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COLUMN/コラム2020.02.01
—絶対悪を原子理論で立証する— 『パラダイム』
■暗黒の王子が“神に反するもの”を召喚する終末ホラー ルーミス司祭(ドナルド・プレザンス)は、ハワード・バイラック教授(ビクター・ウォン)と大学院生のグループに、廃墟となった聖ゴダード教会の地下にある謎の円柱の調査を依頼する。円柱の内側には緑色の液体が渦を巻き、それは日が経つにつれ、内部で拡がる活発的な動きを見せていた。しかも分析と同時に院生たちは、就寝中に悪夢に取り憑かれ、加えて教会の外ではホームレスの群衆が増大し、得体の知れない誘引力によって組織化していく——。 ジョン・カーペンター監督が1987年に発表した『パラダイム』は、同時代のロサンゼルスを舞台にしたバッドテイストな終末ホラーだ。監督のキャリア的には未知の地球外生命体による地球侵略を描いた『遊星からの物体X』(88)を嚆矢とし、クトゥルフ神話をベースとした怪異譚『マウス・オブ・マッドネス』(94)へと続く「黙示録3部作」の中間作品として、カルトな支持を得ている重要作である。 円柱の近くで見つかった古文書の解読を経て、ルーミスたちはその緑色の液体が“神に反するもの”の息子=暗黒の王子(原題の“Prince of Darkness”)であり、何千年もの間、教会によって封じ込められていた存在であることを明らかにする。いっぽうでその息子は鏡を通じ、父たる邪悪な反神(アンチ・ゴッド)を現実の世界に召喚しようとたくらみ、院生たちは一人ずつ、行動を支配されていくのだ。 本作ではイエス・キリストは実は地球外に存在し、反神について人類に警告するためにやってきたと解釈がなされている。だがイエスは十字架にかけられ、彼の弟子たちがその存在を円柱に封じ込め、キリスト教の教義にはその真実が隠されている……。そんな飛躍した宗教観もまた、本作を構成する興味深い要素といえるだろう。 しかし無神論者であるカーペンター自身は信仰に大きな関心を示しているわけではなく、映画の起草は、当時彼が物理学と原子理論を研究していたときに生まれのだと監督は語っている。 「ある種の究極の悪を生み出し、そこに宗教の考えを取り入れ、それらを物質や反物質の概念と組み合わせるのは興味深いことだと思ったんだ」 カーペンターは原子を構成する陽子や中性子、電子などそれぞれの素粒子に、性質を反させた「反粒子」があることを本作のアイディアの基幹としている。劇中における、神に対しての「反神」という設定がその最たるものだ。 脚本でクレジットされているマーティン・クォーターマスはカーペンター自身のペンネームで、これはイギリスの脚本家であるナイジェル・ニールと、彼が生み出した架空のキャラクター「バーナード・クォーターマス博士」に由来するものだ。ストーリーもニールの創作に関する要素を盛り込んでおり、『パラダイム』のプロットラインは、1967年の“Quatermass and the Pit”と非常に似ている。同作ではロンドン地下鉄の工事中、地中に埋もれていた宇宙カプセルが発掘され、それは人類が悪魔として認識する、火星の邪悪な存在だったというもの。それがひいては我々の起源に関する疑問を検証していく点で、『パラダイム』の良質なオマージュといえる。 マーティン・クォーターマスに関してカーペンターはあくまで他人であることを徹底しており、『パラダイム』Blu-rayソフトのオーディオコメンタリーの中で「個人的に親しい友人だが、アルコール中毒で業界を去ったと聞いたよ」とうそぶいている。しかし『パラダイム』の脚本へと発展するこの知見に満ちたアイディアは、20世紀フォックスで手がけたアクション大作『ゴーストハンターズ』(86)の興行的失敗によってハリウッドから締め出しをくらったカーペンターの創作意欲を活性化させ、インデペンデントを主戦場とするアライブ・ピクチャーズとの自由なクリエイティブ・コントロール権の締結を経て実現するものとなった。 このように『パラダイム』は純粋な悪の存在を理詰めで解釈すると同時に「我々の森羅万象についての理解は、じつはこの世界のほんの外殻にすぎないのでは?」ということを、先人へのオマージュを含め想像力豊かに示唆している。加えて秩序に対する我々の信念は、原子レベルで解読すれば簡単に崩壊することを言及してもいる。 しかし公開時の米ニューヨークタイムズ紙のレビューにおいて本作は「セリフに科学的な参考文献を詰め込みすぎ、映画は最終的な驚きに対して禁欲的だ」と評され、またワシントンポスト紙では「カーペンターは宗教の恐ろしさや悪の根源について何かを言っていると思っているのかもしれないが、結局は安っぽいスリルを求めているだけだ」となかなかに手厳しいレビューが載った。しかし後者の締めくくりはこうだ。 「だが彼がそれを提供しているからといって、映画が安いものになるわけではない」 この結びどおり、映画の前半は総毛がざわざわと逆立つほどに面白い。自然界が世界の混乱にいち早く反応するかのように、虫の群れが触媒となって不吉な展開を盛り上げる。と同時にゾンビのようなホームレスが教会の外に集まり、そして円柱の分析と古文書の解読によって夢の意味が明らかになるにつれ、いやがうえにも映画の緊張感は高まっていく。そして円柱の封印が破られ、多くの院生たちが闇に陥り、残された院生たちは教会から脱出する方法を模索し、悪夢が明らかにした世界救済の戦いを制しなければならないのである。 なによりこうしたフォーマットはカーペンター映画の典型的な「包囲下にあるグループの戦い」で、『ジョン・カーペンターの要塞警察』(76)や『遊星からの物体X』などの秀作に通底し、最も氏が得意とするものだ。すなわち本作をもって、カーペンター映画の極上の味を堪能できるだろう。 ■低予算をカバーするための効率化体制 『パラダイム』はわずか48日の撮影期間を経て完成へとこぎつけた。製作費は300万ドルと低予算だったため、とにかくカーペンターは効率化とインパクトを重んじ、気心の知れたキャストやスタッフを起用。自身の母校である南カリフォルニア大学をロケ地に用いたりと、映画学科の学生だった頃の気鋭的な回帰も兼ねている。またビクター・ウォン、デニス・ダンといった『ゴーストハンターズ』で起用した俳優を引き継いでオファーし、またドナルド・プレザンス(『ハロウィン』(78)『ニューヨーク1997』(81))など、かつて一緒に働いていた俳優を自作に呼び戻す形となった。 異色のキャストとして浮浪者のリーダー役にロックミュージシャンのアリス・クーパーが扮しているが、本作のエグゼクティブ・プロデューサーを務めたシェップ・ゴードンが彼のマネジャーで、当初は映画の音楽を担当するようクーパーに提案している。しかしカーペンターはクーパーのアーティストとしてのカリスマ性や人柄に惹かれ、彼を役者として起用。クーパーは自身のライブで用いていた「突き刺し装置」を映画に貸与し、それを彼が院生のエッチンソン(トム・ブレイ)を殺すシーンにおいて使用するなど、本編において多大な貢献をはたしている。 ■『パラダイム』のホームレス・ゾンビ役と突き刺し場面について語るアリス・クーパー 結果的に音楽は1983年の『クリスティーン』以降、カーペンターと数多くのスコアに共同で取り組んだアラン・ハワースが担当。エレクトリック・メロディ・スタジオ収録でこのスコアに臨んでいる。同スタジオは当時としては高度なMIDIシーケンシングと自動ミキシング機能を備えたマルチトラック・レコーディングを可能とし、カーペンターの独創的な音楽スタイルをサポートするのにうってつけだった。いつものカーペンター&ハワーズ節に加え、女性合唱のデジタルサンプルをサウンドパレットに追加したテーマ曲のインパクトは、この映画の存在とともに忘れがたいものとなっている。 そう、開巻から誰の耳にも聞こえるはずだ、暗黒の王子の胎動が……。■ 『パラダイム』© 1987 STUDIOCANAL
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COLUMN/コラム2020.01.31
1978年発!“映画史”の過去と現在をつなぐ クライム・アクションのマスターピース 『ザ・ドライバー』
~こいつがハンドルをにぎったら〈ブリット〉さえも追いつけない…~ これは本作『ザ・ドライバー』が、1978年9月の公開時に用いたキャッチフレーズだ。この頃カーアクション映画と言えば、必ず引き合いに出されたのが、スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』(1968)だったのが、「時代」を感じさせる。 公開当時は中2だった私にとって、本作に改めて触れるのは、即ち1978年の空気を思い出すこと。それと同時に、連綿と続いていく“映画史”の中で本作が、メガヒット作というわけでもないのに、クライム・アクションを語る意味で、極めて重要な位置を占めていることに思い至る。 『ザ・ドライバー』初公開時の配給会社は、今はなき「日本ヘラルド映画」。ハリウッドメジャーの傘下ではない、独立系洋画配給として、長らく「東宝東和」などと覇を競っていた会社だ。 「ヘラルド」「東和」共に、1960年代半ばから70年代前半までは、マカロニ・ウエスタンやアラン・ドロン主演作などのヨーロッパ系作品が大きな売りであった。しかし70年代後半になると、ハリウッド映画や大作路線にシフトチェンジが行われた。 例えば「東和」は77年の正月興行の“大本命”として、ディノ・デ・ラウンレンティス製作の『キングコング』(76)を、拡大公開。それに対して「ヘラルド」は、ラウレンティスとかつてコンビを組んでいたカルロ・ポンティがプロデュースし、バート・ランカスターやソフィア・ローレンなどオールスターキャストのパニックサスペンス大作『カサンドラ・クロス』で対抗するといった具合に。 78年になると、ハリウッド・メジャー「20世紀フォックス」配給の『スター・ウォーズ』(77)が夏休みに鳴り物入り公開するのに先駆けて、「ヘラルド」はサム・ペキンパー監督のトラックアクション『コンボイ』を、大宣伝で仕掛けた。当時の「ヘラルド」は“ゲリラ戦”も交え、洋画戦線で様々な創意工夫を凝らしていたのである。 その年の夏興行が一段落して、「ヘラルド」が秋の目玉の1本として公開したのが、本作『ザ・ドライバー』だった。物語の主役はタイトルそのままに、“ドライバー”。銀行やカジノなどを襲った強盗たちを乗せ、凄腕の運転技術で警察の追跡を振り切ることを生業とする。車種がスーパーカーであろうと軽トラであろうと、そのテクに揺るぎはなく、完璧に“仕事”をこなす。恋人もなく友人もいない彼は、笑顔ひとつ見せない寡黙な男である…。 その夜の“ドライバー”はいつものように、“仕事”の直前に盗んだ車でカジノ前に乗り付け、犯行を終えた強盗たちが飛び出してくるのを待ち受けていた。ところが、強盗たちが予定よりも時間を喰ったため、車中で待機中、カジノに出入りする“プレイヤー(賭博師)”と呼ばれる美女に、その顔を見られてしまう。 警察には、“ドライバー”の逮捕に執念を燃やし、専従捜査班を束ねる、1人の“刑事”が居た。彼は目撃者である“プレイヤー”に、“ドライバー”の面通しをするが、彼女はなぜか、「この男ではない」と証言する。 “プレイヤー”の協力を得られなかった“刑事”は、“ドライバー”を罠に掛けるため、別の強盗事件で捕まえた悪党を脅して、“ドライバー”に仕事を依頼するように仕向ける。ところがその悪党が、“刑事”と“ドライバー”の両者を出し抜こうとしたことから、歯車が大きく狂っていく。 “ドライバー”は、“プレイヤー”の協力を得ながら、自らの“掟”を貫こうとするが…。 “ドライバー”にライアン・オニール、“刑事”にブルース・ダーン、“プレイヤー”にイザベル・アジャーニ。当時としては正に、「旬のキャスト」であった。 1964年から始まったTVシリーズ「ペイトンプレイス物語」で人気を得たライアン・オニールは、主演作の『ある愛の詩』(70)の大ヒットによって、映画の世界でもスターの座に就いた。以降、ピーター・ボクダノヴィッチ監督の『おかしなおかしな大追跡』(72)『ペーパー・ムーン』(73)、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』(75)などのヒット作・話題作に主演。リチャード・アッテンボロー監督の戦争超大作『遠すぎた橋』(77)日本公開時には、ダーク・ボガードやロバート・レッドフォードらと並んで、“14大スター”の1人に数えられた。 オニールにとって『ザ・ドライバー』は、そのキャリアのピーク時の主演作と言える。それまでの甘い二枚目ぶりを封印し、自らカースタントにも挑んだという“ドライバー”の役どころは、新境地と言えた。 対する“刑事”役のブルース・ダーンは、『11人のカウボーイ』(72)の悪役で、「ジョン・ウェインを殺した男」として注目された後、ヒッチコック監督の遺作となった『ファミリー・プロット』(76)や、ジョン・フランケンハイマー監督の『ブラック・サンデー』(77)などで主演級に。『ザ・ドライバー』と同年公開の『帰郷』では、心を病んだベトナム帰還兵を演じて、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 この頃のダーンは、偏執狂的な役どころを得意としていた。そうした意味で本作は、タイプキャストだったと言える。 本作がアメリカ映画初出演だったイザベル・アジャーニは、二十歳の時に主演したフランス映画、フランソワ・トリュフォー監督の『アデルの恋の物語』(75)で、セザール賞、そしてアカデミー賞の主演女優賞候補となり、スターダムに。日本でも76年春に『アデル…』が公開されると、映画雑誌の人気投票で上位にランクインするなど、大人気となった。 その後も次々と主演作が製作されて、本国フランスでは押しも押されぬスター女優の地位を確立していったが、なぜか日本ではそれらの作品は未公開に終わったり、劇場公開まで5~10年ほどの歳月を要したり。『アデル…』で彼女に恋したファンにとっては、『ザ・ドライバー』は2年半ぶりとなる、待望の日本公開作だったのである。 そんな「旬の3人」を擁した本作のメガフォンを取ったのは、ウォルター・ヒル。サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(72)などの脚本で注目される存在となり、75年にチャールズ・ブロンソン主演の『ストリートファイター』で監督デビューを果たした。本作が監督第2作となる。 “西部劇の神様”ジョン・フォード監督をこよなく愛するというヒルは、『ザ・ドライバー』劇場用プログラムに掲載されたインタビューで、次のように語っている。 「…警官にも、犯罪者にも、それぞれの主張というものがあるわけだ。だから映画は善と悪の対立を描くんではなくて、その両者の意志と意志のたたかいを描いていくんだ。 だからぼくはジョン・フォードを敬愛しているし、西部劇が好きなんだよ。西部劇には因習的な道徳律にとらわれず、新しいモラルを作っていくようなところがあるだろう。」 なるほど。本作にはヒルが愛する“西部劇”的な趣向が、数々盛り込まれている。様々な運転テクを駆使して逃走を図る“ドライバー”だが、ここ一番の勝負は、まるでガンマンのように、正面から正々堂々の一騎討で臨む。そして独りラジオでカントリーミュージックを聴く“ドライバー”に、“刑事”は「カウボーイ」と呼び掛ける…。 “西部劇”と同時に、その影響が指摘されるのは、『サムライ』(67)。本作の“ドライバー”のキャラクターが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督によるフレンチ・フィルム・ノアールの傑作でアラン・ドロンが演じた、寡黙な殺し屋像にインスパイアされているというのは、至極有名な話である。 現代のロサンゼルスというコンクリートジャングルを舞台にしながら、“映画史”的な伝統を受け継いだ、『ザ・ドライバー』。いわば、“西部劇風ノアール”とでも言うべき作品となっている。 実はDVDソフトなどの特典映像で、本編からカットされたシーンを見ると、“編集”時点での判断が、この作品の成否の鍵となったことがわかる。元々は作品冒頭、“ドライバー”の犯行が行われる前に、1つのシーンがあった。それは、“ドライバー”に“仕事”の仲介を行っている“連絡屋”(演:ロニー・ブレイクリー)が、“プレイヤー”の部屋を訪れ、“ドライバー”のアリバイ工作を依頼するというもの。警察での“ドライバー”の面通しで、“プレイヤー”が「彼ではない」といった理由が、はっきりと描かれていたのである。 またオリジナルの予告編には、“ドライバー”と“プレイヤー”の濃厚なキスシーンが挿入されている。恐らく作中の展開として撮影されていたこのシーンが挿入されていたら、クライマックスで“プレイヤー”が“ドライバー”に協力する理由が、「男女の仲」故ということになりかねない。 これらの説明的な部分をバッサリとカットしたからこそ、“ドライバー”“プレイヤー”それぞれの孤独感が強まると同時に、共に屹立したキャラクターとなった。この2人は、“恋愛”などの理屈抜きのプロとプロの関係であるからこそ、お互いを認めて、クールな協力関係になったわけである。この“編集”こそ、本作の成功に繋がったと言えよう。 この作品以降ウォルター・ヒルは、『ウォリアーズ』(78)『ロング・ライダーズ』(80)『48時間』(82)『ストリート・オブ・ファイヤー』(84)等々の作品を放ち、80年代中盤まで、他の追随を許さない、“男性アクション(死語!?)”の担い手として疾走した。付け加えれば、『エイリアン』シリーズ(79~ )のプロデューサーという役割も、長年果たすこととなる。 そして『ザ・ドライバー』は、後続のアクション映画に大きな影響を与え続ける作品となった。やはりロスを舞台にした、『ターミネーター』第1作(84)では、夜のカーチェイスシーンで、同じロケ場所を使用。ジェームズ・キャメロン監督も、本作の影響を明言している。 犯罪組織から請け負った荷物を何でも運ぶ天才的なドライバーを主人公としたのが、『トランスポーター』シリーズ(2002~ )。ジェイソン・ステーサムの出世作となったこのシリーズも、『ザ・ドライバー』の存在なくしては、成立しなかったかも知れない。 もっとストレートに、強盗を逃す“ドライバー”を主人公としたヒット作が、2010年代には2本登場した。1本目は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』(11)。実は『ドライヴ』の原作小説は、『ザ・ドライバー』にオマージュを捧げて書かれたもので、ライアン・ゴズリング演じる寡黙な主人公の役名は、本作と同じく“ドライバー”となっている。 もう1本のヒット作は、記憶に新しい、『ベイビー・ドライバー』(17)。映画マニアで知られ、『ザ・ドライバー』に深い愛を捧ぐエドガー・ライト監督は、『ベイビー…』の主要登場人物たちの役名を、本作同様に記号化した。アンセル・エルゴートが演じた主人公の“ベイビー”をはじめ、強盗団のボスは“ドック”、メンバーは“バディ”“ダーリン”“バッツ”といった具合である。その上でライト監督は、わざわざウォルター・ヒルに、“声の出演”までさせている。 ウォルター・ヒル監督自身のキャリアは、80年代中盤をピークに、その後は正直言って、失速した感が強い。しかし、何とも言えない、“映画史”の妙とでも言うべきか。ヒルが“西部劇”と“ノアール”から受け継いだスピリットは、このような形で2010年代のクライム・アクションにまで、大きな影響を及ぼしているのである。■ 『ザ・ドライバー』© 1978 Twentieth Century Fox Film Corporation - © 2013 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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COLUMN/コラム2020.01.31
20年代のイギリスを舞台に、歌と踊りを満喫させてくれるケン・ラッセル監督の異色ミュージカル!
今回の映画は1971年の『ボーイフレンド』。主演はツィッギー。1966年にミニスカートを大ブームにしたイギリスのファッション・モデルです。“ツィッギー”とは“小枝のような”という意味で、木の枝のように痩せてがりがりなんです。そして髪の毛はショートカットでボーイッシュ。中性的な容姿が画期的でした。ツィッギーはモデルを経て女優に転身し、その主演作として作られたのがこの『ボーイフレンド』です。 監督はケン・ラッセル。僕の世代には「変態ケンちゃん」と呼ばれていました(笑)。たとえば『肉体の悪魔』(71年)は17世紀フランスで修道女たちが集団で悪魔に憑かれた事件の映画化ですが、尼さんたちがオナニーしたり浣腸されたり、ムチャクチャな内容だったり、『リストマニア』(75年)も実在のピアニスト、フランツ・リストの伝記映画なんですが、巨大なペニスがダーン! と出てくるので、日本では公開できなかったり。それで、ラ ッセル自身が、世間からあまりにも変態だと思われてるから、そうじゃないところも見せようとしてミュージカル・ラブ・コメディの『ボーイフレンド』を撮ったそうです。だけどやっぱり……変態的な映画なんですよ(笑)! まず、作りがメチャクチャ複雑。もともと『ボーイフレンド』は、1953年にロンドンの舞台で上演されて、ジュリー・アンドリュースをスターにした同名のミュージカルの映画化です。そして、そのオリジナルの舞台の「ボーイフレンド」は、1926年の「ガー ルフレンド」というミュージカルのパロディなんです。その1953年の「ボーイフレンド」を1971年に映画化するにあたって、ケン・ラッセルは、1920年代を舞台にして「ボーイフレンド」を上演する劇団の話にしたんですよ。ややこしいでしょ? ツィッギーの役は、最初はアシスタントですが、グレンダ・ジャクソン扮する主演女優が足を怪我したので、彼女の代役を任されます。そして芝居の中で彼女と相手役をする俳優と恋に落ちてしまいます。さらに、ヒロイン以外の登場人物の想像や妄想も次々に映像化され、はっきり言って何が何だかわからない映画になっています。 それに1920年代当時の舞台では、照明は天井からではなく、足もとからライムライト(石灰灯)で照らしていたんですが、ケン・ラッセルはリアリズムにこだわって、その照明を使っています。でも、顔を下から懐中電灯で照らしたら、どんな顔になるかわかりますよね? みんな怖い顔になっちゃってます。とはいえ、製作はハリウッド・ミュージカルの老舗、MGMです。それでラッセルは、1930年代のMGMミュージカルの伝説的振付師だったバズビー・バークレーの手法を再現しました。シンクロナイズされたダンサーの動きを俯瞰で撮影して、万華鏡のような豪華絢爛の映像を作るんです。これは見ものですよ!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. ●舞台の映画化権は1957年にMGMがすでに取得しており、当初の案ではドロシー・キングスリーとジョージ・ウェルズの脚本でデビー・レイノルズ主演、相手役にはデビッド・ニーブン、ドナルド・オコナーなどが検討されたが映画化には至らなかった。 ●監督のラッセルは映画化に当たって、有名なミュージカル監督バスビー・バークレーのスタイルを取り入れた。 ●映画デビューとなったツイッギーは、ポリー役を演じるため歌やタップを、ほぼ一から約9カ月にわたって練習したという。 ●1971年のロンドンでの初公開時には110分のカット版だったが、1987年の再公開時に135分の復元完全版に戻された。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2020.01.10
2010年代ハリウッドアクションを席捲した“Wバーグ”の出発点! 『ローン・サバイバー』
アクション映画に於ける、監督と俳優の名コンビと問えば、どんな名前が挙がるだろうか? ジョン・フォードとジョン・ウェイン、黒澤明と三船敏郎、セルジオ・レオーネ或いはドン・シーゲルとクリント・イーストウッド、ジョン・ウーとチョウ・ユンファ…。いずれも複数の作品でタッグを組み、伝説的なアクション映画を世に送り出している。 ちょっと曲球にはなるが、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005)『イースタン・プロミス』(07)などのデヴィッド・クロネンバーグとヴィゴ・モーテンセンの組み合わせも、アクション映画の名コンビと言えるだろうか。男女の組み合わせでは、ポール・W・S・アンダーソンとミラ・ジョヴォヴィッチの『バイオハザード』夫婦の名を挙げる者もいるかも知れない。 映画好きが集まれば、喧々諤々のやり取りになることが必至な、この話題。殊2010年代で考えれば、監督:ピーター・バーグと主演:マーク・ウォールバーグの“Wバーグ”を外してはなるまい。アフガン戦争を舞台にした本作『ローン・サバイバー』(13)をはじめ、海洋油田の爆発事故を巡るパニック映画『バーニング・オーシャン』(16)、ボストンマラソン爆弾テロ事件の犯人追跡劇『パトリオット・デイ』(16)、秘密諜報機関の壮絶な戦いを描いた『マイル22』(18)…。僅か5~6年の間にこのコンビは、4本の骨太なアクション映画を世に送り出している。 元はエージェントが同じだったことから、紹介されて仕事を共にするようになったという2人。1964年生まれのピーター・バーグは元は俳優で、TVシリーズ「シカゴ・ホープ」(1995~99)で注目を集めた。シリーズ終盤には、演出も担当。映画監督としてのデビューは、ジョン・ファヴロー、キャメロン・ディアズ主演の『ベリー・バッド・ウェディング』(98)という、ブラックコメディだった。 一方マーク・ウォールバーグは、1971年生まれ。10代の頃は札付きの不良で、幾度も警察の世話になった。ミュージシャンとしてブレイク後、俳優デビュー。ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ブギーナイツ』(97)でブレイクし、その後は数々のヒット作・話題作に出演している。 思えばピーター・バーグに関しては、ウォールバーグとの二人三脚が始まる以前には、信用が置けるアクション映画監督とは、言い難かった。特に『ローン…』直前には、『バトルシップ』(12)で、観た者の口をあんぐりとさせてしまっている。アメリカ海軍と日本の海上自衛隊が、宇宙人とハワイ真珠湾沖で戦う内容のこの作品、ユニバーサル映画が100周年を記念して2億㌦以上の製作費を投じた超大作であり、我らが浅野忠信が準主役級で出演しているものの、超ド級の“バカ映画”という他はなかったのである。 アメリカでの興行収入は、製作費の3分の1にも達しない、6,500万ドル。批評が惨憺たる有り様だったのも、むべなるかな。 因みに『バトルシップ』の主演は、本作『ローン…』にも出演していて、ピーター・バーグ組とも言えるテイラー・キッチュ。『バトルシップ』のアメリカ公開=2013年 5月に先立っては、3月にもう1本の主演作『ジョン・カーター』が公開されている。 『ジョン…』は、ウォルト・ディズニー生誕110周年記念と銘打った、火星を舞台にした、製作費2億5,000万㌦の超大作。しかしこちらの興行もまた、大惨敗を喫している。ディズニー、ユニバーサルというハリウッドの伝統的なメジャーブランドのメモリアル勝負作、製作費合わせて4億5,000万㌦也の2本で、正に“スーパースター”の地位にのし上がるかとも思われたテイラー・キッチュだったが、そんな期待は瞬く間に、雲散霧消してしまった…。 些か余談が過ぎたが、そんなこともあって、「『バトルシップ』の監督かよ」と、初見の際は期待値が著しく低かった、『ローン・サバイバー』。いざ鑑賞すると、嬉しい裏切りに遭うこととなった。 2005年6月、アフガニスタンでタリバンとの激しい戦いが続く中、アメリカ海軍特殊部隊“ネイビー・シールズ”の一部隊に、作戦決行の指令が下る。目的は、アメリカ海兵隊員への攻撃を指揮する、タリバン指導者の捕捉と殺害。大尉のマイケル(演;テイラー・キッチュ)をリーダーに、マーカス(演;マーク・ウォールバーグ)、ダニー(演;エミール・ハーシュ)、マシュー(演;ベン・フォスター)の4人が、山岳地帯へと向かった。 首尾良くターゲットを発見し、後は決行を待つのみとなったが、そこに現地の山羊使い3人が通り掛かる。やむなく拘束し、司令部の指示を仰ごうとするも、無線が通じない。 作戦を無事に遂行するためには、山羊使いたちを殺すしかない。一行は逡巡するも、戦闘に無関係な民間人殺害の咎は避けて、3人を解放。作戦を中止する道を選んだ。 基地に連絡を取って、一行は帰還を目論む。しかし無線も衛星電話もなかなか繋がらない内に、山羊使いから連絡を受けた、タリバンの追っ手が迫って来る。 そして逃走を図る4人のシールズvsそれを追う200人のタリバンの、絶望的な戦いが始まった…。 本作は、アフガニスタン紛争で実際に起こった、“レッド・ウィング作戦”の悲劇的な顛末を描いている。その原作「アフガン、たった一人の帰還」は、映画化作品ではマーク・ウォールバーグが演じた、元ネイビー・シールズ隊員のマーカス・ラトレルが、パトリック・ロビンソンと共同で執筆したもの。 2007年の出版と同時にベストセラーとなり、マーカスの元には映画化の申し入れが殺到した。そしてその中の1人が、ピーター・バーグだった。当時ウィル・スミス主演の『ハンコック』(08)の製作中だったバーグは、原作を読み始めるや否や心を奪われたという。 数多あるオファーの内から、マーカスがバーグ監督を選んだのは、その過去作『キングダム/見えざる敵』(07)を観たことがポイントになったという。サウジアラビアの外国人居住区爆破事件をきっかけにした、FBI捜査官の戦いを描くこの作品はフィクションであるが、実際にサウジで起きた爆破事件を参考にして製作されている。マーカスは、バーグがリサーチに時間を掛けて、細部を正しく描こうとしている点を高く評価したという。 そしてマーカスは、バーグ邸に1カ月滞在し、アフガンでの“作戦”実施の際に起こったことを、バーグに確実に理解させるよう努めた。またバーグは本作のリサーチとして、殺害された“シールズ”隊員の家族たちと会っては、未だに癒えない、深い悲しみと心の痛手に触れていった。 バーグは、『ローン・サバイバー』の権利を渡してもらえた場合の、マーカスとの約束も守った。それは“ネイビー・シールズ”の現役の隊員たちと、多くの時間を過ごすこと。バーグはイラクに渡って1ヶ月半、シールズの一隊と時間を共にした。 こうした経験が積み重なったからこそ、バーグは本作に必要なディティールやニュアンスを掴み取ったと言える。 配役に関してバーグは企画段階から、「君がきっとやりたいと思う映画だ」と、ウォールバーグに話していたという。ウォールバーグは敢えて原作に触れることなく、バーグの書いた脚本を待ち、そして熱狂的に受け入れた。最終的にはバーグのパートナーとして、「この映画の資金集めを手助けしてくれて、おまけに他の役者の面倒をみてくれた」という。 ウォールバーグはじめ主要キャストが約1カ月半、原作者の指導による軍事訓練を受けた後、ニューメキシコ州の山岳地帯で『ローン…』の撮影がスタートした。スタッフ&キャスト共に、毎朝4時にヘリコプターで山頂に向かう際は、各人がポケットに昼食用の卵サンドイッチを詰め、手には照明を抱えていたという。 山頂に着いたら、機材を運ぶのを手伝い、トイレに行きたければ、茂みにいくしかない。そんな中でウォールバーグは、“映画スター”的に振舞うことは一切なく、その“一員”になっていた。 そうして完成した『ローン…』は、オープニングは、実際の“ネイビー・シールズ”の、過酷な選抜訓練のドキュメンタリー映像で幕を開け、エンディングは、登場人物のモデルになった人々の、遺された写真や映像で〆る。そこに挟まった形で展開する本編もまた、手持ちカメラなどを多用したドキュメンタリー的な撮り方となっている。事実をベースにしているということもあるが、主人公たちが戦闘中に負う“傷”や“痛み”を、観客に体感させるような演出である。 私個人は、アメリカ軍が他国に渡って行っていることの正当性や、タリバンの描き方などに対して、色々と思うところはある。しかし、命懸けで戦った“ネイビー・シールズ”隊員たちの経験を通じて、そこに何らかの教訓を見出すことには、必ずや意義はあろう。そうした点に関してバーグ監督が、「私は自分の仕事に誇りを持っているよ」と語るのは、至極納得がいく。 さて本作の成功を受けて、監督ピーターと主演マークの“Wバーグ”は、次々とコンビ作を製作していくことになる。共に2016年に公開された『バーニング・オーシャン』と『パトリオット・デイ』は、『ローン…』と同じく、実話ベースの作品。海洋事故とアメリカ本土でのテロと、扱う題材は違えども、アクチュアルなテーマをドキュメンタリータッチで描き、観客をその“現場”へと導くことに、抜群の冴えを見せる。 コンビ4作目の『マイル22』は、実話ベースの“制約”を外して、ウォールバーグ曰く、「自分たちがやりたいように撮れる作品を作りたかった…」という。キャラクター中心の「単なるアクション映画」を目指したわけだ。 しかしそうは言っても、やはりバーグの監督作品だ。実在する特殊部隊や諜報組織のリサーチを綿密に行い、その筋の者たちを、作品のコンサルタントに招いている。そうした意味では『マイル22』の“Wバーグ”は、アクチュアルなテーマをドキュメンタリータッチで描く手法は変えずに、物語的な飛躍を目指したと言えよう。 バーグ監督曰くウォールバーグは、「兄弟みたいな存在…」で「信頼関係があるので一緒に仕事をすると楽しい…」。ウォールバーグはバーグについて、「役者上がりだから、最高の演技ができるような環境を作りだすのがうまい…」「役に没頭するタイプの僕は、ピート(バーグのこと)のリアルなテイストが性に合っている…」と語っている。 2020年代に突入しても、ピーター・バーグとマーク・ウォールバーグ=“Wバーグ”には、ハリウッドのアクション映画シーンを是非リードしてもらいたい!■
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COLUMN/コラム2020.01.05
本気で泣ける少林寺映画、『新少林寺/SHAOLIN』
“少林寺”といえば、ジェット・リー(当時はリー・リンチェイ)主演の映画。1970年代生まれのぼく世代にとっては、映画『少林寺』(82年)はそれだけのインパクトを持った映画だった。 まずは予告編からして、朝日をバックにリズムカルな「ハッ!ハッ!ハッ!ハハッ!」という掛け声とともに修行を積む少林僧たち、そして「天に竹林寺、地には少林寺」という唐突すぎて意味不明なキャッチコピー、「知られざること2000年…初めてカメラが撮らえた…世界の武術のルーツ少林寺」「全中国武術大会チャンピオン総出演」「中国縦断ロケ2万キロ」といったモンド映画のように観客の好奇心をそそるコピーが連打される、東宝東和ハッタリ演出の総力を結集したかのような最高の出来で、この予告編を観た全国の小中学生は劇場に殺到。それまで少林寺と言えば日本の武道である少林寺拳法(実は少林寺拳法も本作の製作・プロモーションなどをフルサポートしている)しか知らなかった少年少女たちは、ブルース・リーやジャッキー・チェンとも違う本作のカンフーに喝采を送り、日本では16億円を超えるメガヒットを記録したのだった。 少林寺映画は続編『少林寺2』(83年)『阿羅漢』(86年)という“リンチェイ少林3部作”の大ヒットが決定打となり、完全に世界各国で市民権を獲得。中国では映画を観た少年たちが次々と家出をして少林寺を目指すという社会現象が起き、日本でも『少林寺三十六房』(77年)のような過去作も次々と公開される一大ブームを巻き起こすこととなる。 ところで読者の皆さんは、少林寺はどのような場所なのかご存じであろうか。 少林寺は正式には嵩山少林寺といい、中国河南省にある寺院である。禅宗の開祖である達磨大師がインドから中国に渡り、嵩山で壁に向かって9年間座禅を続け(面壁)悟りを開いたことに始まるとされており、所説はあるが達磨によって少林武術が創始され、僧兵集団を形成していくことになる。隋末には、隋を滅ぼした王世充による攻撃もあったが、これを討伐する太宗・李世民の軍に僧兵を援兵し、国家の庇護を受けた少林寺は発展していくことになる(この時代が『少林寺』で描かれる時代となる)。 その後も少林寺では多様な武術が発展していくのだが、清代末期には武術組織と新興宗教を母体とした義和団の乱が勃発。諸外国の連合軍によって義和団の乱が鎮圧されると、国際的な監視下で中国全土で武術の禁止が発令され、少林拳も強く規制されることになる。さらに袁世凱死去後の軍閥時代末期となる1928年には、軍閥の抗争に巻き込まれる形で寺院の建物や所蔵物が焼失してしまう事態が発生。現在はいくつかの建造物は復興されているが、完全復興には至っていない状態は続いている。しかし少林寺は何回かの存亡の危機に瀕しながらも、そのたびに不死鳥のように蘇ってきた歴史があり、中国の市場経済化以降は、現方丈の釈永信の下で商標ビジネスや物販、少林武術ショーを積極的に行い、巨大な利権を生み出す観光化を推し進めている。 そんな少林寺を舞台にした映画は、中国・香港・台湾の各映画界において何度も何度も作品が作成されてきた。隋代末期の物語をベースとする少林寺モノのブームが沈静化したのちは、かつて福建省に存在していたとされていた福建少林寺の南派少林寺系の武侠や英雄の物語が繰り返し映画化されている(『ドランクモンキー酔拳』(78年)や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(91年~)のウォン・フェイフォンなど)。 そして1997年の香港の中国返還後は、多くの香港映画人が中国に渡って少林寺映画を製作。中でも『少林寺』の監督チャン・シン・イェンと『マトリックス』(99年)のユエン・ウーピンが共同監督し、ウー・ジンが主演した『新・少林寺』シリーズ(99年~)と『少林武王』シリーズ(01年~)は中国本土でも大ヒットとなった。さらに香港の喜劇王チャウ・シンチーが監督・主演した『少林サッカー』(01年)は、少林寺(カンフー)+α映画の新地平を切り開き、2013年には本家嵩山少林寺が少林拳とサッカーを組み合わせたサッカースクール開校を発表するなど、映画の影響は大きく広がっていくことになる。ちなみに日本では少し遅れて少林寺映画ブームが到着し、『踊る大捜査線』シリーズの本広克行+亀山千広が制作し、柴崎コウが出演した『少林少女』(08年)、バラエティでも一時人気者となったチャン・チュワン君が主演した『カンフーくん』(07年)、『ガキ使』の浅見千代子が主演する『少林老女』(08年)などが制作されている。 そんな少林寺ブームも一段落した2010年代、新たな少林寺映画のマスターピースが登場することになる。『新少林寺/SHAOLIN』(11年)である。 中華民国の初期は、軍閥同士が血で血を洗う抗争を繰り返す動乱の時代であった。そんな時代の少林寺は、戦乱で家や家族を失った者、傷つき病に倒れる者を救う救済所となっていた。1912年のある日、少林寺に負傷した登封城の将軍・霍龍(チェン・チーフイ)が逃げ込んでくるが、悪逆非道を尽くす軍閥の長である侯杰(アンディ・ラウ)と副官の曹蛮(ニコラス・ツェー)が霍龍を追って少林寺に侵入。霍龍を殺害し、少林寺を侮辱して去っていく。霍龍亡き後の登封城の扱いをめぐって侯杰は妻の顔夕(ファン・ビンビン)の実兄である宋虎将軍(シー・シャオホン)と対立し、その暗殺をもくろむ。しかし腹心の曹蛮の裏切りに会い、侯杰は命からがら脱出するが、愛娘の勝男(嶋田瑠那)が重傷を負ってしまう。切羽詰まった侯杰は少林寺に飛び込むが、少林僧たちの懸命の救護活動の甲斐なく勝男は死んでしまう。勝男を失った悲しみを抱えた侯杰は厨房係の悟道(ジャッキー・チェン)に預けられるが、自ら頭を丸めて出家することを決意する。方丈(ユエ・ハイ)によって入山を許可され、武道と医療の修行を開始して浄覚という法名を与えられた侯杰だったが、曹蛮の悪政で村人が虐殺されそうになることを救ったために少林寺で生き延びていることがバレてしまう。曹蛮は侯杰を殺すため、少林寺に軍隊を送り込むが……。 少林寺の受難時代は隋代末、中華民国初期、文化大革命の3つのポイントとされており、少林寺映画と言えば隋代末を描くものがもっともメジャー。近代以降はどうしても銃vs.拳法という勝ち目のない勝負となってしまうため、映画として描きづらくなってしまうからだ。しかし本作は中華民国初期、少林寺の伽藍の多くが消失した事件をベースにしたオリジナルストーリーとなっている。 配役としては、1982年版『少林寺』でタン師父を演じたユエ・ハイが少林寺の方丈役を演じ、少林僧のリーダーである浄能役には『戦狼 ウルフ・オブ・ウォー』(17年)で中国史上最高の興行収入を上げることになるウー・ジン、顔夕役には最近巨額脱税で話題となったファン・ビンビン、若き野心家・曹蛮役は『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』(06年)のニコラス・ツェー、そしてカンフーが使えない悟道役には何とジャッキー・チェンが演じており、物語を盛り上げる。監督は香港警察映画の名手ベニー・チャン、武術指導はジェット・リーの盟友でジャッキー・チェンの兄弟子のユン・ケイが担当。本作は香港では2011年の旧正月映画として公開されて大ヒットを記録し、第33回香港電影金像奨では助演男優賞、動作設計(アクション指導)などにノミネートされるなど、興行面でも評価面でも大成功を収めた映画となった。 しかし何と言っても本作の白眉は、主演のアンディ・ラウの演技。物語は残虐な侯杰が裏切られて少林寺に向かうまで、侯杰が少林寺で修業して開眼するまで、最後の大戦争をいう3部に分かれており、各章立てがちょうど1/3ずつの時間を使って構成されているのだが、第1部では残虐な冷血漢、第2部では思い悩む苦悩者、第3部では悟りを開いた高僧という、全く異なるキャラクターを見事に演じ分けている。 本作はもちろん激しいアクションが見所の作品であり、美術設計として金像奨にノミネートされた美しい少林寺の風景とクライマックスで破壊(爆破シーンが半端なく凄い!)されて瓦礫の山となるギャップの凄さもあるが、前述のアンディ・ラウとニコラス・ツェーの名演によって何よりも少林寺映画としては稀有な“泣ける少林寺映画”である所がこれまでの少林寺映画とはまったく異なる点となっている。憎しみも悲しみも乗り越えた主要登場人物たちが、最後にたどり着く境地をその目で確かめてほしい。■ © 2011 Emperor Classic Films Company Limited All Rights Reserved
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COLUMN/コラム2020.01.03
アクション映画の歴史を変えたスティーヴ・マックイーンの代表作。『ブリット』
映画史上最高にクールな男スティーヴ・マックイーンが主演した、映画史上最高にクールなアクション映画である。人気テレビ西部劇『拳銃無宿』(‘58~’61)で脚光を浴び、『荒野の七人』(’60)と『大脱走』(’63)で映画界のスターダムを駆け上がったマックイーン。主演作『シンシナティ・キッド』(’65)も大ヒットし、『砲艦サンパブロ』(’66)ではアカデミー主演男優賞候補にもなった。そんな人気絶頂の真っただ中に公開され、全米年間興行収入ランキングで5位のメガヒットを記録した作品が、この『ブリット』(’68)だった。 舞台はサンフランシスコ。ミステリー作家ロバート・L・フィッシュがロバート・L・パイク名義で執筆した原作小説では、東海岸のボストンが舞台となっていたものの、当時のサンフランシスコ市長ジョゼフ・L・アリオートは映画撮影の積極的な誘致に乗り出しており、ロケ撮影にとても協力的だったことから同市が選ばれたという。実際、ここがアメリカ西海岸であることを忘れさせるような、サンフランシスコ市街地のお洒落でヨーロッパ的な佇まいは、スタイリッシュなムードを全面に押し出した本作において、もうひとつの主役とも言えるほど重要だ。 さて、そのサンフランシスコ市警の腕利き警部補ブリット(スティーヴ・マックイーン)が本作の主人公。上院議員チャルマース(ロバート・ヴォーン)に呼び出された彼は、シンジケート撲滅のため上院公聴会で証言する情報屋ジョー・ロスの保護を任される。ところが、チャルマース議員と警察しか知らない隠れ家の安ホテルへ2人組の殺し屋が現れ、ロスに瀕死の重傷を負わせたうえに護衛の刑事まで銃撃する。しかも、どうやらロス自身が殺し屋たちを部屋へ招き入れたらしい。なにかがおかしいと直感したブリットは、医師の協力を得て病院で死亡したロスの死体を隠し、まだ彼が生きていると見せかけて殺し屋をおびき出そうとする。 ストーリー自体は、正直なところ特筆すべきものでもない。謎めいたように思える事件の全容も、蓋を開けてみれば拍子抜けするほど単純だ。それよりも本作の面白さは、その後のハリウッド産アクション映画に多大な影響を与えたと言ってもいい、ピーター・イェーツ監督の徹底的にリアリズムを追究したアクション&バイオレンス描写にあると言えよう。中でも、今や伝説となっているカーチェイス・シーンは全ての映画ファン必見。坂道だらけのサンフランシスコ市街で、殺し屋2人組の乗った1968年型ダッジ・チャージャーと、ブリットが運転する1968年型フォード・マスタングGT390が凄まじい追跡劇を繰り広げるのだ。 そもそも、ピーター・イェーツ監督が本作に起用されたのも、カー・アクション演出の腕前を買われてのことだった。母国イギリスで撮った『大列車強盗』(’67)で、実に15分にも及ぶカーチェイス・シーンを披露したイェーツ監督。同作を見たマックイーン直々に指名された彼は、これが念願のハリウッド・デビューとなった。ロケでは実際にサンフランシスコの道路を封鎖して撮影を敢行。2人のカー・スタントマンがマックイーンの代役としてマスタングを運転しているが、しかしクロースアップではマックイーン本人がハンドルを握っている。なにしろ、カーレーサーとしても活躍した人だけあって、ハンドル捌きはプロのスタントマンも顔負けだ。車内の運転席から撮ったカーチェイス映像も、バックミラーにマックイーンの顔が映っているカットは本人の運転である。 一方、敵のダッジ・チャージャーを運転しているのは、殺し屋役を兼ねたカー・スタントマン、ビル・ヒックマン。彼は『フレンチ・コネクション』(’71)や『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(’73)でも圧倒的なカーチェイスを披露している。なお、途中でカーチェイスに巻き込まれるバイクを運転しているドライバーは、『大脱走』でマックイーンのバイク・スタントの代役を務めたバド・イーキンズだ。どれもまだCGやVFXが存在しない時代の、文字通り命がけのリアルなスタントばかり。その度肝を抜かれるような迫力は、公開から50年以上を経た今も全く色褪せない。 『ブリット』は『ダーティ・ハリー』のルーツ!? もちろん、主人公ブリット警部補役を演じるスティーヴ・マックイーンの、クールで寡黙でニヒルでスマートなヒーローぶりも抜群にカッコいい。どこまでも冷静沈着で任務に忠実。上からの圧力にも決して折れず、時にはルールを無視することも厭わず、とことんまで犯罪者を追い詰めていく。そんな彼を上司のベネット署長(サイモン・オークランド)も全面的に信頼し、「いざとなったら俺が守ってやる」とまで言ってくれるんだから泣ける。 相棒のデルゲッティ刑事(ドン・ゴードン)ら同僚や部下の多くも、あえて口には出さないけれどブリットに厚い信頼を寄せている様子。この男同士のベタベタしない、暗黙のうちの友情ってのもいいのだよね。いけ好かないチャルマース議員に口うるさく非難されたブリットが、同じくチャルマース議員から人種的偏見で担当を外された黒人医師(ジョージ・スタンフォード・ブラウン)と、さり気なく視線を交わすだけでお互いに理解し合う瞬間の、あのなんとも言えない雰囲気も最高。近所の雑貨屋で買い物をするブリットの姿から、その人となりを雄弁に描くなど、セリフに頼らないイェーツ監督の人間描写・心理描写が素晴らしい。 そんなブリット警部補を演じるにあたってマックイーンが参考にしたのは、当時ゾディアック事件を担当して全米の注目を集めていた、サンフランシスコ市警の名物刑事デイヴ・トッシ。そう、あの『ダーティ・ハリー』(’71)シリーズのハリー・キャラハン警部のモデルにもなった人物だ。映画ポスターにも出てくるブリット愛用のショルダー・ホルスターも、実はトッシ刑事のトレードマークだった。サンフランシスコでのオール・ロケ、ハードなバイオレンス描写、ラロ・シフリンによるファンキーなジャズ・スコアなどを含め、本作は『ダーティ・ハリー』の先駆的な作品とも言えるのではないかと思う。 最後に共演陣にも目を向けてみよう。憎まれ役であるチャルマース議員を演じるロバート・ヴォーンは、これが人気テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』(‘64~’68)終了後の初仕事だった。『荒野の七人』で共演したマックイーンに説き伏せられての出演だったという。それまでダンディなスパイ・ヒーローを颯爽と演じていた人が、今度は一転して鼻持ちならない傲慢な政治家を演じたのだから勇気が要ったのではないかと思うのだが、よっぽど本作の印象が強かったせいなのか、以降の彼は『タワーリング・インフェルノ』(’74)を筆頭に悪役をオファーされることが多くなる。 ブリットの恋人キャシー役には、その後ハリウッドの美人女優の代名詞ともなるジャクリーン・ビセット。当時はまだ頭角を現し始めた頃で、出番もそれほど多くはないのだが、犯罪捜査の殺伐とした世界に生きるブリットの、ある意味で救いともなるような存在として重要な役割だ。脇役でいい味を出しているのは、何と言ってもベネット署長役のサイモン・オークランドだろう。コワモテだけど頼りになるオヤジさんという雰囲気がいい。マックイーンとは『砲艦サンパブロ』でも共演済み。そういえば、デルゲッティ刑事役のドン・ゴードンも、『パピヨン』(’73)と『タワーリング・インフェルノ』でマックイーンと共演していた。ロバート・デュバルがタクシー運転手役で顔を出しているのも要注目。ちなみに、ブレットがタレコミ屋エディと待ち合わせするシーンで、レストランの席に座っているエディの連れの女性は、フォーク歌手ジョーン・バエズの妹ミミ・ファリーニャである。■ 『ブリット』© Warner Bros. Entertainment Inc., Chad McQueen and Terry McQueen
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COLUMN/コラム2020.01.03
空前のディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影。『サタデー・ナイト・フィーバー』
‘70年代最大のカルチャー・ムーブメントといえば、間違いなく「ディスコ」であろう。そのインパクトは’50年代のロックンロールや’60年代のブリティッシュ・インベージョンにも匹敵するほど強烈なものだったが、しかしディスコがそれらのユース・カルチャーと一線を画していたのは、人種や国境や年代の垣根を超えてあらゆる人々を巻き込みながら盛り上がったことだ。文字通り、世界中の老若男女が煌びやかなディスコに熱狂したのである。 それは音楽ジャンルの壁すらも軽く超越し、キッスやローリング・ストーンズといったロックバンドはもとより、フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムスのようなクルーナー、果てはシャンソン歌手のダリダやミュージカル女優エセル・マーマン、演歌歌手の三橋美智也に至るまで、ありとあらゆるジャンルのアーティストが流行に遅れまいとディスコ・ナンバーを世に送り出した。そんなディスコ・ブームの頂点を極めたのが、ジョン・トラヴォルタの出世作ともなった映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。 ディスコはただのブームではなかった ディスコ発祥の地はフランス。ジャズバンドの生演奏の代わりにDJの選んだレコードを演奏して客に躍らせるナイトクラブのことを、レコード盤の「Disc」とフランス語でライブラリーを意味する「Bibliothèque」をかけてディスコテーク(Discothèque)と呼んだのが始まりだ。アメリカには’60年代に上陸したが、しかし当初はニューヨークのル・クラブやアーサーに代表されるような、ジェットセッター御用達の特別な社交場に過ぎなかった。ディスコが本格的にアメリカ文化に根付き始めたのは、’60年代末~’70年代初頭にかけてのこと。ニューヨークやロサンゼルスなど大都市圏に住むゲイや黒人、ラティーノといった、マイノリティ向けのアンダーグランドなクラブ・シーンがその舞台となった。 折からの経済不況に苦しむ当時のアメリカの若者たち、中でも就職先に恵まれない貧しいマイノリティの若者たちは、せめて週末くらいは暗い日常を忘れて楽しもうとディスコに集い、DJのプレイする軽快なディスコ・ミュージックで踊り明かすようになる。また、当時はウーマンリブ運動の影響によって、都会では多くの若い独身女性が社会進出したわけだが、そんな彼女たちも気軽に遊べる場所としてディスコへ通うようになる。危ない目にあう心配がないからとゲイ・クラブを好んで利用する女性も多かったそうだ。そして、そんな彼ら・彼女らがディスコで踊ったダンサンブルなレコードを買い求めるようになり、やがて音楽業界もこの新たなムーブメントに注目するようになる。ほかのジャンルに比べてディスコに女性アーティストが多いのは、そうした背景もあったと言えよう。 さらに、’75年のベトナム戦争終結もディスコ人気が拡大するうえで重要なきっかけとなった。’60年代末から続く反戦とフォークと政治の暗い時代が終わりを告げ、アメリカ国民は明るくて楽しくてキラキラしたものを求めるようになったのである。フリーセックスやゲイ解放運動など、当時のリベラルで開放的な社会ムードも、本来はアンダーグランドなカルチャーだったディスコをメインストリームへ押し上げたと言えよう。ちょうどこの年、ヴァン・マッコイの「ハッスル」やドナ・サマーの「愛の誘惑」、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「ザッツ・ザ・ウェイ」といった、ブームの幕開けを告げる金字塔的なディスコ・ヒットが矢継ぎ早に生まれたのは、決して偶然の出来事ではない。 かくして、全米各地でディスコ専門ラジオ局が次々と誕生し、’75年に放送の始まった「Disco Step-By-Step」のように最新のダンス・ステップをレクチャーするテレビ番組が人気を集め、ディスコから生まれたヒット曲が次々と音楽チャートを席巻する。地域のコミュニティセンターや街角のガレージなどでもディスコ・パーティが企画され、年齢制限でディスコに入れない子供から夜遊びに縁遠いお年寄りまで、そして白人も黒人もヒスパニックもアジア人も関係なく、幅広い人種と世代のアメリカ国民がディスコ・ミュージックで踊り狂ったのだ。 さらには、もともと歌劇場だった老舗スタジオ54が’77年にディスコとして新装開店し、芸能界から政財界に至るまで名だたるセレブ達の社交場として人気を集めたことから、ディスコはアメリカで最もホットなトレンドとなったのである。そして、まさにその年に劇場公開されて爆発的なヒットを記録したのが映画『サタデー・ナイト・フィーバー』だった。 時代のトレンドを通して社会の実像に迫る 舞台はニューヨークの下町ブルックリン。主人公は貧しいイタリア系の若者トニー(ジョン・トラヴォルタ)。街角の小さな工具店で真面目に働くも給料は雀の涙、家に帰れば両親からダメ息子扱いされて居場所がない。そんなトニーにとって唯一の気晴らしは、近所の不良仲間とつるんで週末の土曜日に出かける地元のディスコだ。普段はうだつの上がらない負け組のトニーも、ここへ来ればダンスフロアで華麗なステップを踏んで周囲の注目を集める「ディスコ・キング」。ハンサムでセクシーで抜群にダンスの上手い彼は、若い女性客たちが放っておかない正真正銘のスターだ。もちろん、所詮は一晩だけの夢と本人も分かっている。しかし、彼にとって虚しい現実から逃れられる場所はここ以外にないのだ。 そんなある日、トニーはひときわ目立つ若い女性ステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)と知り合う。美人だしダンスは上手いし、なによりもほかの下町の女の子たちとは明らかに違う、洗練された都会的な雰囲気がある。実際、彼女はマンハッタンの芸能エージェントに勤めるキャリア・ウーマンで、トニーの周りにはいないタイプのインテリ女性だった。といっても、その喋り方には下町訛りがかなり残っているし、話す内容も有名な芸能人が出入りする華やかな職場の自慢話ばかり。どうやらまだ就職して日が浅いらしく、近々ブルックリンからマンハッタンのアパートへ移り住むらしい。「私はあなたたちと違うのよ」というエリート意識が鼻につく上昇志向の強い女性だ。 しかし、それゆえにトニーは自分にないバイタリティを彼女に感じ、ディスコで開催される恒例のダンス・コンテストのパートナーとして彼女と組むことにする。夢を追いかけて地元から出ていくステファニーの強さと行動力に刺激を受けるトニー。一方の自分はといえば、異なる人種グループとの無意味なケンカでストレスを発散し、現実逃避でしかない夜遊び・女遊びに明け暮れる毎日。外の世界のことなど殆ど知らない。このままで俺は本当にいいのだろうか?今の生活を続けることに疑問を抱き始めた彼は、やがて自分の将来を真剣に考えるようになる…。 ‘76年に雑誌「ニューヨーク」に掲載されたイギリス人音楽ジャーナリスト、ニック・コーンのルポルタージュ記事を基にした本作。加熱するディスコ・ブームに当て込んだ便乗企画であったろうことは想像に難くないし、そもそも主人公トニーのモデルになった男性が原作者の創作だったことをコーン自身が後に認めているものの、しかし貧困やマイノリティ、ウーマンリブにフリーセックスと、当時の文化的・社会的な背景をきっちりと盛り込んだ脚本は、ディスコ・ムーブメントの本質を的確に捉えていると言えよう。そこはやはり、ジョン・G・アヴィルドセンの『ジョー』(’69)やシドニー・ルメットの『セルピコ』(’73)で、大都会ニューヨークのストリートを通して現代アメリカの世相をリアルに描いた、名脚本家ノーマン・ウェクスラーならではの社会派的な視点が光る。 もちろん、社会性とエンタメ性のバランスをきっちりと踏まえたジョン・バダム監督の演出も絶妙で、中でも着飾った若者たちが踊り狂う煌びやかなダンスフロアと薄汚れたブルックリンの生々しい日常との対比は、ディスコ・ブームに沸く’70年代アメリカの光と影を鮮やかに活写して秀逸だ。本作の大成功を受けて、『イッツ・フライデー』(’78)や『ローラー・ブギ』(’79)、『ミュージック・ミュージック』(’80)など柳の下の泥鰌が雨後の筍のごとく登場したが、時代のトレンドを通して社会の実像に迫る本作は、やはり数多の「ディスコ映画」とは明らかに一線を画すると言えよう。 なお、本作は’80年代映画サントラブームのルーツとしても重要な役割を果たしている。「オーストラリアのビートルズ」からディスコ・グループへと華麗なる転身を遂げたビージーズが新曲を提供し、「ステイン・アライヴ」や「恋のナイト・フィーバー」「愛はきらめきの中に」の3曲が全米チャート1位を獲得した本作。さらにイヴォンヌ・エリマンの歌った「アイ・キャント・ハヴ・ユー」も全米1位となり、ほかにもトランプスの「ディスコ・インフェルノ」やKC&ザ・サンシャイン・バンドの「ブギー・シューズ」など数々のディスコ・ヒットを全編に使用。それらを収録した2枚組のアルバムは全世界で4000万枚以上を売り上げるほどの社会現象となった。この「最新ヒット曲を集めたオムニバス盤」的なサントラ戦略の成功が、後の『フラッシュダンス』や『フットルース』などの布石となったと考えられる。■ 『サタデー・ナイト・フィーバー』© 2013 PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2020.01.01
—ジャンル融合による新ヴァンパイア映画の誕生— 『ニア・ダーク/月夜の出来事』
■RVカーで放浪する現代の吸血鬼 アリゾナ州フェニックスにある町で、美しい女性・メイと出会ったカウボーイのケイレブ・コルトンは、自分が恐ろしい運命に巻き込まれるとは思いもよらなかった。彼はキスを要求してきたメイに首を咬まれ、そして明けの陽光に当たると、いきなり体が燃え始めたのだ。 そんなケイレブを、とつぜん猛進してきたRVカーが引きずりこむ。中にはメイと行動を共にする、強面のリーダーであるジェシーと男勝りなダイヤモンドバック、そして気性の荒いセヴェレンと、大人びた少年ホーマーがいた。彼らは全員が生きるために人間の生き血を必要とする、ヴァンパイアの一団だったのだ——。 イラク戦争における爆弾処理兵の苦悩を描いた『ハート・ロッカー』(08)で、女性初となる米アカデミー賞監督賞を手中にした監督キャサリン・ビグロー。受賞後の発表作『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)では、オサマ・ビンラディン暗殺計画の全容に迫り、また直近の作品となる『デトロイト』(17)においては、1967年にミシガン州デトロイトで発生した米史上最大の暴動と、その拡大の中で起こった白人警官による黒人の虐待殺人「アルジェ・モーテル事件」を克明に再現。観る者を人種差別の凄惨な現場へと導いている。 このように、今や社会派の巨匠となった感のあるビグローだが、キャリア初期はファンタジックな秀作を意欲的に手がけ、近年からは想像もつかないような作品展開でコアなファンを獲得している。1987年製作の『ニア・ダーク/月夜の出来事』は、そんな彼女の単独監督としての第1作目にあたる。 ジェシー率いるヴァンパイアたちはナイフと銃を武器に、廃屋やモーテルを転々とし、窓を黒く塗ったRVカーで移動する放浪者のような存在だ。ケイレブはそんな彼らの餌食になるも、メイは彼をヴァンパイア化させ、自分の血を与えて生かそうとする。いっぽうケイレブを目前でさらわれた父ロイと妹のサラは、かけがえのない身内を必死の思いで見つけ出そうとする。ケイレブはそんな父との再会を果たすとき、家族とメイとの間で絆の選択を迫られていく。 やがてフッカーたちはそんなロイや警察を相手に銃撃戦を交わし、バンガローの壁には銃弾が突き刺さり、陽光がレーザー照射のように部屋の中を切り裂いていく。そんなホラー映画史上最も特異な“吸血鬼ウエスタン”ともいうべきこの物語は、ホラーと西部劇、そしてアクションの融合作として、ビグローのスタイリッシュかつキネティックな映画制作を証明するものとなった。加えてブルーを基調とするクールな色の演出や逆光の効果的な使用など、後の作品に見られるビジュアルスタイルは、この『ニア・ダーク』によって完成されている。 ■女性監督キャスリン・ビグローの台頭 商業監督として一本立ちしたいと切望していたビグローは、『ヒッチャー』(86)の脚本家・エリック・レッドと共同して書いていた2本のスクリプトのうち『ニア・ダーク』を映画会社に送り、興味を示したプロデューサーのエドワード・S・フェルドマン(『エクスプロラーズ』(86)『ゴールデン・チャイルド』(87))と会う。ビグローが提示した映画化の条件は、「自分を監督させること」で、フェルドマンは「わたしがダメ出しすれば、途中交代もある」ことを引き換えに条件を受け入れるが、彼女の熱心な仕事ぶりと緻密な演出力に舌を巻き、完成を彼女に委ねることとなった。 こうしたジャンルの混合は当時の映画界の潮流としてあり、正統な吸血鬼ジャンルでは企画がとおりにくいという事情が横たわっている。そのため本作において「ヴァンパイア』や「吸血鬼」といった呼称は用いられず、また吸血鬼の映画に常在していたゴシック様式は取り払われ、十字架や聖水などのアイコンはこの映画には登場していない。 しかしビグローはそれらを取り除いたにもかかわらず、血が絆を結びつけるものとして「家族」を象徴的に描き、多くの点で意図的な家族への献身に形を変えて捉えている。筆者はビグローが2002年に発表した潜水艦映画『K-19』(02)のプロモーションで彼女と出会う機会に恵まれたが、同作のカメラワークが『U・ボート』(81)に似た動きをしていることを指摘すると、「この作品を(ウォルフガング・)ペーターゼンのマスターピースと比較してくれるなんて光栄なこと。でもわたしは潜水艦映画を撮ったという意識はないの。『K-19』は、男は難しい局面でどういう選択をし、どういう生きざまを見せるべきか。それを問う作品として捉えてほしい」 と、あくまでテーマ尊重の姿勢を目の当たりにしたことが思い出される。そしてこの家族に対するテーマへの 象徴的なハッピーエンドを迎えるに大きな作用をなすのである。 『ニア・ダーク』は製作元であるラウレンティス・エンタテインメント・グループ (De Laurentiis Entertainment Group) が倒産してしまったため、宣伝展開が思うようにいかず、ビグローは単独監督デビューを華々しいヒットで飾ることはできなかった。しかし評論家や観客の評価は高く、今でも本作を彼女の最高傑作と讃える者は少なくない。 ■『エイリアン2』との関係性 ビグローのホラージャンルを借りた深いテーマへの追求は、巧妙なキャスティングの試みによっても支えられている。 本作にはヴァンパイア役の主要キャストに、ランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステイン、そしてビル・パクストンといった『エイリアン2』(86)に出演した俳優が顔を揃えている。当時、ヘンリクセンとパクストンは役作りのためにブートキャンプを組んだジェームズ・キャメロン監督のアプローチを通じ、チームのような関係になっていた。これが映画にいい影響を与えるのではとビグローはもくろみ、ユニークなヴァンパイア一味のキャラクターを彼らで作り上げたのだ。 そのため前述のキャスティングに関し「ビグロー監督は、キャメロンから具体的な示唆が与えられたのでは?」という噂も飛び交ったという。 しかし実際のところ、パクストンらが自主的に『ニア・ダーク』の脚本を読んで出演を希望。それが『エイリアン2』チームの再結集だと気づいたビグローが急きょキャメロンに連絡をとり、承諾を得たのが事の次第である。ビグローが実際にキャメロンと会ったのは、新人女警官とサイコキラーとの壮絶な闘いを描いた『ブルー・スチール』(90)の製作中で、主演のジェイミー・リー・カーティスと次回作『トゥルー・ライズ』(94)について話し合うため、キャメロン自身がその現場を訪れたときだ。そのとき二人は互いの創作意識や、緻密なビジュアルスケッチを自分で描く共通点に意気投合。急速に仲を深め、同作の完成後に結婚することとなる(1991年に離婚)。 そんな彼らの関係を示し、『ニア・ダーク』を補足する映像資料が、ビル・パクストンがボーカルを務めるニューウェイブバンド「マティーニ・ランチ」のプロモーションビデオ"Reach"(88)だ。 売春宿の女を訪ね、荒れた小さな西部の町にやってきたバイカーが、女性ばかりの賞金稼ぎに命を狙われるこのPV。監督したのはジェームズ・キャメロンで、本作は『ニア・ダーク』とほぼ同時期に制作されている。そうした経緯もあって、劇中、女ガンマンの一人として出演しているのがキャスリン・ビグローだ。他にもランス・ヘンリクセンやジャネット・ゴールドステインが顔を出しており、また『ニア・ダーク』に見られるウエスタンの様式はパクストンの進言が大きく作用したとされているが、これを見れば明らかだろう。『ニア・ダーク』を観た後に参照していただきたい。■ 『ニア・ダーク/月夜の出来事』© 1987 Near Dark Joint Venture
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COLUMN/コラム2019.12.28
『ピースメーカー』でたどる民族問題地獄めぐり〜チェチェン、ナゴルノ・カラバフそしてユーゴ〜
97年の映画『ピースメーカー』は、ロシアで強奪された核弾頭を用いた核テロを防ぐため、アメリカ政府の核拡散防止グループのケリー博士(ニコール・キッドマン、以下ニコマン)が指揮を執り、ロシア軍にパイプを持つ米陸軍のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)とコンビを組んで、世界中を東奔西走する、というポリティカル・ミリタリー・アクションだ。 01年の9.11翌々月から本国放送が始まった「24」シリーズを先取りしたかのような内容で、クルーニーの吹き替えには、声優デビュー作「ER」でクルーニーを担当していた小山力也がソフト版でもTV放送版でも起用された。後に「24」のジャック・バウアー役で小山に白羽の矢がたったのも本作あったればこそでは?と筆者は勝手に妄想しているのだが、確証はない。 本作、出来の良いアクション映画で、放送時間たっぷり楽しませてくれることは請け合う。だが、今や似たような映画は多い。映画をよく見る人ならば、未見の人であれ再見の人であれ、新鮮な驚きを今さらは感じられないかもしれない。 しかし、97年という時代背景から読み解くことで、深い見方ができる豊かなテクストに、期せずして今となってはなってしまっている。以下その読み解きを試みてみる。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 1997年。良い時代だった!当時の筆者はそうは実感できず、60年代や70年代の過ぎ去りし時代に憧れ、その頃の映画を好んで見たりもしていたのだが、90年代もまた過ぎ去って歴史となった今の視点から客観的に見るなら、89年に始まるあの激動と希望の日々こそ、最良の時代だった。しばし、思い出話にお付き合い願いたい。 89年、日本はバブルの真っ只中で豊かさを楽しみ、バブル崩壊後も、今日ほど国民の貧困と国家の衰退が生々しい問題ではなく、祭りの後の余韻をまだしばらくは反芻できていた。 アメリカは91年の湾岸戦争で世界を導いて圧勝しベトナムで失くした体面を取り戻し、90年代後半からは日本とバトンタッチしてバブル景気へと突入。世界第1位と当時第2位の経済大国であった日米は、ともに西側にあって空前の繁栄を謳歌していた。 一方の東側は、80年代、貧しかった。東側のリーダーであるソ連は、一説では国家予算の4割を防衛費に回していたという。戦争が起こらなければ20年ほどでスクラップとなる無用の長物にである!ソ連の「衛星国」と呼ばれた東欧諸国では“資本主義の豚”たる西側の大手銀行に借金し、絶望的な貧困に人民が不満を抱かぬよう、消費財を買って市場に出回らせる(設備投資に充てるのではなく!)という、本末転倒な使い道のために借金に借金を重ねていた。こんなことは続かない!冷戦を今後も続けていける経済的余裕が、東側にはもう無くなっていた。 85年、その2年前にアメリカのレーガン大統領が「悪の帝国」と呼んで敵視したソ連に、ゴルバチョフ書記長が現れた。そして、改革開放を一個人のリーダーシップで、トップダウンで、内部から推し進めていった。もう冷戦は終わらせねばならなかった。 その自由化の波は東欧諸国にも伝わり(それとは無関係に反ロシア感情の根強いポーランドが先行して勝手に独自の民主化運動を起こしてはいたが)、89年、ハンガリーが先陣を切って共産党一党独裁体制を大政奉還する動きを見せ、鉄のカーテンの一部まで開いてしまった。ハンガリーはソ連(≒ロシア)とは縁が浅く、歴史的にはモーツァルトやクリムトやフロイトを生んだ先進文化大国オーストリアと深い縁で結ばれており、後進国ロシアで制度設計されたソ連型共産主義にはそもそも馴染めずにきた、“最も西側的な東側の国”だったためだ。 このハンガリーの動きが東ドイツ市民に伝播する。89年11月にベルリンの壁が崩壊。東欧のソ連衛星諸国は次々と、党が自主的に独裁(“指導”と自称していた)を返上するか、あるいは市民革命が起きて独裁者が打倒されるなどして、民主化していった。同89年12月、この時代の生みの親であるソ連のゴルバチョフは、アメリカのパパ・ブッシュと共に、マルタ会談にて冷戦の終結を宣言した。 これにより、いつか米ソ核戦争が起きて世界は滅びるかもしれない、という40年来の恐怖から、人類はようやく解放された。そして、選挙で有権者に選ばれたわけでもない特定イデオロギーの政党が憲法上唯一の“指導政党”として永久に君臨し続ける統治制度は改められ、それらの国々では複数政党制と、複数候補が立候補する自由選挙が導入されていった。興奮と歓喜の90年代が、希望と激動のうちに始まったのである。 それは、西側自由民主主義陣営の完勝だった。ソ連は91年末には地上から消滅し、中国の台頭はまだ。「唯一の超大国」と呼ばれたアメリカの“無双”状態が短期的には実現した。しかし、敵がいないと困るのがハリウッドだ。そこで、ロシアの政情と社会が混迷してきた90年代にハリウッドの脚本家たちが映画に登場させたのが、「ソ連の敗北を認めようとせず、米帝ズレの下風に立つことを潔しとしない、ロシアの保守強硬派」という、新たな敵役だった。たとえば97年の『エアフォース・ワン』などだ。 実際、91年の夏、ソ連ではクーデターが発生。ソ連初にして最後の大統領ゴルバチョフ(兼もともとソ連共産党書記長)が、副大統領、KGB議長、国防相ら「国家非常事態委員会」によって拘禁された。彼らは、ゴルバチョフによる改革開放路線がソ連を自壊に追いやると(特に、予定されていたソ連邦を構成する各共和国への大幅な自治権の移譲に)危機感を募らせていた、ソ連最高指導部内の保守強硬派たちだった。 しかし、ソ連邦を構成する国々のうち最大の共和国ロシアの大統領エリツィン(民主選挙で生まれたロシア初代大統領)が反クーデターの旗を振り、モスクワ市民に街頭に出て抗議に加わるよう呼びかけ、軍を掌握する国家非常事態委員会と対決した。ソ連邦の大統領を下部構成国ロシアの大統領が救おうと立ち上がったのだ。モスクワ市内に当時最新鋭のT-80戦車が陸続と列をなして進入し、2年前の天安門事件そっくりの緊迫した光景も見られたが、しかし、軍部もKGBもエリツィンと市民側に寝返り、もしくは静観したために、このクーデターは3日で失敗に終わる。 95年の映画『クリムゾン・タイド』は、このような保守反動クーデター勢力によるロシアの政変に端を発した核危機を背景に、全面核戦争に備えて出動した米海軍の戦略ミサイル原潜アラバマ内部で起こる、艦長と副長の指揮権をめぐる対立を描いている。 この「8月クーデター」によって、ロシア共和国とエリツィンの輿望は大いに高まった。反対に、ロシア共和国の上に立つソ連邦と、ソ連共産党、その両方の長であったゴルバチョフは、決定的に権威失墜し、クーデター終息の数日後にはゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任。ただしソ連大統領の座には留まった。それが、夏の終わり。 冬には、エリツィンのロシア共和国がソ連邦からの離脱を表明。ソ連の国土面積の大半を占めるロシアが脱退してソ連が存立できるわけがなく(日本国から本州が分離独立するようなものだ)、これはソ連邦の解体をただちに意味した。ゴルバチョフはついに連邦大統領職をも辞任。彼がクレムリンで上からの改革開放を始めてから6年、冷戦を終結させてから2年がたった91年の12月25日、ここに、ソ連は消滅。ロシアはじめ各共和国へと四分五裂していった。まさに、激動の時代であった。 ソ連を内部崩壊させ自由民主主義陣営に加わったロシアだが、世界を導くイデオロギーを自ら捨て去り、慣れない自由主義と資本主義には戸惑い、モラルも揺らぎ、さらにはハイパーインフレと金融危機に見舞われて経済まで破綻し、アメリカと世界のリーダーの座を競うどころでは到底なくなってきた。90年代の、ソ連崩壊後のロシアは、「混迷」の一語に尽きる。95年の『007 ゴールデンアイ』や、97年の本作『ピースメーカー』で描かれるのは、この、冷戦に負け、アメリカの軍門に下り、経済もモラルも崩壊してしまった、混迷するロシアの姿である。そして、この時期に台頭した「オリガルヒ」と呼ばれる政商的な巨大財閥(97年ヴァル・キルマー主演『セイント』における敵役)とプーチンによって、21世紀に入ると、超大国ソ連の栄光の復活を目指す、“強いロシア”の国家意志が露骨になり、自由民主主義諸国とは一線を画する独自の路線を歩み始め、今日に至るのである。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 前置きが長くなりすぎた。そろそろ映画『ピースメーカー』を見ていこう。冒頭、ロシアのミサイルサイロが描かれる。軍人たちが見守る中で核ミサイルが搬出されていくのだが、よく見るとそこに2人だけ、ロシア軍のオリーブ色の軍服ではなく、青色の軍服を着た軍人の姿が認められる。まごうかたなきアメリカ空軍のドレスブルーユニフォームだ。これは、核兵器の削減を米ソ間で91年と93年に合意したSTART(戦略兵器削減条約)に基づき、その履行監視のためにロシア国内のミサイル基地に米軍の査察団が派遣されていることを表している。冷戦が終結し、ICBMを減らすため、かつての敵国の監視団を自国のふところに招き入れるというところにまで、米露は接近し、世界平和は実現しかけていた。筆者が90年代こそ最良の日々だったと懐かしむ所以である。 このシーンで、ロシア軍の下士官が将校に「自分は核兵器を解体しているところをアメ公に見せてやるためロシア軍に入隊したのではありません!」と愚痴り、将校は「皆そうだ。だが世界は変わった。我々も変わらねばな」と応じる。ここまで書いてきた89年以降の経緯を踏まえた上で、97年当時のロシア人の心情を想像しながら味わってほしいセリフだ。 余談だが、2019年、トランプとプーチンがINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄した。地球が滅亡するICBM(戦略核。STARTの削減対象)の撃ち合いまでいかず、戦争や紛争で実際に局地的に使用されるリスクが高い中距離の戦域核の全廃から、世界は大きく後退してしまったのだ。これは、ロシアは抜け穴的に別の兵器だと装って実質的な中距離核ミサイル相当の飛翔体を開発しているではないか!という理由と、なにより、新たな超大国・中国がこの条約に加わっておらず、陸海空軍と並ぶ第四の軍である中国人民解放軍ロケット軍が、米露が核軍縮を進める裏で中距離核を開発しまくってきたため、もはや意味がない!という理由で、トランプが破棄を決めてしまったのである。まことに、あの最良の90年代の日々から、我々はどれほど遠くに来てしまったのか…溜息しか出ない。 映画の話に戻ろう。解体されているミサイルは「SS-18」。NATOコードネームで「サタン(悪魔の王)」と呼ばれた、1機のミサイルに10発の核弾頭を搭載でき、それをバラ撒いて10個の目標を攻撃できる、冷戦期を象徴する文字通り悪魔の多弾頭ICBMだ(ちなみに米軍側のライバルICBMは名前を「ピースキーパー」という)。10発の核弾頭は取り外されて、軍用列車で(おそらく処理施設に)運搬される。が、その途中で高度に訓練された武装勢力に襲撃され、全弾奪われてしまう。実は先のロシア軍将校も武装勢力の協力者であり、核をテロリストに横流しして儲けようとしている裏切り者なのだ。「世界は変わった。我々も変わらねば」と言ったのは、共産主義の理想もソ連時代のモラルも死んだ、今はカネが全ての世の中だ、という意味だったのだろう。当時、こういう考えの者も現れかねないと懸念されるほどに、ロシアは混迷の只中にあった(実際、北朝鮮のICBMのエンジンや移動発射台は旧ソ連軍の科学者が売った技術だとの指摘もある)。また、先の将校の上官であり、事件の黒幕であるロシアの将軍は、後のアメリカ側の身元調査によると「汚職疑惑で捜査されておりおそらく起訴される。演説の中でナショナリズムを煽り、失われたソ連の栄光を嘆き、スラヴ民族の団結を主張している。その上アル中で、女もはべらせている」とのことで、90年代ハリウッド映画に出てくる悪役の、ゴリゴリのステレオタイプだと言える。 彼ら強奪犯一味は、不慮の列車事故だと偽装し、10発の弾頭のうち1発を故意に起爆させて核爆発を起こし、現場検証を不可能にして追跡の目も撹乱しようとする。場所はウラル山脈の田舎だが農家も点在しており、証拠もろとも地元農民たちも地上から蒸発させられる。残る弾頭は9つ。 この核爆発を当然、アメリカの国防機関も即座に感知する。ワシントンは大騒ぎになり、核不拡散の専門家であるニコマンの耳にも速報が入る。爆発規模500~700キロトンと聞き、彼女は絶句。ちなみにヒロシマが15キロトンでナガサキが22キロトンだ。「チェルノブイリは忘れて!今回はもっと酷いから」とスタッフに言うほど、彼女も色を失う規模である。 報告を受けたホワイトハウスの国家安全保障担当大統領補佐官は「ロシア…なんたる混乱!冷戦が懐かしいよ」と罵る。そう。あの頃、誰もがロシアに「混乱」を見ていた。 ニコマンは補佐官に、この核爆発が列車事故では起こりえないことを解説する。まず、核弾頭は、プルトニウムを取り囲んで等量配置された火薬を同時に炸裂させ、爆圧を均等に中心部のプルトニウムに加えて核分裂を発生させる(これを「爆縮」と呼ぶ)以外には、決して核爆発は起こらない。専用の起爆装置を正しく用いない限り、事故や火事で「核爆発しちゃう」ことなど絶対にありえないのだ(この安全設計を「ワンポイントセーフ」と呼ぶ)。 そもそも、列車の衝突脱線事故と核爆発までに数分間のタイムラグがあったことも、衛星写真によって確認された。事故で爆発が起きたはずがないのだ。 「これはテロです!」とニコマンは断言する。補佐官は、ニコマンと彼女の核拡散防止グループに国防・安全保障関係各機関を指揮する権限を与えて大統領直属とし、ニコマンは核を盗まれたロシア軍とのリエゾン将校を一人つけてくれるよう要請する。リエゾン将校とは、相手の軍に派遣され自軍との連絡・調整にあたるパイプ役のこと。それが、クルーニーだ。 混迷の90年代ロシア軍とのリエゾンを務めた経歴を持つだけあって、型破りな軍人である。半分はジャック・バウアー型の漢だが、いつものセクシーなニヤケづらを絶やさず、バリバリのキャリアウーマンであるニコマンをいなすクルーニー演技のおかげで、余裕しゃくしゃくな印象もかもし、半分、ジェームズ・ボンドっぽさも漂う。 彼は、ちょうど議会の聴聞会に引き出されている最中だった。①神経ガスを②イラクに売ろうとしている③元KGBを捕らえるために、ロシア軍大佐と取引現場の④ディスコに行き、代金をめぐって店側とケンカになり自分は逮捕されたものの、おかげでロシア軍大佐が元KGB闇商人を発見して神経ガス密売を見事阻止。そのお礼としてクルーニーはアメ車をロシア軍大佐にプレゼントし(ここでもロシア軍のモラル崩壊を強調)、そのことで議会から吊し上げを喰らっているのだ。 ①神経ガスの恐ろしさを世界は2年前の地下鉄サリン事件で知ったばかりだった。②イラクはこの時期、湾岸戦争の後・イラク戦争の前で、フセインが大量破壊兵器を入手したがっているのではないか、とアメリカに疑われていた。③KGBはソ連崩壊の91年に解散。その任務は後にロシア連邦保安庁FSBに引き継がれたが、当時の混乱期には、反社会的勢力に“キャリア転職”して暗躍している元スパイがいるとも、まことしやかに囁かれていた。④ディスコはソ連崩壊後の退廃の資本主義モスクワを象徴するイメージで、この時期の映画ではしばしば描かれる(米FBIとロシア内務省が合同捜査でディスコにいるチェチェン・マフィアを逮捕するという幕開けで始まる97年のリメイク版『ジャッカル』など)。 また、本作では前半においてたびたび、今回の核爆発と「チェチェン情勢」が何らか関連しているのではないか?といったセリフが、複数のキャラクターの口から出てくる。 ソ連邦最大の構成国であったロシアだが、ロシアもまた連邦国家であり、マトリョーシカ構造になっていた。ロシア連邦の構成国の小さな一つが、コーカサス地方の一隅にあるイスラム系のチェチェン共和国である。91年ソ連崩壊直前の混乱のさなか、チェチェン共和国はソ連邦から、さらにはロシア連邦からも独立すると一方的に宣言。それは認めずと、ロシア連邦エリツィン大統領が94年に軍事侵攻し、第1次チェチェン紛争が勃発する。 西側自由世界は、民主化したロシアと、「8月クーデター」で自由を守るため市民を率いて立ち上がったエリツィンと、彼らによるチェチェンへの弾圧を、どう評価すべきか判断に窮する複雑な立場に置かれた。クリントン、ブッシュJr.両政権は一応は批判的な姿勢をとり、エリツィンと後のプーチンはそれには反発したが、米露間の大きな懸案となるところまではいかなかった。 さらに、戦争でロシア連邦軍に勝てなかったチェチェン独立派が、02年のモスクワ劇場占拠事件や04年のベスラン学校占拠事件など、ロシアの一般市民を狙った無差別大規模テロに訴えるようになり、しかもチェチェン側にアルカイダ系テロリストが合流しているとの説まで出てきて、9.11以降「テロとの戦い」に邁進していたアメリカとしては、ますますどう距離感をとっていいのか、どちらに肩入れすべきなのか、微妙な問題と化していった。 ハリウッド映画の中では、たとえば本作の場合だと、「ロシアにおけるゴタゴタの出元はたいがいチェチェンだが今回の核爆発とは無関係」と、チェチェン問題をどう評価するかからは逃げた中立のスタンスをとっている。一方、先に題名をあげた『ジャッカル』では、チェチェン・マフィアこそ良い自由主義国になるべく努力しているロシアの混迷と治安悪化の元凶であって、それを倒すためFBIとロシア内務省が合同捜査する、と、チェチェン側に批判的なスタンスをとっている。また『クリムゾン・タイド』では、チェチェンでのロシア連邦軍の住民弾圧を日米が非難すると、ロシアの極右指導者がクーデターを起こして極東の核ミサイル基地を掌握し、日米は黙って引っ込んでいないと核攻撃を加えるぞ!との声明を出したため、米海軍原潜に出動命令が下るというところから始まり、こちらは、親チェチェン・反ロシア的なスタンスだと言えなくもない。 『ピースメーカー』の話に戻る。例の神経ガス事件の時に組んでアメ車を贈った元相棒のロシア軍大佐から、元KGBを雇っているロシアン・マフィアのフロント企業がウィーンにあって本件に関与しているとの情報を得たクルーニーは、ニコマンと共にウィーンへ飛ぶ。そしてフロント企業のロシア担当ドイツ人社員を脅迫・拷問(!?)して情報を聞き出し、さらに、人の国の市街地でド派手なカーチェイスと銃撃戦をおっ始め、広場の真ん中で負傷して動けなくなった相手を射殺する、という、ハリウッド・アクション映画の定石を演じ(もちろんお咎めは無し)、このフロント企業が核爆発の発生地点近くで同日にトラックを配車していたメールを入手する。列車から奪われた核弾頭はそれに積み替えられたとみられ、トラックは今、イラン国境に向かっていることも確認がとれた。クルーニー、ここで「ファッキン・イラン!」と放送禁止用語を吐く。 2019年、イラン核開発問題をトランプが蒸し返し、またもキナ臭い空気が漂い、海上自衛隊まで巻き込まれかねない情勢となっているが、この時から、イランの核開発はアメリカの警戒の的であった。はたして核弾頭はイランが買おうとしているのか? ウィーンでの情報をもとに、偵察衛星でロシアからイランへの道路を監視するアメリカだが、車両が大量に渋滞しており、その中のどれが核弾頭を運んだトラックなのか見分けがつかない。そこでクルーニーはある一計を案じ問題のトラックを割り出すのだが、どうしてイラン国境付近がこんなに渋滞しているのかは、一言「アルメニアとアゼルバイジャンの戦闘から逃れる難民」との説明があるだけだが、これは「ナゴルノ・カラバフ戦争」のことをさしている。 地図をご覧いただきたい(チェチェンの場所もついでにご確認を)。クリックで拡大する。ロシアからイランに向け、コーカサス地方(この地図のエリア)を南下して抜けようとすれば、アゼルバイジャンを縦断するルートが一つだ。 アゼルバイジャンはイスラム教国だが、キリスト教少数民族も存在している。アルメニア系住民である。そのアルメニア系キリスト教住民が集中して暮らしているのが、ナゴルノ・カラバフだった。地図で「旧ナゴルノ・カラバフ自治州の境目」として点線で囲われている地域だ(クリックで拡大する)。イスラム教国の中に浮かぶキリスト教の離れ小島のようになっていた。西の隣国アルメニア(キリスト教国)の飛び地になっていたとも言える。ここが、例によってアゼルバイジャンからの分離と、アルメニアとの統合を求め、紛争が勃発。東欧革命で世界が生まれ変わる前年の88年に、ソ連体制下ですでに内戦状態に突入していた(つまり、別の文脈で起きた戦争だということ)。そして、住民を巻き込んだ戦闘、虐殺、レイプ、追放などが頻発した。 ご覧の08年の地図にある、このナゴルノ・カラバフを含むより大きなストライプ模様の領域「アルツァフ」という国は、「アゼルバイジャンから事実上独立した地域」とも地図中で説明されている。つまり、ナゴルノ・カラバフという飛び地にいたアルメニア系キリスト教住民は、飛び地であることに飽き足らず、アルメニア本国と境を接するまで土地を獲得していき、アルツァフ共和国として独立するまでに至ったのだ(ただし、アルメニアにも南部に「ナヒチェヴァン自治共和国」というアゼルバイジャンの飛び地が存在することに注目)。 再び話を映画に戻す。イラン国境近くの大渋滞の中から核を積んだ1台のトラックをあぶり出すシーンで、核密売の首謀者であるロシアの将軍が渋滞にイラつきながら「小汚い難民どもめ!アゼルバイジャン人にグルジア人(現ジョージア)にカザフ人!」とヘイトスピーチを吐き、トラックに同乗する核の買い手から「彼らを悪く言うな」と諌められても構わず「どこの生まれかは関係ない。ムスリム、セルビア、民族なんかどうでもいい。貧乏な奴らは嫌いだ!」と醜いヘイトを吐き続ける。買い手は旧ユーゴ出身者で「ムスリム」や「セルビア」という言葉に敏感に反応する。 この買い手は、弾頭を買って核テロを起こそうと計画している旧ユーゴ出身の男の弟なのだ。核弾頭の行き先はイランではなく、その兄の手元だった。クルーニーは国境を侵犯してロシア領内にヘリで侵入、ロシア国内で戦闘行為に及ぶという、近年まれに見る暴挙に出て核弾頭8発の回収に成功する。米露戦争に発展しなくて本当に良かった!だが、残念ながら1発足りない。最後の1発は、例の弟がクルーニーによる襲撃の混乱をかいくぐって持ち出し、最終的には兄に手渡すことに成功する。兄は旧ユーゴのボスニアの都市サラエヴォで暮らしている。どうやら妻子を亡くしたらしい。ユーゴ内戦で。 本稿では、89年東欧革命に始まる90年代を「最良の時代」だったと述懐してきた。東側の共産党一党独裁が終わり民主化され、東欧の旧ソ連衛星諸国は続々とEUに加盟し、ロシアも一時期は欧米型の自由民主主義国に生まれ変わってくれるかに見えた。これほどの大変革がおおむね平和裡に進展していったから「最良の時代」なのだが、何事にも例外は存在する。ソ連崩壊の混迷の中から生まれたチェチェン紛争がまず一つ。89年民主化とは違う文脈だがナゴルノ・カラバフ戦争が二つ目。そして、第三の悲劇がユーゴ内戦である。 そもそもからして複雑な地域だった。なにせ第一次世界大戦の火元となった「バルカンの火薬庫」とはここである。高校世界史の授業を思い出していただきたい。「汎ゲルマン主義」と「汎スラヴ主義」の対立。つまり、オーストリア帝国(ドイツ語圏)による統治の影響が色濃く残り、カトリックを信じ、ローマ字を使う民族と、ロシアに親近感を寄せキリル文字(ロシア文字)を使い、ロシアと同じ正教を信じる民族とが混在する土地だった。そこにさらに、オスマン・トルコ帝国の支配の置き土産でムスリムまでがいた。これらは全て、ほとんど同じ言葉を話す(方言のような違いはあるが)、遺伝的には同じ人種だ。だが、民族は違った。文字が違う。宗教が違う。習慣が違う。 彼らの間では民族対立が繰り返され、それが第一次世界大戦まで引き起こしたのだが、第二次大戦ではこの土地からナチスを追い払うためのゲリラ戦が闘われ、戦後、その闘争を率いたカリスマ指導者が大統領となって長らく国を治め、多民族を「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」という一国にまとめ上げてきた。しかし、80年に死去。だが、連邦の平和と栄光は尚しばらく続き、84年にはサラエヴォで冬季オリンピックが開催された。そして、89年の変革の時を迎えてしまう。 89年東欧革命の良き影響をダイレクトに受けたのが、ユーゴ連邦の中で最も西欧・中欧に近く、オーストリアと国境を接し(つまり汎ゲルマン主義圏)その支配下に置かれてきた、スロヴェニア共和国だった(89年東欧革命のそもそもの震源地も、オーストリア文化圏のハンガリーであったことを思い出していただきたい。東欧革命は、もともと先進オーストリア文化圏に属していた国々の、ロシア的後進性から離脱し古巣に回帰したい、という民族的衝動としての側面がある)。 また、クロアチア共和国も、進んだ海洋都市国家ヴェネツィア(イタリア半島の付け根)の支配下に長く置かれてきた歴史があり、西欧文明と親しかった(『紅の豚』に出てくるような土地である)。 両共和国とも、カトリックを信じローマ字を使う民族が住み、それゆえ、ヨーロッパでの変革がダイレクトに波及した。この2共和国は、東欧革命のように共産党一党独裁の放棄と複数政党制による自由選挙を実施し、ユーゴ連邦の各共和国の自治権と独立性を大幅に拡大しようと試みた。 しかし、ロシアに親近感を持ち、キリル文字も使う(ローマ字も使うが)、汎スラヴ主義圏のセルビア共和国(地図の青色全域)とモンテネグロ共和国が、これに強く反発。連邦の中でもセルビアはリーダー格であり、その連邦を分裂させるような動きに反対するのは、セルビアの立場では当然であった。そこでスロヴェニアとクロアチアは、ユーゴ連邦からの分離独立を宣言する。かくして91年6月、ユーゴ内戦が始まってしまう。 連邦離脱の先頭を切ったスロヴェニアは、ユーゴ連邦のリーダー格セルビアとは隣接していないため大した戦闘も起きず、混乱を知らぬままとっとと独立を成し遂げ、経済的にも繁栄。いわば“逃げ得”のような格好で早々に古巣の中欧オーストリア文化圏に再合流を果たしてしまった。今ではおとぎ話のようにメルヘンチックな観光立国となっている。 だがクロアチアの方には、流血の事態が待っていた。セルビアと隣接していたため、セルビア軍(当時まだ「ユーゴ連邦軍」だったが事実上はセルビア軍)の侵攻を受けたのだ。そもそもクロアチア領内にはセルビア系住民も数多く暮らしており、クロアチアが独立してしまってはそのセルビア系住民はどうなるのか?という懸念もあって、セルビアとしては座視できなかった(スロヴェニアにはセルビア系住民はほぼいない)。クロアチアとセルビアの紛争は血で血を洗う様相を呈し、91年から95年まで続く。 さらに悲惨だったのは、クロアチア人、セルビア人、さらにムスリムが混在して暮らしていたボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国だ。内戦という次元を越えて「民族浄化」が行われるまでに至った。「民族浄化」とは、対立する民族を地域から根絶やしにすることで(直訳すると「民族クレンジング」、「民族クリーニング」という意味)、良くて強制退去、最悪の場合は「スレブレニツァの虐殺」、「フォチャの虐殺」、「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」のようなジェノサイドやレイプ収容所など、ナチスも顔負けの方法までとられた。レイプ収容所とは、強姦被害女性にムスリム社会が理解をあまり示さず村八分にすると百も承知の上で、ムスリム女性を大量に拉致してきて妊娠するまで犯し続け、中絶できなくなる妊娠後期まで監禁しておいてから解放する、という鬼畜の所業である。 『ピースメーカー』で核テロを起こそうとしているのは、この旧ユーゴ人だった。彼は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中心都市サラエヴォの廃墟の中で、独り暮らしている。かつては妻子もいたようだ。町には、崩れかけた建物の外壁に84年サラエヴォ五輪の色褪せた看板がまだ残っている。そんな廃墟で、彼は幼い少女にピアノを教えており、少女からは「教授」と呼ばれている。彼らが、アメリカ人や日本人が憧れてやまない、ヨーロッパ文明の普遍的な洗練と本物の教養を身につけていることが、映画的に示される。さらに、彼は独りになった時、哀感を込めショパンを見事に奏で上げる。「夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作)」だ。映画ファンには02年の『戦場のピアニスト』でエイドリアン・ブロディが廃墟のワルシャワ・ゲットーで弾いていた曲と紹介すれば、ピンとくる人は多いかもしれないが、とにかく、ヨーロッパ型の知識人であることが、ここサラエヴォ市の廃墟のシーンでは強調される。 彼は政治家でもあり、「ボスニア議会」に議員として参加している。日本語テロップでは「ボスニア議会」としか記されておらず、英語テロップでも「Serbian Parliament, Pale, Bosnia(ボスニア・パレ市のセルビア議会)」と記されているだけだ。だが、映像では議会に横断幕が掲げられており、セルビア語で「Република Српска」と書かれている。「スルプスカ共和国」という意味だ。 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の中でもセルビア共和国に接し、セルビア系ボスニア住民が数多く暮らしている地域であり、そこはボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国がユーゴ連邦から独立すると、そこからさらに独立し、セルビアとの統合を求めていった。この経緯、チェチェン紛争やナゴルノ・カラバフ戦争と瓜二つであることを思い出していただきたい。多民族雑居地域における民族紛争の、これは典型的なパターンなのだ。なお、このスルプスカ共和国軍が、前述の民族浄化などの人道犯罪を犯したのであった(ラシュヴァ渓谷の民族浄化はクロアチアの仕業だが)。 本作で核テロを起こそうと企んでいるボスニアの政治家、教授は、このようなヘイト・クライムを起こすタイプではない。スルプスカ共和国の会議に出席しているのは、セルビア系だからか、それともセルビア系をなだめるために加わっているのか、はっきりしない。ただ、核テロ犯行声明のVTRで彼は、 「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」 と名乗りを上げている。つまり、「私はユーゴスラビア人だ!」と言いたいのだろう。旧ユーゴでは、セルビア人とクロアチア人とムスリムの間に、分断はなかった。ユーゴスラビアという一つの統一国家の同じ国民だったのだ。それがバラバラに分裂し、憎しみ合っている現状への批判が、「私はセルビア人、私はクロアチア人、私はムスリム」という犯行声明の名乗りには込められている。 筆者は、89年からのダイナミックな東欧革命とソ連崩壊の劇的なドラマに魅了され、この分野を大学では学んだ。旧ユーゴについてもユーゴから来た女性講師がおり、そのもとで学んだが、彼女も決して自分がセルビア人なのかクロアチア人なのか(おそらくムスリムではなかったと思うが)明かさず、「私はユーゴ人だ」と自己規定していた。ちょうど母国が分裂し殺し合いをしていた時期だった。 彼らは、ヘイトに染まるような無教養層ではない。筆者の大学時代の恩師である、成績優秀でユーゴ共産党の国費留学生として中国の大学で学び、日本にまで興味を広げて来日し移住したような国家のトップエリートや、この映画に出てくる、ショパンを弾きこなす政治家の教授のようなインテリゲンツィアならば、そこは当然、他民族へのヘイトスピーチなど吐くわけがなく、「いや、自分はユーゴ人だ!」と言うに決まっているのである。 男は、外交官特権を隠れみのにNYに核を持ち込んでテロを起こそうとしているのだった。なぜNYで?犯行声明で彼は理由を語る。 「我々(旧ユーゴ)は長く共生を試みてきた。我々の間での戦争が始るまでは。戦争を仕掛けたのは我々の指導者らだ。だがセルビアの爆弾は誰が供給した?クロアチアの戦車は?ムスリムの砲弾はどうだ?それで子供たちが死んだ。我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府なのだ。時にはインクで、時には血で。人民の血で…。 いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!この苦痛を和平調停者(ピースメーカー)にも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…そうすればあなた方も理解しよう、我々の運命は我々自身の手に委ねよ!皆に神のご慈悲あれ」 この映画の深刻な問題点が、この犯行動機だ。これは、おかしい!不本意ながら本稿の終わりに、この点をつぶさに批判して、筆を擱くことにしよう。 まず、セルビアの爆弾もクロアチアの戦車もムスリムの砲弾も、元はユーゴ連邦軍の所有物であって、別にアメリカが武器輸出をしたわけでも何でもない。ユーゴ内戦と同時に、安保理決議713号によって旧ユーゴ圏への武器全面禁輸措置がとられていたのだから。彼ら元ユーゴ人たちは、自分たちが税金で買い揃え、武器庫に貯め込んできた兵器で、互いに殺し合いを始めてしまったのだ。アメリカのせいではない。 また「我々の国境線を引いたのは西側諸国の政府」というのも、とんでもない事実誤認で、こんな勘違いをする本物のユーゴ人など一人もいないはずだ。すでに見てきた通り、旧ユーゴ構成各国の国境線は、オーストリア帝国の汎ゲルマン主義やイタリアとの繋がり、あるいは汎スラヴ主義、そしてトルコ支配によるイスラム化と、複雑な歴史的経緯に基づいて線引きされてきたもので、西側、たとえばイギリスだのフランスだの、まして新興国アメリカだのとは、一切関係が無い。言いがかりにも程がある。西側が国境線を人工的に引いたという批判は、アフリカや中東、朝鮮半島には当てはまるが、ユーゴには全く当てはまらない。 従って、NYで核テロを起こさなければならない理由が、さっぱりわからない。「この苦痛をピースメーカーたちにも感じてもらう。彼らの妻、子供たち、彼らの議会、そして教会…」というのは完全に「そばづえを食う」というやつだし、挙げ句の果てに「いま平和維持軍(ピースキーパー)が派遣され、再び我々の運命を定める。こんな平和は要らない!我々に苦痛しかもたらさない!」などと言うのは、実際に現地で家族を虐殺されたりレイプされたりした戦災犠牲者が聞いたら激怒するのではないか!? というぐらいに、ピントがズレまくっている。 最後、核弾頭と起爆装置を持ったこの男を、クルーニーとニコマンはNYのド真ん中で追い詰める。男は再び筋違いの恨み言をまくし立て、それに対してクルーニーが一言「我々の戦争じゃない」と突き放したようなことをつぶやくが、仰る通りなのである!映画としてアメリカが巻き込まれる理由を強引にひねり出してきたな…というのが感想だ。『クリムゾン・タイド』でも知られる脚本家マイケル・シファー、本作では少々詰めが甘かった。なおシファーはこの後、ゲーム「コール オブ デュー」シリーズのスクリプト担当に収まったそうな。 なお、本作は『ONE POINT SAFE(原題)』という、ジャーナリストが書いたノンフィクションが着想の元となっている。その梗概に目を通すと、ロシアの核管理の甘さや核流出・核拡散のリスクを検証したルポルタージュであったようだ。本作前段のロシア関連のくだりにその影響が残っているのだろうが、当時、世界の関心の的であったユーゴ問題を割と消化不良のままでシナリオに持ち込んでしまったのは、誰の責任なのか…。 ユーゴ内戦を描いた映画は様々に、しかもリアルタイムでも制作され、優れた作品も数多い。旧ユーゴの国々で製作された作品もある。ここでそれらを紹介する紙幅はもはや無いが、筆者としては、いつか機会を与えられれば取り組んでみたい作品群だ。 さて、男は起爆装置を起動させてしまう。はたして、解除できるのか!?というサスペンスがクライマックスには用意されているのだが、そこまでネタバレする必要はないだろう。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 以上見てきた通り、この『ピースメーカー』は、混迷のロシアのモラルを失くした腐敗軍人、ソ連の栄光の復活を望む保守強硬派、という当時のハリウッド映画のステレオタイプ的な悪役を登場させつつ、さらにその先で、冷戦後の世界が直面することになった「民族問題」についてメインで取り上げようとしているのだと、終盤にいたって明らかになる。少々ピントはずれなところはあっても、問題喚起として高い志を抱いて制作された映画であることは認めたい(ドリームワークスの1作目だ)。チェチェンとナゴルノ・カラバフ、そしてユーゴと、90年代「民族問題」地獄めぐりのような構成は、クライマックスにおいて、NYで核自爆テロを計画する男の悲しみと怒りへと収歛していく。 39年からの第二次世界大戦は(少なくともヨーロッパ戦線は)、この「民族問題」によって引き起こされた。チェコのドイツ系住民が多く暮らす土地をドイツ本国に併合したい、ポーランドにあるドイツの飛び地まで続く土地を奪ってドイツ本国と連絡させたい…まさに、チェチェン紛争、ナゴルノ・カラバフ戦争、ユーゴ内戦と全く同じ理由で、あれほどの惨禍が起こったのだ。 戦後の冷戦では、替わって理念の戦いが繰り広げられた。だが冷戦の終結によって、90年代、再び「民族問題」が蘇ってしまった。最良の日々90年代に、世界のいくつかの場所で凄惨な殺し合いにまで発展したこの「民族問題」は、その後、希釈され、西側先進国を含む全世界に、広くあまねく浸透した。今そこにあるヘイト。会いに行けるヘイト。市井のヘイトは我々のすぐ身近にまで忍び寄ってきている。それが、我々が暮らした2010年代の世界の有り様だった。 あと数日で始まる2020年代の世界は、はたして、どうなってしまうのだろうか。同じ過ちを繰り返さぬ唯一の方法は、歴史から学ぶことしかない。映画は、その最良の入り口としての役割も担っているのである。■ TM & © 2020 DREAMWORKS LLC. 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COLUMN/コラム2019.12.27
遅れてきたアクション映画界の大型ルーキー、快進撃を続けるジェイソン・ステイ サム!
今、最も旬なアクションスターは誰か? アクション映画界は長らくシルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェン、スティーヴン・セガール、チャック・ノリスといったメンバーが、寡占ともいえるほ業界を牛耳ってきた。しかし、スタローンは73歳、シュワルツェネッガーは72歳、ジャッキー65歳、セガールは67歳で、ノリスに至っては79歳なのである。人類の平均寿命が延び、年金の支給開始がどんどん後ろ倒しになり、定年後も再雇用やセカンドキャリアが当たり前になっている昨今だとしても、いくらなんでも70代の後期高齢者にアクション映画界をいつまで背負わせているのかと怒られても致し方なしの状況は非常に問題だ。アクションスターの後継者問題は非常に深刻なレベルにあり、特に欧米のアクションスターの人材枯渇っぷりはみていて心配になるレベル。アクションスターという存在が、絶滅危惧種と言われても否定できない状態になっている。 しかしぼくのように年がら年中アクション映画ばかり観ている輩からすると、「心配ご無用!」と太鼓判を押したくなる新進気鋭の若手アクションスターがここにいる。ジェイソン・ステイサムである。 1967年、イングランド中部ダービーシャーで生まれたステイサムは、地元の露店で働きながら、カンフー、キックボクシング、空手といった武道を習得。またサッカー選手としても活躍し、のちに映画で共演することになる元プロサッカー選手ヴィニー・ジョーンズと共にフィールドを駆け回っていた時期もあった。しかし何と言ってもステイサムの才能が開花したのは、水泳の飛び込み競技。イギリス代表候補になるほど卓越した成績を残していたが、ステイサムはアスリートの道ではなくファッションモデルとしてキャリアを積み始める。トミー・ヒルフィガー、グリフィン、リーバイスといった有名ブランドのモデルを務めるだけでなく、シェイメンやイレイジャーといったバンドのミュージックビデオにも出演。そしてステイサムがモデルとして契約していたブランドのフレンチ・コネクションがある映画のスポンサーとなっており、その宣伝もかねてステイサムはその映画に出演することになる。新人監督ガイ・リッチーの長編監督デビュー作であり、ステイサムの映画デビュー作でもある『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(98年)は、その年のイギリス映画のナンバー1ヒット作となり、主人公グループの一人を演じたステイサムも映画俳優として注目を集めるようになっていく。さらに続くガイ・リッチー監督作『スナッチ』(00年)にも引き続き出演。本作では狂言回しの主人公を演じ、俳優としてのステータスは一気に上がったのであった。 ステイサムの転機となったのは2001年に公開された『ザ・ワン』(01年)。ジェット・リーという稀代のアクションスターと共演したこの映画を皮切りに、ステイサムは本格的にアクション俳優としての活動を開始。リュック・ベッソン率いるヨーロッパ・コープ社制作の『トランスポーター』シリーズ(02年~)では、無敵の運び屋フランク・マーティンに扮し、ステイサムの身体能力をフルに発揮したアクションとド派手なカースタンを披露。ステイサム主演で第3作まで作られる人気シリーズとなり、興行収入もうなぎ上りで『トランスポーター3 アンリミテッド』(08年)ではついに世界興収が1億ドルを突破することになる。他にも、アドレナリンを出し続けないと死んでしまう劇薬を投与された殺し屋の活躍を描く『アドレナリン』シリーズ(06年~)、シルベスター・スタローンが消耗品扱いをされてきたかつてのアクションスターを結集して制作した大傑作『エクスペンダブルズ』シリーズ(10年~)、チャールズ・ブロンソン主演作のリメイクとなる『メカニック』シリーズ(11年~)といった人気シリーズに次々と出演。確実に数字を見込めるアクションスターとしてその方向性は確定していくことになる。 しかし興収が1億ドルを突破するようなアクション大作にだけ出演する、単なるアクション俳優で終わらないのがステイサム。『バンク・ジョブ』(08年)や『ブリッツ』(11年)といった渋めのスリラーでもその存在感をアピールし、『SAFE/セイフ』『キラー・エリート』(共に11年)、『PARKER/パーカー』『バトルフロント』(共に13年)のような単発の佳作アクション映画にも主演。まさに八面六臂の大活躍で、アクション映画俳優としての地位を確立したのだった。 ステイサムのアクションの魅力は、幼少期に経験した様々な格闘技をベースにしたガチンコのファイトコレオグラフィと、抜群の身体能力を活かしたスタント。さらに水泳競技で鍛え上げた無駄のない肉体美の躍動だ。大先輩のスタローンやシュワルツェネッガーのように巨大な筋肉の鎧ではなく、最盛期の総合格闘家ヴァンダレイ・シウバのように発達した広背筋と強くしなやかな筋肉がステイサムの強さの説得力となっているのだ。 閑話休題。ここでアクション映画界に存在する“もう一つの頂”、『ワイルド・スピード』シリーズ(01年~)に話を移そう。元々ヴィン・ディーゼルと故ポール・ウォーカーのコンビが繰り出すド派手なカーアクションで人気になったこのシリーズだが、シリーズ第5弾『ワイルド・スピード MEGA MAX』(11年)からDSS捜査官ルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)が参戦した辺りから肉弾アクションも増量。それに伴って興行収入も倍々ゲーム状態で増加している人気シリーズである。 そんな人気シリーズの第6弾『ワイルド・スピード EURO MISSION』(13年)では、これまでアメリカ、日本、ブラジルといった世界をまたにかけて活躍するワイスピ一家が、ついにヨーロッパに乗り込んだ作品で、イギリス特殊部隊出身のオーウェン・ショウ率いる犯罪集団との激闘を描くアクション大作だ。ハイウェイで戦車とのカーチェイスや、巨大輸送機とのカーチェイスなどド派手なアクションが続く本作は、ワイスピ一家がオーウェンを逮捕して終わるのだったが、エンドクレジット後に流れた映像は、まさに世界を震撼させるものであった。そこでは東京で瀕死の重傷を負ったワイスピ一家の主要メンバーであるハンの姿が。シリーズ第3弾『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(06年)で事故死したとされていたハンは、謎の人物によって殺されていたのだった。その人物こそオーウェンの実兄であり元SAS最強の男デッカード・ショウ、演じるのはジェイソン・ステイサムその人であったのだ! ステイサムのワイスピシリーズ参戦のニュースは衝撃をもって世界で迎えられた。続く『ワイルド・スピード SKY MISSION』(15年)では、ステイサム演じるデッカードが本格的に参戦。タイマンでホブスをボコり、カーチェイスでもワイスピ一家の強豪を上回る腕前を披露。たった一人でこれまでの主要登場人物全員を出し抜くチート状態で、ワイスピ一家はシリーズ最大の危機を迎えることになる。 主演陣のひとりであるポール・ウォーカーが撮影中に事故死するという悲劇を乗り越えて制作された『SKY MISSION』は、世界興収15億ドルを突破するというシリーズ最大の興収を記録。殺されずに逮捕されて刑務所に収監されたデッカードは、必ずや後続のシリーズでふたたび最強の敵としてワイスピ一家の前に立ちふさがるに違いない……映画を観たすべての観客がそう思ったはずだ。 しかし続く『ワイルド・スピード ICE BREAK』(17年)ではいきなりデッカードは弟のオーウェンと共にワイスピ一家側として参戦。さらにデッカード兄弟の母親であるマグダレーン(オスカー女優ヘレン・ミレン!)まで登場し、ショウ家は家族総出で謎のハッカー・サイファー(オスカー女優シャーリーズ・セロン!)と激戦を繰り広げることになる。この前作最強の敵が、次作では強力な味方となって、さらにコメディ的な役割も担う展開を、ぼくは勝手に“魁!男塾システム”と呼んでいるのだが、このシステムによってステイサムは前述の人気シリーズに加えてワイスピシリーズにもレギュラー参戦することになったのだ。 そしてワイスピシリーズ初の長編スピンオフ『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』では、デッカードはいきなり主役に昇格。ホブスとともに無敵の改造人間ブリクストン(イドリス・エルバ!)と激闘を展開するデッカードには、さらに強力な助っ人MI6エージェントのハッティ(ヴァネッサ・カービー)が登場。しかも何とハッティはデッカードの妹ということで、ワイスピ一家の増殖スピード以上にショウ家の増殖スピードが早すぎて、ますますステイサムはワイスピに必要不可欠な人材になっているのである。 という感じで、自身のシリーズ物を何作も抱えつつ、『エクスペンダブルズ』『ワイルド・スピード』という世界的なメガヒットシリーズでも重要な登場人物を演じ、さらに小粋なサスペンスや小品アクション映画にも多数出演。つまり今のアクション映画界はステイサム抜きでは語れない状態なのである。52歳にして意気軒高なステイサム。あと20年はその活躍から目が離せないぞ。■ 『ワイルド・スピード EURO MISSION』©2013 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード SKY MISSION』© 2015 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED. 『ワイルド・スピード ICE BREAK』© 2017 Universal City Studios Productions LLLP. All Rights Reserved