ここ数年、ヨーロッパではハンガリー映画が熱い。『サウルの息子』(’15)がカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリに輝き、米アカデミー賞ではハンガリー映画として27年ぶりで外国語映画賞にノミネート、しかも34年ぶりに2度目の受賞という快挙を達成。ハンガリー映画史上最高額の製作費を投じた歴史大作『キンチェム 奇跡の競走馬』(’16)は、国内外で大ヒットを記録して話題になった。また、名匠イニェディ・イルディコー監督が18年ぶりに発表した長編映画『心と体と』(’17)はベルリン国際映画祭の金熊賞を獲得し、米アカデミー賞でも外国語映画賞の候補に。さらに、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(’14)と『ジュピターズ・ムーン』(’17)で立て続けに各国の映画祭を席巻した鬼才コーネル・ムンドルッツォ監督は、ブラッドリー・クーパーとガル・ガドット主演の『Deeper』(公開未定)でハリウッド進出が予定されている。

 そんなハンガリー映画の躍進を象徴する『サウルの息子』。1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人労務部隊の実話を基にしたホロコースト映画の傑作だ。日本ではあまり目にする機会のないハンガリー映画ではあるが、それだけに本作の圧倒的なリアリズムと斬新なカメラワークに驚かされる映画ファンも少なくないことだろう。そういえば、先述した『ジュピターズ・ムーン』で話題となった空中浮遊シーンも、今まで見たことのない画期的な映像体験だった。まさにハリウッドも顔負けのハイレベルな技術力と成熟した表現力。ハンガリー映画、なんだか知らんけど凄くね!?…ということで、まずは現在までに至るハンガリー映画の歩みと背景事情を駆け足で振り返ってみたい。

 かつて、ポーランドやチェコと並んで東欧随一の映画大国だったハンガリー。’56年にハンガリー社会主義労働者党書記長に就任したカーダール・ヤーノシュのもと、欧米先進国寄りの比較的自由な政策が採られた同国では、他の東欧諸国に比べて当局の検閲も緩やかだったことや、映画制作システムの大胆な改革のおかげもあって映像産業が急成長。サボー・イシュトバーンやタル・ベーラ、ヤンチョー・ミクローシュ、ゾルタン・ファーブリ、カーロイ・マックといった巨匠たちの作品が世界中の映画祭で高く評価された(残念ながら、その大半が日本では劇場未公開ないし特殊上映のみ)。しかし、’89年の民主化以降は多くの旧社会主義国と同様、資金不足や外国映画との競争にさらされ、往時の勢いと輝きを失ってしまう。

 そんなハンガリー映画界にとって大きな転機となったのが、ヨーロッパにおける同国映像産業の競争力を高める目的で’04年に施行された映画法案Ⅱである。これによって、ハンガリー国内でローカルの制作会社と提携して撮影される全ての外国映画およびテレビドラマは、直接的な製作費に対して25%の税制優遇措置を受けられることとなったのだ。おかげで近年は『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(’13)や『ワールド・ウォーZ』(’13)、『ヘラクレス』(’14)、『オデッセイ』(’15)、『インフェルノ』(’16)、『ブレードランナー2049』(’17)、『アトミック・ブロンド』(’17)、『レッド・スパロー』(’17)、『ロビン・フッド』(’18・日本公開未定)などなど、数多くのハリウッド映画や英米ドラマがハンガリーで撮影されることに。来年全米公開予定のウィル・スミス主演作『Gemini Man』や『ターミネーター』最新作のロケもブダペストで行われており、今やハンガリーはイギリスに次いでヨーロッパで最も人気のある映画ロケ地となっているのだ。今年の7月には優遇税率が30%へと引き上げられ、法律の有効期間も当初の’19年から’24年へと延ばされることが決定。それだけ成果が出ているということなのだろう。

 こうした政府主導による外国映画の撮影誘致が功を奏し、ハンガリーの映像産業全体も経済的に潤っている。なにしろ、昨年だけで4000万ドルもの外貨が落とされて行ったのだから。’07年には同国最大規模の撮影所コルダ・スタジオ(ハンガリー出身の世界的映画製作者アレクサンダー・コルダに因んでいる)がオープン。’12年にはたったの5本だった国産長編映画の年間製作本数も、’17年には22本にまで増えている。だが、外国映画誘致のもたらす恩恵は、なにも経済効果だけに止まらない。

 筆者は今年の1月にブダペスト郊外のコルダ・スタジオを訪問し、『アトミック・ブロンド』や『レッド・スパロー』の製作に携わった現地プロダクション、パイオニア・スティルキング・フィルムズの女性プロデューサー、イルディコ・ケメニー氏にインタビューしたのだが、彼女によれば若い人材育成という面でも非常に助かっているという。なにしろ、先述したように国産映画の本数がもともと少ないハンガリー。以前は映画学校を卒業しても、未経験の若者はなかなか仕事にありつけなかったが、外国資本の映画やテレビドラマの企画が大量に流入することで雇用機会も格段に増え、インターンから徐々に経験を積んでいく人材育成システムも確立された。しかも、ハリウッドの最先端技術も実地で学ぶことが出来る。「おかげで、ハンガリー映画のクオリティも全体的に高くなった」とケメニー氏は語っていたが、ここ数年3~5%の割合で増え続けている国産映画の国内観客動員数(昨年は130万人)などは、まさにその証拠と言えるのかもしれない。

 ちなみに、ハリウッドの大物撮影監督ヴィルモス・スィグモンドとラズロ・コヴァックスがハンガリー出身(しかも一緒にアメリカへ亡命している)であることは有名だろう。しかし、ハリウッドとハンガリーの繋がりはさらにずっと古く、サイレント時代にまで遡ることが出来る。例えば、20世紀フォックスの前身フォックス・フィルム・コーポレーションの創業者ウィリアム・フォックス(本名ヴィルモス・フックス)、パラマウント映画の創業者アドルフ・ズーカーは共にハンガリー系移民。ほかにも『カサブランカ』(’42)で有名なマーケル・カーティス監督(本名ケルテース・ミハーイ)や『スタア誕生』(’54)のジョージ・キューカー監督、『巴里のアメリカ人』(’51)の撮影監督ジョン・オルトン(本名ヨハン・ヤコブ・アルトマン)、特撮映画の神様ジョージ・パル、作曲家のミクロス・ローザにマックス・スタイナーと、多くのハンガリー系移民がハリウッド黄金期を支えたのである。そして、その大半がユダヤ人であったことも忘れてはなるまい。

 ヨーロッパ最大のシナゴーグがブダペストに存在することからも分かるように、古くから大勢のユダヤ人が暮らしていたハンガリー。第二次世界大戦ではナチス・ドイツの同盟国として少なからぬ戦争犯罪に加担したわけだが、とりわけ’44年3月に悪名高きナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンがブダペストへ派遣されると、それまで積極的ではなかったハンガリー国内のユダヤ人迫害も本格化。最も多い時期には一日12000人ものユダヤ人がアウシュビッツへ送り込まれ、ジェノサイド(大量虐殺)の犠牲になったという。次から次へと列車で運ばれて来るユダヤ人をガス室送りにするわけだが、しかしナチス兵士だけでは現場の手が足りない。そこで死体処理や掃除などの雑務を任されたのが、ナチスによって強制的に選ばれた同胞ユダヤ人の労務部隊ゾンダーコマンドだったのである。

 当時のナチスはユダヤ人の大量虐殺を秘密にしていたため、事実を知るゾンダーコマンドは他の労務に就く囚人たちとは隔離されて生活し、3~4か月ごとにメンバーの入れ替えがなされていた。つまり、古い囚人をガス室送りにして、新しく到着した囚人を補填したのだ。そうした中、アウシュビッツのゾンダーコマンドの数名が筆記用具やカメラを手に入れ、命がけで自分たちの仕事や収容所内の日常を書き記し、数枚の証拠写真も撮影していた。後世の人々へ真実を伝えるためだ。それを彼らは地中に埋めて隠し、戦後になって掘り起こされたことから、ゾンダーコマンドの実態が明らかとなった。ナチスはホロコーストの証拠を徹底的に隠滅したし、僅かに生存した元ゾンダーコマンドのメンバーも、強要されたとはいえ己の行いを恥じて証言しようとしなかったのだ。

 そんな、ヨーロッパおよびハンガリーの歴史の恥部に肉迫する『サウルの息子』。アウシュビッツで実際に起きたゾンダーコマンドの反乱が登場することから推測するに、映画の設定は1944年10月6日から7日にかけてと思われる。ただし、ストーリーはあくまでも史実を背景にしたフィクションだ。主人公はゾンダーコマンドの一人であるユダヤ系ハンガリー人サウル(ルーリグ・ゲーザ)。反乱計画の準備が秘密裏に着々と進む中、彼はガス室で生き残った少年を発見するものの、すぐナチスによって息の根を止められてしまう。ところが、その少年を自分の息子だと主張するサウルは、解剖に回された死体をこっそり盗みだし、なんとかしてユダヤ教の正式な教義に則って埋葬しようと奔走する。

 自分ばかりか仲間の命まで危険に晒し、狂気に取り憑かれたかのごとく、少年の死体を埋葬しようと猪突猛進するサウル。反乱計画なんてほとんど上の空だし、必要とあれば嘘や脅迫だって厭わない。その身勝手な行動にイラつく観客も少なくないだろう。何がそこまで彼を突き動かすのか。一つのヒントとなるのは、彼がユダヤ式の埋葬にこだわる点だ。収容所では骨が灰になるまで焼き尽くされ、川へと投げ捨てられてしまう。だが、キリスト教と同様にユダヤ教も、審判の日に死者が復活すると考えられており、その際に必要となる元の体を残すために土葬される。つまり、焼却炉で焼かれてしまったら復活できないのだ。

 もしかすると、この世の地獄とも呼ぶべき状況で絶望の淵へ追いやられていたサウルは、毒ガス・シャワーを生き延びた少年の生命力に希望を見出し、根絶やしにされようとしているユダヤ民族の未来を少年の復活に賭けようとしたのかもしれない。そうすれば、この収容所で起きた悲劇も人類の記憶に残ることだろう。ある意味、手記や写真で記録を残した仲間たちと、手段こそ違えども同じことをしようとしていたのではないか。サウルにとって息子とは、すなわち未来へと繋がれる希望。そう考えると、少年が本当に彼の息子なのかどうか分からないという曖昧な設定も、ラストに彼が見せる晴れやかな笑顔の意味も、わりとすんなり納得できるように思える。

 有名な映画監督アンドラース・イェレシュを父親に持ち、ニューヨーク大学で映画演出を学んだネメシュ・ラースロー監督は、本作が長編映画デビュー。4×3の狭いフレームサイズでカメラが終始主人公に密着して移動し、一か所にピントを合わせることでサウルの主観的視点を客観的に再現する。つまり、彼があえて目を背けているもの(殺戮風景や死体の山など)はハッキリと映らない。この斬新な演出のアイディアは目から鱗だし、細部まで徹底して計算されたカメラワークにも息を呑む。まるでアウシュビッツを疑似体験するようなリアリズムが圧巻だ。忌まわしい過去のホロコーストの歴史を、ハンガリーを含めた世界中で民族問題が噴出する今、最先端の映像テクニックを駆使して描く。復興著しい21世紀のハンガリー映画を代表するに相応しい作品と言えるだろう。◾︎

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