※下記のレビューには一部ネタバレが含まれます。

 ネオレアリスモの流れを汲む社会派の映画監督として’60年代初頭に頭角を現し、恋愛ドラマから犯罪アクション、マカロニ・ウエスタンからオカルト・ホラーまで、実に多彩なジャンルの映画を手掛けつつ、どの作品でも常に反権力と社会批判の姿勢を貫いてきた反骨の映画監督ダミアーノ・ダミアーニ。世代的にはピエル・パオロ・パゾリーニやカルロ・リッツァーニ、マルコ・フェレーリ、セルジオ・レーネらと同期に当たるが、しかし精神的にはひと世代後のベルナルド・ベルトルッチやマルコ・ベロッキオ、エリオ・ペトリといった、当時“新イタリア派”と呼ばれた革命世代の左翼系作家たちと親和性の高い映画監督だったと言えよう。

 ‘22年7月23日、北イタリアの小さなコムーネ(共同自治体)、パジアーノ・ディ・ポルデノーネに生まれたダミアーニは、ミラノのブレーラ美術学校を卒業し、美術スタッフとして映画界入り。脚本家や助監督を経て、’46年から短編ドキュメンタリーの監督を手掛けつつ、コミック・アーティストとして活躍するようになる。日本だとあまり知られていない事実だろう。長編劇映画の監督デビュー作は、ネオレアリスモの立役者チェザーレ・ザヴァッティーニが脚本に参加した『くち紅』(’62)。これはピエトロ・ジェルミ監督の名作『刑事』(’59)にインスパイアされた作品で、ローマの下町で起きた殺人事件とそれに絡む男女の複雑な恋愛を軸にしつつ、高度経済成長に取り残された貧しい庶民の姿を映し出した作品で、ピエトロ・ジェルミが刑事役を演じていた。

 さらに、テーマ曲が日本でも評判になった『禁じられた恋の島』(’62)では思春期の少年の父親に対する憧れと失望を通じてイタリア南部に根強い男尊女卑の偽善を炙り出し、アルベルト・モラヴィア原作の『禁じられた抱擁』(’63)では豊かな現代イタリア社会における愛の不毛とブルジョワの倦怠を浮き彫りにしたダミアーニ。やがて世界的に左翼革命の時代が訪れると、より政治的・社会的なメッセージ性の強い作品に傾倒していくわけだが、その先駆けともなったのが自身初のマカロニ・ウエスタン『群盗荒野を裂く』(’66)だった。

 マカロニ史上初のポリティカル・ウェスタンとも呼ばれる本作。舞台は革命真っただ中のメキシコ、主人公は粗野で下品で無教養だが人情に厚いゲリラ隊のリーダー、エル・チュンチョ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)だ。政府軍の武器を奪っては革命軍のエリアス将軍(ハイメ・フェルナンデス)に売りさばいている彼は、それなりに革命の精神は理解をしているし、基本的に虐げられた貧しい庶民の味方ではあるものの、しかし根っからの反権力の闘士である弟サント(クラウス・キンスキー)とは違い、どこか革命を金儲けの手段と考えている節がある。武器の対価を将軍から得ていることを弟に隠しているのは、恐らく後ろめたさの表れだ。

 そんなチュンチョがいつものように、大勢の手下を引き連れて政府軍の武器弾薬を積んだ列車を襲撃したところ、ビル・テイト(ルー・カステル)というアメリカ人と遭遇する。政府軍兵士を殺して暴走する列車を止めたビルの勇敢な行動に感銘を受けたチュンチョは、自分も革命軍ゲリラに加わって金を稼ぎたいというビルを仲間に引き入れるのだが、しかし単細胞でお人好しな彼は、ビルが襲撃の混乱に紛れて身分を偽っていたことに全く気付いていない。それどころか、身なりの良い外国人のビルが下賤な自分たちの味方となったことに気を良くし、彼のことを“ニーニョ”と愛称で呼んで一方的に親近感を抱いていく。

 かくして、ビルを仲間に加えて革命軍の基地や武器庫を次々と襲撃していくゲリラ隊。そんなある日、故郷の町サンミゲルが革命軍によって解放されたと知ったチュンチョは、紅一点のアデリータ(マルティーヌ・ベスウィック)やビルなど、一部の仲間を引き連れて馳せ参じる。長年にわたって貧しい庶民を虐げて苦しめ、少女時代のアデリータを凌辱した町の権力者ドン・フェリペ(アンドレア・チェッキ)を処刑したチュンチョ。ようやく待ち望んだ正義が下されたのだ。

 その直後、政府軍が町へ迫っているとの情報が入り、チュンチョとサントは住民を守るため町に残ろうと考えるが、しかしビルは一刻も早くエリアス将軍のもとに武器を届けるべきだと強く主張する。実は彼、エリアス将軍を暗殺するため、メキシコ政府に雇われたプロの殺し屋だったのだ。そんなこととはつゆ知らず、追手との戦いで次々と仲間を失いながらも、ビルに助けられて革命軍の本拠地シエラへとたどり着いたチュンチョは、そこで無二の親友と信じ始めていたビルの正体に気付くこととなる。

 

集ったのはイタリアの左翼系映画人たち

 無学ゆえに革命家というよりは中途半端なチンピラに過ぎなかった主人公が、金のためなら何でもする日和見主義者の殺し屋と対峙することで、真の革命精神に目覚めていくという物語。靴磨きの貧しい若者に札束を渡したチュンチョが、「その金でパンなんか買うんじゃないぞ!ダイナマイトを買うんだ!」と高らかに叫びながら、線路の彼方へと走り去っていくクライマックスが象徴的だ。

 脚本にはその後、警察幹部とマフィアの癒着を告発した問題作『警視の告白』(’71)で再びダミアーニ監督と組むサルヴァトーレ・ラウリーニが参加しているが、やはり’20世紀初頭のメキシコ革命に’60年代末の左翼革命の時代を投影した本作の方向性を決定づけるうえで、脚色と台詞でクレジットされているフランコ・ソリナスが大きな役割を果たしたであろうことは想像に難くない。なにしろ、ソリナスと言えばジッロ・ポンテコルヴォ監督の『ゼロ地帯』(’60)や『アルジェの戦い』(’66)、『ケマダの戦い』(’69)などを手掛けた、イタリアの左翼系映画人の代表格みたいな人物だ。コスタ=ガヴラスの『戒厳令』(’70)も彼の仕事。本作に続いて、やはりメキシコ革命をテーマにしたセルジオ・コルブッチ監督のマカロニ・ウエスタン『豹/ジャガー』(’68)も手掛けている。

 左翼系映画人といえば、エル・チュンチョ役で主演を務めている名優ジャン・マリア・ヴォロンテも、俳優の傍ら左翼活動家としても有名だった筋金入りの共産主義者。父親がブルジョワ階級のファシストで、終戦後に戦犯として捕らえられて獄死したという暗い生い立ちを抱えた彼は、戦前・戦中から一転した極貧と放浪生活の中で共産主義に目覚め、キャリアの当初こそセルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』(’64)や『夕陽のガンマン』(’65)といった娯楽映画にも出演したが、次第にダミアーニやエリオ・ペトリ、フランチェスコ・ロージといった左翼系監督による政治性の高い作品ばかりを選ぶようになる。

 一方、グレーの上質なスーツに身を包んだクールでキザなアメリカ人ビルを演じるルー・カステルも、マルコ・ベロッキオ監督の傑作『ポケットの中の握り拳』(’65)で抑圧された旧家の若者の屈折した怒りを演じ、反権力世代の象徴的な存在となった俳優。スウェーデン人外交官の父親とイタリア人共産主義者の母親のもとに生まれ育ったカステルは、彼自身もまた母親の強い影響で毛沢東思想に傾倒した極左活動家だった。そのため、やがてイタリア国内にいづらくなり、’73年以降はヨーロッパを転々としながらヴィム・ヴェンダースやダニエル・シュミット、クロード・シャブロルなどの作品に出演するようになる。本作の撮影現場では、先輩ジャン・マリア・ヴォロンテと意気投合したそうだが、恐らく同じ共産主義者として共鳴するところも多かったのだろう。ちなみに、先述したクライマックスのセリフはヴォロンテのアドリブだったらしい。

 これが初めての西部劇となったダミアーニ監督は、あえてイタリア流のマカロニ・ウエスタンではなく、ジョン・フォードのような正統派西部劇の世界観を目指したという。それはアルゼンチン出身の作曲家ルイス・バカロフによる、およそマカロニらしからぬメキシコ民謡調の音楽スコアにも端的に表れていると言えよう。中でもフォード監督の『捜索者』(’56)を意識していたようだが、そういえばセルジオ・レオーネも『ウエスタン』(’68)ではモニュメント・ヴァレーで撮影をしたり、ヘンリー・フォンダを起用したりするなど、ジョン・フォード作品へのオマージュをひときわ強く感じさせた。そう考えると、後にレオーネが製作(と一部演出)を手掛けた西部劇『ミスター・ノーボディ2』(’75)の監督に、ダミアーニが起用されたことも納得が行くだろう。

 なお、本作を機にメキシコ人の山賊やゲリラと白人のガンマンがコンビを組むマカロニ・ウエスタンのサブジャンルが生まれ、『復讐のガンマン』(’67)や『豹/ジャガー』、『復讐無頼・狼たちの荒野』(’68)、『ガンマン大連合』(’70)などの名作が世に送り出されることとなる。■

『群盗荒野を裂く』QUIEN SABE?: 1966 – M.C.M. di Bianco Manini – Surf Film S.r.l. – All rights reserved –