左手が持つ、ポラロイド写真。そこには後頭部を撃たれて、倒れている者の姿が映っている。写真がせわしなく振られると、なぜか写っている者の姿が消えていく。
 真っ白になった写真をポラロイドカメラの前面に差すと、本体へと吸い込まれながら、ストロボが光り、シャッターが切られる。カメラを持つのは、返り血を頬に浴びたらしい、細身で金髪の男(演;ガイ・ピアース)。
 床には血が流れ、眼鏡が落ちている。そして写真の構図通りに、後頭部を撃たれて倒れている者が映る。
 金髪の男の手元に、足元から吸い寄せられるように拳銃が収まり、転がっていた薬莢は拳銃本体へ。と同時に、倒れていた者の顔に眼鏡が戻り、銃声が鳴り響くと、弾が発射される前の瞬間に時間は逆行。眼鏡の男(演;ジョー・パントリアーノ)は振り返りながら、絶叫する…。
 これが『メメント』の、2分ほどのファーストシーンである。これから本作が何を描こうとしているのかを、端的に表しているオープニングと言える。
 金髪の男が、眼鏡の男の後頭部を撃って、殺害した。それは一体、なぜなのか?これから時間を逆行させながら、解き明かしていきます!クリストファー・ノーラン監督が、そのように宣言を行っているのである。

 このオープニングに続いては、暫しモノクロのシーンとカラーのシーンが、交互に登場する。このモノクロのシーンの時制ははっきりとしないが、金髪の男=主人公のモノローグによって、彼のプロフィールが説明される。
 彼の名は、レナード。元は保険調査員だったが、妻を目の前で強盗に殺された過去を持つ。その際に頭を強打され、“前向性健忘”=「新しい記憶が10分しかもたない」という、脳障害を持つ身となってしまった。そしてそれ以来、妻を殺した犯人への復讐を目的に生きている男であることが、わかる。
 一方でカラーのシーンは、現在から過去へと遡っていくタイムラインとなっている。このカラーのパートが、レナードが「新しい記憶が10分しかもたない」ということを表現するのに、実に効果的な役割を果している。
 カラーの各シーンは、大体3~5分程度の長さ。つまりそのシーンでの行動に関して、レナードはなぜそのように振舞うに至ったか、常に記憶が維持できずに、忘れてしまっている。
 例えばこんなシーン。いきなり、レナードが走っている。でも何で全力疾走しているのか、自分でわからなくなっている。気付くと、離れて並走している男がいる。
「この男を追っているのか?俺が追われているのか?」
 そう思いながら、その男へと接近する。すると男はいきなり拳銃を取り出し、レナードに向けて発砲する。
「俺の方が、追われていたんだ」
 このシーンの場合、なぜその男に追われていたかということが、モノクロを挟んで、次のカラー、即ち時間的に逆行したシーンに進んで(=戻って)から、説明される。それまでは主人公が、どんな理由で誰に追われていたのか、観客にもわからない仕組みになっているのである。
 映画の冒頭で、レナードはなぜ眼鏡の男=テディを殺害したのか?彼こそがレナードの妻殺しの犯人だったのか?この謎は、過去へと逆行する中で、徐々に明らかになっていく。そして最後に観客の前に、すべての真相が提示される。
 そこには、それまで時制がはっきりしなかったモノクロのシーンも大きく絡んでくる。この辺り、正にアッと驚く仕掛けになっている。本作をこれから初見の方は、是非カラーとモノクロの使い分けにも、大いに注目いただきたい。

 さて、本作『メメント』は2000年9月、まずは全米11館というミニマムな規模で公開となった。その際に、ここまでに記したような革新的な構成や内容が大評判となり、やがて500館以上にまでスクリーン数が拡大。公開10週目にして、全米チャート8位にまで食い込んだ。
 また新人監督の登龍門「サンダンス映画祭」で最優秀脚本賞に輝いたのに続いて、アカデミー賞に於いて、脚本賞、編集賞の2部門でノミネート。製作費900万㌦の低予算作品として、興行的にも、作品の評価的にも、大成功と言えた。
 1970年イギリス・ロンドン生まれでこの時30才だったクリストファー・ノーラン。『メメント』で、一躍ハリウッド注目の新鋭監督となった。
 スコットランド人の父親と、アメリカ人の母親を持つノーランは、父の影響で、7歳の時から8mmカメラで映像を取り始めた。そしてロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに進むと、イギリス小説を学ぶ傍ら、短編映画の製作をスタートした。
 長編第1作の『フォロウィング』(98)は、完全なる“インディーズ作品”。毎週土曜日に友人たちと集まっては、少しずつ撮影を行った。
 製作費6,000ドル。フィルム・ノワールに影響を受けたモノクロ作品で、時系列をシャッフルした描写が用いられる『フォロウィング』は、完成後に「サンフランシスコ映画祭」で上映したところ、配給権が買われて、劇場公開が決まる。これは至極幸運なデビューであった。その後に手掛けたのが、本作『メメント』である。

 主人公レナードの“前向性健忘”という設定を生み出したのは、ノーランの弟、ジョナサン・ノーランである。彼はジョージタウン大学で受けた心理学の講義で、この症例を学んだ。そして1996年夏、兄弟でシカゴからロスへと向かうロングドライブ中に、この話をヒントに、「新たに記憶することができなくなった男が、妻の復讐を狙っている」という内容の短編小説を書くアイディアを、兄に話した。
 この筋書きが気に入ったノーランは、弟に小説を書き上げるように励ますと同時に、この特殊な世界をどう映像化するか、考え始めた。結果的に行き着いたのが、「レナードの頭の中に観客を引き込むこと。そのために観客には今、目の前にある情報しかしか提示しないこと。そして、過去には真実があったかもしれないと思わせること。そのため、時系列を現在から過去へと遡ること」だった。
 本作では、自らの記憶をとどめるために、レナードが自らの身体に次々とタトゥーを入れていく。この強烈なアイディアも、ジョナサンが考え出したものだった。
 結局ジョナサンの短編小説は、映画の公開よりは遅れて、2001年3月にアメリカの雑誌「エスクァイア」に、発表された。兄の映画のタイトルが『Memento』、「忘れるな」「思い出せ」という意味を表すラテン語であるのに対し、弟の小説は、『Memento Mori』、ラテン語の慣用句で、「(自分がいつか必ず)死ぬことを忘れるな」というタイトルになった。
 ノーランの脚本に惚れ込んで、映画化を決めたのは、『オースティン・パワーズ』シリーズ(97~02)などのプロデューサーを務めた、スザンヌとジェニファーのトッド姉妹。友人や家族の協力を得て6,000ドルで製作した『フォロウイング』の直後に、『メメント』では、低予算とはいえ、数百万ドルもの製作費を使い、何百人ものクルーを動員するという、ノーランにとって、大きなステップアップとなった。彼はその時のことを、「自分の身長より深いところで泳ぐことを学ぶ」のに似ていたと語っている。
 余談になるが、ファーストシーンで主人公レナードに射殺された後、ほぼ全編を通じて登場する、テディ役のジョー・パントリアーノと、レナードの調査に関わる謎の女ナタリー役のキャリー=アン・モスの2人は、本作の前年に大ヒットした、『マトリックス』(99)の主要キャスト。虚実の入り混じった電脳社会を舞台にした『マトリックス』の役柄のイメージを、そのまま援用するための意図的キャスティングだったと、後にノーランは語っている。

 さて先に記したように、『メメント』は興行・評価両面で大成功!この後ノーランは、彼の才能を高く買ったスティーヴン・ソダーバーグらの協力で、アル・パチーノ主演、製作費4,600万㌦の『インソムニア』(02)を手掛け、その後には「ダークナイト・トリロジー」の第1作で製作費1億5,000万㌦の『バットマン・ビギンズ』(05)を監督した。製作費的には倍々ゲーム以上の勢いで、ブロックバスター監督への道を猛進していったのである。
 その後の活躍はご存知の通りであるが、今に至るそのフィルモグラフィーのほとんどで、ノーランは「時間をどう操るか」にこだわり続けている。『インセプション』(10)『インターステラー』(14)『ダンケルク』(17)…。最新作『TENET テネット』(20)の“時間逆行”シーンを観て、『メメント』のファーストシーンを想起した方も少なくないだろう。
 こうした趣向は、ノーランがこよなく愛する“探偵小説”“ハードボイルド小説”の影響が大きいと、指摘する向きがある。フラッシュバックや時間の移行に関して様々な仕掛けを使う、こうしたジャンルへのこだわり故に、ノーランは、“時系列”を自由に入れ替える「ノンリニア」な作風へと導かれたというわけだ。
 出発点はそこにあるのだろうが、今のノーランは、「時間をどう操るか」にこだわるというよりは、もはや「囚われている」かのようにも映る。それが映画的な躍動に繋がっていかないという、批判の声も出てきてはいる。ノーマークの新人監督から、『メメント』の成功で一気にハリウッドの寵児へと駆け上がっていった歩みが起因する、固執なのかも知れない。
 彼がかねてから監督することを熱望する、『007』シリーズを今後手掛ける夢がかなったとしても、やはりそこは変わらないのだろうか?■

『メメント』© 2000 I REMEMBER PRODUCTIONS,LLC