“洋ピン”という言葉の響きに、ある種の郷愁を覚えるのは、50代中盤以上の、ほぼ男性に限られるのだろうか? “洋ピン”を一言で説明すれば、洋ものピンク映画の略。即ち、アメリカやヨーロッパなどで製作された、外国産のポルノ映画を指す。
 “洋ピン”は、日本の洋画興行に於いて、1970年代に全盛期を迎えた。往時は、億単位の配給収入を上げる作品も、少なくなかったという。
 その頃は世界的に、性の解放やフリー・セックスが、トレンドとなった時代。日本にもその波が押し寄せて…と言っても、実は欧米とは、かなり事情が違っていた。
 アメリカや北欧などではいち早く、ヘアや性器を明け透けに見せながら、セックスの本番行為を映し出す、いわゆる“ハードコア”のポルノ映画が解禁された。しかし、ピンク映画やにっかつロマンポルノなど、我が国で製作される成人向け作品は、実際には性行為は行わずに、それらしく演じてみせる、いわゆる“ソフトコア”止まり。
 そんなことからもわかる通り、当時の日本では、もろ出しの欧米産“ハードコア”をそのまま公開することなど、もっての外。許される筈がなかった。
 しかし実際は、そうしたハードコア”のポルノ作品が数多く輸入されて、次々に公開されたのである。日本独自の加工を施して…。
 オリジナル版で映し出される、性器や性行為は、ある時はカットされ、またある時はボカシやトリミングが掛けられた。花瓶などを写した他のフィルムを焼き付けて秘所を隠す、“マスクがけ”といった高等テクニック(!?)まで生み出され、とにかくヤバい部分は、いくら目を凝らしても見えないようにされたのだ。
 欧米産ポルノ映画は、そのようなプロセスを経て、日本のみのバージョンである“洋ピン”と化して、ようやく公開へと辿り着く。そんな代物であっても、繁華街から場末まで、そうした作品を上映する専門館には、多くの観客が集まったのである(現存する映画館で言えば、銀座の東映本社地下に在る「丸の内TOEI②」も、40数年前には「丸の内東映パラス」という名で、“洋ピン”専門館だったことがある)。
 欧米では“ハードコア”、転じて日本では“洋ピン”。そんな70年代のポルノ映画事情を象徴するのが、『ディープ・スロート』(1972)という作品である。そしてその40年後に、『ディープ…』の主演女優であったリンダ・ラヴレースの人生の一局面を描いたのが、本作『ラヴレース』(2013)だ。

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 1970年、フロリダの田舎町で暮らす、リンダ・ボアマン(演:アマンダ・セイフライド)。両親(演:ロバート・パトリック、シャロン・ストーン)は厳格なカトリック教徒で、特に母は、リンダの生活に容赦なく介入した。
 窮屈な生活を強いられるリンダの前に、バーの経営者だという、チャック・トレーナー(演:ピーター・サースガード)が現れる。ヒッピー風で当世のカルチャーに詳しく、しかも優しく接してくれる年上の男性チャックに惹かれたリンダは、早々に親元を飛び出して、彼と結婚する。
 それから半年。チャックはバーでの売春あっせん容疑で逮捕され、その保釈金やあちこちへの借金で、首が回らなくなっていた。起死回生の一手として彼が仕掛けたのが、妻リンダのポルノ映画出演。
 演技はずぶの素人である、リンダを起用することに懐疑的な製作陣に、チャックは8㎜フィルムで撮った、彼女の“秘技”を見せる。どんな巨大な男性器でも喉の奥深くまで咥えてみせるその様に、製作陣は驚愕。そして、リンダが喉にクリトリスがある女性という設定の“ハードコア”、『ディープ・スロート』(直訳すれば、喉の奥深くという意)が製作されたのである。
『ディープ・スロート』は、最終的な売り上げが5億㌦とも6億㌦とも言われる、驚異的な大ヒットとなり、社会現象を引き起こす。リンダはこの作品出演を機に、“リンダ・ラヴレース”という芸名を与えられ、「性の解放」を象徴するヒロインとして、全米注目の存在に。
 しかしそれは、リンダの望んだことではなかった。実は結婚当初から彼女を暴力で支配していたチャックが作り上げた、“虚像”だったのである…。

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 アマンダ・セイフライドは、SF作品『TIME/タイム』(11)のヒロインや、ミュージカル『レ・ミゼラブル』(12)のコゼット役などで、若手女優として人気も評価もピークに近かった頃に、本作に主演。ヌードや濡れ場にも臆することなく、実在の“ポルノ・スター”という難役に挑んだ。
 1985年生まれの彼女は、リンダ・ラヴレースも『ディープ・スロート』も、それまでまったく知らなかった。自分の両親に当時の反響を聞いたり、監督たちが集めた、リンダに関する膨大な写真やフッテージ、本などの資料に触れ、更にはリンダの出演作のほとんどを観るなどして、役作りを行ったという。
 それまでも、悪役やクズ男を演じてきたピーター・サースガードだが、本作はまさに適役!アマンダ曰く、「ピーターがすごいのは、カリスマ的な魅力を持っている男から、一瞬にしてひどく暴力的な男に豹変してしまえる…」ことで、そんな多重人格的なチャック・トレーナー役を、見事に演じてみせた。

 本作の前半は、田舎出の女の子が、愛する男性のサポートによって、時代の寵児となっていく展開。リンダの歩みが、まるで“サクセスストーリー”のように描かれる。
 しかし後半は、一転。ドキュメンタリー畑出身の監督コンビである、ロブ・エプスタインとジェフリー・フリードマンは、成功の裏にあった、おぞましくも醜い現実を抉り出す。
 見せかけの栄光の日々から、6年。新たな夫との間に我が子を授かっていたリンダは“うそ発見器”に掛かるまでして、ある出版物をリリースする。それは彼女が、成功の裏に隠された真実を綴った、己の“自伝”である(日本では「ディープ・スロートの日々」なるタイトルで出版された)。
 本作を構成するに当たっての重要な資料にも当然なったと思われる、この“自伝”。実は本作以上に、強烈で衝撃的な描写が満載である。
 結婚直後からチャックのDVの餌食となったリンダは、やがて“売春”を強要されるようになる。時には複数の男にレイプされ、更には獣姦まで強いられる。『ディープ・スロート』以前には、8㍉フィルムで性行為を撮影した、いわゆる“ブルーフィルム”にも多数出演させられている。
『ラヴレース』ではさらりと触れられる程度だが、実在の有名人との関わりも、“自伝”では詳細に描写される。成人向け娯楽雑誌『PLAYBOY』で、一大帝国を築き上げた男、ヒュー・ヘフナー。本作ではジェームズ・フランコが演じたヘフナーの館では、毎夜のように酒池肉林のパーティが開かれ、そこでは多数の男女が、乱交に興じる。その中でリンダは、ヘフナーと関係を持つのである。
 “自伝”の中で、印象的な登場人物の1人となるのが、“ラット・パック”=フランク・シナトラ一家の一員として、多数のショーや映画に出演し、人気を博した一流のエンターティナー、サミー・デイヴィスJr.。“洋ピン”世代(!?)の中には、彼が70年代前半に出演した、ウィスキーの「サントリーホワイト」CMが、印象に残っている方が多いであろう。
 本作ではヘフナー邸で、リンダに一言挨拶する出番に止まったサミーだが、“自伝”では、チャック&リンダ夫妻とスワッピング=夫婦交換を頻繁に行っていたことが、詳らかにされる。やがてサミーは、リンダに対して、プロポーズするほどに入れあげる。また彼はイタズラ心から、スワッピングの最中チャックに対して、自ら“ディープ・スロート”を仕掛けたりする。
 とはいえ、ヘフナーやサミーの痴態を描くのは、リンダにとっての本旨ではない。DVの告発及び、彼女を搾取したポルノ映画産業への批判こそが、“自伝”を著わした、真の動機であり目的だったのだ。
 この“自伝”がベストセラーになった後のリンダは、「アンチ・ポルノ」の運動家に。そして2002年に、車の事故によって53歳の若さでこの世を去るまで、先鋭的な活動を続けたという。
 因みにチャックは、リンダとの離別後、新たなるポルノ・スター、マリリン・チェンバースと結婚。こちらの夫婦生活も、10年ほどで終わりを迎える。そして彼は、奇しくもリンダが亡くなった3ヶ月後に、心臓発作でこの世を去る。

 さてここで、日本での“洋ピン”としての『ディープ・スロート』公開の顛末を、付記しておこう。72年の本国公開時から、その評判だけは本邦にも伝わっていた『ディープ…』を買い付けたのは、東映傘下の配給会社「東映洋画」。しかしながら掛け値無しの“ハードコア”である『ディープ…』は、日本公開しようにも、まともに上映できるのは、61分の上映時間の中の、15分から20分程度に過ぎなかった。
 そこで浮かび上がった窮余の策が、『ディープ…』のジェラルド・ダミアーノ監督が、その後に撮った作品を加えて、2部構成にでっち上げること。更には『ディープ…』でカットせざるを得なかった分を、規制に触れないレベルで撮り足して、補填するという荒技だった。
 この作業を依頼されたのが、長年ピンク映画を撮り続けてきた、向井寛監督。向井は横顔、頭髪、耳、乳房、足、手、背中などのパーツがリンダに似ている、外国人女性を7人集め、追加撮影を行った。
 そうして完成した、“洋ピン”としての『ディープ…』が、日本で公開されたのは、本国より3年遅れの、75年。その興行成績は、配収にして1億5,000万円から1億7,000円ほどだったと言われる。
 この作品に施された改変は、極端な例ではある。しかし、“ハードコア”が“洋ピン”と化す時点で、ある意味別物となってしまうことを表す、極めて象徴的なエピソードとも言えるだろう。それでも日本の観客は、“洋ピン”専門館へと押し寄せたのだ。
 しかし1980年代後半、画面にモザイクは掛かれど、本番行為有りのAV=アダルトビデオがブームとなると、長年日本のスクリーンを飾ってきた“洋ピン”も、遂には衰退に向かわざるを得なくなる。その命脈が完全に絶たれたのは、今からちょうど30年前。1993年のことであった。■

『ラヴレース』© 2012 LOVELACE PRODUCTIONS, INC.