ヌーヴェル・ヴァーグ世代に否定された心理的リアリズム映画の職人

フランス映画における「良質の伝統」を最も体現する職人監督として、カンヌ国際映画祭のグランプリに輝いた『田園交響楽』(’46)や『愛情の瞬間』(’52)、『クレーヴの奥方』(’61)など数々の映画を大ヒットさせ、しかしそれゆえにヌーヴェル・ヴァーグ世代の若手から罵倒にも等しい批判を受けた名匠ジャン・ドラノワが手掛けた、フィルムノワール風の犯罪アクション映画である。

映画批評家ジャン=ピエール・バローが’53年に論文で言及した「良質の伝統」とは、それすなわち「職人的な映画人の手による完璧な映画」のことで、具体的には’30年代のフランス映画黄金期を彩った『外人部隊』(’34)や『望郷』(’37)、『大いなる幻影』(’37)、『霧の波止場』(’38)といった詩的リアリズム映画の数々、そしてそれらの流れを汲む自然主義的な映画群のことを指すとされている。主に社会の底辺で暮らす労働者階級の人々の、運命に抗いながらも欲望や情熱ゆえに不幸な結果を招く姿を描いた詩的リアリズム映画は、本質的には通俗的なメロドラマであったものの、しかしジャック・プレヴェールやシャルル・スパークといった名シナリオ作家たちによる人間心理に迫った脚本や、スタジオセットを駆使することで生まれる洗練された映像美によって、フランス映画独特の芸術性をまとっていた。

この詩的リアリズム映画に象徴されるフランス映画の「良質の伝統」は、第二次世界大戦後に心理的リアリズム映画として復活し、先述したドラノワ監督の『田園交響楽』を筆頭として、クロード・オータン・ララの『肉体の悪魔』(’47)やルネ・クレマンの『禁じられた遊び』(’52)、マルセル・カルネの『嘆きのテレーズ』(’53)といった名作を生み出すわけだが、その一方で戦前の詩的リアリズム映画の焼き直しに過ぎないとの批判も受けるようになる。その急先鋒となったのが映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」に集った若手批評家たちだった。

映画監督が作品を通して自らの哲学や美学を表現する作家主義を理想とし、アルフレッド・ヒッチコックやハワード・ホークスといった作家性の高い映画監督を称賛した彼らにとって、シナリオ作家が主導権を握って映画監督が現場を仕切る職人に徹した一連の心理的リアリズム映画群は否定すべき存在であり、そうした作品が大衆に受け入れられるという当時の状況は恐らく由々しき事態だったのだろう。中でも、フランソワ・トリュフォーが’54年に発表した論文「フランス映画のある種の傾向」は、いくぶん抽象的な表現を含みながらも旧態依然としたフランス映画界の現状を激しく批判して大きな反響を呼ぶことになる。

当時まだ22歳だったトリュフォーは、フランス映画を代表する著名なシナリオ作家たちを名指しで攻撃し、彼らを「良質の伝統」に育まれた「心理的リアリズム」の元凶だとして強く非難。シナリオ作家の書いた脚本が作品の良し悪しを左右し、肝心の映画監督の存在が形骸化していることを嘆く。彼の言わんとすることは、シナリオ作家主体のフランス映画は単なる文学の延長線上に過ぎず、映画でしか成し得ない表現を放棄しているということなのだが、同時に一見したところ難解そうな主題や言葉を用いることで通俗的なメロドラマを高尚な芸術作品のように装った心理的リアリズム映画の「偽善性」をも見抜いていた。そうした「良質」な作品の監督として、いわばやり玉に挙がったのが、クロード・オータン・ララであり、ルネ・クレマンであり、イヴ・アレグレであり、ジャン・ドラノワだったのである。

しかも、この時期ドラノワはトリュフォーばかりでなく、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットからも非難の対象となっている。その理由は、もちろんドラノワが「良質の伝統」を継承する旧世代の象徴だったからということもあるが、恐らく『田舎司祭の日記』(’51)の映画化権を巡ってロベール・ブレッソンと争った経緯も少なからず影響していると思われる。孤高の映像作家と呼ばれたブレッソンは、ジャン=ピエール・メルヴィルと並んでカイエ・デュ・シネマ派=ヌーヴェル・ヴァーグ作家たちのヒーロー的な存在だ。心証が悪くなるのも当然と言えば当然かもしれない。しかも、ドラノワは『クレーヴの奥方』を巡っても再びブレッソンと争っている。ゴダールたちにとってみれば「ドラノワ許すまじ!」という心境だったのだろう。

そんな半ば私怨のこもったようなカイエ・デュ・シネマ派による批判は、恐らくドラノワ本人にしてみれば「とんだとばっちり」みたいなものだったはずだ。トリュフォーは「ジャン・ルノワールの駄作はジャン・ドラノワの傑作よりも良く出来ている」とすら述べているが、さすがにそれはちょっと言い過ぎだろうと思うし、そもそも「フランス映画のある種の傾向」を改めて読み返すと、今となっては感情的な極論が過ぎて賛同できない点も少なくない。いずれにせよ、この時期を境にドラノワ監督は「良質の伝統」を離れ、『マリー・アントワネット』(’56)や『ノートルダムのせむし男』(’56)のような史劇大作・文芸大作から、ジャン・ギャバン主演のメグレ警部シリーズ『殺人鬼に罠をかけろ』(’58)や『サン・フィアクル殺人事件』(’59)のような犯罪サスペンスまで、多岐に渡るジャンルの娯楽映画を手掛けるようになる。これはカイエ・デュ・シネマ派による批判の影響というよりも、時代の流れだったのだろう。ジャン・ギャバンが老練な銀行強盗にふんした『太陽のならず者』(’67)も、当時大ヒットしていた『地下室のメロディー』(’63)や『サムライ』(’67)など、一連のフィルムノワール人気に便乗した企画だったはずだ。

ソビエトではパロディ・アニメ化されるほど人気に

舞台はフランスの地方都市。地元のカフェやレストランなどを所有する初老の紳士ドニ・ラファン(ジャン・ギャバン)は、長年連れ添った妻マリー・ジャンヌ(シュザンヌ・フロン)と悠々自適な老後を送る実業家のように見えるが、しかし実はかつて裏社会で勇名を馳せた筋金入りの犯罪者だ。そんな彼が英国人女性ベティ(マーガレット・リー)に経理を任せているカフェの向かいには銀行があり、毎月末の給料日になると近くの米軍が5億フランもの現金を運んでいく。若かりし頃の血が騒ぐドニは、現金輸送車の到着時間などをこまめにチェックしていたが、しかし犯罪の世界には二度と戻らないという妻との約束を守るため、それ以上のことは何もせず退屈な毎日をやり過ごしていた。

そんなある日、店に因縁を付けに来た麻薬組織のチンピラ集団と対峙したドニは、15年前にベトナムのサイゴンで一緒に仕事をしたアメリカ人ジム(ロバート・スタック)と再会する。今は麻薬組織の用心棒をしているジムを自宅へ招き、昔話に花を咲かせるうち犯罪の誘惑に抗えなくなったドニは、ジムを誘って銀行強盗計画を実行に移そうと考える。信頼できる仲間を秘かに集め、慎重かつ入念に計画を練る2人。その一方、男盛りでハンサムなジムはベティとねんごろになるのだが、抜け目がなくて鼻の利くベティが強盗計画に気付いてしまったため、ドニとジムは仕方なく彼女も仲間に加える。そして、いよいよ決行の日。銀行強盗は首尾よく運び、一味はまんまと5億フランを手に入れるのだが、しかしひょんなことから麻薬組織のボス、アンリ(ジャン・トパール)がドニの仕業と気付き、妻マリー・ジャンヌが誘拐されてしまう。身代金として5億フランを要求する組織。仕方なく要求に応じようとするドニだったが…?

ジャン・ギャバン演じる初老の元犯罪者が、年下の若い相棒と一緒に人生最後の大博打として銀行強盗を企てる。明らかにアンリ・ヴェルヌイユの『地下室のメロディー』を意識したプロットだ。テレビ『アンタッチャブル』(‘59~’63)のエリオット・ネス役でお馴染みのハリウッド俳優ロバート・スタックは、さすがにアラン・ドロンと比べてしまうと精彩を欠くことは否めないものの、当時B級映画の女王としてヨーロッパ各国の娯楽映画に引っ張りだこだったセクシー女優マーガレット・リーが華を添える。なにより、ドラノワ監督の軽妙洒脱な演出は当時59歳と思えないような若々しさで、あの『田園交響楽』を撮った同一人物の映画とはにわかに信じがたい。フランシス・レイのお洒落な音楽スコアの使い方も気が利いている。確かにドラノワ監督の代表作とまでは言えないものの、しかし娯楽映画として実に良心的な仕上がりだ。さすがは天下の職人監督。やはり器用な人だったのだろう。

ちなみに、フレンチ・ノワール映画の人気が高かったソビエト時代のロシアでは、なんと本作のパロディ・アニメが作られている。それが、世界各国の犯罪事情を名作映画へのオマージュを込めて描いたオムニバス・アニメ『Ограбление по...(…式強盗)』(’78)。第2話のフランス篇が本作を下敷きにしている。刑務所から出てきた老ギャング、ジャン・ギャバンが、カフェで知り合った若いカップル、アラン・ドロンとブリジット・バルドーの2人と組んで銀行強盗を行うも、酔っぱらいの中年男ルイ・ド・フュネスに現金を持ち去られてしまう…というストーリー。当時のソビエトでは、アメリカ映画に比べてフランス映画やイタリア映画はわりと積極的に輸入されていたのだが、本作も『Вы не всё сказали, Ферран(隠し事をしていたな、ラファン)』というタイトルで劇場公開されヒットしている。

なお、日本公開された作品はこれが最後となってしまったドラノワ監督だが、本国フランスではテレビ映画を中心に’90年代半ばまで現役を続け、2008年に満100歳で天寿を全うしている。■

『太陽のならず者』© 1967 STUDIOCANAL - Fida Cinematografica