PROGRAM

放送作品情報

サウルの息子

SAUL FIA 2015年ハンガリー / 107分 / 戦争社会派ドラマ

極限状態でも人間の尊厳は忘れない…ホロコーストの知られざる実態を描いた衝撃と感動の歴史ドラマ
放送日時
2018年07月25日(水) 08:45 - 10:45
2018年08月15日(水) 深夜 01:45 - 04:00
解説

強制収容所でユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊の目線から、ホロコーストの実態を描写。極限状態でも人間の尊厳を失わない男の姿に心を動かされる。アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞。

ストーリー

1944年10月。アウシュヴィッツ強制収容所に収容されているハンガリー系ユダヤ人のサウルは、同じユダヤ人をガス室へ誘導し、処刑後の死体処理を行う“ゾンダーコマンド”として働いていた。ある日彼は、自分の息子らしき少年がガス室で生き残っているのを発見するが、少年はすぐさま軍医に殺されてしまう。サウルは死体を解剖室から持ち出し、ユダヤの教義に則って手厚く埋葬しようと収容所内を奔走する。

出演

ルーリグ・ゲーザ
モルナール・レヴェンテ
ユルス・レチン
トッド・シャルモン
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
カラー
画面サイズ
ワイド画面
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日 2018/4/26

    分かりづらかった

    ゾンダーコマンド視点は珍しいと思い視聴したけど、歴史背景に詳しく無かったために分からない箇所が多々あったのと、サウルを埋葬に確執するあまりにラビが死んだり周りに危険が及ぶのがモヤモヤした。 鑑賞後に考察サイトを巡って全体の流れがようやく掴めたけど、いまいちどういうポジションで観たらいいのか分からなかった。

  • 鑑賞日

    分からない。

    主人公の息子だと思われる子が目の前で殺される。 そこからこの子は僕の息子だ。埋葬して弔ってやりたいと自分が危険になることも平気でやってしまう。 目の前では大量に人も殺されているのに、何でこんなに息子に固執するのかが謎で理解出来なかった。

  • 鑑賞日 2017/10/30

    これが現実

    先情報なしで鑑賞。ホロコーストを描いた作品。 人間が人間として扱われない戦争の狂気と正気を保とうとする主人公。それでも息子と思しき少年を息子と思い込み宗教にのっとり正式に埋葬しようとする。ドイツ軍強制収容所という絶望は正気でいること自体が狂気であり狂気なくては生きれない。そうゆう様がよく描写できてるとおもいます。4:3の映像なので古い作品かと思いながら観てたが、2015年の作品。こういうダークな歴史を扱う作品はもっともっと作られるべき。

  • 鑑賞日 2016/2/24

    他の人とは違う感想だと思うが最高の映画

    アウシュビッツのゾンダーコマンダー達 感情を排除し命令に従うのみ 息子を見つけ息子を埋葬すると言う目的を発見 目的達成には我が身はおろか人の都合など全く無視 その一途さが滑稽で笑ってしまった。 ラビを探す 息子の代わりの少年を探す ラストシーンで息子と同じような体型の 子供を見て笑うシーンはやっと見つけたと 喜んだ気がして更に笑えた。 遺体はすべてぼかしが入っていたが エレベーターに積まれた裸の遺体の 綺麗なバストがなぜかハッキリ映る サービスショットか サウルの肩越しのカメラも凄いが音の拾い方が更にすごい

  • 鑑賞日 2017/9/7

    葬儀

     まず初めに何の知識もなく鑑賞したので、最初はどんな時代の設定かはっきりわからず、多分第二次世界大戦のユダヤ人なのだろうなぁと。話が進むにつれ全く意味が分からず、というか主人公がなぜにこうも息子と思っている男の子の葬儀をしようと考えているのかがわからず、いやわかるんだけど、なぜ息子ならば殺害されたときに助けようとしなかったのかとしか思えませんでした。  確かにあの状況で何をしても助かることはないのだけれど、親ならば自分の目の前で殺されるのを黙って見ていられるのかなと。本人も息子だとはっきりとわからなかったんだろうけど…。人間としても混乱していたんでしょうね。  ユダヤ人の悲劇を見るとかわいそうとか、ひどいとか思いますが、パレスチナ問題を考えると少し冷めてしまいますね。

  • 鑑賞日 2017/9/3

    なぜ、固執したのか

    映像表現という観点からも殴られたような強い印象が残る作品です。主人公サウルの後をぴったりついていく伴走者のような視点。見えていないようで全部見えている、そこにあるのは無造作すぎる死です。 強制収容所のまさに「部品」となって生かされていた人たちを描いた作品は少ないだけに、ゾンダーコマンドたちが任されていた業務の一端を知っただけでも暗澹たる気持ちに。 サウルを含む彼らは自分たちもいつかお役御免で処分される日が来ることを承知の上で日々を送っているわけで……。 個人的にはあの少年が息子だったかどうかはサウルにとってあまり大きな意味を持っていなかったように感じました。それより自分が日々の残酷な業務をこなしいつ殺されても不思議でない状況下で、心の拠りどこるとなる何らかの行為が必要だったのでは。 ラストに見えた最初で最後の微笑が全て。辛い時間でした。

  • 鑑賞日 2017/8/15

    本作の解説は探してでも絶対に読んだ方がいい

    ものすごく力のある作品でした。私はゾンダーコマンドという存在を知りませんでした。恐らく、この映画を見ただけで全てを把握できる方は多くないと思います。普通の(といったら語弊があるけど)映画を観るうちは必要ないけど、このような現実に起こった深刻な問題を扱った映画は、観た後で自分なりに出来事やその背景を調べることで飛躍的に映画の理解が深まることが多いですし、人生上のより意義深い経験になると思います。大げさじゃなく本当に。 この映画を見てとてつもないショックを受けました。戦争映画、ナチス映画は数あれど、ここまで深く無駄なくナチスのユダヤ人虐殺を扱っている映画は見たことがありませんでした。安い言葉ですけど、自分がもしその時代のヨーロッパを生きたユダヤ人だったらと思うと気を失いそうしなるし、このことが遠い昔の過去の出来事だとも思えません。 監督のギミックも効いていて、ずっと重苦しいのに2時間目が離せなかったです。 映画自体の出来、のメッセージ性、社会性共に素晴らしい作品でした。このような映画こそ後世に残すべき映画だと強く思いました。

  • 鑑賞日 2017/8/6

    一人称の視点

    第二次世界大戦時のナチスによるユダヤ人虐殺が背景になっているが、そこの部分はあくまでも背景で、むしろそういう背景を無視するかの如く、サウルが一人の若者(息子だと言っているが、友人は違うと言っており、曖昧)を埋葬して、葬儀を営むために奔走する。サウルたちは収容所で殺害されるユダヤ人の後始末をする係だが、いずれ彼らも処刑される。しかし、サウルはそのような過酷な業務をそっちのけで、若者に祈りをささげてくれるラビを探す。その様は一種異様である。周りでは人が次々に殺されているのに、死んでしまった若者を埋葬するのに何故彼は一心不乱になるのか。ここには明らかな寓意がある。カメラはサウルの一人称の視点で動いていく。そこには、裸になって積み重ねられている死体(ナチスは部品と呼んでいる)も映るが、あくまで背景でしかない。そのようにして、個人的な視点を維持し、背景で残虐な行為を見せるという手法がかえってその残酷さを浮き彫りにするということもある。 そして、ラストシーン近くで、収容所から逃げて休憩をしているサウルたちのところに一人の少年がやってくる。彼を見つめるサウルの笑顔が印象的だ。少年はそこから駆け去る。それに合わせて、カメラはサウルから離れて、少年の視点となる。ここで世代が交代する。それと合わせて、サウルたちはナチスに発見され、射殺される。 こういった捉え方の収容所ものというのは初めて。非常に凝った作りである。 カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー賞外国語映画賞。

  • 鑑賞日 2017/6/25

    ナチスだとは薄々分かったけど、これアウシュビッツ収容所か。それなら、事態を軽くとって観てしまっていたなぁ。 引きで取らず、走る時も泳ぐときも常にドアップでサウル目線のように撮っていて、カメラマン大変だなこりゃあと思った。 内容に対しては、自分も死ぬことが決まってる身だとはいえ、葬儀一つにここまで固執するのは、日本文化との違いなのか、あまり感情移入することができなかった。

  • 鑑賞日 2017/6/18

    本日1本目カンヌ映画祭グランプリのハンガリー映画「サウルの息子」 アウシュビッツで遺体処理で働くハンガリー系ユダヤ人サウル。 ガス室で見かけた男の子の遺体を我が子と見立てて、ユダヤ教の作法で埋葬してあげようと施設に送られてくるユダヤ人の中から牧師を探そうと命懸けで奔走する1日半。 しかしそんな中、迫る自分たちの処置の噂、レジスタンスの蜂起。 ラストは光と絶望。 カメラワークが9割アップというのが特徴的で、その背後に垣間見えるアウシュビッツの中の作業風景と鋼鉄のドアの閉まる音とか叫び声とか、想像させる部分で逆に臨場感が増した。

  • 鑑賞日 2017/6/10

    収容所の物語

    なぜ殺される中で、子供を弔う事を、そこまでやるのか、全く理解できない。

  • 鑑賞日 2017/5/19

    心が裂けそう。

    見ている事が辛い。

  • 鑑賞日 2017/5/12

    ストーリーテリングを捨てた意欲作

    カメラは終始、主人公をアップで撮り続けている。 全景が見えないので、映画作品として非常に見づらい。 もちろんこれは作戦なのだが、 それにしても見づら過ぎる。 全景が見えない視聴者・観客はつまり収容所で働く主人公と同じという事なのだ。 それは分かるが、何度も言うが見辛い。 そして、今どうなっているか。 主人公はどこにいるか。 何をさせられているのか。 それらも非常に分かり辛い。 クライマックス、だいぶ分かるようになったが。 個人的には「この臨場感」はあまり合わなかった。 しっかり物語を描いて欲しかった。

  • 鑑賞日 2017/5/4

    見づらいいことも含めて苦しい作品

    主人公のサウルから1秒とも離れずについていくカメラ。視野は狭くサウルの上半身ばかり写し、その周辺は極端にぼやける。ぼやけた先で惨い何かが起こっているかは観客の頭の中では鮮明に映っている。もう見続けるのが本当に苦しい。早く楽になりたいとも感じる。それでも、作品中のサウルは人の心を失わないようにしている。ラスト近くの表情の緩みがあって救われる。

  • 鑑賞日 2017/4/16

    【観た:サウルの息子】ようやく観たんだけど…疲れたわ。映画というよりドキュメンタリー、いやいやそうとも言い切れない。でもずっとその場にいるような感じがそのまま最後まで続く。時間的にも途中で飛んだりしないし。自分の体験した記憶のように目に焼き付いてしまった。それでも観て良かった。観なくちゃだめだよこれは。おすすめ。

  • 鑑賞日 2017/3/18

    頑張って観た・・・やっぱり落ちた

    壊れた脳髄であれようやく救われた直後の絶望。いたたまれない。全編クローズアップが本当に嫌だ。ここでも宗教の悲劇が結局付きまとう。「沈黙」といい、敬虔な作者であればあるほど宗教の悲惨さを無常さを無意味さを強調して表現してしまうと感じる。

  • 鑑賞日 2017/2/5

    アウシュビッツでの過酷な生活の中、見かけた死んだ少年を息子だと思わなければやって行けなかったんだろう… 実際、サウルに息子はいたのかな?『息子』を供養するために力強く生き抜くサウルや、最後に彼らを目撃した少年などから、子供が未来の象徴であるということを改めて認識した。

  • 鑑賞日 2017/2/25

    人としての尊厳

    冒頭からまず惹きつけられたのがサウルの尋常ならざる目の表情である。この目の表情の中にゾンダーコマンダーとしてのサウル達のおかれた、人としての心を持ち続けていては耐えられないであろうほどの過酷な状況が凝縮されているように思えた。 収容所の中では収容されたユダヤの人々やその遺体がまるで物のように扱われ、もはや人としての尊厳さえも否定された現実がある。 そんな中、一人の少年、サウルが自分の息子と称する少年の死と向き合う中で、少年を弔うことにより、人としての心を失うまいとするサウルの姿を通じて、われわれが決して失ってはならない人間性や人としての尊厳が問われているように思えた。 そして最終盤のシーン、収容所から逃亡中のサウル達と偶然出くわした少年がサウル達を見つめる中での表情に、自分達が物ではなく、人として見られていることを感じることができたこそのサウルの笑顔であり、まさにサウルが人としての尊厳を取り戻せた瞬間でもあったと感じた。

  • 鑑賞日 2017/2/22

    サウルの息子は、はたして居たのか?

     第2次世界大戦中のユダヤ人収容所アウシュヴィッツを舞台としたハンガリー映画。第68回カンヌ映画祭のグランプリ受賞作品である。  ハンガリー系のユダヤ人のサウル(ルーリグ・ゲーザ)は、収容所で同胞であるユダヤ人の屍体処理に従事している。ある日、サウルはガス室で生き残った息子に似た少年を発見する。その少年はすぐさま殺されてしまうが、サウルはユダヤ教の教義に則って埋葬してやろうと遺体を隠す…。  全編サウルを観る視点の移動カメラで映像は語られる。そして虐殺されるユダヤ人の直接的映像はなく虐殺をするナチス親衛隊員の姿も人格を否定するかのようにはっきりと映さない。泣き叫ぶユダヤ人の音声のみで表現している。そして遺体処理の作業をするサウルの背景に映りこむ夥しい死体の山を敢えてぼかしているところなどが、かえってナチスの行ったホロコーストの恐ろしさを増長させている感じがする。  サウルが自分の命も明日尽きるともわからない状況下で、なぜあそこまで、死んだ少年の埋葬にこだわるのかは読み取れないが、極限下だからこそ、起こりうる人間の行動かもしれない。

  • 鑑賞日 2017/2/21

    圧迫感

    ホロコースト映画としては斬新な演出。 監督いわく「これまでのサバイバルやヒーローを描く収容所映画にうんざり」していた事により作られた1作だと言う。 が、個人的には、これが少年の埋葬に奔走するという行為をストーリーテラーの役割とし、主人公の視点を演出する事で間接的にゾンダーコマンドや収容所で行われている非道で残酷な行為、そしてそこに置かれているユダヤ人たちの反乱などを主観的に垣間見るためのシチュエーション的ロードムービーとしてこれが作られた意図がなく、タイトル通りにサウルが遺体である少年を埋葬しようとする宗教観や、そこから見える人間らしさ云々を感じなさい、という意図で作られたのだとすれば、自分にはさっぱり共感するものがなく残念だ。 前者を目的として作られていたのならば評価すべきところは多いにある。 収容所内を練り歩く主人公の視点で、ゾンダーコマンド達の役割を工事見学でもしているかのようなテンポで見せられる。 ガス室へ送る仕事、終わったあとの山積みの遺体を視界に掃除する仕事、灰を運んで捨てる仕事、あちこちに分業されている班を、息子を埋葬したいという理由で歩き回る事で、間接的に目にする事になる。 PoV演出をつかう事で、それらを極力最小限の表現で、リアルに見せているのは斬新。 一方で、サウル本人には全く感情移入する事が出来ない。 いくら正常な精神状態を保つのが難しいとはいえ、頑なにいろんな人を巻き込んで息子を埋葬しろという割には、言葉にも表情にも感情は一切現れず、息子を愛するがゆえの父親の行動とはとうてい結びついてこない。 何の脅迫観念が彼を突き動かしているのかを理解する事が難しい。 しかしそれは中盤である程度の答えを出す事を求められる。 あれが本来息子なのかどうか、という根本的なところを突きつけられるからだ。 確かにあれが息子でないなら、息子への愛や悲しみ以上に埋葬方法や埋葬行為そのものに拘ってるだけの行動には説明がつく。 が、反面息子でもない少年を埋葬するのに、何故あそこまで同胞を巻き込み自己中に動き回り、仲間を危険にさらしていくのか。息子といいはる少年はサウルにとって何の象徴として存在しているのか? キャッチコピーにあった、「人間」として生きるという事の象徴にしているつもりなのか、それとも火葬すると復活できるできないというユダヤ宗教観がわからないと理解できない類の話になってくるのか。 危険と引き換えにああまで執着した遺体が川で流された時の変わりようのなさといったら、もはや何がしたいのか理解できなかった。 色々なブログやレビューでの解釈は人それぞれで、あれを宗教観でいう復活した子供と感じたというような捉え方をしてる人もいれば、本当の息子と重ねあわせたと捉える人もいたり、ユダヤの未来への希望と捉えた見方もあり、どれが正しいのかはわからない。 わからないが、遺体が本当の息子でない事がこの映画に何を投じたのかまでは理解しがたかった。 これが単に本当の息子を悼んで悲しみの中本気で埋葬したいと奔走する映画だったら、それはLife is beautifulのような、いわゆる監督の中でいうところの、ヒーローを描いたうんざりするお涙頂戴の収容所になるからダメだということなのだろうか。 あくまで私見でしかないが、この映画を見た人の大半が「現実の酷さ」「演出による圧迫感と不穏感」を感じてはいたように思うので、監督の狙いがそこであれば成功なのだと思うのだが、結局のところ「演出が斬新で何だか凄い怖い映画」「なんとなく凄いんだということ」が客観的に考えて、または理屈として頭では漠然とわかるものの、割と大多数が、主人公にイライラさせられ、自分の感情として心からこの映画の良さを感じる層は少数なのではというきがした。少年の存在が何かを混乱させ、余計に何が起きてるのかよくわからないという不穏感を煽るだけの存在になりかねない気もする。 個人的にはそんなやり方しなくても、戦争を知らない人達が、もっと素直にその時代のことに興味を持てるヒーロー的な描き方をするくらいの映画のほうが大衆に訴えるものがありいいのではないか、とも思ってしまった。 単純に、ちょっと前に話題になった長回しワンカットのヴィクトリアのようなカメラワークと、過剰にセリフを抑えたことでわかりずらくなる背景、そしてワンパターンな主人公の行動と代わり映えしない収容所の色味に、見ていて中だるみしまくってしまって、退屈になってしまい何度も意識が遠のいては巻き戻すを繰り返したのは確かです。 ホロコースト映画には割といい評価をつけることが多いのですが、この映画は正直主人公がつまらなくて退屈でもありました。 ザンダーコマンドと収容所の仕事という描写に限っていえば、なかなか良かったと思います。

  • 鑑賞日 2017/2/20

    ホロコースト体感映画

    始まって5分もしないうちに、ホロコーストの地獄のどん底に突き落とされる。主人公サウルに”しか”ピントを合わせないという特殊な撮影の仕方をしているので、周囲で起こっていることはピンボケして映像としては不鮮明なのだが、その場で起こっていることは目を背けたくなるような強制収容所の地獄絵図。 暴力的なリアリズムで地獄を描き続ける部分をこの映画の横糸とするならば、主人公サウルが拘り続ける「息子」をユダヤの正式な埋葬を施したいという愚直な意志が縦糸になっているのだが、この縦糸の部分が中盤まではサッパリ理解できない。自分の命も危ない(というか死ぬのが確定している)のに、何故そこまで正式な埋葬に拘るのか? 最後まで観てから、再度全体を見直して考えるとこの縦糸が見えてくる。 映像はリアルなんだけど、物語は抽象的。 感覚的にはジェットコースターとかライドとかVRに近いのだが、見せられるモノはホロコースト。 なんだこの組み合わせ。 カンヌのパルムドールだそうだが、いろいろと凄い。

  • 鑑賞日 2017/2/18

    人として生きるとは?

    ユダヤ人強制収容所内のユダヤ人協力者の一人の視点から彼らの非日常的日常を描いた映画。最初から主人公のみにピントを合わせるか、主人公の目線から状況を映しだすことによって、彼がいかに視野を狭めて周りからの影響を最小限にし、自身を無感覚にしようとしているかが伝わってくる。しかしそんな彼の視野の中にガス室を奇跡的に生き延びた少年の姿が飛び込んでくる。これによって彼に「人として生きる」というスイッチが入ってしまう。これ以降の彼の行動は、無意味とも見える反面、最終的には彼の人間性の肯定へとつながっていった気がした。「生きるってどういうこと?」を考えたい時に観ましょう。

  • 鑑賞日

    カメラがサウル自身の意識となっている

     原題"Saul fia"で、邦題の意。  アウシュビッツで死体処理係をしている囚人サウルが、ガス室で息子を発見し、ユダヤの葬儀に則って埋葬しようとする1日半の物語。収容所内ではゾンダーコマンドと呼ばれる労務を行う囚人たちが脱走を企て、サウルもまたその計画の一員となるが、収容所に送られてくる人たちからラビを探すために、息子の葬送に心を奪われてしまう。脱走は辛くも成功、というところで悲劇的なラストを迎える。  本作は、数カ月生き延びるためにナチの下で同朋の死体処理に協力したユダヤ人の葛藤を描くという点では、今までのホロコースト物にはない視点を与えてくれる。  彼らは家畜の如くこき使われるが、サウルにカメラが固定され、ほぼ主観視点で描かれることによって、サウルが目にする収容所内の出来事と様子が生々しく伝わってくる。画面の大部分をサウルの頭部が占め、ホロコーストの様子はピントの合わないぼやけた映像でしか示されないが、むしろ目の前だけを見て、そこで起きている出来事に関心を向けないように意識するサウル同様、限られた情報がより想像を広げることになる。  長回しも多く、イニャリトゥの『バードマン』(2014)とよく似た演出法に映るが、カメラがサウル自身の意識となっているという点で似て非なるもので、ゾンダーコマンドの主人公の物語としては成功している。  ただ、強制収容所の一つの現実と、極限状況下に置いても子どもへの愛は不変という以外に本作に何かがあるかといえば特にない。  収容所内の出来事についての説明はなく、断片的な映像と効果音でしか描かれないので、ホロコーストについてのある程度の知識がないとわかりにくいかもしれない。(キネ旬6位)

  • 鑑賞日 2017/2/12

    ホロコースト追体験というか 傍観というか… 生きているって何だろうと 思わされる映画でした。 死に慣れきってしまうなかで 希望を見出すのってきっとすごく 難しいだろうに、 よくサウルはあそこまで。 映像はみてて、しんどかったですが、 観てよかった。 ここまで必死になって、 アウシュビッツなどの収容所を なかったことにしなかった、 ユダヤの方々の勇敢さに畏敬の念を抱きます。

  • 鑑賞日 2017/2/11

    衝撃的

    これは何という映画だ。ほとんどアップに近い主人公にカメラのピントが合って、まわりがぼやけている。慣れるまで観にくかったが、そのぼやけて映像から聞こえてくる、音がそこで行われている行為の恐ろしさを想像させる。できれば見ないでいたかった映画だが、過去から目を逸らさないために見るべき映画だと思う。

  • 鑑賞日 2017/2/7

    死者の尊重

    実録を基にした戦時下のドラマ。 第二次大戦終盤。ナチスの収容所。 POV方式に近いカメラワーク。 ユダヤ人虐殺を一人の男を追うことで客観的に観せる。 背中のバツ印。明日の死を覚悟する状況。 青年を弔う。屍への拘り。ラビ。 お祭り騒ぎの殺戮。暴動。同胞を犠牲にしてでも。 冷徹な視線があって初めて過去の告発となる。

  • 鑑賞日 2017/2/8

    予備知識ゼロだった・・・。

     この映画に関しては、予備知識がゼロだった。 もっとも陥りたくない状況を延々見せられる。誰でも1回死ぬのに、これだけは堪忍してくれという状況。 今の私には映画とは思えず、よってこの評価も便宜的なものと理解して下さい。「炎628」は、まだついていけたんだけどね。  始まってすぐに、見始めたことを後悔した。   4:3の視野の狭さが、この映画の恐さにピッタリで・・・。      キネ旬テン選考の20位以内の作品は、見るのを目指しているのだが、これはキツイ映画だった。   オスカーも、カンヌも受賞している。   カポーという単語も出て来たが、これはジロ・ポンテコルボヴォ監督「ゼロ地帯」の原題でもある。         日本語吹き替え版で見たのだが、ハンガリー語部分は吹き替えて、ドイツ語はそのままだった。

  • 鑑賞日 2017/2/5

    表象可能性について

    極限状態における人間の尊厳とは、圧倒的な愚行と思われる息子の埋葬こそ、あの場で成立しうる唯一の自由であり人間の尊厳であると言える。 最後の笑顔と、サウルの視線を受け継いだポーランドの少年。 写真の件といい、「ホロコーストを描くこと」とはいかなることかを問う作品だった。

  • 鑑賞日 2016/12/28

    おもい

    映画の中で、非人道的な行為がこれでもかと言うくらい描かれていて、見るのが辛くなる。 ただ、カメラワークが独特なので、直接エグいシーンを見ることは、ほとんどない。 叫び声の中に子どもの声が混じってるのは本当に辛い。 この映画より酷いことが、現実で行われていたと思うと、恐ろしい。

  • 鑑賞日 2016/12/6

    とにかく

    悲惨さを出せば共感を得ると思い過ぎ。希望のない映画は気分を沈ませるだけ。。やめて欲しい。。

  • 鑑賞日 2016/11/14

    緊迫感

    ホロコースト映画は数多くあるが、緊迫感はこの映画が一番かな。 絶滅収容所のゾンダ―コマンドが主人公だが、いずれは自分も殺される身。 そんな状況の中で同胞の亡骸を無心に処理する姿はあまりに悲惨であり、それが現実として行われていたことに愕然とする。 当時の状況は今や文献でしか知る術がないなかで、本作品の果たす役割は大きい気がする。

  • 鑑賞日 2016/2/21

    サウルの息子

    こんなに怖いホロコースト映画初めて!! 撮影方法が主人公の顔のアップばかりで。 顔の後ろでの様子が醜く怖い状況でぼやけたままで想像を掻き立てられる。 サウルの無気力な顔が余計に怖い。亡き息子の為に危ない橋を渡って最後の結末も・・・・ヘビーでした。

  • 鑑賞日 2016/11/3

    幸せです

    辛くて、何点なんてつけられないよね これもこの時点この場所ではほんとに現実だったと思うと こうして茶の間で見てる自分が それだけで幸せなんだと思わせてくれる一本。 今もどこかでは、とんでもない状況はあるわけだけど・・・

  • 鑑賞日 2016/10/29

    ホロコースト現場もの

    ホロコースト映画だが、現場の死体処理や掃除など、大虐殺の裏方現場を描いた映画は珍しい気がする。 カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞を獲ったらしいが、自分としてはチョット「映画の撮り方」が気になる感じだった。 捕虜として捕えられ、「ゾンダーコマンド」という「他の囚人と引き離され、労働させられた後に殺される」という立場のサウルを中心に描かれている。 このサウルの描き方が、兎に角、シーンはサウルの近影が多過ぎる。背景には焦点が当てられないのでボケている。 そんなサウルが死体処理場で自分の息子の遺体を見つける。なんとか土葬してやりたいと思う親心だが、普通には難しい。 いろいろあって、息子の遺体を抱えて森の中に逃げるが、追手に追い詰められて川を渡ろうとするときに息子が流れていってしまう。 更に、サウルは息子のような少年の姿を見て「初めて笑顔」を見せる。 しかし、結局、サウルを射殺する銃音が森に響いて終わる。 なんという救いの無さ。 楽しい映画でも、感動する映画でもなかった。

  • 鑑賞日 2016/10/10

    暗い、だけでは片付けられない思いの塊を受け取った気がした。

    There are so much message that I should understand ,feel ,consider. The last scene was also too impressive to me. Makes me soo sad, even this is Good.

  • 鑑賞日 2016/9/26

    自分が人間らしく死ぬために

    サウルの背後にへばりつくようなカメラワークが素晴らしかった。周囲がピンボケにし、あえて見せないことで、恐怖が駆り立てられる。人々の悲鳴や死体を引きずる音、銃声がよりクリアに耳に入ってくる。特に、銃殺シーンが圧巻で、まさに地獄。地獄の釜に悪鬼が亡者を投げ込んでいるようだった。さらに、サウルの感情が死んだ表情もよく伝わった。同胞をガス室に送る流れ作業の合間にも、チラともそこには感情が現れないのだ。  良心の象徴として扱われる、息子の死体。失った、もしくは封じ込めたサウルの感情がゆっくりと浮かび上がってくる。同僚が「お前には息子がいない」と言ったのは、そのとおりなのだろうか。息子でもなんでもない少年の遺体を、何としても埋葬しようとしたサウルの人間性のひとかけらに心が打ちのめされた。  逃亡先で逃げ込んだ納屋。覗きこんできた少年と目が合い、息子の魂が会いに来たと感じるサウル。それが彼の心が良心で満たされたなら、それでいい。

  • 鑑賞日 2016/9/19

    ホロコーストで強制労働させられているユダヤ人が子供を埋葬しようとする姿を描くことで人間の尊厳を描いている。

  • 鑑賞日 2016/9/8

    【これから観る人に種蒔き】

    ※レビューじゃないです。 これを知ってたらもっとこの映画を楽しめたっていう、ちょっとした自己勉強の類です。 ・【ユダヤ教の生死感】より抜粋  ユダヤ教では死後の世界は存在しない。最後の審判の時にすべての魂が復活すると考えられている。 ・【火葬】より抜粋  ユダヤ教では、死者の復活の教えがあり、元の体が必要と考えられているため、火葬への禁忌が強い。 ちょっとした感想: 主役にずっとカメラの焦点を合わせる事で、(不)自然と周りの情景をぼやけさせる事と、主役に視点を釘付けにさせるカメラワークは、本当にアイデアの勝利。脱帽。 史実・情景は本当に重く苦しい内容であるのに、サウルが辿る行為はその重く苦しい中に、価値を見出せる。

  • 鑑賞日 2016/8/4

    囚人労務部隊、ゾンダーコマンド。

    数々あるホロコーストものでも、この斬新な作りは衝撃的。現代では採用されない 画角の狭いスタンダードサイズ、手持ちカメラで主観映像に近いアップの連続、 おそろしく被写界深度の浅いレンズの使用、観ているだけのはずが、 まるでサウルの横にいて、収容所の作業を共同でこなしているような感覚に陥る。 この画期的なアイデアが、魔術的な効果を生み、収容所の臨場感を演出した。 物語はゾンダーコマンドの立場を利用し、同じ収容所で亡くなった息子の遺体をナチス から隠し、収容所の中からラビを探し出して、ユダヤ教の埋葬をすることに奔走する。 彼の立場から言えば狂気としか思えない。新たに送り込まれるユダヤ人の対処のため、 収容所はフル回転の最終処理に狂奔している。ユダヤ人の脱走計画も秘かに進み、 様々な運命のせめぎ合いの中、サウルは息子のユダヤ式埋葬にしか頭になかった。 ラストの少年とサウルの笑顔、ここで終わらせても良かったが、監督は妥協せずに、 ホロコーストの実相を銃撃音で示した。少年の姿は森に消える。 小さなパンドラの凾に、アウシュビッツの恐ろしさを詰め込み、 数日の時間に固めてしまった。これだけの衝撃度は、なかなかお眼にかかれない。

  • 鑑賞日 2016/8/24

    遅ればせながら鑑賞(TSUTAYAでレンタル3日延長中) まぁ、ラストはそういうことで今我々がホロコーストがあったということを知ることができているわけなのでありました、というオチなんでしょうが(ナチスの証拠隠滅によりホロコーストが闇に葬られてしまう恐れがあった) 重すぎ。 これが同じ人間による史実ということに暗澹たる気持ちになる。 「息子」が投影しているものは何なのかを知るとき、我々は過去から学ぶのでしょう。 ハンガリーが製作したってところも重い。

  • 鑑賞日 2016/8/17

    カディッシュを捧げる必要性

    タル・ベーラに師事した監督だけあって音楽なし、説明なし、おまけに話は訳分からん。でも映像はカラーだし台詞も多いぞ、やったね! 物語は終始、主人公サウルに極近距離から焦点を合わせた映像で展開する為、否が応でもサウルの主観で話が進む。そして焦点が合っていない、ボヤけた背景で繰り広げられる狂気、無情不条理、地獄絵図。 さながらこれはマルコヴィッチの穴ならぬサウルの穴か。それとも体験型映画と言う分類ではアウシュビッツ版クローバーフィールドか。 あの少年は本当にサウルの息子なのか。何故サウルは息子の埋葬に拘るのか。妻との間の子ではない、と言う言葉の意味は。そもそもサウルに息子はいたのか。最後に映るサウルの表情の意味は。更には主人公をゾンダーコマンドと言う設定にした監督の意図は? 情報集めて考えないとこの映画のパズルは完成しそうにないですが、人間の尊厳がー、とか難しい事考えずにとにかくアウシュビッツの悲惨さを感じれば良いと思います。 自分もまだこの映画の評価が出来る状態ではないので、点数は後で変わると思います。分かり難いけどとにかく凄い物観た、と言う感想はやはりタル・ベーラ作品に通ずる所がありました。 追記:少し調べたらユダヤ教におけるカディッシュ、埋葬の際に捧げる祈りは死者の再生を願う意味合いもあるそうです。以下の文章はあくまで私的解釈で、殆ど根拠がない事を理解した上でお読み下さい。 実際にあの遺体がサウルの息子だったかどうかは分からない。本当にサウルには息子がいたのかどうかも分からない。しかしゾンダーコマンドと言う、同胞を毒ガス室に送り虫けらの様に殺し、ゴミの様に捨てる作業に従事させられながら自らの明日も知れない時間の中で、サウルはあの少年の再生に希望や救いを見出したのではないでしょうか。 反乱=破壊よりもカディッシュ=再生、ともすれば未来。結局あの遺体を埋葬してカディッシュを捧げる事は叶いませんでした。しかし収容所から脱出して逃げ込んだ小屋で見ず知らずの少年を眼にした時、サウルは彼が息子(かも知れない少年)の生まれ変わりだと思ったのではないでしょうか。それが最後のあの笑顔の理由ではないでしょうか。 ただの埋葬だと考えれば、執拗に埋葬に拘るサウルの行動は理解が難しいと思います。しかし、自らの尊厳などではない、命の再生に向けた願いだとすれば、彼の無謀で無意味にも思える行動にも意味が見出せるのではないでしょうか。

  • 鑑賞日 2016/8/10

    鑑賞後は……

    前評判が凄まじかった為自分の中で 妄想が膨れあがっていた テーマは重く軽々しくこんな事を口にしてはいけない 強迫観念にかられるも ホロコーストに関する映画を幾つか観て多少の免疫があるのか 冒頭の緊張感は半端ないが やがてその絵に慣れてくる自分がいる そのぼやけた背景だけに心を奪われていると目が慣れてきた後に あれ? それから? ってなってしまう その後は息子らしき男の子を 埋葬する一点だけに絞られ カメラが全景を映さない為 何をしていてどこにいるのか よく分からず ついて行けない とても残念だが 今作の良さを見出せなかった

  • 鑑賞日 2016/8/7

    蛮行を見せつけられる

    強制収容所にて囚人でありながら、同胞を殺す手伝いをさせられる人たちがいた。人の死に心を動かさず淡々と処理せざるを得ない立場に追い込まれた人々の姿はとても痛ましい。 カメラのフォーカスが主人公の周りにしか合ってなく、周りがぼけたように映っているシーンが多いが、これは追いつめられて周りに目を向けられなくなってる主人公の心情を表しているのではなかろうか。実際に映画を見る立場として、周りで悲惨なことが行われているはずなのに現実感があまりないという風に感じとれた。強制収容所の極限状態を表現するのに効果的な演出だと思う。 主人公はいないはずの息子をきちんと埋葬してやろうと奔走するが、この息子とは今まで殺されてきた同胞の少年達の象徴なのか。にしても埋葬に拘るあまり、人に迷惑をかけまくってる主人公に少しいらつきを覚えてしまった。実際に主人公のせいで人が一人殺されてるし。それくらい追いつめられてたってことなんだろうが…。そのせいで感情移入がうまくできなかった。

  • 鑑賞日 2016/8/6

    戦争体験

    ラストシーン。 息子、少年が倉庫に隙間から姿を現します。 あのシーンが全てでしたね。 映画史に残る名シーン。 とにかくこの映画、主人公の戦争体験をカメラが必死に追いかけるという構成。 これほどまでに人のアップが連続してワンカットで続くのは驚異ですね。 見る側は主人公の表情と背中の✖️マークを延々追いかける。 映画そのものは苦痛でしかない。 宗教観に違う私たちは、彼がなぜそこまで自分に息子を埋葬したいのか。まるでわかりませんが、ラストシーンでようやっとその意味の片鱗が伺えますね。 ひどいドラマであり、すごいドラマでしたね。

  • 鑑賞日 2016/8/2

    軽い気持ちで観れない

    サウルの背後から執拗に動かないカメラ。全容は見せず、時折映る彼の表情はどこか思い詰めたように張り詰めたり、かと思えば虚ろだったり。死者を作業的に処理する中で1人の子供を埋葬する為に奔走するサウル。彼の行動が狂気染みているのは、あの世界では処理することが正しいから。

  • 鑑賞日 2016/7/12

    大傑作

    オープニングの長回しから、この映画が尋常ならざる映画であることを思い知らされる。あとはサウルとともに、アウシュビッツ強制収容所という地獄をひたすら体験させられるという凄まじい映画。

  • 鑑賞日 2016/5/31

    ゾンダーコマンド。

    2015年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。 徹底して一人称で語られる音楽も説明もない 映像に流れる絶望と地獄絵図の世界観の中で 人間が一筋の光に希望を託して生きるために (尊厳を守るために)奔走する姿を描き切った。 救いはどこにもないが主人公が最後に見せる 笑顔の先があどけない少年の姿であったのは、 彼が捨てなかった祈りが一瞬叶う思いがした。 しかしこんな作業を同胞にさせるナチの暴虐 ぶりにゾンダーコマンドという仕事を初めて 聞いた自身の無知とが重なり情けなくなった。

  • 鑑賞日 2016/7/6

    ゾンターコマンドたち

     監督はハンガリーの新鋭らしい。終始主人公サウルの表情のアップを捉え続け、決してそこから離れようとしないカメラワークに息苦しさと同時に次第におぞましい現場のドキュメント性が立ち上がってくる。背後では収容所でのホロコーストが繰り広げられているというのに、カメラは決してそちらに焦点を合わせようとせず、執拗にサウルの呆然とした表情を追い続ける。  ゾンターコマンドと呼ばれる収容所での雑仕事に携わる囚人たちの一人であるサウルの眼は冒頭から焦点があっていない。それというのもおそらく周囲で起こっているあまりの地獄絵図に耐えられず、それがために精神に異常をきたしているのかもしれない。カメラが敢えてホロコーストに焦点を合わせようとしないのはサウルの心情がそうだからに違いない。そんな中で自分の息子を見つけたサウルの眼にようやくやるべき目的が浮かび上がる。おそらくサウルは自分の息子をとうの昔に喪っているのだろう、収容所で見つけた瀕死の少年を自分の息子と思い込みせめても葬儀をしてやろうとする。その心情がたまらなく切ない。囚人の中から葬儀の祈りを捧げてくれるラビを夢中で探すサウル。ラビとはユダヤ教の指導者であり、その宗教に忠実であろうとする主人公。命懸けで少年の葬儀を執り行おうとする姿はそれが宗教と民族を踏みにじる者たちへのせめてもの抵抗であるかのように映る。  それにしても映画が始まってからの収容所内の臨場感が半端ではない。なるほどその悪魔の所業を克明にカメラに収めることをせずとも充分にリアリティをもって観る側にその悲惨な実態を伝えることが可能なのだなと納得させられた。  初めてサウルの表情に笑みが浮かぶラストシーンも切なく印象的だ。それまで主人公サウルに執拗に張り付いていたカメラはある少年の出現とともにようやく彼を離れていく。その時、私たちはまるで魂が解き放たれたかのような解放感を味わうことになる。

  • 鑑賞日 2016/6/21

    背景がをぼかした撮影手法により自分が時空を超えて、映画の現場に立ち合っている様な気分になった。 自分の息子を目の前で殺されても、あの状況下だとあの様な反応になるのだろうか? それが、ずっと引っかかったまま観ていた。

  • 鑑賞日 2016/6/17

    アウシュヴィッツの死体処理係

    2016年(第88回)のアカデミー賞外国語映画賞受賞作品。アウシュヴィッツ収容所に死体処理係(ゾンダーコマンド)のユダヤ人がいたということを初めて知った。ただし、混乱の極地の中で息子を正しく埋葬したいというサウルの動機をはかりかねる部分があった。ファーストシーンから画面がぼやけているので映写ミスかと思ったが、その後もサウルの周囲がぼやけていたが、あれはあまりに死体が登場するのでそれを見せないためだったのだろうか。【第68回(2015年)カンヌ国際映画祭受賞作:併映「ディーパンの闘い」】

  • 鑑賞日 2016/6/11

    宗教観がわからないと踏み込んだ理解には至らない

    ユダヤ人の主人公の気持ちをきちんと理解するには、時代背景、宗教観などを知らなさすぎた。絶望的かつ過酷な状況で、主人公の行動が何を意味するのか、彼の最後のこだわりの理由までは、正直感じ取れなかった。もちろん、想像はできる。でも、もっと深く、心の奥底から衝き動かされる「何か」があるような気がする。それは、宗教観からくるものだろう。でも、置かれた状況が状況だけに、生易しい感覚ではないはず。残念ながら、今の日本の日常にいると、わかりづらさはある。それで良いとは思わないが。

  • 鑑賞日 2016/6/11

    サウルを演じた役者さんが印象的

    2015年制作のハンガリー映画。 アウシュビッツで、最終処理という”汚れ仕事”を担わされていた「ゾンダーコマンド」と呼ばれるユダヤ人たちがいました。主人公サウルは、背中いっぱいに大きく赤で「X」印をつけられた上着を着てその仕事に黙々と従事しています。 工場従事者のように、あまりに淡々と作業をしています。自分がサウルの状態になって、もう心が死んだ状態でそこにいるような錯覚をおぼえたまま見ています。ほかの人たちの感想みたいに、恐ろしいって感じなくなってる自分はやばいんでしょうか? サウルには本当に息子がいたんだろうか?会ったことのない息子がいて、イメージをふくらませてたのか。 それにしても「ゾンダーコマンド」というのは強烈に残酷な仕事です。そういうものが存在したことを知って、この映画のような物語があったかもしれないと考えたのかな、作者は。 ナチスの中に、本当はこんなこと止めたいと思っていた人が実はいたんだろうか。いたとしたらどのくらいの割合だろう。 人間のなかに残酷さがもともとあることを認める年齢にはなったけど、どれくらい割り切れるのかが、まだわからない。一生忘れない作品になったことだけは、確かです。

  • 鑑賞日 2016/6/8

    アウシュビッツを違った角度から描いた新しい映画

  • 鑑賞日 2016/6/4

    尊い死出の旅路

    二回目の鑑賞。ゾンダーコマンダーとして、同胞の殺戮への加担、いつかは来るガス室に押し込まれる自分、崇拝しているユダヤ教への後ろめたさ等、様々な思いを抱きながらも生きながらえているサウル。ある日、ガス室から出てきても微かな息をしている子供に対して、我が子への思いを重ねている内に、ユダヤ教に則った埋葬をしてあげようと決意するのだった。一方、同じ頃に仲間内で脱走計画が挙行され、それに乗じてサウルは、子供の死体を持ち脱走に成功した。しかし、途中の川越えで、不運にも子供の死体を流してしまうのだった。そんなサウルは、肩の力を落としながらも、逃亡を続けていた。ところが、途中の小屋で休息中にドイツ兵に見つかり、全員射殺されるのであった。 人の死を真正面から向き合って死出の旅路に送り出す事が、いかに尊い事かを唱えた作品。古典的画面サイズを駆使し、撮影もカメラの被写界深度を極端に浅くして、サウルや投影したい逸品だけを浮かび上がらせた手法。必然的に観客は周辺状態を想像するしかない。まさに、製作者の意図に、はめられること必至。

  • 鑑賞日 2016/6/4

    観たくないなあ〜

    時間を感じさせないので完成度も展開も素晴らしいのだと思う。でも辛くて観たくないなあ〜。恐ろしく効率的に運営されている収容所が観ていて辛い

  • 鑑賞日 2016/5/27

    罪深き人間

    ホロコーストの映画で、ある程度予想していたが初っ端から映画館から逃げ出したくなった。サウルの背中にきざまれた赤いバツが目に入る。サウルの感情のない空っぽの目が印象的である。 彼の表情と動きが画面の全体を占めている。そうだ、周りの背景は直視できるものではない。そんなサウルが息子と思しき(本当に彼の息子だったのか映画を観ている側には確信できない)死体を埋葬しようとして奔走する。 とにかく人間の残酷さをまざまざと感じる、絶望さえ覚える。 しかし過酷な状況の中で諦めて生きるしかなかったサウルの最後まで息子を昇天させようとする行動が胸を打つ。

  • 鑑賞日 2016/5/26

    二度目の鑑賞

    戦争の悲惨さ、愚かさを描く、と言った所謂「戦争映画」でないところに、塚本晋也監督の「野火」との共通点を感じた。あくまでも観客は主人公サウルの行動を追う傍観者の視点を強要され、カメラのフレームすら最小限かつ奥行きはピンボケという制限された視点に抑えられ、別の視点や俯瞰から映画を観ることを許されない。「野火」同様、観客は主人公と同じ世界に放り出され、体験する。そしてラストでようやくサウルの追体験から解放され、観客の視点は何処か知らない森の中に置き去りにされることで初めて、自己の内宇宙と対峙せざるをえない状況に追い込まれる。「野火」の主人公が、野原に拡がる野火の幻想を見るように。

  • 鑑賞日 2016/5/25

    残虐な現実世界と妄執

    主人公の周りはぼけていてよく写っていない。それ故に見える異様な世界。閉ざされた心は、“息子”に向かう。ひたすら絶望的で残虐な閉塞空間。残念ながら、人間は更に酷い事が出来るのではないか?

  • 鑑賞日 2016/5/15

    “あの子を埋葬する”

    極端に狭い視界、ぼやけた背景。 何も見ない、何も感じない。 なにかのシステムの一部のようにひたすら働き続ける。 いつか銃殺されるその日まで。 作業中にドイツ兵にぶつかると、帽子を取り、目を伏せ、恭順を示すサウルたち。 その反射的な行為に、彼らゾンダーコマンドが何を見、何を叩き込まれてきたのか。 そうなるまでの過程を思い知らされる。 “死者のために生者を殺すのか”との問いに、“もう死んでいるも同然だ”と返すサウル。 あの少年はサウルにとっては全てなのだろう。 かつて確かに手にしていたはずの、愛しくて、優しくて、あたたかなもの。 だから固執する。 “あの子を埋葬する” それが全てになる。 狂った現実に抵抗するように、サウルの狂気は加速する。 あの微笑みは、狂気の果てにようやくたどり着いた安らぎなのだろうか。 また、印象的だったのはそれぞれの手段で抵抗を試みるゾンダーコマンドたち。 世界に知らしめようと大量虐殺の証拠を残すため、記録を取り続ける者、写真撮影を試みる者。 武装蜂起のために武器を調達しようとする者、それに協力し火薬を渡す女性。 人は人に対し、どんなことでもやってのける。 最低最悪なことも。気高く崇高なことも。 今、改めて思い知るべきだし、観るべき作品だと思う。

  • 鑑賞日 2016/5/17

    息が詰まる

    アウシュビッツで死んだ息子をユダヤ式で弔おうとする男を描いた作品。 終始収容所を舞台におりピンボケとはいえ容易に想像できる凄惨な背景も多く、観ていて息が詰まった。 逃走時に出会う少年に対し見せる唯一の笑顔の場面が印象的。

  • 鑑賞日 2016/3/6

    観た人それぞれの解釈

    混乱、銃声、血の臭い。極端に視野を遮られているために、そこで起きている事に自分が否応なく巻き込まれてしまう。こういうテーマの作品で客観視を全く許さないものは初めてじゃないだろうか。仲間のゾンダーコマンドにどれだけ迷惑をかけても(狂気とも思えるほどの)自分の思いを実現させることしか頭にないサウルにどんなに違和感を持っても、私たちはその背中についていくしかないのだ。仲間たちは「お前に息子なんていない」と何度も言った。サウルが必死に守ろうとした「息子」は本当に存在したのか?生きることが死よりも遥かに辛いあの場所で、他人の子供を息子と思うことで心を支えたのか? 観た後に、人とあれこれ語り合いたくなる映画。

  • 鑑賞日 2016/5/15

    最後列で観てわかったこと。

    少ない視覚情報。 緻密かつ鮮明なリアル音。 どのくらい強烈なのかは 最後列で観ていたからわかる。 だって途中退出者が多いんだもの。 ホントに怖いのは、 この閉塞感から逃れられない当事者。 そんなことも含めて、 映画館で観る映画として最高峰!

  • 鑑賞日 2016/5/14

    斬新なカメラワーク

    まず冒頭から、主人公サウルのアップをワンカットと思われる映像で延々と見せる斬新さに驚いた。スクエアな画面と、主人公とその周りの主要人物以外、バックは徹底的にピントを合わせない、ボカした描写。 これが、主人公の抑圧された心情を浮かび上がらせ、不思議なことにリアルさを浮き彫りにするような効果を感じた。 ストーリーについては、誰もが知っている事実だけれど、実は真実は余りに知らなかったと思い知らされた。 これまで観てきたアウシュビッツを描いたどの映画より、真実を語っているのではないだろうか。

  • 鑑賞日 2016/5/14

    映像表現は素晴らしい。

    確かに映像表現は斬新で素晴らしい。実際には眼をそらしたくなるような残虐な場面を、ピンボケにする事で主人公の心象(受け入れられない現実を見えないものとして心を守る)をも表現している。ただし前評判が良すぎてちょっと期待外れの内容だった。サウルのとった行動が果たしてこの映画の主題として最適だったのか、疑問が残る。

  • 鑑賞日 2016/5/4

    2016/05/04シネマスコーレでリピート ●今回のシネマスコーレでの公開は、3月の伏見ミリオン座に次いでの再公開だったのだが、その情報が、どこにもなかったので、てっきり初公開と思い込んで観てしまった。 直ぐに、観ていたことに気付いたが、後の祭り(苦笑)。 ●リピートの感想は初回(3月1日)と同じだったので、以下に再掲する。 ❶1月の『リザとキツネと恋する死者たち』に続くハンガリー映画。 珍しいハンガリー映画が2本も一般公開されるのは希覯だ。 ➋本作は先にカンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドールに次ぐ2番目の賞)とゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞している。 日本時間の2月29日、第88回アカデミー賞の発表が行われ、本作がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。 小生が観たのは翌3月1日の朝11:45の初回上映だったが、最初に「アカデミー賞外国語映画賞受賞」の表示が映された。1日足らずの間に準備したものだろうが、これがデジタル上映の強みだ。 因みに公式サイトは3月5日現在まだ「ノミネート」のままになっている。 ➌総合レビュー: ①ナチスのホロコーストを、「ゾンダーコマンドの囚人」(ユダヤ人ながら同胞の屍体処理を担う特殊部隊の囚人)である主人公サウルの立場から描いたもの。 ②監督はタル・ベーラ(正しくはベーラ・タル)監督の『倫敦(ロンドン)から来た男(2007)』で助監督を務め、本作が長編デビューとなるハンガリーの期待の新鋭ネメシュ・ラースロー(正しくはラースロー・ネメシュ)。 ③ホロコーストを扱った非常に重いテーマを、技巧を凝らしたカメラワーク(昔ながらのアスペクト比1.37のスタンダード画面、フォーカスをサウルのみに合わせたボケ表現、サウルの視野から見た限定映像、手持ちカメラによる不安定な映像等)で描いた意義は認めるが、サウルの行動には素直に共感出来ない。 ④サウルはガス室で偶然生き残った息子とおぼしき少年(間もなく死んでしまう)をユダヤ教の教義に則って埋葬したいと思う。 その為に、少年が解剖されるのを防ぎ、儀式を行ういラビを探し、死体と共に脱走しようとする。 彼は仲間たちが綿密に計画して、ようやく入手した爆薬を無くしてしまう重大ミスを犯す。 そんな彼を助けるために、仲間たちが何人も犠牲になる。 「何故彼にそんな行為が許されるのか?彼は身勝手なだけではないのか?」 そんな疑問が浮上して最後まで納得できなかった。 まあ、他人より自分を優先させるのは、人間共通のエゴなので、このことをダメ押しすることが、監督の意図だったのかも知れない。 ⑤最後、サウルはじめ脱出に成功した囚人たちを待っているのは悲劇のみ。 彼等の行動は結局は徒労に終わる。 残るは虚しさのみ。 ❹人名表記問題: ①「珍しいハンガリー映画 『リザとキツネと恋する死者たち』(16/01/14)」他で指摘したが、 欧米では人名は「名―姓」の順に表記するので、日本でも欧米人の名は「名―姓」の順に表記するのがルールだ。 このルールにより人は外国人であっても姓名の判別が可能となっている。 ②欧米で唯一日本式人名表記を行っている国がある。 それがハンガリーだ。 ハンガリーでは人名は日本と同様、国内では「姓―名」の順、外国向けには「名―姓」の順に表記する。 ③ハンガリー人で一番有名な世界的映画監督「タル・ベーラ」は「タル」が「姓」で、「ベーラ」が「名」なのだ。 ハンガリー国内では「タル・ベーラ」、外国向けには「ベーラ・タル」と表記している。 IMDb他英語圏では全て「Bela Tarr」となっている。 従って、日本でも「ベーラ・タル」と表記するのが正しい方法だ。 ④本作の監督と主演の公式サイト他全ての日本語表記は夫々「ネメシュ・ラースロー」、「ルーリグ・ゲーザ」となっている。 一方、同人のIMDb他英語表記は夫々「László Nemes」、「Géza Röhrig」となっている。 即ち、「ネメシュ」&「ルーリグ」は「性」で「ラースロー」&「ゲーザ」は「名」なのだ。 だから、正しくは「ラースロー・ネメシュ」、「ゲーザ・ルーリグ」と表示しなければならないだ。 ❺字幕問題: ①1940年代には存在していなかった日本語「看護師」を使っている。「看護婦」とすべし。 ②ドイツ人が命令するドイツ語の多くを訳していなかった。 例えば「arbeiten Arbeite!=働け!」。 主人公がドイツ語を理解できないのならそれでも良いが、そうではないので、省略せず訳してほしかった。

  • 鑑賞日 2016/2/26

    生々しい

    201602261700 ヒューマントラストシネマ有楽町  ハンガリーの強制収容所で特別の資格を与えられ、ユダヤ人の死体処理等を担当するサウル。ガス室に送り込まれながらも助かった少年がナチスの医師に殺され、それが息子なのでユダヤ式の埋葬をしたいと奔走する話。  結局新だのが息子なのかどうかも分からない。最後に出てきた少年がうっそうとした森の中を逃げていくことに生に対する喜びというか希望を持つことができたってことなのかな。  サウルの肩越しにずっとカメラがあったので、無表情な顔がずっとうつって悲壮。累々と死体がつみあがったのが焦点が合わずにぼやけて映し出されるのが気持ち悪くて、そのぼやけた感じがサウルたちも見ないようにしてたのかななど、色々考えてしまった。 見なければいけない映画だと思った。

  • 鑑賞日 2016/4/22

    『サウルの息子』。四隅にRを付けたスタンダードサイズ。ほとんどが固定焦点で撮影されている(主人公のみにピントが合ってる)ので周りの映像がボケている。死体などを直接見せないための手法だろう。オープニングの主人公にピントが合ってからの無言の長回しが、観る者を物語世界に引きずり込む。

  • 鑑賞日 2016/4/13

    これも息詰まる系…。連れと一緒に見るやつじゃなかった、1人で見に行くべきやつだった…。 第二次大戦中のアウシュビッツでの話なんだけど、ゾンダーコマンドとはなにか、というこのと軽い説明以外は一切説明なく話が進んでいくし、画面は、主人公以外の全ての事象はほとんどピントをぼやかして撮影してあるんだけど、そのはっきり映らない箇所ではきわめて効率的に虐殺が行われてるというね… そして主人公がものすごい無茶を繰り返しながらも自我を通そうとする一部始終も、あえて説明を省いて見せている。なので、事前にホロコーストについてとユダヤ教について少しばかり予習しておくことが大切かもしれない。 けど予習さえしておけばあとは追いかけていくだけで、ただずっとずっと悲惨の繰り返しなので、本当に救いは来るのか、どういう結末にたどり着くのかとそればかりで時間があっという間に過ぎていく。 殺されてしまった息子を、ユダヤ教のやり方できちんと埋葬してやりたい。それだけの願いのために、収容所内の全ての同胞を危険にさらすこともいとわないサウルの行動のすべては、狂気を感じさせるかもしれないけれど、あの状況、あの環境でせめてそれを望むことは至極当然の人間らしさとも思えるなあ。 ただ、ラストに向けて収束していくその展開はそれまでのものっそいリアリズムから外れてしまった気がして少し置いてきぼりに…というか、そこは説明して欲しかった気もする! でもしてないからこそ幾通りにも解釈できるので、あれはあれで正解だった気はする! ただ、それが狙いだったとしても、EDクレジットがあまりにも唐突に思えてしまって、ラストポカーンとしてしまったので、やっぱり説明というかヒントは欲しかった気もする…。けど、うん、うーん……救いは…ないなあ…。まあ事前に覚悟は出来る範囲ではあったけれど…。 でもこう…ひと匙でも救いは欲しくなってしまうよね…にんげんだもの…。重たかった…。そしてそんなのに付き合わせてしまった娯楽作好きの連れにはごめんなさい…。

  • 鑑賞日 2016/4/11

    「サウルの息子」で、ゾンダーコマンドというものを初めて知った。ナチスのユダヤ人焼却場で働く同じユダヤ人。その一人サウルに密着した形で(カメラは常にサウルの顔に焦点があり、周囲はボケ、彼の主観映像として進む)ドラマは展開される。スタンダードサイズの画面が閉塞感と凝縮感を伝える効果を出している。ガス室の内情は戦慄すべきものであった。サウルが息子(と自身で信じた)の埋葬儀式にあれほどこだわるのには首を傾げたくなるが、宗教にほぼ無縁の輩にはそうなのかもしれない。ラストシーンが強い印象を残した。

  • 鑑賞日 2016/2/28

    この映画の読後感は「地獄の黙示録」と同じもの。強烈な生物と人間臭を放つ傑作!

    昨年(2015年)のカンヌ国際映画祭で、審査員特別賞に当たるグランプリを獲得し、今年(2016年)の第88回アカデミー賞では最優秀外国語映画賞にも輝いたハンガリー映画。舞台となるのは、1944年のアウシュビッツ=ビルケナウ収容所。ここでユダヤ人でありながら、ドイツ軍の指揮の下、同胞の屍体処理や収容管理を行うゾンダー・コマンドという選ばれたユダヤ人たちを描いたドラマとなっています。主役のサウルを演じるのは、詩人としても活躍しているルーリグ・ゲーザ。監督はハンガリーの新鋭監督、ネメシュ・ラースローが務めています。 スピルバーグの「シンドラーのリスト」をはじめとして、第二次世界大戦下のユダヤ人収容所を描く映画は昨今も多く作られています。こうした収容所ものを、ユダヤ人の受けた迫害の象徴として描いた「シンドラーのリスト」が強烈だったこともあってか、正直、その後に作られる、この類の作品というのはどこかしら似たり寄ったりなドキュメンタリードラマとして作られるのが一般的になっていたように思います。しかし、本作はその手のどれにも類することのないような、強烈な人が生き物として放つ異臭がスクリーンから伝わってくる作品になっています。表現が悪くて恐縮なのですが、僕は、小さい頃に見て、実家の近所に今もある養豚場の屠殺風景を思い出してしまいました。描かれるのは、淡々とした人の生物としての死が、至極生産的に行われている風景。ここに悲惨さや憂い、悲しさなどは一切同居しない。ただただ死というのが生み出されている現場の中で、ドラマは起こってくるのです。 物語は、そんな収容所の中で、黙々と生き残るためだけに生きている男サウルの下に起こっていきます。毎日と同じように、同胞を屠殺場に追いやり、生産される屍体を淡々と処理していく中に、彼が収容所に入る前に生き別れたままになっていた息子の屍体を見つけるのです。健康体であった息子の躰は、人体解剖のために医療室に運び込まれる。死の風景しかない毎日の中で、感情を押し殺したロボットになっていたサウルの心に宿ったのは、息子を自らの手で弔いたいという想い。人間的な情動に駆られ、冷静沈着であったサウルの行動は、医療室から息子を取り戻し、弔う手段を探しまわるという如何にも人間らしい行動へと移っていくのです。果たして、彼の想いは成功するのか、、、ここが映画の一番の見所になっています。 作品の背景は全然違いますが、僕は本作を見て、昔観た「地獄の黙示録」の強烈な生と死の狂乱状態と同じものを感じました。それは死の生産工場と化している収容所の異様さもそうだし、感情も何もなく、ユダヤ人たちをただただ抹殺していく生産工程もそう、その中で歯車となってロボット化しているゾンダーコマンドも異常だし、ドイツ兵たちはまるで工場の生産主任のようなホワイトカラーとして描かれるのも狂気に満ちています。しかし、そうした過剰なまでの異常な世界の中で、ただ人間らしく芯にあるのはサウルが感じた息子への愛情。正直、作品の中では息子かどうかも怪しい描かれ方をするのですが、異常な状況の中で、その想いだけがピュアな人らしい一筋の光として昇華されていくのです。スタンダードサイズで描かれる狭い映像空間も、サウルが周りの異常な状態からできるだけ目を背け、必死に下を向いて生きていたことを象徴しているし、周りの光景がすべて見えないことが余計にいろいろなことを想像してしまい、そこが本当に異常な地獄であったことを予見させるのです。これはすごく巧妙で、上手い作品づくりだと唸らされます。 決して、見て気持ちのよい作品ではないですし、観た後も気分は張れることはない作品です。しかし、映画としてはここ数年は頭に残るような、強烈な異彩を放つ傑作だと思います。

  • 鑑賞日

    観終わってへとへとになった

    映像手法は斬新だし、モチーフも独創的だけど、どうもこの映画には付いていけなかった。内容が内容なだけに、表現上どこかに空白あるいは息抜きが欲しかった。観終わったあと疲れて、へとへとになってしまった。

  • 鑑賞日 2016/4/1

    正義ではなく正気であろうとする事

    勇気と尊厳じゃなく、狂気と妄執によって、かろうじて生きている人。だから共感は出来ないんだけど、凄い人だと感じる。ただ、タイトルが出るまでの凄い映画が始まった感は半端ないのに、後半はちょっと

  • 鑑賞日 2016/4/3

    共感が難しい

    主人公の行動への共感が難しく感じました。事実やそうなってしまう心理状態が冷静に描かれているので、客観的に見て考察をすべきなのでしょうか。事実だけ見ればひどい奴になるのですが... 周囲のゾンダーコマンドの同胞に、人間的には共感が感じられました。その対比もテーマだと思いますが、異文化理解が必要なのか、残念ながら心でくみ取れませんでした。

  • 鑑賞日 2016/3/18

    見て良かった。目を背けたくなる話だからこそ、映画を通してこういう時代もあったことを再認識できて良かった。強制収容所は知っていたけど、ゾンダーコマンドという存在は知らなかった。よくよく考えたらそういう労働力も必要なのに、自分はあまりにも恐ろしい事実にそんな単純なことすら考えることをしてこなかったと気づく。 怖い、人間が怖い。同じ人間をどうしてこうも酷い目に合わせるのか、それができることが信じられない。自信が正義であり他者がそうではない、というわけではないのに、何事にも変え難いような絶対的な考えに支配されて、それがここまで残酷なことをさせるんだろう。 恐ろしい描写もたくさんありすぎた。ほんとに空いた口が塞がらない状態だった。 かと言って主人公のサウルが正しいわけでもない。彼は彼で、「息子」を手厚く葬りたいという願望をかなえるために周りが見えなくなる。みんながこつこつと積み上げてきた計画も、個人の勝手な願望のために気づいたときにはふいにしてしまっていたが、自分がしたことが周りにどれだけの失望を与えたか彼にはわかっていないようである。極限状態の中では判断力も鈍るだろうし、その中でこれだという信念を見つけるとそれに固執しそれ以外の情報は遮断してしまうんだろうな。というか普通じゃないことばかりが起こりすぎるからその日、いや、その瞬間を生き延びるだけでいっぱいいっぱいなんだ。 サウルが「息子」と出会ってからの数日を描くだけではあるが、 衝撃的なことや考えさせられることがとても多かった。

  • 鑑賞日 2016/3/14

    勇気と尊厳、真実の祈り

     焦点をぼかした光景と生々しい音が、強制収容所の地獄絵をえぐり出した。助けを求め、重い扉をたたく音と悲鳴が響く。想像の中で緊迫感と恐怖が異常なほど増幅した。折り重なって横たわる死体を焼却処分し、血と汚物にまみれた床を清掃する。サウルの視線から見る悪魔の所業に、心が凍り付く。体の奥から恐ろしさがわき上がり、震えが止まらない。むき出しになったホロコーストの現実。ゾンダーコマンドという名のおぞましい苦役。悲しみも怒りも極限を越えていた。  かすかに息があった少年が、人体実験の「部品」となった。天使のような死顔が、サウルをつき動かす。聖職者ラビを見つけ出し、祈りを唱え、手厚く葬りたい。死者の復活を信じるユダヤ教は土葬で死体を保つのがしきたり。火葬は許されない。それはユダヤ人の誇りをかけた願いだった。  「お前には息子はいないじゃないか」。ゾンダーコマンドの仲間がサウルを諭す。本当の息子なら、もっと心乱れるだろう。死体にすがり泣き崩れるだろう。しかし少年が本当の息子かどうかは、問題ではなかった。苦しみながら死んでいった無数の同胞たち。多くの子供も犠牲になった。せめてこの少年の魂だけは救済したい。いや救済されるべきだ-。人間の尊厳を守ろうとするサウルの姿に、自らもハンガリー系ユダヤ人で祖先をホロコーストで失った監督ネメシュ・ラースローの償いと鎮魂の祈りが重なった。  過酷で悲惨きわまりない物語は、すべての感情を喪失したサウルの顔に一瞬だけ浮かぶ柔和なほほ笑みで幕を閉じる。混乱に乗じて仲間とともに収容所を逃げ出し、森の中の小屋にたどり着いたときだった。ふと、サウルが外を見ると、少年がこちらを見ていた。収容所にいた少年とそっくり。ようやく本当の「息子」に再会できた-。ようやくたどりついた魂の救済。しかし初めてサウルが笑った直後、追ってきた親衛隊の銃が火を噴く。時間が止まった。

  • 鑑賞日 2016/3/27

    もっと衝撃的なものを想像していたが、そうでもなかった。死を待つ収容所生活で主人公サウルの精神は崩壊していたのだろう。ずっと彼に寄りそうように周囲を映すカメラ。ずっとまわりはピンボケなのかと思っていたが途中何度も普通に戻った。この辺りの演出はあまり明確な意図が感じられず上手くいってるようには思えなかった。

  • 鑑賞日 2016/3/3

    ゾンダーコマンドの精神的な歪みでしょうか

     アウシュヴィッツのゾンダーコマンドのお話。サウルはゾンダーコマンドとしてガス室送りになった同胞の衣服などを整理したり死体を処理したりする仕事に就いていた。ある時ガス室では死ななかった少年が隣室で殺され解剖されることを知るが、その顔はサウルの息子であった。サウルは息子をユダヤ式に埋葬できないか画策し、ラビを探し死体を持ちだそうとしていた。丁度ユダヤ人の脱走計画も相まって収容所を脱出したが、結局は見つかって射殺されてしまう。  同胞の絆より家族なんだろうか。生きるためとはいえゾンダーコマンドは同胞をガス室に導き死体の処理をし身の回りの品から金目のものを抜き取るという作業を行っているのに、息子とおぼしき少年の死体を見たとたん、彼をユダヤ式に埋葬してやろうと画策する。他の多くのユダヤ人たちはまとめて穴に放り込まれて埋められているのを知っていてしかも手伝ったりしているのに、なぜ自分の息子だけはしっかり伝統にのっとった埋葬と考えたんだろう。そこにゾンダーコマンドの精神的な歪みがあるからなんだろうけど、そのあたりがうまくつかめなかったからか、この映画にのめり込むことはできなかった。それでもアウシュヴィッツの凄惨さは、多くのエキストラによる死体から表わされていました。恐らくは几帳面なドイツ人による無味乾燥な記録に残っていた資料や生き残りのユダヤ人からの話などから読み取ったものなのでしょうが、この時代になってもホロコーストの新しい作品が出てくることをユダヤ人やドイツ人はどう思っているんだろう。

  • 鑑賞日 2016/3/14

    男に残された最期の矜持

    ハンガリーのネメシュ・ラースロー監督が描くナチスの強制収容所に生きるユダヤ人たちの生き様で、ゾンダーコマンドと呼ばれるガス室送りとその後処理の仕事をやらされて3ヶ月後には殺される運命にある一人の男が、ガス室で死なずに医者に殺された少年を自分の子供と信じて、その子を正式なユダヤの弔いをしようとする、というお話しは、主人公の男にカメラはずっと密着してその男の目線で進んでいき、ある程度自由がきくとは言いながらも子供のためにかなりのムチャをやりながらもどうにか生き延びていく姿は臨場感がありすぎて息苦しくなってきますね。終戦目前の1944年が舞台なので、ガス室では処理しきれない人数が送り込まれてきたり、指揮系統にも混乱がみられるなど、実際の収容所の実態を見せられているような感覚にもなりますね。周りの人達からは息子じゃないと言われながらもその子を弔うことが自分に残された最期の矜持と信じて行動する男の姿は鬼気迫るものがありますね。

  • 鑑賞日 2016/3/1

    力作ではある

    2016年3月1日に鑑賞。BKK SF WORLD CINEMA CENTRAL WORLD CINEMA4 にて。180B。スタンダード・サイズ。タイ語字幕・英語字幕。 スタンダード・サイズの画面に主人公サウルの顔のアップ(よくてバストショット)が延々と続く。サウルの顔の背景にはピントは合わずぼやけている。ロングショットは2カットくらい。それも人物は映らず風景である。 ドイツ人の顔のアップ(やバストショット)はない。ドイツ人はフルショットかロングショット(サウルの顔の後方にドイツ人が映っている)である。 ドイツ人の顔をアップで見せると、ドイツ人の個性が映ってしまい、加害者ドイツ人への観客の意識・注意が向いてしまうからであろう。 1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所で、ドイツ人の下でユダヤ人でありながら、ドイツ人のために死体処理や炊事要員として働かざるを得ないユダヤ人たちの話である。ゾンダーコマンド(ユダヤ人特別労務班員)を描いた映画は「灰の記憶」(2001)がある。 サウル・アウフレンダーは、ハンガリアンのユダヤ人である。彼が喋るのはハンガリー語のみである(と、ほんの少しのドイツ語)。彼は1人のボスKapo のユダヤ人(棍棒を持っている)の下で70余人の仲間と、新たに収容所に着いたユダヤ人たちを服を脱がせて浴室へ向かわせ、ガス室で殺された死体を次の段階(石炭での焼却)へ運び、衣服から「カネ・貴金属・身分証・アクセサリーなど」を取り除き服を焼却し浴室を洗浄する作業に付いている。 「死体を焼却する」班、「その灰を川に捨てる」班などは、それぞれのボスの下に70人余の男達がその任務に付いている。 この各班は、同じ言葉を話す(同国人)のグループである。ハンガリー人のボスの下に、70人のハンガリー人の部下がいる。ボスと話す言葉が違う者はいない。ボスの言葉を理解出来ない者が、この「少しだけ命を長らえて生かされている」集団にいるはずがない。 収容所が造られて最初に収容されたユダヤ人の中から選抜されたのだろう。ドイツ人には、そういう下働きをするユダヤ人と、そのシステムが必要である。このシステムが確立した後で収容されたユダヤ人たちは(異なる国から移送されて来たユダヤ人は、話す言葉が異なるから)こういう役割も得ることは出来ず、すぐにガス室送りになるだけである。 ナチに加担させられたユダヤ人たちは、解放された後、罪に問われることはなかったのだろうか。 女だけの炊事班(ここにも女ボスKapoがいる)の女フリードからサウルは袋包みを受け取りに行く。サウルらは衣服を焼却する際に、監視の目を盗んで身分証(彼らは近々武器を得て脱出しようとしている)や貴金属を盗み、それを監視兵や他の班のボスに渡してフリードに会っている。フリードが「サウル」と呼ぶので知り合いの様だ。サウルとフリードは最初に収容されたユダヤ人ならば、同じ国の出身であろう。 サウルは息子をユダヤ式に埋葬したいと、解剖医の助手のユダヤ人の医者に息子の死体を隠させ、自分の部屋に死体を隠す。しかし、実はサウルには息子はいない。 ユダヤのラビを捜し歩き、新たにギリシアから着いた男をラビだと死体穴から助け出して自分の部屋へ連れて来る。この男はラビではない。仲間は「何がラビなもんか。ヒゲをはやした泥棒だ」と見抜いているのに、サウルにはラビに見え、信じ込んでいる。 やはり、サウルは一種の狂人なんだろう。息子もいないし、ラビでもない。 サウルは偽のラビを助け出す時の混乱により、フリードから受け取った袋を失くしてしまう。反乱が起きてサウルはラビと息子の死体をかついで脱出する。ラビと離れ息子の死体をかついで川の中へ。溺れそうになって死体を流され、サウルは仲間に助けられて10人弱が向こう岸の小屋に辿り着く。追手のドイツ兵に銃殺される。

  • 鑑賞日 2016/3/16

    異色のホロコースト映画

     アウシュヴィッツの悲劇を初めて知ったのは「ニュールンベルグ裁判」という映画でした。人間はかくも残酷なことがなぜできるのか、ナチス・ドイツとはいかに非道だったのか、ユダヤ人に救いの道はなかったのか、いろいろと考えさせられる映画でした。その後に観たホロコーストに関する映画も同様の思いをさせられるものばかりでした。  しかし、「サウルの息子」はちょっと違った視点で描かれています。「サウル」はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所でユダヤ人でありながら同胞の死体処理を担う「ゾンダーコマンド」の一人の男の名前です。このような人々を描いた映画は観たことはありませんでした。ナチスの行為を糾弾するというより、どうしようもない状況に置かれた人間が追い詰められた世界でどのように生きなければならなかったのかを描いています。そういう意味では異色のホロコースト映画と言えるかもしれません。  ここでは、ナチスの非道ぶりは直接的には描かれていません。むしろ主人公のサウルの狂気に囚われたとも言うべき行動に観客は翻弄されてしまいます。何しろ、収容所の中で息子の死体を何としても埋葬し、ラビに供養させようというのですから。そんな彼の行動をカメラは背後から捉え、正面からはクローズアップで表情のない顔を映し出します。混乱と混沌の中で彼がどこへ行き、何をしようとしているのかわからないほどに。そして安置所から彼が担ぎ出した死体は本当に息子だったのかどうかもわからなくなってきます。  死体を「部品」と呼んで後始末をしなければならない人々、肉親とわかっていても供養もできない世界、そんな世界で許されるはずのないサウルの狂気じみた行為は、もしかしたら本当はまともなことなのかもしれません。 全体的にサウルの表情のクローズアップに特化したところが多く、また彼を演じたルーリグ・ゲーザの強烈な個性のせいか、他の人物との関係が摑みずらく、少々難解でした。

  • 鑑賞日 2016/2/5

    顔にフォーカス。

    1944年のアウシュビッツ。ユダヤ人ながら同胞の死体処理をするサウルの一途な信念を顔のみフォーカスする斬新な方法で撮影した作品。映像が長く心に刻まれいていく気がする。

  • 鑑賞日 2016/3/12

    正直、乗れなかった……。 こんなこと書くと、人でなしだと思われそうだけど、主人公サウルの行動が自分勝手に思えてしまって、途中から全然感情移入できなくなってしまった。 ただ、この作品が作られたことはもちろん意義深いし、あれだけセリフが少ないのに、洗練された手法や、その巧みさはトップクラスだということに異議はない。

  • 鑑賞日 2016/3/11

    スタンダードサイズの理由

    ガス室送りにされ死んだ息子の死体をユダヤ教に即した方法で弔いたいと願った囚人である父親の物語。自分の命すらどうなるかわからない状況下で死者の弔いにこだわる理由は、人間の尊厳を守り抜くこと以外に考えられない。それが主人公のユダヤ人に残された唯一の生きる証だったのだ。 ガス室から出てきた息子は虫の息だが生きていたのである。それに気づいたドイツ人の医者に口をふさがれ窒息死させられてしまう。その一部始終を父親である主人公は見ていたのだが、実の親子ならここはまず行動するだろう。本当は親子ではなく他人だったのか・・・。いずれにしても傍観しておきながら、埋葬に躍起になる姿は正直理解しづらい。映画をみている間、この事がずっと違和感としてついてまわった。 強制収容所の中で一体何が起きていたのか。シャワー室と信じ込ませて裸にし扉を閉めると同時にフックにかかった衣類を一斉に処分し始める。この無言のルーティンがとにかく怖かった。オープニングから終始カメラが密着するかのように主人公の表情を捉えた構図に圧倒された。珍しくスタンダードサイズで撮影された理由はこの表情のアップを際立たせるためだったと極論してもよさそうだ。 死体を担いで収容所を脱走した主人公が、森の中で一軒の山小屋に仲間と束の間の休息をとる。気付くと扉の隙間からドイツ人の少年が主人公の顔を凝視している。その視線に笑顔を返した次の瞬間、少年は走り去る。ドイツ兵に囲まれ一斉射撃の音だけが森に響く。映画は森の中に消えた少年の後姿を捉えて終わる。何とも言えない斬新なエンディングではないか。もはや人間の尊厳など見向きもしない戦争の現実だけが存在していた。

  • 鑑賞日 2016/3/9

    アウシュビッツ強制収容所が舞台。ユダヤ人虐殺を描いている。 主人公は、収容されたユダヤ人の中からナチスに選ばれた、死体処理に従事するサウル。 映画の中で、サウルと同じ時間を共有したような、強烈な体験。 画面がテレビ画面と同じ大きさ。映画なのに何でかな?と思っていたが、しばらく見ていたら、なるべくサウルの周りを映さないように、あえて狭くしてあることに気づいた。 直接にガス室で人が死んでいく姿を映すのではないけど、否応なしに入ってくる音が、収容所内の悲惨な情景を感じさせる。 つらい映画だったけど、映画館で見ることに意味があり、また多くの人が見るべき映画だと思う。

  • 鑑賞日 2016/3/6

    逃げ場のない映像

    ◎ 自分は近視でないのでよく分からないが、度の強い近視メガネをかけている人がメガネを外すと、こんな風に見えるのだろうか。目の前の人は見えるが周りはみんなぼやけている。だから、何が周囲で進行しているのかよく分からない。誰でもがアウシュビッツについて最低限の知識があるからいいが、もしそうでなかったら何の説明もないのでちんぷんかんぷんかもしれない。何らかの抵抗活動が進んでいるらしく、こっそりと会話や物が取り交わされるが、それもあまり説明されない。よく分からないまま、この異様な世界に観客は放り込まれてしまう。もしも、ピントがスクリーンの隅から隅までしっかり合っていたら、私のような凡人はごろごろ転がっている裸の女体なんかに目が引き寄せられてしまうかもしれないが、それもできない。どこにも逃げ場がなく、気持ちのいい時間ではない。 ◎ それにしても、なぜドイツはこんなことに情熱を注いだのだろう。膨大な金もかかるし、人もエネルギーも必要だ。戦争中であり、平時以上に金、人、エネルギーが必要な時に、こんな不毛な蛮行に力を割く理由がどうしても理解できない。

  • 鑑賞日 2016/3/6

    抗えない運命に希望を見出す

    映画の中で同じ作業をする友達がいっていたように 本当はサウルに息子はいなかったのではないか。 いなかったが凄惨な世界に子供を埋葬することで 自分たちが救われる何かを見出したのではないか 周りの者がなぜあれだけサウルのことを 信頼しているのかは彼がああなる前に 仲間思いのいい人であったと思わせる。 映像の取り方は常にサウルに焦点を合わせたまま 移動する本当に特殊な撮影方法でピントの合っていない 奥のほうでユダヤ人が淡々と虐殺されている状況は 異様である、恐怖で言葉も出なかった。 しかし本作がカンヌグランプリはよいにしろ、 アカデミー外国語賞をとるのには思想的な配慮が あるように邪推されてならない

  • 鑑賞日 2016/3/4

    撮影手法は巧みだが

    焦点を限定し、背景(屍体やナチスドイツ軍人等)をぼかす撮影手法が、収容所で繰り返される蛮行の非人間性を効果的に浮きだたせており、実に巧みである。にもかかわらず、観る者へ訴求するものが弱いように感じた。展開が早すぎてわかりずらいのもマイナス要素である。映画は、息子(主人公が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれないが)の遺骸を手厚く埋葬しようとなりふり構わず奔走する主人公の姿を、どこか冷めた視線で追っている。収容所という閉鎖空間での極限状態に近い境遇(明日は自分が殺されるかもしれない)が、主人公の精神に特異に作用しこのような行動に駆り立てたのだろう。物語は悲劇的な結末を予感させながら終了する。

  • 鑑賞日 2016/3/1

    ❶1月の『リザとキツネと恋する死者たち』に続くハンガリー映画。 珍しいハンガリー映画が2本も一般公開されるのは希覯だ。 ➋本作は先にカンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドールに次ぐ2番目の賞)を受賞している。 日本時間の2月29日、第88回アカデミー賞の発表が行われ、本作がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。 小生が観たのは翌3月1日の朝11:45の初回上映だったが、最初に「アカデミー賞外国語映画賞受賞」の表示が映された。1日足らずの間に準備したものだろうが、これがデジタル上映の強みだ。 因みに公式サイトは3月5日現在まだ「ノミネート」のままになっている。 ➌総合レビュー: ①ナチスのホロコーストを、「ゾンダーコマンドの囚人」(ユダヤ人ながら同胞の屍体処理を担う特殊部隊の囚人)である主人公サウルの立場から描いたもの。 ②監督はタル・ベーラ(正しくはベーラ・タル)監督の『倫敦(ロンドン)から来た男(2007)』で助監督を務め、本作が長編デビューとなるハンガリーの期待の新鋭ネメシュ・ラースロー(正しくはラースロー・ネメシュ)。 ③ホロコーストを扱った非常に重いテーマを、技巧を凝らしたカメラワーク(昔ながらのアスペクト比1.37のスタンダード画面、フォーカスをサウルのみに合わせたボケ表現、サウルの視野から観た限定映像、手持ちカメラによる不安定な映像等)で描いた意義は認めるが、サウルの行動には素直に共感出来ない。 ④サウルはガス室で偶然生き残った息子とおぼしき少年(間もなく死んでしまう)をユダヤ教の教義に則って埋葬したいと思う。 その為に、少年が解剖されるのを防ぎ、儀式を行ういラビを探し、死体と共に脱走しようとする。 彼は仲間たちが綿密に計画して、ようやく入手した爆薬を無くしてしまう重大ミスを犯す。 そんな彼を助けるために、仲間たちが何人も犠牲になる。 「何故彼にそんな行為が許されるのか?彼は身勝手なだけではないのか?」 そんな疑問が浮上して最後まで納得できなかった。 まあ、他人より自分を優先させるのは、人間共通のエゴなので、このことをダメ押しすることが、監督の意図だったのかも知れない。 ⑤最後、サウルはじめ脱出に成功した囚人たちを待っているのは悲劇のみ。 彼等の行動は結局は徒労に終わる。 残るは虚しさのみ。 ❹人名表記問題: ①『リザとキツネと恋する死者たち』で指摘したが、 欧米では人名は「名―姓」の順に表記するので、日本でも欧米人の名は「名―姓」の順に表記するのがルールだ。 このルールにより人は外国人であっても姓名の判別が可能となっている。 ②欧米で唯一日本式人名表記を行っている国がある。 それがハンガリーだ。 ハンガリーでは人名は日本と同様、国内では「姓―名」の順、外国向けには「名―姓」の順に表記する。 ③ハンガリー人で一番有名な世界的映画監督「タル・ベーラ」は「タル」が「姓」で、「ベーラ」が「名」なのだ。 ハンガリー国内では「タル・ベーラ」、外国向けには「ベーラ・タル」と表記している。 IMDb他英語圏では全て「Bela Tarr」となっている。 従って、日本でも「ベーラ・タル」と表記するのが正しい方法だ。 ④本作の監督と主演の公式サイト他全ての日本語表記は夫々「ネメシュ・ラースロー」、「ルーリグ・ゲーザ」となっている。 一方、同人のIMDb他英語表記は夫々「László Nemes」、「Géza Röhrig」となっている。 即ち、「ネメシュ」&「ルーリグ」は「性」で「ラースロー」&「ゲーザ」は「名」なのだ。 だから、正しくは「ラースロー・ネメシュ」、「ゲーザ・ルーリグ」と表示しなければならないだ。 ❺字幕問題: ①1940年代には存在していなかった日本語「看護師」を使っている。「看護婦」とすべし。 ②ドイツ人が命令するドイツ語の多くを訳していなかった。 例えば「arbeiten Arbeite!=働け!」。 主人公がドイツ語を理解できないのならそれでも良いが、そうではないので、省略せず訳してほしかった。

  • 鑑賞日 2016/3/2

    第二次大戦中、ナチ政権下の強制収容所でユダヤ人虐殺に従事していたユダヤ人たちをゾンダーコマンドと呼ぶ。そのゾンダーコマンドを主人公とする物語。ハンガリー出身の監督ネメシュ・ラースローは実際にアウシュビッツで祖先を殺されたらしい。 ゾンダーコマンドとして日々大量のユダヤ人殺戮し死体の山を処理するサウル。彼の目に光はなく、表情も凍りついている。自身もやがて殺される運命にある中、生きる意味を失っているかのようだ。そんな中、息子(と思しき少年)の死体を見つけ、彼をユダヤ教の教義に則って手厚く埋葬してやろうと奔走する。 映像はシネスコではなくスタンダードサイズと呼ばれる4:3の画面。しかもほぼ全編、主人公サウルの顔か後頭部のアップ。焦点深度の浅いカメラを使用しているので背景はピントが合わずぼけている。周囲で起きている虐殺の惨劇や死体の山などははっきりと観衆には見えない。見えないからこそ、そこに意識が集中してしまう。観衆は主人公が見聞きしているものしか認識できないので、実際に収容所にいるかのような緊迫感を体験することになる。全編このカメラワークに徹した演出がこの映画を特別なものにしていると思う。 サウルが弔おうとしている少年が本当に息子なのかどうかも、実はよくわからない。しかし、彼は多くの同胞の殺戮に加担した贖罪であるかのように、少年の埋葬に固執する。少年の死体を見てからの彼の眼には確かに人間らしい光と生命力が漲るのだ。非人道的な強制労働の中で人間としての尊厳を保つ最後の希望。あまりに儚く、そして切ない最後のサウルの表情に感動を禁じ得ない。非常に重く、見終わった後も苦い余韻が残る映画だが、見ておくべきだと思う。

  • 鑑賞日 2016/3/1

    圧倒的な臨場感

    これだけ臨場感を持ってアウシュビッツを描いた作品は初めてだ。単焦点の一人称を思わせるカメラが、サウルの鮮明な無表情のアップと背景の屠殺場のような惨状を対照的かつ迫真的に捉えて圧倒的だ。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    生者と死者の尊厳

    手持ちカメラのアップショットや長回しを駆使し、主人公の背景をぼかした画面構成が効いていて、我が身の安全さえままならぬ収容所の過酷さをより生々しいものへと昇華していた。また、少年の遺体は本当に息子なんだろうか、と思わすミステリアスなドラマ展開が秀逸で、殺伐とした環境の中で自己崩壊せざるを得ない主人公の危うい精神状態をそこはかとなく表出していた。 そんな観る者の想像力を刺激するネメシュ・ラースローの禍々しい語り口を通して、切迫した状況の中での肉親の情や個人の意思の在り方をはじめ、生者と死者の尊厳や宗教の無謬性、人種対立と組織のセクショナリズム、不条理な暴力が日常的にはびこる集団のメンタリティーなど、そんな様々なことを考えさせられる懐深い人間ドラマだった。 あと、ゾンダーコマンドという割り切れない立場の存在をこの映画ではじめて知り、被害者たる収容者の中にも濃淡があるってことを再認識。

  • 鑑賞日 2016/2/12

    重い読後感

    巻頭いきなりピントが合わない画面が続いたのち、キャメラの前に主人公の男が現れると彼にだけピントが合い、このあと、ユダヤ人でありながら収容所を仕切るSSの協力者として働く主人公が、全裸のユダヤ人たちをガス室に送り込み、中から必死にドアを叩く音を聞く様子を、主人公だけにピントが合う画面として描く冒頭。 「サウルの息子」は、この冒頭から一貫して、主人公を中心とした半径50cmだけにピントが合う画面でほぼ全篇を通すという、ユニークな方法が貫かれた映画なのですが、主人公自身の視野の狭さも半径50cmに限られているかのようで、主人公が収容所内でたまたま目撃してしまった息子の死を契機に、この息子の死体をユダヤ人らしい方法で正しく葬ってやりたいという、ただ一点の目的への執着ぶりが異常過ぎるように見えてしまうほどです。彼の執着が、他の収容者たち(レジスタンスを画策する者たち)の計画に水を差しかねないという意味で、そこまで拘らなくてもいいのではないかという気になってしまうほどですが、彼をそのような執着に追い込んだのが、他ならぬ収容所生活だということにも思い当たり、深く頭を垂れたくなります。 映画の終盤近く、主人公や仲間たちがある小屋に身を寄せている場面で、キャメラは初めて、この小屋の外から覗いている、然るべき距離を持った少年にピントを合わせ、彼と向き合う主人公の顔に笑みが浮かぶアップを示し、主人公の視野の拡がりを表しますが、時既に遅し。この直後、彼の視野が閉ざされる音が響くのです。 昨年2015年のカンヌで第二席に当たるグランプリを獲得した映画ですが、その賞に相応しく、重い読後感をもたらしてくれました。さらに言えば、2月29日(日本時間)に発表された米国アカデミー賞でも最優秀外国語映画賞に輝きました。監督はタル・ベーラの助監督上がりの人だそうで、サボー・イシュトヴァーン以来、タル・ベーラに続くハンガリー映画の旗手として今後の活躍に期待したい人です。

  • 鑑賞日 2016/2/28

    せめて人らしくありたい

    ナチスによる隣国の村々の住民の虐殺の手伝い。劣悪な環境。生きながらえる以外に目的がない、人間らしさがない生活の中で、唯一息子の葬儀を行ってもらい埋葬することに奔走するサウル。その人間らしさが、レジスタンス以外に意味を見出さない人やそれさえもない人の中で、サウルを浮いた存在としてしまう。その人間らしさの消失してしまう環境、浮いた存在にしてしまう環境が戦争の悲劇を物語っている

  • 鑑賞日 2016/2/29

    宗教観の違い

    本作品は、カンヌ国際映画祭グランプリやアカデミー外国語映画賞(本日映画上映前に支配人からの速報あり)などの大きな賞を受賞しているが、私の評価はそれほどでもなかった。ゾンダーコマンドとして収容所で働く主人公のサウルが少年を何とかユダヤ教の教義にのっとり埋葬してあげようとすることが大きなテーマだが、我々日本人には宗教観の違いでしょうか「なんで仲間を危険にさらしてまで埋葬にこだわるの」と思ってしまう。最終場面で少年の遺体を担いで逃げるが川の中で手放してしまう。もしインドのヒンヅゥー教の世界だったら理想の弔いの形ではあるのだが。とにかく心が寒くなる映画だ。収容所の中の描写が全編のほとんどを占める本作品のような映画は初めてだ。二度とこんなことは許されない。

  • 鑑賞日 2016/2/27

    歴史との向き合い方

     これは第68回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したハンガリー映画。  第二次大戦中、ユダヤ人強制収容所で働く“ゾンダーコマンド”を取り上げた異色のホロコースト映画です。  1944年、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。  ハンガリー系ユダヤ人のサウルは、収容所に送り込まれる同胞をガス室に誘導し、その後の遺体処理やガス室の清掃などに従事する“ゾンダーコマンド”の一員として働いていていた――もっとも“ゾンダーコマンド”もまた数ヶ月後には口封じに為に殺されてしまうのだが――  ある日、彼はガス室を生き延びた少年を発見する。少年はその場で殺されてしまうが、サウルは少年を「息子だ」と主張し、ユダヤ教の教義に従って弔うべく、収容者からラビ(ユダヤ教指導者)を探すのだが……  この映画、特異なのは何と言ってもその映像。スタンダードサイズに切り抜かれたスクリーンに映し出される映像は、基本的に主人公サウルの上半身を正面、あるいは背後から捉えるもので、被写体深度を極浅くとった映像が、焦点を合わせたもの以外はほとんどぼやけてしまい、何が映し出されているのか判然としません。  ドイツ語の台詞には字幕が充てられず、観客はサウルと同化したように最小限のものだけを見ながら、絶滅収容所と言う人の作り出した地獄を彷徨う事になります。  ハリウッドの大作であれば、アウシュヴィッツの再現を完全にする事も出来るでしょうが、限られた予算の中で、少なくとも「あの場所の現実」を観客に見せ、体験させる、と言うこの手法、批判はあるでしょうけれど、その効果は認めなければならないと思います。  映画の内容の方もまた挑戦的で、歴史を「物語」とし、商業的に流通する「商品」とする事を是としないネメシュ・ラースロー監督は、映画の中で「あの場所の現実」を再現し、歴史上の事実(映画で描かれているのは1944年10月に起きたゾンダーコマンドの武装蜂起)を描いた上で、その上で、ひとりの男が、どう生きたのかを描いて行きます。  「物語」を作るのであれば、その武装蜂起の中の人物を描けば、ドラマティックにもヒロイックにもなる所を、ラースロー監督は頑固に否定。サウルをあくまで“人間”と描き、“部品”のように“処理”されていく同胞たちへのせめてもの償いとして“息子”だけでも人として葬ろうと言うのです。  物語として筋が通らない、サウルに感情移入出来ない、と言う人も少なくないのでしょうけど、歴史をドラマの“背景”として扱い、物語として完結させて、カタルシスなり感動なりを与えると言う事を頑なに拒否。過酷な歴史を「現実」として突きつけ、その中で「人間」であろうとしたサウルの最後の数日を描くこの映画、歴史との向き合い方を考えさせられる1本でした。

  • 鑑賞日 2016/2/28

    ほぼ常時主人公サウルの頭部がアップとなっており、それ以外の部分に焦点が合っていない主観映像が続く。なのでアクション作品でもないのに、正直映像良い酔いした。 妻と会うシーンは圧巻。互いにサインを送り合ってる目線の強さが印象的。

  • 鑑賞日 2016/2/23

    トラウマ級の衝撃

    なんとも息苦しく、不快感が充満した衝撃作です!!画面サイズがワイドじゃないのと、サウルだけを凝視しているかのように背後からのアップで、背景がほとんどボケてる。息苦しいです。何があるのかぼんやりとしか見えない。見えないもんだから、余計、見ようとするし、想像がどんどん膨らんでいく。あっちへこっちへ翻弄されるなか、目的を見出し自らの意思で行動するものの、相変わらず翻弄され続けているので、こいつはいったい何をしてるんだ?なぜそこまで執着する?という不満も出てきて、息苦しさと不快感はさらに増幅されます。生と死の境がほとんど無く、翻弄され続けることで、人間が壊れていくさまを、その場で見つめ続けているかのような感覚が強烈すぎます!!トラウマ級の凄さです!!

  • 鑑賞日 2016/2/17

    ひとごと

    何で拘るのか理解できなかった。最後殺されてしまうが生き延びた人がいて、この映画が出来たのだろう。ガス代、焼却費、運送代、埋葬代、経済的にも大変だ。だから贖罪でメンヘルは移民を受け入れるのだろうか。東独時代のエピソードを知りたい。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    ぎりぎりの人間性

    日常の世界から、いきなり非の世界に投げ込まれた人々。 わけのわかない世界。泣くことすらできる時間もない。 気がつけば人間でなくなっている。サウルはそんな中で 目が覚めたのかもしれない。自分がとにかく人であると いうことに。人間には家族があって、死んだら大事に 弔うという当たり前のことに。ラストの地元の子供を みてほほ笑む顏が、この作品の全て。サウルが人間の ままでいた証ということ。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    収容所に身を置いたかのような感覚。

    人類の歴史上最悪の施設のひとつであるナチスによる絶滅収容所、その中でわずかな延命と引き換えに同胞の事後処理に従事するゾンダーコマンドという存在。二重につらい話が、主人公への感情移入を俄かには拒んでしまうが、ほぼ全編主人公のバストショットで撮られた、つまり主人公視点で描かれた本作は過去のどの作品よりも収容所に身を置いたかのような感覚を強いる。最初から最後まで目が離せない。そして絶望の果てに出会う主人公の微笑みに涙を禁じえない。

  • 鑑賞日 2016/2/20

    タル・ベーラの助監督

    カメラワークと長回し。新人監督と思えない。

  • 鑑賞日 2016/2/15

    最もリアルな収容体験

    オシフィエンチムの収容所跡に、二回ほど訪れた事があるが、 ガス室の雰囲気は、一番リアリティがあった。 これがメジャー映画では、出来ない部分であろう。 しかも、映像は暈しているのにも関わらずだ。 その中で、同胞を死へと導く主人公サウルは、 息子と言う幻覚?に囚われたのであろう。 よって内容は、私達一般人に、なかなか理解し難い作品仕様になっている。 ジューイッシュ的なヴァイオリンの主題曲にも哀愁を感じる (監督賞候補)

  • 鑑賞日 2016/2/7

    彼に何が起こったか

    1944年10月、ハンガリー系ユダヤ人のサウル(ルーリグ・ゲーザ)は、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所でナチスの特殊部隊「ゾンダーコマンド」に配属され、同胞たちの死体処理をさせられていた。ある日、ガス室で息子らしき少年を見つけた彼は、殺されてしまったその少年の弔いをしようとする。 見えにくい画面の大きさとボケ具合で、余計にその凄惨さはにおってくるようだ=(´□`)⇒ その、サウルの行動はある意味同胞のしようとしていることの邪魔ばかりしている。ある部分、サスペンスチックでもある。 こういう見せ方もあるのだなぁと思った。それにしてもナチスのやり方ときたら(`Д´)

  • 鑑賞日 2016/2/12

    監督の訴求点が強烈に表現されてる

    主人公のサウルはハンガリー系ユダヤ人。場面は、ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ収容所でのユダヤ人の殺戮での物語。 確かに、ナチス・ドイツのユダヤ人の殺戮をする方、される方の視点で描いた作品は数あれど、ゾンダーコマンダーの視点から映し出した点には、驚愕を覚える。そして、ゾンダーコマンダーも何時殺されるか分らないで、従事する事を思えば、当然生きた心地もしないのは必至。それだけに留まらず、サウルはユダヤ人殺害後の死体破棄作業で微かな息をしている少年を発見して、助け出そうとするのだが、そんな少年はやはり亡くなってしまう。しかしサウルは、今度はその少年の亡きがらをユダヤの埋葬慣習に則り、きちんと葬ろうと収容所内で聖職者を捜すのであった。一方、収容所の中では、脱走計画が練られて、ついにその日が到来するまである。収容所の大混乱の中、サウルは少年の遺体を担いで脱出するが、途中の川を渡る際に、遺体を流してしまい、対岸に着いた時には虚無感に包まれただけの人間となっていた。その後、逃げ続けて古家を見つけ、逃げて来た仲間と休息を取るが、ドイツ兵に見つかり射殺されてしまうのであった。 初めて知るゾンダーコマンダーの心理、そして厳しい環境の下でも同胞の死体をきちんと埋葬しようとする心、更には、生まれた人種の違いで人としての生き方にこれ程にも違いが有っていいのかを監督は訴求している。又、訴求の手法もスクリーンをクラッシック的なスタンダードサイズにし、カメラレンズでも被写界深度を浅くしてサウルだけに焦点を合わせている。それだけ、サウルを注視しろ!と言わんばかりの監督の声が聞こえる感がします。

  • 鑑賞日 2016/2/14

    アウシュビッツを舞台にした作品は過去にも数多くあるし、その事実から重苦しいトーンにならざるを得ないわけだが、同胞の死体処理係とは何ともやりきれない役回りであろう。しかも、一定期間働かされたら、口止めの意味もあるのだろうが、自分も殺される。とてもまともな精神を維持することは難しいのではないかと思われる。そんな非人道的な生活の中で自分の息子の死体を見つけてしまう。そしてその死体が解剖に処されることが分かり、何とかして死体を持ち出し、正式な埋葬をすることに自分の命も賭ける父親。ユダヤ人だけの問題ではなく、第2次大戦時に自国を占領下に置かれ強制労働を強いられた東欧小国の人々にとっては戦争の悲惨な記憶は消そうとして消せるものではないことが、こういった映画を観ることで痛切に感じられる。日本の戦争映画にはここまでの重苦しさを感じさせる作品は見当たらない。

  • 鑑賞日 2016/1/29

    「復活」の物語

     焦点のぼやけた画面からこの映画は始まる。緑が多いから林の中のようだ。人々が歩いてやってくるがしばらく焦点の合わない画面が続く。そこにサウルが現れて初めてピントが合う。上着の背中には赤い×印が書かれている。これはゾンダーコマンドの印。  ユダヤ人達をのせた列車がアウシュビッツの強制収容所に到着し、ユダヤ人をガス室で殺す役目のユダヤ人の物語が始まる。強制収容所に入れられたユダヤ人は、「シャワーを浴びてからお茶にしよう」「働きたいものは申し出てくれ、求人中だ」などと声をかけられながら、服を脱ぐよう促され、全裸でガス室に詰め込まれる。ユダヤ人たちの残した衣類から金品をあさるゾンダーコマンド達。死体は引きずって運び出され焼かれ、灰は川に投棄される。強制収容所の作業が実にリアルに描かれている。しかし、サウルと彼の視界に入ったものにしかカメラの焦点が合わないので、映画の観客にとって周囲の状況はぼんやりとしかわからない。サウルにしてみれば、見たくもない光景だろう。  ガス室を生き延びた少年が苦しそうな呼吸をしている。すぐに医師によって薬殺される。医師は解剖を命じられる。その少年を見たサウルは、自分の息子だと妄想し、火葬されないように解剖室から遺体を担いで運び出し自分のベッドに隠す。そしてユダヤ教の葬祭をしたいと願い、収容者の中に葬祭のできるラビを求めて探しまわる。ゾンダーコマンドたちは、4ヶ月の期限が来ると自分たちも抹殺される。その前に収容所から脱出をはかる。サウルも少年の遺体を担いで収容所を脱出するが、溺れかけた川で遺体は流されてしまう。  ゾンダーコマンド達とサウルが休憩する小屋の入り口に、近くを通りかかった少年が立ち止まり小屋の中を見つめる。少年と目が合うとサウルは安心したように笑顔になる。まるで川で流された遺体が、生き返ったかのように喜んでいる表情だ。追っ手のドイツ兵が小屋に向かい、森の中には機関銃の音が響き渡る。サウルが生き延びられなかったと暗示する。これは、ヒロー不在の「復活」の物語だ。

  • 鑑賞日

    何故、この語り方を選択したのか?

    一体、どれだけ試行錯誤をして、テストを何回繰り返して、本番に臨んだんだろうか? 監督やキャスト、スタッフは、何故、何の為に、誰に向かって、という意志が明確に統一されていないと不可能な仕事である。 推定200万人から400万人の人々が約5年間(約1900日)で・・・という凄惨な事実を観客にリアルに伝える為に編み出したであろう(予算の制約から、抽象化せざる得なかった事も推察されるし、実際のアウシュビッツも見学したが事実とは大きく違うがあまり気にならない)抽象と具体を混在させる語り方。 主人公の芝居自体はセリフも最少限、抽象度を下げる。凄惨な現実はピントをボカすなど、抽象度を上げる。この相反する水と油のような状況をカットを割らずにアジャストさせるには、ここしかない!という位置にカメラを置く。 効果音も含めた[サウルの息子話法]や[Son's Eye]として語り継がれても良い偉業。映画的話法の偉業だけではなく人類にとっての偉業を単なるP.O.V.や二人称、観客目線、神の声、実録タッチ、体験ゲーム風とかで括って風化させてはいけない、この史実を忠実に伝える為のこれしかない!語り方に脱帽!

  • 鑑賞日 2016/2/8

    視野狭窄への拘り

    カメラは主人公サウルから殆どはなれず、何かに取り憑かれたような彼の顔をクローズアップでスタンダードサイズの画面一杯に捉え続ける。多くの指摘にあるようにダルディンヌ兄弟のスタイルを想い起こさせるルックス。ただ、ピントも定かでないその背景にはアウツシュビッツの凄惨な風景が蠢くように広がっている。息子にせめてもの弔いを。ごく自然に見えたサウルの想いはこの状況のなかで妄執のように膨らんでゆく。そんな主人公への凝視を強いてやまない映画には危うい歪さを引きずりながらも強烈な表現力がみなぎっていた。 ラストにやっとカメラの視点がサウルから離れるとき.残されたものに何が起きているかを知りながら、悲痛さを越えて何気にホッと息をついてしまうのは観るものの罪深さなのか。

  • 鑑賞日 2016/1/29

    地獄の底に人間性は現われるのか

    第二次大戦末期のナチスのユダヤ人収容所施設。 舞台となるのは収容所とは名ばかりの虐殺施設(たぶん、アウシュビッツ収容所なのだろう)。 サウルはユダヤ人でありながら、ナチスのために働くユダヤ人。 彼らはゾンダーコマンドと呼ばれ、虐殺行為の一端を担っている。 しかしながら、生き延びることはなく、数か月で抹殺されてしまう運命にある。 ある日、サウルは他の収容施設から送達され、ガス室送りになったユダヤ人のなかに、息子の姿を見つける。 息子と思しき少年は、ガス室の中でも生き延びたが、まもなく、ナチスの手で殺されてしまう。 それまで、生き人形のように日々の労働をこなしていたサウルに、人間として生きる動機の一縷の綱が沸き起こる。 それは、息子の死体を焼却処理にせず、ユダヤ人として埋葬してやりたいということだった・・・というハナシ。 と、このように書くと、なんだかヒューマニズム溢れる映画のように思えるが、そんなことはない。 映画から発散されるのは、ユダヤ人収容所で繰り広げられていた非人道的行為に対する遣る瀬無さ。 ひいては、人間でいることすら拒否したくなる(せざるを得ない)情況である。 映画は、その非人道的行為を正面からは写さない。 常に、サウルの背後から垣間見るよう、サウルの後ろ姿にピントがあった画像で写していく。 よって、観客が観るそれらの行為は常にぼやけている。 ぼやけているが、行為は常にリアルである。 この演出には驚かされる。 それらのぼやけた行為を直視しようとし、しかし結果として目を背ける、いや観ないことを装う。 そんな効果があるのだろう。 なので、観客側は眼前で繰り広げられる非人道的行為に徐々に麻痺していき、サウルと同化する。 この映画の特筆すべきところは、この点である。 しかし、この演出にこだわるがゆえに、映画としての幅が狭くなってしまった。 サウルが感じる、息子と思しき少年の死体を埋葬することにこだわる気持ちが、真実かどうかあやふやなのである。 映画後半で、サウルには息子などいないと、周囲の人々から指摘されるている。 つまり、サウルはこの地獄のなかで正気を保っていたのか、いなかったのか。 これがよく判らない。 たぶん、巻末の結果から観れば、彼が正気を保つための自己欺瞞だと思われる。 とすると、息子のエピソードは、サウル自身の思い込み、よくいえば人間性を保つためのウソなのだろう。 そしてもうひとつ、サウルの息子の埋葬の執念と並列して描かれるのは、他のゾンダーコマンダーたちの叛乱の様子。 叛乱の企ての段階。 サウルは、この企てのなかで重要な位置づけにあるように描かれている。 先の、息子の埋葬がウソの世界ならは、この叛乱はホントウの世界である。 しかし、その企てについてもサウルの眼を通して描かれるため、何がどうなっているか、いまひとつ要領を得ない。 よく観ればわかるのかもしれないが、何故、サウルが叛乱の首謀者たちに重宝がられているのかはわからない。 ホントウの世界は、ただただ瓦解していくだけ。 で、映画としての幅が狭くなってしまったというのは、ウソもホントウも一緒くた、そんなことにこだわっていられない状況だ、ほら、そうだろう、というように映画が終始してしまったこと。 いま一歩引いて、物事を観る勇気がほしかった。 観ていて思ったのは、『炎628』。 非人道的行為は同じぐらいなのだが、あちらは少しだけ引いて観ていたように感じられました。

  • 鑑賞日 2016/2/1

    「えっ……? なにこれ、すごくない?」と驚愕しております。 あまりにすごかったので、今から13回ぐらい「すごくない?」と言います。 まずこの監督さん、長編監督一作目で何でこれが撮れちゃうの? すごくない? 映画の大部分を(ほぼ)ワンカットで表現するのは、アレハンドロ・G・イニャリトゥやアルフォンソ・キュアロンなどが近年試みていることだけど、「サウルの息子」のネメシュ・ラースロー監督はもういきなり彼ら名だたるオスカー受賞監督たちと遜色ないレベルに来ちゃってるんだけど、それすごくない? ていうか、カットを割りながらも、絶妙に緊張感の途切れない割り方になっていて、下手したらイニャリトゥやキュアロンよりも「ワンカット風味」をうまく使いこなしてるんだけど? すごすぎない? 次にスクリーンサイズの選択。正方形に近いサイズでアップ多めにして閉塞感を表すってのは近年だとグザヴィエ・ドランがやってるけど、この映画は「見える範囲」の選択にも物語性を持たせてるの。主人公の気持ちとシンクロするように、オブジェクトが消えたりピントがずれたりするの。って、若き天才と呼ばれるグザヴィエ・ドランすら越えてない? すごくない? それから、これは明らかに「体験型」、劇場で見ることに意義があるタイプの映画なのね。 まず、スクリーンサイズのせいで上映が始まる前にスクリーンがガーって狭くなるの、もうこの時点でこれからシャワー室に毒ガスでも散布されそうな嫌な感じを想起させてすごくない? そして映画が始まった瞬間、単館規模の作品とは思えないほど巧妙な音響定位で、そこら中からエンジン音や殴打音が聞こえて観客は完全にアウシュビッツの真ん中に放り出されるの。すごくない? そこからはサウルにぴったりくっついて離れないカメラで最後まで臨場感だよ。 主演の人の演技もなにげにすごくない? いい意味で映画らしくなさってか、実在感がすごいあって。 そして冒頭からその主人公がなかなか「喋らない」ことで観客の興味を引っ張るの。すごくない? 引っ張ると言えば、テーマ重視の映画でありながら、仲間の反乱作戦とかのサスペンス要素も入れて、きちんと娯楽映画にもなってるの。すごくない? また途中、主人公の行動原理や目的が上司のセリフなどでぼんやり解ってくると、話の見え方がまた変わって、抽象的な寓話性すら帯びてくるの。それで結論は決して言葉にはせずに、映像から観客が受け取るに任せてるの。すごくない? タルコフスキーみたいじゃない? あと計算したものではないユーモアがあるというか、人間の本性から醸し出される「笑ってしまう瞬間」もあって、中盤のスコップの放り投げ方とか、ラビ(司祭)の人の一挙手一投足とか、どことなく笑ってしまうの。すごくない? クライマックスには、主人公がそれまで見せなかったある表情をした瞬間、カタルシスと共に鳥肌立ったんだけど。すごくない? そしてラストカットの人間が風景に溶け込んでいく様はアート映画的な神々しさまで身に付けてるんだけど。すごくない?

  • 鑑賞日 2016/1/26

    年に数本はこういうの見ておかねばと自分に課している部分もあるのだが、キツかった。ガス室送りの準備、後処理を手伝わされるユダヤ人の話

  • 鑑賞日 2016/2/3

    鮮烈な擬似体験

    殲滅収容所で死体処理に従事することで一時的に命を長らえている囚人サウルが、ガス室を生き延びたが殺されてしまった少年を自分の息子だと(たぶん)思い込み、ユダヤ式の正式な埋葬をするために奔走する2日間。主人公だけに焦点を合わせて収容所内の凄惨な光景をぼやけた映像と生々しい音響で描写することで観る者の想像に訴える手法は、まるでその場に居合わせているような感覚をもたらすと共に、サウルが自分の置かれた残酷な環境にもはや何の人間的な感情も持てなくなっていることも表現している。ガス室に送られ殺されるユダヤ人の悲鳴を無理やり聞かされる冒頭から強烈で、埋葬というただひとつ残された人間的行為のために収容所の規律を逸脱する姿が猛烈なサスペンスを産む。さらに同時に囚人たちの叛乱計画も描かれていて、この題材と手法なのに全編息つく暇がないのであるが、本音をいうと結末でサウルになにかしらの精神的な決着をあげてほしかった気がしている。

  • 鑑賞日 2016/2/2

    最小限の視界

    書き残す事。写し残す事。埋め残す事。託し残す事。序盤で金目の物を探る(探らされる)者の他に、それに向ける以上の執拗さで紙(パピエル)を求める者がいるのだが、当初気付けなかったその理由が示される所で居た堪れなさが更に募る。視界最小限ゆえの絶望的無限。

  • 鑑賞日 2016/2/1

    斬新な作り

    本人と本人の目線以外はぼやかした映像になっている。 収容所内の全貌はよくわからず、おおよそのことだけ想像できる。 もしかすると息子の弔のとで無我夢中のサウルの目に映っているものと、このぼやかした映像は同じようなものかもしれない。 極限の心理状態は理解できないだろうが 少年(息子?)の弔いだけがサウルの唯一の救いを得るための道だったのではという自分なりの解釈をし、ラストの彼の表情に少しだけ安堵を覚えた。

  • 鑑賞日 2016/1/29

    予告編が終わり、本編上映に移るとき、スクリーンのカーテンが少し閉じた。エッ。本編が始まると、正方形に近いほど画面が小さい。携帯でとった動画を見る感じ。画面の外で明らかに人を殴っている鈍い音がする。画面が小さくて不安定。 死と隣り合わせ極度の緊張感の中、過酷な作業を死に物狂いの素早さで体を動かしている。 写っている人物の顔にピントが合っている。背景がぼやけている。だから私は一生懸命みてしまう。肌色の物体は人。何かの拍子にはっきり写る瞬間があった。 「ここは生きるものの空間だ」。ゾンダーコマンドの寝床のある場所は明らかに働かされている場所と違った。寝床や顔をふくために水を汲む空間がいかに人間らしいか示している。 やっと見つけたラビは本物ではなかったように私は理解した。お祈りを唱えられなくて、サウルといっしょに穴を掘り始めた。サウルは気に留めないというか、一瞬で許したのだ。 最後、金髪の少年と目が合ってだんだん顔が緩んで口角が上がっていく。

  • 鑑賞日 2016/1/30

    ばか

    右となりすわったおさんの鼻息がうるさく映画に聴き取れなく鑑賞できなかった.

  • 鑑賞日 2016/1/28

    映像体験(直視する勇気+想像力)

    ハンガリーの若き俊英、ネメシュ・ラースロー監督の『サウルの息子』を全身硬直させながら観た。極限状況の中で緊張と恐怖のあまりこちらの身体にも力が入っているのがわかる。これまでは、外からの目で表現されてきた強制収容所の中へ(いやガス室の中へといっても過言ではない)観る側を連れていくという監督の意図は見事に成功している。 アウシュビッツ=ケルナウ収容所。ハンガリー系ユダヤ人の主人公サウルは、数ヶ月の延命と引き換えに同胞の死体処理にあたる特殊部隊=ゾンダーコマンドの一員である。 いかに人間が環境に適応する生き物とはいえ、この状況下で周囲に目の焦点を合わせていたら精神のバランスを保つことは容易には出来ないであろう。主人公サウルも明らかに感情を失っている。 この作品の撮影、画面上、キャメラの焦点を主人公にのみ合わせる手法を採っている。よって彼の周囲で起こっていることを意図的にぼかして見せる。つまり観る側の想像力を頼りに起こっていることの凄惨さを伝えようとしている。観ている我々も自らの想像力でまさにガス室の中に連れて行かれている感覚に陥る。 この凄惨さを伝えるためにもう一つ監督が頼ったのは「音」である。エンドロールを除いて「音楽」は排されている。強制収容所内に響き渡る悲鳴。ガス室の扉を内側から叩く音。あちこちから聞こえる多数の国の言語。この「音、音、音」にこちら側の感情は徹底的に打ちのめされる。 観ていて息苦しい程の閉塞感を感じる。出口が見えない。「この話、最後はどうなるのだろう」と思いながら進んでいく。「生か?死か?」まさに先が見えない主人公のように。すると物語は、ある意味において宗教的ともとれる死のエピソードで終わる。そして虚無的な感覚に襲われる。とても重い作品である。

  • 鑑賞日 2016/1/23

    この作りは失敗だと思います

    ナチスの収容所で、捕虜の中からドイツ軍の元で働くことができる人間をゾンダーコマンドという。 そのゾンダーコマンドのサウルの主人公にしています。 このゾンダーコマンドは他の捕虜に比べると、かなりの自由があったように見えました。 それもあってサウルの行動は自己中心的に見え、全く感情移入ができません。 こういう時は、全員、運命共同体だと思います。 また、画面比1:1というのもよくなかったと思います。 映るところはサウルの後頭部と背中だけ。 見切れたところで死体があっても、私に響くことはありませんでした。 背景を想像させる映画はよくありますが、本作では効果的ではなかったと思います。 ゾンダーコマンドという初めて聞く役職で、題材として興味深いものだったので、この作りは残念でならない。

  • 鑑賞日 2016/1/28

    同化への仕掛け

    ナチスのユダヤ人収容所では、労働力として生かされるユダヤ人たちがいた。ゾンダーコマンドと呼ばれるその人々は、各地から運ばれてくるユダヤの同胞を「処理」することをその使命とされている。 そのゾンダーコマンドの中の一人、サウルがガス室で息絶えなかった少年を見つける。しかし、すぐにナチスはこの少年を殺してしまうのだ。 この後、サウルはこの少年は自分の息子なのだと言って、ユダヤ式の埋葬をしようと、閉ざされた収容所の中を奔走する。 「処理」されるユダヤ人たちには、映画の冒頭からレンズの焦点が合わない。35ミリの狭い画面はサウルの姿でほぼ占められている。観客は、彼の周囲の状況をそのごく限られた余白でしか窺い知ることができない。 このサウルの捉え方も、大部分が彼の背中からのショットである。観客はサウルのあとをついて歩いているかのような錯覚を抱く。そして、その錯覚がサウルの抱えるストレスと同じ恐怖や焦燥につながっていくのだ。 サウルが抱えている遺体の少年は、本当にサウルの息子なのか。 死者を葬るために、生きている者たちが命を危険にさらす意味があるのだろうか。 収容所内で反乱を起こし、果たしてドイツ軍やナチス親衛隊相手にどこまで戦えるのだろうか。首尾よく収容所を抜け出したとして、どこまで逃亡すれば安全が確保できるのか。 それらの疑問もまた観客にストレスを与え、憔悴したサウルその人へと同化させる。 映画はこのように、カメラワークとシナリオによって、観客に主人公そのものを疑似体験させる。 サウルの身に起こったことの追体験は、われわれに早くこの状況が終わって欲しいと願わせる。ことの成否よりも、尊厳を失うことなく早急に生を終えることのほうが重要であり、そこにこそ当事者のその絶望的な感情を理解させる仕掛けがあるのだ。

  • 鑑賞日 2016/1/28

    作品紹介1(映画.com)より

    2015年・第68回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したハンガリー映画。アウシュビッツ解放70周年を記念して製作され、強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人のサウルが、息子の遺体を見つけ、ユダヤ教の教義に基づき葬ろうとする姿や、大量殺戮が行われていた収容所の実態を描いた。1944年10月、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所。ナチスにより、同胞であるユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊ゾンダーコマンドに選抜されたハンガリー系ユダヤ人のサウル。ある日、ガス室で生き残った息子と思しき少年を発見したものの、少年はすぐにナチスによって処刑されてしまう。サウルは少年の遺体をなんとかして手厚く葬ろうとするが……。ハンガリーの名匠タル・ベーラに師事したネメシュ・ラースロー監督の長編デビュー作。 サウルの息子 Saul fia 2015年/ハンガリー 配給:ファインフィルムズ

  • 鑑賞日

    斬新なカメラワークで撮ったゾンダーコマンドの物語

    今日はカンヌ国際映画祭グランプリ、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートの「サウルの息子」を見てきました。 カメラワークがたいへん特徴的な作品だ。常に主人公サウルの斜め後方から撮り続ける。したがってほとんどが後ろ姿だ。主観視点ではなく主人公の後頭部を見続ける形での一人称視点で作品は進んでいく。 「ゾンダーコマンド」という言葉を知っているだろうか? 第二次大戦時、ユダヤ人の絶滅収容所アウシュビッツなどに存在したある仕事をする人間の呼称。ユダヤ人の中から選ばれて、同朋の衣類を脱がし、ガス室に送り、死体を焼却所に運び、脱いだ衣類から金目のものを見つけてはドイツ人に渡し、ガス室の掃除をし、焼却後の灰を川に捨てに行くところまでする「ユダヤ人」たちだ。まさに地獄である。ただし映像は常にサウルにピントがあっていて、死体を含めてサウルの周りの光景はぼやけて見えるように撮影されている。これは残虐なシーンをただぼやかしているというよりは、そういう仕事を余儀なくされているサウルが見ないようにしているイメージなのかもしれない。またデジタル時代にあえて35mmで撮られた狭い視野は、サウルと同じ視覚的体験だけを観客に共有させようとする監督の意図だろう。 そのゾンダーコマンドのサウルは、大量の死体をガス室から運び出す際に、まだ息のあるひとりの少年を見つける。少年はすぐに殺されてしまうのだが、サウルは「自分の息子」だと言い出して、埋葬してラビに祈りを捧げてもらおうと奔走し始める。並行して進むゾンダーコマンドたちの反乱計画。銃弾が飛び交う中、少年の遺体を抱えたまま走るサウルの先に待っている結末は…。 見終わった後、視覚的にも、精神的にも、どっと疲れる作品です。監督が意図した通り、追体験をした感じです。極限状態の中で人間性を失わずに生きようとした男の物語。ずっしり重い作品です。

  • 鑑賞日 2016/1/24

    なんにせよすごい作品。

    冒頭のぼーんやりがぐぐぐっと寄ってからというもの、すべてサウル主体のカメラワークで進んでいく。これがもう、すごい。観ている側に一息も与えない。サウルにしっかり焦点が合っている分、そのサウルの対象としているもの(「もの」と表記するがこれはもちろん人間を含む生き物も含む)が特にはっきりと映し出されているわけではないので、より観ているほうの想像力や恐怖をかきたてる。それからすべての音声が訳されているわけではなく、最初はえ?何か重要なこと言ってるんじゃないの?!と、疑問に思ったりしたが、実に様々な言語が話されていることぐらいはわかり、それも作品としてのひとつの効果なのかもしれないと。映画作品として評価、注目されるだけのことはあると思いました。いやーしかし内容は、重かったです…希望ゼロ件。

  • 鑑賞日 2016/2/1

    せめて、人間らしく

    #0082 ヒューマントラストシネマ有楽町「サウルの息子」。第二次大戦中にナチスのユダヤ人収容所で大量虐殺されたユダヤ人の遺体処理等に従事させられ数ヶ月後には殺される運命にあったゾンダーコマンドと呼ばれたユダヤ人の一人が、息子をせめてまともに葬ってやろうと奔走する姿を少ないセリフで一気に描いた力作である。

  • 鑑賞日 2016/1/24

    観客の想像力が歴史を想起させる

    カメラというものは現実を都合のいいものだけを切り取って写す都合のいいものである。だからこそ、たとえドキュメンタリーであったとしても、そこには作り手の意図や思想が反映されており、ドキュメンタリーでも報道カメラでも映されているものを現実と捉えることは危険なことである。 本作は見せたくないものではなく、主人公が見たくないものにはピントを合わせない。だけど視界に入ってきてしまう。だからこそ観客はフレーム外の世界を否応ながらも想起してしまう。個人の視点から外側の世界、さらにはホロコーストという歴史的惨事を観客の想像力を信じて作っている。それは非常に意義深いことである。 作り手が観客を信頼しているからこそ、観客は過度な緊張と想像力を試されることになる。だがその想像力こそ歴史的な過ちを二度と繰り返さないための最重要要素である。だからこそ、この手法を取った作り手は偉いのである。

  • 鑑賞日 2016/1/23

    いかにもカンヌ向き

    こういう陰惨なストーリーって、いかにもカンヌ映画祭の好みだな。今時珍しく4:3の画面比で主人公を中心にした主観的な映像、そしてユダヤ人の強制収容所で引き起こされる非人間的な虐待。その重苦しさと乖離している、主人公の強い保護者意識。ナチス・ドイツものによくある、考えさせられる内容ではあるんだけど、いかんせん重苦しくて個人的には受け入れられなかった。ラストシーン、主人公が見たものはひと時の幸せをもたらしたのかな。

  • 鑑賞日 2016/1/23

    悲劇と喜劇とは裏腹である

    ラースロー監督は「カメラは主人公のサウルの視点で」と注文をつけたとの事だが、冒頭から暗い映像で、手持ちカメラの、ブレた狭い画角と、浅いフォーカスレンジ、人物描写はバストショット以上と、画面から得られる情報はさほど多くはない。 更に、セリフも少なく、説明的な映像も無く、徹底的にリアリスティックに描かれるが全容は見えてこない。それでも、息の詰まるような、死しかその先には無いようなユダヤ人強制収容所の過酷な状況だけは確実に伝わってくる。 ナチスの手先となって、ガス室に送られる収容者の後処理を手伝わされる〝ゾンダーコマンド”のサウルは、ある日持ち込まれまだ息のあったがすぐに死んだ少年を、自分の息子だと執着し、ユダヤ教に則った葬儀をあげてやろうと奮闘するが、「死者を助けるために生者を危険におとしめる」と仲間に揶揄される自己矛盾はまるで不条理劇である。これこそ70年前に実際にあった戦争の実態なのだ。

  • 鑑賞日 2015/11/2

    ゾンダーコマンドという地獄

    ハンガリーのアウシュビッツを題材にした作品。本作は、収容ユダヤ人の中から選ばれたゾンダーコマンド(特別作業班)を取り上げているのが異色。ガス室で殺戮後の清掃をしたり死体処理をする班で、4か月後にはガス室送りになる運命だ。そこで働くサウルは死体の中からまだ息をしている息子を発見、すぐに殺されてしまうが、サウルは息子の死体を運び出し、なんとか埋葬しようと奔走する。彼の行動が武装蜂起のグループと合流してしまったり、胡散臭いラビを助け出したりするが、息子の身代わりの死体が必要になり、脱走した森で少年と出会う。そこで初めてサウルは微笑むのだ。手に考察するための布を握りしめて。本作の心臓部はここにある。彼は自分自身の人間の尊厳に目覚める。彼はナチと同じ暗黒面に堕ちることを回避できたのだ。 スタンダードの画面は、サウルに寄り添うように手持ちで動き回るカメラで、周囲をはっきりと見せない。しかし、恐ろしいことが行われてることが小出しされる情報でわかるのだ。39歳の新人監督、ネメシュ・ラースロー。同じハンガリーのミクロシュ・ヤンチョーを発見したときと同じくらいの驚きであった。 きちんと埋葬したいという思い。人間の尊厳を守るためには自分自身と闘わなければならないのだ。