◆描画スタイルを徹底して実写へと置換

 マンガ家が映画監督として、商業長編映画を手がけることはままある。日本だと石井隆や、あるいは大友克洋あたりが周知の例だろう。しかしアニメーションならいざしらず、実写映画に自分の描画スタイルや色調、あるいは構図などを徹底して置換したような、そんな作家純度の高い作品を目にすることなどまれだ。

 そうした前提において、1989年に公開されたSF映画『バンカー・パレス・ホテル』は衝撃的だった。監督を務めたエンキ・ビラルの、自身がマンガ家として描く画のような世界が、見事なまでに実写へと置き換えられていたからだ。沈んだ色調やソフトフォーカス、建造物のレリーフに加え、深く皺の刻まれた顔相やスキンヘッドの男、はてはヒロインのヘアカラーに至るまで、徹頭徹尾ビラルのバンド・デシネそのままなのである。

 念のために説明しておくと、バンド・デシネとはフランス語で「バンド(帯)状のデッサン」を意味し、同国やベルギーにおけるコミックのことを指す。由来はコミックアーティスト、クリストフのレイアウトが原型とされており、左から横に流れていくように絵ゴマが並列し、下部に状況説明のキャプションが添えられるスタイルが、延いては呼称となったのだ。


◆バンド・デシネの貴公子ビラル

 ビラルは、そんなバンド・デシネを代表する作家の重要人物といえる。1951年に旧ユーゴスラビアのベオグラードで生まれ、5歳のときに父が政治亡命者としてパリに移住。エンキと残りの家族は4年後に後を追い、パリ近郊のラガレンヌ=コロンブに住み始める。フランス語の勉強も重ねてバンド・デシネの雑誌を読みあさり、それがきっかけとなって71年にコミック雑誌「ピロット」のコンクールに投稿して入賞。編集者ルネ・ゴシニの支援を受け、21歳でマンガ家デビューを果たした。

 その後、脚本家のビエール・クリスタンと出会い、彼の原作による "Partie de chasse"の連載をスタートさせ、75年には初となる単行本 "La Croisiére des Oubliés"を出版。政治的なテーマへの取り組みやリアリティにあふれたタッチを確立させている。

 そんなビラルをSFジャンルに傾倒させたのは 1976年からファンタジーやSFジャンルを専門としたコミック誌「メタル-ユルラン」に参加したことが起点となっている。ジャン“メビウス”ジローやフィリップ・ドリュイエ、ベルナール・ファルカといった気鋭のマンガ家たちが創刊した同誌は、「ヘビー・メタル」の誌名でアメリカで翻訳出版され、バンド・デシネの世界進出に大きく貢献した。ビラルもそんな経緯を一助に、1980年から1992年にわたって自身の代表作ともいえる「ニコボル3部作」などを完成させ、メビウスと並んでバンド・デシネを代表する存在となったのだ。


◆オムニバス短編から発展した企画

 同時にビラルは映画界との接点を持ち、アラン・レネの監督による『アメリカの伯父さん』(80)や、ヴェルナー・ヘルツォークが手がけた『緑のアリが夢見るところ』(84)のボスターイラストを担当。また別のアラン・レネ作品" La vie est un roman "(82)ではプロダクションデザインに就き、セット美術を手がけたり、さらにはマイケル・マンの『ザ・キープ』(84)においてクリーチャーデザインを、86年にはジャン=ジャック・アノーの『薔薇の名前』のストーリー・ボードを描くなど、直接的に本編の制作へと関与していく。

 こうした経験を経て、ついに自らが監督となる転機が訪れる。それは1985年から86年にかけて、マンガ家が短編映画を共同制作するアンソロジーの企画が浮上したことに端を発する。参加メンバーはビラルを含め、先のメビウスやドリュイエ、ジャック・タルディにルネ・ペティヨンといった、バンド・デシネ界を代表するアーティストたちで、彼らがそれぞれ15分の短編を監督するという豪華プロジェクトである。残念ながら諸々の事情で実現は叶わなかったが、このときにビラルの準備したプロットが『バンカー・バレス・ホテル』の原型となり、それを長編用へと発展させたのが本作となったのだ。

 また作品内容もビラルがこれまでにバンド・デシネで取り上げてきたような、重苦しく体制的な世界が描かれている。舞台は近未来における、大統領による独裁政権が崩壊した都市。政府の高官たちは革命の戦火から逃れるために、秘密のホテルに参集する。ここは居住者を守るために地下深くに建造されたバンカー(陣地壕)であり、同時に派手な贅沢を好む高官にふさわしいパレス(宮殿)でもある。ところが不思議なことに、大統領の到着が遅れているではないか。彼は死んだのか? それとも彼らを見捨てたのか——? リーダーを失い、バンカー・パレス・ホテルの人々は次第に混乱に陥っていく。そして、追い詰められた彼らの不安がもたらしたものとは、いったい……。

◆不条理と強大な権力の狂気がテーマ

 映画はバルカン半島とベオグラードで撮影が敢行された。理由はおおまかにふたつあり、ひとつは街にある建築物の外観と内装がそのまま撮影に使えるくらい風雅に満ち、そして趣きがあったことだ。とりもなおさずそれは、ビラルの描画に見られるタッチの源泉として、彼の生まれ故郷の風景があるということを証明している。そしてもうひとつは、この映画が20世紀における、政治体制の本質についての物語だということを認識し、そこには独裁的に自身の生まれ故郷を統治した、ミロシェヴィッチ政権への皮肉に満ちた糾弾が込められているからだ。不条理と強大な権力の狂気が作品のテーマだ、とビラルは言う。「特権階級を持つ者は、絶対に絶対権力を持つことになる。そうなると、その者の人間性を喪失してしまうのだ」と——。

『バンカー・パレス・ホテル』は観念的な内容ながらも好評を博し、エンキ・ビラルはマンガ家活動と並行させて『ティコ・ムーン』(97)や『ゴッド・ディーバ』(04)といった諸作を監督。どちらも視覚効果が比重を増し、より自身のアート世界に近づいた絵作りを提供していく。そういう点では、本作が自分の原作とは違う、映画用に用意されたオリジナルのストーリーだという事実にも驚きを禁じ得ない。つまり既存するイメージの転写ではなく、まったく無からビラル的世界が生み出されているのだから。

 ちなみに『ゴッド・ディーバ』の日本公開時、同作のプロモーションでビラルは来日を果たし、筆者は彼にインタビューをする機会に恵まれた。そこで前述した「なぜここまで自分の絵に近づけた映像づくりができるのか?」を訊いたところ、「映画とバンド・デシネとの表現方式の違いから、そこはむしろ意識的に異なるよう心がけているのに、どうしても同一のイメージに落ち着いてしまうんだ」と苦笑しながら答えてくれた。また自身の作品づくりを刺激するものとして、『風の谷のナウシカ』(84)や『もののけ姫』(97)など、宮﨑駿監督への敬意を挙げていたのが興味深く思い出される。■

*『バンカー・パレス・ホテル』エンキ・ビラル監督が自著に描き入れたサイン(筆者所有)

 

『バンカー・パレス・ホテル』© 1988-TF1 INTERNATIONAL-FRANCE 3 CINEMA-ARTE-TELEMA