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COLUMN/コラム2018.07.11
『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』と『荒野を歩け』に出てくるテックス・メックス料理「チリコンカン」のレシピに挑む!!!
写真/studio louise 今回のレシピは当企画史上最簡単。でもその前に、まずそもそもチリコンカンとは何ぞや!?ですが、これは“豆入りミートソース”と説明するのが、知らない日本人に対しては一番解りやすい。作り方もスパゲティ・ミートソースのミートソースとそうは違わんのですが、ただし、決定的に大違いなのが「チリパウダー」と呼ばれるスパイスが味の決め手となっている点。なんか赤唐辛子の粉末みたいな鬼のような響きですけれど、全く違います。辛くはありません。これのおかげでミートソースとは全然違う味です。 ウチは貧乏子沢山で子供が多いのですが、入園前の幼児の頃から全員の大好物。子供の味覚は兄弟姉妹間では遺伝しないものらしく各自バラバラで、満場一致で好きな食べ物など滅多に無くて、こっちが好きなものはあっちが嫌い、あっちの好物はこっちが口つけずと、作る親としては「いいから出されたもんは文句言わずに黙って残さず食え!」と毎回叱ってはみるものの、子供相手には詮無きこと。しかしこのチリコンカンは、カレーだとかコロッケだとか並ぶ、例外的な全員の好物です。つまり、お子様向け・万人向けの、割とわっかりやすい味だということ。だから辛くない。少々スパイシーではありますけど。 かく言う父親のワタクシ当年とって43歳も、小学生の頃に金曜ロードショーで「刑事コロンボ」見ててその存在を知り(コロンボの大好物という設定)、そんなに美味いんだったら喰ってみたい!と子供ながらに思ったものの母親はそんな得体の知れんものは作らず肉ジャガとか作ってる。夢が叶ったのはもちろん、皆さんご存知ウェンディーズで、でした。当時は「ウェンディーズチリ」こそが日本にいて一番容易に食べられるチリコンカンだったのです。そして「この世にこんな美味いものがあるのか!」と感動したのがワタクシとチリコンカンの最初の出会いでした。確か所は@地元ららぽーとTOKYO-BAYじゃなかったかな?80年代後半の話です。そこにウェンディーズが入ってたのです(森永LOVEもあったな)。ちなみに、その頃の初期ららぽーと、当時の東洋一のショッピングモール(日本にはモール自体なくアメリカの匂いがした)の威容は、菊池桃子主演の『テラ戦士Ψ(サイ)BOY』という日本映画に記録されていて、何らかファストフード店も映ったような記憶があるのですが、ウェンディーズだったかな?覚えてないや。もう一度見たい!が、なんと未DVD化で中古VHSがAmazonで¥7,500もするのかよ!?くそ〜邦画じゃなかったらウチの「シネマ解放区」でオレがやるんだけどなぁ! まぁそれはいいや。次に「テックス・メックス料理」とは何ぞや!?ですが、単にテキサス&メキシコ料理という意味です。伝統的なメキシコ料理では決してなくて、テキサスでアメリカナイズされた、なんちゃってメキシカンフード。日本の洋食が本場の西洋料理とは似て非なるものであるのと同じ。これが、あんまし上等な食い物じゃないんだ、エンチラーダとかブリトーとか。でも、どんな上等な食い物よりここらへんは美味いっすね!少なくとも個人的にはブッチギリ好みですわ。 上等な食い物じゃない、というポジションを踏まえた上で、このチリコンカンが登場する前出2本の映画での扱いにご注目いただきたい。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ まずは、1972年の『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』。これはVHS含め過去に一度もソフト化されたことがない(はず)掛け値無しのお宝作品で、ワタクシ、映画ライターなかざわひでゆきさんと過去にガッツリ語り合ってもおりますので、詳しくはその対談をご笑覧ください。ここでは簡単にあらすじだけ。 親を亡くし独り山中で暮らすネイティヴ・アメリカンの野生児ブラック・ブルは、文明暮らしに馴染めないまま成長した。彼には荒馬を乗りこなす才能があり、ある日それが老ロデオコーチの目に留まり、引き取られ訓練を積みロデオ乗りとして成功する。この老人はブラック・ブルにとって足を向けては寝られない恩人であり、酒場で絡んできた白人レイシストを殴り倒すなど親身になってくれ、育ての親とも慕う存在なのだが、しかし… でもって映画前半、老ロデオコーチの馬場で猛特訓を積み、特訓を終えるとメシの時間で、元選手でケガで引退した住み込みのオッサンが1人おり、そいつが作る絶品チリコンカンを3人でドカ食いする。「どんどん食え、筋肉を付けろ」などと老コーチから主人公は指導されますから、米国版ちゃんこですなこれは。これが、見るっからに美味そうなんです!住み込みのオッサンはレッドホットソースを振りかけて食ってる。ワタクシの場合は緑タバスコと決めていますが。チリコンカン自体は全く辛くないので、辛いもの好きにはホットソースは不可欠です。 とにかく、どちらかと言うとガテンな感じの食い物なのです。そもそもカウボーイが荒野で野宿しながらダッヂオーブンで作ってたぐらいのものなので。そして、ちゃんこ替わりにロデオライダーが体作り目的で喰うのがこれなので。お上品な食い物では全然ないのです。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 2本目の映画、1962年の『荒野を歩け』。こちらは隠れた名作なのにウチのチャンネル内でもあまり大々的に宣伝してこなかったので、この場を借りて若干長めに語らせといてください。レシピしばしお待ちを。 監督は名匠エドワード・ドミトリク(代表作は54年『ケイン号の叛乱』、56年『山』、59年『ワーロック』など)、主演がローレンス・ハーヴェイで、ウチのチャンネル的には超有名作『アラモ』(60年)と超無名作『肉体のすきま風』(61年。でも傑作です!)でおなじみ。実は『ドミノ』(05年)でキーラ・ナイトレイが演じた実在の女賞金稼ぎドミノ・ハーヴェイの父親だったりもします。クールな父娘だぜ! さて、時は大恐慌の時代1930年代初頭。主人公ローレンス・ハーヴェイはカウボーイ・デニム・スタイルで上下キメてる流れ者のテキサン(テキサスっ子)。上が明らかに「Lee101J」で、下は「Leeカウボーイ」でしょう。LEVI'Sはこの当時ゴールドラッシュの金鉱掘り坑夫が履くようなダボっとした作業ズボン風シルエットだったのですが、Leeはカウボーイ専用ジーンズとして「Leeカウボーイ」というラインを1924年に発表。今に続く「Leeライダース」の原点です。これが、年々タイトな若々しいシルエットに細まっていき、作業着の実用性よりファッション性に重きを置いていき、それが革命的だったのです。ジージャン「Lee101J」の方もタイトだった。1926年には社会の窓ジッパー化もいち早く成し遂げており、デニム業界の最先端をLeeは走っていました(Leeの歴史)。劇中のローレンス・ハーヴェイはそれを着ているはず。考証的に30年代初頭にしては細すぎるシルエットですが、細身で苦み走ったシャープな二枚目の彼に実にお似合いです。 で大不況下のイケメン浮浪者ローレンス・ハーヴェイが一夜の野宿の寝床にと空き地の土管にもぐり込もうとすると、先客ジェーン・フォンダが寝てた。彼女は1960年のデビュー作カレッジ・ラブコメ『のっぽ物語』に続いての映画出演ですが、2作目にしていきなりのとんでもないビッチ汚れ役!ニンフォマニアな未成年で、ローレンス・ハーヴェイに迫るものの「愛する女が待ってるから」とフラれ、2人してホーボーとなって無賃乗車したり(ホーボーとは何ぞや!?はこの秋放送の『北国の帝王』を見よ)、或る夜の出来事式色じかけヒッチハイクをしたりして(或る夜の出来事式色じかけヒッチハイクとは何ぞや!?は放送中の『或る夜の出来事』を見よ)、その運命の女がいるはずのニューオリンズを目指します。 ニューオリンズの手前にて、いよいよチリコンカンが登場。2人は街道沿いのホコリっぽいおんぼろダイナーの前を通りかかり、「いい匂いだ」とローレンス・ハーヴェイが引き寄せられて店に入る。そこの女将が大女優①アン・バクスター。メキシコ系テキサス女性で、ローレンス・ハーヴェイとはテックス・メックス風メニューあれこれのグルメトークで盛り上がってすぐに意気投合。「どれも美味そうだがとにかく今はチリコンカンが喰いたい」と彼はオーダーします。連れのジェーン・フォンダは焼きもちから「まともなアメリカ料理の方がアタイの口には合うね。この料理の名前は一体何語さ?ちゃんとした英語でお書きよ!ここはアメリカだよ!」などとネトウヨのようなヘイトスピーチを吐きちらかす。大女優①アン・バクスターは困った人への大人の対応で受け流すが、ローレンス・ハーヴェイは彼女の人品骨柄の卑しさに愛想を尽かし、2人で会話もなく黙々と不味そうにチリコンカンを喰う羽目に。美味そうに見せるシーンじゃないのとモノクロ映画なのと監督が食に興味ないのかも、とのトリプル理由から、この映画では全然チリコンカンが美味そうには見えず、そもそもどんな食い物か映しもしません。が、チリコンカンがどんなポジションの食い物かは一番よく解る映画です。 その後、ビッチにもほどがあるジェーン・フォンダと縁を切り、大女優①アン・バクスターの場末ダイナーで肉体労働住み込みバイトをしながらニューオリンズの運命の女の居場所を探し続けるローレンス・ハーヴェイ。アン・バクスター女将に惚れられてしまったりもしますが、ついに運命の女の所在が判った!ということでニューオリンズに行ってみると…運命の女ことキャプシーヌは、大女優②バーバラ・スタンウィックが女楼主として君臨する高級娼館のトップ娼婦として苦界に身を沈めていた…。 と、ここから先は実際にご覧になっていただくとして、一言で言うと“SEXワーカーと付き合う問題”について描いた映画なのですが、それより皆さん、ジェーン・フォンダにアン・バクスターにキャプシーヌにバーバラ・スタンウィックですよ!凄くないですか!? この映画、DVDはおろかVHS時代含め未ソフト化らしいのですが(多分)、チリコンカンはともかくとしてこのメンツだけでも見るに値します。あとこの大女優4人の中では、個人的にはやっぱジェーン・フォンダっすね!ヒロインのキャプシーヌはさすがに運命の女役だけあり、人間離れして彫刻的に美しく、ウエストもコルセットでもしているように細くて凄いスタイルで、神々しいばかりなんですが、ジェーン・フォンダはムッチムチ!そして若い!バ〜ン!と言うかドスコ〜イ!と言うかドレスからハミ出る勢いの圧倒的な肉体の説得力で、下流でビッチなナチュラル・ボーン・フッカー役に挑んでいます。『コールガール』(71年)の頃よりか一回り太い。ただし、ヘイズコード撤廃前なのでヌードはありません。そちらがお目当の殿方は当チャンネルで絶賛放送中の『バーバレラ』(67年)の方もあわせてご覧ください。 あとニューオリンズのフレンチクォーターなのかな?の娼館のセットも素敵。インテリアのお手本にしたい。コロニアルな魅力の『プリティ・ベビー』(78年)娼館を越えてますね。 ちょっと映画の話で長くなりすぎたな。いい加減レシピ紹介を始めます。これ、作るの簡単すぎて、余談で引っ張らないとすぐに記事終わっちゃうから。 【材料(2人分)】 ・タマネギ×3/4個・ニンニク×1片・牛ひき肉×400g(合挽きでも全然OK)・トマト缶×1缶・レッドキドニービーンズ缶×1缶・クミンシード×小さじ1・オレガノシード×小さじ1・コンソメ×1個・チリパウダー×小さじ2 ※以下はお好みで・スライス・ハラペーニョ・タバスコ緑・タマネギ×1/4個・溶けるチェダーチーズ・サワークリーム 【作り方】 ① 鍋にサラダ油(材料外)を引きタマネギ3/4個分みじん切りを中火で炒め(1/4個分みじん切りは取っておく)、しんなりしたらニンニクみじん切りを加え1分。続いて牛ひき肉を投下。赤味がなくなって色が変わるまで炒める。 ② トマト缶とレッドキドニービーンズ缶の中身を入れる。そして、具材がヒタヒタになるまで水を足す。空になったトマト缶に水を入れ、その水を空のビーンズ缶に移し、それを鍋に入れると、缶に残留物を残さず鍋に注げてモッタイナイお化けが出ないで済む。 ③ クミンシードとオレガノシードをすり鉢で擦って鍋へ。 ④ 最後にコンソメ1個とチリパウダーを入れて終了。あとはただ煮込むだけ。30分以上。なお、書き忘れたのではなく本当に塩は一粒も使わないでOK。これだけでちゃんと濃い味がする。 ⑤ この状態まで(水分がほとんど無くなり、汁物というよりどちらかと言うとホロホロの固形物に近くなるまで)汁気を飛ばして完成。30分煮込んでも汁気がまだ無くならなかったら、無くなるまで煮込んでください。 【実食】 はぁ〜、こいつを皿いっぱい喰える、この至福ときたら!肉ジャガ喰ってたガキの頃には夢にも思わなかったぜ。ウェンディーズではLサイズでもこのボリュームには満たない。スーパーカップぐらいの容器に入ってますが、足りないよ!こっちはドカ喰いしたいんだよ!『ロッキーの英雄』のアメリカンちゃんこみたいに。 え〜今回は純然たるお仕事ということで、材料代は経費で落とします。なので牛ひき肉200gパック×2と大奮発しましたが(奮発も何もオレの金じゃないがな)、自腹切る時は全然合挽き300gで作ってます。でもやっぱ牛肉はいいね!ワンランク上な味がする。 あと各種お好み材料も経費で買ったのですが、このうちマジで必需品なのは、ワタクシにとっては緑タバスコだけ。まぁ本物のスライス・ハラペーニョもあればさらにシャープな辛さになって夏にピッタリに。取りよけておいたタマネギみじん切り1/4個分を、ここで生のままパラパラと振りかけ、ネギっ臭さを加味してもまた良し。まず子供は喰えなくなりますが。 なお、溶けるチェダーチーズだのサワークリームだのは、それとは逆に、マッタリとクリーミィーかつ濃厚な味になり、シャープな辛さや生タマネギの青臭さとは真逆の、お子様好みな味が加わっていきます。でも、それもまた良し。 それらを“全部のせ”にするのであれば、よくかき混ぜてから食べてください。 最後に、普段我が家では、クラフトのマカロニ&チーズも同時に作ります。これはインスタント食品みたいなもので作るのは箱の説明書きに従えば超簡単。カルディとかで売ってます。それを“ライス”に見立て、チリコンカンを“カレールー”のように見立てて上からかけ流し、カレーライスならぬ「チリコンカンマカロニチーズ」として食べています。ここまでやれば立派な一食として分量に不足なし。コーンブレッドというブレッドとは名ばかりの南部の主食スポンジケーキみたいなものとも相性が良く、それも作るのは簡単。さらに言えば分量問題は豆を2缶に増やしても解決できます。とにかく超簡単なので、チリコンカン、映画のお供に一度お試しあれ。■ 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved. 『荒野を歩け』© 1962, renewed 1990 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2018.07.10
民主主義と愛国精神の原点とあり方を問う、2018年の今だからこそ見直すべき傑作『スミス都へ行く』
1929年10月24日に起きた株価の大暴落、いわゆる「暗黒の木曜日」が引き金となり、アメリカのみならず世界中を未曽有の経済不況が襲った1930年代。この歴史的な「世界大恐慌」によってアメリカ経済はどん底に突き落とされ、全米中に失業者や浮浪者が溢れかえった。そんな先行きの見えない暗闇の時代、アメリカの庶民にとって数少ない安価な娯楽の一つが映画だった。大勢の人々が限られた僅かな時間だけでも辛い日常を忘れようと映画館に押し寄せ、皮肉にもそのおかげでハリウッド映画界は空前絶後の黄金期を迎える。そうした中、どこまでも貧しい庶民の心に寄り添うような映画を作り続け、西部劇の巨匠ジョン・フォードと並んでアメリカの一般大衆に最も愛された映画監督がフランク・キャプラだ。 貧しいイタリア系移民の息子として育ち、アメリカ社会の底辺で様々な職を転々とした後、1920年代当時まだ新興産業だった映画界にチャンスを見出したキャプラ。マック・セネットが製作する一連のスラップスティック・コメディで映画監督となり、1928年コロムビア映画(現ソニー・ピクチャーズ)へと入社する。とはいえ、当時のコロムビア映画はMGMやパラマウントなど大手5社の「ビッグ5」に対し、ユニバーサルおよびユナイテッド・アーティスツと共に「リトル3」と呼ばれた弱小の零細スタジオ。キャプラも当初は低予算のコメディばかりを撮っていた。そんな彼の名前を一躍高めたのが、貧しいリンゴ売りの老女が街のギャングの助けで貴婦人に化け、自分を社交界の淑女だと信じる修道院育ちの我が娘と再会するという人情喜劇『一日だけの淑女』(’33)。これでアカデミー賞の作品賞以下4部門の候補に挙がったキャプラは、さらにMGMからクラーク・ゲイブル、パラマウントからクローデット・コルベールと、他社のトップスターをレンタルして撮ったロマンティック・コメディの金字塔『或る夜の出来事』(’34)でアカデミー賞主要5部門制覇という史上初の快挙を達成。いよいよコロムビア映画は大手スタジオの仲間入りを果たし、キャプラは同社の看板監督として、その名前だけで観客を呼べる「スター」となったのである。 しかし、キャプラが真の意味で巨匠と呼ばれるようになったのは、アメリカの腐敗した権力を痛烈に批判し、人間の善意と良識に真の価値を見出す『オペラハット』(’36)と『我が家の楽園』(’38)、そして『スミス都へ行く』(’39)の3本の成功によってであろう。大富豪の遺産相続人となった田舎者の純朴な青年(ゲイリー・クーパー)が、あり余った大金を困窮した失業者たちのために分配しようとしたところ、強欲な資本家たちの激しい妨害に遭ってしまう『オペラハット』。弱肉強食の経済界を勝ち抜いてきた冷酷非情な実業家(エドワード・アーノルド)が、息子と貧しい庶民の娘の恋愛を全力で阻止しようとするも、やがて金と権力に憑りつかれた我が人生の虚しさに気付いていく『我が家の楽園』。そして、ある日突然、上院議員に抜擢された理想家の純粋な愛国青年が、政治家と資本家が結託した巨大な汚職を暴くために孤独な戦いを強いられる『スミス都へ行く』。いずれも行き過ぎた資本主義の弊害と過ちを糾弾し、それによって生じたアメリカ社会の歪みを指摘しつつ、だからこそ今一度アメリカの失われた大義、すなわち自由と平等と博愛の精神に立ち返るべきだと強く説く。キャプラが「アメリカの理想と良心を体現する映画監督」と呼ばれる所以だが、中でもその真骨頂が『スミス都へ行く』だ。 主人公は少年警備隊の隊長ジェフ・スミス(ジェームズ・スチュワート)。山火事を消したことで全米の青少年たちの英雄となった彼は、初代大統領ジョージ・ワシントンの辞任挨拶を暗唱できるほどの熱烈な愛国者だ。亡くなった上院議員の後任として、尊敬する大物政治家ペイン議員(クロード・レインズ)から指名されたスミスは、愛する祖国のために貢献するという大志を抱いて首都ワシントンへ到着するも、そこで彼が目の当たりにしたのは、アメリカ建国の崇高な精神とは程遠い腐り切った政治の実態だった。 政界の黒幕である大物実業家テイラー(エドワード・アーノルド)が裏で実権を握り、表向きの大義名分とは裏腹に一部の権力者が利益を貪る政治の世界。スミスが上院議員に担ぎ上げられたのも、テイラーが推し進めるダム建設計画の法案を上院で通すための数合わせが理由だった。というのも、テイラーはペイン議員や州知事ら「お友達」の政治家と結託し、ダム建設を口実にした大規模な土地転がしを企んでいたのだ。彼らは政治経験がない上に純粋でナイーブなスミスなら簡単に騙して利用できると考えたのだが、やがてそれが大きな誤算であったことに気付かされる。アメリカ建国以来の民主主義の基本理念を心から信じるスミスは、私利私欲にまみれたテイラーたちには到底理解し難いほど筋金入りの愛国者だったのだ…! 「小さな親切がなければ憲法など意味がない」「我々には思いやりの心が必要だ」と力説するスミス。彼にとって愛国とは、一人でも多くの国民が幸福に暮らせる平和で平等な社会を実現すること。そして、そのためには国民の権利を脅かす国家権力の不正に真っ向から立ち向かうことも厭わない。その博愛精神に根差した愛国心は、トランプ政権下のアメリカや世界各地で不気味に増殖する盲目的で偏狭な人々とは、ある意味で対極にあると言えるだろう。その根底には、自らがイタリア系移民の子として言われなき差別を受け、長いこと貧困のどん底であえぎ苦しみながらも、その一方で機会均等の社会システムと庶民の間に根強いキリスト教的な隣人愛に支えられ、無一文からハリウッドの巨匠へと立身出世したキャプラの、いわばアメリカの光と影の両方を目の当たりにしてきた苦労人だからこその強い信念が貫かれている。「あらゆる人種と階層の子供たちを集め、お互いが同じ人間であることを学ばせたい」というスミスの言葉にも、キャプラの思い描く理想的な社会への想いが込められていると言えよう。監督自身もまた、紛うことなき愛国者だったのだ。 その一方で、本作を含むキャプラの作品群は「理想主義的なファンタジー」と揶揄されることも多い。現実はそんなに甘くない、というわけだ。確かに現実の社会は善悪の境界線など曖昧で、道徳の教科書に出てくるような正論が通用するほど単純ではない。どこかで折り合いをつけて賢く立ち回る方が得策だし、長い目で見れば理想の1つや2つくらいは実現できるかもしれない。だが、そうしたニヒリズムや安易な妥協こそが権力を腐敗させる原因になるのではないかと、キャプラは本作で警鐘を鳴らす。 もともとは清廉潔白な理想主義者だったものの、それでは政策を実現できないからとテイラーに魂を売ったペイン議員は、我が州の失業率が最低なのも、国からの補助金が最高額なのも、私が妥協したおかげだと自らを正当化する。そんな彼の秘書サンダース(ジーン・アーサー)も、生活のためだと自分に言い聞かせて上司の不正を見て見ぬ振りし、政治を皮肉ることで自らの罪悪感をごまかしている。マスコミだって国会が茶番であることを重々知りながら、資本力にものを言わせたテイラーの圧力を恐れて黙り込み、右も左も分からない新人議員スミスのように叩いても安全なターゲットを茶化して留飲を下げている。なんだか、近頃どっかで見たような光景だが、それでは権力の不正を野放しにするばかりであろう。おかげで、大物政治家がお友達のために法案を通そうとする、それに協力すればおこぼれに与れるけど反対すれば潰される。もはや既視感しか覚えない腐敗政治の一丁出来上がりだ。どこまでも愚直でバカ正直なスミスに共感したサンダースが、劇中でこう言う。「信念を持つバカが世の中を良くしてきた。あなたの常識的な正義感こそ、この国には必要、いえ歪んだ世界の全てに必要なのよ」と。 そんなサンダースの言葉に突き動かされ、たった一人で強大な権力に立ち向かうことを決意するスミスだが、しかし敵はどこまでも姑息で邪悪だ。それ以前に公文書を捏造してスミスの汚職事件をでっち上げた彼らは、さらにマスコミへの圧力や支持者による草の根活動を総動員して世論をミスリードし、議会でテイラーたちの不正を暴こうと孤軍奮闘するスミスを「大衆の敵」に仕立てることで、彼の信念を粉々に打ち砕こうとする。それはちょうど、『オペラハット』の主人公ディーズ氏が精神病のレッテルを貼られ財産を奪われそうになったように、そして『我が家の楽園』の庶民一家が土地買収計画に呑み込まれざるを得なくなったように。善良な人々はその善良さゆえ、理不尽な困難に直面せざるを得ない。そう、キャプラの映画は確かにハリウッド的な夢物語かもしれないが、しかし決して楽天主義にばかり終始するわけではない。あくまでも、不正がまかり通る世界で正義を貫くことの難しさを大前提としている。そこを見誤ってはいけないだろう。 ストーリーの基本的な構造そのものは『オペラハット』の焼き直しだが、しかし民主主義や愛国精神の原点とそのあり方を問うメッセージは、劇場公開から80年を経た現代でも全く古さを感じさせない。むしろ、2018年の今だからこそ見直すべき映画と言えるだろう。その後、彼自身が愛国者ゆえに第二次世界大戦の国家プロパガンダに利用されてしまったキャプラは、その反省を踏まえて戦後の傑作『素晴らしき哉、人生!』(’46)でさらに強く深く、人間が本来持つべき善意と愛情の尊さを描き、ベトナム戦争の際にはアメリカ政府の姿勢を強く非難した。果たして、もし彼が今生きていたら21世紀のアメリカを、そして日本を含む世界をどのように見ていただろうか。 © 1939, renewed 1967 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2018.07.03
グラインドハウスなき時代の正統派グラインドハウス・ムービー。エロ・グロ・ナンセンスの三拍子揃ったシリーズ最高傑作!?『スピーシーズ2』
映画ファンであれば必ず1つや2つ、世間的な評価が低いにも関わらず愛してやまない映画というものがあるだろう。いわゆるGuilty Pleasure(罪悪感のある歓び)というやつだ。そもそも、人間の好みなんて千差万別。当たり前のことだが、不朽の名作と呼ばれる映画にしたって、必ずしも観客の100人中100人が満足するわけじゃない。反対に、10人しか満足しなかった映画が駄作だとも限らないだろう。たとえ一般受けはせずとも、一部観客層の琴線にはビシバシ触れる!という作品は少なくない。それが巡り巡ってカルト映画と呼ばれるようになるわけだが、筆者にとってはこの『スピーシーズ2』(’98)もその一つだ。 とりあえず、天下のimdbにおける評価は10点満点中半分以下の4.3点、映画批評サイト、ロッテン・トマトの評価に至っては100%中たったの9%である。世間の評価はかなり厳しいようだ。まあ、正直なところ低評価の理由も分からなくはない。なにしろ、基本はエログロ満載のB級SFホラー映画。全編に渡って血飛沫と内臓とオッパイがいっぱい(笑)。しまいにゃ、エイリアン同士の発情&交尾という、映画史上稀に見る珍シーンまで登場するナンセンスぶり。ハリウッドの老舗メジャー・スタジオMGMが製作したとは思えないようなえげつなさだ。しかし、それでもあえて声を大にして叫ぼう。エログロのいったい何が悪い!ゲテモノ上等!ナンセンス最高!エイリアンが交尾したって別にいいじゃないか!と。 ご存知の通り、’95年に劇場公開された1作目『スピーシーズ/種の起源』は、批評家から酷評されながらも興行収入1億1300万ドル以上の大ヒットを記録。おのずと続編が作られることになったわけだが、その2作目『スピーシーズ2』は、劇場の売り上げだけでは製作費を回収できないほど大コケしてしまった。しかし、である。その後シリーズが4作目まで継続されたことからも想像できるように、一部の観客層からは確実に支持されたのである。察するに、いろいろな意味でやり過ぎたのかもしれない。エロもグロもほどほどだった前作は、この種のカルト性の高い映画に免疫のないライトな映画ファンでも楽しめたと思うが、本作の場合は「さすがにここまで遠慮がないとぶっちゃけドン引くわ~」という反応が多くても不思議ではない。それほどまでに、今回は性描写も残酷描写も過激で露骨。逆に言うと、それが筆者のような好事家にとってたまらないポイントであり、本作が桁違いに大ヒットした1作目よりも遥かに愛おしい理由なのである。 まずは前作を簡単に振り返ってみよう。アメリカ政府の秘密研究機関から一人の少女(無名時代のミシェル・ウィリアムズ!)が脱走。その正体は、宇宙から届けられたメッセージに含まれた情報を基に、人間とエイリアンのDNAを融合させて作られたハイブリッド生命体「シル」だった。政府は早速、各方面の専門家を集めたチームを編成して追跡を開始。しかし、驚異的な速さで成人女性へと成長したシルは、やがて種を残すという生存本能のままに、生殖相手を求めて男たちを次々と襲っていく。先述したようにエロもグロもわりと控えめではあったものの、トップモデル出身で女優初挑戦のシル役ナターシャ・ヘンストリッジは魅力的だし、なによりも『エイリアン』(’79)で有名な芸術家H・R・ギーガーの手掛けた、艶めかしくもスタイリッシュな女性エイリアンのクリーチャー・デザインが素晴らしかった。このデザインはそのまま続編にも引き継がれている。 で、それから数年後の出来事を描く本作。アメリカは人類史上初の火星探査を成功させ、帰還した3人の宇宙飛行士たちは国民の英雄として歓迎されたのだが、実は彼らは知らぬ間にエイリアンに寄生されていた。一方、米軍施設ではシルのクローン、イヴ(ナターシャ・ヘンストリッジ再登板)を厳重な監視下に置き、エイリアン対策のためにその生態を徹底研究していた。そんな折、殺人事件の犠牲者の死体からエイリアンのDNAが発見され、宇宙飛行士たちの感染が発覚。イヴがテレパシーで彼らと繋がっていることを知った軍は、それを利用して再びエイリアン狩りに乗り出すこととなる…。 とまあ、ネタバレを避けるための大雑把なストーリー解説となったが、話の本筋としては前作の焼き直しに近いことがご理解いただけるだろう。つまり、生殖のため人間の異性を求めて殺人を繰り返すエイリアンと、その行方を捜して最悪の事態を食い止めようとする追跡チームの戦いだ。ただし、今回の追われる側は男性エイリアン。上院議員の息子であり、将来の大統領候補と目される宇宙飛行士パトリックだ。前作のシルと瓜二つの女性エイリアン、イヴは基本的に追う方の側。従って、前作では男たちが次々とシルの毒牙にかかったが、今回の犠牲者は大半が女性となる。死因は「妊娠」。どういうことかというと、エイリアンに寄生されたパトリックとセックスすることで「種付け」された女性たちが、その場でエイリアンの子供を妊娠。見る見るうちに腹が膨れ上がり、『エイリアン』のチェストバスターのごとく、赤ん坊が腹を破って飛び出してくるのだ。 なので、おのずと大胆なセックス・シーン&血みどろシーンのオンパレードとなる。もちろん、1作目でも同様のエログロ要素はあったものの、さすがにここまで露骨ではなかった(笑)。ある意味、R指定の限界に挑戦といった感じか。前作よりもっと過激に、もっとショッキングにというのは、この種の娯楽映画シリーズの鉄則みたいなものだが、それにしてもなかなか思い切っている。文字通り酒池肉林の3Pシーンなどは本作の白眉。そもそも本来、こうした下世話なキワモノ映画というのは、インディペンデント系の弱小スタジオがグラインドハウスと呼ばれる場末の映画館向けに低予算で製作・配給するものだったが、それをMGMのような大手スタジオが多額の予算をかけて作ったのだから、よくよく考えればまことに贅沢な話だ。ホームビデオの普及と大都市の再開発によって、グラインドハウスが消滅してしまった’90年代ならではの副産物と言えなくもないだろう。まあ、それゆえに一般受けの厳しいカルト映画になってしまったことも否めないのだけど。 また、特殊効果におけるCGの使用を最小限に抑えたことも良かった。例えばH・R・ギーガーのデザインしたエイリアン。1作目ではスティーヴ・ジョンソン率いる特殊効果チームが見事なまでにフェティッシュ感溢れるクリーチャー・スーツを作り上げたが、しかしアクション・シークエンスでは当時まだ発展途上にあったCGで再現してしまったため、その部分が明らかに見劣りしてしまうことは否めなかった。そこで、続編を作るにあたってプロデューサーのフランク・マンキューソ・ジュニア(『13日の金曜日』の製作者フランク・マンキューソの息子)から、特殊効果用の予算を「好きなように使って構わない」と別枠で丸ごと与えられたジョンソンは、CGを含むVFXよりも従来のSFXにこだわることを決めたという。これが結果的には大正解だったと言えるだろう。 実際に本編をご覧になれば分かると思うが、どの特殊効果シーンも仕上がりは非常にリアルだ。例えば、セックスの最中に興奮したパトリックがエイリアンへと変身しかけるシーン。実は、正常位で腰を振っているパトリックはシリコン製のダミーボディだ。体のあちこちから飛び出す触覚もCGではなく本物。スティーヴ・ジョンソンとスタッフの仕事ぶりは完璧で、そう言われなければ全く気付かない。後半で全身から触覚が飛び出すエイリアンのハイブリッド少年も同様にダミーボディ。鼻から触覚がニョロッと見えるシーンは、少年の顔を実物より大きめにシリコン素材で製作して使っている。当然、メインとなるエイリアンも人間が中に入ったクリーチャー・スーツと機械仕掛けのアニマトロニクス※を併用しており、おかげでクライマックスの交尾シーンも妙に生々しいものとなった。まあ、ヒューマノイド型の女性エイリアンと違って、四つ足動物型の男性エイリアンはさすがに作り物感が否めないものの、それでも当時の安っぽいCGで処理するよりは全然マシだ。もちろん、部分的にはCGも使用されているが、あくまでも補足的な加工手段に徹している。 ※アニマトロニクスとは生体を模したロボットを操作して撮影する特殊効果技術のこと 単純明快で分かりやすいストーリー展開も悪くない。変に高尚なメッセージ性を込めたりなどせず、どこまでも見世物映画に徹している潔さはむしろ評価すべきだろう。もったいぶった説明や前置きなども殆どなし。それは前作から一貫している。なので、ストーリーの進行はとても速い。監督は『チェンジリング』(’80)や『蜘蛛女』(’93)のピーター・メダック。あの職人肌の名匠がこんなトンデモ映画を!?と意外に思う向きもあるかもしれないが、しかしパワフルでタフな女と破滅へ向かって突き進む男の物語として、『蜘蛛女』と相通じるものも見出せるだろう。それに、そもそも何でもこなせるからこその職人監督。むしろ作り手としての懐の深さすら感じさせられるのではないか。 ちなみに、脚本家クリス・ブランカトーによると、当初の脚本では追う側のエイリアンも追われる側のエイリアンも女性という設定で、追われる側のエイリアン役にはナターシャ・ヘンストリッジと同じくモデル出身のシンディ・クロフォードを想定していたらしい。結局は製作者マンキューソ・ジュニアの要望で性別を変えることとなったわけだが、そちらのシンディ・クロフォード・バージョンも実現していたら面白かったように思う。なお、続く『スピーシーズ3 禁断の種』(’04)と『スピーシーズ4 新種覚醒』(’07)は、どちらもケーブル局Syfyで放送のテレビ・ムービーとして製作されている。 © 1998 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC.. All Rights Reserved 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存
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COLUMN/コラム2018.06.01
大反撃メルヘンとバイオレンスが融合した異色の戦争映画!『大反撃』
第二次世界大戦中のフランスに入ったアメリカ陸軍の小隊についての戦争映画です。タイトルの『大反撃』は、主人公たちではなく、敵側であるドイツ軍の大反攻作戦を意味しています。いわゆる「バルジ大作戦」のことです。 バート・ランカスター率いる米軍の小隊が霧深い森を進んでいくと、中世のお城が現れる。そして城主の伯爵から「この城を戦火から守ってくれ」と頼まれます。さらに、伯爵は小隊長に「世継ぎが欲しいが生まれない。だから私の妻を抱いてくれ」とも頼まれる。それだけでも変な戦争映画ですが、その城の周りにある村は、小隊の1人ひとりの願いが叶う不思議な村なんです。酒も女も、パン屋さんのピーター・フォークはパン屋の主人として迎えられ、メカマニアの若い兵士はフォルクスワーゲンを手に入れて大喜び。つまり、おとぎ話なんですよ、この映画。で、メルヘンだなあと思ってると、ドイツの戦車軍団が襲来して、突然、リアルでバイオレントで凄まじいアクションになっていきます。 監督はシドニー・ポラック。『追憶』(73年)や『トッツィー』(82年)など軽いコメディや、女性向けの映画とかで有名ですが、元々は男性的なアクション映画の監督でした。『ザ・ヤクザ』(74年)も僕は大好きです。ポラックのロマンチックな側面と、アクション監督としての側面が入り混じったのがこの『大反撃』という怪作です。クライマックスの破壊の美学をぜひご覧ください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 原作は従軍経験のあるウィリアム・イーストレイクの未訳小説『Castle Keep』(65年)。ロケ地ユーゴに実物大の城のセットを建て、それをクライマックスで惜しげもなく爆破・炎上させたのでスタッフ&キャストも驚いたという。主演のバート・ランカスターによれば本作は反ベトナム戦争をテーマにした寓話だと発言している。監督のポラックとランカスターは67年の西部劇『インディアン狩り』で初コンビを組み、『泳ぐひと』を仕上げ、そして本作と連続でコンビを組んでいた。 CASTLE KEEP/69年米/監:シドニー・ポラック/原:ウィリアム・イーストレイク/脚:ダニエル・タラダッシュ、デヴィッド・レイフィール/出:バート・ランカスター、ピーター・フォーク/108分/© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.06.01
車椅子のヒロインを襲う○○!ネタバレ厳禁のシチュエーション・ホラー!『恐怖』
あまりにもシンプルでモロなタイトルのホラー映画です。ヒロインは20代の女性で、脚が不自由で車椅子を使っています。離婚して離れ離れになった父に会うため、フランスの高級避暑地リヴィエラにやってきます。父の邸宅は後妻が仕切ってるんですけど、肝心の父がいない。そのうちにどんどんどんどん恐ろしいことが起こっていく。何が起こるかは話せません。秘密なんです。この映画のポスターは悲鳴を上げるヒロインの顔写真だけで、「このスチール以外の宣伝素材は発表を許されておりません!」と書いてあります。しかも映画館の従業員向けに「この映画の結末については決して口外しないように」という注意書きまであります。これは、その前年に大ヒットした、ヒッチコックの『サイコ』と同じ宣伝方式なんです。おかげで『恐怖』はアメリカで、コロムビア映画の年間ベスト5に入る大ヒットになりました。 『恐怖』のもうひとつのポイントは、ヒロインが車椅子でしか動くことができないこと。つまり、思うように逃げられないわけです。この『恐怖』の後、『何がジェーンに起ったか?』(62年)や『不意打ち』(64年)など、脚が不自由なヒロインを使ったホラー・サスペンスがいくつも作られました。しかも、ヒロインを演じるスーザン・ストラスバーグの少女のような不思議な存在感。『バニー・レーク〜』のキャロル・リンレーもそうですが、少女のように見えるんですね。他には『反撥』(64年)のカトリーヌ・ドヌーヴとか『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)のミア・ファローもそうですが、精神的に成長しそこなったような女性たちをヒロインにした一連のホラー映画がありまして、「ニューロティック・ホラー」と呼ばれました。「ニューロティック」というのは「ノイローゼ的」という意味なんですけど、つまり現実の恐怖なのか、ヒロインの妄想なのか観客が判別できないわけです。 4つ目のポイントは共演のクリストファー・リーです。『恐怖』はイギリスのハマー・プロの製作で、当時、クリストファー・リー主演のフランケンシュタインやドラキュラもので大人気でした。だからリーが出てくると観客は当然、恐ろしいことを期待するわけですが……みなさんも驚愕のクライマックスをお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. TVの登場によって大きく興収力を失った映画界に、衝撃と大ヒットをもたらした『サイコ』(60年)の登場は、それまでハリウッド・メジャーが気にもかけなかった“ホラー”というジャンルに一躍注目を集めた。本作もその影響下の1本で、製作は英国のホラーの老舗製作会社「ハマー・プロ」。『フランケンシュタインの逆襲』(57年)と『吸血鬼ドラキュラ』(59年)というハマーの2大シリーズの中心的クリエイターだったジミー・サングスターが本作の製作と脚本を担当。ジェラール医師役のクリストファー・リーはとあるインタビューで「本作は、私が知るこれまでに作られたハマー映画で最高の1本だった」と述べたという。2013年に、J・A・バヨナ監督(『永遠のこどもたち』〈07年〉)によるリメイクが発表されたが、未だに実現されていない。 TASTE OF FEAR(SCREAM OF FEAR)/61年英/監:セス・ホルト/製・脚:ジミー・サングスター/出:スーザン・ストラスバーグ、クリストファー・リー、アン・トッド/82分/© 1961, renewed 1989 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.06.01
ゴールディ・ホーンのサイケな天使に誰もが恋する!『サボテンの花』
ゴールディ・ホーンはTVのお笑い番組のゴーゴー・ガールから、『サボテンの花』で映画デビューして、いきなりアカデミー助演女優賞に輝きました。この映画を観れば誰でも彼女の魅力のトリコになるでしょう。 冒頭、ホーンがいきなり自殺を試みます。彼女は妻子ある40過ぎの歯科医(ウォルター・マッソー)と付き合っていて、この恋には先がないだろうと絶望して死のうとするわけです。自殺は未遂に終わるんですが、マッソーは責任を感じて、ホーンと結婚すると言い出す。するとホーンは「あなたの奥さんと子どもが不幸になるのは嫌!」と言い出す。実はマッソーは結婚しないで自由でいたいから、妻子がいると嘘をついてたんです。そこで、嘘をつくろうために、助手のイングリット・バーグマンに頼んで自分の妻を演じてもらう……という、ものすごくややこしい話です。 この映画のポイントは、1960年代後半、カウンター・カルチャー最盛期のニューヨークの風俗です。ホーンはサイケなファッションで、フリー・セックスOKのヒッピー娘に見えるけど、実は天使のように純粋な心の持ち主。彼女はキューピッドとして、バーグマン扮するサボテンのようにトゲトゲしいオールドミスの心に恋の花を咲かせます。 とにかく展開がドタバタのしっちゃかめっちゃかで、爆笑しているうちに、最後はほっこりするスクリューボール・コメディの傑作、お楽しみください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 1950年にロベルト・ロッセリーニとの不倫スキャンダルでハリウッドを干されていたイングリッド・バーグマンの久々のアメリカ映画復帰作。フランスの舞台を翻案したブロードウェイの同名舞台の主演はローレン・バコール。当時新人のゴールディ・ホーンがアカデミー助演女優賞ほか女優賞を総なめ。インドやエジプトでもリメイクされ、2011年には『ウソツキは結婚のはじまり』としてリメイクされたが日本では劇場未公開に終わった。 CACTUS FLOWER/69年米/監:ジーン・サックス/原:エイブ・バローズ/案:ピエール・バリエほか/脚:I・A・L・ダイアモンド/出:ウォルター・マッソー、イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーン/104分/© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.06.01
1人のマッチョと8つのプールに隠された暗号を解けるか!『泳ぐひと』
冒頭、いきなり林の中から海パン一丁のおっさんが出てきます。この、筋肉モリモリの俳優はバート・ランカスター。元々サーカス出身で全身筋肉の塊なんですね。そこは郊外の高級住宅街です。どの家にもプールがあるような。その男は、こう言います。「ここから7つの家のプールと市営プールを泳いでいって家に帰ろう」と。何を言っているんだと思いますけど(笑)。そうして描かれる8つのプールの風景と、出てくる人たちのセリフは、すべてがヒント、暗号になっていて、それをパズルのように組み合わせると、この男は誰なのか、この映画の本当のテーマは何なのかがわかってきます。 監督のフランク・ペリーは、アメリカン・ドリームやアメリカの正義をひっくり返していく、非常に皮肉な映画を撮る人です。原作は、文芸誌『ニューヨーカー』に発表されたジョン・チーヴァーの短編小説です。答え合わせは映画が終わった後にちゃんと僕がしますから、みんな頭をグルグルしながら「この映画はいったい何?」と考えながら楽しんでください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 監督の当初のキャスティングはウィリアム・ホールデン。だがオファーを断られ紆余曲折を経てバート・ランカスターに決定した。ランカスターは撮影当時52歳でこの肉体美! だが、泳ぎが得意ではなかったためUCLAで改めて水泳を習ったという。脚色は監督夫人のエレノア、ロケしたコネチカット州のウェストポートは夫妻の地元である。が、監督はランカスターと“芸術的見解の相違”から対立、最初のラフ・カット上映後クビにされた。後を引き継いだのが次作『大反撃』(69年)のシドニー・ポラック監督。またマーヴィン・ハムリッシュ(『追憶』〈73年〉でアカデミー作曲賞受賞)最初の映画音楽となった。 THE SWIMMER/68年米/製・監:フランク・ペリー(シドニー・ポラック)/原:ジョン・チーバー/脚:エレノア・ペリー/出:バート・ランカスター、マージ・チャンピオン、キム・ハンター/95分/© 1968, renewed 1996 Horizon Management, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.06.01
妹を殺す! 黒澤もイーストウッドも影響された誘拐サスペンスの原点『追跡』
『追跡』は一種の誘拐サスペンスです。「一種の」と言ったのは、誘拐そのものではないからですね。ヒロインはサンフランシスコの銀行員で、得体の知れない男から脅迫されます。「お前の妹を殺されたくなかったら、銀行から金を奪え」と。でも、この妹は誘拐されていないんです。「俺の言う通りにしないと妹を殺す」という奇妙な脅迫なんですね。監督はブレイク・エドワーズ。最も有名な作品は『ティファニーで朝食を』(61年)ですね。『追跡』は『ティファニー〜』の直後に作られています。エドワーズ監督は『追跡』以降コメディ路線に行きまして、「ピンク・パンサー」シリーズをずーっと作り続けるんですけど(笑)。非常にもったいない。だって、この『追跡』はサスペンス映画の大傑作なんですよ。 冒頭でヒロインのリー・レミックが犯人から脅迫されるんですが、その約10分くらい彼女の顔のクローズアップなんです。こんな映画はないですよ。撮影はフィリップ・H・ラスロップ。あのオーソン・ウェルズの『黒い罠』(58年)を撮った名撮影監督です。彼が『追跡』ではモノクロの技術の粋ともいえる素晴らしい撮影を次々と見せてくれています。この『追跡』はその後の様々な映画に影響を与えています。あの黒澤明の『天国と地獄』(63年)や、クリント・イーストウッドの『ダーティハリー』(71年)も、おそらく『追跡』に影響を受けています。ところが、その原点になった『追跡』はほとんど知られていない。この機会にぜひ、ご覧ください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 原作は夫婦作家ザ・ゴードンズの実話を元にしたという未訳小説『Operation Terror』(61年)。ブレイク・エドワーズ監督の「ジェフリー・プロ」とリー・レミック夫妻の「ケイト・プロ」の共同製作で、当初ほぼ同時期に製作していた『酒とバラの日々』(62年)と同じくレミックとジャック・レモンの主演が予定されていたが、FBI捜査官リプレイ役はコロムビアの専属俳優グレン・フォードになり、フォードのコロムビアとの契約最後の出演作となった。妹トビー役のステファニー・パワーズは、日本ではTVシリーズ『探偵ハート&ハート』(79〜84年)の妻ジェニファー・ハート役で有名になった。 EXPERIMENT IN TERROR/62年米/製・監:ブレイク・エドワーズ/原・脚:ゴードン夫妻/出:グレン・フォード、リー・レミック、ステファニー・パワーズ/124分/©1962, renewed 1990 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.06.01
居なくなった娘は実在したのか!? 人間消失映画の最高傑作!『バニー・レークは行方不明』
『バニー・レークは行方不明』って奇妙な題名でしょ? “バニー・レーク”は、幼稚園くらいの女の子の名前です。舞台はロンドンで、そこにやってきたアメリカ人女性(キャロル・リンレー)が「娘がいなくなった」と、警察に届けます。ところが、幼稚園では「そんな子は預かってない」と言われます。他でも「そんな子は見たことない」と言われます。目撃者はどこにもいないんですよ。だから刑事が「娘さんの持ち物とか何か証拠になるものはありませんか?」と言うんですが、何もない。バニー・レークという娘が実在した証拠がいっさい出て来ない。それでだんだん観客も、バニー・レークというのは、このヒロインの妄想じゃないか? と疑いはじめるんです。 これは有名な“消える旅行者”という都市伝説ですね。映画でも人間消失ものはたくさんあります。最も古いのはヒッチコックの『バルカン超特急』(38年)。大陸横断鉄道に乗ったヒロインがある老婦人と話をしていたんですけど、その老婦人が、走る列車の中から忽然と消えてしまう。僕の世代にとって印象深いのは『恐怖のレストラン』(73年)というTVムービー。砂漠にあるドライブインに夫婦が入りまして、奥さんがトイレから席に戻ると、旦那がいなくなっている。で、店にいた人たちに「うちの連れは?」と尋ねると「あなたは一人で入ってきましたよ」と言われる。ジョディ・フォスターの『フライトプラン』(05年)もそうでした。飛行機に乗ってる間に娘が消えちゃう。それと、『フォーガットン』(04年)。ジュリアン・ムーア扮するお母さんが「息子が消えた!」と。このように山ほどある人間消失映画のなかでも最高傑作が、この『バニー・レークは行方不明』です。 監督はオットー・プレミンジャー。『黄金の腕』(55年)とか『或る殺人』(59年)を手がけた巨匠です。プレミンジャーの映画は、オープニングタイトルが素晴らしいことでも有名です。これを作ったのは、ソール・バスというグラフィック・デザイナーです。『バニー・レーク〜』でも抜群のタイトルデザインをしてます。黒い紙をびりびりと破るアニメーションで、非常に怖い。バスの最も有名な仕事は、ヒッチコック監督と組んだ『サイコ』(60年)ですね。 プレミンジャー監督は、ハリウッドで当時ものすごく厳しく自主規制があった時代に、それに反する映画を作り続けてきた人です。性的な会話とか、変態性欲とか、同性愛とか、タブーとされていたことを描いてきたチャレンジャーでした。 そのいっぽうで鬼監督とも呼ばれていて、俳優を徹底的に追い詰めるものだから、『第十七捕虜収容所』(53年)では、ナチの収容所長役に抜擢されました。ビリー・ワイルダー監督からは「いつも演出してるようにやってくれ」って言われたという(笑)。プレミンジャーはユダヤ系なのにナチの将校みたいに冷酷だと。『バニー・レークは行方不明』でも、主演のキャロル・リンレーを徹底的に追い詰めました。彼女の精神崩壊寸前の表情は演技を越えたリアルです。 人間消失映画は沢山ありますが、その種明かしはどれも凡庸です。ヒッチコックですら成功していません。そのなかで『バニー・レークは行方不明』だけは、唯一の成功作です。とにかくアッと驚く結末に注目です!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 原作は邦訳もあるイヴリン・パイパーの同名小説(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)。しかし、原作の舞台であるニューヨークを映画はロンドンに書き換えていて、結末も違う。脚本の初期段階では“赤狩り”のブラック・リストに載っているドルトン・トランボが参加していたが、クレジットはされていない。当初製作会社のコロムビアは、監督のオットー・プレミンジャーに主役のアン・レーク役にジェーン・フォンダを使えと求めたが、プレミンジャーはキャロル・リンレーにこだわって会社を押し切った。クレジット・トップのニューハウス本部長役も初めはジョージ・C・スコットにオファーされた。本作のケア・デュリアの演技を見て、スタンリー・キューブリック監督は『2001年宇宙の旅』(68年)のボウマン船長役に彼をキャスティングした。近年はリース・ウィザースプーンでリメイクの企画が動いていたが、最終的に棚上げされたそうだ。 BUNNY LAKE IS MISSING/65年米/製・監:オットー・プレミンジャー/原:イヴリン・パイパー/脚:ジョン&ペネロープ・モーティマー/出:ローレンス・オリヴィエ、キャロル・リンレー、ケア・デュリア/108分/©1965, renewed 1993 Otto Preminger Films, Ltd. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.05.24
『クリムゾン・ピーク』⑥(完) 6/30(土)字幕、 7/1(日)吹き替え
ミア・ワシコウスカとジェシカ・チャステイン、そしてトム・ヒドルストンのこと ミア・ワシコウスカは映画『イノセント・ガーデン』(2013年)にも娘役で主演している。母親役はニコール・キッドマン。一族の呪われた秘密、恐ろしい狂人、おぞましい近親相姦(の一歩手前)が盛り込まれたスリラーだ。この母娘を描く上で、パク・チャヌク監督は「おとぎ話の女王と王女として、ゴシック調の城に閉じ込められているイメージを抱いていた」と明言している。そしてニコール・キッドマンは『アザーズ』(2001年)というアレハンドロ・アメナーバル監督のゴシック風心霊ホラーにも主演していて、そちらで描かれるのはお屋敷に閉じ込められたニコール・キッドマンと、夜ごとの心霊現象、一族の呪われた(アッと驚く)秘密なのだ。 ここではニコール・キッドマンのことはいい。ミア・ワシコウスカである。『ジェーン・エア』に、『イノセント・ガーデン』に、そして『クリムゾン・ピーク』に主演した彼女こそが、当代においてはゴシック/ゴスを体現する女優なのだ。ひと昔前ならヘレナ・ボナム=カーターかウィノナ・ライダーが担っていたポジションである。ミアの、青白いとさえ言える肌の白さ。破顔一笑とは決していかない抑えた感情表現。ハの字眉はいつも困ったように眉根が寄せられている。薄幸そうで儚なげなそのM的ルックスは、まさにゴスのために用意された道具立てとしか思えない。よって当然、デル・トロと並ぶゴス偏愛監督の双璧ティム・バートンもまた、彼女のことを起用せずにはいられない。『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)である(そういえばティム・バートンもまた、フランケンシュタインに魅入られたゴス教祖だ。『シザーハンズ』や『フランケンウィニー』を見れば明らかな通り)。 しかし、演技者たるもの、同じような役ばかり何度も演じていたのではチャレンジにならない、という考え方もあっていい。それを公言する、あまつさえこの『クリムゾン・ピーク』のプロモーション活動中に誰憚ることなく言い放つ、という、関係者が凍りつくようなマウンティングに出たのが、誰あろうジェシカ・チャステインである。恐い女である。つまり、最高だ! 実は当初、ヒロインのイーディス・カッシング役は彼女がオファーされていたのだ。「でも、イーディスと似たようなキャラクターは以前演じたことがあると感じたの。そして、一度も演じたことがないキャラクターを見つけた。演じる上で最大のチャレンジとなる役。そう、ルシールよ」と、公式書籍『ギレルモ・デル・トロ クリムゾン・ピーク アート・オブ・ダークネス』(DU BOOKS出版刊)の中で、彼女はこの、“誰かさん”への当てこすりとも取れる豪語をしている(ゲスの勘ぐりだろうか?)。この発言、ジェシカのクールでS的な美貌とも相まって、一部の男性ファンにはある意味で堪らないものがあるだろう。最高だ!が、さらに、彼女が演じることになったルシール役のイメージとも見事に重なるのである。すなわちサディストの「怪人めいた(女)主人」という、つまりはゴシックロマンスにおいて一番美味しい役どころだ。結果的に本人もいたく満足し、役に入れ込んだ旨の発言を同書の中でしている。 ミアのM的な魅力と、ジェシカのS的な魅力。この2つを本作でデル・トロ監督は具体的に、蝶と蛾の対比的イメージに託している。2人(が演じたキャラクター)は、美しい蝶と、それを捕食する肉食の蛾だ、と監督は語っている(“肉食の蛾”なるものを寡聞にして知らないが)。そして蝶と蛾のモチーフは時に歴然と、時に隠れキャラのようにして、本作の映像の中に頻繁に描きこまれているのである。 なお、ジェシカ・チャステインが「イーディスと似たような役を以前演じたことがある」と言っているのは、おそらくは、日本未公開・未ソフト化の彼女の映画デビュー作『JOLENE』(2008年)のことをさしているのではないかと睨んでいるのだが、はたしてどうか?我が国では見る手段が現状ない幻の映画なので、以下、再々の脱線にはなるが、オチまで含め『JOLENE』について余談ながら詳しく書き残しておこう。 不幸な生い立ちの孤児ジョリーン。愛に飢えていて、メガネのヒョロヒョロへなちょこダサ男君と16歳女子高生の身空で学生結婚。ダサ男君の叔父夫婦の家に居候するが、ダンディーちょいワル叔父と2人きりの時に関係を迫られ、愛され願望の強い彼女は喜んでそれに応じてしまい、以降、叔母と旦那の目を盗んで暇さえあれば義理の叔父とヤリまくる。しかし、事の最中に叔母に踏み込まれて修羅場に。旦那のダサ男君は衝動的に自殺。叔父は相手が16歳ということで和姦であっても未成年者強姦罪で逮捕され実刑となり、一家離散に。これを皮切りにその後も、他者依存体質の彼女が、援交ヒッチハイクをしながら“アメリカ流れ者”となってどこかの土地に流れ着き、誰かとくっついてはさんざん翻弄され関係破綻し、また次の愛を求めて全米をさまよう、というパターンが繰り返されていく。精神科少年院(『17歳のカルテ』的な)のレズ看守長、ロマンチストで優しくて妻ジョリーン以外の女にも全部そう接するチャラ男のタトゥー屋ヤク売人、抗争まっただ中のベガスの組長、バイブルベルトの原理主義トゥルーリッチマンなど。彼女はわらしべ長者的に、前の相手との短い結婚生活で学んだ経験をもとに毎回少しずつ成長し、最後にはグラフィック・ノベル画家として自活を実現。25歳の自立した大人の一女性としてLAの目抜き通りをスクリーンの奥へと去っていき、そこで映画の幕は閉じる。 ジョリーンは、男どもに依存し庇護されないと1人では何もできない無力な少女だったが、やがて自ら考え状況を切り拓く思考力と勇気を獲得していく。彼女には唯一、絵を描く才能だけはあり、最初はただの手すさびだったものが、最後には筆一本で食っていくところまでいって、この、少女の成長と自立の物語は終わる。『クリムゾン・ピーク』ヒロインのイーディス・カッシングと確かに被るのだ。イーディスもまた、成金の父や英国貴族の夫などに庇護される、自分では何一つできない世慣れぬ若妻のアマチュア小説家であり、しかし次第に、事態を自己解決できるたくましさを身につけ、やがては自立した女として、おそらくはペンで身を立てていくことになるのだろう。 ジェシカ・チャステインは、16歳の女子高生から25歳社会人までのジョリーンを演じきるのだが、これがスクリーンデビューとは思えぬその演技の幅に驚かされる(実年齢は当時30歳)。特に冒頭からしばらく続く16歳時のエピソードでは、アラサー女優が高1を演じるという年齢的な無理、しかも決して童顔ではない彼女がそれを演じるという苦しさをいささかも感じさせない(無論25歳の方は25歳にちゃんと見える)。この16歳パート、おそらく、芸名「マリリン・モンロー」になる前の十代の頃のモンロー、つまりノーマ・ジーンを参考に役作りしたのではと睨んでいるのだが、この見立て、はたして当たっているだろうか?赤い巻き毛に赤いリボン、真っ赤な口紅。頭が弱く、性にだらしがない。俗に言う“サセ子”のイメージだ。ノーマ・ジーン=後のモンローもまた、不幸な生い立ちの孤児であり、そのため愛に飢え、生涯に3度結婚。相手は無名の整備工(16歳で!)から国民的大リーグ選手、高名な劇作家まで。さらには司法長官や合衆国大統領とも不倫関係だったことは周知の通りである。ジョリーンはモンローとも大いに重なるのだ。30歳のジェシカ・チャステインはピンナップやエロ写真の中の幼いノーマ・ジーンそっくりに外見を仕立てることでこの役を作っていったのではないだろうか。 また、16歳女子高生おさな妻と義理の叔父が同じ屋根の下で繰り広げる愛欲の日々、というのは完全にロリータ映画の展開だが、そのタブー感を強調するためにか、映画『JOLENE』ではかのバルテュスの絵画が何度か引用される。これは絵の才能だけは持って生まれたヒロインの人物造形ともリンクしてくる。まず、タイトルバックで「本作の主人公はこの絵に描かれている少女です」とでも宣言せんばかりに全画面にバーン!と映し出される絵画からして、バルテュスの作品なのだ。具体的には「横たわるオダリスク(Odalisque allongée)」という一幅。19世紀に流行った伝統的かつ官能的な画題を、バルテュス流の筆致で、気だるく背徳的に描いた画家晩年の佳作だ。その絵姿はジョリーンに瓜二つ。さらに、ジョリーン自身が自らを描いた自画像までもが、どこかバルテュス風なのである。十代前半の少女たちがモデルを務めたバルテュスの絵画。本人たちに判断力は備わっていないが、画家の求めに応じエロチックなポーズをとらされ、倒錯的な絵に描かれた。そのことと、愛が欲しいあまり、言われるがまま男の要求に応じ続けた十代のジョリーンの姿も、どこか重ならないだろうか? …余談が長くなりすぎた。いい加減『クリムゾン・ピーク』に戻らねばならない。最後にもう一人、トム・ヒドルストンにも言及しないわけにはいかないのだから。 ヒドルストンは、名目上は屋敷の当主でありながら、実質的な主である恐るべき姉にコントロールされ、それでも善の心をまだ完全には失いきっておらず、人間性を取り戻そう、呪われた一族から脱け出そうとあらがう貴族(正確には世界史の教科書に出てくる「郷紳」、ジェントリ階級)トーマス・シャープ準男爵役を演じる。トム・ヒドルストン自身もジェントリの血を引き、イートン校→ケンブリッジ大へと進んだ本物のジェントルマンで、この学歴は奇しくもゴシックロマンスの元祖である18世紀の貴族作家ウォルポールと同じだ。別の映画でロキを演じる時にも見せてくれる彼のあの貴公子っぷりは、実はほとんど素なのではないだろうか。プロモーション時のインタビューではゴシックロマンスに関する見識も言葉の端々に覗かせている。インテリであることが隠しきれないほどに教養あふれる演技者なのである。 本作は登場人物が多くはなく、中心となるのは以上の3人だが、3人を演じる俳優三者が三様に本来的に備えている資質を最大限に引き出し、魅力的で実在感あるキャラクターを創造しえたことは、本作の大きな成功点だ。すべからく映画とはそうあるべきだが、多くの凡作では実現できていない。最悪ミスキャストという駄作も多い。そして、彼らがまとう惚れ惚れする衣装、ゴシック館をセットで丸々一軒建ててしまう大がかりな美術、それらを通貫する徹底的に設計された色彩美は、これぞまさしく映画だ。その上、過去の偉大なる文学的遺産ともリンケージする豊かな間テクスト性については、ここまで縷々書き連ねてきたとおりである。本来であればさらにここで、文学だけでなく19世紀の画壇、ロマン主義絵画や「挿絵の黄金時代」の画家たちによるイラストレーションと本作との視覚的リンクについても言及せねば片手落ちになるのだが、さすがに紙幅も尽きてきた。そろそろまとめに入らねばならない。 デル・トロ監督の、溢れる奇想のイマジネーションと、汲めども尽きぬ文学・芸術分野の教養、その2つが緻密な計算に基づき込められ、150年も前に流行し、やがて廃れた文芸ジャンルを美しくも恐ろしく現代の映画として蘇らせた本作。かくも豊かな映画、これぞ映画、これこそが映画、文字通りの「ザ・シネマ」を撮れてしまうクリエイターは、当然、アカデミー監督賞にこの上もなく相応しいし、彼のクリエイトした映画芸術がアカデミー作品賞を獲るのもまた、早晩必至だったのだ。 2018年の今年、「プラチナ・シネマ」最終回を飾るのに相応しい映画、もとい、身に余るほどの傑作、それが『クリムゾン・ピーク』である。■ © 2015 Legendary Pictures and Gothic Manor US, LLC. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存 保存保存