テレビ西部劇をステップに映画進出したペキンパー
バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー監督の処女作である。もともと’40年代末にテレビ業界でキャリアをスタートしたペキンパー。ロサンゼルスのローカル局で裏方スタッフとして働きながら映画界でのチャンスを狙っていた彼は、やがて『第十一号監房の暴動』(’54)や『地獄の掟』(’54)などドン・シーゲル監督作品のダイアログ・コーチに起用され、そのシーゲル監督の推薦で『ガンスモーク』や『西部のパラディン』などテレビ西部劇の脚本家となる。その『ガンスモーク』のために書いて却下された脚本が元となって、人気シリーズ『ライフルマン』(‘58~’63)が誕生。同作でエピソード監督も経験した彼は、自らクリエイターを務めた西部劇シリーズ『遥かなる西部』(‘59~’60)の脚本と監督を手掛ける。
だが、この『遥かなる西部』は高い評価を受けたわりに視聴率が伸びず、たったの13話でキャンセルされてしまった。その後、同作で主演を務めた俳優ブライアン・キースが低予算の西部劇映画に出演が決まり、『遥かなる西部』で組んだペキンパーを監督としてプロデューサーに推薦する。それが待望の映画監督デビュー作となった『荒野のガンマン』というわけだ。
舞台は19世紀後半のテキサス。元北軍将校の流れ者イエローレッグ(ブライアン・キース)は、かつて南軍兵士にナイフで頭の皮を剥がされそうになり、その際に出来た額の大きな傷跡を隠すため常に帽子を被っていた。必ずやあの男を探し出して復讐してやる。それだけを生き甲斐に西部を転々としてきた彼は、たまたま立ち寄った酒場でついに宿敵ターク(チル・ウィルス)と遭遇する。どうやら、向こうはこちらの顔を全く覚えていないようだ。タークにはビリー(スティーヴ・コクラン)という相棒がいた。「ヒーラの町に新しく銀行が出来た。保安官は老いぼれだから楽に稼げる」と言って、ビリーとタークを銀行強盗に誘うイエローレッグ。もちろん、憎きタークを陥れるための策略だ。
賑やかな町ヒーラへ到着し、銀行周辺の様子を探る3人。そんな彼らが見かけたのは、町の人々から後ろ指を指される美しい踊り子キット(モーリン・オハラ)とその幼い息子ミード(ビリー・ヴォーン)だった。結婚したばかりの夫を旅の途中でアパッチ族に殺され、ひとり辿り着いたヒーラで息子を出産したキット。だが、偏見にまみれた住民たちはキットが父親の分からない子供を産んだと決めつけ、普段から親子に冷たい眼差しを向けていたのだ。すると、突然銀行の周辺で銃声が鳴り響く。別のならず者たちが先に強盗を働いたのだ。逃げようとする犯人に拳銃を向けるイエローレッグ。ところが、手元が狂ってミードを射殺してしまう。実は戦争で受けた銃弾のせいで、イエローレッグは右肩を痛めていたのだ。
最愛の息子を失って悲嘆にくれるキット。町長や牧師たちはミードの葬儀と埋葬を申し出るが、しかし彼女は毅然とした態度で頑なに断る。これまで町の人々にどれだけ傷つけられてきたことか。今さら同情などされたくない。亡き夫が眠るシリンゴの町へ行き、息子を父親の墓の隣に埋葬しよう。そう決意したキットだったが、しかし廃墟と化したシリンゴはアパッチ族の領地にある。道中は非常に危険だ。それでも旅の支度を済ませて出かけようとするキットに、罪の意識を感じたイエローレッグが護衛として同行を申し出る。そんな彼にありったけの憎しみをぶつけて拒絶し、ひとりで出発してしまうキット。どうしても放っておけないイエローレッグは、反対するビリーやタークを連れて彼女の後を追いかける…。
実は脚本に手を加えることすら許されなかった…!?
もともと主演女優モーリン・オハラのスター映画として企画された本作。『我が谷は緑なりき』(’41)や『リオ・グランデの砦』(’50)、『静かなる男』(’52)などジョン・フォード映画のヒロインとして活躍したオハラだが、中でも当時はジョン・ウェインと共演した西部劇の数々で世界中の映画ファンに愛されていた。意志が強くて誇り高い踊り子キット役は、鉄火肌の赤毛女優として気丈なヒロイン像を演じ続けたオハラにはうってつけ。ストーリーを牽引していくのは流れ者イエローレッグだが、しかし後述する作品のテーマを担うのは、間違いなくオハラの演じる女性キットだ。
そんな本作のプロデュースを手掛けたのが、オハラの実弟であるチャールズ・B・フィッツシモンズ。たまたま読んだ30ページほどの草稿を気に入り、すぐさま脚本エージェントに問い合わせたフィッツシモンズだったが、当時は既にマーロン・ブランドが映画化権を押さえていたらしい。しかしその1年後、ブランドが別の企画を選んだことからフィッツシモンズが権利を入手。姉モーリン・オハラの主演を念頭に置いて、プロジェクトの陣頭指揮を執ることになる。シド・フライシュマンの書いた脚本も、基本的にはフィッツシモンズの意向を汲んだもの。完成した脚本を基にしてフライシュマンに小説版を執筆させ、映画への出資金を集めやすくするため先に出版させたのもフィッツシモンズの指示だし、ジョン・ウェインに雰囲気が似ているという理由でブライアン・キースをイエローレッグ役に起用したのもフィッツシモンズの判断だった。要するに、本作は紛うごとなき「プロデューサーの映画」だったのである。
そう考えると、本作が「サム・ペキンパーらしからぬ映画」と呼ばれるのも無理はないだろう。実際、ロケハンの時点から自分のカラーを出そうという姿勢を見せるペキンパーに対し、フィッツシモンズは脚本の改変も独自の解釈も一切許さなかった。脚本に書かれた通り忠実に映像化すること。それがペキンパーに与えられた役割だったのである。しかも、これが初めての長編劇映画であるペキンパーは現場に不慣れだったため、撮影中はずっとフィッツシモンズが付きっきりで演出に口を挟んだらしい。なにしろ、製作費50万ドルと予算が少ないため、撮影スケジュールを伸ばすわけにはいかない。当然ながら、根っからの反逆児であるペキンパーとフィッツシモンズは対立し、現場では喧嘩が絶えなかったという。
それでもなお、どこかマカロニ・ウエスタンにも通じるドライな映像美や荒々しい暴力描写、憎悪や復讐という人間心理のダークサイドを掘り下げたストーリーには、もちろん当時の修正主義西部劇という大きな潮流の影響もあるだろうとはいえ、その後のサム・ペキンパー映画を予感させるものを見出すことは可能だろう。中でも、銀行から奪った金で黒人奴隷や先住民を買い揃えて軍隊を作り、南部連合の夢よ今一度とばかりに自分だけの共和国を建設するという妄想に取りつかれたタークは、いかにもペキンパーが好みそうな狂人キャラのように思える。そういう意味で、本作の監督にペキンパーを推したブライアン・キースは間違っていなかった。
ただ、映画そのもののテーマは非常に道徳的で、なおかつ宗教的でもある。復讐だけを心の拠り所にしてきたイエローレッグは、それゆえに子供殺しという取り返しのつかない罪を犯してしまう。キットを危険から守るためのシリンゴ行きは、彼にとっていわば贖罪の旅だ。その過程で我が身を振り返った彼は復讐の虚しさを噛みしめ、キットとの愛情に人生の新たな意味を見出していく。一方のキットもまた、世の中の理不尽に対して怒りや憎しみを抱き続けていたが、しかし己の罪と真摯に向き合おうとするイエローレッグの姿に心動かされ、やがて深い愛情と寛容の心で荒み切った彼の魂を救うことになる。新約聖書でいうところの「復讐するは我にあり」。つまり、復讐というのは神の役目であって人間のすべきことではない。悪に対して悪で報いるのではなく、善き行いによって悪を克服すべきである。それこそが本作の言わんとするところであろう。
結局、ペキンパー本人にとっては少なからず不本意な映画となった『荒野のガンマン』。インディペンデント映画であったため劇場公開時はあまり話題にならず、興行的にも制作陣が期待したような結果を残すことが出来なかった。これを教訓とした彼は、脚本に手を加えることが許されないような仕事は一切引き受けないと心に誓ったという。とはいえ、そこかしこに「バイオレンスの巨匠」の片鱗を垣間見ることが出来るのも確かであり、映画監督サム・ペキンパーの原点として見逃せない作品だ。■
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