「ハリウッドの監督の中には、“平凡さ”という黄金の神殿で自身を犠牲にすることのない、そんな知性と強さを持っている人はわずかしか存在しない。『恐怖の報酬』で共に仕事をする機会に恵まれた監督は、いい映画がウォール街の株のように機能しない事実を知っていたのだ」

タンジェリン・ドリーム
エドガー・フローゼ(『恐怖の報酬』音楽担当)

◆失敗作の十字架に張りつけられた傑作

 1977年に公開されたサスペンス映画『恐怖の報酬』は、『フレンチ・コネクション』(1971)そして『エクソシスト』(1974)で時代の寵児となった監督ウィリアム・フリードキンの、輝きに満ちたキャリアを一気に曇らせた不運な傑作だ。わずかな振動でも大爆発を起こす消火用ニトログリセリン(液状爆薬)を、3百キロも先の火災現場まで運ぶ4人の男たち。映画はそんな彼らの恐怖で塗り固められたトラック輸送を、すさまじいまでの緊張感を通じて描き出していく。テレビドキュメンタリーの世界で演出の腕を極限まで磨いてきたフリードキンは、あたかも観客が物語の当事者であるかのごときスタイルを本作に適応させ、寡黙に作品の核心へと踏み込んでいくディレクティングを駆使し、121分間絶え間なく続く地獄を観る者に共有させていく。

「わたしのこれまでの作品は、『恐怖の報酬』を手がけるための予行演習だったのだ」

ウィリアム・フリードキン(自伝“THE FRIEDKIN CONNECTION~A MEMOIR“より)

 しかし、そんな自信に満ちた野心作も、いざ公開されるや興業成績は惨敗に終わり、一般的には「フリードキンの失敗作」として認識されることとなった。おりしも当時、アメリカ映画界では『スター・ウォーズ』(1977)旋風が吹き荒れ、オーディエンスの嗜好は陽性で希望に満ちた作品へとシフトしていき、暗い時代を反映したような『恐怖の報酬』は、完全に関心の外へと追いやられてしまったのだ。

 さらには評論家たちの発するネガティブなレビューも、この映画の不調に拍車をかけた。ディテールを緻密に積み重ね、巨大な全体像を浮かび上がらせていくフリードキンの演出は、本作において「もったいぶって退屈」とみなされたのである。
 加えて不運なことに、この映画には脅威的な作品が評価の物差しとして待ち構えていた。同じ原作の初映画化であるアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、イブ・モンタン主演のフランス映画『恐怖の報酬』(1953)だ、フリードキンはクルーゾー版のリメイクではなく、ジョルジュ・アルノーの小説の再映画化だと抗弁したが、評価の定まったマスターピースの影響から逃れることなど困難で、偉大な前作を敵に回し、そのつど不利な土俵に立たされてしまったのである。

 なにより本作にとって気の毒だったのは、アメリカとは異なる地域において、本編を30分以上カットし再編集した「インターナショナル版」が公開されたことだ。これは同作の海外配給権を持つCICが監督に無断で作成したもので、(内容は後述するが)本編のあちこちに手を加えたせいで、その出来はまとまりを欠いていたのだ。

 このように、本国での不評やクルーゾー版との不利な比較、そして短縮版の不出来な編集が大きなアダとなり、フリードキンの挑戦は、世界的なレベルで敗北を喫してしまったのである。


◆堂々よみがえったサスペンスの芸術

 そんな不当な評価を一転させたのが、この【オリジナル完全版】だ。2023年8月7日に87歳で亡くなったフリードキンは、キャリアも後半にさしかかったとき、二次収益媒体の拡大や高品質化に合わせて、過去作のデジタルレストアを精力的におこなっていた。『恐怖の報酬』も例外ではなく、レストアの対象としてリストに加えられ、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』に次いでその作業がおこなわれたのだ。

 しかし本作の製作はユニバーサルにパラマウントという、リスクヘッジのための共同体制が権利を複雑なものにしており、長いことアクセスを困難なものにしたのである。しかしフリードキンは両社の権利がすでに失効していることを明らかにし、ワーナー・ブラザースに権利を取得させてレストア作業をおこなったのだ。その執念のもくろみは見事に奏功し、レストア済マスターを素材とするオリジナル完全版のDVDとBlu-rayリリースは商業的成功をおさめ、『恐怖の報酬』は初公開から約36年目にして、ようやく不当な評価をくつがえしたのである。

 そしてレストア作業にともなう素材のDCP化によって、本作はDCP投影を主流とする現在のシネコンや映画館での上映も可能となり、2018年にはオリジナル完全版が日本公開されている。この上映に尽力した映画プロデューサーの岡村尚人氏は、1991年に日本でビデオ販売された121分のバージョンに接し、国内で短縮バージョンしか周知されていないことに不満を募らせ、オリジナル版公開の機会を長いこと伺っていたという。筆者(尾崎)も同じく、このビデオでリリースされたバージョンに触れて不当評価に異を唱えた一人だけに、氏の同作に賭けた情熱は痛いほどよくわかるし、その根強い意志と成し遂げた偉業には頭の下がる思いだ。


・日本で121分全長版の内容を広く周知させ、後の【オリジナル完全版】国内公開の布石となった『恐怖の報酬』VHSビデオソフト(販売元/CIC・ビクター ビデオ株式会社)。これが当時、いきなりブロックバスター価格でリリースされたことも驚きだった(筆者所有)。

 

 2024年の現在、『恐怖の報酬』のようなクラシックの2Kならびに4Kによるデジタルリマスター版上映は、コロナ禍やハリウッド俳優ストの影響による新作減少が遠因となってスタンダードになったといえる。そうした動きを活発化した要素のひとつとして、このオリジナル公開版の存在には敬意を払いたい。

◆インターナショナル版との違い

 しかし、このように本来の形を取り戻した『恐怖の報酬』が当たり前に提供されるいま、むしろ短縮した「インターナショナル版」がどのようなものだったのか、気になる人もいるだろう。詳述して比較に触れるとネタバレを誘発するので、以下は鑑賞済みの人に向けたい。
 
 オリジナル完全版(または米国公開版)とインターナショナル版との主な違いは、プロローグの全般的な削除と、エンディングの変更をそこに指摘することができる。前者は冒頭でニトログリセリンを運ぶ4人の男たちが一堂に会するまでの、それぞれの犯罪的バックストーリーを時間をかけて描いていくが、後者は爆破火災が起こる製油所から物語が始まる構成になっている。カットされた4人それぞれのエピソードは、回想という形で本編中に挿入されるが、そのポイントは不規則で徹底されておらず、まとまりを欠く起因のひとつとなっている。

 またオリジナル完全版は悲観的な結末を示して物語を締めるバッドエンドなテイストを特徴とするが、インターナショナル版は希望的な余韻を残して終わる。このハッピーエンドはクルーゾー版とも趣を異にする展開で、それを安易かつ大衆に迎合した変更だと捉える向きもあった。繰り返すが、インターナショナル版は海外配給側が独自に生み出したもので、フリードキンは編集権の侵害を視野に訴える構えを見せてきた。

 他にもシーンの前後を入れ替えるなどの細かな置き換えや、セリフや音楽の微修正や変更など、全体的な調整がはかられている。またタイトルは「魔術師」を意味する原題“Sorcerer“から、クルーゾー版と同様“Wages of Fear“(『恐怖の報酬』英訳タイトル)へと変えられている。これは本作にあえてクルーゾー版と関連を持たせる改題であると同時に、フリードキンの前作『エクソシスト』と似たホラーものだと勘違いされることを警戒しての措置だともいわれている。

 ただインターナショナル版の場合、オリジナル完全版には存在しないショットが数か所ほど組み込まれており、独自の価値を有している。ちなみにインターナショナル版は該当エリアで過去にパッケージソフトが流通しており、また日本でもテレビ放送されたさいの録画ビデオや、あるいはそれらが無断で配信サイトに動画アップされているのをたまに見かけることがある。非合法なので積極的にお勧めはしないが、機会があれば参考までに観てほしい。■

『恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】』© MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.