売れない時代が長かったドニー・イェン
今やアジアを代表するスーパースターと呼んでも過言ではないカンフー映画俳優ドニー・イェン。世界興収の合計が4億ドルを軽く突破という、香港映画としては異例のメガヒットを記録した『イップ・マン』シリーズ(‘08~’19)を筆頭に、『孫文の義士団』(‘09)や『捜査官X』(’11)、『モンキー・マジック 孫悟空誕生』(’14)などの大作・話題作に次々と主演し、さらには『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(’16)や『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(’23)などハリウッド映画でも引っ張りだこ。ブルース・リーやジャッキー・チェンに勝るとも劣らぬ身体能力と格闘テクニックはカンフー映画ファンの間でも極めて評価が高く、いつしか「宇宙最強」とまで呼ばれるようになったイェンだが、しかしそこへ至るまでに長いこと「売れない時代」があったことは、今となっては意外と知られていないかもしれない。
中国出身の著名な武術家マク・ボウシムを母親に持ち、自身もジェット・リーと同じ北京市業余体育学校で武術の修業を積んだイェン。『マトリックス』(’99)や『グリーン・デスティニー』(’00)などのアクション監督でも有名なユエン・ウーピンの秘蔵っ子として、ウーピン監督の『ドラゴン酔太極拳』(’84)でいきなり主演デビューを果たしたイェンだが、しかし当初はさっぱり売れなかった。清朝の冷酷非情な警察官・ラン提督を演じた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』(’92)で香港電影金像奨の助演男優賞にノミネートされ、さらには尊敬するブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)をテレビ・リメイクした『精武門』(’95)に主演したことで知名度を大きく上げたものの、しかしそれでもなお単独主演映画の興行成績はことごとくパッとしなかった。結局、『SPL/狼よ静かに死ね』(’05)で本格的に大ブレイクするまではこれといったヒットにも恵まれず、一時期はアクション監督の仕事で食いつなぐような状態だったのである。
なにしろ’80年代後半~’90年代の香港映画界は、ジャッキー・チェンにジェット・リー、チョウ・ユンファといった大物アクション俳優たちがしのぎを削っていた時代である。いくら本格的な格闘技の心得があるとはいえ、当時まだ線が細くて地味な若者だったドニー・イェンが太刀打ちできなかったのも仕方あるまい。そのうえ、’93年をピークとして香港映画界は斜陽の時代へと突入。おのずと、ネームバリューの弱いイェン主演作はインディペンデントの低予算映画が中心となってしまう。ただその一方で、先述したように卓越した身体能力とテクニックを備えたイェンの超絶アクションは、それこそジャッキー・チェンやジェット・リーと比較しても全く遜色がなく、東西のカンフー映画マニアの間では早い時期から高い評価を得ていた。中でも、イェン自身がアクション指導も担当したクライム・アクション『タイガー・コネクション』(’90)は、初期代表作のひとつとして人気の高い作品だ。
血の気の多い元刑事とオッチョコチョイな弁護士の凸凹コンビが、マフィアの金を巡る強奪戦に巻き込まれる!
ドニー・イェンが演じるのは、妻から三下り半を突きつけられた短気で喧嘩っ早い元刑事ドラゴン・ヤウ。離婚弁護士マンディ(ロザムンド・クワン)のオフィスを訪れていたドラゴンは、たまたまエレベーターを待っていたところ強盗事件に出くわしてしまう。同じビルに事務所を構える企業の顧問弁護士ワイズ(ロビン・ショウ)は、その陰で在米チャイニーズ・マフィアのマネーロンダリングを秘かに請け負っているのだが、社員デヴィッド(デヴィッド・ウー)とケン(ディクソン・リー)がロサンゼルスから香港へ持ち帰った資金洗浄用の700万ドルを、突然現れた正体不明の武装集団が強奪しようとしたのである。
現金の入ったアタッシュケースを抱えて逃亡するケン。とある場所にそれを隠したケンは地下駐車場へ辿り着くも、武装集団に銃撃されて息絶える。その一部始終を目撃したのが運悪く居合わせたマンディ。武装集団を追いかけてきたドラゴンが一味を撃退するものの、しかし混乱したマンディは彼を犯人グループの一員と勘違いして警察に突き出してしまう。謂れなき濡れ衣に激昂するドラゴンだったが、元同僚の刑事タク(ギャリー・チョウ)に殴り倒され気絶する。
救急車で近くの病院へ送り届けられたマンディとドラゴン。待ち受けた武装集団の仲間がケンと間違えて気絶したドラゴンを誘拐するも、すぐに人違いだと気付いて道端に投げ捨てていく。ほどなくして意識を取り戻したドラゴンは、病院で怪我の手当てを受けて帰宅するマンディを尾行。自宅マンションまで追いかけて誤解を解こうとしたドラゴンだが、そこにはマンディのルームメイトである弁護士ペティ(ドゥドゥ・チェン)の死体が転がっていた。実は、ペティの恋人はほかでもないワイズ弁護士。武装集団を裏で操ってマフィアの700万ドルを横取りしようとしたワイズは、その秘密に気付いてしまったペティを口封じのため殺害したのだ。そこへ、直前にペティからSOSの連絡を受けていた女性刑事ユン(シンシア・カーン)が警官隊を引き連れて到着。その場の状況からマンディとドラゴンに殺人の容疑がかかったため、仕方なくドラゴンはマンディを連れて逃亡する。
一方、ワイズ弁護士が強盗事件の黒幕だと知らないデヴィッドは、ドラゴンとマンディが700万ドルを持っていると考えて2人を襲撃。彼から詳しい事情を聞いたドラゴンとマンディは、自分たちの身の潔白を証明するためにも、デヴィッドと手を組んで現金の隠し場所を突き止めようとするのだが、しかし事件を知ってチウおじさん(ロー・リエ)率いる在米チャイニーズ・マフィアが香港へ上陸し、さらにはワイズ弁護士の指揮する武装集団も700万ドルの行方を追ってドラゴンたちに襲いかかる…!
実は3部作シリーズの第2弾だった
本作が香港で封切られた’90年といえば、ジョン・ウー監督の『男たちの挽歌』(’86)のサプライズ・ヒットに端を発する「香港ノワール映画(英雄式血灑)」ブームの真っ只中。その前年にはウー監督の『狼 男たちの挽歌・最終章』(’89)とツイ・ハーク監督の『アゲイン/明日への誓い』(’89)が、翌年にはやはりウー監督の『狼たちの絆』(’91)が大ヒットしており、一時期ほどではないにせよ依然として香港ノワール映画の人気は根強かった。当然ながら、本作もその影響下にあると考えて良かろう。というか、そもそも本作はドニー・イェンも脇役で出演した『タイガー刑事』(’88)に始まる「特警三部曲(英題:Tiger Cage Trilogy)」の2作目に当たるのだが、この「特警三部曲」自体が実は香港ノワール映画ブームに便乗する形で生まれたシリーズだった。
1作目が国民的歌手ジャッキー・チュンと子役出身の人気女優ドゥドゥ・チェンを主演に迎えた『タイガー刑事』、2作目が本作『タイガー・コネクション』で、3作目は日本未公開に終わったマイケル・ウォン出演の『冷面狙擊手(英題:Tiger Cage 3)』(’91)。いずれも作品ごとにストーリーの設定やキャストが刷新され、出演者が被る場合でも演じる役柄は全く違っており、シリーズとは言ってもお互いに直接的な関連性は全くない。『レディ・ハード 香港大捜査線』(’85)に始まる「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズや『五福星』(’83)を筆頭とする「福星(Lucky Star)」シリーズなど、当時の香港映画のフランチャイズ物によくあるパターンと言えよう。3本に共通するのは監督のユエン・ウーピンと、製作会社のD&Bフィルム。同社はサモ・ハン・キンポーが実業家ディクソン・プーンおよび俳優ジョン・シャムと共同で立ち上げた会社で、当時は先述した「皇家師姐(In the Line of Duty)」シリーズで当たりを取っていた。
ご存知の通り、監督デビュー作『スネークモンキー 蛇拳』(’78)と2作目『ドランクモンキー 酔拳』(’78)を立て続けに大ヒットさせ、当時まだ伸び悩んでいたジャッキー・チェンを一躍トップスターへと育て上げたユエン・ウーピン監督。ほどなくしてカンフー時代劇の人気が衰退すると、ジャッキーは『プロジェクトA』(’84)や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(’85)などの現代劇アクションで快進撃を続けるわけだが、しかし一方のユエン監督はキャリア初期の成功体験から抜けられなかったのか、似たようなコメディ調のカンフー時代劇を作り続け、おかげで作品を追うごとに興行成績は下降線を辿っていったのである。
愛弟子ドニー・イェンのデビュー作『ドラゴン酔太極拳』もまさにその延長線上。恐らくイェンを第2のジャッキー・チェンとして売り出すつもりだったのだろう。同作がコケてしまったのはイェンの知名度不足も確かにあるが、しかし同時に映画の内容自体が時代遅れだったことも大きな理由として挙げられる。それを反省してなのか、再びドニー・イェンを主演に起用した現代劇コメディ『情逢敵手』(‘85・日本未公開)ではブレイクダンス、続くホラー・コメディ『キョンシー・キッズ 精霊道士』(’86)ではキョンシーと、あからさまにヒットを狙ってトレンド・ネタに便乗したユエン・ウーピン監督。しかし残念ながら、その邪まな下心が裏目に出たせいか、どちらの作品も興行的に失敗してしまった。
そんなキャリアの低迷期にあったユエン監督のもとへ転がり込んだのが、香港ノワール映画のブームにちゃっかりと便乗した『タイガー刑事』の企画。これが興行収入1150万香港ドルというスマッシュヒットを記録し、ユエン・ウーピン監督に久しぶりの成功をもたらしたのである。恐らく、この予想外のヒットが評価されたのだろう。D&Bフィルムは引き続き、看板映画「皇家師姐」シリーズの第4弾『クライム・キーパー 香港捜査官』(’89)をユエン監督にオファー。こちらも興行収入1200万香港ドルのヒットとなったことから、『タイガー刑事』の続編である本作『タイガー・コネクション』にゴーサインが出たというわけだ。
ドニー・イェンの超絶カンフー・アクションを存分に堪能するべし!
恐らく、キャスティングもユエン・ウーピン監督の意見が尊重されたのだろう。主人公の元刑事ドラゴン役には秘蔵っ子ドニー・イェンを起用。アクション指導を兼ねた『タイガー刑事』では非業の死を遂げる若手刑事テリー役で強烈な印象を残し、『クライム・キーパー 香港捜査官』でもシンシア・カーン演じるヒロインの相棒刑事ドニー役を好演するといった具合に、なかなか芽の出ない愛弟子のためのお膳立てに余念のなかったユエン監督としては、そろそろ念願の当たり役を与えてやりたいという思いがあったに違いない。
そんな恩師の期待に応えるかのごとく、前作『タイガー刑事』を遥かに凌駕する白熱のカンフー・アクションを披露するドニー・イェン。正直なところ脚本の出来はあまり良いとは言えないし、数多の香港ノワール映画に比べて低予算の安っぽさが目立つことも否めない作品だが、しかしアクション指導を兼ねたイェンが見せる圧倒的なスタント・テクニックの数々は、そうした諸々の弱点を補って余りあると言えよう。ブラジリアン柔術の達人ジョン・サルヴィッティとの剣戟バトル、ドニー・イェン映画に欠かせない悪役俳優マイケル・ウッズとのチェーン・バトルと、出稼ぎ外国人勢との死闘も大きな見どころだが、やはり最大の山場は映画版『モータル・コンバット』(’95)シリーズのリュウ・カン役でお馴染みのロビン・ショウを相手に繰り広げる、クライマックスの血沸き肉躍るフィスト・ファイトであろう。これは3作目『冷面狙擊手』を含めた「特警三部曲」の全てに共通する特徴なのだが、スローモーションを駆使したガン・アクションというジョン・ウーが編み出した香港ノワール映画のトレードマークを巧みにコピーしつつ、その一方で王道的なカンフー・アクションもたっぷりと堪能させてくれる。中でも本作は、シリーズで最も格闘技の見せ場が充実している作品と言えよう。
さらに、『サンダーアーム/龍兄虎弟』(’86)や『プロジェクトA2 史上最大の標的』(’87)などジャッキー・チェン映画で大人気だったロザマンド・クワンをヒロイン役に、「皇家師姐」シリーズの看板女優シンシア・カーンと前作『タイガー刑事』のヒロイン役ドゥドゥ・チェンを特別ゲストにと、知名度的にいまひとつ弱いドニー・イェンをサポートする形で、ネームバリューのある有名スターを脇役に揃えた本作。残念ながら興行成績は前作を大きく下回る630万香港ドルと低調だったものの、しかしカンフー映画マニアの間ではユエン・ウーピン監督×ドニー・イェンのコンビの最良作として評価が高い。
ちなみに、本作にはマレーシア版エンディングと呼ばれるクライマックスの輸出用バージョンが存在する。オリジナルの香港版エンディングではドニー・イェンとロビン・ショウが白熱の死闘を繰り広げるわけだが、このマレーシア版ではそこを丸ごとそっくり差し替え。代わりにシンシア・カーン演じる女刑事が登場し、黒幕のワイズ弁護士(ロビン・ショウ)を逮捕してメデタシメデタシと相成る。どうやら、「悪人は殺さずに警察がちゃんと逮捕するべし」という中国本土の倫理基準を念頭に置いた別バージョンだったようだ。それがなぜ「マレーシア版エンディング」と呼ばれるようになったのか定かじゃないが、いずれにせよ映画的なカタルシスに著しく欠ける退屈な結末としか言いようがなく、やはりオリジナルの香港版エンディングに軍配が上がることは間違いないだろう。■
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