◆韓国学校ホラーの奇々たる分枝

 韓国映画におけるホラージャンルのルネッサンスは、1998年公開の日本映画『リング』を端緒とするジャパン・ホラーの興隆が起爆剤になったものと傍証されている。しかし実のところ、韓国ホラーは独自の歩みを経て興隆の轍をたどっている。特に同年に公開された『囁く廊下-女校怪談-』の誕生は、興行的な成功を得て同作をシリーズ化させただけでなく、韓国映画内でジャンルとして衰退していたホラーを活性化。さらには分枝ともいえるホラー映画群の根幹となり、本稿で触れるアン・ビョンギのような、ジャンルに特化した監督の台頭をうながすきっかけとなったのだ。

 では何故、前掲のような印象をもたらしたのだろう? それは本作『ボイス』(2002)が起因のひとつとして挙げられる。まずはストーリーを概説しよう。援助交際のルポを手がけたことから、脅迫電話に悩まされていたジャーナリストのジウォン(ハ・ジウォン)。そんな状況を見かねた親友ホジョン(キム・ユミ)の勧めで彼女は携帯番号を変えるが、誰も知らないはずのその番号に、謎の着信が寄せられる。しかも、その着信による通話を偶然に聴いてしまったホジュンの娘ヨンジュ(ウン・ソウ)が、まるで何かに取り憑かれたように豹変してしまうのだ。

 このプロットからも明らかなように、携帯電話を媒介とし、人間を襲う怨霊を描いている点で、本作はビデオという近代ツールが伝染的な呪死をもたらす『リング』にインスパイアされたものと見なされていたからだ。恥ずかしいことに、筆者(尾崎)も『ボイス』が『リング』をネタ元にしていると決めてかかり、本作の日本公開プロモーションでアン・ビョンギと会ったさい、それをしつこく問いただした。そのような遠慮会釈のないクエスチョンに対して監督は、

「恐怖という概念を文学や映画、そしてコミックといった媒体で幅広く大衆化させたのは、東洋のなかでも日本だけなのではないかと一目置いている」

 と我が国の恐怖文化に対して慎重な態度でリスペクトを示しながら、

「だから僕は『ボイス』を手がけるさい、日本の『リング』や他のホラーと違うモノを作ろうと努力しました。にも関わらず『リング』があまりにも秀逸であるため、観た人たちが似た作品のように印象を持たれても仕方がないのかな? と思っています」

 と、『リング』の価値を認めつつ、『ボイス』がその傍流ではないことを強く主張している。もちろん、まったくの無縁だと抗弁するには共有材料か揃いすぎているが、むしろ強い影響力という点では、女子高生や学校というコミュニティをストーリーの根幹に置いた時点で『囁く廊下-女校怪談-』の系譜に連なる割合のほうが高い。そこを公開時に指摘できなかったのは、韓国映画史に理解の足りていなかった自分の怠慢として悔いが残る。しかも本作の携帯への言及は、同ツールを呪殺の媒介とした『着信アリ』(2003)というシリーズの成立をうながし、優れた恐怖描写で世界を震撼させながら、ジャパンホラーの文脈になかった日本の異才・三池崇史のジャンル的アリバイ作りに貢献したという捉え方もできるだろう。なので『ボイス』は韓国ホラールネッサンスのマスターピースとして、その存在価値を改めて見直す時期にきている。ちなみにアン・ビョンギは『着信アリ』を手がけた三池が1999年に発表した『オーディション』のリメイクを打診されたが、あの恐ろしさに自分が迫ることはできないとオファーを断っている。

 だがなかなかどうして、アン・ビョンギの恐怖演出も、ホラーの先任監督として磨きのかかったものだ。ショットには常に消失点が置かれ、不安定な感情を煽りながらも構図は常に整い、ショッカー描写も一定の間合いと秩序を保ち、ふいな出会い頭や小細工で人を驚かしはしない、そこにはいっさいの妥協がなく、それはこの『ボイス』を観れば一目瞭然だ。

◆サブジャンルを深化させる新世代の台頭

 そんなビョンギのようにジャンルを固定した監督の台頭は、韓国映画ルネッサンス期の前説が無くては語れない。1996年、韓国の文民統制化にともない、同国の映画制度は大きく変化した。憲法裁判所が検閲行為を違憲とし、脚本と完成作品の提出を義務とした検閲システムが廃止となった。これによって映画製作に自由が設けられ、物語が制限されることなく描けるようになったのである。

 それと並走するかのように、韓国民主化を旗印とする金大中は、国益のために映画産業を政府がバックアップすることを選挙公約として掲げた。そして98年に大統領当選が決まると、それまで国の機関だった「映画振興公社」を民間に委ね、映画の改革を始めるのである。こうした改革が大きな原動力となり、韓国映画は飛躍的な進化を遂げていく。

 こうした変動に応じて韓国映画に流入したのは、ビデオの普及やシネマテーク運動が生んだ、シネフィル世代の監督である。『パラサイト 半地下の家族』(2019)のポン・ジュノや『別れる決心』(2022)のパク・チャヌク、さらには『モガディシュ 脱出までの14日間』(2021)のリュ・スンワンなど、いずれも特定のジャンルを深く追求し、優れた芸術性を持つ作品を生む新世代の作り手だ。

 アン・ビョンギも、そうしたシネフィル世代の監督の一人に該当する。ソウル芸術大学映画科を出た彼は、所属していた同校の映画同好会で日本映画のビデオを浴びるように観たという。しかし日本映画との固いリンクとは逆に、ホラー映画への傾倒は欧米の『エクソシスト』(1973)が強く誘導したと語っている。

「無意識のうちに影響が出てくる、偉大な映画」

 と同作を称賛し、なるほど、『ボイス』で霊に憑依されたヨンジュの凶暴化は、『エクソシスト』のリーガン(リンダ・ブレア)のそれと一致する。
 ちなみに監督へのインタビューにおいて、好みのホラー映画を幾つか挙げて欲しいと頼んだところ、『エクソシスト』を筆頭に以下のようなラインナップとなった。

①『エクソシスト』(1973 アメリカ)
②『オーメン』(1976 アメリカ)
③『サスペリア』(1977 イタリア)
④『シャイニング』(1980 アメリカ)
⑤『オーディション』(1999 日本)

 ①と⑤に関する心酔と影響に関しては前述したが、ほかいずれもホラー映画のマスターピースにして、それぞれが『ボイス』の恐怖演出に漆黒の影を落としている。②からは悪魔の子ダミアンに通ずる児童モンスターキャラクターの要素が散見されるし、また③の、美女が犠牲者となるジャーロ映画と監督ダリオ・アルジェントの嗜好を『ボイス』は共有している。そして④の高度なアート性と優れたイメージの数々は、ホラーも“芸術”になることを信じて取り組むビョンギの希求心を鼓舞させるものだったに違いない。

◆ホラー映画に固執するのは、自身のプライド

 それにしても、なぜここまでビョンギはホラーというジャンルに固執してきたのだろう。そんな疑問に、彼は照れながらこう答えてくれた。

「自分がホラーを撮る理由は、個人的なプライドにあると思います。韓国映画界では商業的成功を重視し、人気スターに頼る傾向にありますが、ホラー映画は総合的に監督の演出力や、スタッフ全体の能力が優れていないと、撮ることが容易でないと実感しています。なによりホラーは、監督と観客との間で知恵比べができる手段であり、作り手にも刺激的なジャンルなんです」

『ボイス』が初公開されてから、現在までに22年の歳月が流れた。劇中で効果的に恐怖を演出した携帯電話は、より多機能性を有したスマートフォンへと進化し、本作をさらに古典の領域へと押し進めた。しかしそこにある恐怖哲学は、韓国ホラーの経典として普遍的な価値を放っているのではないだろうか。『ボイス』は今観てもなお、鑑賞者に高度な知恵比べを要求し、そして力強い刺激を与えてくれる。■

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