◆実在の人物を描いた半フィクション映画

『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)でアカデミー賞を獲得し、そしてなによりも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリロジー(85〜90)で圧倒的な支持を得た、現代ハリウッドの巨匠ロバート・ゼメキス。そんな彼が2018年に発表した映画『マーウェン』は、白人至上主義者たちの暴力によって瀕死の重傷を負ったヘイトクライムの被害者、マーク・ホーガンキャンプ(スティーヴ・カレル)の実話をもとにしている。この事件のPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって彼は名前を書くことができなくなり、自身の個人的な生活について何も覚えておらず、またアーティストとしての、絵を描く能力さえも失ってしまったのだ。

 そんなマークだが、自宅の裏庭に「マーウェン」と名づけた第二次世界大戦のミニチュアの村を作り、それを写真におさめることで、芸術家としての立地点に立ち戻ろうとする。いつしかマーウェンは、現実でつらい思いをしたマークのストレスを抑える擬似コミュニティの役割を果たすようになる。それをよりどころに、マークが肉体的にも精神的にも回復をはかろうと努力する姿は、2010年に公開されたドキュメンタリー長編『Marwencol(原題)』で描かれ、多くの人に知られるところとなった。

 このドキュメンタリーを観たロバート・ゼメキスは大いに感銘を受け、ティム・バートン作品の常連脚本家として知られるキャロライン・トンプソンと共にマークの半生を脚本化し、映画『マーウェン』を作り上げたのだ。しかも完全なバイオグラフィものではなく、フィギュアが配置されたミニチュアの村で、独自の世界が形成されているというファンタジックなセクションを交え、現実とフィクションが交錯する野心的な作品づくりを試みたのである。

「占領下のフランスの小さな村」という設定のマーウェンで展開されるサイドストーリーはとてもユニークで、ホーガンキャンプが自己投影したG.Iジョーのホーギー大佐が、6人のガールズ部隊と共にナチス親衛隊を討伐するというものだ。このマーウェン村の人形たちは、マークの実生活に関わりを持つ人々が投影され、ガールズ部隊はマークが出会うすべての女性のアバターである。親衛隊はマークが酔って女装していると告白したとき、悪意を持って暴力をふるった5人の男たちになぞらえている。連中は全員白人だが、そのうちの1人には鉤十字のタトゥーが彫られていたからだ。この人形世界はそう、マークがいま直面している感情的なジレンマを象徴する空間なのだ。

◆CGアニメーション三部作の技術を応用した人形たち

 こうした作品の性質上、『マーウェン』はゼメキスの諸作と同様、視覚効果に重点を置かれた映画となっている。特にフィギュアが動き出す描写では、監督が『ポーラー・エクスプレス』(04)を起点とするフォトリアリスティックなCGアニメーション三部作で導入した、パフォーマンス・キャプチャー・テクノロジーが用いられている。同テクは人体のモーションを記録してCGキャラクターに反映するモーション・キャプチャーを発展させ、動きの取得範囲を顔の表情変化にまで拡げたものだ。しかしこうした表現の人工的な再現は、写実度が高まるほどに違和感や嫌悪感を覚える「不気味の谷」現象を観る者に抱かせてしまい、フィギュアへの共感を必要とする本作では再考の余地があったようだ。
 そこで『マーウェン』では、じっさいの俳優の顔をCGキャラクターに合成するという手法を採用。この方法によって前述の現象を緩和させ、また個々の人形キャラクターが誰のアバターなのか、判別しやすい利点を生み出している。

 しかし、フィギュアを基にしたCGキャラクターの開発は、プロダクションの早い段階からキャストを決定し、俳優たちのさまざまなデータを取得しておかねばならず、『マーウェン』は融通の利きづらい企画だったようだ。
「俳優はすべて前もってキャスティングされ、スキャンされ、それに応じて人形に彫刻をほどこし、特徴や表情などを固定する必要があったんだ。そして髪の毛をデザインし、顔をペイントし、衣装を作らなければならない。通常、映画のキャスティングでは、最後の一人を確保するために、撮影の前日まで検討することができるけれど、このような映画ではそれができないからね」(*1)
 と、ゼメキスは開発のリードタイムが長かったことをインタビューで答えている。


◆賛否を分けたファンタジー描写

『マーウェン』は公開後、さまざまな評価をもって迎えられた。多くの映画ファンにとっては、デジタルエフェクトの先導者であるゼメキスが、かつての『ロジャー・ラビット』(88)や『永遠に美しく』(92)の頃のようなVFX主体の作品を手がけたことに対して賞賛を贈った。しかしいっぽうで、現実の問題をファンタジーに落とし込むことにより、物事の本質から目を逸らそうとしているといった評価も散見された。米「ローリング・ストーン誌」の権威ある映画評論家ピーター・トラヴァースは「現実世界の問題が盛り上がってきたところで、ゼメキス監督はすべての女性を人形のように変えてしまい、映画は再びファンタジーに委ねられてしまう。実に残念なことだ」(*2)と述べ、また英「サイト&サウンド」誌のトレヴァー・ジョンストンは「アクション人形のような軽薄さは、風変わりな性を明確に認識している一人の男の、自己受容に向けた悩める旅を描く本作の舞台装置に過ぎない。メインストリームの作品という意味では、この映画は予想外の画期的なものだが、そのハイブリッドな性質がときに不愉快ではある」(*3)と手厳しい。

 また事実と映画との違いに対する追及もあり、たとえばマークの支えとなったのは女性だけでなく、少数の善良な男性がいたことや、また彼に暴力をふるった容疑者すべてが白人至上主義やネオナチではないなど、映画化されるさいの変更点として指摘されている。またマークの祖父が第二次世界大戦中にドイツ軍の側で戦っていたために、彼はナチスに対して複雑な感情を抱いていることも映画の不足要素として挙げられている。

 確かにドキュメンタリーを見る限り、それらは意図的に加工された印象を与えるが、ただ現実をあるがままに再現するのならば、そこはゼメキスを必要とするところではないだろう。この映画は、トラウマに対処する人間の回復力と創造の可能性や、芸術が持つ癒しの力に対し、視覚効果の申し子が最良のアプローチをしたのだ。それを否定するのは、ひいては創造の力や芸術そのものを否定しかねない。■

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