時代の世相を如実に映し出していた’70年代のオカルト映画人気
‘70年代のオカルト映画ブームを代表する名作である。アカデミー賞で作品賞を含む計10部門にノミネート(受賞は脚色賞と音響賞)されたウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(’73)の大ヒットをきっかけに、たちまち世界中で巻き起こったオカルト映画ブーム。ただし、そのルーツはロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(’68)と言われており、実際に『エクソシスト』も同作の影響を抜きに語ることは出来ない。アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(’60)と並んで、いわゆるモダン・ホラーの金字塔とも称される『ローズマリーの赤ちゃん』だが、しかし公開当時はその成功が大きなムーブメントへと繋がることはなかった。これはひとえにタイミングの問題であろう。
カルト集団マンソン・ファミリーによる残忍な連続殺人事件が、全米はもとより世界中に大きな衝撃を与えたのは’69年夏のこと。折しも’60年代末から’70年代にかけて、アメリカではアントン・ラヴェイ率いるサタン教会が設立されるなどサブカルチャーの一環としてサタニズム(悪魔崇拝)が注目され、’73年には超能力者を自称するユリ・ゲラーがアメリカの国民的トーク番組「トゥナイト・ショー」への出演を機に欧米で大変なブームを巻き起こす。このユリ・ゲラー人気はほどなくして日本へも上陸。奇しくも同じ頃、日本でもベストセラー本「ノストラダムスの大予言」をきっかけに空前のオカルト・ブームが到来していた。ベトナム戦争やオイルショックによる世界的な経済不況、各国で頻発する過激派テロや犯罪増加による治安の悪化、ウォーターゲート事件に代表される権力の腐敗などなど、混沌とする国際情勢への漠然とした不安が、こうしたオカルトへ対する関心を世界中で高める要因になったのかもしれない。いずれにせよ、そういう時代だったのだ。
まさに機は熟した’70年代半ば。ホラー映画としては異例中の異例であるアカデミー作品賞ノミネートを果たし、全米年間興収ランキングでも『スティング』に次いで2位という大ヒットを記録した『エクソシスト』。これを皮切りに『魔鬼雨』(’75)や『悪魔の追跡』(’75)、『家』(’76)に『オードリー・ローズ』(’77)に『センチネル』(’77)に『マニトウ』(’78)に『悪魔の棲む家』(’79)にと、それこそ数えきれないほどのオカルト映画が作られたほか、イタリアの『デアボリカ』(’74)や『レディ・イポリタの恋人/夢魔』(’74)、日本の『犬神の悪霊(たたり)』(’77)にドイツの『ヘルスネーク』(’74)などなど、『エクソシスト』を露骨にパクったエピゴーネン作品も世界中で量産されることに。中には、脚本からカメラワークに至るまで『エクソシスト』を丸ごと完コピ(ただし製作費は本家の1/100くらい)したトルコ映画『Şeytan(悪魔)』(’74・日本未公開)なんて珍品もあった。そんな空前のオカルト映画ブームの真打として登場し、『エクソシスト』にも負けず劣らずの大成功を収めた作品がこの『オーメン』(’76)だった。
この世に恐怖と混乱をもたらす悪魔の子ダミアン
それは6月6日午前6時のこと。ローマのアメリカ大使館に勤務するエリート外交官ロバート・ソーン(グレゴリー・ペック)は、出産のために妻キャサリン(リー・レミック)が入院するカトリック系病院へと駆けつける。付き添いのスピレット神父(マーティン・ベンソン)から死産だったことを告げられ、深くうなだれるロバート。長いこと子宝に恵まれなかったソーン夫妻にとって、まさしく待望の初産だったのである。しかも、キャサリンはもう2度と妊娠できない体だという。どうやって妻に伝えればいいのか…。ショックと失望で混乱するロバートに、スピレット神父が養子縁組を持ち掛ける。実は同じ時刻に同じ病院で生まれたものの、母親が死亡して身寄りのなくなった男児がいるというのだ。なんという偶然。これは神の思し召しかもしれない。養子であることを妻に隠して赤ん坊を引き取ったロバートは、この息子をダミアンと名付けて大切に育てるのだった。
それから5年後。ダミアン(ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス)はいたずらっ子の可愛い少年へと成長し、ソーン家には明るい笑い声が響き渡っていた。そこへロバートの昇進の朗報が。駐英アメリカ大使に任命されてロンドンへ栄転することとなったのだ。このまま順調に行けば、いずれアメリカ合衆国大統領になることも夢ではないかもしれない。ところが、この頃からソーン夫妻とダミアンの周辺で不穏な出来事が重なっていく。盛大に行われたダミアンの5歳の誕生パーティ。そこで若い乳母(ホリー・パランス)が突然「ダミアン、全てはあなたのためよ」と叫び、公衆の面前で首つり自殺を遂げる。屋敷の周辺を徘徊する怪しげなロットワイラー犬。代わりにベイロック夫人(ビリー・ホワイトロー)というベテラン乳母が赴任してくるものの、しかしロバートもキャサリンも新しい乳母を依頼した覚えなどなかった。ソーン夫妻に隠れて「あなたをお守りするために来ました」とダミアンに告げるベイロック夫人、その言葉を聞いて不気味な笑みを浮かべるダミアン。息子の周辺を独断で仕切っていくベイロック夫人にソーン夫妻は困惑する。
一方その頃、ローマからやって来たブレナン神父(パトリック・トラウトン)がアメリカ大使館を訪れ、ダミアンの忌まわしき出生の秘密を知っているとロバートに警告する。当初は狂人の戯言と片付けていたロバートだったが、しかし教会へ向かったダミアンが恐怖のあまりパニックに陥る、動物園の動物たちがダミアンの存在を脅威に感じて暴れるなどの不可解な事件が相次いだため、改めてブレナン神父から話を聞いたところ、彼によればダミアンは悪魔の子供だという。しかも、キャサリンが第二子を妊娠しており、ダミアンと悪魔崇拝者たちは母子共に葬り去るつもりらしい。なんとバカげたことを!そもそも妻はもう妊娠できない体だ!デタラメを言うんじゃない!二度と我々に近づくな!怒りを露わにしたロバートだったが、その直後にブレナン神父は教会の屋根から落ちてきた避雷針が体を貫通して即死。そのうえ、妻キャサリンが本当に妊娠していたことも発覚する。
そんな折、以前より顔見知りだった報道写真家ジェニングス(デヴィッド・ワーナー)からコンタクトがある。首つり自殺をした若い乳母、避雷針が突き刺さったブレナン神父、それぞれ生前の写真に死の「予兆」を示すような影が写っているというのだ。不気味な影はジェニングス自身の写真にも写り込んでいた。まるで彼の死を預言するように。その頃、身重の妻キャサリンが大使公邸の吹抜け2階から転落する。辛うじてキャサリンは一命をとりとめたが、お腹の中の子は流産してしまった。やはりダミアンは本当に悪魔の子なのか。いったいソーン家の周辺で何が起きているのか。真相を確かめるべくローマへ向かったロバートとジェニングス。そこで亡きブレナン神父から聞かされた専門家ブーゲンハーゲン(レオ・マッカーン)に会った彼らは、もはや疑いようのない驚愕の事実と向き合うことになる…。
『オーメン』に成功をもたらした脚本と演出の妙とは?
劇中でも言及される新約聖書の預言書「ヨハネの黙示録」をヒントに、人間として地上に生まれた悪魔の子供が不思議な力と崇拝者たちによって守られ、世の中の混沌に乗じて超大国アメリカの権力中枢へ食い込もうと画策する…というお話。’70年代当時の不穏な世相を背景にした陰謀論的な筋書きは、それゆえ荒唐無稽でありながらどこか奇妙な説得力を持っている。そのうえで、本作はオカルト映画にありがちな超常現象やモンスターの類を一切排除し、徹底したリアリズムを貫くことで物語に信憑性を与えているのだ。ポランスキーが『ローズマリーの赤ちゃん』で採った手法と同じである。
ダミアンの周辺で起きる怪事件の数々は、なるほど確かに悪魔の仕業と言われればそうかもしれないが、しかし単に不幸な偶然が重なっただけとも受け取れる。その結果、ロバートもジェニングスも精神を病んだブレナン神父の妄想をうっかり信じ込んでしまい、不幸な結末へ向けて勝手に暴走してしまった…と解釈することも可能であろう。ローマで発覚する衝撃的な事実の数々だって、実のところ悪魔ではなく悪魔崇拝カルト集団の陰謀に過ぎないと考えることも出来る。もちろん、そうではないことも随所でしっかりと暗示されるわけだが、いずれにせよこのファンタジーとリアルの境界線ギリギリを狙った語り口が非常に上手い。ブームによって数多のオカルト映画が量産される中、本作が『エクソシスト』に匹敵するほどの支持を観客から得ることが出来たのは、この「世相を投影した脚本」と「リアリズムに徹した演出」があったからこそであろう。
本作の生みの親はドキュメンタリー畑出身の映画製作者ハーヴェイ・バーンハード。友人ボブ・マンガーとハリウッドのレストランで食事をしたところ、「もしヨハネの黙示録に出てくる反キリストが幼い少年だったら?」という話題になったという。これは映画のネタになる!と直感したバーンハードは、すぐさまアイディアを10ページほどの企画書にまとめ、ドキュメンタリー時代からの知人であるデヴィッド・セルツァーに脚本を依頼する。実は劇映画の脚本を書いた経験が乏しかったという当時のセルツァー。ドキュメンタリー作家として家族を養うことが厳しくなったため、脚本家としての実績を偽って周囲に売り込みをかけたところ、原作者ロアルド・ダールが降板した『夢のチョコレート工場』(’71)の脚本改訂版をノークレジットで担当したばかりだった。恐らく、バーンハードもその売り込みを信じたのかもしれない。それが結果として吉と出たのだから、まさしく「Fake It Till You Make It(本当に成功するまで成功したふりをしろ)」を地で行くような話ですな(笑)。
当初、主人公ロバート・ソーン役にチャールズ・ブロンソン、監督には『激走!5000キロ』(’76)などのB級アクション映画で知られるスタントマン出身のチャック・ベイルという顔合わせで、『エクソシスト』のワーナー・ブラザーズが出資することになっていたという『オーメン』。スイスでのロケハンも行われていたらしい。ベイル監督がカーチェイス・シーンの話ばかりするため、「一体どんな映画になるのか心配だった」というセルツァー。ところが、当時ワーナーで同時進行していた『エクソシスト2』(’77)に予算がどんどん持っていかれてしまい、最終的に本作の企画自体が暗礁へ乗り上げてしまった。そこで救いの手を差し伸べたのが20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニア。このラッド・ジュニアの要望で監督がリチャード・ドナーに交代し、主演俳優にも天下の名優グレゴリー・ペックが起用されることとなったというわけだ。
それまで劇場用映画では全くヒットに恵まれず、主にテレビドラマの演出家として活躍していたドナー監督。本作における徹底したリアリズム路線を打ち出したのは彼だったという。実は、もともとセルツァーの書いたオリジナル脚本には超常現象やら魔女やらが登場し、ローマ郊外の墓地のシーンでは半人半獣のモンスターも出てくるはずだったらしい。しかし、物語に説得力を持たせることを最優先に考えたドナー監督は、脚本にあった非現実的な要素を極力排除することに。監督自身は本作をホラー映画ではなく、ヒッチコック・スタイルのサスペンス・スリラーと考えて取り組んだと振り返っている。
また、ベイロック夫人もオリジナル脚本では、一見したところ温厚そうな女性という設定だったが、しかしオーディションを受けた女優ビリー・ホワイトローの芝居に強い感銘を受けたドナー監督の判断で、本作における「悪の権化」を一手に担うようなキャラに変更。そのおかげで、普段は無邪気な少年にしか見えないダミアンの秘められた二面性が、ベイロック夫人の邪悪な存在によって引き出されていくという効果が生まれたようにも思う。そのベイロック夫人の台詞は演じるホワイトロー自身が書き直したとのこと。そうした大胆な路線変更の結果、脚本家のセルツァーをして「出来上がった映画は脚本よりも遥かに素晴らしかった」と言わしめるような作品に仕上がったのだ。
あのSFブロックバスター映画の成功も実は本作のおかげ…?
ハリウッド史上屈指の大スターに数えられるオスカー俳優グレゴリー・ペックに、『酒とバラの日々』(’62)でオスカー候補になった名女優リー・レミックという主演陣の顔合わせも功を奏した。当時はまだまだ、ホラー映画がB級C級のジャンルと見做されていた時代である。出演する役者もジャンル系専門のB級スターか、もしくは落ち目の元人気スターと相場は決まっていた。それだけに、グレゴリー・ペックにリー・レミックという超一流キャストは興行的な理由ばかりでなく、観客を登場人物に感情移入させて物語に説得力を持たせるという意味においても効果は絶大だったと言えよう。脇を固めるのもデヴィッド・ワーナーにビリー・ホワイトロー、レオ・マッカーンなど、いずれも知る人ぞ知る英国演劇界の名優ばかり。演出だけでなく役者の芝居にも嘘くささがない。
なお、ホラー映画史上最もショッキングな名場面とも言われる首吊りシーンで強烈な印象を残す、若い乳母役のホリー・パランスは往年の名優ジャック・パランスの愛娘。実は、本作の以前にドナー監督はジャック・パランスとテレビで仕事をしたことがあり、その際に「何か機会があれば娘をよろしく頼む」と言われたそうで、その約束を果たすために声をかけたという。当時まだ駆け出しだったホリーはそのことを全く知らなかったそうで、エージェントの指示でドナー監督と会いに行ったところ、オーディションもカメラテストもなしで採用されたためビックリしたらしい。
一流と言えば、撮影監督を任されたカメラマン、ギルバート・テイラーの存在も忘れてはなるまい。ロマン・ポランスキーやリチャード・レスターとのコラボレーションで知られ、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(’64)やヒッチコックの『フレンジー』(’72)でも高く評価されたテイラー。当時は映画界からセミ・リタイアして、自身がロンドン郊外に所有する農場で酪農に従事していたそうだが、その農場へ出向いたドナー監督が根気よく口説き落として現役復帰することに。空間のバランスと奥行きを細部まで計算し尽くした画面構図の美しさは、間違いなくテイラーの功績であろう。この極めてスタイリッシュなビジュアルが、映画全体の風格を高めたとも言える。そういえば、スティーブン・スピルバーグの『ジョーズ』(’75)やジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(’77)あたりを契機に、かつてはBクラス扱いされていたホラーやSFなどのジャンル系映画を、メジャー・スタジオがAクラスの予算と人材を投じて作るようになったわけだが、本作や『エクソシスト』もその流れ作りに大きく貢献したのではないかと思う。
ちなみに、もともと本来のクライマックスではロバートのみならずダミアンも死亡し、エンディングはソーン親子3人全員の葬儀という設定だったのだが、撮影終了後にラフカット版を見たアラン・ラッド・ジュニアが「子供だけ生き残るってのはどうだろう?」と提案。これにドナー監督が同意したことから大急ぎで追加撮影が行われ、あの衝撃的なラストシーンが生まれたのである。ダミアン役のハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス少年は演技未経験の素人。それゆえドナー監督は、演技をさせるのではなく素のリアクションを引き出すことに腐心したそうなのだが、このラストシーンの撮影では「笑っちゃだめだからね!笑うんじゃないよ、笑うんじゃないよ、ぜーったいに笑うんじゃないよ!」とカメラの後ろからわざと煽りまくり、我慢しきれなくなったハーヴェイ少年が思わず笑みをこぼしたところでジ・エンドとなったわけだ。
かくして’76年6月6日に全米主要都市でプレミア上映が行われ、6月25日よりロードショー公開されて爆発的なヒットを記録した『オーメン』。キリスト教において「666」が獣(=悪魔)の数字であることを、世界中で広く知らしめたのは本作の功績のひとつである。脚本家セルツァー自身が書き下ろしたノベライズ本も、劇場公開に先駆けて出版されベストセラーに。2本の続編映画と1本のテレビ用スピンオフ映画、さらには1作目のリメイク版映画や2本のテレビ・シリーズも作られるなどフランチャイズ化され、最近ではダミアンの誕生に至る前日譚を描いた映画『オーメン:ザ・ファースト』(’24)も話題となった。そういえば’06年のリメイク版には、すっかり大人になったハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス(1作目のダミアン役)が取材レポーター役で顔を出していましたな。
本作で初めて劇場用映画の代表作に恵まれたドナー監督は、封切からほどなくして大物製作者アレクサンダー・サルキンドから映画『スーパーマン』(’78)のオファーを受け、そこからさらに『グーニーズ』(’85)や『リーサル・ウェポン』(’87)シリーズの成功へと繋がっていく。また、当時『スター・ウォーズ』の撮影監督ジェフリー・アンスワースが降板してカメラマンを探していたジョージ・ルーカスから問い合わせがあり、ドナー監督は後任として本作のギルバート・テイラーを推薦したという。ただし、テイラーからは「なんてことに巻き込んでくれたんだ!あの若者たちは何も分かっていない!まるでマンガみたいな映画じゃないか!」と文句を言われたのだとか(笑)。さらに、20世紀フォックスのアラン・ラッド・ジュニアは膨れ上がっていく『スター・ウォーズ』の予算を、『オーメン』の莫大な興行収入で賄ったとも言われている。もしかすると、本作の成功がなければ『スター・ウォーズ』も世に出ていなかったかも…?■