■怪獣映画というジャンルに乏しい韓国

『グエムル-漢江の怪物-』には、深い思い入れがある。

 本作の日本公開を控えた頃、筆者は韓国に出向いて監督のポン・ジュノや、主演のソン・ガンホ、そしてぺ・ドゥナにインタビューをおこなった。加えて韓国最大のシネコン「メガボックス」で開催されたワールドプレミア上映を取材。現地での完成報告記者会見にも参加した。

 そこでショッキングだったのは、韓国と日本との「怪獣映画」に対する温度差である。

 意外に思われるかもしれないが、韓国にはいわゆる日本のゴジラやガメラ、そしてウルトラマンに代表されるような「怪獣映画」の伝統がない。

 もちろん、まったく作品が存在しなかったというワケではない。国内では1962年、鉄を食らう幻獣の大暴れを、精巧な模型を駆使して描いた『プルガサリ』が嚆矢として位置づけられている(後に北朝鮮が『プルガサリ~伝説の大怪獣~』(85)として再映画化)。その後「国産初の怪物映画」と自ら惹句を掲げた『宇宙怪人ワンマギ』(67)や、日本のエキスプロダクションが造形と特撮に携わった『大怪獣ヨンガリ』(67)など、日本の第一次怪獣ブームの向こうを張る形で怪獣映画が製作されている。

 また70年代には、ギム・ジョンヨンとポール・レダー(『ピースメーカー』(97)で知られる女性監督ミミ・レダーの父親)が共同監督した韓米合作3D映画『A*P*E キングコングの大逆襲』(76)や、ギム・ジョンヨン監督が日本の特撮TVのバンクシーンをマッシュアップしたひどい代物『飛天怪獣』(84)が発表されている。追って90年代にはコメディ俳優シム・ヒョンレが、自身の映画製作会社「ヨングアート」を設立し、翌年にモンスターコメディ『ティラノの爪』(93)を監督。99年には『大怪獣ヨンガリ』を欧米キャストでリメイクした『怪獣大決戦ヤンガリー』(99)を製作するなど、かろうじて命脈を保ってきたのだ。


■日本の怪獣映画にリスペクトを捧げた『グエムル』

 こうした環境が如実に影響を及ぼしているのか、『グエムル』の完成報告記者会見は、怪獣映画の文化に浴してきた自分には呆然となるものだった。現地記者による質問のほとんどは、劇中で主人公カンドゥ(ガンホ)を中心とするキャラクターに関するものばかりで、誰一人として「怪獣」のことについて触れなかったからだ。そのスルーぶりたるや「(怪獣映画に接する文化がないと)ここまで主題に関する興味や優先順位が違うのか」と吹き出しそうになったほどだ。

 そのうちに記者の1人が、以下のような核心を監督のポン・ジュノに問い始めた。

「そもそもなぜ、あなたがこのような作品を撮ったのか?」

 1969年生まれのジュノは、延世大学校社会学科を卒業後、映画の専門教育機関である韓国映画アカデミーを経て『ほえる犬は噛まない』(00)で長編商業監督デビューを果たした。同作はマンション内での連続小犬失踪事件をめぐる住民たちのドタバタを描いた作品だが、続く2作目の『殺人の追憶』(03)では、1986年から5年の間に10人の女性が殺され、犯人未逮捕のまま控訴時効が成立した「華城(ファソン)連続殺人事件」を材にとり、後の『チェイサー』(08)や『悪魔を見た』(10)などへと連なる「韓国犯罪映画」というジャンルを確立させている。

 笑いと緊迫をミックスさせた独自の作風、見る者を圧倒させる大胆な画面の構成力、そして時代考証や細部にこだわる「リアリズム作家」の筆頭として、韓国映画の未来を嘱望される存在だったのだ。

 そんなジュノが、なぜ自国に根付くことのなかった怪獣映画を? そのことを問い質した記者に対し、監督は以下のように答えている。

「本格的な怪物映画を作ってみたいという意欲が芽生えたからです。感性の土台という意味では、ハリウッド映画なら『エイリアン』(79)の亜流、例えば『ミミック』(97)であるとか、そういった作品に影響を受けてきました。また、かつて世界を騒がせたネス湖のネッシーがいましたよね。ああいったUMA(未確認生物)に僕はたいへん興味を持っており「ネッシーは本当にいるのか?」あるいは「ネッシーを捕まえることが出来るのか?」と常に想像してたんです」

 しかし、当の記者はそんな熱弁に要領を得ないといった表情を見せていた。というのも映画の舞台となった漢江は、UMAなどの目撃証言や伝説(真偽はさておき)が存在せず、モンスターを喚起させるようなスポットではなかったからだ。

 この記者会見の前日、筆者はポン・ジュノ監督に取材をし、同じ質問を彼に投げかけている。そこでジュノは先の記者への答えに加え、「なぜ怪獣映画を?」を腑に落ちる形で補完してくれていた。

「『グエムル』の企画そのものは高校時代から温めており、自分もまた、自国に怪獣映画の伝統がないことを憂いていたんです。僕はAFKM(American Forces Korea Network)と呼ばれた米軍用放送局で、ゴジラシリーズやウルトラマンを子どもの頃によく観ていました。その幼少体験が、怪獣映画を撮ることへの思いを膨らませていったといえるでしょう。そして在韓アメリカ軍が多量の毒物を下水口から漢江に放流した「龍山基地油流出事件」が製作の契機となり、『グエムル』の企画を具体的なものにできました」
 

■ベースにあるスピルバーグ型エイリアンコンタクト映画

 ジュノのこうした発言を統合すると、日本の怪獣映画に対する限りないリスペクトの心情と、それが突き動かした怪獣映画への前のめりな挑戦心。そして怪獣映画に欠くことのできない社会問題の寓意性などがうかがえてくる。

 しかし『グエムル』の面白い点は、怪獣出現という途方もない事態を、政治家や軍隊、科学者といったスペシャリストが攻め打っていく同ジャンルの定型を踏襲しなかったところにある。本作で怪物と戦う主人公カンドゥは、軍人でも科学者でもなければ正義と使命感に燃える人物でもない。商売人でありながら、客の注文した食べ物をこっそり自分で食べたりする、どうしようもないダメ男なのだ。

 そんなカンドゥが、一人娘を救うために得体の知れない怪物に挑んでいく「家族愛」に焦点を合わせることで、ジュノの怪獣パニックは堂々成立しているのである。

 こうした構成に関してジュノは、敬愛する作家としてスティーブン・スピルバーグの名を筆頭に出し、『未知との遭遇』(77)や『宇宙戦争』(05)など、異星人コンタクトという状況下での家族愛をうたった諸作を「もっとも触発された」として挙げている。それと同時にM・ナイト・シャマランの『サイン』(02)のタイトルを出し、『グエムル』の製作にあたって同作の影響があったことを認めている。

「『宇宙戦争』は本作の撮影中にスタッフに勧められて観ました。たしかに大きな状況をパーソナルな視点で描く部分で共通点はあるんですけど、物語の方向性は異なるし、むしろ影響という意味ではシャマランの『サイン』のほうが大きいかもしれません。あの作品も『宇宙戦争』と同様に宇宙人の襲撃を受けるSFですが、決してスペクタクルに執着するのではなく“家族”に焦点を合わせて物語を構成していくところに影響を受けました」

 とはいえ『グエムル』は、怪獣映画のカタルシスを決しておろそかにはしていない。特に開巻からほどなく始まる、怪物が漢江の河川敷で人間を襲うデイシーンは怪獣映画史に残るようなインパクトを放つ。巨体に見合わぬ素早い動きで、逃げまどう人々を片っ端から踏みつけ、そして殺戮の限りを尽くしていく怪物——。ジュノは非凡な画面構成力と演出力で、このおぞましいスペクタキュラーを本作最大の見どころとして可視化している。

 

■『グエムル』以後の韓国怪獣映画の流れ

『グエムル-漢江の怪物-』は国内観客動員数1301万人という異例の大ヒットを記録し、2014年に公開された『バトル・オーシャン 海上決戦』に破られるまで、韓国映画興行成績ランキングベスト1の座に君臨していた。しかし、こうしたヒットが韓国に怪獣映画の興隆をうながしたのたというと、そうでもないのが本作の特異たる所以である。

 じっさい『グエムル』以降の怪獣映画の流れはというと、本作公開後の翌年(2007年)には『怪獣大決戦ヤンガリー』のシム・ヒョンレが、500年ごとに起こる大蛇大戦を描いた『D-WARS ディー・ウォーズ』を監督。韓国とアメリカでヒットを記録したものの、作品は国内でも海外でも酷評の嵐に見舞われている。

 さらにその翌々年、巨大イノシシによる獣害パニックを描いた『人喰猪、公民館襲撃す!』(09)が公開。同ジャンルの可能性をとことんまで追求し、今後に期待をつなぐような面白さを放ったのだが、韓国初のIMAXデジタル映画として発表されたハ・ジウォン主演のモンスターパニック『第7鉱区』(11)が、『エイリアン』(79)のリップオフ(模造品)のような既視感の強さで、せっかくの好企画を台無しにしてしまった。 

 当然ながら大ヒットを飛ばした『グエムル』にも続編の企画があり、その前哨戦として同作の3D化がなされ、11年の釜山国際映画祭で公開された。しかし肝心の『2』製作はプロモーション用のフィルムまでできたものの、資金不足から企画は頓挫している。ジュノ自身は後年、米韓合作による配信映画『オクジャ okja』(17)に着手。アメリカ企業に捕らえられた巨大生物を救うべく、少女が孤軍奮闘するという『グエムル』を反復するような怪獣映画を展開させ、ひとまず好評を得たのだが……。

 ちなみに『D-WARS ディー・ウォーズ』のプロモーションでヒョンレが来日したさい、取材で彼に『グエムル』は観たのかと質問した。すると、

「観たよ、この2つの目でね」

 という元コメディ俳優らしいギャグを飛ばしてきたが、内容に対する具体的なコメントは聞き出せなかった。もしかしたら同作に対して強いライバル意識があったのかもしれないし、日本の怪獣映画と、そして自らの作家性や意匠が塩梅よくブレンドされたジュノの力作に対し、たまらなくジェラシーを感じていたのかもしれない。そんな彼も『D-WARS 2』の企画を始動させていたものの、ヨングアート社の資金の使い込みや社員の賃金未払いなどが表面化し、2012年に自己破産を申請。『D-WARS 2』は宙に浮いたままになっている。

 怪獣映画の革命作『グエムル-漢江の怪物-』の初公開から、およそ12年の月日が経った。だが韓国の「怪獣映画」の未来は、まだまだ遠い先にあるようだ。▪︎

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