ギャング映画の古典を現代にアップデート

劇場公開時は相当な物議を醸した作品である。ホラー&サスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマ監督にとって初めてのギャング映画。セックスとドラッグとバイオレンスが満載の過激な内容は、当時まだ高校生だった筆者を含めて若い世代の映画ファンからは熱狂的に受け入れられたものの、その一方で良識(?)ある評論家や大人たちからは眉をひそめられ、「不愉快だ」「冒涜的だ」「見るに堪えない」などと激しく非難された。そういえば、デ・パルマは『殺しのドレス』(’80)の時も同様の理由で叩かれまくったっけ。しかし、蓋を開けてみればどちらの作品も興行的には大成功。特に本作は、デ・パルマのキャリアにおいて『アンタッチャブル』(’86)や『カリートへの道』(’93)へと繋がる重要な通過点となった。今では映画史上最も優れたギャング映画のひとつに数えられている名作だ。

ご存じの通り、本作はハワード・ホークス監督によるギャング映画の古典『暗黒街の顔役』(’32)のリメイクに当たる。ストーリーの基本的な要素はオリジナル版とほぼ一緒。貧しい移民のチンピラが裏社会でのし上がり、一大犯罪帝国を築き上げて我が世の春を謳歌するものの、やがて金と権力がものをいう弱肉強食の世界に自らが呑み込まれて破滅する。恐らく最大の違いは、オリジナル版の主人公が禁酒法時代のシカゴで密造酒ビジネスを手掛けるイタリア系移民であったのに対し、本作の主人公トニー・モンタナはコカイン戦争真っ只中のマイアミを舞台に麻薬ビジネスで財を成すキューバ系移民であるという点であろう。

南米のコロンビアやボリビアから大量に密輸されるコカインが、深刻な社会問題となった’80年代のアメリカ。その入り口が常夏の避暑地マイアミを擁するフロリダ州であった。そして、そんなフロリダ州と海を挟んで目と鼻の先に位置するのがキューバ共和国。社会主義国家であるキューバは、当時まだアメリカと国交を断絶していたのだが、1980年4月20日に国家元首フィデル・カストロがアメリカへの亡命希望者に対してマリエル港からの出国を許可すると発表したことから、同年9月26日にマリエル港が閉鎖されるまでの5カ月間に渡って、実に12万5000人以上ものキューバ人がフロリダ州へと上陸した。その大半はカストロ体制を嫌う一般人や文化人だったが、中にはキューバ政府が厄介払いしたい犯罪者も含まれており、およそ2万5000人に逮捕歴があったとも言われている。本作はこうした当時の社会情勢をストーリーの背景として巧みに反映させており、ありきたりなリメイク映画とは一線を画する秀逸なアップデートが施されているのだ。

 

金もコネも学歴もないチンピラの成り上がり物語

物語の始まりは1980年の5月。マリアナ港から難民ボートでマイアミへ上陸した前科者トニー・モンタナ(アル・パチーノ)は、弟分マニー(スティーブン・バウアー)やアンヘル(ペペ・セルナ)らと共に難民キャンプへ強制収容されるものの、そこで麻薬王フランク・ロペス(ロバート・ロジア)の依頼を受けてカストロ政権の元幹部を殺害。その見返りとしてグリーンカードを取得し、晴れてアメリカ市民となる。

とはいえ、金もコネも学歴もないチンピラのトニーやマニーに出来る仕事と言えば、せいぜい飲食店の皿洗いが関の山。目の前で美女をはべらせ高級車を乗り回すスーツ姿のリッチなヤンキー男を眺めながら、俺だってああいう生活がしたい!こんなところで燻っていられるもんか!アメリカは誰にだってチャンスのある国じゃないか!と息巻くトニーは、持ち前の知恵と度胸とビッグマウスを武器に裏社会での立身出世を目論む。まず手始めにロペスの右腕オマール(F・マーリー・エイブラハム)から大口の麻薬取引代行を請け負ったトニーとマニー。ところが、お膳立てが整っているはずのコカインと現金の交換は、コロンビア人ギャングによる罠だった。

安ホテルでの壮絶な殺し合いの末にコカインを奪ったトニーだったが、しかし仲間のアンヘルが犠牲になってしまう。あのオマールって奴は信用ならない。ボスであるロペスのもとへコカインと現金を届けたトニーは、交渉の結果ロペスから直接仕事を引き受けることとなり、みるみるうちに裏社会で頭角を現していく。そんな彼を上手いこと利用するつもりでいたロペスだったが、しかしボリビアの麻薬王ソーサ(ポール・シェナー)との商談を独断で取りまとめ、自分の情婦エルヴァイラ(ミシェル・ファイファー)に公然と手を出そうとするトニーの大胆不敵な態度が目に余るように。このままでは自分の立場が脅かされる。そう感じたロペスは、殺し屋を差し向けてトニーを亡き者にしようとするも失敗。すぐさまトニーは仲間を集めて組織の事務所を襲撃し、ロペスだけでなく彼と癒着していた麻薬捜査官バーンスタイン(ハリス・ユーリン)をも殺害する。

かくして組織を乗っ取り新たなボスの座に君臨したトニーは、ソーサの強力な後ろ盾を得てビジネスを拡大していく。夢だった大豪邸も手に入れ、高根の花だったエルヴァイラとも結婚。貧しい暮らしをしていた大切な妹ジーナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)にも贅沢をさせられるようになった。しかし、他人を蹴落として頂点に登りつめた者だからこそ、いつどこで誰に足を引っ張られるか分からない。猜疑心を深めるトニーは自らも麻薬に溺れるようになり、やがてエルヴァイラをはじめ周囲の人々との間にも亀裂が生じていく。そんな折、脱税容疑で窮地に立たされた彼は、ソーサから依頼された仕事で致命的な判断ミスを犯してしまう…。

デ・パルマとオリバー・ストーンのコラボレーション

これぞまさしくアメリカン・ドリームの光と影。社会主義国キューバからやって来た貧しい移民が、資本主義社会における競争の原理を実践したところ、束の間の栄光の果てに破滅の道を辿ることになるという皮肉。確かに主人公トニーは犯罪者という分かりやすい悪人だが、しかし果たして彼のやっていることの本質は、アメリカの富を牛耳る一部の資本家や銀行家、政治家などと大して違わないのではないか。脚本を手掛けたオリバー・ストーンは、裏社会の栄枯盛衰という極めてドラマチックなストーリーを通して、物質的な豊かさばかりを追求するアメリカ型資本主義の歪んだ価値観に疑問を呈する。そこには、過度な自由競争を促して格差社会を広げる、当時のレーガン大統領の経済政策レーガノミックスに対する批判も見え隠れするだろう。そういう意味では、この4年後にオリバー・ストーンが監督する『ウォール街』(’87)とテーマ的に相通ずるものがあるようにも思える。

とはいえ、あくまでも本作が前面に押し出すのは、人間の浅ましい欲望と欲望がぶつかり合うセックス&バイオレンスの世界。堕落した資本主義の成れの果てのような虚飾の裏社会で、札束とドラッグに溺れる人々が更なる富を求め、醜い殺し合いを繰り広げていく。その露骨で赤裸々なこと!おかげで、最初に監督として白羽の矢が立っていたシドニー・ルメットは降板してしまう。実はイタリア系移民というオリジナル版の設定をキューバ系移民に変更したのもルメットのアイディア。しかし、どうやら彼は政治的なメッセージ性の高い社会派映画を目指していたらしい。ところが、仕上がって来た脚本は『仁義なき戦い』も真っ青のストレートなバイオレス映画。どう考えたってルメットの柄ではない。

そこで代役に指名されたのがブライアン・デ・パルマ。『悪魔のシスター』(’72)にしろ、『ファントム・オブ・パラダイス』(’74)にしろ、はたまた『キャリー』(’76)にしろ、それまで手掛けてきた作品のジャンルこそ違えども、観客にショックを与えて物議を醸すような映画は彼の十八番だ。本作の監督としては適任。しかも、前作『ミッドナイト・クロス』(’81)が不発に終わったデ・パルマは、ちょうど映像作家としての新たな方向性を模索していた。なるほど、彼にとって本作は文字通り「渡りに船」だったわけだ。

血で血を洗うような凄まじいバイオレンスの応酬、成金趣味丸出しのけばけばしい美術セットや衣装、’80年代を代表するヒットメーカーのジョルジオ・モロダーによる煌びやかなダンス・ミュージックを散りばめながら、ハイテンションで突っ走っていくデ・パルマの演出。放送禁止用語のFワードだって226回も登場する。こうした下世話なまでのトゥー・マッチ感こそが本作の醍醐味であり、オリバー・ストーンの脚本が描き出そうとしたレーガノミックス時代のアメリカの醜悪さそのものだと言えよう。

ただ、改めて今見直してみると、当時さんざん非難された暴力シーンも実はそこまで残酷じゃない。例えば、安ホテルのバスルームを舞台にした有名なチェーンソー惨殺シーンだって、実際はほとんど何も見せていないに等しい。スクリーンに映し出されるのは、犠牲者の苦悶の表情と大量に飛び散る血糊、そこから目を背けようと必死にもがくアル・パチーノの姿だけ。それらの間接的要素を矢継ぎ早に畳みかけることで、観客は正視に耐えないような光景を直接目撃したように錯覚するのだ。これこそが演出の力、映画のマジック。近ごろの『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ハンニバル』のようなテレビ・シリーズの方が遥かに残酷だ。

そして、まるでイタリアン・オペラさながらのグランド・フィナーレ。屋敷へなだれ込んできた無数の殺し屋部隊を相手に、トニーが機関銃をぶっ放しまくる壮大な銃撃戦の圧巻なこと!オリジナル版の呆気ないクライマックスとは大違いだ。ちなみに、このシーンの撮影ではアル・パチーノが火薬を使って熱くなった小道具の銃に誤って触れてしまい、そのせいで左手に火傷を負ったことから、2週間の休養を余儀なくされたという。しかし、かといって撮影を中断するわけにもいかないため、その間にトニーと銃撃戦を演じる殺し屋たちをまとめ撮りしたそうなのだが、実はその際にスティーブン・スピルバーグが撮影に参加している。

スピルバーグとデ・パルマはお互いに無名時代からの仲間。かつて最初のハリウッド進出に失敗したデ・パルマは、大学時代の先輩である女優ジェニファー・ソルトとその親友マーゴット・キダーが同居するビーチハウスに半年ほど居候していたのだが、そこはマーティン・スコセッシやハーヴェイ・カイテルなどの若手映画人が将来の夢を語り合う溜まり場と化しており、その常連組の中にスピルバーグもいたのである。当初は見学だけのつもりで『スカーフェイス』のセットを訪れたスピルバーグだが、4台配置されたカメラのうち1台を彼が回すことになったという。ただ、具体的にどのカットがスピルバーグの撮ったものかはデ・パルマもハッキリと覚えていないそうだ。

ジョルジオ・モロダーの音楽とヒップホップ・カルチャーへの影響

もともとリメイクの企画を思いついたのはアル・パチーノ。かねてから『暗黒街の顔役』の評判を聞いていた彼は、たまたま通りがかったL.A.の名画座劇場で同作を初めて鑑賞したところ、主役を演じるポール・ムニの芝居にすっかり感化されてしまった。自分もトニー役をやってみたいと考えたパチーノは、『セルピコ』(’73)や『狼たちの午後』(’75)などで組んだプロデューサー、マーティン・ブレグマンに相談を持ちかけ、そこから本作の企画が始動したのだという。それだけに、トニー役を演じるパチーノの気迫は並大抵のものじゃない。賞レースではゴールデン・グローブ賞の主演男優賞候補のみに止まったが、むしろなぜオスカーから無視されたのか不思議なくらいだ。

そのトニーの相棒マニー役に起用されたのが、当時はまだ全くの無名だったスティーブン・バウアー。制作サイドの思い描いていたマニー像と驚くほど一致したため、実質的にオーディションなしの一発合格だったという。しかも、彼は3歳の時にマイアミへ移住したキューバ移民2世。これ以上望むことのない理想のキャスティングだったと言えよう。本作で一躍注目されたバウアーだが、しかしあまりにもマニー役のイメージが強すぎたせいで、その後のキャリアが伸び悩んだのは残念だった。それでもなお、現在に至るまで息の長い役者生活を続けているのだから立派なもの。テレビ『ブレイキング・バッド』で演じたメキシコ麻薬王役などは、この『スカーフェイス』あってこその仕事だったはずだ。

一方、裏社会の男たちに翻弄されるトロフィー・ワイフ、エルヴァイラ役のミシェル・ファイファーも好演。金と女と権力への欲望をたぎらせた男だらけのホモソーシャルな世界で、ただの性的なオブジェクトとしての役割しか与えられず、何か物申そうものなら「女のくせに」と頭ごなしでバカにされる。そんな屈辱的な日常を黙って受け入れているように見えつつ、次第に我慢しきれなくなり壊れていくエルヴァイラは、一見したところ地味に思えて実はかなり難しい役柄だ。当初、デ・パルマやパチーノが推したのはグレン・クローズだったそうだが、プロデューサーのブレグマンが最後まで粘ってファイファーをキャスティングしたという。これはどう考えたってブレグマンが大正解。動くバービー人形のようなミシェル・ファイファーでなければ全く説得力がない。

そのほか、ジーナ役のメアリー・エリザベス・マストラントニオにロペス役のロバート・ロジア、オマール役のF・マレー・エイブラハムにソーサ役のポール・シェナーと、脇を固める役者たちのどれもがはまり役。トニーの母親を演じるミリアム・コロンは、プエルトリコ系の有名な舞台女優で、『片目のジャック』(’61)と『シエラマドレの決斗』(’66)ではマーロン・ブランドと共演している。若い頃はえらく綺麗な女優さんだった。

なお、『フラッシュダンス』(’83)や『フットルース』(’84)の大ヒットにとって、オムニバス形式のサントラ盤ブームが巻き起こった当時だけあって、本作のサウンドトラックにも複数のアーティストが参加しているのだが、基本的に全ての楽曲でジョルジオ・モロダーが作曲・プロデュースを手掛けている。中でも要注目なのは、『アメリカン・ジゴロ』(’80)の主題歌でモロダーと組んだブロンディのリード・ボーカリスト、デビー・ハリーが歌う「ラッシュ・ラッシュ」。トニーが初めてディスコ「バビロン・クラブ」に足を踏み入れるシーンで使用されている。また、難民キャンプのシーンで流れるトロピカルなラテン・ナンバーを歌っているのは、『ダブルボーダー』(’87)や『バトルランナー』(’87)、『プレデター2』(’90)のヒロイン役で有名な女優マリア・コンチータ・アロンソ。実は彼女、もともと母国ベネズエラで歌手としてデビューしており、アメリカへ拠点を移してからも数々のラテン・ヒットを放っている人気ボーカリストだった。

そういえば音楽絡みの話題で忘れてならないのは、本作がその後のヒップホップ・カルチャーに少なからず影響を及ぼしていることだろう。アントン・フークアやイーライ・ロスといった映画人たちと並んで、ナスやリル・ウェインなど本作をこよなく愛し、自作でオマージュを捧げるラッパーが実は結構多いのだ。恐らく、社会の最底辺から裸一貫で成り上がっていくトニー・モンタナのストーリーに、我が身を重ねて共感するものがあるのだろう。■

『スカーフェイス』(C) 1983 Universal Studios. All Rights Reserved.