武侠映画に革命をもたらしたキン・フー監督
武侠映画(中華時代劇)の神様とも呼ばれる香港・台湾映画の巨匠キン・フー監督の代表作である。1932年に中国本土の北京で生まれ、第二次世界大戦後の1949年に香港へと移住したキン・フー監督。もともと美術スタッフや俳優として映画に携わっていた彼は、同じく本土出身の名監督リー・ハンシャンに影響を受けて’58年に映画会社ショウ・ブラザーズと契約。リー・ハンシャン監督作で俳優や助監督を務めたのち、’64年に監督デビューを果たす。そんなキン・フー監督の出世作となったのが、武侠映画に新風を吹き込んだと言われる名作『大酔侠』(’66)。それまでの大時代的な古めかしい武侠映画から脱却し、アクションとバイオレンスと幻想美を融合した斬新な演出は「新派武侠片」とも呼ばれ、香港映画界に革命をもたらした。興行的にも香港だけでなく東南アジア各国でも大ヒットを記録。キン・フー監督も一躍注目の的となる。
ところが、その直後にキン・フー監督はショウ・ブラザーズを去ることになってしまう。社長ラン・ラン・ショウと衝突したためと言われているが、もともと俳優としてショウ・ブラザーズと契約をしていたというキン・フー監督には、当時まだ2本の出演契約が残されていたらしい。そのためラン・ラン・ショウはいたく憤慨したそうで、2人の間にはその後もわだかまりが残されることとなった。そんなキン・フー監督の向かった先が台湾。当時、まだ設立されたばかりだった映画会社・聨邦影業公司に招かれた彼は、そこで『大酔侠』をさらにスケールアップさせた武侠映画を撮ることとなる。それがこの『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(’67)だった。
舞台は1457年、明朝・景泰帝の時代。朝廷では宦官ツァオ(バイ・イン)が特務機関・東廠(とうしょう)と秘密警察・錦衣衛(きんいえい)を配下において実権を握り、人望の厚い大臣ユー・チェンを罠にはめて処刑してしまう。大臣の3人の子供たちは流刑処分となったが、しかし彼らが大人になって復讐を企てるのではないかと危惧したツァオは、秘かに刺客を送り込んでユー一門を皆殺しにしようとする。
その任務に就いたのは東廠のピイ(ミャオ・ティエン)とその右腕マオ(ハン・インチェ)。大勢の手下を引き連れた彼らは、ユー一門が立ち寄る場所へと先回りする。そこは人里離れた荒野の真ん中にポツンと建つ古い宿屋「龍門客棧」。近くの国境警備隊を皆殺しにして店を強引に占拠した暗殺部隊は、宿泊客のふりをしてターゲットの到着を待ち構える。すると、そこへ宿屋の主人ウー(ツァオ・ジエン)の友人だという謎めいた風来坊シャオ(シー・チュン)がやって来る。さらに、旅の途中で立ち寄ったチュウ兄弟(シュエ・ハン、シャンカン・リンフォン)も到着。ピイ一味は彼らを宿屋から追い出そうとするが、しかしいずれも並外れた武術の達人であることから苦戦し、仕方なく彼らが宿泊することを許す。
実は、宿屋の主人ウーは処刑された大臣ユーの腹心で、その子供たちを守るために弟分シャオを呼び寄せていたのだ。しかも、チョウ兄弟(弟の正体は男装した女性なので実は兄妹)はウーの親友の子供で、彼らもまた大臣の子供たちを守るため「龍門客棧」へ先回りしていたのだ。ピイ一味の目的に気付いた彼らは、一致団結して暗殺計画を阻止することに。やがてユー一門が「龍門客棧」へと到着し、血で血を洗う壮絶な闘いが繰り広げられる。ツァオに恨みを持つ韃靼(だったん)人の兄弟も加わり、東廠の暗殺部隊を圧倒するシャオたち。業を煮やしたツァオが自ら軍隊を率いて現れ、ついに全面戦争の火蓋が切って落とされる…!
登場人物の個性を際立たせるシンプルなプロット
前作『大酔侠』でも宿屋を重要な舞台のひとつにしていたキン・フー監督だが、本作ではその宿屋がメインの舞台となり、悪徳宦官によって殺された大臣の子供たちを守らんとする忠義の剣士たちと、その宦官が差し向けた東廠の暗殺部隊が死闘を繰り広げる。刺客たちが待伏せする宿屋に予期せぬ客人が次々と現れ、お互いの腹を探りながらもやがて彼らの正体が明かされていくというスリリングな展開は、さながらクエンティン・タランティーノ監督の西部劇『ヘイトフル・エイト』(’15)。かつてタランティーノが『大酔侠』をリメイクするなんて企画もあったくらいなので、仮に『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』の影響を受けていたとしても不思議はないだろう。もちろん、本作自体がジョン・フォード監督の『駅馬車』(’39)やラオール・ウォルシュ監督の『リオ・ブラボー』(’59)といった西部劇に影響されているであろうことも否めない。映画にしろ音楽にしろ文学にしろ、芸術というのはお互いに影響を与え合いながら創造されていくものだ。
そもそもキン・フー監督が舞台設定に宿屋を好んで使うのは、本人曰く「『三國志』の時代から人々が行き交う宿屋は対立を起こすのに格好の場所」だから。さらに、吹き抜けの2階建てとしてデザインされた宿屋は、その垂直で奥行きがある構造のおかげで立体的なアクションを演出しやすい。ひとつのセットで多彩なシーンを撮れるという利点があるのだ。そのため、キン・フー監督は香港へ戻って作った『迎春閣之風波』(’73)では、ほとんどの舞台を宿屋に設定している。『大酔侠』と本作、そして『迎春閣之風波』が「宿屋三部作」と呼ばれる所以だ。
舞台設定もプロットも極めてシンプル。なおかつ余計な人間ドラマもバッサリと省いてスピーディに展開していく本作だが、その代わりに細かなディテールの描写に手間暇をかけ、登場人物それぞれのユニークな個性を際立たせていく。中でも、主人公である剣士シャオの超人的な達人ぶりにはビックリ。飛んできた弓矢を手元の徳利で受け止めたかと思えば、その矢を瞬時に素手で打ち返して暗殺者を仕留める。敵の投げつけた小刀だって箸の先で見事にキャッチ(笑)。どんぶりに入ったうどんを隣のテーブルに放り投げても汁一滴こぼれない。果たして、どんぶり投げが武術とどう関係あるのかは分からないが、とにかく常人離れしたスキルを持つ剣士であることはよく分かるだろう。また、『大酔侠』のヒロイン金燕子に続いて、本作でも男装の麗人キャラが登場。当時まだ17歳だったシャンカン・リンフォン演じるチョウ兄妹の妹である。ひと目で女性であることが分かってしまうのは玉に瑕だが、冷静沈着で颯爽とした美剣士ぶりはカッコいいし、短気で血の気の多い兄との凸凹コンビぶりもユーモラスだ。
もちろん、悪人だって負けないくらい魅力的だ。それぞれに個性的な敵キャラとの戦いが3段階に分かれており、ひとり倒すごとに対戦相手がレベルアップしていくというビデオゲーム的な構成も面白いのだが、この最後に登場するラスボスの宦官ツァオがまたインパクト強烈!なにしろ、『ドラゴンボール』の「かめはめ波」ではないが、剣を一振りしただけで敵を吹っ飛ばしてしまうような気功の達人にして、木々の間を軽やかに瞬間移動していくというスーパーパワー(?)の持ち主。まさしく相手にとって不足なし。やはり、こういう映画は敵役が強くないと面白くない。ただ、クライマックスでヒーローたちが寄って集ってツァオをボコボコにするのは如何なもんかとも思うのだが。しかも、下半身をネタにして嘲笑うというゲスっぷり(笑)。そう、ツァオは宦官なので男性器がないのだが、みんなでそれをバカにして挑発するのだ。さすがにこれはツァオがちょっと気の毒になる。
ダイナミックな剣劇アクションと映像美も見どころ
京劇の伝統的な舞踊スタイルを踏襲した優美なチャンバラも見どころだろう。武術指導を手掛けたのは、暗殺部隊の副官マオを演じているハン・インチェ。キン・フー作品に欠かせないスタント・コーディネーターである彼自身も、実は9歳から18歳まで北京の劇団に所属する京劇俳優だった。この舞うように戦う古典的なチャンバラにフレッシュな躍動感をもたらすのが、随所に盛り込まれる雑技団的な曲芸技である。当時はまだワイヤーワークの技術が確立されていないため、本作では主にトランポリンワークを多用。ここで披露される飛んだり跳ねたりの曲芸アクションが、その後の『侠女』(’71)では大胆なワイヤーワークによってさらなる発展を遂げ、武侠映画特有のファンタジックな剣劇アクションを完成させていくこととなる。
このように、基本的には『大酔侠』で打ち出した「新派武侠片」路線の延長線上にある本作だが、恐らく最大の違いはロケーション撮影の大幅な導入であろう。当時の香港映画は舞台が森だろうと山だろうと荒野だろうとスタジオにセットを組んで撮影するのが一般的で、キン・フー監督の『大酔侠』も御多分に漏れずだったが、しかし台湾で撮影された本作では屋内シーン以外の全てがスタジオの外へ出たロケ。台湾中部の雄大な自然を捉えたスケールの大きなビジュアルと、実際のロケーションだからこそのダイナミックなカメラワークに目を奪われる。このロケ撮影の利点を十二分に生かした映像美は『侠女』で芸術的なレベルにまで昇華され、カンヌ国際映画祭で高等技術委員会グランプリを獲得することになる。
ちなみに、キン・フー監督は本作と同様に『侠女』でも東廠を悪役として登場させているのだが、これは当時世界中で大流行していた『007』映画への反発だったという。権力の手先であるスパイを美化するとは何ごとか!というわけだ。もちろん、本作のストーリーに政治的な意図があるわけではないが、しかし劇中で描かれるユー大臣の処刑やその家族に対する残酷な処遇に、キン・フー監督が祖国・中国で当時吹き荒れていた文化大革命の弾圧と殺戮を投影していたであろうことは想像に難くない。
1967年に台湾で封切られるや映画館に長蛇の列ができ、10日間で10万通以上のファンレターが映画会社に届くほどの大ヒットを記録した本作。台湾のオスカーとも呼ぶべき金馬奨では最優秀脚本賞にも輝いた。ただ、香港や東南アジアでの配給を担当したショウ・ブラザーズは、社長ラン・ラン・ショウとキン・フー監督のイザコザもあったためか、『大酔侠』の続編『大女侠』(’68)の公開後まで本作の封切を延期。それでもなお、香港でも『007は二度死ぬ』に次いで年間興行成績ランキングの2位をマークするほどの大成功を収めた。これ以降のキン・フー作品のプロトタイプともなった映画であり、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(’87)や『グリーン・デスティニー』(’00)も本作がなければ生まれなかったかもしれない。■
『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』© 1967 Union Film Co., Ltd. / © 2014 Taiwan Film Institute All rights reserved (for Dragon Inn)