韓国映画の面白さに取り憑かれたきっかけは、2002年の東京国際映画祭で『復讐者に憐れみを』(02年)を観て、そのあまりの傑作ぶりにぶっ飛ばされたからだった。そして、なぜ『復讐者に憐れみを』を映画祭でいち早く観たかというと、『JSA』のスタッフ・キャストによる新作だったからである。

 考えてみれば『JSA』こそ、僕がいちばん最初に「心底面白いと思った“リアルタイムの”韓国映画」だったかもしれない。日本でも鳴り物入りで公開された話題作『シュリ』(99年)は確かに派手で面白かったが、あくまで「珍しい国から来た目新しいエンタメ大作」という印象だった。

 しかし、『JSA』は違った。南北分断という韓国ならではのテーマを扱った点では『シュリ』と同じだが、映画としての完成度には雲泥の差がある。上質のドラマと、達者な俳優陣の演技、そして派手さに頼らない実直かつモダンな演出で魅せる、文句なしに面白い映画だった。いま観返しても、その印象は変わらない。時代を超えて胸に響く、本当によくできた映画だと改めて思う。

 物語はこうだ。1999年10月のある夜、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の軍事境界線上にある共同警備区域(Joint Security Area=JSA)で、謎めいた銃撃事件が起こる。朝鮮人民軍の将校と兵士が、自軍の哨戒所で韓国軍兵士によって射殺されたのだ。現場に居合わせた人民軍下士官オ・ギョンピル(ソン・ガンホ)、容疑者の韓国軍兵長イ・スヒョク(イ・ビョンホン)の証言は大きく食い違い、真相究明のために中立国監視委員会から調査官が派遣される。かくして、朝鮮人の父を持つスイス軍少佐ソフィー(イ・ヨンエ)が板門店を訪れ、さっそく双方への聞き取り調査を開始。やがて目撃証言とはまったく異なる事実が浮かび上がる……。

 いわゆる“藪の中”スタイルで、女性将校の視点から「その夜、何が起こったのか?」を解き明かしていくミステリードラマとして始まる第1幕。ひょんなことから知り合った韓国軍兵士と北朝鮮軍兵士の友情をユーモラスに描いていく第2幕。そして、事件の悲しい経緯が明らかにされる第3幕。観客の興味を巧みに惹きつつ、各章ごとにテイストを変え、時に語り手の視点まで変えながら、いっさい澱みなく進行していく三部構成がじつに見事だ。パク・ヨンサンによる原作小説『DMZ』(邦訳題『JSA 共同警備区域』、文春文庫刊)は、事件を通して捜査官の複雑なバックグラウンドを掘り下げていく物語だったが、映画では銃撃事件とその当事者に焦点を絞り、より明解かつ鮮烈に分断のもたらす悲劇を描くことに成功している。

 それぞれにハマり役としか言いようのない俳優陣のアンサンブルも素晴らしい。まだ本格的ブレイクを迎える前のスターたち……頼れるアニキ感を漂わせつつ、北朝鮮軍のベテラン軍人を悠々と演じるソン・ガンホ。その若き同志に扮し、初々しいコメディリリーフぶりを見せるシン・ハギュン。精悍さのなかにデリケートな茶目っ気が溢れる韓国軍兵士役のイ・ビョンホン。ナイーブすぎる後輩兵士を訥々と演じるキム・テウ。彼らが等身大の兵士としてスクリーンに同居し、国家やイデオロギーの壁を越えて心を通わせ合う、その時間のなんと贅沢なことか! 凛とした美しさを放ちながら物語の牽引役を務める、イ・ヨンエの好演も印象深い。

 イ・ビョンホン、ソン・ガンホを筆頭に、この映画から一気にスターダムを駆け上っていった者は少なくないが、なんといってもいちばんの出世頭はパク・チャヌク監督その人であろう。『JSA』を撮るまでの彼は、B級テイストと作家主義がちぐはぐに混ざり合う2本の低予算映画『月は…太陽の見る夢』(92年)『三人組』(97年)しか実績のない、無名の若手シネフィル監督だった。しかし、この作品で初めて大作規模のプロジェクトに取り組み、趣味性を封印した職人的アプローチで、万人に届く堅実なエンタテインメントを作り上げてみせた。『JSA』は彼が本来持ち合わせていた才能……娯楽性と芸術性を絶妙なバランスで両立させる演出スタイルを開花させ、のちの『オールド・ボーイ』(03年)や『お嬢さん』(16年)といった代表作の誕生につながっていく。そして、真っ向からヒューマニズムを描いた反動から『復讐者に憐れみを』という非情な傑作も生まれることとなった。監督の性格をよく知る人からは「別人が撮ったみたい」とまで評されたらしい『JSA』だが、いろいろな意味でその存在意義は大きかった。

 大人の仕事を貫いたとはいえ、映画作家パク・チャヌクの刻印は随所にある。たとえば室内シーンにおける光と影のコントラストが際立つライティングは、兵士たちの証言の「二面性」を示唆すると同時に、いかにもシネフィルらしい往年のフィルムノワールへのオマージュでもある。あるいは、検死台に横たわる北朝鮮軍兵士の遺体の背面が、台のかたちにぺったり変形している不必要なまでに冷酷なディテール。似たような描写は『復讐者に憐れみを』にも、『JSA』監督起用のきっかけにもなった1999年の傑作短編『審判』(ソウル三豊百貨店崩落事故をモチーフに、病院の霊安室で起きるいざこざを描いたブラックコメディ)にもある。クライマックスの銃撃戦における、情無用の血飛沫エフェクトは言うまでもない。

 また、原作では中年男性の設定だったスイス人将校を、映画では女性に変更している点にも注目したい。パク・チャヌク監督はのちのインタビューで「男の軍人しか出てこない映画なんて、むさくるしいでしょう?」とジョークを飛ばしつつ、「女性だという理由だけで相手を見下し、軽んじる軍隊社会の排他的性格も描きたかった」とも語っている。ソフィーが捜査官として有能さを発揮しながらも、それを否定され、曖昧な調査報告を要求される展開は、いま観ると『ボーダーライン』(15年)でエミリー・ブラントが演じたFBI捜査官の姿とも重なる。のちに『渇き』(09年)や『お嬢さん』で「抑圧された女性の解放」を描くことになるパク・チャヌクの問題意識は、20年前から一貫していたのだ。

 さらに、パク・チャヌクは企画の初期段階で、兵士たちのドラマに同性愛的感情を盛り込もうと提案していたとも聞く。もしかしたら『JSA』には、軍隊内における性的マイノリティの葛藤、そして女性差別という「分断」も並列的に描かれていたかもしれない。実際、スヒョクを慕う後輩ソンシクの「男前ですね」というセリフや、無邪気にじゃれ合う南北兵士たちの姿には、その残り香がかすかに漂う。近年、韓国ノワール映画で描かれる男同士の愛憎劇を「萌え」として愛でる文化も、すでに本作から潜在的なかたちで表れていたのだ。

 『JSA』は2000年6月に実現した南北首脳会談の3カ月後、9月9日に韓国で封切られ大ヒットを記録。南北融和ムードのなか、本作を観ることが一種の社会参加行事となるような空気が生まれ、一大ブームを巻き起こした。しかし、制作中は監督もプロデューサーも「北朝鮮に同情的である」といった理由で国家反逆罪に問われることまで覚悟していたそうだ(実際、パク・チャヌクはその後のパク・クネ政権下で「左翼的先導者の疑い」がある映画人としてブラックリストに載せられた)。監督としては、むしろ南北対立ムードが高まったタイミングで本作公開をぶつけたかったらしい。後日、『JSA』のフィルムは当時の北朝鮮最高指導者・金正日のもとにも送られ、高い評価を受けたという逸話もある。

 それから20年、いまだに南北統一は実現していない。『JSA』の物語が真の意味で「過去」として語られる日も、残念ながら来ないままだ。

 2017年、ソウル市立美術館で開催されたカルティエ現代美術財団の企画展「ハイライト」のために、パク・チャヌクは弟パク・チャンギョンとともに短編映画『隔世の感』を制作した。南楊州総合撮影所に現存する『JSA』の板門店のセットに、マネキン人形を置いて3Dカメラで撮影し、そこに『JSA』本編の音声などを被せ(なんと42台のスピーカーを駆使した超立体音響!)、時代の変化と進展しない状況を浮き彫りにする作品だという。日本ではまだ観る機会がないが、『JSA』ファンとしては否応なしに興味をそそられる一編だ。パク・チャヌク曰く、「いつかこの作品をピョンヤンで上映できたらいいね」。■

『JSA』©myungfilm2000