1977年の夏休み、中1の私が公開を待ち望んでいた作品があった。それが本作『遠すぎた橋』である。
 その年の春頃から、配給元が大々的にプロモーションを展開。ジョン・アディスンによる、いかにも戦争大作のテーマといった風情の勇壮なマーチも、ラジオ番組などで頻繁に耳にしていた。
「史上空前の製作費90億円」「世界の14大スーパースターが結集」「すべてが超弩級。壮大な歴史を舞台にした戦争巨篇」
 数々のきらびやかな惹句に、映画少年になりたての私の心はワシづかみにされた。また当時としては珍しく、B5判のチラシが3種類も作られて映画館などで配布されていたのも、本作の“超大作”感を際立たせた。
 そうしたチラシなどに記された、本作で取り上げられるオペレーションの説明も、興奮を高めた。

~〔マーケット・ガーデン作戦〕それは、連合軍、最大の、空陸大作戦。規模において、壮絶さにおいて、[ノルマンディ作戦]を遥かに凌ぐという。その厖大な史実が、いま白日のもとに~

[ノルマンディ作戦]と言えば、映画ファン的には、『史上最大の作戦』(62)である。あれを凌ぐとは、どれほどのものなのだろうか?
 日本版のチラシやポスターでは、「14大スター」の中でも強く押し出されていたのが、ロバート・レッドフォード。『明日に向って撃て!』(69)でスターダムにのし上がって以降、70年代は『追憶』(73)『スティング』(73)『大統領の陰謀』(76)等々の話題作に次々と出演し、押しも押されぬ大スターとして、日本でも絶大な人気を誇っていた。
 さて7月に公開されると、本作はその夏の映画興行では本命作品だった、『エクソシスト2』や『ザ・ディープ』などを上回る成績を上げた。配給収入にして、19億9000万円。興収に直せば40億円前後という辺りで、文句なしの大ヒットであった。
 しかし私を含め、当時実際にスクリーンで本作に対峙した者たちは、一様に同じような違和感を抱いた。何か、思っていた戦争映画とは、違う…。

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 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。ノルマンディ上陸作戦の成功で、連合軍の優勢へと、戦況は大きく傾いた。その3か月後の1944年9月、イギリスの最高司令官モントゴメリー元帥が中心になって、ドイツが占領するオランダを舞台にした、「マーケット・ガーデン作戦」の実行を決定する。
 それは5,000機の戦闘機、爆撃機、輸送機、2,500機のグライダー、戦車はじめ2万の車輛、30個の部隊、12万の兵士を動員するという、史上空前の大作戦。ネーデル・ライン川にかかるアーンエム橋を突破して、一気にヒトラー率いるドイツの首都ベルリンまでの進撃路を切り開こうという目的だった。
 モントゴメリーの命を受けた、イギリスのブラウニング中将から作戦の説明を受けた、連合軍の司令官たちは、戸惑いの表情を見せる。歴戦の勇士である彼らには、その作戦が無謀で危険なものであることが、わかったのである。
 レジスタンスと連携して得た情報から、この作戦に疑義を示す声などももたらされた。しかしそれは無視され、作戦は決行される。
 9月17日の日曜日、巨大な編成の輸送機が空を埋め尽くし、夥しい数の落下傘が、アーンエム近郊に降下。ベルギーからは無数の戦車が列をなして、アーンエムへと北上していく。
「マーケット・ガーデン作戦」が、遂に始まったが…。

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 先に記した通り本作は間違いなく、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線での、連合軍最大の空陸大作戦を描き、その厖大な史実を白日のもとに晒す内容であった。しかしそれは失敗した作戦、即ち連合軍の“負け戦”を描いたものだったのだ。
 原題「A BRIDGE TOO FAR」をほぼ直訳した邦題である、『遠すぎた橋』。これは作戦が目標としたアーンエム橋が、連合軍にとっては「遠すぎた」という、かなりストレートに、本作の内容を表している。
 勇猛果敢な兵士たちの活躍を描くような、スポーティなノリの戦争映画を期待していると、もろにハズされる。プロモーションにある意味騙されて映画館に足を運んだ我々は、完全にそんな感じだった
 大々的に“主演”と謳われていた、レッドフォードにも吃驚させられた。175分という上映時間の中で、作戦を決行する見せ場ではあったものの、彼が実際に登場するのは、たった十数分間だけだったのだ。
 レッドフォードのギャラが「6億円」であるのをはじめ、14大スターの高額ギャラも話題だった本作。製作費90億円で3時間近い長尺であることが、「高すぎた橋」「長すぎた橋」などと、やがて揶揄の対象にもなっていった。
 中1の自分にとっては、「期待はずれの戦争大作」だった『遠すぎた橋』。しかしそれから44年経った今年=2021年の夏に、久々に鑑賞すると、別の感慨が湧き上がってきた。その詳しい内容は後に回して、先に本作の成り立ちについて、記したい。

「90億円」を調達して本作を実現したプロデューサーは、ジョゼフ・E・レヴィン。映画業界に於いて大々的な宣伝手法を確立した人物であり、『卒業』(67)や『冬のライオン』(68)などで知られる、アメリカ人プロデューサーである。
 本作の監督リチャード・アッテンボローによると、彼の初監督作である『素晴らしき戦争』(69)を、レヴィンがわざわざロンドンまで観に来て激賞したことから、縁が出来た。そしてレヴィンは、「史上最大の作戦」の原作や「ヒトラー最後の戦闘」など、第2次世界大戦の戦史に関する作品で知られるジャーナリスト、コーネリアス・ライアンが1974年に上梓した「遥かなる橋<史上最大の空挺作戦>」を映画化するに当たって、アッテンボローに白羽の矢を立てる。
「マーケット・ガーデン作戦」について行った膨大な取材をまとめ、邦訳にして上下巻合わせて600頁近くに上る「遥かなる橋」を読んだアッテンボローは、そのスケールが大きすぎるため、まずこんな疑問を抱いたという。本当に映画化できるのか?
 作戦の詳細が複雑すぎるのも、悩ましかった。上空から地上、東から西へと、作戦の舞台が頻繁に変わっていく。観客にわかるように作るには、どうすれば良いのか?
 そこで思い付いたのは、シーンと登場人物を結び付けることだった。例えば橋を陥落するための決死の渡河作戦のシーンの主人公は、レッドフォードが演じるクック少佐、敵弾に倒れた上官の命を救うために、ジープで敵陣を突破するシーンは、ジェームズ・カーンのドーハン軍曹といった具合に。そうすることで観客は、登場人物と共にその場面を即座に思い出すことが可能になり、話の展開を理解できるようになるというわけだ。
 因みに本作の脚本は、ウィリアム・ゴールドマン。『明日に向って撃て!』と『大統領の陰謀』で、2度アカデミー賞を受賞している彼は、本作執筆に当たって、まずは原作のエピソードを、アメリカ、イギリス、ドイツと国別に分類して整理。小さな紙きれを用意して、関係各国の状況や出来事を、事細かに書き込んでいった。
 そうした上で、ここはジーン・ハックマン演じる、ポーランドのソサボフスキー中将の出番だなとなったら、ポーランドの欄に目をやり、使う話を選ぶ。そうやって、史実に基づいた内容を盛り込んでいった。
 ゴールドマンはこの作業を繰り返して、膨大な原作を解体・再構成。脚本を書き上げたのである。
 因みにシーンと登場人物を結び付けて観客に理解させるためにも不可欠だった、大スターたちの出演交渉は、主にアッテンボローの担当だったという。大金を持って、何人ものスターの元を訪れた。脚本家のゴールドマン言うところの「爆撃」を以て、ショーン・コネリーやマイケル・ケイン、ダーク・ボガート等々を、次々と陥落した。
 しかしアッテンボローは、俳優として『大脱走』(63)『砲艦サンパブロ』(66)で共演し、親しくしていたスティーヴ・マックィーンの出演交渉には、失敗。彼がギャラを「9億円」要求したため、折り合いがつかなかったと言われる。結局マックィーンの代わりに出演が決まったのは、「6億円」のレッドフォードだった…。

 撮影現場にリアリティーをもたらすためには、アッテンボローは、演技ではない“本物”が必要と考えた。そこで彼は、100名のイギリス人若手俳優たちに、クランクイン前の数週間、訓練を施すことにした。
 それは、お茶の飲み方から銃器の取り扱いまで、兵士らしい立ち居振る舞いができるようにする特訓。「アッテンボローの私有軍隊」と謳われた、この若手俳優たちが撮影現場に居ることで、スタッフから大スターたちまで、「ヘタなマネはできない」という、良い緊張感が生み出されたという。
 実際に「マーケット・ガーデン作戦」に参加して、本作にも実名で登場する英米の司令官や指揮官を、テクニカル・アドバイザーとして現場に招いた。これもまた、戦場や軍のリアリティーを強めるのに、寄与した。
 戦場を再現するための、CGなき時代の大物量作戦も凄まじい。ヨーロッパ各国の軍隊や博物館、美術館からコレクターまで協力を得て、大量の戦車や軍用機を調達。使用した火薬量は、19,250㎏にも及んだという。
 圧巻なのは、オランダ陸軍空挺部隊の協力を得て撮影された、大規模な空挺降下のシーン。風の影響などもあって、想定通りには進まないこのシーンを撮るためには、19台のカメラが用意された。その際に活躍したのは、ドキュメンタリーのカメラマンたち。何が起こっても即応し、フィルムに収められる者を集めたのである。
 光学合成などの後処理が行われた部分はあるものの、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)で、戦争映画の描写が決定的に変わってしまうよりも、21年も前の作品。当時としては、考え得る限りのリアリティーを求める試みが、為されたと言える。

 それだけの巨額と物量を投じて、アッテンボローは自覚的に「反戦映画」として、『遠すぎた橋』を作っている。ヒトラーの殲滅という大義はあろうとも、「戦争は、最低の最終手段」であり、「いかなる理由や目的があっても、武力行使は人間としての良識を欠いた、自尊心を否定する行為」という主張なのである。
 そして本作はまた、アッテンボロー版の「失敗の本質」とも言える。本作に於いては、作戦の実行者であり責任者として描かれるのは、ダーク・ボガート演じるフレデリック・ブラウニング中将。彼は作戦を決行する上で、都合の悪いデータは見なかったことにして、その報告者は左遷してしまう。作戦の明らかな失敗を受けても、「われわれは遠すぎた橋に行っただけだ」と嘯くのみだ。
 この辺りのブラウニング中将の描き方は、その家族や関係者から、抗議を受けたり、不快感を示されたりもしたという。しかしアッテンボローは、徹底したリサーチの上で、自分たちの判断を示したと、揺るがなかった。
 実際のところで言えば、「マーケット・ガーデン作戦」の発案者且つ最高責任者は、先に記した通り、イギリスのモントゴメリー元帥。映画の製作中はまだ存命であったために、このような描写になったとも言われる。本作には俳優が演じるモントゴメリーは、登場しない。
 因みにモントゴメリーはその著書で、「マーケット・ガーデン作戦」を次のように回顧している。「…オランダの大部分を開放し、それにつづくラインランドの戦闘で成功を収める飛び石の役割を果たしたのである。これらの戦果を収めることができなかったら、一九四五年三月に強力な軍をライン河を越えて進めることはできなかったであろう…」
 その上で彼は作戦を、「90%は成功」と強弁したとされる。

 中1で『遠すぎた橋』を鑑賞した時は、後に非暴力主義の偉人を描いた『ガンジー』(82)や、南アフリカでのアパルトヘイトを告発する『遠い夜明け』(87)を製作・監督することになるアッテンボローの本意を、読み取ることが出来なかった。しかし時を経て次第に、彼が描きたかったものに思いを致せるようになっていくと、本作を観る目も変わっていった。
 そしてこの夏、新型コロナ禍の中で「TOKYO2020」なるイベントの強行を、私は目にすることとなった。『遠すぎた橋』に於ける、「都合の悪い情報は無視」「部下たちに忖度させる」「責任は決して取ろうとしない」指揮官の姿は、更に趣深く映るようになったのである。■