■保安官と麻薬王、袂を分かつ二人の男たち

 ジャック・ベンティーン(ニック・ノルティ)とキャッシュ・ベイリー(パワーズ・ブース)は、幼い頃からの親友どうしだ。だが今では、片やエルパソ郊外の小さな町で働くテキサスレンジャーで、片やメキシコを牛耳る麻薬王だ。ジャックにとってキャッシュは、治安を乱す元凶でもあり、かつて愛した女性サリタ(マリア・コンチータ・アロンゾ)を奪い合う宿命のライバルだった。

 ウォルター・ヒル監督が1987年に発表した映画『ダブルボーダー』は、テキサスとメキシコを挟んだ国境の町を舞台に、袂を分かった男同士が血で血を洗う抗争を繰り広げていくバイオレンスアクションだ。銃を交えることでしか、その存在を主張することができない者たちへの、熱き魂のレクイエムである。

 いっぽうこの映画では、もうひとつのエピソードがメインストーリーとともに並走していく。ポール・ハケット少佐(マイケル・アイアンサイド)率いる、米陸軍特殊部隊の臨時ユニットにまつわるものだ。この部隊を構成する6人の兵士たちは、全員が死亡報告を受けたゴーストアーミーであり、ベンティーンの監視のほか、町に関する覆面捜査を担っていた。
 そんな彼らの目的もまた、私設軍隊を率いる麻薬王ベイリーの殲滅にあったのだ。

 このように物語を大殺戮へと向ける布石とサスペンスフルな構造を経て、映画はベイリー殲滅作戦を遂行しようとするベンティーンとハケット少佐が目的を一致させ、共にベイリーが拠点とするメキシコへと赴かせていく。


■原題が示す意味と製作までの紆余曲折

 ところでこの『ダブルボーダー』、先述した二つの国境にちなんでつけられた邦題だが、原題の“Extreme Prejudice”が分かりづらいことへの配慮もあった。もともとこの言葉は、軍事作戦における「極端な偏見をもって事を終わらせる」という処刑の婉曲な表現で、劇中におけるベイリー殲滅作戦を示している。本国においてこの独自のフレーズは、ベトナム戦争映画『地獄の黙示録』(79)で周知の一助となっていた。

 その『地獄の黙示録』の脚本を担当したのが、この『ダブルボーダー』の原案者としてクレジットされているジョン・ミリアスである。
 もともと『ダブルボーダー』は、『コナン・ザ・グレート』(82)『若き勇者たち』(84)の監督として知られるミリアスが起案したもので、自身の脚本・監督のもとワーナー・ブラザーズによって製作される計画が立てられていた。本来ならば1976年10月にテキサスで撮影に入る予定だったが、ミリアスがサーフィンをモチーフにした青春映画『ビッグ・ウェンズデー』(78)を先に手がけたことにより、プロジェクトは暗礁に乗り上げる。加えてミリアス自身が本作を監督することに興味を失ってしまったことから、プロデューサーは別の監督の起用を検討し、改めて1976年11月の撮影開始日が設定された。
しかしプロジェクトは再々の延期を余儀なくされ、しびれを切らしたワーナーは権利売却のため、カサブランカ・レコードおよびフィルムワークスと交渉していたが、その契約も頓挫し、製作は塩漬け状態となっていく。

 事態が大きく動いたのは1984年。『ランボー』(82)を世界的に大ヒットさせたカロルコ・ピクチャーズが『ダブルボーダー』の権利を買収し、『ランボー』の監督であるテッド・コッチェフの次回作としてようやくプロジェクトが再始動となったのだ。しかしコッチェフ監督は方向性の違いからプロジェクトを降り、後に『羊たちの沈黙』(91)でメジャーとなるジョナサン・デミが監督するよう交渉が進められた。デミは1985年3月までには脚本のリライトを完了させ、同年夏にミリアスと共にテキサスでの撮影を開始する予定だったが、残念ながら実現に至ることはなかった。

 そこでカロルコは新たにウォルター・ヒルを監督に任命し、彼がスティーブ・マックイーン主演のアクション『ブリット』(68)でアシスタントディレクターを担当していたとき、脚本家としてかかわっていた旧友の脚本家ハリー・クライナーを雇い脚本を書き直したことを機に、プロジェクトは一気呵成に進行。1986年4月14日にテキサス州エルパソ地域で主な撮影が始まり、ディストリビューターのトライスター・ピクチャーズは同年のクリスマスシーズンに本作を公開する態勢が整っていく。
だがヒル監督とプロデューサーサイドは翌1987年4月の公開を主張。原因は出演者に約3ヶ月の軍事訓練を課したことや、加えて上映時間の関係からハケット少佐以下ゴーストアーミーのパートが大幅に削られ(ちなみにこの大幅にカットされた場面は、映画の公開と同時期に刊行されたノベライズで確認することができる)、その説明不足を補うための追加パート撮影を余儀なくされたことなど諸事情が絡み、結果的に映画は1987年4月24日に1071スクリーンでの公開となった。

 しかし最初の10日間こそ650万ドルを獲得したものの、トータル的な収入は製作費の半分にも満たない1.100万ドルにとどまり、大幅な赤字を記録してしまった。とはいえ贅沢にかけられた予算と徹底した戦闘描写が求心力となり、本作はウォルター・ヒル監督のフィルモグラフィにおいてカルト的な人気を得ている。


■『ワイルドバンチ』とサム・ペキンパーへの敬意

 また『ダブルボーダー』は、『わらの犬』(71)『ゲッタウェイ』(72)の監督サム・ペキンパーに対して、ヒル監督がオマージュを捧げた作品として認識されている。とりわけ本作はペキンパーの代表的傑作『ワイルドバンチ』(69)のリメイクであるかのように感じられる箇所が多い。
 ゴーストアーミーたちの死亡報告書を見せる冒頭からして、映画は『ワイルドバンチ』のアヴァンタイトルで展開するストップモーションと運びが似ているし、パイク(ウィリアム・ホールデン)率いるワイルドバンチと『ダブルボーダー』のゴーストアーミーが共にメキシコを目指そうとする目的の一致も然り。そして敵対するベイリーの麻薬組織は、『ワイルドバンチ』で私設軍隊を持つマパッチ将軍(エミリオ フェルナンデス)と同工異曲の存在だ。

 他にも特に際立つ類似点は、クライマックスにおける銃撃戦の描写だろう。集中豪雨のように画面を覆い尽くす銃弾の嵐や、スローモーションでシューティングされた崩れゆく人々——。これらは「デス・バレエ(死の舞踏)」と喩えられた、『ワイルドバンチ』における最後の銃撃描写を踏襲したものだ。ご丁寧なことに両作とも、同シチュエーションは約5分間と尺まで足並みを揃えている。
 こうしたホットな引用は単に表現上のものではなく、戦いによって仲間を失いながらも、それでも屍を越えて前に進もうとする男たちの「滅びの美学」を体現している。ペキンパーの精神を現代に受け継ごうとしたヒルの尊敬心を、この『ダブルボーダー』は何よりも示したものといっていい。

 だが、そんな滅びの美学を悪人が示す『ワイルドバンチ』とは異なり、本作のベンティーンたちは、不器用ながらもそれを正義で追求しようとする。

「悪の道はたやすい。だが正義の道は果てしなく困難だ」

 劇中、ベンティーンの上司ハンク(リップ・トーン)がいう言葉どおり、映画は最後の最後まで、善悪をめぐる葛藤が物語を大きく左右に揺り動かしていく。だからこそ、正義に準じた者には最高の見せ場が与えられるのだ。厭世的だったペキンパーと異なり、どこかヒーローに対して希望を残していたヒルの性質を、ここでは対照的なものとしてうかがうことができるだろう。

 それにしても、ジョナサン・デミ監督による『ダブルボーダー』というのも、こうして評価の定まった今となっては観たかった気もするが……。■