COLUMN & NEWS
コラム・ニュース一覧
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COLUMN/コラム2008.04.25
『ランボー 最後の戦場』完成披露試写リポート
4月24日の晩、日比谷スカラ座にて開催された『ランボー 最後の戦場』の完成披露試写に赴いた。ランボー、実に20年ぶりのシリーズ新作である。 第1作は、映画史に残る社会派アクションの傑作であった。2作3作は、ランボー1人で何百という敵を片っ端から斃す、純然たる戦争娯楽アクションに転じたが、これはこれで(特に個人的には2作目が)、その痛快さを存分に楽しむことが出来た。 では、この4作目はどうか。 ストーリーは前の2作と何ら違いは無い。アメリカ国民が敵性国家の軍隊に捕らわれ、ランボーが多勢に無勢を覚悟の上で、救出のため敵地に乗り込み大暴れする、というものだ。 前作と違うのは、今作がR-15指定を受けた点だ。 映倫によると「村民の虐殺、女・子供への暴力といじめ、戦闘中の首・腹など肉体的損壊の描写の頻度が多く、15歳未満の観賞には不適切ですのでR-15に指定しました」とのことである。「村民の虐殺」、「女・子供への暴力といじめ」は、今作における“敵”であるミャンマー軍が、反政府少数民族を弾圧する場面において描かれる。そして、それは到底「いじめ」などという生中なレベルのものではない。過去の『ランボー』シリーズでは描かれたことのない戦場の阿鼻叫喚の実態を、シリーズ作品で初めて自らメガホンをとったスタローン監督は、手加減なしに描き切っている。ミャンマー兵は、火を放った民家に幼児を生きたまま投げ込む。小学生くらいの少年の腹に銃剣を突き立てて殺す。蛮刀で村民の腕を断ち、首を刎ね、刎ねた首を串刺しにして見せしめとし、腐乱するに任せる。それら全てが、スクリーンに映し出されるのだ。ここまでくると、もはやスナッフ映画と言ってもいい。 そして、少数民族を支援しようと現地入りしたアメリカのキリスト教ボランティア団体がミャンマー軍に拉致され、ランボーは救出のため軍の基地に潜入。生存者を連れて脱出する。追撃するミャンマー軍。ランボーが反撃に出る。その反撃もまた酸鼻を極める。 ランボーは敵に向け重機関銃を掃射する。シリーズ前作にもあった、ファンには懐かしくもお馴染みのシーンである。前作では撃たれた敵がバタバタと斃れていった。その映像に、悲惨さは無かった。 しかし今作では違う。バタバタ斃れるのではない。大口径の銃弾を浴びた敵兵の身体は、ベトベトの粘っこい碧血と肉片を周囲に撒き散らしながら、四散する。頭がもげ、足は砕け、体はちぎれ、生命活動を停止した単なるモノ、肉塊と化して、重量感を持ってドサリと地面に崩れ落ちる。今作『ランボー 最後の戦場』では、前2作のような痛快でお気楽な戦争アクションを心待ちにしている向きの期待を、良くも悪くも大きに裏切る、凄まじい地獄絵図が次から次へと繰り広げられるのである。『ランボー』がスクリーンから遠ざかっていたこの20年間で、戦争映画も様変わりした。痛快さとは程遠いリアルな戦場の臨場感と、目を覆わんばかりの悲惨さを、ありありと再現してみせた作品群。1998年の『プライベート・ライアン』や2001年の『ブラックホーク・ダウン』といったそれらの作品は、戦争映画にアクション・ゲームの観点を盛り込んだ『ランボー』へのアンチテーゼであったかもしれない。 今作は、かつて『ランボー3 怒りのアフガン』で戦車と攻撃ヘリのチキン・レースを演じていたジョン・ランボーからの、それら作品群に対する真摯な回答である。 だが、それだけではない。この20年で変わったのは戦争映画の描かれ方だけではない。我々自身の目もまた、大きく変わってしまっているのだ。今作『ランボー 最後の戦場』で無辜の民を虐殺する軍隊の姿は、ともすれば我々観客には荒唐無稽に映る。描写があまりに極端すぎるため、リアリティが感じられないのだ。軍にとって、かくまで残忍に、嗜虐的に自国民を殺戮する意味が無いではないか。 しかし、リアリティが感じられないほど極端な凄惨さこそ、実は紛争地帯におけるリアルそのものに他ならないのだ。 スタローン監督は言う、「この映画で描かれる残酷な行為もリサーチに基づいた事実だ。これは暴力を見せるためのものではなく、事実に基づいた映像なんだ」と。 我々はその言葉が嘘ではないだろうとことに気付いている。この20年の間、軍隊が嬉々として無辜の民を虐殺して回る忌むべき事件が、世界中で発生した。我々は、それを覚えているではないか。 1991年からのユーゴ紛争におけるレイシャル・クレンジング、ルワンダ紛争における1994年のジェノサイド、そして、現在進行中のダルフール紛争…。イデオロギーの優劣を決めるという、少なくとも当事者間では大いに意味ある戦いであった東西冷戦が終結した後、世界では、意味の無い、純粋な憎悪によって引き起こされる民族紛争が頻発した。これらの紛争において、軍隊が、無辜の民衆を、無意味に、嬉々として、思いつく限りの残酷な方法を用いて、殺して回ったという事実。今回、スタローン監督が描いているのが、まさにそれである。そう、この20年で変わったのは戦争映画だけではないのだ。次々と起こる現実の戦争の悲惨なニュースに触れ、何より我々自身の目が変わってしまったのである。我々は不幸にも、もう戦争映画を痛快なアクション・ゲーム感覚では楽しめない時代に生きている。スタローンがそんな我々に向けて自身の代表作『ランボー』を改めて見せるなら、前作のような戦争エンタテインメントではなく、今回のような映画になることは、必然であったのだろう。■(聴濤斎帆遊)
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COLUMN/コラム2008.04.18
『レッドソニア』 字幕版vs吹き替え版
5月、まず字幕版を放送します。続いて6月、吹き替え版をお届けします。これはおそらく金曜ロードショー放送版です。シュワルツェネッガーといえば玄田哲章がフィックス声優ですが、本作はちびまる子ちゃんの父ヒロシ役で有名な屋良有作がアテてます。ヒロインのソニア役ブリジット・ニールセンは戸田恵子です。 公開時の邦題はなんとビックリ『アーノルド・シュワルツネッガーのキング・オブ・アマゾネス』!! 確かにシュワちゃん(死語)ことアーニー加州知事の出演作ではありますが、あくまで主人公は赤毛の女戦士ソニアでして、この邦題、本編内容と著しくかけ離れておりました(アマゾネス出てこないし、そもそもアマゾネスは女だけの部族だからキングいないし)。 アーニー知事はいてもいなくてもいい役なので、以下、一切この駄文中では知事閣下には触れないことを、前もってお断りしておきます。悪しからずご了承ください。 さて、あらすじを簡潔に申しますと、ヒロインのソニアが、女王ゲドレンを倒そうと仲間たちと共に冒険の旅に出る、というモロにRPGな物語です。 なぜ倒そうとするのか。吹き替え版ですと、女王ゲドレンがソニアのことを「侍女にしようと考えた」、しかしソニアは「それに剥き出しの憎悪で応え」(なんで?)、ヘビメタ調のトゲが生えた女王の王笏をかっさらって突然暴れ出し、あろうことか女王様のご尊顔を傷モノにしてしまった。 舞台は古代ですから、そんなことしたら家族に累が及び、当然、一族郎党皆殺しにされてしまうワケですが、騒動の張本人ソニア独りオメオメと生き残ってしまい、そういうワケで彼女は女王ゲドレン逆恨み復讐の旅に出るのであります。 侍女に取り立ててくれようって人に対し突如キレて殴りかかるのはいかがなものかとワタクシ思うのでありますが、しかし原語で見てみると、女王様、実は百合族なんです。どうもレズ相手としてソニアを狙ったということのようです。 吹き替え版では、そういう性的なハラスメントがあったという超重要情報が欠落しているため、ソニアがただのキレやすい若者みたくなってしまってます。 ただ女王様、その後もソニアとの百合プレイをあきらめきれず、「身体に傷をつけず連れて来い」などと手下に命じてますし、レズの相手役みたいな年若い美女をいつも連れて歩いてますし…。一応、オトナが見れば女王様はそっちのケがある人だって分かる作りにはなってますね。 にしても、女王様はどう見てもタチなキャラ。マッチョなソニアもどっちかと言ったらそっちでしょう。それで女王様は満足できるんでしょうか?連れ回してる年若い美女というのはネコ系なんですが…。女王陛下、いったいどんなプレイを想定しておられたのでしょうか? で、そのネコなキャラの美女というチョイ役を演じているのが、ララ・ナツィンスキーというブルネットの女優。実はこの映画の女性キャストの中で一番かわいいんじゃないか、と思うのは僕だけでしょうか。『怒霊界エニグマ』なる、イジメられっ娘の生霊が無数のカタツムリを操り人間にたからせて窒息死させるという物凄い映画で主役を張っていますので、気になる人はチェックしてみてください。ザ・シネマでは放送しませんが。 話を戻しますと、レズという重要情報を封印してしまっているので、吹き替え版ではソニアが女王様を拒む意味が分からない。そこで金曜ロードショー、なんと勝手にオープニング作っちゃいました。 「遥か昔、伝説の王国アトランティスが滅び、天下は麻のごとく乱れ、世はまさに世紀末の様相を呈していた」とかなんとかいうオリジナルには無い北斗の拳ばりのナレーションが、いきなり、石田太郎住職のジーン・ハックマン風こもり声で入ります。キリスト生誕前なので世紀末という概念は無いかと思うのですが…。 続けて、「悪の女王ゲドレンは、悪行の限りを尽くしていた」とナレーションで断言しちゃってるので、これだけでもう、ヘビメタ調トゲつき王笏で女王をしばく十分な理由を、ソニアは手に入れちゃってるワケです。 無茶するなぁ金曜ロードショー…。でもこの臨機応変な感じ、いいねー! 昔のテレビ洋画劇場ってこれだから面白い! あと、昔のテレビ洋画劇場の見どころと言えば、日本語訳の妙(≒日本語訳が妙)。 女王様の腰巾着みたいな佞臣で、アイコルというキャラが出てきます。クライマックス・シーンで、このアイコルがコソコソ逃げ出そうとしてる現場に出くわした、ソニアたちパーティーの一員のヤンチャ王子。果敢に勝負を挑もうと王子が叫ぶのが、ヒロイック・ファンタジー全開のこんなセリフ。 「アイコル!このゲドレンの黒い蜘蛛めが!!」 これが吹き替え版だと、 「待てッ!ゲドレンの手先のブラック・スパイダー将軍だなっ!!」 に。 …やっすい名前だなー、ブラック・スパイダー将軍って。東映特撮か! レズ情報封印といい、このブラック・スパイダー将軍といい、もはや、オリジナルとは微妙に別物の、似て非なる映画になっちゃってるんですけど…。 …いゃーそれにしても、昔のテレビ洋画劇場って、本っ当にいいもんですね! とまぁ、強引に話をまとめにかかりましたけど、字幕版と吹き替え版、見比べてみると面白い発見がいろいろとあるもんです。 5月と6月、視聴者の皆々様に2ヶ月連続でどちらもお楽しみいただけたら、編成冥利に尽きるというものです、ハイ。■ ©1985 Famous Film Productions.B.V.
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COLUMN/コラム2008.04.08
昭和の洋画吹き替えを無形文化財に指定せよ
きたる4月29日は、去年夏の『ダーティハリー』全作、そして年末とお正月にやってご好評いただきました「吹き替え特集」を、またまたお届けします。この日の朝6時から翌朝6時まで、怒涛の24時間、吹き替え映画のみを放送する、題して「4月29日は吹き替えの日」。 今回の放送タイトルは、『ラストマン・スタンディング』、『デッド・カーム 戦慄の航海』、『ファイヤーフォックス』、『テキーラ・サンライズ』、『パパとマチルダ』、『張り込み』の6本です。 正直、再放送もあります…が、この機会を逃したら、次はいつお目にかかれるか分からない貴重な作品もありますので、滅多にないチャンスがもう1回増えた、ラッキー!ぐらいに温かく受け止めてくださいね(笑)。 たとえば『パパとマチルダ』なんて、ネットで調べてみたらDVDは未発売、14年前に出たビデオの吹き替え版があるだけなんです。今回の当チャンネルのオンエア、再放送ではありますが、お正月放送時に見逃した人は今度こそお見逃しなく。これ、スティーヴ・マーティン定番声優の故・富山敬による名盤なんです。 あとDVDによくあるパターンで、英語音声しか入っていなくて、やはり今となっては吹き替えで見たくても見れない、という作品。これが『デッド・カーム 戦慄の航海』と『ファイヤーフォックス』、『張り込み』の3本。特に後ろ2本は、これが当チャンネル最後の放送で、次の放送予定はありませんので、必見です。 残った『ラストマン・スタンディング』と『テキーラ・サンライズ』は、DVDに日本語音声が入っているので、正直、見ようと決意さえすれば誰でもいつでも見れるんですけどね(笑)。 ただまぁ、買うより安いし、レンタルと違って借りたり返したりしに行く手間もかかりませんからねぇ。当チャンネルのこの機会、是非ともお役立てください! ちなみに、 『デッド・カーム 戦慄の航海』のニコール・キッドマン…『マクロス』世代永遠の憧れ・土井美加『ファイヤーフォックス』のイーストウッド…もちろん山田康雄で決まり『張り込み』のリチャード・ドレイファス…広川太一郎(ご冥福お祈りしちゃったりなんかして。…崇拝してました。合掌)『ラストマン・スタンディング』のブルース・ウィリス…安心の定番・野沢那智『テキーラ・サンライズ』のメル・ギブソン…神谷明、って、え!? メルギブが神谷明? という、まさに豪華絢爛きまわりない声の出演陣でございます。 ところで、民放の洋画劇場って、最近は番組数自体が減ってますよね。それに、そこでは70年代や80年代の、山田康雄とか富山敬とか広川太一郎といった大御所がアテた昭和の名盤なんて、もうあまりかかりません。関東ではテレビ東京の『午後のロードショー』という神番組が孤塁を守って孤軍奮闘し続けてくれてるのですが、日本全国津々浦々では見れませんし…。 昭和のテレビ洋画劇場の吹き替えを無形文化財に!と訴えるザ・シネマでは、日本全国津々浦々の皆様に向けて、今後もこうした名盤を、不定期ながらも積極的にお届けしていきますので、お楽しみに。 視聴者の皆々様も、このホームページの「ご意見・ご要望」のところからリクエストをどしどしザ・シネマまでお寄せください。 とくに、DVD未発売とかDVDに日本語音声未収録とかの理由で、いまや見たくても見れない、みたいな昭和の傑作吹き替えは大歓迎です。いかに名盤か縷々切々と説く、とか、見たすぎてどうにかなりかけてる!みたいな切羽詰った感じですと、こちらが知らない作品でもハートに響きやすいです。 最後に、文中「DVD発売されていない」とか「DVDに日本語音声未収録」と書いたのは、2008年4月8日現在の情報でございますので、念のため。■
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COLUMN/コラム2008.04.04
『コレクター』:蝶<女性
余分なお金と、陰湿な感情を持ち合わせた蝶コレクターの青年が、蝶よりももっとキレイなもの“女性”を監禁して、眺める、ストーカー男の倒錯した愛の物語。 『コレクター』といって、『コレクター』モーガン・フリーマンを思い出された方、ごめんなさい。これはその『コレクター』より10年も前に、『ローマの休日』や『ベン・ハー』を手がけた監督、ウィリアム・ワイラーが撮ったサイコ・スリラーなのです。 『ローマの休日』で、当時無名だったオードリー・ヘプバーンを見出し、永遠の妖精と謳われるきっかけを生んだウィリアム・ワイラー監督。幅広いジャンルの映画を手がけ、それぞれで一級の作品を残した彼が、異常心理男の気持ち悪さ爆発の映画をも撮っていたのです。 七三分けで、会社では同僚にいじられる日々を送る青年が、偶然大金を手に入れたことをきっかけに、一軒家を購入。そして、ずーっと好きだったけど声をかけることも出来なかった女性を、「知り合いたかったから…」といって誘拐してしまいます。 女性の好みに応じた部屋を用意し、できるかぎりの要望を聞き、至れり尽くせりするのですが、そんな出会い方で相手が恋心を抱くはずもなく、誘拐された女性はあの手この手で脱出を試みます。 じと~とした目で、「どうして僕の気持ちが分かってくれないんだ」と嘆くストーカー男の、ゆがんだ愛の結末はどうなるのか?ぜひザ・シネマでご覧ください。■ (nick)