ハリウッドでは過小評価され続けたSF映画

ご存じ、スティーブン・スピルバーグ監督×トム・クルーズ主演によって、’05年にリメイクもされたSF映画の金字塔である。火星人による地球侵略の恐怖とパニックを、当時の最先端の特撮技術を用いて描いたスペクタクルなSF大作。ハリウッドでは’50年代に入ってSF映画の本格的なブームが到来するが、その象徴とも呼ぶべき作品がこの『宇宙戦争』だった。

そもそも、フランスが生んだ映像の魔術師ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(’02)や、ドイツの巨匠フリッツ・ラングによる『メトロポリス』(’26)、H・G・ウェルズ自らが脚本を書いたイギリス映画『来るべき世界』(’36)など、ヨーロッパではサイレントの時代から正統派のSF映画が脈々と作られてきた。しかし、一方のハリウッドへ目を移すと、純然たるSF映画は戦後まであまり見当たらなかったと言えよう。

ざっくりとSF映画にジャンル分けされる当時のアメリカ映画を振り返っても、例えば子供たちに人気を博した『フラッシュ・ゴードン』(’36)シリーズや『バック・ロジャーズ』(’39)シリーズなどは基本的にヒーロー活劇だし、『フランケンシュタイン』(’31)や『キング・コング』(’33)などもSFというよりはモンスター・ホラー、『失はれた地平線』(’37)や『明日を知った男』(’44)辺りになると完全にファンタジーである。しかも、一部を除いて大半は低予算のB級映画で、空想科学(Science Fiction)の「科学」だってないがしろにされがち。要するに、SFというジャンル自体がハリウッドでは成立しづらかったのである。

しかし、第二次世界大戦後になるとテクノロジーの飛躍的な進化とともに、アメリカ国民の宇宙開発や最先端科学への関心も急速に高まっていく。もはや、科学をおろそかにした空想科学映画は通用しない時代になりつつあった。そうした世相を背景に、いち早く本格的なSF映画として勝負に打って出たのが、ハリウッドにおける特撮SF映画のパイオニアであるジョージ・パルが製作した『月世界征服』(’50)。これはハリウッド史上初めて科学的根拠に基づいて宇宙旅行を描いたSF映画であり、大々的な宣伝キャンペーンも功を奏してスマッシュ・ヒットを記録、アカデミー賞の特殊効果賞やベルリン国際映画祭の銅熊賞を獲得するなどの高い評価を得た。

さらに、その翌年にはエイリアンの地球侵略を題材にした『遊星よりの物体X』(’51)と『地球の静止する日』(’51)が相次いで大ヒット。当時のアメリカでは東西冷戦の緊張の高まりを背景に、自国がソビエトによって侵略されるかもしれないとの不安が広まり、それがジョセフ・マッカーシー上院議員の扇動する共産主義者への人権弾圧、いわゆる「赤狩り」のパラノイアを生み出したわけだが、これらのSF映画はそうした社会不安の時代に上手くマッチしたのだろう。

以降、ハリウッドのSF映画はエイリアンによる地球侵略物を中心に盛り上がり、たちまち「SF映画黄金時代」の様相を呈してく。その空前とも言えるブームの頂点を極めた作品が、『月世界征服』と『地球最後の日』(’51)に続いてジョージ・パルがプロデュースした『宇宙戦争』だったのである。

SF映画の歴史を変えた製作者ジョージ・パル

ジョージ・パルはもともとハンガリー出身のアニメーション作家。ナチス・ドイツの台頭を逃れてアメリカへ移住し、友人だったアニメーター、ウォルター・ランツ(ウッディー・ウッドペッカーの作者)の助けで米国籍を取得してパラマウントで働くようになる。アメリカではドイツ在住時代に自身が開発した人形アニメ、パル・ドールの技術を改良し、子供向けの御伽噺を映像化した短編ストップモーション映画「パペトゥーン」シリーズを’42~’47年にかけて製作。その功績が評価され、’44年にはアカデミー特別賞を獲得した。

その一方で実写劇映画への進出を目論んでいたパルは、イギリスの映画会社ランクオーガニゼーションのアメリカ支社に当たるイーグル=ライオン社の出資を取りつけ、2本の実写映画を立て続けに制作する。それがパペトゥーンの技術を生かしたコメディ映画『偉大なルパート』(’50)と、先述したSF特撮映画『月世界征服』。この成功を足掛かりに、パルはパラマウントで『地球最後の日』を制作するのだが、しかしSFジャンルに懐疑的なスタジオ側は十分な予算を与えず、パルにとっては不本意な仕上がりとなってしまう。そんな彼が次に取り組んだ企画が、SF小説の大家H・G・ウェルズの代表作『宇宙戦争』の映画化だった。

1897年にイギリスの雑誌「Pearson’s Magazine」に連載されたH・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』は、その後アメリカの「New York Evening Journal」でも連載されて大評判となり、後世のSF小説に多大な影響を及ぼすことになった。ハリウッドでは1924年にパラマウントの社長ジェシー・ラスキーが映画化権を獲得。しかし、具体的に映画化されることなく歳月が流れ、その間にセシル・B・デミルやアルフレッド・ヒッチコックらが関心を示すものの実現はしなかった。あのレイ・ハリーハウゼンも『宇宙戦争』の映画化を切望し、テスト・フィルムまで製作してジェシー・ラスキーに売り込んだが、出資者が見つからずに頓挫した。唯一の例外は、1938年のハロウィンに放送されてアメリカ中に衝撃を与えた、鬼才オーソン・ウェルズの脚色・演出・ナレーションによるラジオ・ドラマ版だ。あまりにも真に迫った内容だったため、本当に宇宙人が攻めてきたと勘違いした全米のリスナーがパニックを起こしてしまったのである。

閑話休題。とりあえず『宇宙戦争』の映画化権がパラマウントにあると知ったジョージ・パルは、数々のフィルムノワール作品で知られるバー・リンドンに脚色を依頼し、それを携えてパラマウントの重役に企画を売り込むものの、その場で脚本をゴミ箱に捨てられてしまったという。脚本を読みもせず門前払いしようとする重役に食ってかかったパルだったが、その騒ぎを聞いて仲裁に駆け付けた別の重役が映画化を約束。最終的に200万ドルという莫大な予算を与えられることになるものの、このエピソードだけでも当時のハリウッドの大手スタジオが、SF映画をどれだけ過小評価していたのかよく分かるだろう。

宇宙人の地球侵略に人類はどう対抗するのか…!?

原作の舞台設定はビクトリア朝時代のイギリスだが、ジョージ・パル版では現代の南カリフォルニアへと変更されている。ある日、世界各地で隕石が飛来。カリフォルニアの小さな町にも隕石が墜落し、たまたま近くにいた高名な科学者フォレスター博士(ジーン・バリー)は、ロサンゼルスからやって来た科学研究所パシフィック・テックの職員シルヴィア(アン・ロビンソン)らと共に、隕石の調査をすることとなる。ところがその翌晩、隕石の中から不気味なアーム状の物体「コブラ・ヘッド」が飛び出し、駆けつけた州兵や科学者、マスコミ関係者へ対して攻撃を始めるのだった。

すぐさま近隣の米軍が総動員されるものの、しかしコブラ・ヘッドから放たれるビーム光線の強大な破壊力には敵わない。そればかりか、コブラ・ヘッドの下からUFO状の飛行物体「ウォー・マシーン」が出現。総攻撃を仕掛ける軍隊だったが、透明シールドに守られたウォー・マシーンはビクともせず、遂には最前線の基地が木っ端みじんに破壊されてしまう。辛うじて脱出したフォレスター博士とシルヴィアだったが、飛び乗ったセスナ機が途中で墜落してしまい、急いで逃げ込んだ民家でエイリアンに遭遇する。

シルヴィアに襲いかかったエイリアンを斧で撃退したフォレスター博士。そこで敵の血液サンプルと偵察用カメラを手に入れた2人は、ロサンゼルスのパシフィック・テック本部にそれを持ち込み、エイリアンを迎え撃つ策を練る。しかし、既に世界各地の都市が陥落しており、ロサンゼルスが敵の攻撃に晒されるのも時間の問題。そこで米政府は、最終兵器である原子力爆弾の使用に踏み切るが、期待も空しくまるっきり歯が立たなかった。いよいよロサンゼルスへと迫りくるウォー・マシーン軍団。果たして、このままアメリカ西海岸もエイリアンの手に堕ちてしまうのか…!?

企画段階ではレイ・ハリーハウゼンも関わっていた…?

本作が成功した最大の要因は、火星人による地球への侵略という突拍子もない設定を大真面目に捉え、当時の科学的知識や軍事的戦略をしっかりと織り交ぜることで、それまでのSF映画にありがちな荒唐無稽を極力排した、シリアスな「戦争映画」として仕上げている点にあるだろう。第一次世界大戦と第二次世界大戦のモノクロ記録映像で幕を開けるオープニングなどはまさにその象徴。さらに、まるで本物の天体写真かと見紛うばかりに精密な火星や土星などのマットペイントを駆使し、高度な文明を有しながらも感情を持たない火星人が、どのような事情で故郷の惑星を捨てて地球への侵略計画を進めてきたのか、ドキュメンタリーさながらのリアリズムで丹念に説明をする。これがまた、にわかに信じがたい物語に独特の説得力を持たせるのだ。

ちなみに、このマットペイントを担当したのが、フランスのルシアン・ルドーと並ぶ「現代スペース・アートの父」と呼ばれ、その作品がアメリカの国立航空宇宙博物館にも展示されている有名な画家チェズリー・ボーンステル。彼はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(’40)や『偉大なるアンバーソン家の人々』(‘42)のマットペイントも手掛け、ジョージ・パルとは『月世界征服』と『宇宙征服』(’55)でも組んでいる。

また、特殊効果マン出身のバイロン・ハスキンを監督に起用したのも正解だった。ワーナー・ブラザーズで『真夏の夜の夢』(’35)や『女王エリザベス』(’39)、『シー・ホーク』(’40)などの特殊効果を手掛け、アカデミー賞にも4度ノミネートされた実績のあるハスキンは、当時の原始的な技術を用いた本作の特撮シーンを、いかにリアルかつスペクタクルに見せるかという演出のツボを心得ている。中でも、爆撃によって立ち込める煙の中から「ウォー・マシーン」がゆっくりと姿を現すシーンなどは、ミニチュアを吊り下げる無数のピアノ線を煙で隠すという本来の目的を果たしつつ、人類の英知を結集した武器をもってしても敵わない「ウォー・マシーン」の無敵感と恐怖感を存分に煽って効果的だ。

そのウォー・マシーンをデザインしたのは、セシル・B・デミルも御贔屓だった日系人美術デザイナーのアル・ノザキ。H・G・ウェルズの原作では三脚型のトライポッドとして描かれ、スピルバーグ監督のリメイク版もそれに準じているが、本作では技術的な問題からUFO型の飛行物体へと変更された。原作と違うのはウォー・マシーンだけではない。火星人のキャラクター・デザインも同様だ。ウェルズの描いた火星人はタコに似た姿をしていたが、実物大の着ぐるみとして登場させるため、やはりアル・ノザキが独自に火星人をデザインし、特殊メイク・アーティスト兼スーツ・アクターのチャーリー・ゲモラが着ぐるみを制作した。

なお、先述したレイ・ハリーハウゼンのテスト・フィルムでは、原作通りのタコ型エイリアンがストップモーション・アニメで描かれている。そもそも実は、ジェシー・ラスキーに売り込んだ『宇宙戦争』の企画が頓挫した後、『月世界征服』を見たハリーハウゼンはジョージ・パルのもとへテスト・フィルムを持ち込んでいるのだ。しかし当時、既にパルは『宇宙戦争』の映画化をパラマウントと交渉中だったのだが、そのことをハリーハウゼンには隠して企画資料とテスト・フィルムを受け取ったという。さらに、パルは映画『親指トム』の企画売り込みに例のテスト・フィルムを使いたいとハリーハウゼンに持ち掛け、実現した暁には彼にストップモーション・アニメを担当させることまでほのめかしたそうだ。

しかし、そのまま何カ月も音沙汰がなく、ようやくかかってきた電話でパルは、『宇宙戦争』も『親指トム』も売り込みに失敗したとハリーハウゼンに告げたという。それが’51年のこと。ところがどっこい…である。その2年後にジョージ・パル製作の『宇宙戦争』が公開され、さらに7年後には『親指トム』も映画化された。まあ、映画の企画というのは実現までに紆余曲折あるのが当たり前なので、決してパルがハリーハウゼンを騙して利用したというわけではないのだろうが、それにしても皮肉な話ではある。

かくして、’53年7月29日に公開されたジョージ・パル版『宇宙戦争』は、スタジオの期待を遥かに上回るほどの大ヒットを記録し、アカデミー賞でも特殊効果賞を獲得。これを機にディズニーの『海底二万哩』(’54)やワーナーの『放射能X』(’54)、ユニバーサルの『宇宙水爆戦』(’55)、MGMの『禁断の惑星』(’56)など、各メジャー・スタジオが次々と本格的なSF大作を手掛けるようになり、ブームが一気に加速することとなったわけだ。といっても、もちろん低予算のB級作品の方が数的には遥かに多かったのだけれど。

ちなみに、先述したようにウォルター・ランツと親友だったジョージ・パルは、恩人でもあるランツが生み出したアニメ・キャラ、ウッディー・ウッドペッカーを、いわばラッキー・チャーム(縁起物)として自作に登場させることが多い。この『宇宙戦争』も御多分に漏れず。最初に隕石が墜落する夜の森林シーンで、画面中央に位置する木のてっぺんをよく見ると、ウッディらしき鳥の姿が確認できる。■

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