1971年6月。「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年」、後に“ペンタゴン・ペーパーズ”と呼ばれることになる、アメリカ政府の機密文書の存在を、「ニューヨーク・タイムズ」が、スクープした。
 それはトルーマンからアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンといった、歴代の大統領とその政権が、泥沼化するベトナム戦争に関して、アメリカ国民に嘘をつき続けていたことを明らかにする内容だった。正義も勝算もない戦争に、多くの若者たちを兵士として送り、多大な犠牲を出してきたのである。
「ワシントン・ポスト」編集主幹のベン・ブラッドリーは、「タイムズ」と同じ文書を手に入れ、この報道に参戦しようと、躍起になる。
 しかし時のニクソン政権は、「タイムズ」を機密保護法違反で訴え、その続報は差し止められてしまう。ブラッドリーたちもスクープの後追いをすると、政府を敵に回し、「ポスト」も同じ憂き目に遭う可能性が高い。
 折しも「ポスト」は株式公開に向けて、社主のキャサリン・グラハムはその準備に、余念がなかった。ブラッドリーたちの企ては、「ポスト」の経営を揺るがしかねないと、社の上層部や法律顧問から、猛反対を受ける。
 報じるか否か、すべては社主のキャサリンに委ねられた。果して、彼女の決断は!?

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「いますぐこの映画をつくらなければいけない…」
 実話に基づき実在の人物達を主人公にした、本作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017)の脚本を読んでそう考えたのは、巨匠スティーヴン・スピルバーグ。彼の動きは、果断だった。
 製作中だったSF映画『レディ・プレイヤー1』(18)の撮影を、イタリアで終えると、アメリカに帰国。可能な限りスピーディに、本作を完成・公開するプロジェクトに取り組んだ。
 彼をそうさせたのは、2017年1月の、トランプ政権の誕生。都合の悪い報道は、「フェイクニュース」と口汚く罵り、圧力を掛けることを辞さない新大統領と、メディアの関係は、極端に悪化していた。
 スピルバーグはこうした状況に、強い危機感を覚えていた。その時に、「報道の自由」を高らかに謳い上げる、本作の脚本に出会ったのである。
 元々この脚本はリズ・ハンナという、その時点ではまだ映画化作品がない、女性脚本家が執筆。「ブラックリスト」に登録したものだった。
 この「ブラックリスト」とは、優れた脚本やその書き手を発掘するために、2005年にスタートしたシステム。登録された脚本は、限られた映画関係者だけがアクセスできるウェブサイトで公開される。
 2016年に登録されたこの脚本を読んで、その年の10月に映画化権を獲得したのは、プロデューサーのエイミー・パスカル。そしてパスカルはこの脚本を、スピルバーグへと委ねたのだ。


 元の脚本は、執筆したリズ・ハンナ曰く、「ソウルメイトたちのラブストーリー」。“ペンタゴン・ペーパーズ”の報道を巡って、「ワシントン・ポスト」の社主であるキャサリン・グラハムと編集主幹のベン・ブラッドリーの関係が培われ、育っていく。それが2人の、そして「ポスト」の強みになっていく様を描いている。
 スピルバーグが「すぐに撮りたい」と思ったほどの脚本だったが、十全を期してブラッシュアップを図った。筆を加えたのは、やはり実話ベースで2015年度のアカデミー賞作品賞と脚本賞を受賞した、『スポットライト 世紀のスクープ』のジョシュ・シンガー。
 彼の役割は、キャサリンが決断を下すまでの数日間を描く中で、観客が、舞台となった“1971年”に没入し、その時代に身を置けるようにすること。そこで、「歴史的な要素と時代背景」を書き加えるために、当時を知る多くの者に、リサーチを行った。

 本作は、2017年5月30日にニューヨークでクランク・イン。メインの撮影は50日間で終了し、11月6日には作品が完成していた。
 1993年には、革新的なVFX技術を用いたエンタメ超大作『ジュラシック・パーク』と、ナチスによるユダヤ人虐殺を描いた社会派作品『シンドラーのリスト』という、映画史に残る2本をほぼ並行して製作・監督するなど、「早撮り」で知られるスピルバーグであるが、本作は、彼が脚本を読んでから僅か9カ月での完成。その偉大なフィルモグラフィーの中でも、最も短期間で仕上げた作品となった。
 そして『ペンタゴン・ペーパーズ』は、先行して製作していた『レディ・プレイヤー1』より3か月も早く、その年=2017年12月には、公開となったのである。
 このハリウッド大作としては極めて短期間のプロジェクトに、主演として請われたのは、メリル・ストリープとトム・ハンクス。ハンクスがスピルバーグとタッグを組むのは、5度目だったが、メリルとスピルバーグ監督作の縁は、過去に『A.I.』(01)で声優を務めたことのみ。実質的には、スピルバーグ組への初参加と言えた。またメリルとハンクスの共演も、初めてのことだった。


 メリルが演じたキャサリン・グラハム(1917~2001)は、期せずして「ワシントン・ポスト」の社主となった女性である。「ポスト」は元々、彼女の父が1933年に買収。46年にその娘婿、つまりキャサリンの夫であるフィル・グラハムが後を継いで、成長させた新聞社だった。
 しかしフィルが、現在で言うところの双極性障害を悪化させて、63年に自殺。それまで4人の子どもを育てる“専業主婦”だったキャサリンは、46歳にして父と夫の会社を守るため、周囲の反対を押し切って、経営者の座に就いたのである。
 アメリカの主要紙では初の女性TOP、しかもその手腕は未知数ということもあって、軽んじられることも少なくなかったというキャサリン。本作はそんな彼女が大きな決断を下し、成長していく物語と言える。
 メリルは、キャサリン・グラハム自身が朗読した、自伝の録音を聴くなどして、撮影前の準備を行った。その際にキャサリンの、「エネルギー、知性、思いやり、ユーモア、そして謙虚さ」に、すっかり魅了されてしまったという。
 ハンクスが演じたベン・ブラッドリー(1921~2014)は、キャサリンが「ニューズウィーク」誌から引き抜いて、「ポスト」の編集主幹に据えた人物。有能で仕事熱心なジャーナリストであったが、その強引さから“海賊”と異名を取ってもいた。
 スピルバーグは生前のブラッドリーと近所付き合いがあり、何度も話した経験があった。またハンクスもブラッドリーとは、90年代に何度か夕食会で会った間柄だった。
 メリルとハンクスの役作りは、例によって完璧だった。キャサリンやブラッドリーを知る識者たちが撮影現場を訪れた際、「ミセス・グラハムそのまま」「彼そのもの」と折り紙を付けるほど、精緻を極めていたという。
 そんな2人の名優を擁した現場でのスピルバーグ演出は、初顔合わせだったメリル曰く、「即興的な撮り方」で、リハーサルもなかったため、彼女をとても吃驚させた。スピルバーグから、“次は違うふうに”などと、色々な撮り方を試されたメリルは、それにアドリブを交えながら応えた。
 そんな彼女の即応力に、スピルバーグ組ベテランのハンクスも、「メリルは共演者を決められた演技に誘導するのではなく、最高の演技を一緒に引き出そうとする」と感服。彼女との共演を、「素晴らしい経験だった」と、称賛を惜しまなかった。
 メリルが初体験だった、この「とても自由な感じ」の撮影は、「すぐに始まり、すぐに終わった」印象だったという。
 本作のキャストで、いわゆる“大スター”はメリルとトムだけだったが、脇を固める俳優陣も、こうしたスピルバーグ演出の下、素晴らしい演技を見せている。


 さて細かいことは観てのお楽しみとするが、本作はメインのストーリー展開が終わって1年後の1972年6月、当時野党だった民主党本部に5人の男が不法侵入し逮捕された事件を映し出して、幕となる。世に言う、“ウォーターゲート事件”である。
 後にこの犯罪行為に、ニクソン大統領の「再選委員会」が関わっていることが判明。結果的にニクソンは、辞任へと追い込まれる。
 この件をスクープしたのが、本作ではハンクスが演じたベン・ブラッドリーの部下で、「ワシントン・ポスト」の若き記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。そしてその顛末を映画化したのが、アラン・J・パクラが監督し、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンが共演した『大統領の陰謀』(1976)である。
 つまり本作のエンディングは、41年前の名作『大統領の陰謀』のプロローグになっているという仕掛けだ。この特ダネの報道に挑むブラッドリーのチームを全面的にバックアップしたのも、キャサリン・グラハムだったが、残念ながら今から半世紀近く前に映画化された『大統領の陰謀』は、ほぼ完全に“男社会”の作品。彼女の名前は、触れられる程度に終わっている。
 1976年の『大統領…』と2017年の『ペンタゴン・ペーパーズ』。製作年度の、彼我の差という他はない。

 さてトランプ大統領の誕生が、スピルバーグに本作の製作を決意させた旨は、冒頭で記した通りである。それから7年経った現在、「もしトラ」~1度は野に下り、数々の犯罪行為で訴追されているトランプが、大統領に復帰する可能性が、喧伝される事態となっている。トランプ復帰が現実のものとなった場合、再びメディアとの対決姿勢を打ち出すのは、疑いあるまい。
 一方で我が国の現状を鑑みると、「世界報道自由度ランキング」の2024年版では、前年の68位から順位を下げ、70位。G7では、最下位という体たらくである。長期政権とメディアの癒着や緊張関係のなさが、危機的状況を招いている。
 本作『ペンタゴン・ペーパーズ』では、「報道の自由」を保証する、「アメリカ合衆国憲法修正第1条」が再三言及される。それに基づき、本作のクライマックスで連邦最高裁が下す判決の中にある一文が、これほどまでに重く響く時代になるとは…。

「報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない」■

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