幼き日から、古いホラー映画が大好き。漫画を描き、ゴジラの着ぐるみを纏う俳優になることを夢見る少年だった。元マイナーリーグの野球選手だった父は、そんな内向的な息子のことが、理解できなかった。
 ティーンエージャーの頃、誰とも心を通い合わせることができず、長続きする関係が持てなかった。それはもちろん、家族を含めて。彼は孤独だった。
 20代。ディズニー・スタジオのアニメーターになった彼は、ストップモーションアニメや、モノクロ実写のダークファンタジーの短編作品を監督。それがきっかけとなって、26歳の時、実写の長編作品の監督デビューを果す。
 その作品『ピーウィーの大冒険』(1985/日本では劇場未公開)は、製作費700万㌦の低予算ながら、4,000万㌦以上の興収を稼ぎ出した。彼=ティム・バートンは、一躍注目の存在となった。
 2歳年上の作家、キャラロイン・トンプソンに出会ったのは、次作『ビートルジュース』(88)に取り掛かる、少し前。トンプソンは、『ピーウィーの大冒険』がお気に入りだった。そしてバートンは、彼女が書いた、中絶された胎児が甦る内容のホラー小説に、魅了された。
 バートンは、自分の考えていることを他者に伝えることが、至極苦手だった。しかしトンプソンは、そんなバートンが発する曖昧な言葉から、彼の想いを易々と汲み取ってみせた。波長がぴったり合う2人は、姉と弟のような関係になった。

 ある時バートンは、バーでトンプソンに、自分が10代の頃に描いた、「手の代わりにハサミを持つ若者」の話をした。骸骨のように痩せた身体で、くしゃくしゃの髪。全身を黒い革で包み、指の代わりに付いた長く鋭いハサミの刃で、近づく者を皆、傷つけてしまう。その目に深い悲しみをたたえた、孤独な若者の話を…。
 明らかに、バートン本人が投影されたキャラクターだった。そう感じると同時に、これは映画になると考えたトンプソンは、帰宅するとすぐに、70頁に及ぶ準備稿を書き上げた。
 それが本作『シザーハンズ』(90)のベースとなった。

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 寒い冬の夜、ベッドに眠る孫娘を、寝かしつける老女。「雪はなぜ降るの?」と孫に聞かれた老女は、「昔々…」と、ある“おとぎ話”を始めた…。
 郊外の住宅地に住む主婦ペグは、化粧品のセールスレディ。ある日思い立った彼女は、町はずれの山の上に在る、古城のような屋敷へとセールスを掛ける。
 そこに居たのは、両手がハサミの若者エドワード。彼は、以前この屋敷に住んでいた発明家が生み出した、人造人間だった。年老いた発明家は、エドワードの手の完成直前に急逝。それ以来彼は、ひとりぼっちだったのだ。
 ペグはエドワードを、不憫に思った。そして我が家へと、連れ帰る。
 手がハサミの彼は、食事も思い通りにいかない。しかしそのハサミで、植木を美しく整えたり、ペットのトリミングを行ったり、主婦たちの髪を独創的にカットするなどしている内に、町の人気者となっていく。
 エドワードは、ある女性に恋心を抱くようになる。それはペグの娘で、高校ではチアリーダーを務めるキムだった。
 アメフト部のスターであるジムと付き合っていたキムは、当初はエドワードのことを疎ましく思う。しかしその優しさに触れる内に、段々と心惹かれていく。
 ある時エドワードは、ジムに泥棒の濡れ衣を着せられる。逮捕されても、キムに累が及ばないよう、彼は真実を語らなかった。
 それをきっかけに、町の人々はエドワードを避けるようになる。やがて事態はエスカレート。誤解も重なって“怪物”扱いされた彼は、逃亡を余儀なくされ、古城へと帰る。
 後を追ったのは、今や彼を愛するキム。そして嫉妬に狂い、銃を携えたジムだった…。

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 トンプソンは、バートンが青春時代に味わった苦しみを、寓話へとアレンジ。その際には、一応は現代を舞台としながらも、“おとぎ話”の手法を用いた。
 “おとぎ話”であるならば、本来は「あり得ない」と突っ込まれたり批判されかねない描写も、問題なく盛り込める。
 例えば、郊外の住宅地のすぐそばに、なぜ大きな古城が在るのか?人造人間は一体、どんな仕組みで動いているのか?そしてエドワードは、彫刻に使う氷を一体どこから調達したのか?
 バートン曰く、「おとぎ話は不条理を許容する。だが、ある面では現実より現実的だ」
 先にも記した通りエドワードは、バートン自身が投影されたキャラクター。トンプソンに言わせれば、「現実の世の中にフィットしないアーティストのメタファー」である。
 そしてバートンはこのキャラクターに、フランケンシュタインやオペラ座の怪人、ノートルダムのせむし男にキング・コング、大アマゾンの半魚人等々といった、彼が少年時代から愛して止まなかった、モンスターたちを重ね合わせた。彼らは愛を乞うているだけなのに、“怪物”として駆逐されてしまう…。

 物語の舞台は、バートンが幼い頃に暮らした、郊外の町バーバンクがモデル。バートン曰く「芸術をたしなむ文化が欠落している」ような場所だ。
 トンプソンは脚本執筆のため、バーバンクの住宅地の片隅に住み込み、そこで経験したことを、脚本へと盛り込んだ。例えば、ちょっとした事件が起きると、みんながいちいち家から出てきては見物する描写などが、それである。
 バートンは本作を当初、ミュージカル仕立てにしようと考えた。脚本も準備稿の段階では、劇中歌まで書き込まれていたという。結局そのアイディアは放棄されたが、本作は15年後=2005年に、イギリスのコンテンポラリーダンス演出家で振付師のマシュー・ボーンによって、ミュージカルとして舞台化されている。
『ビートルジュース』が大ヒットとなり、その後の『バットマン』(99)のクランクインが近づく頃、バートンは本作を製作する映画会社探しを、本格化。トンプソンの脚本のギャラを数千㌦に抑えれば、800~900万㌦ほどの製作費でイケると見込んだ。
 バートンは、候補に決めた映画会社に、オファー。その際には、『バットマン』の製作過程での様々な苦闘を教訓に、映画製作に関する決定権が、すべてバートンにあるという条件を付けた。返答の期限は、2週間後。
『ビートルジュース』『バットマン』を製作したワーナーは、先買権を持ちながらも、本作の映画化を拒否した。結局この話に乗ったのは、20世紀フォックス。
 しかし『バットマン』製作中に、フォックスの経営陣が一新され、本作の製作を決めた者が居なくなってしまうというハプニングが起こる。ところがこれが、幸いする。
 新たにフォックスのTOPとなったジョー・ロスが、この企画に前経営陣以上の熱意を示したのだ。彼曰く、「エドワードはフレディ・クルーガー(『エルム街の悪夢』シリーズに登場する殺人鬼)の手をしたピノキオであり、『スプラッシュ』や『E.T.』のように新しい世界に合わせようとして苦しむ人間のかたちをした訪問者だ」
 そして本作の製作費は、当初の800万㌦からその2.5倍にアップ。2,000万㌦が用意された。

 最初に決まったキャストは、キム役のウィノナ・ライダー。『ビートルジュース』でバートンのお気に入りとなった彼女だが、ブロンドのカツラを付けてのチアリーダーのキムは、学生時代にそうした華やかな存在のクラスメートに悩まされた、オタク気質のウィノナにとっては、非常に演じにくい役であった。
 このことが象徴するように、キャスティングは、すべてが意図的にズラされている。キムと付き合うアメフト部員のジム役には、アンソニー・マイケル・ホール。『すてきな片想い』(84)『ときめきサイエンス』(85)など、80年代中盤からハリウッドを席捲した、ジョン・ヒューズ監督の青春もので売り出した俳優である。本作での彼はいつもと真逆で、飲んだくれのろくでなし。凶暴性も秘めた役どころだった。
 エドワードを我が家に連れ帰るペグには、ダイアン・ウィースト、その夫にはアラン・アーキンと、名脇役をキャスティングした。
 エドワードの生みの親である老発明家役には、ロジャー・コーマン監督によるエドガー・アラン・ポー原作ものをはじめ、数多のホラー作品に出演し、バートンが少年時代から憧れの人だった、ヴィンセント・プライス。
 バートンは初監督作で6分の短編『ヴィンセント』(82)で、プライスにナレーションを務めてもらって以来、彼との友情を温めてきた。本作の後には、プライスの一生を綴った伝記映画を準備していたが、彼は93年に他界。結果的に本作が、遺作となった。

 一向に決まらなかったのが、肝心の主演。エドワード・シザーハンズ役だった。
 フォックスが推したのは、トム・クルーズ。バートンのイメージには合わなかったが、人気絶頂の若手スターを起用して大ヒットを狙うフォックス側の気持ちも理解できたので、何度かミーティングを行った。しかし回を重ねる毎に、クルーズの方も違和感を抱くようになって、この話はポシャった。
 他には、ウィリアム・ハートやトム・ハンクス、ロバート・ダウニー・Jr、更にはマイケル・ジャクソンの名まで挙がった。しかしいずれも、バートンにはしっくり来なかった。
 候補のリストには名前が載っていなかった、TVドラマの人気シリーズに主演する若手俳優から、バートンに「会いたい」という連絡があった。バートンはそのドラマ「21ジャンプストリート」(87~90)を観たことがなかったし、その俳優ジョニー・デップに関しても、ティーンのアイドルで、気難し屋という噂ぐらいしか知らなかった。
 そんなこともあって気乗りしなかったが、まだエドワード役のメドが立っていなかったので、とりあえず会うことにした。
 エージェントから渡された『シザーハンズ』の脚本を読んで、「赤ん坊のように泣いた」というデップ。この役を絶対手に入れたいと思い、バートンとコンタクトを取った。そして面会が決まると、バートンの過去作をすべて鑑賞。本作出演への思いを益々強くして、その日に臨んだ。
 デップはバートンの顔などまったく知らなかったが、面会の場に赴くと、テーブルに並んだ中に、「色白でひょろっとした、悲しい目の男」を見つけて、すべてを理解した。エドワード・シザーハンズは、「バートン自身なんだ!」と。
 初対面だったにも拘わらず、バートンとデップは、まるで旧知の友のようだった。2人は“はみだし者”談義で大いに盛り上がり、意気投合した。
 バートンはデップが、大いに気に入った。しかし踏ん切りがつかず、デップの直前の主演作『クライ・ベイビー』(90)の編集室に、その監督のジョン・ウォーターズを訪ねた。そこでデップが映るフィルムを何時間も見つめて、遂に心を決めた。
 面会から数週間後、デップに電話が掛かる。バートンの声だった。
「ジョニー、君がエドワード・シザーハンズだ」
 これが『エド・ウッド』(94)『チャーリーとチョコレート工場』(2005)等々に続いていく、現代アメリカ映画を代表する、監督と俳優のパートナーシップの始まりだった。

 エドワード役は主演ながら、主要出演者の中で、最もセリフが少ない。デップは、バートンが起用する決め手になったという“目の演技”や“身体を使った演技”を駆使。そのために、サイレント映画時代からの代表的な喜劇王チャールズ・チャップリンの演技を研究したという。
 また演技をしている間は、「昔飼っていた犬の顔を思い浮かべていた……」。家に帰るとルーティンにしたのが、25㌢のハサミの刃を手に付けて、ぎこちなく日々の雑事をこなすことだった。
 先にも紹介した通り、バートンは自分の考えを他者に伝えることが至極苦手で、撮影現場での指示も、尻切れトンボのようになってしまう。俳優陣は、激しく腕を振り回すバートンの、支離滅裂な思い付きによる、ほぼ直感的な演出に対応しなければならない。デップはそんなバートンの言を、まるで第六感でもあるかのように、あっさりと読み解いた。
 因みにデップも、ヴィンセント・プライスに対して、バートンのようなリスペクトの念を抱いた。デップはプライスから、この世界の厳しさを聞き、「型にはまった役者にはなるな」と諭された。ホラー俳優のイメージがあまりにも強く、それが悩みの種だったプライスからの、自分を反面教師にしろというアドバイスだった。
 その当時、デップはウィノナ・ライダーと熱愛中だった。ウィノナは本作の直前に、『ゴッドファーザーPARTⅢ』(90)を、体調不良で降板したのだが、実はジョニー・デップと共演するためだったというゴシップ記事が流れた。先にも記した通り、本作ではウィノナの方が先に出演が決まっていたので、これは根も葉もないデタラメだったが。
 バートン曰く、「スペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘプバーンを不良にしたようなカップル」だったデップとウィノナは、悲しいラブストーリーを演じ切った。

 ゴシック様式の古城のような屋敷は、20世紀フォックスの撮影所敷地内に建てられたが、メインのロケは、町のモデルとなったバーバンクからは遠く離れた、フロリダ州パスコ郡デイドシティの郊外に在る50世帯の協力を得て、行われた。
 実際の住人には3カ月間、近くのモーテルに仮住まいしてもらい、借り受けた家々には、様々なパステル調の彩色や、窓を小さくするなどの加工を行った。そしてそれらの庭には、エドワードが刈ってデザインしたという設定の、恐竜、象、バレリーナ、馬、人間などを象った、風変わりな植木を搬入した。こうして、どの時代のどの場所にも属さないような、郊外の町が創り出された。
 日中の気温が43度まで上がり、酷い湿気がまるで糊のようにまとわりつくこの地で、スタッフやキャストが悲鳴を上げたのは、虫の大量発生だった。時には空を黒く埋め尽くし、撮影ができなくなるほどだったという。虫が嫌いではないバートンは、まったく平気の平左だったというが。

 ギレルモ・デル・トロ監督が、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)で人間と半魚人の恋を描き、アカデミー賞の作品賞や監督賞を獲った時に、遂にこんな時代がやって来たと感銘を受けた。思えばその先鞭をつけたのが本作、ティム・バートンの『シザーハンズ』だった。
 バートンのキャリアの中では、『バットマン』ほどの大ヒットを記録したわけではない。しかし彼の代表作と言えば、必ずこの作品の名が挙がる。製作から30数年経って、その輝きは年々増すばかりの傑作である。■

『シザーハンズ』© 1990 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.