1985年春、二浪してようやく大学に入学した私は、映画研究会に入った。映画に関してうるさ型の学生が集まるその部室で、当時1本の映画が大きな話題になっていた。
「アナちゃんは撮影の時に、自分が本当にフランケンシュタインに会っていると思ったのよ」
 その作品では、劇中で“フランケンシュタイン”の映画を観た主人公の少女が、怪物が実際に存在すると思い込んでしまう。そしてその撮影の場に於いても、主人公を演じた、アナという名のその子役は、特殊メイクで作られたフランケンシュタインと会って、映画内と同様に、本物だと信じてしまったのだ…。 
 そんなことを、年齢は私と同じながら、大学の年次は2年上の女性が、目を輝かせながら喋っていた。
 その作品は、『ミツバチのささやき』。ヒロインのアナ・トレントの名と共に、学生の映画サークル内に限らず、当時の映画ファンの口の端に、頻繁に上ったタイトルである。
 日本公開よりは12年前=73年に製作されたスペイン映画『ミツバチの…』ブームの仕掛人は、“シネ・ヴィヴァン六本木”。それまではなかなか観られなかった、世界のアート系映画を次々と公開し、83年のオープンから99年の閉館まで16年間、“ミニシアター文化”隆盛の一翼を担った映画館である。80年代文化をリードした、堤清二氏率いるセゾングループ内でも、異彩を放つ存在だった。
 85年2月に公開された『ミツバチの…』は、キャパ185席のシネ・ヴィヴァンで12週間上映。観客動員4万8,000人、興行成績は6,400万円という、堂々たる興行成績を打ち立てた。
 この作品の“ツカミ”は、先に挙げた先輩の言のようなことだが、ここで改めてどんな内容であるのか、そのストーリーを紹介する。

 時は1940年のある日、スペイン中部の小さな村に、移動巡回映写のトラックがやって来る。公民館で上映されるのは、ハリウッド映画の『フランケンシュタイン』。
 画面を食い入るように見つめていた幼いアナ(演:アナ・トレント)は、スクリーンの中で少女メアリーが殺され、怪物フランケンシュタインも殺されたのを見て、隣に座る姉のイザベル(演:イザベル・テリェリア)に尋ねる。
「なぜ殺したの?なぜ殺されたの?」
 イザベルは妹に、「後で教える」と応えた。
 姉妹の父フェルナンド(演:フェルナンド・フェルナン・ゴメス)は、養蜂場でいつものように、ミツバチの巣箱を点検している。一方、母のテレサ(演:テレサ・ギンペラ)は、部屋に籠って手紙をしたためている。その相手は、親戚なのか、前年まで続いたスペイン内戦の同志なのか、それともかつての恋人なのか。母は書いた手紙を、駅の列車便へと投函に行く。
 夜、眠りに就こうとする姉に、アナは映画を観ながらした質問を、繰り返す。イザベルは、今度は答えた。
「あれ(フランケンシュタイン)は、怪物ではなく、精霊よ。ほんとうはこの村のはずれの一軒家に隠れている。私はアナよ、と呼べばでてくる」
 その話を、アナは信じた。そして、姉に教えられた村のはずれの一軒家に、ひとり赴くようになる。
 そんなある日、脱走兵らしき男が、その一軒家へと逃げ込み、いつものように訪れたアナと、鉢合わせになる。怪物とやっと出会えたかのように、お弁当のリンゴを、兵士に差し出すアナ。その後寒さしのぎにと、家から父のコートを持ち出して、男にプレゼントした。
 しかし、アナのそんな心遣いが、やがて、思わぬ波紋を引き起こすこととなる…。

 姉イザベルにからかわれて、アナは物語の中の“怪物”を、本物だと信じてしまう。そしてそれがきっかけとなって、外の世界に目を向けていくことになる。本作はそんな、成長の物語。役名と同じ名の子役アナ・トレントは、1966年生まれで、撮影時はまだ5、6歳だった。
 ここで本作を監督した、ビクトル・エリセの言葉を引く。
「実際のイザベルはアナより半年年上で、すでに映画は虚構と知っていた。アナはまだ現実との区別がつかず、映画で起きることを本当と信じてしまう。これはアナ・トレント自身の成長のドキュメンタリー映画といえるかもしれません」
「アナと、メーキャップしたフランケンシュタインが撮影前に実際に出会った瞬間は、映画以上に素晴らしかった。現実はフィクションより優れています。アナにとって、彼はフランケンシュタインそのものでした」
 現実と虚構の区別がつかない、幼いアナ・トレントが、撮影時に混乱しないように、家族4人の役名を、演じる俳優の名前と同じにしたことにはじまり、エリセ監督は、アナの無垢な魅力をいかに引き出すかに、腐心した。見事に美しく設計された画面などと合わせ、これが当時30代前半だった、エリセ監督の長編デビュー作であることには、ただただ驚かされる。
 そうした要素だけでも、本作は十分に、鑑賞に価する。しかしそれだけでは、父フェルナンドと母テレサ、イザベルとアナの姉妹という4人家族が、本作の中で決して一つの画面に揃って写ることがない演出や、大人たちが、常に陰鬱さを湛えている風情であることの説明はつくまい。
 この作品の本当の深みを知るために必要なのが、スペインの近現代史という、サブテキスト。本作の舞台が1940年で、製作されたのが73年ということには、至極意味があるのだ。

 スペインでは1936年、血みどろの内戦が勃発した。当時の政府は、人民戦線が率いる、左派政権。それに対して、右派の反乱軍がクーデターを起こし、戦闘に突入したのである。この内戦は“スペイン市民戦争”という名称でも、広く知られる。
 両陣営には、外国勢力からの支援や直接参戦などがあった。また、欧米の市民や知識人が、人民戦線政府を応援するために、義勇軍として参戦する動きも広がった。
 ノーベル賞作家のアーネスト・ヘミングウェイが、40年に発表した小説「誰がために鐘は鳴る」。ゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマン主演で43年に映画化されたことでも知られるこの小説は、義勇軍に参加した、ヘミングウェイの体験を基に描かれたものである。
 内戦は3年近くに及んだが、39年には、反乱軍の勝利に終わる。そのリーダーは、フランシス・フランコ将軍。ヒトラーのナチス・ドイツとも連携した、悪名高きフランコの独裁政治が始まった。
『ミツバチの…』の舞台である1940年は、内戦が終わって、日が浅い頃。国土も人心も負った傷が大きく、荒廃した風景がそこかしこに広がっていた。
 そんな中で母のテレサは、綴った手紙の文面から、敗れた共和派に近かったことが、窺える。父のフェルナンドに関しては、共和派として知られた、実在の哲学者ウナムーノと2ショットの写真が登場する。このことから、彼も妻のテレサと共に、共和派として挫折したという見方が出来る。
 しかしウナムーノは、内戦勃発後はむしろ反乱軍側に足場を置いていたと、指摘される人物。そこでフェルナンドも、内戦中は反乱軍側に与していたのではと、解釈することも可能だ。この場合一つの家庭内で、夫婦のスタンスが対立していたことになる。
 いずれにしろ大人たちは、内戦で深く傷つき、そこから抜け出せなくなっている。1940年という時代設定には、こうした意味合いがあるのだ。

 そして本作の製作年である、1973年。この頃のスペインでは、内戦終結後30年を超えて、フランコの独裁は、まだ続いていた。表現の自由は厳しく規制され、政府に批判的なクリエイターは、弾圧を受ける運命にあった。
 スペインが生み、国際的な評価を得た映画作家と言えば、必ず名が挙がるであろう、ルイス・ブニュエル。彼が独裁政権下の40年代中盤以降、メキシコやフランスなど国外に渡り、そこで数多くの映画を作ったのには、そんな背景がある。
 そんな中で本作は、反政府的・反権力的な傾向は明らかと見られながらも、検閲側からそうした烙印が押されないように、直接的な描写は避けている。上映禁止にはならないよう、巧妙に作られているのだ。
 本作のヒロインであるアナの両親は、フランコの独裁によって抑圧された社会の中で、抜け殻のように生きている。そんな両親の庇護から、彼女は逃走を図り、ラストでは「私はアナよ」と囁く。
 彼女は、希望の存在なのである。そしてその囁きは、“自立”の宣言と捉えられる。エリセをはじめとした、当時の若きスペインのクリエイター達の、想いや願いが籠められているのであろう。

 本作が国内外で高い評価を受けたエリセは、その後“巨匠”の1人として扱われるようになった。しかし彼は、映画監督としては今日までに、手掛けた長編作品は本作を含めて、3本に止まる。
 フランコが75年に亡くなり、スペインが民主化した後に撮られたのが、エリセ2本目の長編『エル・スール』(83)。この作品は2時間半以上の長尺となる筈が、諸般の事情により、後半を撮影せぬままに、95分の作品として完成せざるを得なくなった。そして3本目の『マルメロの陽光』(92)は、実在の画家の創作の様を追った、ドキュメンタリー調の作品となっている。
 こうして考えると、長編の劇映画として真っ当に完成したエリセ作品は、処女作の『ミツバチのささやき』だけとも考えられる。そこから『マルメロの陽光』までの、「10年に1本」という、監督作の製作ペースは、本人の意図するところではなかったというが、その寡作ぶりを惜しむ声が、常に付いて回る“巨匠”となった。
 現在のところ最後の長編作品『マルメロの…』から、すでに30年近く。オムニバスに参加しての短編作品の監督も、2012年の『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』以来、途絶えている。
 かつてエリセには、ビデオレターによる往復書簡を交わして発表した、同じ1940年生まれの盟友が居た。イランの巨匠アッバス・キアロスタミであるが、そんな彼も5年前には、鬼籍に入ってしまっている。
 齢80を越えた寡作の“巨匠”エリセの、4本目の“長編”を観る日は、果して来るのであろうか?■

『ミツバチのささやき』© 2005 Video Mercury Films S.A.