その唯一無二の作家性は短編映画時代に確立されていた!

最新作『ボーはおそれている』の本邦上陸も間近に迫った映画監督アリ・アスター。現代ホラーの頂点とも呼ばれた問題作『ヘレディタリー/継承』(’18)で衝撃の長編映画デビューを飾り、続く2作目『ミッドサマー』(’19)では観客に特大級のトラウマを植え付けてセンセーションを巻き起こした。よくよく考えてみれば、現時点ではまだ長編3本を撮っただけの若手監督なのだが、しかしその独創的な作家性は既にデヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグとも比較され、マーティン・スコセッシやボン・ジュノといった東西の巨匠たちからも類稀な才能を賞賛されている。果たして、人々がアリ・アスター作品に惹きつけられる理由とは何なのか?2月のザ・シネマでは『ボーはおそれている』の日本公開を記念し、『ヘレディタリー/継承』と『ミッドサマー』の両作品を含む製作会社A24の製作作品を一挙放送する。そこで、この機会にアリ・アスター作品の魅力について紐解いてみたい。

1986年7月15日ニューヨークに生まれたアスターは、ミュージシャンだった父親の仕事で幼少期をロンドンで過ごし、10歳からはニューメキシコ州のアルバカーキで育つ。幼い頃より大の映画ファン。中でもホラー映画が大好きで、特にブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(’76)とピーター・グリーナウェイ監督の『コックと泥棒、その妻と愛人』(’89)には多大な影響を受けたという。もともと作家になるつもりだったが映画脚本家へ志望を転向。地元ニューメキシコのサンタフェ芸術デザイン大学を経て、アメリカン・フィルム・インスティテュートが運営するAFI映画学校へ入学し、ここで演出を学んで芸術修士号を取得する。卒業後はインディペンデントの短編映画を精力的に手掛けていたのだが、その中でも特に重要な作品が『The Strange Thing About the Johnsons(ジョンソン家についての奇妙なこと)』(’11)と『Munchausen(ミュンヒハウゼン)』(’13)の2本だ。

もともとAFI映画学校の卒業制作として作られた『The Strange Thing About the Johnsons』は、少年時代から実の父親の写真を見ながらオナニーをしていた若者が、やがて父親を性的に虐待して支配するようになり、その事実に気付いた母親も見て見ぬふりを決め込んだところ、最終的に家族がお互いに殺し合うこととなる。一方の『Munchausen』は、大学進学を控えた息子を持つ中産階級の平凡な主婦(ボニー・ベデリア)が主人公。目に入れても痛くないほど可愛がって育てた大切な息子が、家を出て独り暮らしをすることに耐えられない彼女は、息子と離ればなれになるくらいなら殺してしまった方がマシだと考えて食事に毒を盛る。どちらも、一見したところ仲睦まじい理想的な家族の恐ろしくも倒錯したダークサイドを描き、後の劇場用長編映画群のテーマ的なルーツとなった作品。近親相姦に親殺し・子殺しと、タブーを恐れないアスター監督の挑戦的な作家性はこの頃から健在だ。

衝撃のデビューとなった『ヘレディタリー/継承』

この2本の短編映画に注目してアスター監督に声をかけたのが、当時『エクス・マキナ』(’15)や『ルーム』(’15)、『ロブスター』(’16)に『ムーンライト』(’16)などの異色作を立て続けにヒットさせ、エッジの効いたアート系映画を得意とする製作会社として注目されていたA24。今やA24の看板ディレクターとなった感すらあるアスター監督だが、その両者の初タッグが長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』だった。

祖母エレンが亡くなって葬儀を終えたばかりのグラハム家。その娘である一家の母親アニー(トニ・コレット)は、秘密主義を貫いたエレンとは長いこと折り合いが悪く、それゆえ実母を亡くしたというのに悲しいとは思えなかった。その母親エレンは解離性同一障害を患い、すでに他界している父親や兄も精神疾患が原因で早逝。自身も夢遊病に悩まされているアニーは、いずれ我が子らも心の病を発症するのではないかとの不安に怯えていた。そんなある日、16歳の長男ピーター(アレックス・ウルフ)は友人宅のパーティへ行くため、母親アニーに学校のイベントへ行きたいと嘘をついたところ、13歳の妹チャーリー(ミリー・シャピロ)を連れて行くことを条件に許可される。お祖母ちゃん子だったチャーリーは葬儀以来ふさぎ込んでいるため、気分転換になればとアニーは考えたのだ。チャーリー本人は乗り気ではなかったし、ピーターも余計な荷物が出来て不満だったが、仕方なしに2人でパーティへ向かう。

妹を放置して意中の女の子にアプローチするピーター。すると、知らずにナッツ入りのケーキを食べたチャーリーが、アレルギーの発作を起こしてしまう。慌てて妹を車で病院へ送ろうとするピーターだったが、発作に苦しむチャーリーは窓から身を乗り出し、道路わきの電柱に頭部を激突させて死亡する。あまりのショックで現実を受け入れられず、そのまま夜中に自宅へ戻ってベッドに入るピーター。翌朝、出かけようとした母親アニーは、車の後部座席に頭部のない娘チャーリーの死体を発見して半狂乱となる。事故とはいえ妹を死に至らしめたという罪悪感に苦しむピーターと、そんな息子を憎みたくも憎み切れないアニー。2人の関係はすっかりギクシャクしてしまい、父親スティーブ(ガブリエル・バーン)が仲を取り持とうとするも上手くいかない。ある時、グループセラピーで知り合った親切な中年女性ジョーン(アン・ダウド)と親しくなったアニーは、彼女の誘いで交霊会に参加して不思議な体験をし、自らもチャーリーの霊を呼び寄せようとする。それ以来、グラハム家の周辺では不可解な現象が続き、やがてアニーは母親エレンから想像を絶する恐ろしいものを継承していたことに気付くのだった…。

『ヘレディタリー/継承』 © 2018 Hereditary Film Productions, LLC

暗い過去と深い悲しみを抱える平凡な家族が、更なる不幸と恐怖のどん底へ突き落とされていくという悪夢のような物語。全編に漂う不穏な空気、端正でありながらダークで禍々しい映像美、突然スクリーンにぶちまけられるゴア描写、やがて頭をもたげる邪教カルト、そして予想の遥か斜め上を行く衝撃のクライマックス。その後味の悪さときたら!それでいて、喪失感や罪悪感に苛まれた家族のドラマには強い説得力があり、もがき苦しみながらも絆を手繰り寄せようとする彼らの姿が共感を呼ぶ。それだけに、最悪の事態へ向けて突っ走っていく終盤の恐怖と絶望は筆舌に尽くしがたい。長編デビューでいきなりこれだけの傑作をモノにしたアスター監督の才能に唸らざるを得ないだろう。

アリ・アスター人気を決定づけた傑作『ミッドサマー』

その年のインディーズ系映画の賞レースを席巻し、当時のA24史上最高の興行成績を記録した『ヘレディタリー/継承』。その成功を受けて矢継ぎ早に公開されたのが、さらなるセンセーションを巻き起こした恐怖譚『ミッドサマー』だ。

大学で心理学を専攻する女性ダニー(フローレンス・ピュー)は、双極性障害を患った妹テリーの不安定な言動に度々悩まされているが、しかし同居する恋人クリスチャン(ジャック・レイナー)は真剣に取り合ってくれない。彼女との関係が重荷になっていたのだ。そんなある日、ダニーの心配は現実のものとなってしまう。テリーが両親を道連れに心中してしまったのだ。悲しみと絶望の淵に追いやられたダニー。天涯孤独の身となった彼女にとって、唯一の心の支えはクリスチャンだったが、しかし彼は男友達とばかりつるんでダニーと向き合うことを避けていた。本音ではダニーと別れたいが、しかし今の彼女を見捨てるわけにもいかないクリスチャン。ダニーも薄々そのことに気付いているが、面と向かって問いただす勇気はない。結局、その煮え切らない優柔不断な態度もあって、本来なら男友達だけで計画していたスウェーデン旅行にダニーも付いていくことになる。

行き先はスウェーデン人留学生ペレ(ヴィルヘルム・ブロングレン)の故郷であるヘルシングランド地方のホルガ村。そこは大自然に囲まれた小さなコミューン(共同体)で、キリスト教が伝搬する以前からの伝統的な宗教と風習を今も守っている場所だ。今年の夏は90年に1度の夏至祭が行われるということで、ペレはクリスチャンら大学の同級生らを招待したのである。太陽の沈まぬ明るい白夜、色とりどりの花々が咲く緑豊かな環境、そして古き良き北欧の素朴で美しい伝統文化。明るく朗らかで親切な住人たちの「おもてなし」に、自然と微笑みのこぼれるダニーだったが、しかし思いがけず衝撃的な宗教儀式を目の当たりにして困惑する。そのうえ、これをきっかけに旅行者の若者たちがひとりまたひとりと姿を消し、やがてダニーはこの夏至祭に招かれた恐るべき「本当の理由」を知ることになるのだった…。

『ミッドサマー』© 2019 A24 FILMS LLC. All Rights Reserved.

暗く重苦しい空気に包まれた家の中で静かに狂気が醸成されていく前作『ヘレディタリー/継承』とは打って変わって、花々で彩られた真夏の明るく開放的な北欧の田舎で狂気が咲き乱れる『ミッドサマー』。主人公が直面する恐怖と絶望は前作を遥かに超え、阿鼻叫喚に包まれる怒涛のクライマックスにも唖然とさせられるが、しかし今回の後味には不思議な安堵感がある。人里離れた田舎へ迷い込んだ部外者が、古代宗教の儀式の生贄にされる…という筋書きは往年の英国ホラー『ウィッカーマン』(’73)と似ているものの、アリ・アスターらしい「喪失」と「再生」のドラマに焦点を当てたストーリーには、ただの恐怖譚に終始しない深みが感じられるだろう。興行的には前作に及ばなかった『ミッドサマー』だが、しかし批評的には更なる高い評価を獲得し、ここ日本でもアリ・アスター人気を決定づける大ヒットとなった。

観客が妙な共感を覚えてしまうアリ・アスター作品の世界観とは?

そんなアリ・アスター作品に共通するテーマは、「機能不全に陥った家族」「家族に継承されるトラウマ」そして「喪失と再生」といったところであろう。いずれにしても重要なキーワードは家族だ。表向きこそホラー映画のふりをしているアリ・アスター作品だが、しかし監督本人が「身近な物語を書くのが好きだ」と語るように、その実態は家族や恋人との関係性を考察したドメスティック・ドラマだと言えよう。ただし、そこには我々の考える通り一辺倒な救いも希望も幸福も存在しない。そういえば『ヘレディタリー/継承』が公開された際、トロント国際映画祭のQ&Aに現れたアスター監督はこんなことを言っていた。「アメリカの家庭ドラマによくありがちだが、とある家族に悲劇が起きて喪失感からゴタゴタがあり、時には音信不通になったりもするけれど、しかし最後は家族の絆を取り戻してメデタシメデタシみたいな物語が世の中には溢れている。別にそういう話が悪いとは言わないものの、しかし実際は絆を取り戻せない家族だっているし、喪失感から回復できない家族だっているだろう。そのせいで最悪の結果を招くこともある。僕はそういう映画を作りたかった」と。恐らくこれこそが、初期の短編映画を含む彼の作品に共通する世界観の本質なのだろう。

『ヘレディタリー/継承』撮影中のアリ・アスター監督(左)とトニ・コレット(右)。

『ヘレディタリー/継承』にも『ミッドサマー』にも、自身が実際に経験した喪失感や痛みが投影されていると語っているアスター監督。前者は彼の家族に起きた悲劇(具体的な詳細は明かされていない)、後者は3年間付き合った恋人との別れ。そうした実体験が上記のような、ある種の冷めた世界観の土台となっていることは想像に難くないだろう。なるほど確かに、悲しい出来事に見舞われた家族の総てがそこから立ち直れるわけではない。そもそも、どれだけ円満な家庭やパートナーにだって多かれ少なかれ不和やわだかまりはあるだろうし、当然ながら家族とは名ばかりで関係性の破綻してしまった家庭も少なくない。家族だったら支え合うべき、親子だったら兄弟だった恋人同士だったらこうあるべきなどと、当たり前のように押し付けられる家父長制的な役割に苦しめられている人も世の中には意外と多いはずだ。そう、家族とは誠に厄介なもの。時には呪いや束縛ともなり得る。アスター作品では常にその視点があるからこそ、多くの観客が居心地の悪さと共に妙な共感を覚えるのではないだろうか。

そのうえで彼は、本人の言葉を借りるなら「ひねくれた願望が叶う物語」と呼ぶべき…というか、むしろそう呼ぶしかないような結末を用意する。『ヘレディタリー/継承』のクライマックスを「ある種の人々にとっては救いだ」と語り、『ミッドサマー』の結末についてもハッピーエンドだとハッキリ言い切るアスター監督。彼にとっての救いや癒しとはいったい何なのか?にわかには理解し難くも感じるが、しかしその作品群をじっくりと見比べていると、おぼろげながらも段々と分かってくるはずだ。

そういう意味で、アスター監督の言わんとすることが如実に伝わってくるのが最新作『ボーはおそれている』。毒親育ちで気の弱い大人になってしまった中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)が、支配的な母親(パティ・ルポーン怪演!)のもとへ戻るべく実家へ帰省しようとするものの、しかしその行く手に次々と不可解な障壁が立ちはだかる。アリ・アスター作品としては過去最大級にシュールで難解なストーリーだが、しかし「機能不全に陥った家族」や「家族に継承されるトラウマ」などの要素は今回も共通しており、なおかつこれまで以上に家族の呪縛というテーマが明確に浮かび上がる。是非とも、ザ・シネマで過去作を予習の上で臨んで頂きたい。■

『ボーはおそれている』2024年2月16日(金)全国ロードショー
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス
   ネイサン・レイン
   エイミー・ライアン
   パーカー・ポージー
   パティ・ルポーン
2023年/アメリカ/R15+
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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