハル・ハートリーって、デビューからほぼ一貫して自分で音楽を作っているわけです。すごくインディーズの音楽シーンとの親和性のある方で、もう一人のゲストをここでお呼びしたいです。ハル・ハートリーの『ブック・オブ・ライフ』っていう映画でも音楽を提供されている、ミュージシャンの嶺川貴子さんをお迎えしたいと思います。どうぞ拍手でお迎えください。 (拍手) 村山:嶺川さんというと、さっきも言ったようにハル・ハートリーの映画に音楽を提供したりされたわけですけど、あれはそもそもどういうきっかけだったんですか? 嶺川:私もいろいろ思い返してみているんですけど、たぶんその前後あたりに、私が前にいたレーベルで…レコード会社が、90年代だったからわりと自由にどんどんリリースをしてくれて。私がたぶんアルバムを出した後とかに、ちょっとその辺は私も記憶が曖昧なんですけど、その当時『シンプルメン』と『トラスト・ミー』を観てすごく好きになって、「いい」って言っていたから。ハル・ハートリーは映画の音楽も自分でやっていたりして。 村山:(ハル・ハートリーは)ネッド・ライフルっていう名義でやっていました、あの頃は。 嶺川:すごく簡単なメロディーなんだけど、印象に残ってけっこう好きだったので、そのサントラをカバーしようみたいな企画があって。たぶん、それをやったことで、私の曲が提供されたということだったと思います。 村山:その「ア・シンプル・マン」というタイトルは… 嶺川:はい。不思議な。 村山:不思議な…嶺川さん以外にも曽我部恵一さんであるとかいろんな方が、寄ってたかってハル・ハートリーの作った、言葉は悪いですけど、ちょっと素人感のある音楽をカバーするアルバムを出されたんですね。 嶺川:そうですね。 村山:(会場の中で)そのアルバムを買った人っています? (数人手が挙がる) 僕も買いました!だからやっぱり、僕ら一観客とかオーディエンスでしたけど、あのころ嶺川さんがハル・ハートリーっていう名前を広めるのに一役買ってた感っていうのを僕はすごく感じていた。 嶺川:そうなんですか。 村山:その後に、直接お会いしたことがある? 嶺川:たぶん、そのプロモーションの後、VHSの短編集を出したりとかしたことがあったので、ハル・ハートリーの。だからそれで一度お会いしているんですよね。でも、遠くのほうに記憶が… 村山:それはその時、どんな人だったかみたいな記憶っていうのはまだ残っていますか? 嶺川:すごく、写真のとおりの感じの。 村山:本当、文系の大学生みたいなビジュアルしていますよね。 嶺川:そうですね。 村山:深田監督もそうですけど。ではその時に何をしゃべったかとかもあまり覚えていない? 嶺川:うん…たぶん何かに残っているはずなんですけど、ちょっとそれを見つけられなかった。 村山:それは雑誌の対談みたいな? 嶺川:何かこう、ちっちゃな冊子になっているはずなんですけど。 深田:映画系の冊子とかですか? 嶺川:いえ、たぶん当時のプロモーションの。 村山:持っている人います? (手が挙がる) 深田:実は持っている人がいるのか・・・。 村山:お持ちですか?ハートリーと嶺川さんがお話ししている…見せてもらっていいですか?個人的に(笑)。 深田:貴重な歴史的な資料として。 「ああ、こういう映画、音楽アリなんだ」みたいな、コロンブスの卵みたいな気持ちで観ていた 村山:さっきちょっと素人くさいって言いましたけど、なんとなくハートリーの音楽ってやっぱりすごく特徴的だと思ったし、「ああ、こういう映画、音楽アリなんだ」みたいな、コロンブスの卵みたいな気持ちで観ていたんですけど。もともとミュージシャンである嶺川さんとかが聞いたときって、どんな印象だったんですか?映画音楽として。 嶺川:本当にこう、簡単なというか。でも、私も作る音楽はけっこうそういう、鼻歌から出てきたりとかあるし、弾いていてぽろぽろって出てきたりするから、そういう部分で共感したのかもしれないし。映画の音楽って、残ったりするものが多いから。特にハル・ハートリーの音楽、「ヨ・ラ・テンゴ」とかも。 村山:そうですよね。「ヨ・ラ・テンゴ」を日本に紹介したのは誰かわからないですけど、日本版が出る前にハル・ハートリーの映画で認知したっていう印象があって。 嶺川:ああ、そうですか。 村山:「ヨ・ラ・テンゴ」を日本に紹介したのはハル・ハートリーなんじゃないかなってちょっと思ったりしていたんです。 嶺川:そうかもですね。でも彼らは長いから、キャリアが。 村山:まあ、そうですね。でも本当にインディーズバンドからみたいな人たちだから。そもそもそのコンピレーションアルバムを出そう、みたいに思われるほどに、入れ込んだくらいお好きだったってことですよね、ハル・ハートリーの映画が。 嶺川:そうですね。当時、フランス映画社が…『アンビリーバブル・トゥルース』とか、後から観て、その辺でずっと好きで。あのあたりはよく映画館に行っていた。 村山:シャンテとか行っていた。 嶺川:それでハル・ハートリーの映画は、先ほどお話を聞いていて、深田監督の言っていることが、「正に」というか。そういうちょっと外れたオフな人たち。最近も観直したら、やっぱり自分もすごく重なるところもあるし。 村山:どの映画を観ても、世の中で生きづらいっていう人たちの映画ですよね。 嶺川:そうですね。そういうのがすごく、何か共感していたのかもしれないです。 村山:やっぱりさっきおっしゃった、音楽の世界でそういう企画があったみたいに、当時のミニシアター文化の風通しの良さみたいなものと、音楽の世界とちょっと近い雰囲気ってあったんですかね。 嶺川:ああ、そうかもしれないですね。20年くらい…20年? 村山:『トラスト・ミー』が公開されて25年ですね、ちょうど今年で。 『トラスト・ミー』を鑑賞したら、今の親子の関係とか、お母さんの関係とか… すごく現代的ですよね。 村山:深田監督は、我々が思い出話をするより、新しい世代として…我々はやっぱり思い出補正みたいなものが入っているんじゃないのかという心配があって・・・。 深田:いえ、自分は本当にハル・ハートリーについては、むしろ村山さんにいろいろ教えてもらって、今はそういう位置づけなのかとか知っているくらいで。『トラスト・ミー』についても、今回このトークに先立って観ているんですけど、うっかりすると「あれ、これいつの映画なんだろう」っていうのがわからなくなるんですね。 ハル・ハートリーって実はけっこう最近もコンスタントに撮っているじゃないですか、日本に来ていないだけで。携帯電話が出てこないから、「そうか、初期の作品だ」っていう。やっぱりあそこで描かれている家族の姿…さっきの繰り返しになっちゃうんですけど、本当に最近のハリウッドはある種、家族とかそういうことに対してけっこう保守的になってきているなというふうに感じるんですね。 最初、親子が喧嘩していて、仲良くなって終わるっていう。本当にそんなものばっかりですけど。それに比べると、全然『トラスト・ミー』のほうが現代を描いていると思うし、逆にすごくしっくりくるなっていうふうに… 嶺川:私も特に『トラスト・ミー』を観直したら、今の親子の関係とか、お母さんの関係とか… 深田:すごく現代的ですよね。 嶺川:すごく「ああ…」って。 村山:深田監督の『淵に立つ』も、家族の温もりとかを全否定してかかるようなおそろしい映画でしたけれど。 深田:いえ、否定すればいいってものではもちろんないんですけど。回復することを前提に描かれる家族の悲劇ほど…結局それって家族はまとまって生きているのが正しい姿だよねっていう前提で捉えるから、家族が壊れていくことが悲劇みたいな感じで描かれちゃうんだけど、たぶん『トラスト・ミー』で描かれている家族の喧嘩とか親子の葛藤とか母との葛藤とか、ある意味テクニカルにというか、すごく対義的に描かれている。ですけど、やっぱりそこにあるものが予定調和になっていかない感じがあるので。そこがすごくいいですよね。 嶺川:すごく正直すぎて、グサッてくるくらい。 村山:だから、本当にひどい親御さんとかよくハートリーの映画に出てくるんですけど、それが別にひどいから悪いとか、それを解決すればいいとか、そういうレベルで物語は語っていないですね。 深田:語っていないですね。それで、なんだろう…難しいですよね、まだご覧になっていないので。いくつかいい台詞があったなと思いながら、思い出せないし、思い出しても言えないんだよなという、いろいろ考えてしまって。 村山:それはこれから楽しみに観ていただいて。 深田:いいなと心に残る台詞がいくつもあります。 村山:それで、今日は嶺川貴子さんがミニライブをこれからやってくださるという。すごく貴重なライブだと思って、すごく楽しみにしておりますが、嶺川さん、準備の方をよろしくお願いします。 『ブック・オブ・ライフ』に提供した「1.666666」、 『トラスト・ミー』より「End Credits」「Cue #16」を披露 村山:嶺川さん、ありがとうございました。最初にやっていただいた曲が、さっき言っていた『ブック・オブ・ライフ』という映画のオープニングでかかる曲で、本当にリクエストまで聞いていただいてありがとうございました。 こんなにハル・ハートリーばっかりやるライブってやったことないんじゃないですか。 嶺川:初めてです。カバーをしてみました。 村山:カバーアルバム以来の。 嶺川:そうです。 村山:まだ、今日この中でハル・ハートリーの映画を観たことがない方がいらっしゃったら、観終わった後に、嶺川さんがハル・ハートリーの…ミュージシャンのときはネッド・ライフルって名乗っていたことが多いんですけど、その世界をライブでやってくださっていたな、っていうことが多分わかっていただけると思います。ありがとうございます。 嶺川:私なりの、追加したものはありますけど。 村山:お時間も迫ってまいりまして、トークセッションはここまでに、ということになります。最後に、二人から何かご挨拶的なことをお願いしていいでしょうか。 深田:さっきの様子だと、けっこうハル・ハートリーの映画を観ているっていう方が多く集まっているのかなと思うんですけど、でも若い人もいらっしゃるみたいですし初めての方もいると思います。本当に若い世代にどんどん観てほしい作家だなと、30代の人にも20代の人にも10代の人にも観てほしい作家だなと思うので、特にこの『トラスト・ミー』なんて女子高生の話なので、今の高校生が観ても共感できるんじゃないかなと思うので、これを機会に、もっと広まってほしいなと思います。 村山:ありがとうございます。嶺川さんもお願いできますでしょうか。 嶺川:私もそうですね。このお祭りがシネマさんで放送されるということで、観直したりして、また私の今の歳で観ると深いものがあって。でも深田監督がおっしゃっているように、10代とか20代とかの若い方にも、観てどんなふうに思ったのか聞いてみたいです。 村山:ありがとうございます。ザ・シネマさんで放送が4月からありますし、4月・5月には大阪・東京でハル・ハートリー作品の劇場公開もございます。さっき言ったように『ヘンリー・フール・トリロジー』というものが日本語字幕でBOXになって、今Amazonで買えたりもしますので。皆さん、ハル・ハートリーという監督を再び我々日本人が取り戻すためにご協力を、感想をつぶやいたりとかそういうことでも全然構わないので、いただければと思います。どうぞよろしくお願いします。本日はありがとうございました。 ================================ 「NYインディーズ界最後のイノセンス ハル・ハートリーの世界」 特設サイト:https://www.thecinema.jp/special/halhartley/ ================================ ザ・シネマの視聴方法はこちらから https://www.thecinema.jp/howto/ ザ・シネマ カスタマーセンター TEL:045-330-2176(受付時間 土・日・祝除く 9:30-18:30) ================================ スカパーならお申込みから約30分で見られます! 「ザ・シネマ」1chだけでも契約できます。更に加入月は0円! (視聴料は月額700円(税抜)+基本料金 390円(税抜)) https://promo.skyperfectv.co.jp/guide/ TEL:0120-556-365(年中無休 10:00-10:20) ================================
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PROGRAM/放送作品
グッドモーニング・バビロン!
映画史上に残る大作『イントレランス』の舞台裏で、波乱万丈に紡がれる兄弟愛と職人の誇り
D・W・グリフィスの超大作『イントレランス』のセット建設に参加したイタリア人兄弟の絆を、イタリアの巨匠タヴィアーニ兄弟が温かく綴る。映画草創期ハリウッドの撮影風景をノスタルジックに写し取る。
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NEWS/ニュース2013.10.31
映画『恋するリベラーチェ』公開直前スペシャルトークショーレポート!!
いよいよ11月1日(金)より全国ロードショーとなる、映画『恋するリベラーチェ』の特別試写会が、10月29日(火)に新宿ピカデリーで開催されました。当日は、試写会の後、スペシャルゲストとして映画評論家のおすぎさん、ファッション評論家のピーコさんと共にリベラーチェをイメージした豪華特注衣装を身にまとったミッツ・マングローブさんが登場しました。映画『恋するリベラーチェ』の魅力や「恋」について語っていただきましたスペシャルトークショーの内容を中心に、イベントの模様をご紹介いたします。 リベラーチェさながらの豪華特注衣装を身にまとい、マット・デイモンが演じるスコットのような若くてカッコイイ付き人役の男性にエスコートされて入場したミッツ・マングローブさん。「昼間っからおかまにこんな格好させて…」と言いながらも、ご満悦の様子。 「あなたがメインだから、私たちなんて付き添いよ!」と投げやりに言い放ったおすぎさんでしたが、作品に関しては「最初に2人(マイケル・ダグラスとマット・デイモン)がジャグーに入るシーンがあるんですけど、冒頭からあの2大スターが一緒にお風呂に入っちゃって、度肝を抜かれたわ。あと、ロブ・ロウは、デビュー当時美青年だったのに、(本作では特殊メイクのため)汚くてびっくりした。でも、さらりと出来ているゲイの映画」と絶賛。すると、ミッツさんも「イヤラシくしようとか、ドロドロさせようとか、泣かせようとかがなくて良かったわよね」と続けてコメント。 ピーコさんは、リベラーチェの衣装に関して「昔は、日本でも演歌の人くらいしかスパンコールなんて付けなかったからね。彼は、ステージ衣装だけでなく、私生活も、ファッションにとどまらずインテリアも何もかも凄かった。豪華なだけじゃなくて、本当に良いものを持っていたのも凄い。ただね、もちろん衣装も素晴らしいけれど、彼は派手なだけでなく、やっぱりピアノが素晴らしかったから評価されたんだと思う」と生前の彼の生き方を高く評価した。 ミッツさんは、普段の煌びやかな衣装について問われると「私が大人になる頃には既に多くの人がリベラーチェのような派手な衣装やパフォーマンスをしていたから、直接的な影響は受けていないのよね。でも、先輩方はやっぱり彼の影響があったってことよね」と語った。 また、「今、恋をしていますか?」という質問に対して、ミッツさんは、「恋なんかもういい、心とかはもう二の次三の次でいいから、肉体よ!今更、心通わす事なんてできないわよ!」と自身の恋愛について告白した。しかし、本作で描かれているリベラーチェとスコットの恋愛に関しては、「スターの恋、同性愛について知らない人が見ても、そうなんだなぁって思える作り方だし、その道の人が見ても、ドキッとするような要素がちりばめられていたと思う」と本作の魅力を語った。 おすぎさんとピーコさんは、「お互いに恋愛相談をすることなんて絶対にしない。趣味も全然違うしね!一緒にされたくないわ!」と双子とはいえお互いの異なる恋愛観について語った。当日はあいにくの雨模様でしたが、数多くの来場者、取材陣の方が集まり、会場は大いに盛り上がりました。今回の特別試写会に登壇したおすぎさんとピーコさんは、本作をご覧になり、大変気に入っていただき、イベントへの出演が実現したようです。おすぎさんも太鼓判を押すエミー賞を11部門獲得した映画『恋するリベラーチェ』は、いよいよ11月1日(金)より全国ロードショーです。 『恋するリベラーチェ』 © 2013 Home Box Office, Inc. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
サム・ペキンパーの西部:ハリウッドを裏切った男
西部劇最後の巨匠で現代アクション映画のパイオニア、サム・ペキンパー監督に迫るドキュメンタリー
凄まじい暴力描写に満ちた、男臭いアクションを撮り続けたサム・ペキンハー監督のバイオグラフィと、彼に影響を受けたハリウッドの有名俳優たちや、身内、関係者、評論化らの証言で構成されたドキュメンタリー。
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NEWS/ニュース2012.06.05
最新イタリア映画 『シュン・リーと詩人』(仮題) アンドレア・セグレ監督インタビュー
これにあわせて、昨年のヴェネチア映画祭で称賛され、先の「イタリア映画際2012」でも本邦初上映された、『シュン・リーと詩人』(仮題)のアンドレア・セグレ監督にインタビューを行った。また、ザ・シネマの視聴者に向けて、イタリア映画の魅力・見どころについて一言メッセージをいただいた。黄金時代から、イタリア映画の”今”にも興味を持って頂ければ幸いです。 ※『シュン・リーと詩人』(仮題) ▼STORY“小さなヴェネツィア”と呼ばれる町キオッジャにある“パラディーゾ(天国)”という名のオステリア。地元漁師たちにとって文字通り天国のような憩い場となっているこの店で働き始めた女性シュン・リー。 片言のイタリア語しか喋れず、孤独と不安の中で働くシュン・リーだったが、“詩人”と呼ばれる年配の常連客ベーピと出会い、お互いの孤独を埋め合うように、次第に打ち解けていく。詩情漂うラグーナ(潟)の風景とともに描かれる、文化も歳も違う2人の心の交流。それぞれにとっての異国で出会った2つの魂は、静かに波紋を広げ、霧の中で彷徨い続ける。 ※今回、イタリア映画際にあわせて来日されたアンドレア・セグレ監督 Q : ドキュメンタリーから劇映画に進出したわけですが、何かキッカケがあったのでしょうか? A : ドキュメンタリーを撮りながら映画を学んだんですが、映画が自分の好きな芸術だなということが分かったので、役者を使ってフィクションも撮ってみたいなというふうに思いました。今後もフィクションもドキュメンタリーも撮っていきたいと思います。 Q : フィクションとドキュメンタリーって、やっぱりどちらも脚本があって映画が出来ますが、劇映画の場合は人を使わなければいけない。俳優を使わなければいけない。その、俳優を使うということに対してはどう思いますか? A : ドキュメンタリーの場合、枠組み(トリートメント)はありますが、脚本はなくて、何を撮りたいかと誰について撮りたいか、どこで撮りたいかということを考えます。ダイアログはないですし。ドキュメンタリーの場合の書く作業というのは、編集のときに撮り終わって、全部を見てどういうふうに組み立てていくかというところになります。 Q : 役者は必要がないわけじゃないですか。劇映画になると俳優を使わなければいけない。演出が必要になってくるわけで、それはどうやって? A : ドキュメンタリーの場合は、大体どんな人間でも物語るものを持っているし、中でも特に面白い物語を持っている人がいるんですけれども、自分がドキュメンタリーの仕事でしてきたのは、面白い物語を持っていて、同時に役者としての能力を持っている人を使ってドキュメンタリーを撮ってきました。 フィクションの場合はその逆なわけで、役者を使ってどれだけ本物の人物に近づけられるかという作業になるわけです。その際にもドキュメンタリーでもやっていた普通の人を役者として使うということが役に立ったと思います。 Q : 探すのは大変だったでしょう?自分が求めていることを表現してくれる俳優を探すというのは。 A : もちろんその役に合う役者を見つけてくるのは非常に大事なことで、大きな注意を払わなければいけないんですけれども、自分が役者を探す際に求めたのは、役者としての能力もそうなんですけど、彼ら自身の人間としての在り方がこの映画の中の人物像と結び付く点があるということを大事にしました。彼ら自身の感じ方だとか考え方が登場人物と繋がるところがあるような。能力の有無ではなくて、それによって人物に入ることがよりしやすくなると思うし、人間らしさが出てくると思っていました。単純な仕事としてではなくて人生の一部として捉えることが出来るというイメージでしょうか。例えばチャオ・タオに関しては、彼女自身が外国で仕事がしたいと思っていたわけです。ですから、仕事の意味でも、別の意味でも中国からイタリアに仕事で移っていく、移民とまでは言わないにしても、そのような要素、気持ちを持っていたのです。ラデ・シェルベッジアに関しては、彼はハリウッドでずっと仕事をしてきていますが、大きなセットで仕事をするのではなくて、小さな映画をやりたいという気持ちを持っていて、そういう意味でキオッジャの小さなバールで展開するお話というのは彼にすごく合っていたわけですね。それからバッティストン(デイヴィス役)は今まで悪役をやったことがないんですね。そういう意味で今回悪役をすることが出来た。そういう人物と役者の人間性のどこかが結びついていることによって、一種の何らかの意味でのドキュメンタリー的な部分がこの映画の中にも入ってきたと言えるのではないかと思います。 Q : 描いていることが異文化と人との出会いと、それから異文化に出会った人間の孤独、その2つが中心に描かれているような気がするんですけれども、それを描こうというのは、やはりドキュメンタリーをずっと撮ってらして、しかも移民に関することに関心を持っているからということと関係がありますか? A : 今のイタリアでは大きな変化が起きていると思います。それが何故かというのを知りたいと思っていました。人間のアイデンティティがすごく変わりつつある時代だと思うんですね。この映画の中ではアイデンティティの危機も描いています。特に主人公の2人に関して、1人は子どもの未来のために子どもを置いて国を後にする、自分の文化を後にしていくというのがアイデンティティの危機ですし、もう片方では年老いて自分がずっと生きてきた漁師の世界が終わりつつあるということを目の当たりにしているわけですね。人間というのは、そういった変化、つまり壁にぶち当たったときに、不安になり暴力的な態度に出たり混乱したりするわけですけれども、逆に障壁にぶつかってそれを乗り越えたときには、何か新しい自分を見つけることが出来るはずだと、そういうふうに思います。 Q : 見つけることは出来るのでしょうか? A : シュン・リーは自分の一部を祖国から遠く離れたところ、ラグーナで見つけることが出来ました。ラグーナに来ていきいきと感じることが出来て、出会いもありましたし、借金を払って子どもを呼び寄せることによって子どもに未来を与える。そういう意味では新しい意味を見出すことが出来たと思います。ベーピのほうは自分が思っていたよりも、詩人とは呼ばれていたわけですけれど、それは単純に韻を踏むことが出来るということで呼ばれていただけで、本当の詩人というふうには誰も思っていなかったんだけれども、彼女と出会うことで自分に詩人の要素があるということを理解することが出来たわけですね。漁師小屋に関しても、単純に漁の生活のために使っていた場所だったのが、詩情に結び付く場所であるということを見つけたわけです。 Q : 私たち日本人にとって、中国人も外国人、イタリアの人も外国人で、外国人同士の話を全く関係のない日本人に見せるということの難しさを考えたことはありますか?分かってもらえないんじゃないかとか、色々複雑な思いを抱かれることはありませんか? A : 日本だけじゃなくて今までも色んな映画祭に出ていて、イギリス、フランス、アイスランド、スペインとかに出ていますが、やはり国によって反応は違いますし、例えば最初のほうのシーンで、カードで目配せをして口で伝える場面があるんですけれども、勿論イタリア人は分かるし、スペイン人も同じようにカード遊びをするのでそのトリックは分かったんですけれども、イギリスではそれが全然分からなかった。勿論他の国でも分かっていないと思いますけれど。ですから、色んな国の観客の反応によって色んな発見がありますし、観客の反応によって映画が変わっていく。自分が考えていた反応とは全く別の反応が表れてくる場合もあるし、だけども映画は観客が観ることによって完成されるわけであって、最初は自分の頭の中で考えていたものが、観る人の頭の中に入っていって、反応が生まれたときに、本当の意味でその作品になるわけですね。色んな反応があることによって色んなものが生まれてくるし、自分が映画を作るときに「これは伝わるだろうか?伝わらないだろうか?」みたいなことを心配するんですが、それを越えていった先に作り手と受け手の両方のものになるわけですね。これはイタリアであったことなんですけど、ウクライナ人の女性が「私の物語を語ってくれてありがとう」と言ってくれたのです。中国人の女性が主人公なのに、子どもを置いて来た母親という部分に共感を抱くことが出来たんです。 Q : 女性の気持ちが絵になっていると思ったんですけど、もう1つ、女性の側からの視点みたいなものがこの映画に全然なくて、やっぱり男性の目から見た女性っていう形になっているのが私には面白かったんです。女性を描いてはいるけれど、それはやっぱり男性の目を通して見た女性であるっていうふうに思えたんですね。それは意識したことですか? A : 女性の視点で描くというのは、やろうと思って出来ることではないと思うのです。どんな人間でも女性的な部分、男性的な側面は持っていると思うんですけど、自分としては自分の中の女性的な部分が出た映画だと思っていたんですが、結局のところは自分は娘がいる男だし、父親の視点から描いたのかもしれないですね。ともかく、それは意図的にやったことではないです。 Q : 女性とか男性っていうことを越えて、もっと詩的で美しい映画だというふうに受けとめたんですね。 A : やっぱり詩というのは人間を理解するうえで一番普遍的な手段だと思うんですね。人間性というものに触れたかったので詩を使ったわけです。 Q : 主人公のシュン・リーには子どもがいて、その子どもに対するこだわりというのはとても大きいんですけれど、それは監督自身が父親になったからということと関係していますか?もしかしたら子どもがいなかったらそういうふうに子どもを持つ母を描くとは思わなかったのではないかという気もするんですが。 A : 勿論そういった感受性は自分が父親になったことから生まれてきているとは思うんですが、それ以上にイタリア人に言いたいことは、そういった女性移民というのがイタリアには沢山いるんですが、彼女たちは愛情を何らかの形で必要としている場所で働いていることが多いんですね。しかもその子どもたちは祖国に置いてきているんですが、彼女たちが働いている場所は、例えばヘルパーで老人の世話をしていたりとか、子どもの世話、もしくはこの映画のようにオステリアで働くということは、カウンターの向こうで男たちの話を聞いて応えるという仕事なわけですが、そういった形で働く人間がすごく多い。 しかし彼女たち自身の愛情の対象は祖国に置いてきているわけですね。自分の子どもを置いてきて、他人が必要としている愛情のために働くということは、非常にヒロイックなことだと思うんです。自分の子どもの未来のために彼女たちは来ているわけで、何もその世界を支配しようとか誰かの仕事を奪おうとかして来ているわけじゃなくて、単純に自分の子どもの未来のために来ているということ。結局のところ、この映画の本当の主人公というのは、最後のほうまで喋らない子どもだと思うんですね。子どもがイタリアに来れるのか来れないのかというところが、この映画のカギになってくるわけですから。 Q : 最後にザ・シネマの視聴者に、イタリア映画の魅力・見どころなどを教えてください。 A : イタリア映画の魅力は、小さな物語の中に、普遍的な物語を見出すことができるところです。たとえば、私が監督した『シュン・リーと詩人』(仮題)もキオッジャという小さな街を舞台にしていますが、『フェリーニのアマルコルド』のように、小さな場所を舞台にしていながら、人間誰もが感じるようなことを描き、普遍的な世界のこと語っています。そのような作品が多く、それが魅力なのではないかと思います。■
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PROGRAM/放送作品
ジャイアンツ
ある牧場主の激動の30年を描いた大河ドラマ。ジェームズ・ディーンの遺作となったアカデミー監督賞受賞作
主演にエリザベス・テイラーを迎え、アメリカ東部と南部、昔からの牧場主と新興の石油王など、対立する価値観や時代の変革、その中での人間模様を描く。映画公開前に事故死したジェームズ・ディーンの遺作でもある。
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PROGRAM/放送作品
ジンギス・カン
モンゴルの英雄ジンギス・カンを「アラビアのロレンス」オマー・シャリフが熱演する歴史スペクタクル
かつて1950~60年代のハリウッドに大型史劇、スペクタクルのブームがあった。その中で老練監督ヘンリー・レヴィンが手がけた英雄譚が『ジンギス・カン』だ。当時、観客の目を奪ったに違いない一大史劇は今でも必見!