‘70年代のパロディ映画ブームが生んだ珍作

映画史上屈指の駄作として名高いZ級モンスター映画である。ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米がパニックに陥るというあまりにも下らないストーリー、アマチュアの自主制作映画とほぼ変わらないレベルの貧相で安っぽいビジュアル(なんと、予算はたったの10万ドル!)、見た目も演技力も素人丸出しの役者たちによるショボい芝居(実際にキャストの大半は素人の一般人)などなど、お世辞にも出来の良い映画とは言えないものの、しかしその屈託のないバカバカしさはなんだか妙に憎めないし、古き良き時代のモンスター映画にオマージュを捧げた頭の悪いギャグの数々も嫌いになれない。体に悪いと分かってはいても、ついつい手が出てしまうジャンク・フードみたいな映画。本作が今もなお、世界中でカルト的な人気を誇っている理由はそこにあると言えよう。

とある民家のキッチンで主婦が他殺体で発見され、捜査を担当する刑事たちは遺体に付着した赤い液体がトマトジュースだと知って困惑する。この日を境に、全米各地でトマトが罪のない人々を襲うという凄惨(?)な事件が多発。この異常事態を受け、ペンタゴンでは軍部が科学者を交えて対抗策「アンチ・トマト計画」を急ピッチで進める一方、ワシントンでは諜報部のトップ・エージェント、メイソン・ディクソン(デヴィッド・ミラー)や落下傘部隊出身のウィルバー・フィンレター(スティーブン・ピース)ら特殊部隊が、トマトたちの暴走を食い止めるために動き始める。

さらに、大統領の命を受けたホワイトハウス報道官ジム・リチャードソン(ジョージ・ウィルソン)も国民のパニックを防ぐべくプロパガンダ戦略を練り、政府の動きを察知した女性新聞記者ロイス・フェアチャイルド(シャロン・テイラー)がディクソンらの行動を追跡。だが、そうこうしているうちに狂暴化したトマトたちは巨大モンスターへと進化を遂げ、いよいよ軍が出動せねばならない事態となってしまう…!

というのが大まかなあらすじ。古いB級特撮モンスター映画にありがちなプロットのパロディである。軍隊マーチ風の勇壮なサウンドに乗って「キラートマトが襲ってくる!キラートマトが襲ってくる!」と謳いあげるオープニングのテーマ曲からしてバカ丸出し(笑)。クレジットや本編の随所にサニー・ヴェール家具店なるショップの広告テロップ(昔のアメリカのテレビではこういうテロップCMが多かった)が流れたり、『北北西に進路を取れ』(’59)や『ジョーズ』(’75)など名作映画のパロディがあちこちで唐突にぶち込まれたり、そうかと思えば前触れもなく突然ミュージカルが始まったりする。この脈絡のなさときたら!あくまでも、ストーリーは映画としての体裁を整えるための建前みたいなもので、基本的には中学生レベルの下らない一発ギャグを適当に繋げているだけだ。

ちょうど’70年代当時は『ヤング・フランケンシュタイン』(’74)や『新サイコ』(’77)といったメル・ブルックス監督のウルトラ・ナンセンスなパロディ映画が大流行し、その人気に便乗して『名探偵登場』(’76)や『弾丸特急ジェット・バス』(’76)など似たようなパロディ映画が続々と登場した。本作も恐らくそのトレンドに乗って作られたと思うのだが、しかしどこまでも徹底した下らなさと意味のなさは、後のジム・エイブラハムズとザッカー兄弟による『フライングハイ!』(’80)シリーズや『トップ・シークレット』(’84)を先駆けていたとも言えよう。そこにはストーリーテリングの妙だとか、ユーモアに込められたメッセージだとかは一切なし。次から次へとバカバカしいギャグが繰り出されていくだけだ。そういう意味では、ケン・シャピロ監督の『ドムドム・ビジョン』(’74)とかジョン・ランディス監督の『ケンタッキー・フライド・ムービー』(’77)辺りと同列に語られるべき作品かもしれない。

元ネタになった日本映画とは…!?

そんな本作を生み出したのは、監督・製作・脚本・編集を手掛けたジョン・デ・ベロ、製作・脚本・第二班撮影・出演(ウィルバー・フィンレター役)を兼ねるスティーブン・ピース、そして原案・脚本・助監督を務めたコンスタンチン・ディロンの3人である。彼らはいずれもカリフォルニア州のサンディエゴ出身で、高校時代から仲良しの映画仲間だった。これに大学で知り合ったマイケル・グラントが加わって4人組となった彼らは、学生映画集団「フォー・スクエア・プロダクションズ」を結成。この時期に『アタック・オブ・ザ・キラートマト』の原点となった自主制作映画を撮っている。それが8ミリフィルムで撮影された短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本だ。

ある日突然、トマトが人間を襲い始めて全米が大パニックになるという基本プロットは長編版と全く同じで、なおかつソックリなシーンも多々あるのがオリジナル短編版『Attack of the Killer Tomatoes』。一方の『Gone with the Babusuland』は、FBIをもじった諜報機関FIA(連邦情報局)の捜査官マット・デリンジャー(まだ細くてイケメンだったデヴィッド・ミラー)と落下傘兵ウィルバー(当時も変わらずアクの強いスティーブン・ピース)の活躍を描いたジェームズ・ボンド風のスパイ・パロディ映画で、これが『アタック・オブ・ザ・キラートマト』におけるディクソン&フィンレターのコンビの元ネタとなったのである。

ちなみに、本編の冒頭テロップでヒッチコックの名作『鳥』(’63)に触れていることから、同作をヒントにした作品ではないかと思われがちだが、実はジョン・デ・ベロ監督らが高校時代にテレビで見た、とある日本の特撮モンスター映画が企画の元ネタになっているという。デ・ベロ監督が「素晴らしいくらい出来の悪い日本のホラー映画」と呼ぶその作品は、他でもない本多猪四郎監督による東宝特撮映画の名作『マタンゴ』(’63)!放射能に汚染されたキノコを食べてしまった人間が、世にも恐ろしいキノコ人間「マタンゴ」となって人間を襲うというお話だ。まあ、確かにプロット自体はバカバカしいかもしれないが、しかし極限状態に置かれた人間の怖さを徹底したリアリズムで描いた脚本の出来は素晴らしく、今ではカルト映画として世界中に熱狂的なファンがいる。

なので、なんだとぉ~!『マタンゴ』が出来の悪い映画とは何事だ!この不届き者め!と文句のひとつでも言いたくなるってもんだが、まあ、仕方あるまい。映画の感想は人それぞれである。しかも、テレビで見たということは、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが配給した英語吹替のトリミング&短縮版である。恐らく安っぽく見えてしまったのだろう。本作に登場する日本人科学者フジ・ノキタファ博士の声だけがアフレコで、なおかつ口の動きとセリフが全く合っていないというのは、かつてアメリカの深夜テレビ放送やドライブイン・シアターを賑わせた、日本製B級娯楽映画の英語吹替版の低クオリティを揶揄したジョークだ。

閑話休題。その『マタンゴ』よりも下らなくてバカバカしい映画を作ろう、ということで生まれたのが、野菜のトマトが人間を襲って食い殺すという珍妙なコンセプト。ただし『マタンゴ』と大きく違ったのは、そこに社会風刺や文明批判などのメッセージを込めるつもりなど、デ・ベロ監督たちには初めからこれっぽっちもなかったことであろう(笑)。

さて、大学を卒業後に「フォー・スクエア・プロダクションズ」を正式な会社とし、主に産業映画やスポーツ映画、テレビ・コマーシャルなどを作っていたデ・ベロ監督たち。その傍らで劇場用映画への進出を模索していた彼らは、大学時代に作った短編映画『Attack of the Killer Tomatoes』と『Gone with the Babusuland』の2本をひとつにまとめてリメイクすることを思いつく。それがこの『アタック・オブ・ザ・キラートマト』だったというわけだ。

劇中のヘリ墜落シーンは本物の事故だった!

友人・知人などから借金してかき集めた予算はたったの10万ドル。キャストやスタッフの大半は学生時代からの映画仲間や家族、親戚、隣人で固め、撮影も全て地元サンディエゴで行った。学生時代の短編版で特撮を担当したマイケル・グラントは、会社の「本業」であるCM制作などのために不参加。一応、客寄せのために有名人キャストも起用されたが、当時テレビの人気シットコム『The Bob Newhart Show』(‘72~’78・日本未放送)で全米に親しまれた喜劇俳優ジャック・ライリー(保安官役)と、映画『ポーキーズ』(’81)シリーズの校長先生役でも知られる名バイプレイヤー、エリック・クリスマス(ポーク上院議員役)の2人のみ。そのジャック・ライリーは「どうせ誰も見ない映画だから、小遣い稼ぎに出とけ」とエージェントから薦められて出演したらしいが、結果としてテレビのニュース番組で大々的に報じられることとなってしまった。どういうことかというと、撮影現場で彼の乗ったヘリコプターが墜落事故を起こしてしまったのだ。

そう、劇中に出てくるヘリコプターの墜落シーンは、なんと「演出」ではなく「ガチ」。本来はパトカーの横にヘリを着陸させるつもりだったが、タイミングを間違えたパイロットが慌てたせいで操縦を誤り、尾部ローターが地面に触れて墜落してしまったのである。乗っていたジャック・ライリーと報道官リチャードソン役のジョージ・ウィルソン、パイロットの3人は奇跡的に無事。この予想外の出来事に監督も撮影監督もビックリ仰天し、思わず撮影を止めてしまったのだが、しかし第2班カメラマンを務めていたスティーブン・ピースだけはカメラを回し続け、ヘリが墜落する様子もライリーたちが脱出する様子も撮影していた。当然、一歩間違えれば死者も出かねなかった事故はテレビのニュースで報道され、無事に生還したライリーは国民的人気トーク番組「トゥナイト・ショー」に招かれ、本来なら出たことを秘密にしておきたかった映画について話す羽目に(笑)。そして、そのライリーが「どうせなら事故映像を本編でそのまま使ったら面白いのでは?」と監督に助言したことから、劇中の迫力満点(?)なヘリ墜落シーンが出来上がったのである。

また、劇中で人気アイドル歌手ロニー・デズモンドの最新ヒット曲として紹介される挿入歌「思春期の恋」にも要注目。実在しない架空の歌手ロニー・デズモンドは、’70年代のアメリカで国民的な人気を誇っていたアイドル歌手ダニー・オズモンドが元ネタで、「思春期の恋」は当時量産されていたティーン向けバブルガム・ポップスを小バカにしたパロディだったという。で、その「思春期の恋」を実際に歌っている歌手としてクレジットされているフー・キャメロンは、当時地元サンディエゴの高校生だった少年マット・キャメロンの偽名。後にロックバンド、サウンドガーデンのドラマーとして高く評価され、さらに’98年以降はパール・ジャムのメンバーとしても活躍、ロックンロールの殿堂入りも果たした大物ミュージシャンである。

そういえば、後に有名になった人物はもう一人。海水浴に興じる若者たちがトマトに襲われる『ジョーズ』のパロディ・シーンで、ヨットに乗っている幼い少年にどこか見覚えがあると思ったら、後にテレビドラマ『ツイン・ピークス』(‘90~’91)のボビー役で有名になる俳優ダナ・アシュブルックだった。彼もまたサンディエゴの出身で、当時はまだ10歳の小学生。その後、テレビドラマのゲストを幾つもこなした彼は、『バタリアン2』(’88)や『ワックスワーク』(’88)などのB級ホラー映画でカルト的な人気を得ることになる。

劇場公開時は各メディアでケチョンケチョンに酷評され、興行的にも決して大成功とは言えなかったという本作。しかし『ロッキー・ホラー・ショー』(’75)との二本立て上映が全米各地で好評を博すなど、いつしか口コミで評判が広まっていき、やがてカルト映画として熱狂的なファンを獲得することになった。デ・ベロ監督らフォー・スクエア・プロダクションズの面々は、これを足掛かりとしてハリウッド進出を図り、人気コメディアンを多数起用したコメディ映画『大爆笑!ビール戦争/ぷっつんU.S.A.』(’86)を発表するも残念ながら失敗。一方、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』は’86年に初めてビデオゲーム化され、さらにはジム・ヘンソン製作の人気テレビ・アニメ『Muppet Babies』(‘84~’91・日本未放送)にキラートマトが登場するなど、カルト映画としての評価と知名度はどんどん高まっていく。そこへ転がり込んだのが、ニューワールド・ピクチャーズによる続編映画のオファーだった。

当初からシリーズ化するつもりなど全くなかったというデ・ベロ監督たち。しかし、当時のハリウッドではB級ホラー映画のフランチャイズ化がブームで、ニューワールド・ピクチャーズも『クリープショー2/怨霊』(’87)や『ガバリン2 タイムトラぶラー』(’87)に続く続編物の企画を探しており、『アタック・オブ・ザ・キラートマト』に白羽の矢が立てられたのだ。提示された条件が良かったため引き受けたというデ・ベロ監督曰く、「なるべく出来の悪い映画を作ってくれと映画会社から指示されたのは、恐らくハリウッド映画の歴史上で僕らが初めてだろう」とのこと(笑)。かくして完成したジョージ・クルーニー主演(!)の第2弾『リターン・オブ・ザ・キラートマト』(’88)はスマッシュヒットを記録し、さらなる続編『キラートマト/決戦は金曜日』(’90)と『キラートマト 赤いトマトソースの伝説』(’91)も矢継ぎ早に登場。さらに、フィンレターの甥っ子チャドを主人公にしたテレビ・アニメ『Attack of the Killer Tomatoes』(‘90~’91・日本未放送)やコミック版(’08年出版)、ノベライズ版(’23年出版)も作られるなど、今なお根強い人気を誇っている。■

『アタック・オブ・ザ・キラートマト』© 1978 KILLER TOMATO ENTERTAINMENT